医療費の請求

 国リハの医療費の請求が届いていたので、銀行から金を下ろして支払う。12月12日から31日までの19日間で合計163490円。半月ちょっとでこれである。トホホ・・・だ。健保の三割負担でこれなのだ。入院が続けば確実に我が家の家計は圧迫されるし、近い時期にパンク状態になる。しかし妻の状態でいえば背に腹は変えられないわけでとにかくしのいでいくしきゃない。しかし医療費の明細書を見ているとどうにもわからない部分がある。
 今回のものはこれだ。

入院料    :35310点
投薬料    :  880点
検査料    : 3543点
画像診断料  : 1354点
その他    : 8210点
食事療養費  :43400円

合計点数     49297点
合計金額      147890円
食事負担額      15600円
合計          163490円

 この点数に10を掛けると医療金額になる。それの三割負担額が実際に支払う金額ということらしい。同じ国立でも国際医療センターの医療明細書は各項目とも金額、しかも三割負担の実際に支払う金額が表記されていた。使用しているソフトの違いなのだろうが、このへんの統一化って難しいのだろうか。
 医療費の複雑さ、不透明なところっていうのは、こういうところにもあるんじゃないのかなとも思ってしまう。ただでさえ複雑な点数制にしろ、このへんがどこの病院でも同じであればわかりやすいと思うし、患者側は医療費の各病院ごとの比較検討も簡単にできるんじゃないかとも思う。病院の医療事務にしろ、健保の各組合や国保にしても、もっと事務コストが低減化できるんじゃないかとも思うのだが、どうだろう。
 ちなみに国際医療センターでの医療費明細は以下のとおり。

        11/15〜30     12/1〜12
入院料    :115059円   53985円
投薬料    :   489円     600円
注射料    : 36258円
処置・手術料 :111996円
検査料    : 15063円   10875円
X線料    : 37134円
食事療養費  : 10920円    9360円
文書料    :  6000円
その他    : 11700円   14820円
消費税    :   300円
合計     :344920円   89640円

27日間の合計額 434560円

 しかし国立の病院でこの金額なんだから、私立病院だとどのくらいになっていたのだろうかとも思う。基本的には健保使っているわけだから、それほど差がないような気もしないではないけど。しかし例えばその他っていったいなんなのとか、注射料と投薬料の差とか、実際になにを投薬したのかとか、よくわからない部分もあるな。
 かといって、もし医療費明細にさらに詳細を添付していったら、一件ごとの明細が本みたいに分厚いものにも成りかねないだろうとは思うよ。そんなことをしたら事務コストがやっぱり増大しかねないものな。でも情報公開が様々な分野で行われてきたり、その必要性が高まっているのだから、もっとユーザーフレンドリーになってしかるべきとも思う。例えば病院の請求関係がぜんぶウェブになっていて、各患者ごとにポータル・サイトがあり、そこにアクセスすれば医療費の個別明細がすべて確認できるみたいになっていたら、素晴らしいのだけれど。何月何日にどんな薬を投薬して、それが幾らだとか。でもやっぱり管理コストが天文学的なものになるのだろうな〜。
 医療の分野っていうのは、基本的に医師、看護師、医療技術者、医療事務者といった専門家集団が患者という素人に施すというのが基本的な考え方だから、患者=素人さんは黙ってプロの言うこと聞いていればいいということなんだろうなとも思う。でもね、医療もサービス業だとも思うわけだ。だとすればサービスの内容についても、もっと分かりやすい説明のしかたがあっていいような気もするな。

医師との面談(3回目)

 国リハでは毎月20日過ぎに各患者の症例ごとに医師、担当看護師、PT・OTなどのリハビリ担当者師、さらにMSWが加わってミーティングをもつことになっている。そこで病状や回復度などを話し合い今後の治療計画や退院の時期などをまとめる。そのうえで主治医から患者の家族への説明がある。今日はその説明を受けてきた。主治医とは入院当日に治療計画を受けているので、12月の経過報告を1/4日に受け、今回が3回目になる。内容については

1.症状について
入院当初に比べてやや落ち着きが出てきている。
2.転院について
本来であれば、そろそろ退院後のこと(自宅療養もしくは転院)についての話をもちたいのだが、頭蓋骨の形成手術のことがある。
一旦、脳外科のある病院に転院して形成手術をしたうえで、再転院してリハビリを行ってはどうか。ついては国際医療センターと連絡を とってもらいたい。

