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橋本努 HASHIMOTO-TSUTOMU このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-03-21 「シノドス国際社会動向研究所」設立に向けて このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「新しい政治を生み出すために、シノドス国際社会動向研究所をつくりたい!」

このメッセージとともに、先月、研究所の設立に向けてクラウド・ファンディングをはじめました。

https://camp-fire.jp/projects/view/21892

これまでファンドに協力していただいたみなさま、心からお礼申し上げます。

また、この機会にシノドス国際社会動向研究所の趣旨にご賛同いただけましたら、

あと残すところ6日の募集ではありますが、どうかサポートしていただけますと幸いです。

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いま私たちは、この研究所の設立に際して、

一般社団法人」の資格を得るための手続きを進めています。

さまさまなルールを決めて、定款を作成しました。

各種の書類を揃えて、できれば四月から本格的にスタートさせたいと思っています。

最初に企てる研究・社会調査は、

まさに「新しい中間層の可視化」です。

私たちはいま、この研究を進めています。

この他にも、さまざまな研究をすすめていくつもりですが、

この研究所の運営、あるいは理論的なバックボーンについてのアイディアは、

当初、韓国の「中民研究所」のハン・サンジン氏から得ています。

http://www.earnglobal.org/main/z2_main.php

もちろん私たちが目指すところは、この研究所とはまったく別のものになるでしょうが、

一つの先例として、これからも参照していきたいです。

社会科学の研究を通じて、政治に貢献するための回路を作り出したいと思っています。

シノドスでは明日以降、この研究所の設立をめぐって、「鼎談」を載せる予定です。

http://synodos.jp/

こちらもよろしければご訪問いただけますと幸いです。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

2017-03-04 韓国で起きた大統領退陣デモに関するコンファレンス

韓国で起きた大統領退陣デモに関するコンファレンス

21:24 | 韓国で起きた大統領退陣デモに関するコンファレンスを含むブックマーク 韓国で起きた大統領退陣デモに関するコンファレンスのブックマークコメント

f:id:tomusinet:20170304205255j:image:medium

昨年11月、韓国で盛り上がりを見せた、「朴槿恵(パク・クネ)」大統領に対する退陣要求デモ。

LEDキャンドルを手にした人々が、さまざまな場所でデモンストレーションを繰り広げた。

キャンドルライト政治」とも呼ばれるこの運動は、社会理論の観点からどのように意味づけられるのか。

韓国の中民研究所では、3月8日にコンファレンスを開催予定。

上の写真はそのプログラム

報告はすべて英語で行われ、外部からの参加も可能という。

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シノドス国際社会動向研究所」(四月に立ち上げ予定)でも、

こうした研究と連動して、社会理論と社会運動論の連携から、

新たな政治の可能性を探りたいと思う。

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韓国の中民研究所はこちら。

http://www.joongmin.org/

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シノドス国際社会動向研究所は、現在、

設立のためのクラウドファンディングを継続中。

https://camp-fire.jp/projects/view/21892

いま、一般社団法人化にむけて、組織作りと研究準備をすすめています。

2017-03-01 ■人工知能が自分の好みを教えてくれる このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


感情化する社会

感情化する社会

大塚英志『感情化する社会』太田出版

大塚英志様、ご恵存賜りありがとうございました。

 人工知能(AI)の発達は、たしかに目を見張るものがあります。

 例えば人工知能に、たくさんの猫の写真やビデオを見せてみたら、人工知能の側で計算をはじめて、ある認識パタンにもとづいて「猫という存在はこういう感じの生物だ」というイメージを、自分で描いてみることができたわけですね。

 こうした人工知能の成果は、おそらく他の分野にも応用できるでしょうから、例えばAIにたくさん小説を読ませて、さらに批評家の批評パタンも読ませれば、AIは自分で小説を書いて、その小説を別のAIの批評家に評価してもらって、それでAIはさらに上手な小説を書いて、批評家も批評が上手になって、云々といったことが起きるかもしれませんね。

 さらに、小説に対して「AI大賞」のような賞が受賞される時代が、近い将来、来るかもしれません。あるいは、ネットでランクが上位になる小説を分析して、ランクが高くなりそうな小説を正当に評価できるようなAIが現われるかもしれません。

