人生楽しんで。   -深呼吸の必要-

深呼吸の必要 [DVD]

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今年の夏、自分がまだ東京での一月の夏休みを楽しんでいる頃、兄弟の一人は沖縄に”旅立った”。
旅立った、と言っても別段そこに深い意味合いは無く、数字で言ってしまえば5泊6日の夏の旅行だ。
ただ、車で関空まで行きそこから飛行機で沖縄に移動、移動はレンタカー、そして車中泊。
彼の立てた分刻みのスケジュールとそこから感じられる意気込みには、旅行に行く、という言い方よりむしろ
旅に出る、という言葉の響きの方がしっくりくる、そう思わずにはいられなかったからだ。



実質6日間のその旅から帰ってきた彼の撮った写真からはその日数以上の情報量が詰まっていて、
でもそこに広がる大きな空と青一色の澄み渡った海を見て、
忙しさ、慌しさだけではない、どこかゆっくりとした時間の流れを感じた気がする。
それはただ単純に沖縄に行ったことのない自分の憧れから来るものなのかもしれないし、
写真に映る沖縄の人々、景色から漂う、向こうで俗にいう”うちなータイム”というものなのかもしれない。



深呼吸の必要、という映画を見た。



沖縄のイメージの代表的なものとしてサトウキビがあり、これはそのサトウキビ農家での35日間のお話だ。
普段はおじい、おばあの夫婦2人でなんとか切り盛りしているとうきび農家も、収穫の春は忙しい毎日が続く。
製糖工場が稼動を終えるその期日までにサトウキビを収穫して納入しなければいけない、
でなければ残ったサトウキビはすべて無駄になってしまう。
当然おじいとおばあ二人だけでは広大な畑に生えるすべてのサトウキビを刈り取ることは不可能で、
そういった人手の足りない農家は”とうきび隊”をアルバイトとして募集する。



サトウキビ隊に応募してきた6人は、それぞれに悩みを抱えている。
それは親しい人にも簡単に打ち明けられるものでもなく、ましてや自分ひとりで解決できる問題でもない。
だからこそ、現実から遠く離れた沖縄に逃げる。
そこには空と海とサトウキビしかない。
そんな場所で、毎日の作業に汗を流しながら5人は自分から逃げにやってきたはずの沖縄で、自分を見つめなおすことになる。



それぞれがそれぞれの問題を胸に秘め、けれどそれぞれがそれぞれと一緒に生活することによって、
自分のあずかり知らぬところで助け、助けられ、自分たちが抱えていた問題と向き合うようになる。



サトウキビ隊は35日間しか続かない。
刈り取るサトウキビの数は無限大ではなく、サトウキビが無くなってしまえば、そこに6人がいる必要性も一緒になくなってしまう。
沖縄に来ることによって問題が消えることは無く、そのあとにはそれぞれの現実と生活が待っている。
35日間を過ごした後の6人とおじい、それにおばあは本当の家族のようで、一緒に一つの目標に向かっている彼らは、
お金のため、それぞれの抱えた問題のため、それらを越えたところでつながっているようにさえも見える。
35日間という期間はわかっているし、そこには何の延長線上も存在しない。
最後の人数分のサトウキビを刈ったあと、それぞれをナナミは一本ずつ一人、一人に渡していく。
サトウキビを受け取ったそれぞれは、互いに何も言うことなく黙って歩き始める。



何も無くなったサトウキビ畑が広がる最後のシーンでは、その瞬間からも次の年に向けて新しいサトウキビの芽が育つ準備が始まっている。
サトウキビを刈り取りにそこに来る人々も、その思いも、そこに生えるサトウキビには関係は無く、
また次の年に向けて元気に何事も無かったかのようにそこにあるだけなのだ。
なんくるないさー、と言うおじいの言葉にあるように、大きな自然の下では自分の悩みも小さなものに思えてくる、
だからこそ、彼らはまた自分たちの現実に帰っていける。



映画の最後には、彼らの別れの場面が描かれることはない。
記念写真が飾られるおじいとおばあの居間に、また次のサトウキビ隊がやってくるところで映画は終わる。



人々の思いとは関わり無く、どんな暑さにも嵐にも負けずに生え続けるサトウキビ、抜けるように高い空、青く澄み渡った海。
それらは人々の心を魅了する。
それらに惹かれて、来年の夏もまた、人々は沖縄に旅立つ。