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こんにちは。福島県郡山市の小学校教諭の「坂内智之」です。「学び続ける子どもたち」を合い言葉に「織り重ねる学び」の授業を作っていきます。授業の様子や子どもの様子、教育についての考えなどを書き込みたいと思います。 連絡・問い合わせ・お願いメールは manabiaiとgmail.comを@でつないでください。

2015-08-03

潮流を感じた2日

『学び合い』のフォーラムに行ってきました。実は初めての参加です。

昨年のみゆき会で、Iさんに半分冗談で「『学び合い』のフォーラムも、みゆき会のブースを設けてくれるような心の広さが欲しいよね。」と話をしたら、今年はきちんと場を設けてくださり、会に呼んでいただけました。本当に本当に感謝です。お礼に「なぜ『学び合い』は崩れていくのか」という本気の話をすることに決めて、分科会を進めさせていただきました。

 

僕が4年前に『学び合い』に求めていたのは「多様性」でした。ただ当時の組織にはその多様性を受け止めるだけの器がなかったように思います。当時、もし上記のようなテーマで分科会を開いたならば、きっと非難する人の方が多かったことでしょう。でも僕は『学び合い』の成立には、多様性を受け止める力が最も大事だと考えていたので、それを受け止め、認められないことに嫌気がさしました。そういうこともあり、これまで距離をとってきました。

 

今回、僕らが上記のようなテーマでも話が快くできたのは、フォーラムの力が上がり、僕らのような異端な存在も許容できるようになったということなのだと思います。僕が距離を置いているうちに、多くの実践者が力を伸ばしてきたのでしょうね。そうしたことが分かって僕はとてもうれしくなりました。

 

そしてこの2日間に僕は日本の教育の潮流を実感しました。僕は目に見えるような教育の変革は20年後くらいだろうと予測していましたが、もう少しこれは早くなるようです。日本のような国は一旦舵を切ると速いのかもしれませんね。僕がこれから残りの教職年数でできることは何か、もう一度見直してみる必要があるのかもしれません。

 

また、講演された武蔵大学の武田信子さんとも、偶然とは思えないようなタイミングでコンタクトできました。ちょうど今年からコルトハーヘンのリフレクションを授業の事後研究会に取り入れることを決めていましたので、講演会の話から多くのヒントをいただくことができました。予想もしていなかった方向からつながるというのは、単に偶然なのではなく、僕はこれは必然だったのだと思います。これは情報が線ではなく、面で展開されてきていることによるものだと理解しました。

 

僕はこの数年、視野が狭くなってきたような気がします。東京では2日間で新しい潮流を眺め、そして新しい空気を吸い取りました。実りの多かった2日間でした。

長野のNです長野のNです 2015/08/03 19:45 ご無沙汰しております。
坂内先生とフォーラムって、正直結びつきませんでした(汗)。『学び合い』の様子も随分変わったようですね。あの場から離れて5年?、世の中の変化の早さに驚きつつ、日々の仕事を片付けるのに精一杯の自分の姿にがっかりする日々です・・・。

tontan2tontan2 2015/08/06 09:42 N先生
ご無沙汰しています。実はフォーラムの時にある方とN先生の話をちょっとばかりいたしました。N先生の方向性を伺ってとても嬉しく思っています。僕も4年ほど『学び合い』から距離を置いてたので、いろんな意味で新鮮でした。Nさんからまた切れ味のよいお話を伺いたいなと思っています!

2015-07-23

インタラクティブカリキュラムの特性とは

小学校の学級担任性が中学校の教科担任制に比べて優れているのは、子どもへのケアだけではありません。

 

学級担任であるということは学習の垂直方向の力が弱い(つまり教材研究の力が弱い)反面、水平面で学習を捉える・統合する力が強いと言えます。インタラクティブカリキュラムがその典型です。おそらく中学校の先生にはこうした発想はかなり難しいのではないかと想像できます。小学校の先生ならば「ああ、なるほど!」と捉えることができても、中学校の先生が他教科の学習内容に踏み込んで自分の教科を統合的に学ぶイメージ作ることは難しいことでしょう。

 