 音楽にも、応用できますね。作曲の「AI大賞」という。

 空想は拡がりますが、「専門家よりもいっそう専門的」「アーティストよりもいっそうアーティスト的」「自分よりももっと自分の好みを知っている(そして見つけられる)」などといったAIが出現するようになった時代には、いったい「自己の自己性」とはなんなのか。その理解がおそらく変化するでしょうね。「自分のことは、AIのほうがよく知っている。では自分とは何者なのか。」これは考えてみるに値します。

2017-02-28 ■消費税でも格差縮小の効果あり このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


18歳からの格差論

18歳からの格差論

井手英策『18歳からの格差論』東洋経済新報社

井手英策様、ご恵存賜りありがとうございました。

 政策としては、消費税のみで、富裕層貧困層のあいだに、大きな分配効果があるというのですね。この説得の仕方だと、累進所得税には反対しているように見えますが、それが真意でしょうか。

 国際社会調査プログラムの調査によれば、「格差の是正は政府の責任である」という質問に賛成した日本人は、54%でした。ところがOECDの平均は69%なのですね。

 日本において、ウソをついて生活保護をもらう人の割合は、0.5%程度。これはあまり多くないですね。でも中間層の人たちは、生活保護の不正受給に対して厳しい視線を向けます。ここら辺の認識ギャップが激しいというのは同感です。

2017-02-27 ■「和む」ことは「福祉」の理念の一つ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


山脇直司Glocal Public Philosophy

Institut International de Philosophie

山脇直司様、ご恵存賜りありがとうございました。

 ドイツでの出版ですね。公共哲学の網羅的な整理になっています。いろいろな日本人も出てきます。

 最後に、グローカル公共哲学が行きついた理念は、「和」であり、また「輪」、人々の苦悩を和らげる柔軟な平和のための連帯、というわけですね。

 「和解」「人間の輪」「平和」「調和」「和らげるmitigate」「慈悲」「和む(なごむ)」という理念の系列があります。

 私は次のように考えます。こうした系列の理念は、緊張した理性の動きとは異なり、人を弛緩させるような作用をもちますが、それはすなわち、理性や攻撃的な心性が弛緩されたところに生まれる社会秩序というものであり、これは公共性というよりもむしろ福祉のテーマです。福祉からみた公共性です。実はこれは、アーレントハーバーマスも語らなかった社会秩序の次元であり、「福祉国家」の「福祉」をこのような観点から理解するとき、権利としての福祉論や、ケイパビリティ論などとも異なる次元が見えてきます。たしかに、「和む」ことが一つのコミュニケーションとして求められる場面は、福祉サービスのなかでもそれほど多くはないのでしょう。しかしこの視点から、諸々の福祉サービスの在り方を再検討してみる価値はあると思います。また「福祉」や「ウェルビイング」の理念を再規定する意義があると思います。

2017-02-24 ■入れ墨は、オルタナティヴな忠誠を示す このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


社会システムの生成

社会システムの生成

大澤真幸『社会システムの生成』弘文堂

大澤真幸様、ご恵存賜りありがとうございました。

 私が大学院生の頃に読んだ諸論文がいろいろと収められていて、とくにルーマン経済システムをめぐる議論は、私は当時、言語研でこの大澤先生の論稿に批判を加える、というような発表をしたことがあり、懐かしく思い返しました。そのときの私の考えは、いつかどこかで書くかもしれませんが、いや書かないかもしれません。

 それよりも以下では、「入れ墨」という身体加工について、考えてみます。

 一般キリスト教は、割礼を内面化した倫理体系とみなされている、というのですね。キリスト教以前の社会では、身体を加工することで、社会の共同性や倫理を秩序づけるという方法をとっている場合がある。キリスト教は、そのような社会の秩序化の方法を、今度は内面化して、身体を加工しないでも人々を統治できるようにした。そのような倫理的転換をおこなった、というのですね。

 しかしそのキリスト教世俗化して、近代国家が生まれるとき、キリスト教がもたらした、「身体加工の内面化」という操作も、消えてしまいます。近代国家においては、文字通り、何も刻印されていない裸の人間が現れる。

 そしてそこに現れた身体統治の技法が、フーコーのいう「生権力」であり、とりわけ規律訓練権力であった、ということになります。「割礼」→「キリスト教倫理」→「規律訓練権力」という具合に、社会秩序の形成パタンが変化してきたと。

