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踊る阿呆を、観る阿呆。を、書く阿呆。

                 ここはとんがりやま備忘録です。本家ウェブログは→踊る阿呆を、観る阿呆。へどぞ。

2017-06-26

[]有頂天家族2

ずいぶん駆け足だったなあ、というのが第一印象。2クールとまでは言わないが、せめてプラスもう1話、つまり全13話くらいにはならなかったものか。なんだかダイジェスト版を観ているようで、せっかくの原作が少々もったいない気がした。

絵はキレイだし、声優陣の演技も申し分ない。最終回のバトルシーンも凄かった。それだけに、もう少し各場面をじっくりたっぷり観てみたかった。

アニメーション版で見る限り、話の構成は第1期のじわじわと盛り上げていくスタイルが好きで、「2」の方が静と動のダイナミズムはより計算されているように思うんだけど、トータルで「いいお話しを聞いた」という満足感はやはり「1」に軍配が上がるかなあ。

ともあれ、来月発売予定のブルーレイボックス上巻と、今月末に出るサントラCDは今からすっごく楽しみ。音楽は今回もとても印象的だったし、「2」のサントラもきっとヘビロテ間違いなしだろう。そうそう、パッケージ版はまたキャスト陣のオーコメが入るんだろうか。こちらにも期待したいっす。

2017-06-18

[]TAP THE LAST SHOW

2017年東映/水谷豊監督作品


“古き善き”を濃厚に感じさせつつも、現代風に仕上げられた映画だった、という第一印象。

ストーリィ自体は王道というかまあぶっちゃけベタなもので、特に出演する若きダンサーたちのそれぞれのバックグラウンドのあたり、やや取って付けた感はある(脚本というか設定として、いちばん難しい箇所でもあるんだろうが、それにしても深窓の令嬢のアレとかまるでアレだよね、とかは思ったが)。

わたしはテレビをほとんど観ないので、出演している役者さんがどれが誰だかがわかるのはほんの2、3名だけだ。その分、画面に映る人たちは「その役」というよりも「その人」そのもの、という目で見ていた。しかし、このドラマをそういう目で見られるのは、この作品の多くのシーンでリアルなドキュメンタリーを撮っているような気にさせられるから、なのかもしれない。

なにより、この映画のもっとも重要な「ダンスシーン」がマジモンなのだ。映画的にはきっとクライマックスのショウ・タイムが見せ場なのだろうけど、わたしがいちばん面白かったのはむしろ前半のオーディション〜練習シーンの、若きダンサーたちの本気の姿だったりする。そのへんに「ウソ」っぽさがほとんど感じられないからこそ、この作品は「映画」たりえているのだろう。



今年ももう半分近くになるんだけど、これまで観た中で特に「ダンス」が印象的な映画というと、湯浅政明監督『夜明け告げるルーのうた』と、今回の『TAP』のふたつだけかなあ。ひとつはそもそもストーリィのごく一部だし、さらに言えばダンスシーンはひときわアニメーション的なファンタジーあふれる演出。対するもうひとつは、まるでライブ中継みたいなリアルな実写映像。と、まるで正反対なんだけど、それぞれ「ダンス」をきちんと「ダンス」としてフィルムに定着させてやるぞという強い意志が感じられるのがたいへん心地よかった(別作品の悪口をあまり言わない方がいいとは思うけど、これらの日本映画に比べて某・米アカデミー賞受賞作品のダンスのがっかり具合ときたら、もう)。


この手の映画では主役連中よりも脇を固める登場人物の渋さに惹かれることが多い。今回もたとえば「八王子のジンジャー」と「アステア太郎」のデュエットにはニヤリとしたし(ああいう演出は往年のハリウッドミュージカル映画の十八番だよなあ)、劇場の事務員さんのことあるごとに光る演技など、心に残るシーンが多かった(メインのご老体おふたりの演技はなにしろ往年のハードボイルドすぎて。いやもちろんコレは褒め言葉ではあるんだけど)。もうひとつ、ほんの一瞬の出番だけど、ぽっちゃりダンサーさんのご亭主さんの、まあ似たもの夫婦感というかいかにもさにも笑わせてもらった(一見無駄なようで、こういう遊びがなけりゃ映画全体がどれだけ淋しいものになってしまうか)。