しかし、入試制度が変わり、教科統合的に学習することが求められるようになってくると、中高等学校の先生も今までのやり方では通用しなくなってくることでしょう。インタラクティブカリキュラムの実践は、学習を合科的統合的に面展開し、教科という枠に揺らぎを持たらします。

 

インタラクティブカリキュラムは小学校の先生ならば、すぐにでも実践し効果を上げられる技術ですが、僕はむしろ中高等学校の先生の実践に期待します。中高等学校の先生がこうした水平面での学習展開ができたら、もともと垂直的な深さを持っているわけですから、カリキュラム上の時間と合わせ、3次元的に学習を構造化することも可能になると考えています。

 

逆に小学校の教師は面で展開することで、必ず教材の検討、特性、目的にアプローチすることになります。複数の教科内容をマッチングさせていくためには、学習スキルに必ず戻らなければならないからです。

 

常にこうしたことを意識して授業をするかしないかで、学びの質が貧弱な授業か、豊かな授業かで差が出てくることでしょうね。

 

2015-07-19

やっぱり授業

本校では特別活動という切り口からも「子どもの自立」へのアプローチに取り組んでいます。具体的には早稲田大学の田中博之さんのレーダーチャートの活用を導入しています。こうした取り組みも学校の中でとても大切なことと思い全クラスで取り組んでいるわけですが、それで全てを解決できるわけではありません。効力としては全体の10分の1にも満たないことでしょう。では子どもを自立させていくためのマックスファクターは何でしょう?

 

もちろん授業です。僕は単純に学習内容の習得や習熟とは別に、教科教育の学習は子どもの心の成長にも極めて大きな影響を与えていると考えています。今年は教科担任制ですから、1クラスあたり最大でも週5時間、1日で1時間となります。それでもその1時間で子どもの関係性を崩し、再構築させていくことができます。

 

「え〜〜〜〜、算数なんてわかんな〜〜い」「算数面倒くせ〜」という子ども、人間関係が取れないでトラブルを起こす子ども、集団でグダグダ遊んでいる子ども、教科担任制でこうした子どもをどう軌道修正させていくかが僕の挑戦でもあります。単純に算数をしっかり分からせるというならば、教科担任制なんて特に難しさはありません。その基盤となる子どもの自立を形作りながら授業を組み立てていくことが難しさなのです。それでも毎日授業の時間を持てるということは、子どもの動きにある一定の変化をもたらします。1学期が終了して、子どもに変化が生まれてきました。正確に言うと、僕の対応が最適化してきたとも言えます。

 

授業というのは、教師の姿そのものが投影されていきます。何を考えているか、子どもをどう見ているか、子どもたちをどう成長させたいか。授業は1日に5〜6時間もかけて、しかも小学校の場合にはその大部分が一人の教師が。それらをずっと浴び続けた姿が子どもたちの全体像なのです。僕らは教育哲学を持つべきなのです。私は何のために子どもたちの前で授業をしているのか。あなたは何のための授業をやっているのでしょうか。子どもは何のための勉強するのでしょうか。

2015-05-08

3つの力

今日は、これまでの取り組みを振り返り、その効果を計る意味もあり、ずっと子どもを観察することに集中して、授業を行いました。ずっと子どもを観察することで、心の状態、特性、関わり、集中などなどをモニタリングできます。そうすることで、これまの自分の授業の課題、そしてこれから子どもをどう育てていこうかと、考えが浮かんできます。これがいわゆる看取りの力で、これらの看取りからフィードバックをかけていくことで、今は水平にも、垂直にも軌道修正をかけることができるようになってきています。

 

さて、授業を進めていく上ではこの看取りの力は最も大事なのですが、他にも大事な力が2つあります。看取りの大切さは上記のようにこれまで何度も取り上げてきたので、今回は他の2つについてお話しします。

 

授業を進めるにあたって2つ目の大きなファクターは「技術」です。方法や型と言い換えても良いかもしれません。特に若い先生にとっては最初に身につけるべき力だと思います。授業の技術は多彩であるほど良く、子どもの性質、人数、環境などに合わせて、時には技術と技術を組み合わせながら、授業を進めていくことができます。こうした授業の技術がないと、「子どもを自分に合わせさせる」ことになり、時に子どもは反発するのです。ですから、若い先生はこれまでの実践で集積されている技術を書物や講座、Webなどでどんどん取り込んでいくと良いです。