 しかし近年、入れ墨をする人が増えています。この入れ墨は、近代社会において統治されることへの「反抗」を表現するものといえますね。また入れ墨は、その身体加工において表現されたシンボルに、「忠誠」を示すものでもあるでしょう。

 なるほど、ピアスやリストカットは、シンボルへの忠誠によって新たな共同例を立ち上げるような表現行為ではありません。それらは、「私はここにいる」という表現的な欲求に基づくものであり、また自己の存在の根拠を示すものとして、私自身に作用しています。しかし入れ墨のような身体加工は、たんなる自己表現や自己確証のレベルを超えて、もっと象徴的な次元での統治と連動している可能性があります。しかし、それが何なのか。社会調査によって解明すべき、社会学の興味深い問いです。

2017-02-23 ■悟りとは現世逃避的なものではない このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント


橋爪大三郎/植木雅俊『ほんとうの法華経ちくま新書

橋爪大三郎様、ご恵存賜りありがとうございました。

 法華経とは、すべての人を成仏させる経典なのですね。「この現実社会にあって、一人の人間として完成されてあること」、これが法華経のいう「成仏」であり、原始仏教ではそうなのだと。

 そして、「私も仏になれるんだ」という自信と勇気を与えることが、授記ということ。

 菩薩というのは、悟りを得てブッダという理想に至るための前段階であると考えられます。すると菩薩行という実践は、その人がブッダになれば、必要なくなるはずです。ところが、久遠のブッダは、ブッダでありながら、菩薩行を続けている。これはいったい、どういうことなのでしょう。

 法華経の「寿量品(じゅりょうぼん)」(第16)の教えでは、「ブッダというのは、六道の迷いの世界を離れるのではなく、あえてそこに関わり、菩薩としての実践を通じて利他行を貫く」というのですね。つまり「ブッダ」という理想は、日常的な現実世界から別の世界に移ることではなくて、どこまでも私たちの社会の歴史的現実に関わっていくような生き方なのですね。

 菩薩行という実践は、ブッダになっても、それ自体として価値ある営みであり、目的になる。これは現世逃避的な瞑想ではなく、現世内的な実践ですね。

2017-02-22 ■イベント参加と思考の運動 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

富永京子『社会運動サブカルチャー化 G8サミット抗議行動の経験分析』せりか書房

 富永京子様、ご恵存賜りありがとうございました。

 処女作の刊行を、心から祝福いたします。

 本当に、うれしく思います。本書は、東京大学大学院社会学研究室に提出された博士論文がもとになっていますが、その大元は、北海道恵庭市における市長選であり、また、北海道洞爺湖サミットでしたね。サミットのころ、ちょうど橋本ゼミ学部生でしたね。

 博論の一部はこれまで、いろいろな論文として発表され、私もその都度読んでコメントしてきましたが、今回、このように著作として刊行されたことは、大いに意義深いです。洞爺湖サミットのころ、私も『帝国の条件』というテーマで研究していたので、いったい、あの頃の「反グローバリズム運動」とは何だったのか、と改めて考えさせられました。

 社会運動の参加者が、たとえば「平等」を求めて闘っている場合、デモに参加する人たちのあいだの平等についてはいろいろと細かく配慮することができるけれども、ではなぜ「平等」が重要であるのかについては、それ以上考えないで、ものごとを進めていく。「社会運動」とは、考えることと考えないことのあいだに一定の線を引いて、それで新たな思考を開始することになる。

 もちろん「思考」という営みも、実際にはその都度、考えることと考えないことのあいだに線を引いているのであり、そうした線引きによって、新たな思考が可能になるのでしょう。ただ「社会運動」の場合は、それが成功するためには、多くの人々をオルグして賛同を得なければならず、そのためには過激活動家たちを排除して、人々の共感を調達し、合意を取り付けなければなりません。平等といいながら、排除の構造を伴うわけですね。

 理想的には、思考する時間を重視する日常生活と、イベント性の高い(そして日常生活には欠けた様々な魅力をもった)社会運動とのあいだを往復して、どちらも意義深い仕方で、人生を、あるいはまた社会を組み替えていくことができれば、それが望ましいのかもしれません。社会運動も思考も、自分の人生論的な矛盾を社会問題の側に投影して、これを社会の矛盾として向き合うことで、公共的なコミュニケーションへと開かれていくことができる。そのような回路を作っていくことが大切だと思いました。