 

とはいえ、個人的には物語の隅々にまで共感/納得できたわけではないし、肝心のショウの音楽/編曲も個人的にはあまり好きになれない。

けれども、それでもクライマックスのダンスシーンには思わず息を呑んだし、なんなら盛大なスタンディングオベーションをしていたかもしれない(映画館に他の観客が誰もいなけりゃ、絶対大きな拍手をしていた)。

ダンスシーンのメイキングと、それからあのショウの(観客の視線などの、ダンス以外のシーンがない)アナザーバージョンが特典ディスクとして付くならば、絶対DVDでもブルーレイでも買います! まあ、いや、そういうのが無くてもたぶんディスクは買っちゃうとは思うけど。

ダンスをちゃんとダンスとして映像に残してくれた。この映画は、そんな当たり前のことをきちんとやっているから素晴らしい。正直言ってドラマ部分の方はわたしにはよくわからないけど、それはそれとして、「ダンス映画」として、実にいいものを見せていただいたことに最敬礼! なのであります。


【翌日追記】

一晩経って、ああそうだ、この映画ってもっと笑いがたくさんあった方が良かったんだ、ということに気が付いた。別にドタバタギャグをやる必要はなく、クスリとさせる感じのユーモアがもっと散りばめられていたら、話のメインである「かっこよさ」と相まってさらに素敵な映画になっていたと思う(劇場の社長とか、そういう味を出そうとしていたことは判るが)。脚本を含め全体からなんとなく感じる余裕のなさというか「いっぱいいっぱいな感じ」は、この映画が初めての監督によるものだからなのだろうか。

2017-06-08

[]今日のハチミツ、あしたの私

寺地はるな著/角川春樹事務所/2017年3月初版

読後のモヤモヤがいまだに晴れない。うーん。



発売後すぐに読み始めたはいいものの、全体の1/6あたりで引っかかってしまい、しばらく放置していた。先日まとまった時間が取れたので(具体的には出張中の新幹線車中だ)残りを一気に読んだ。

冒頭で読み進めるのをやめたのは、登場人物たちの言動すべてにおいてなにひとつ共感も感情移入もできなかったからだ。安西一家はもちろんのこと、主人公である碧についても「なんだこいつ」とまず思ってしまったことが大きい。

碧の彼氏である安西はいわゆる「だめんず」として描写されていて、にもかかわらずなのかどうなのか、碧はそんな安西を見放すことができない。彼が実家に戻るというタイミングで結婚を切り出され、両親に挨拶するため彼の実家に向かうのだけれども、安西の父親はそれを認めない、というか彼氏の方は父親に対して結婚相手としてまともに紹介することすらできていない。

安西父は父で、初対面の女性に対してあまりに理不尽と言うしかない条件を押しつけ…というあたりで本を投げ出したくなった。なんだ、なんなんだ。どいつもこいつもまともな人間がひとりもいやしねえ。でもって、それを唯々諾々と受けちゃう主人公もたいがいだ。

主人公も、子どものころから実の両親の愛情をほとんど受けられていなかったという過去もあり(中学生時代のいじめ問題もある)、なんだかんだで見ず知らずの(恋人とも隔離された)土地で、たったひとりで生きてゆかなくてはならなくなってしまう。いや、おまえ、なんでそこまで。

物語前半の、少々無理のあるように思える設定の数々は、全てが後半に向けてのお膳立てだったというのが読み進むにつれてわかってゆくし、後半はむしろけっこう面白かったんだけど、しかしやはり読後のモヤモヤは残る。うーん、「いいお話し」に持って行きたいが故に設定とか登場人物の性格づけとかを無理矢理持って行っていないか?これ。