 

そして3つ目の大きなファクターは「教育哲学」です。自分は子どもをどう成長させたいのか、自分は授業を通して、子どものどんな力を伸ばしていきたいのか、そうした自分の教育の方向性を見定めていく力です。こうした教育哲学は、どれだけ同僚の先生などと対話をしてきたかで、深まりは異なります。全く自分とは違うような授業をする教師でも、話をしてみると実は子どもを同じ方向性で育てようとしていることを知ることもあります。

 

この3つの力はもちろんのこと、一つだけやれば良いのではありません。この3つの力は複合的に絡み合いながら子どもに投げかけられていきます。ですから、技術だけでもダメですし、哲学だけでもダメですし、みちろんのこと、看取りだけでもどうにもなりません。これらが3つ揃って初めて効力を発揮できるのです。ですから、うまくいっている人の実践技術だけを取り入れていっても長続きしませんし、看取りだけしていても子どもの力は高まるわけではないのです。

こうした3つの力は、子どもが持続的に学ぶための大きな基盤なのです。

2015-04-27

医師と教師

最近、群馬大学を発端とした医療事故が、メディアをにぎわせています。内部の詳しい内容は僕には分かりようがありません。でもこの医療事故は、私たち教師にとって無関係なことでしょうか? 僕には他人事とは思えません。医師は人の命を預かり、教師は人の成長を預かっているのです。今回の医療事故は私たち教師も他山の石として自分を振り返り、より自分を磨き上げていくことにつなげていかなければならないのではないと僕は考えます。

  

僕は多くの子どもを踏み台にして「今」があります。若いころは当然、技術は未熟だし、知識はもっと未熟だし、世の中の流れも分かりません。そんな時代にも、子どもの前で教師として立ち回らなければなりません。それはまるでインターンの医師が患者をあてがわれるように。以前、半年以上慢性蕁麻疹が治らず、どうしようもなく病院の総合科を受けた時に、若いインターンの医師が対応したのですが、「僕もときどき蕁麻疹出るんですよね〜」で診療は終わり、とても腹立たしく感じたのと同時に「こんな若い医師に分かるわけないよな〜」と諦めの気持ちもありました。でもこれは僕の若いころも同じで、教育相談で20代前半の僕に教育の悩みを話したところで、大した答えはできませんでしょうし、保護者もそんな僕に期待もしていなかったことでしょう。

 

でも医師も教師も30代を超えたころから、さまざまな理論を蓄積していき、新しい技術を取り入れて、現場で実践していく段階になります。しかし、これらは患者(子ども)、そして自分、さらに環境に合わせた形でカスタマイズされなければうまく機能しません。それらで成功している人には膨大な実践がともなっていて、そうした細かなノウハウはどんなに説明しても説明しきれるものではないからです。そうなると医師も教師も場合によっては、技術や理論で患者や子どもを振り回してしまうこともあります。また、僕のようなイノベータータイプの教師は、大きな利益を求めるために、かなりリスキーな実践を好みますから、それに子どもが振り回せれてしまうこともあります。こうしたことを防ぐために、強烈な振り返りの力と子どもの看取りの力が必要となります。先の医療事故の件も、状況にフィードバックがしっかりとなされていれば、防げた事例も多かったのではないでしょうか。

 

僕は新しいことを始める際には、何度も何度も入念にシミュレーションします。実際に始める際には、常に子どもをモニタリングして、状況が悪ければすぐに改良を加えます。数ヶ月で効力が出なければバッサリと止めることにしています(幸いシミュレーションをしっかりと行うので、そうしたことはほとんどないのだけれど) でもそれだけ気をつけていても、僕には言えないだけで「そりゃないよなぁ〜」と思っている子どももいるはずです。

 

完璧な医師がいないように、教師もまた完璧な人などおりません。僕は三分の一の子どもは僕に合わせてくれていると考えるようにしています。そう考えることで自分の実践を常に別の目線で監視しているのです。