豊臣秀吉の誕生日(その4)

豊臣秀吉の誕生日(その3)の続き。


ところで根本的な疑問なのだが、豊臣秀吉が下賤の出自だとはよく言われることだ。藤田達生氏も、

 このように二人の碩学は、秀吉が伝えられているような百姓の倅ではなく、差別を受け遍歴を繰り返す非農業民に出自をもつこと、そして若き日には木曽川筋や津島で商人的な才覚を磨いていた可能性を、私たちに教えてくれるのである。

藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書

と書いている。


その説の当否は置いといて、そんな秀吉にとって、生年月日はいかなる意味を持つのだろうか?


通説では、日本には誕生日を祝う風習は無かったという(これも俺は必ずしも支持してるわけじゃないけれど)。上層に位置する武士でも正確な誕生日が不明な場合はよくあることだ。それでも上層の人々なら日記などによって記録されるということがあるから、誕生日がわかるということがあるのだろう。


下層階級に属していたとされる秀吉に、誕生日はいかなる価値があったのだろうか?そもそも秀吉は自身の誕生日を知っていたのだろうか?秀吉が伝記の通り、母が日吉権現に日参して霊夢を見て13ヶ月目の正月1日に生まれたのなら、そりゃ奇瑞なんで記憶に残るだろうけれど、常識的に有り得ないことだ。学者が支持する天文6年2月6日に生まれたというのが本当だとしたら、秀吉はなぜそのことを知っていたのだろうか?


(ちなみに数え年だとみんな元旦に年を取るのである)


秀吉は自らの出自を虚飾したという。それならなぜ天文6年2月6日という取り立てて意味の無い(ように見られている)日を誕生日にしたのだろうか?誕生日など仮に知っていたとしても、せいぜい家族が知っているだけだろう。適当な日を言えば良さそうなものだ。嘘を立証できる人などいないはずだ。信長に仕えるときに履歴書を提出したのだろうか?


いや、俺はそういうことについて無知だから、わからないだけかもしれないけれど、学者の先生方は、そういうことを考慮に入れた上で、天文6年2月6日に生まれたとしているのだろうか?


考えれば考えるほど不思議なことばかりだ。