「生きた自然」への驚きを数理の言葉に乗せる非線形科学

蔵本(2007)は、現代科学はこれまでもっぱら「命をもたないもの」を対象とし、それを扱うのにもっともふさわしい強力な方法を開発してきたという。その方法はものごとをいったんばらばらな構成要素に分解することで理解が得られるようにするというものであるが、そうすればするほど、、ものの生きた姿から遠ざかってしまうという弱みを持っているという。例えば、水という物質が示す性質を詳しく知っても、それだけでは変転きわまりないその流れのパターンを決して理解することはできない。このように、現代科学に「何か足りないもの」を補うかたちで華々しく開花したのが「非線形科学」だという。


非線形科学は「生きているもの、あたかも生きているかのように振る舞うもの」に格別の関心を示すと蔵本はいう。それらはすべて、部分と部分とが緊密に関係し合うことでこそ命が支えられているシステムだからである。「線形」がまっすぐな線や単純な比例関係を暗示するなら、「非線形」はより複雑に屈折していて、そこから何か新しいものが生まれるようなイメージがある。そしてそれは正しい直感であると蔵本は指摘する。線形システムでは、意外性をもった現象は現れにくい。それに対し、自己組織化とよばれるようなシステムが生きもののように自らを組織化していくように意外性をはらんだ現象は、構成要素どうしが強く関係し合う非線形システムにこそ生じるという。


狭義の非線形科学は「非線形ダイナミクス」と呼ぶ場合もあるように、動きを含んだ現象にもっぱら関心を寄せる。また、非線形科学は、現代物理学が軽んじてきたマクロ世界の現象、すなわち私たちの足もとに広がるごくふつうの世界をもういちど新しい目で見直そうとする。このように考えると、非線形科学は「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」とみなしてはどうかと蔵本はいう。ここでいう「生きた自然」とは「あたかも目的をもっているかのように形や動きを生成し、おのずから組織化していくような自然現象」を指している。


蔵本によれば、意思を感じざるをえないような不思議な自然現象や、複雑で手のつけようのなさそうな現象には、意外性を持った新しい特徴の出現が伴う。これは、構成要素の間の緊密な相互作用から新しい性質が発現することと関連しており、広い意味で「創発」と呼ぶ。創発の中でもとりわけダイナミックな創発を、私たちは「生きた自然」と感じる。


そもそも科学の言葉で自然を描くとは、「不変なもの」を通して変転する世界、多様な世界を語るということにほかならないと蔵本はいう。自然の中に潜んでいる不変な構造を探り当て、数理言語をはじめとするあいまいさのない言葉を用いてそのような構造を誰にとっても共通な意味内容をもつ表現に定着させることで科学は成立しているという。非線形科学は、そのスタンスに立ちながら、ミクロな物質科学のように要素的実体にさかのぼることをしないで複雑な現象世界の中に踏みとどまり、まさにそのレベルで不変な構造の数々を見出そうとするのだという。


これまで多くの科学者たちの努力によって非線形現象を理解するための定石ともいうべき基本的な考え方や手法がこれまでにいくつか確立された。それらにより、変転する自然を貫く一本の太い軸が見えてくるように思うと蔵本はいう。例えば、意思を感じざるをえないような不思議な自然現象や、複雑で手のつけようのなさそうな現象にも、明快な法則・能動因が潜んでいるのであり、非線形科学は、その動的な機構を明らかにしようとするのである。