ライブハウス

六本木のライブハウスといえば私の場合、ずっとビートルズコピーバンドを聴いてきた。27〜8の頃に先輩に連れていってもらいはまったのがケントスグループのキャバーン・クラブである。もうここには何十回足を運んだかわからないくらいだ。いろんな女の娘と一緒に行った。仲の良い友人とも行った。仕事の接待でも使った。ここのからみで大阪のキャバーン・クラブにも出張の際には通う始末だった。
http://www.cavernclub.jp/
たぶん妻とつきあっていた時にも彼女をよく連れていった。洋楽はアバとかベイシティー・ローラーズとかその程度の知識しかない彼女がいっぱしビートルズについて語れるようになったのもキャバーン・クラブに通っていたからだと思う。彼女にとってのビートルズはオリジナルよりもコピーバンドを通じてということだったんじゃないかと思う。
そのキャバーン・クラブでいつも聴いていたのがパロッツというバンドである。やや太めのジョン・レノン似(?)チャッピー吉井氏が率いるバンドである。このバンドは幾多のメンバー交代を行ってきているのだが、ある意味リーダーのチャッピーだけが目当てだったから、他のメンバーはどうでも良かった。
ビートルズのコピー・バンドというとたいていの人がなんとなく眉唾的な感じで反応する。店に連れていってもなんとなく乗り気でない感じである。最初のセットの演奏あたりはかなりバンドに距離を置いて、それこそ冷笑すらしながら聞き流すという感じである。私自身そうだった。
しかし、もともとビートルズ聴きである。ほどよく酔いが回ってくると次第に日本人のそっくりさんの声が、なんとなくそれっぽく聴こえてくる。酔えば酔うほど心地よさが増してくる。3セット、4セットと演奏が進むにつれてほとんど目の前で演奏しているのがそれこそオリジナルではないかと錯覚するかのようになる。そして最後のセットあたりになると、もうほとんどノリノリの状態になる。
おまけに演者たちはそれこそ毎晩のようにビートルズの楽曲を演奏しているのである。リヴァプール時代のビートルズよりはへたすりゃ楽器の技術やコーラスとか、ようはテクニックは上かもしれないのである。PAだって60年代よりは数段進歩している。いろいろ複層的心地良いしかけがあるのでる。
これは本当にはまった。ある意味、私の30代はこの店と共にあったといっても過言じゃない。だから勤めが青山であってもブルーノートにも行かなかった。六本木でも確か出来たばかりのスィートベイジルだっけ、あそこにも行ってない。ただひたすらキャバーン・クラブだったわけだ。
おまけにこの店ではたまたまツアーで日本に訪れていた外タレとかも飛び入りでステージに上がったりもした。何度かそういうラッキーな場面に直面もした。一番覚えているのはストレイ・キャッツだったかな。もともとビートルズをリスペクトしているバンドだったから、その演奏半端じゃなかったなという印象がある。
勤めも代わり40代になって、結婚して子どもができてからは六本木から少し遠ざかった。毎週顔を出していたキャバーン・クラブにも年に1〜2回くらいにしか行かなくなった。そのうちパロッツがキャバーンから独立して別の店に移ったということもなんとなく聞こえてきた。その店が同じ六本木のアビーロードなのである。
今回、妻を連れて行ったのもこの店である。キャバーン・クラブは妻にとっても思い出深いところなのではあるけど、和製ビートルズを聴くとなると、しかも久しぶりに六本木でとなると、やっぱりパロッツをということになる。
Abbey Road 六本木 ビートルズ ライブハウス アビーロード
7時ジャストくらいに店に入った。ここは地階にあるのだが、エレベーターがない。私がたたんだ車椅子を担いで下に降り、妻は杖つきながらゆっくり降りていかなくてはならない。とはいえ、一度店内に入ってしまえば後はなんとなく楽というのが何度か来たときの記憶である。これもこの店を選んだ理由の一つだが、キャバーン・クラブはけっこうあちこちに小さな段差があるのと、これが一番しんどいかなと思ったのだが、トイレが階上にあり、その都度階段の上り下りがある。これがしんどいだろうと思った。
パロッツの演奏は8時少し前から始まった。一曲始めるだけでかって聴いたときのノリに入れる。正直いいな〜と思う。お目当てのチャッピー氏はさすがに年がいったなという印象である。たしか私より3〜4歳くらい上である。枯れても当然な年なのである。ジョンが生きていれば同じように老けているんだろうな、などと想像するのも楽しい。我々はポールの老いた姿を普通に目にしている。でも40で死んだジョンについていえばいつまでも若いままなのである。チャッピー氏にはもし生きていたらおそらくジョンもこんな風に太めになったり、頭髪もやや後退気味になるのだろうかなどとそんなことを思わせる部分もあった。
その日は5セットの演奏だったが、当然のごとく最後まで聴いた。終電を気にすることもないのである。いつもならバーボンのボトルを入れて思う存分飲んだくれるのではあるが、さすがに帰り車椅子を押して宿まで帰るのである。もちろんタクシーを使うけれど、とにかく階段を登ったりもあるのである。この日は酒はビールとワインという、私にしては大人しいものだった。リクエストした曲も何曲かはかかった。
私にとっても妻にとっても幸福な一夜だった。唯一親に付き合わされた娘は、どうだったのか。いちおう聞いてみると、「けっこう楽しいよ」と答えてくれるのだけれど。
まあなんとなく楽しそうな飲んだくれ一家ではないか。