 頭蓋骨の形成手術のことは念頭から離れたことはなかった。国リハで3ケ月なりの回復期リハビリを行ったとしても、再度医療センターで手術のための入院を行う。その後をどうするかという問題だ。理想的には手術後にもう一度、国リハに戻ってこれればいいとも思ってはいたのだが、ふじみ野市役所の訪問調査員の話では、国リハはそのへんが難しいということだった。だから今回の医師の話はある意味、渡りに船ともいうべきものだった。
 何回も確認したのだが、形成手術後の再入院は可能であり、一ヶ月程度の集中的なリハビリを行えるとのこと。具体的な話はなかったが、その間に退院後のことについてもいろいろとサジェッションが可能という風なニュアンスだった。もちろんそのへんは医師からではなく、MSWからということになるのだろうが。
 こちらからは形成手術はやはり国際医療センターで行うべきかどうかを聞いた。医師は普通そうでしょうという。逆になぜ別の病院を考えるのかと言われるので、とにかく都内の病院は遠いので、見舞い等がしんどいことを言った。医師は今回の手術は頭の表面のものだから、それほど難しいものではないし、家族が毎日病院通いする必要はないだろうし、やはり前回施術をしたところがいいと言う。そのうえで早急に連絡をとってもらいたいとも。
 妻の最近の状況についていえば、すでに看護師等には伝えておいたことだが、妻が泣いたことについて話すと、落ち着きが出てきたことにより本人も病状認識が少しづづ出来たきたということだろうという。今後回復していけば、さらに病状認識が進むことで、いろいろと落ち込んだりという状況もあるので、病院側も対処はするとのことだった。
 さらに形成手術後は、人口骨を使うので免疫力が落ちる可能性がある。これまでの症例でも一年に数人くらい感染症で再度脳外科病院に転院するケースがあること、それが一番心配なことという説明があった。
 面談終了後にはすぐに国際医療センターに電話する。たまたまうまく主治医だったO先生と話ができ、来週木曜にアポをとった。その時に現在の国リハの医師からの情報提供書が必要であることなども聞く。電話の後にすぐにナースステーションに行き情報提供書の申請を行う。とにかく動きは迅速にだな。状況は動き出すとほんとうに急展開だ。とりあえずあれやれ、これやれということで右往左往しがちだが、動く主体は自分自身なのだから、そのへんをきっちりさせとかなくては。
 しかし、転院、再転院の手続き、さらには退院後の自宅介護手続き。介護保険による在宅サービスのもろもろ、自宅改修、身障者手帳の申請など、やるべきことは目白押しなわけだ。ほんとに、やれやれ・・・だよ。
 そういえば、病院に行く前に役場にも立ち寄った。精神障害者保健福祉手帳の申請書をとりにいったのだ。これもたぶん必要になるのだろうから。

