オレの神様

ここ数年、イスラム国なるものが許し難いテロ行為を行ってきた報道はさほど取り上げられなかったのですが、ついに類火が我が国の同胞にも及ぶに至り、新聞紙面とブラウン管を日々賑わせております。その件については、機会があれば更に掘り下げてみるつもりですが、こういう事態が起こると、すぐに「イスラム教徒いうものは・・・」と利いた風な口を叩くコメンテーターと称する思考回路に問題のある方々が語り始めるので、今日はその我が国の国民が持つ間違った宗教観について触れてみることにします。

愚生は、今に至るまでそうですが、幼少期にも友達がほとんどいない状態でした。小学生の頃、誰とも遊ばず、近所の神社の境内で砂遊びやら鉄棒やらを独りでやっておりましたところ、宮司さんが時々声をかけてくださり、いろいろな昔話をしてくださいました。*1そのお話で、私達の周りにはヤオヨロズの神々がおられ、私達はその神々に守られていると今日でも信じております。そんなヒキコモリの子供が中学時代に、あまりに悪さをするものだから、「本家の分家」にあたる浄土真宗の寺で修行をすることになります。そこで仏教思想に接し、極楽浄土へ向けての今生での修行をすべきであるということを今日でも信じております。そして、高校時代、米国の中西部へAFS交換留学生として1年間派遣された際、ホストファミリーの通うプロテスタント教会にほぼ毎週同行し、牧師の話に人生のヒントを得、その思想を今日でも信じております*2

やがて、耶蘇会本流の大学に進学し、教授の半数近くと生徒の何割かが敬虔な基督教徒の中で学び、その後しばらくして、曹洞宗系の大学院で学ぶ機会を得ております。ここまで申し上げてきました内容を、「それは凄い」と仰る方がおられたら、それは内容をとらえられていない証拠で、我が国の国民のほとんどがこの程度の宗教との接点を持った人生を送ってきたはずです。正月には神社に初詣に行き、葬儀は本当にそうなのかどうかわからないまま自分が所属しているらしい宗派の仏式で行い、結婚式を教会のチャペルで・・・などという人が「一般的日本国民」なのではないでしょうか?そして、大抵の場合、そういう行動様式で生活しているくせに、「オレは『無宗教』だ!」と仰せになるような気がします。*3

我が国の国民のバカ度はどこからくるか・・・その無宗教論を前面に出しつつ、一部の正しい宗教家を蔑んだり回避したりすること、それでいて、愚生の如く、基督教系の大学に通った仏教徒を「オマエはおかしい」と言うこと、そして、何よりも「正しい宗教」と「カルト」の区別がつかないこと・・・に尽きます。愚生、実際に漠然とした宗教観の中で、「オレの神様」の虚像を持ち続けて約60年の人生を過してきたのだと、最近、強く感じている次第です。無宗教でも無神論でそれを自称することは結構ですが、きっと、そういう方々には間違いなく「オレの神様」が存在していると信じたいですし、そういう他人の宗教観と全ての「正しい宗教」に対する「間違った解釈」だけはして欲しくないというのが素直な気持ちであります。

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*1:ですから、そこらの自称郷土史研究家と肩を並べるくらいの知識を持っておりますが、その件もまた機会があれば別項で・・・

*2:太線部を総合すると、愚生は神道と仏教と基督教を信じているということになります

*3:愚生、ここ10年ほど、神社に初詣なるものに行ったことがありませんとその無宗教の方に申し上げましたところ、「天罰があたるよ」と言われましたが、それは紛れも無く笑い話だと感じております。