著者の小説は、どの作品にも感じているのだけれども、かなり映像的だと思う。どの作品も映画にしたらキレイそうだなとか、こっちの作品は連続ドラマ向きじゃないかな、などと、いつも「映像化」されやすいなあと思って読んでいる。

今回の小説も、映画にしたらけっこう面白いような気がする。養蜂の手順なんかもスクリーンの大画面で見てみたいし。

日本映画に限らず、ヨーロッパの小品あたりでもそうなんだけど、映画だと少しばかり突飛な設定や人物描写でもなんとなく「そんなものか」と流してしまい、気が付いたらクライマックスでぼろぼろ涙を流して「いい映画だったなあ」なんて感想を持って劇場を後にする…なんてことがある。そういう意味でも、このひとの小説ってとても「映画的」であるのかもしれない。

本作の登場人物でいえばたとえば「あざみ」さん。実に存在感のある人物として描かれながら、そのバックグラウンドには全く触れない。主人公からしてこのひとの過去を詮索することは徹底して避けている。「背景がよくわかんないけどやたら光る脇役」っていう存在のしかたって、あらかじめ尺が決められた映画にはよく出てくる気がするのだ。

もちろん、物語に登場する人物について一から十までぜんぶ作品内で説明しなくてはならないなんて法はないし、警察の調書じゃないんだから全てを知る必要など最初からないんだけれども、他の登場人物の「実はこういう一面が」が街の噂話レベルでも描写されているのにくらべ、「あざみ」さんの正体の知れなさはちょっと次元が違う気がするのだ。で、そういう(情報公開の)レベルを作者がかなり意識的にコントロールしているのがよくわかるので、かえって読者としては鼻白らんでしまうというか。結論ありきで書いているんだろうなあということがある時点で伝わってしまうので、残りはなんだかありがたいお説教だけを聞かされている気分になってしまうというか。

主人公が30歳そこそこで妙に達観しているというか、なんでもそれなりに上手に対処してしまい過ぎ、というのもある。もちろん彼女には彼女なりの欠点があり、作者はそこも書いてはいるんだけれども、なにしろ小説は彼女の主観をこと細かに描いているので、そのへんは上手に隠そうとしているようにも見える。人物の出来具合は、同い年の安西に比べても格段に差があるし、安西の親族ぜんたいに比べても彼女の方がずいぶんデキる大人という印象を与えるのだ。そこまでデキた主人公なら、もっと早い時点で安西を見限っていてもおかしくない—結局、なぜ碧が安西に惹かれていたのか、最後の最後になって明かされるんだけれども—そしてそのエピソードが、物語全体にほろ苦い印象を与え「いい話だなあ」という感想をもたらすんだけれども—そんな「いい話だなあ」に収束させたいがために全てを組み立てていたというあたりが、ちょっと自分には苦手かも、と思った。

著者の小説でいうとわたしがいちばん好きなのは『ミナトホテルの裏庭には』、次点が『月のぶどう』、そしてデビュー前の『こぐまビル』。ここらへんの作品にはあからさまな作為ではない、物語のダイナミズムそのものに心地良く乗れることができたし、読後感だってたいへん良かった。デビュー作の『ビオレタ』は結局まだ読了してないので(文庫版も買ってはいるけれども読んでない)言及は避けるけど、読んでる途中で投げ出したくなる作品とそうでない作品との差っていったいどのへんにあるんだろう、というのは少しばかり気になる。



しかし、いずれにせよ、このひとの小説がどれも「映像向き」であることには疑いようのないことだとは思う。いずれ何かしら映像化されるんじゃないかという予言をここでしておきつつ、現在連載中の小説が単行本になることを今から心待ちにしております(実は第一回だけ読んだきり以降はまったく知らないので)。