風の里保育園

 風の里保育園の園長と事務主任の先生がお見舞いにきてくださった。有難いことだ。わざわざお見舞いにきていただいたことに妻も私も感激してしまった。
 うちの娘はこの保育園の開設と同時に入園した。1歳6ケ月の時。妻の育児休暇の一年間が終了した満1歳の時はみずほ台のマンションの一室にあるクッキー保育園というところに預けていた。毎日1歳児を連れて自転車でふじみ野駅まで行き電車に乗ってみずほ台で降りて子どもを預ける。帰りも途中下車して子どもを迎えに行き抱っこして電車に乗りということを数ヶ月続けた。小さなマンションのワンフロアを使っていて、そこに何十人もの小さな子どもたちがすし詰め状態。保育園とは名ばかりの託児所だった。
 風の里ができるという話を町の広報誌で知り、8時まで預かってくれるということで、ここを第一候補にして町に申し込んだ。町から入園通知がきた時はほっとしたもんだよ。それでまだ建設中の保育園を見学に行って、なかなか環境もいいしなどと妻とも話したことが昨日のように感じられる。あれからもう7年の月日が経った。
 この保育園はある意味では保育園でありながら、幼稚園のような幼児教育を施している。だから通年にわたって行事も多い。親にとっては負担になる部分もないではないが、この保育園の行事はすべて子どもたちが喜ぶこと、子どもの人格形成にプラスになることを前提したプランになっているので、有難いと思うことのほうが多い。普通の保育園にいてはこうも充実した幼児教育を受けられないだろうということをやっていただいている。
 この保育園の方針は長く幼稚園の園長を続けてきていたここの園長先生の考えに基づいているのだと思う。そのポリシーは自分なりの解釈になってしまうけど、常に子どもの視点を、子どもの利益を優先させるということだ。通常保育園だと、親の都合に迎合する部分もあるだろう。でも園長先生は毅然として子どもの子どもなりの考えや子どもにとって何が一番大事かを最優先にしているんだと思う。自分のポケットマネーで毎年、年末にはバンドを呼んでクリスマス・コンサートを開いたりもしてくれている。卒園して小学校に通うようになっても放課後、子どもを風の里で過ごさせたいという親の希望を組んで、膨大なローンを組んでアフタースクールを開設してくれた。なかなかできることじゃない。人格者でもあり私にとっても、尊敬できる女性の一人だ。
 さらにこの保育園はダウン症などの障害をもった子どもをも受け入れている。すみれ会という福祉法人を別組織として持っているのだが、園では通常すみれ組、すみれさんと呼ばれている。園に通う子どもたちは日常的に障害児とも接することになっているし、運動会やいろいろの発表会でも一緒に歌や遊戯などを行ったりしている。私が子どもをここに預けたいと思ったのも、実はこのへんにも理由があった。小さい時から身近に身障者と接することで、変な差別意識を持つことのない、身障者とも共生できる子どもになって欲しいと思ったからだ。このへんの成果は確実にあると思う。現に今、娘は障害者となってしまった母親と普通に接している。車椅子に乗り、落ち着きのない挙動が目立ち、始終涎を流している母親に接していても、それに嫌悪感をもつこともなく、「ママは病気だから、しょうがないんだよね」と今までと同じようにつきあっていける。
 娘は風の里のベビークラスで1〜3歳を過ごし、チャイルクラスで4〜6歳の時期を過ごした。毎日自転車に乗せてここに通った。小学校に行ってからも、この保育園が行っている学童保育アフター・スクールに通っている。そのお陰だろうか、世をすねた親から生まれた割りには驚くほど素直で、くったくのない子に育っている。親バカかもしれないが、ほんとうに良い子に育った。さらにいえばこれも幾分身びいきかもしれないが、風の里で普段接している子ども達は本当にみんな良い子たちばかりだ。
 園長先生の運営方針が行き届いているためだろう、保育士の先生たちも勤勉で、本当に子どものことをよく考えていてくれる。職業として保育士を選んだ若い先生たちにとっては、低賃金でかつ長時間、重労働を強いられる部分も多々あるだろう。園長の考え方に共鳴できる先生は長く続いているし、みんな生き生きとしている。でも、考えがあわない人はやっぱり割りと早い時期に辞めていくケースも多い。彼らからすれば、仕事でどうしてここまでやらなければみたいな感覚もあるのだろうと思う。親が参加する行事は当然、親が休みがとれる土曜日に集中する。そうなると土曜出勤はざらであるし、前日の準備が深夜にまでわたる場合もたたある。それでなくてもたぶん早番の場合は7〜8時には園に出勤もあり、遅番の場合は8時過ぎということもある。うちのように8時までの園長保育をさらに延ばして8時15分から半頃にお迎えという常習者もいる。それでもきちんと子どもを見てくれているし、8時頃のお迎えでも数人の保育士の先生方が仕事をしていることを何度も見ている。
 幼児教育を、幼児保育を天職と考えている、本当に子どもが大好きな人でなくては勤まらない仕事だとは思う。でも優秀な保育士が集まっているのも、やはり園長先生の人柄に魅かれてということなのだろうとも思う。
 今後のことでいれば、妻が退院して自宅療養となった場合には、娘はアフターをやめて普通に学校から自宅に帰ってくるということになるのかもしれない。アフターもまた共働きの家庭を対象にしていることは自明のことだからだし、妻を日中一人にしておくわけにもいくまいという部分もある。でも、娘はアフターをやめたくないと言っているし、風の里の教育環境に出来るだけ娘をおいておきたいとも思ってはいる。難しいところだな。