文字を“音”で伝えることの難しさ
私の本名は珍名である。
姓はまぁ、既製印鑑が無い程度なのでさほど不便は感じないのだが、名はほとんど当て字に近い読みであり、予備知識無しに一発で正しく読めた人を見たことがない。
そんな珍名で特に苦労するのが、電話で名前の漢字を伝える方法。
「ヤマノボリの“山”にニッポンの“本”です」とかだと、音と字のイメージが合致するのですぐに伝わるのだけれど、音と字のイメージがかけ離れている場合はこれがなかなか難しい。十分かりやすく伝えたつもりでも、なかなか相手が納得してくれないのだ。
大阪の難読地名を使って例を挙げてみると、こんな感じ。
「ホウボクのホウにデイリグチのデルと書いて、“ハナテン”」*1
「ワタクシのシにイチバのイチと書いて、“キサイチ”」*2
「サンズイのカワ、ツチヘンのホル、クチビルのクチで、“コボレグチ”」*3
・・・個々の漢字はイメージできても、最後の読みを伝えられた時点で「ええぇ? これで本当に合ってるのか?」という気分になると思う。
私の場合も電話で名前を伝えるたびに、いちいち「???」っぽい沈黙をされてしまう。とりあえずは「それで○○と読むんですよ。珍しいでしょ?」と自己フォローを入れるようにはしているのだが、毎度この調子だと、正直メンドウ臭いしあまりいい気分もしない*4。
一方、一般的な姓で読み方も簡単なのに、やはり電話口で漢字を伝えるのに苦労している人もいる。
たとえば知人のタブチ氏。“ブチ”の字が「淵」と「渕」、どちらであるかを伝えるのに、いつも苦労されている。彼の場合、正解は「淵」の方なのだが・・・以前は「野球のタブチ選手と同じ字です」で通じたそうだが、今となっては流石に×。そりゃ田淵幸一の現役引退から、かれこれもう25年だもんな。特に若い世代の人たちには、これで通じる方が不自然だ。
で、困った挙げ句に編み出したのが、「ナガブチツヨシのブチじゃない、カクカクしている方の漢字です」という伝達法。う〜ん、苦しい。苦しいけど、何とか伝わる、か、な?
他、“渡辺”“渡邊”“渡邉”で毎回、三択問題になっちゃうワタナベさんとか、“難しい方のサクラです”と言ってギョッとされちゃう櫻井さんとか、簡単な読みであるにもかかわらず、苦労している人は多いみたい。
同音異字・同音異義語の多い日本語って、こういう時に大変だぁね。
ちなみに表音文字の代表格たる、英語の場合、綴りを伝えるにはこんな方法がある。
読みづらいアドレス、例えば、"akslpe@XXXXX.com"だと、エーケイエスエル……と英文字を1つずつ読み上げていかなければならない。やはり、聞き間違いやすい。英語を日常的に使う人たちも同じだ。そこで彼らはスペリング・アルファベットを使う。基本は簡単だ。
スペリング・アルファベット(spelling alphabet)は、英文字を誤解なく伝えるための工夫で、英語圏では昔から使われてきた。"aks"という綴りなら、"a for apple, k for king, s for star"というように、誰でも知っている基本的単語の頭文字として、"for"を挟んで表現する。
"p"、"t"、"e"のように聞き間違えしやすい英文字でも、"p for pizza, t for toy, e for elephant"と伝えれば区別しやすい。ドレミの歌の「ドはドーナツのド、レはレモンのレ、ミはみんなのミ……」というのに似ている。
(太線強調は引用者による)
やってる事は日本語の場合と同じだけど、文字数が少ない分だけ簡単ではある。
あと、軍オタ同士だと英文は、NATO式のフォネティック・コードですんなり通じてしまう*5ことも。例えば“Tonapa”の場合、「タンゴ、オスカー、ノーヴェンバー、アルファ、パパ、アルファ」とかね。
これが使えると物凄く便利なのだが、話している内容が「いかにもオタク」っぽくなってしまうのが欠点か。
あー、なんか取り留めのない話になっちゃったけど、文字を“音”で相手に伝えようとするのって簡単なようで意外と難しいよなぁ。
皆さんも電話で名前のやりとりをする時、苦労した経験、ありません?
