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踊る阿呆を、観る阿呆。を、書く阿呆。

                 ここはとんがりやま備忘録です。本家ウェブログは→踊る阿呆を、観る阿呆。へどぞ。

2018-04-21

[]リズと青い鳥

2018年/山田尚子監督作品/松竹

原作は出版された直後に読んだきりなのでディテールをよく覚えていなかったりするんだけど、物語の大筋というかテーマ的な部分に関しては強い印象が残っていた。その第一印象と、ほぼ変わらない映画だったように思う。

しかしまあ隅々まで繊細につぐ繊細さ、なるほどキャラクターデザインも変えざるを得ないわけだなあと納得した次第。

絵本パートの水彩画的な美しさもさりながら(リズと少女が十二〜三頭身くらいになってるのはわざとなんでしょうね、けれどすごく自然に動いていた)、それ以上に学校の、校庭、教室、渡り廊下、階段にいたるまで美しく描かれているのに圧倒された。それと、山田監督特有の「足の演技」が今作も大量に出てくるのだけれども、それぞれがすごく意味を持っていて、演出手法として円熟味すら感じさせた。

映画館という密閉空間でしっかり集中して見るにふさわしい内容だったので、家のテレビで見るとまたちがった印象になるんだろうなあ。しかし、本編が始まるまでの予告編の多さ&長さにはいいかげんイライラしたぞ。観に行こうと思わされた作品がなにひとつなかったし。。。アレはなんとかならんもんか。

2018-03-10

[]KIDS ON THE SLOPE

坂道のアポロン/2018年/三木孝浩監督作品

原作漫画が好きで、テレビアニメ版の方も楽しく観ていたあの作品が映画化された、なんてつい昨日知った。で、観てきた。

冒頭「十年後」のシーンから始まるのでびっくりした。2時間の尺で、最後まで描ききるつもりなんだ、これ。アニメ版でも最終回はやや駆け足になっていたのが印象に残っていたので、一本の映画としてほんとに全部やれるんだろうか、バッサバサにカットしまくって変なストーリーになってなきゃいいんだけど…という杞憂は、2時間後さっぱりなくなっていた。いやあ、よく纏まってますわ。お見事。

話としては、たとえば文化祭をクライマックスとしてそのまま大団円、というテもあったかと思う。もちろん大改変ではあるけれど、互いにギクシャクした関係が一気に…というカタルシスは描けるはずだし、中途半端にあれもこれもとエピソードを拾おうとして支離滅裂になるくらいなら、原作のちょうど半分くらいに置かれた屈指の名シーンを、映画としての結末に選ぶというのもひとつの考え方ではあったと思う。しかしこの映画は、原作の重要な演奏シーンはほとんど残したまま、物語としてもちゃんと最後までやりきった。なので、観ている側としては満足度が非常に高い。セットや衣装まわりも1960年代の空気を出すべく気合いが入っていたように思った。代役なしという触れ込みの演奏シーンもとてもよかった。あえて言うなら喧嘩のシーンだけがちょっと引っかかった程度だけど、まあ大きな問題ではあるまい。

びっくりするくらい観客が少なかったんだけど、これからじわじわ人気が出るのかな。折りに触れて何度も見返したくなる物語なので、円盤化が今から楽しみでしょうがない。

【同日追記】

ちょっと冷静になって思い返してみたら、やっぱり少し引っかかったところはあった。いちばんは百合香さんを初対面時に「20歳」に設定したところ。帰宅して原作を読み直したら、やっぱ普通に上級生だったよなあと。大人の女性にした理由もわからなくはないけれども(2時間という尺では彼女のエピソードを深く掘り下げる余裕はないので、主人公たちとの関わり方も浅くならざるを得ない/にもかかわらず、作品タイトルといちばん関わりのある人物なのでストーリーから完全に省くこともできないという難しい役どころ)、それなら10年後の再会時にようやく淳兄との子を身ごもったという状況はどうなのか。駆け落ち同然で故郷を去ったふたりなら、その翌年には子供ができていて再会時にはすでに小学生になる子供を連れてきていた、というくらいの方がしっくりくるのではないかな。

物語終盤、事故を起こして意識不明に陥ったのが幸ちゃんではなく律ちゃんというのはいいとして、彼女が目覚めて千に伝言を、というシーンも少し引っかかった。つい今しがたまで廊下に一緒にいたんだから、「そこにいるから連れてくるよ」的な台詞が入っていたほうが自然だし、そのあとの喪失感により落差のある演出ができたような気がする。

まあでも上記は些細な点であり、映画全体の評価を損なうものではないと思う。ほどよく笑ってしっかり泣ける、いい映画だったという第一印象には変わりはない。

2018-02-04

[]架空の犬と嘘をつく猫

寺地はるな著/中央公論新社/2017年12月

著者6冊目の書き下ろし長編小説。とある家族の、1988年からの30年間を描く面白い試みで、最終章が本書刊行時点からすれば「未来」である2018年5月、というのが最大のミソだろう。つまり、未来への希望を高らかにうたっているのだ。

子供はいつだって無邪気で楽しい、なんてことはさらさらないのであって、おそらく多くの子供は子供であるが故に辛くて悲しい。自分のことなのになにひとつ自分で決定できない、常に「親」と呼ばれるひとたちに保護され規定される日々。この小説は、その半分以上が、そういうつらさを丹念に描く。なにしろ、小説の冒頭からして「この家にはまともな大人がひとりもいない」というフレーズで始まるのだ。8歳の少年主人公がすでに「まともな大人」に欠如していることからスタートする物語。これはいったいどういう結末を迎えるのだろうかと、どきどきしながらページを繰った。

出張中の新幹線車内で一気に読み終えた直後の感想としては「スケールアップしたなあ」。30年という、人間の一生のなかではそれなりに長いスパンをこうも丹念に説き起こされると、登場人物たちのあれこれはもはや他人事とは思えないほどのリアリティをもって迫ってくるし、結果、誰に対しても慈しみのまなざしをもって眺めてしまう。その説得力の強さたるや。

わたしは著者の作品のなかでは『ミナトホテル』が一番好きと以前書いたことがあるし、今でもその感想には変わりはないが、本作はもしかするとそれに次ぐかあるいは同等くらいで好きかもしれない。『ミナト』は折に触れて何度も読み返したくなる魅力があって、本書の場合そこまで何度も、というにはどうかなとも(現時点では)思うのだけれども、少し時間をおいてみるとまた違った感想を持つかもしれない。ここ数作でちょっと鼻につくなと思っていたある種の「説教臭さ」がほどよく回避されているのもいい。

小説家、というか「お話をつくるひと」として、またひとつ新しいステージを迎えた感があるけれど、そのうちあっと驚く「物語」を見せてくれるかもしれないという期待がここにきて急激に高まった。これからがますます楽しみです。