浦島太郎について考えていたところ素朴な疑問が。
巌谷小波の「浦島太郎」を見ていたら最後に「めでたし/\。」で終わっていた。それが気になったので調べたら『日本お伽噺集』には19話が収録されていて、そのうち「瘤取り」以外は「めでたし/\。」で終わっている。
「瘤取り」は
大きな瘤をお土産に貰つて、瓢箪のような顔を抱えながら、ほう/\の體で山を逃げ下りました。
で終わっているから確かにハッピーエンドではない。一方似たようなパターンの「舌切り雀」では
婆さんも、初めて目が覚め、それから後は、善心に立ちかへつて、爺さんとおなじような、眞に善い人になりました。
「花咲爺」では
爺はすぐに武士に取つて抑へられ、そのまゝ牢屋の中へ打ち込まれてしまひました。それに引きかへて以前の爺さんは(以下略)
とハッピーエンド。というわけで「めでたしめでたし」はハッピーエンドだからめでたいということだと思われる。
しかし、そうだとすれば「浦島太郎」のどこがハッピーエンドなのかということになるだろう。
先にも取り上げた
⇒「浦島太郎」にカットされた真の結末 永遠の命もつ鶴に生まれ変わる - ライブドアニュース
には
この物話を、三浦教授は「鶴になるということはハッピーエンドという風に考えれば、この話は決して残酷な話ではない。
とあり、それが正しいとしても、巌谷小波の「浦島太郎」では鶴になっていないのだから、いったい何がめでたいのか、よくわからないのである。
世の中がすっかり変わってしまって太郎は今後苦労するだろうから、老人になってあと少しでこの世から逃げることができて(太郎にとってはその方が幸せだから)めでたいということなのかとも思ったけれども、本文に「よせばいいのに玉手箱の紐を解いて」とあるからにはそれは考えられないだろう。
開けるなと言われた玉手箱を開けてしまったから、忠告を聞かないと罰が当たるという法則が確かに実行されたことがめでたいという意味だろうかとも考えたが、それなら罰が当たった「瘤取り」も「めでたしめでたし」ではなかろうか?
どうにもよくわからない。
それとは全く違った考え方もできるかもしれない。「めでたしめでたし」の意味
物事が無事に終わって,よかった,ほっとしたという気持ちを表す語。
⇒めでたしめでたし(メデタシメデタシ)とは - コトバンク
とある。
これはハッピーエンドでめでたいという意味にも受け取れるかもしれない。しかし俺は馴染みが無くて大人になってから知ったんだけれど昔話で「めでたしめでたし」ではなくて「どっとはらい」で終わるのがある。「どんどはれ」「とっぴんぱらり」なんてのもあるそうだが、とりあえず「どっとはらい」の意味。
昔話の語り終わりや、ものを数え終わったときにいう語。これでおしまい。
「めでたしめでたし」の用法がこれと同じだと考えれば、「浦島太郎の物語を無事に語り終えることができてめでたい」という意味だと考えられなくもない。
しかし、それはそれで「瘤取り」も「めでたしめでたし」ではないかという疑問が残る。
謎。