2017-02-21

■現行憲法の解釈変更で集団的的自衛権

21:21 | ■現行憲法の解釈変更で集団的的自衛権を含むブックマーク ■現行憲法の解釈変更で集団的的自衛権のブックマークコメント

第6巻 憲法70年の真実 (【平山朝治著作集】)

第6巻 憲法70年の真実 (【平山朝治著作集】)

平山朝治『憲法70年の真実』中央経済社

平山朝治様、ご恵存賜りありがとうございました。

 集団的自衛権行使を、現行憲法の解釈変更によって認めることは、なるほど可能だと思いました。

 1955年ごろから日本政府が言い続けているのは、「自衛のための必要最低限度の実力は戦力ではない」という解釈ですね。この政府解釈がかりに正しいと前提すればの話ですが(ただこれは間違っているのではないか、と私は思いますが)、集団的自衛権は、解釈の延長に位置付けられるでしょう。

 もちろん、その場合の集団的自衛権は、制約されなければならないでしょう。私は基本的に、集団的自衛権行使に賛成です。日本も世界平和に向けて、集団的自衛のための国際関係を築き、それを世界大に拡張していく必要があると思います。

 ご指摘のように、「集団的自衛権」という言葉の定義が日本では誤った語句によって定義されてきたために、問題が生じているのでしょう。日本が攻撃されていない場合に、はたして日本が集団的自衛の関係を結んだ他国を武力でもって助けることができるのかといえば、それは集団的自衛の概念を拡張して解釈した場合に問題になるとしても、無理でしようね。基本的には日本を含めたいくつかの国が武力攻撃を受けた場合を想定して議論を進めるべきですね。

2017-02-20 ■育児休暇は育児義務とセットで このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント



原伸子『ジェンダーの政治経済学』有斐閣

原伸子様、ご恵存賜りありがとうございました。

 1990年代の後半以降、福祉国家理念が問われ、再規定されるようになりました。イギリスではフリートランドとキングの議論があります(196頁以下)。それによると、福祉の受給者と国家は契約関係を結ぶとされます。どんな契約か。例えば、国民は、読み書きできる能力を身につけなければ、権利を失う、といった契約です。「読み書きができない」人は、失業者になったときに、失業手当を支給されない、と。

 イギリスでは、そのような失業者は、「読み書きの再教育」を受講しなければ、失業手当を打ち切るという制度が導入されているのですね。福祉の受給者は、一定のスキルを身につけて社会に貢献するという責任を果たさないかぎり、福祉を受給されないというわけですね。

 これは一見するとリベラルなようで、不寛容でもあります。こうした福祉政策は、労働者を「自律した市民」として規律することを含んでいます。労働したいのかどうかといった人格の中身に立ち入らずに福祉支給するという、従来型のヒューマニズム的なリベラル福祉政策とは異なります。「シティズンシップ論」はこの場合、主体的自律の権力作用を肯定する理念として用いられますね。

 この点を明確にしているのは、1998年のイギリス、ニュー・レイバーの『New Ambitions for Our Country』です。

 福祉支給水準が、最低限度の生活の水準を超えて上がるとき、そこには「福祉漬け」による怠惰の生産という問題が生じます。福祉漬けによる怠惰も、進化論的に有意義なのだと弁護する立場もありうると思いますが、ハーバーマスも含めて、シティズンシップ、すなわち市民的参加のための基本的なニーズを満たすことは、公共の場面で自身をさらけ出し、政治的に一定の義務を果たすような主体を産出することを要請することになりますね。

 このような市民的義務論の延長で、男性と女性の労働者が、どの程度まで家事や育児にかかわるべきなかを、市民的な観点から義務化する、具体的には「育児休暇」を制度化する、という方向性が考えられます。シティズンシップ論からケア・レジームへの道徳的義務の拡張です。市民であるまえに、あるいは市民であることに加えて、「父としての義務」「母としての義務」を制度的に支援するという方向ですね。

 この場合、育児の義務を自律的に果たしていない人は、育児休暇を取り上げられることになるでしょう。そのような監視権力の作動とセットで、ケア・レジームを考える必要があるでしょう。