妻が泣いてしまった

 今日は予定どおりの外出予定。昼食も外食を申請していた。妻が家の近所にできたオムレツ屋ラケルに行ってみたいというので、病院を12時前に出る。いつも混んでいるのだが、12時15分頃に入ったので、うまく開いていた。店に入る時のお約束、まず私が店に入り車椅子がOKかどうか聞く。で、車椅子で食べることができるテーブル席が開いていること、店が受け入れできることを確認してから初めて妻を車椅子に移動させる。ついでにトイレが車椅子で入れるかどうか、手すりの有無とかも確認しなければならない。なんとなく慣れつつあるけど、なかなかバリアフリー社会は実現していないのだよ。
 店内には妻が割と親しくしている保育園から今の学童とずっと一緒の奥さんが家族で食事をしていた。挨拶をして実は妻を連れてきていると告げると、その奥さんはわざわざ駐車場まできてくれて妻に声をかけてくれた。妻はというとまあ普通に話しをしていたけれど、やっぱり車椅子、片麻痺、ボウズ頭を帽子で隠した表情のない妻の姿はそれなりに衝撃的だったのだろうとは思う。話には聞いていたとしても、やっぱり妻の姿は変わりはてたという感じだろうから。
 ラケルにはたぶん二時間近くいたのかな。ここは家から一番近い。11月までは回転寿司屋さんだったところだから、たぶん妻が退院したら何度もくることになるんだろう。ここなら車じゃなくて、車椅子で散歩がてら来れるよと妻とも話した。
 その後は例によって、妻のリクエストでぐるぐるとただ走るだけのドライブ。妻は病院生活で退屈しまくっているのだろう、ただ車に乗っているだけで満足なようだ。4時半ジャストに病院に戻り、一旦病室に戻ってからすぐにまた病院の庭を少しだけ散歩した。
 病室に戻ってから、ここのところの週末の日課であるクリミラーによるリハビリを始めた。妻は鏡に映った自分の手や足の動きを見ていると、疲れてボーっとしてくるようで、この作業が嫌いだ。なにかと言い訳を言って止めようとするのだが、なんとかなだめすかして15分くらい行う。その後、ちょっとうろっとしてくるねと言って病室を出て行った妻が泣き顔で戻ってきた。どうしたのかと問うと、
「情けなくて、情けなくて。子どもの運動会にも行けなかったし、クリスマスコンサートにも、バザーにもいけなかった。イメージコンサートにもいけないよ。あのリハビリ嫌い、もう疲れちゃうから、嫌だよ」
 涙をぼろぼろこぼし、破顔するように顔を崩して泣いている。頑張ればイメージコンサートにはいけるよ、そのためにもリハビリ頑張らなくちゃと、一生懸命なだめすかすと、すぐにけろっとして夕食を食べに食堂に行った。でも、発症以来妻の涙を初めて見た。よく会話の中では、いつも泣いているんだと言ってはいた。でも家族の前で泣くことはなかった。
 これまでのにも妻の症状、まだ若いのに片麻痺という十字架背負ってしまったことに、普通だったら途方にくれる、泣き暮らすはずなのに、意外とけろっとしている。それもまた障害の影響なのかもしれないとも思っていた。でも、じょじょに落ち着いてくるに従って、彼女の中で自分を客観的に見れるようになりつつあるのかもしれないとも思った。
 高度脳機能障害の治療の中では、患者に客観的に自己の障害を認識させる必要性が指摘されている。でも自分の症状を認識すればするほど、患者は絶望の淵に追い込まれる可能性もあるのだ。このへんがとても難しいとは思った。妻に泣く感情があるということ、それ自体病状が回復しつつあることの証でもある。でもそれが彼女の心理状態をよりつらいものにしてしまう。病のアイロニーってやつなんだろうけど、見ている自分もそうとうにしんどい部分がある。妻が嫌がっても、それでもリハビリは続けなくてはならないのだから。

   片麻痺の 車椅子の身を 嘆く君に
      リハビリせよと 虚しき励まし

   情けないと 泣き出す君の片麻痺
       我が快癒への思い 届くのだろうか