トムジィの日常雑記

2006-01-18

ライブドア事件〜恐慌への予感

 ライブドアに対して証券取引法違反容疑による東京地検の強制捜査が入ってことにより、株式が暴落を続けている。もうなんかお祭り騒ぎみたいな状況だ。
http://www.asahi.com/special/060116/index.html
 ライブドアの自社株の時価総額は数日で3000億円近く目減りしたとか。もともと自社株の時価総額をつりあげ、それを担保にして企業買収を重ねるという虚業めいたことしてきてのし上がってきた会社だけに、なんていうのだろうさもありなんっていうところだな。
 この影響で株式市況は売りが殺到し、東証は全取引中止においこまれたという。夕刊の市況欄もほとんど黒三角がならんでいる。ここのところの株式好況で20000円台までいくのではないかという話まででていたけど、一方でいつ暴落するかという予感とも、予測ともつかないひそひそ話がけっこう出ていた。
 今回のライブドアの件では粉飾決算疑惑もでていて、場合によっては上場廃止もありうるという。ライブドア株にひきずられて株式好況を盛り上げてきたIT関連企業の株式も大幅ダウンしている。ソフトバンクヤフーといった成功者たちも軒並みダウンだ。かってのアメリカでのITバブル崩壊の二の舞となっていくのだろうか。そして日本発の恐慌がはじまる可能性すらありえるのかもしれない。
 バブル崩壊以後、不良債権処理にあくせくしながら長い不況に喘いできた日本経済が、ここのところ上向きになってきたというのに、それがまた逆戻りする可能性もあるということなのだろうか。最も今の上向き基調は、グロバリゼーションの名の下に主要企業がリストラを重ねることによって企業業績をあげてきたことによるところが大だ。多くの人々が職を失い、あるいは正社員から派遣社員やパート、アルバイトなどの臨時労働者に転落してしまった。勝ち組、負け組みと色分けされ、職を失った人々、賃金の下がった人々は苦しい生活に追い込まれている。そこにもし今回の株式暴落に端を発した大不況が襲いかかったら・・・。自分自身を含めて、なにかとてつもなく恐ろしい予感がする。ブルブル。

ヒューザー、偽装隠しとの関連性

 なぜこの時期にライブドアへの強制捜査が入ったのか。噂としてひそひそ語られているのが、ちょうど強制捜査が入った日にあった、マンション耐震偽装事件の主役の一人、ヒューザーの小嶋社長国会での証人喚問にぶつけるためという話。ヒューザーと自民党伊藤大介国会議員との癒着という疑惑があること、また伊藤代議士を通じて森派幹部あるいは小泉首相への関連疑惑が浮かんでくる恐れがあったこと。ちょうどこの日が阪神大震災から11年目にあたるため、証人喚問が大きく取り上げられることが予想されていた。そのニュースバリューを下げるため、いわゆる耳目をそらせるためにライブドアへの捜査をぶつけたというのが真相だという話があるのだ。
http://blog.kabu-shijo.jp/2006/01/17/010750.php
http://interceptor.blog13.fc2.com/
 ちょっと信じられないような話ではあるが、これまでにも民主党の党大会や党首交代にあわせて外交ショーを繰り広げたりとメディアをうまく使ってきた小泉政権だが、もし今回も証人喚問の日程を幼女殺害犯宮崎勤の公判にあわせたり、さらにライブドア強制捜査を行わせたみたいなことがあったとしたらとんでもない話だ。自己の権力維持のために自国の経済を崩壊させてもかまわないということだろう。もともと小泉氏の経済オンチ、外交オンチは自明のこととはいえ、普通やらないだろうとも思える。
 今回のライブドアの件、確かにたたけば誇りは多々あったと思う。どこかで司直の手を入れるとしても、できるだけ市況が影響を受けにくい時期を選ぶだろうとも思う。普通に考えても月曜日にはやらない。東証がひける金曜日だし、三連休前とかにやるべきだと思うのだが。
 日本の財界も早く小泉氏を退陣に追い込まないと、日本経済はとんでもないことになる。ただでさえ中国に世界中の金が投下されつつある時に、靖国問題とかで外交カード握られっぱなしなわけだから。

偽装隠しに見え隠れする創価学会の影

 このへんをネットでくぐっていたらとんでもない話にであった。今回のマンション耐震偽装事件の関連企業が軒並み創価学会との関係性があるという話だ。
http://igelblog.blog15.fc2.com/blog-entry-298.html
http://hokkech.com/modules/tinyd0/index.php?id=17
 この噂が本当だとすると創価学会=公明党という図式になり、公明党も政権与党であるから、けっこう深刻な話になってくるな。しかしヒューザーの社長も創価学会、ヒューザーの社員も学会員が多く、さらにヒューザーの物件購入者も学会員も多いとなるとなると、物件購入者への公的補助みたいな話が取りざたされると、なんかおいおいって感じになる。