おまけ:漢字説明ジェネレータ
http://seoi.net/kanji/
*1:大阪市城東区の地名。漢字では「放出」と書く。大阪の代表的な珍地名の一つで、よくクイズ番組のネタにされたりする。
*2:大阪府交野(かたの)市の地名。漢字では「私市」と書く。小学校の遠足で、ここにイチゴ狩りに行くのが北河内地区の定番。蛇足だが隣には枚方(ひらかた)市なる難読地名も。
*3:大阪市阿倍野区にある近畿日本鉄道南大阪線の駅名。厳密には駅名であって地名ではないが、漢字では「河堀口」と書く。知ってなけりゃ、まず読めない。
*4:その点で言えば、いわゆるDQNネームの子らも、なかなか大変な思いをしてるんだろうな。「ウツクシイ・ヒトで“ミント”です」なんて、電話口で絶対に凍り付かれるだろうし、対面なら間違いなく「“美人”と書いてミントさんですか。ははは・・・」と失笑されること請け合い。読みの難しさだけならまだマシだけど、そこに変な意味が籠もっちゃうと辛いよね。
*5:もっともひねくれたオタの場合、NATO式ではなく「エイブル、ベーカー、チャーリー・・・」と続く旧英軍式や「ドーラ、エミル、フリードリヒ、グスタフ・・・」なドイツ式を持ち出してきて、混乱に輪をかけてしまうケースもあるが。
いまさらそこまでセンシティブにはなれないな
はてなブックマークで注目を集めている記事から。
O-157の流行に絡めた、食肉加工業界の実態に関する警鐘っぽい記事なのだが・・・ごめん、この手の内容をいまさらパンドラの箱だとは思わないなぁ。
パンドラの箱を開けよう。最近のペッパーランチに代表されるハンバーグ店でのO-157の発祥は単なる食中毒ではない。これは完全に食肉産業の構造的な病いだ。はっきと言おう。生焼けの肉にOー157が混入しているという事実が示すのは、その肉に牛の糞が混じっているということだ。多くの人は文字通り「焼け糞の混じった肉」を食わされている。(もちろん、混じっている糞はほんの微量だから誰も気がつきはしない。そして不幸なことに生焼けの糞肉を喰わされた人々が発症している)これは紛れも無い事実だ。この問題を知ったのは、エリック・シュローサーがマクドナルドについて徹底的に調査して書いた、「ファーストフードが世界を食いつくす」(日本版の出版は2001年8月)という本のおかげだ。この本読み終わって、ゾっとした。いや、本当に、マジかよ。悪夢だ。もう二度とマクドナルドやチェーン店のハンバーガーやハンバーグ、牛丼、スタ丼、焼肉、いや、それだけじゃない、スーパーやコンビニのあらゆる安いアメリカ産の肉なんか絶対食べたくない。心の底からそう思った。これを読んでまだマックや肉が食いたいなんて言ってるやつがいたらよっぽどのバカかノータリンに違いない。小学生だって、二度とあのハンバーガーなんかにパクつきたくなくるはずだ。笑顔でとんでもないものを売りつけてくれて、ほんと、イカれてるとしか思えないシステムだ。この、食肉業界ってやつは。
(後略・太線強調は引用者による)
これを読んでまだマクドのハンバーガーを平気で喰える私は、バカかノータリンに違いないですかそうですか。
いやね、別に進んで糞を喰いたいとか、そんな気は全然ないけどさ、でもちょっとぐらい肉に排泄物が混じってたからと言って、いちいち「もう食べたくない」なんて言ってたらキリが無い*1。だいたい生物なんてモンは、疫学的見地から言えばみんなダーティなものだしね。
もちろん食の安全は確保されるべきだし、食肉加工業界に構造的な問題がある事もまた事実だと思うよ。でも、その事実を知ったからと言って、私はいまさらそこまでセンシティブにはなれないな。
生命を殺して食す、という行為に対する覚悟の差なのかな?
自らの手を血で汚すリスクを追わず、しかも安く肉を食いたいなら、それなりの諦観や覚悟は必須。この感覚は決して特別なものじゃないハズ。畜産家や養鶏家ならずとも、自家で家畜を飼っている人たちなら、誰でも肌で感じている事だよ。
知らないのは自然と離れて暮らす、都会の人々ばかりなりけり・・・
ただね、ここまで言っておいてナンだけど、この記事が注目を浴びていること自体はとても良いことだと思う。
ヒステリックに「もうマクドでは喰わねー!」と叫ぶだけならナンセンスだけど、そこから一歩進んで、「ただひたすら安けりゃいいってモンじゃない。肉にも野菜にも相応の価値がある」という所に行き着くならば、その入り口としては非常に意義の高いエントリーだと言えるだろう。
なお、食品の価値や食肉牛の飼育に関する話については、私も定期的に見ている“やまけん”こと山本謙治氏のblogに詳しいので参考にされたし。
特に下記アドレスから続いている短角牛オーナー制度の話は興味深い。氏は自分がオーナーになった牛に“さち”“国産丸”と名付けて育てているが、その目的は近い将来、肥育を終えたそれを“つぶして”食肉として食べることにある。
残酷で心が痛むかも知れないけど、肉を食う、というのはそういう事である。
やまけんの出張食い倒れ日記: 命名「さち」。我が短角和牛の母牛から産まれた可愛い可愛い子供に名前をつけた。岩手県二戸市は今日も温かな春日だった。
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2008/04/post_1161.html
血を嫌い、汚れを嫌い、またその一方で安価さや手軽さばかりを追求し続けた結果が、冒頭にあるようなマクドナルドの食肉加工工場の実態であるとすれば・・・その対局にあるのが“やまけん”blogに紹介されているような、地道な畜産業の世界である。
こうして作られた肉は絶対に安くはないし、トレーサビリティの裏側には「殺して食べてる」事を実感できる、という副作用もある。
どちらを支持し、どちらを好ましく思うか・・・それは人それぞれだろう。
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日本の「食」は安すぎる 「無添加」で「日持ちする弁当」はあり得ない (講談社+α新書)
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