宮崎勤の死刑確定

http://www.asahi.com/national/update/0117/TKY200601170259.html
 ライブドアの事件でなにか片隅に追いやられてしまった感があるが、幼女連続殺人事件の宮崎勤の死刑が確定した。それにしても17年の月日を経過しての死刑確定、やっぱり日本の裁判は長すぎるよ。殺された子どもたちがもし生きていれば23〜24歳になるわけだ。家族にとってはずっと悲しみの記憶につつまれた時間だったんだろう。いや、多分これからもずっと。4人の幼女を無残に殺したのだから、現在の法律上からいえば間違いなく死刑になるということだ。死刑制度について今はどうのこうのいうつもりもない。
 自分自身小学生の娘をもつ親だから、やはりこの事件の加害者宮崎には一切同情の余地はないと思う。しかし、死刑制度を存続させるのなら、もっと迅速な形で裁判すすめなくてはとも思う。少なくとも死刑制度は犯罪抑止としてあるはずなのだからね。
 この報道の中では高村薫が朝日に寄稿した一文がもっとも心に残った。他の識者たちのある種紋切り型思考みたいな事件の風化とか、なにも解決されていないとか、問題は云々とは少々違った切り口で、この事件の象徴性を解き明かしているように思えた。

被告の世界、今そこに
 宮崎勤被告の死刑が確定する。しかし何かが解決したという感はない。
 動機の解明に費やされた年月は、精神鑑定の困難さと限界を明らかにしただけで、この種の事件で動機や責任能力の有無を問うことのむなしさを残した。
 事件当時、メディアも言論も、宮崎勤被告がどんな人物で、なぜあのような事件を起こしたのか、背景を解明しようと努力した。しかし、私たちは、そこから浮かび上がってきた若年層の社会性の欠如や、そのことと不可分な映像情報の氾濫という時代環境に対して、何らかの戸惑いを共有したものの、結果的に立ち止まることがなかった。
 「おたく」はその後、むしろ時代の先端として社会に広く受け入れられ、おおっぴらに消費されている。小学生の少女アイドルは珍しくなくなり、秋葉原では少女たちを人形のように着飾らせた撮影会に、白昼、青年たちが群がる。また、インターネットの爆発的な普及によって、性的な映像情報は日常生活にあふれだしている。
 かって宮崎被告がこっそり楽しんでいた世界が、今では日常の隣にある。これが事件から17年の間に、私たちが作り上げてきた社会だ。
 この間、どれだけ同様の事件が起こり、どれだけの子どもや女性が犠牲になってきた。危険は通学路にあるのではない。子どもを大人の性的欲望の対象にしないという良識を捨て去った、何でもありの社会自体が危険なのだと思う。表現の自由や、情報化社会の名のもとに誰もが黙り込む社会の「不作為」が、子どもを犠牲にしている。
 映像の刺激におぼれ、そこに閉じこもることを加速させる社会の是非を問い直さなければ、私たちは宮崎事件から何も学ばなかったことになる。

 結局のところ、今必要なのは我々が黙視してきたありふれた良識、モラル、倫理観とかいったものをもう一度再構築していくということなのだろう。高村氏がいうとおり、この「何でもありの社会」にあっては、様々な好色、猥雑化された映像情報が氾濫しまくっているわけだ。宮崎勤が「こっそりひそかに楽しんでいた」あのビデオ6000本の部屋はまさしく日常的な世界に洪水のように流出してしまっている。誰もが目に入るまでにだ。
 インターネット日本で爆発的に広まったのは、実はオヤジたちがエロサイトを閲覧するようになったからという話もある。まさになんでもありの世界が現出してしまったわけだ。この事件が宮崎勤という特別な人間のゆがんだ想像力の産物だという事件の矮小化はもはや誰もが認めることができないものだと思う。今ではそこらじゅうに宮崎予備軍が輩出してしまっている。しかも彼らが消費する様々な情報もまたあふれ出ているのだから。
 どこかでこの「なんでもありの世界」に歯止めをかけなくては、子どもたちや女性は常にゆがんだ欲望のために消費されるモノ、あるいは記号として対象化されていくわけだ。じゃあどうするのか・・・。結局モラルの復権、いやもっと単純なことをみんなが思い出すということだ。そう、高村氏のいうように良識を思い出すということなんだろう。