Hatena::ブログ(Diary)

もうひとつの音楽〜非正統の音

2016-12-03

遠藤隆太朗 本田拓也 Carlo Costa 八丁堀・七針

f:id:toomuch1:20161121210650j:image


f:id:toomuch1:20161121212544j:image


f:id:toomuch1:20161121212528j:image


f:id:toomuch1:20161121212458j:image


f:id:toomuch1:20161121212054j:image


f:id:toomuch1:20161121212034j:image


f:id:toomuch1:20161121210636j:image


f:id:toomuch1:20161121210620j:image


f:id:toomuch1:20161121210544j:image


f:id:toomuch1:20161121203258j:image


f:id:toomuch1:20161121203242j:image


f:id:toomuch1:20161121202155j:image


f:id:toomuch1:20161121202133j:image


f:id:toomuch1:20161121201849j:image


f:id:toomuch1:20161121201837j:image


f:id:toomuch1:20161121201823j:image


f:id:toomuch1:20161121201805j:image


f:id:toomuch1:20161121201756j:image


f:id:toomuch1:20161121201711j:image


f:id:toomuch1:20161121201659j:image


遠藤隆太朗(g)、本田拓也(double bass)、Carlo Costa(ds) 11月21日 東京・八丁堀 七針


随分と前から八丁堀・七針に行きたいと思っていたのだが、ようやく念願が叶った。

 

遠藤隆太朗のソロギターを一昨年に聴いて、印象に残っていたこともあり、自然に足を運んだという感じだった。遠藤隆太朗のスケジュールを見る限りでは、ギター、コントラバス、ドラムスのトリオ編成は珍しいのではないかと思う。


会場の七針はとても居心地がよかった。地階にあるが、あたたかみのある内装と照明のおかげでとても寛げた。


そのせいかもしれないが、この日のライブは、いつもより「感じる」ことができたように思う。音に身を委ねると言って良いものかどうか分からないが、言葉にするのにためらいがある類の「感覚」というものに身を託す代わりに、日頃から心掛けている「演奏を記憶する」という作業を半ば放棄することになった。



遠藤隆太朗は、フェンダーテレキャスターのようなギター一本を携えていた。後ろには、備え付けと思われるフェンダーギターアンプがある。エフェクターは使っていないと思う。少なくとも足元にペダルは見当たらなかった。フェンダーギターアンプには、おそらくディストーションのつまみがあったと思うが、これを使っている感じはしなかった。フルアコセミアコと違って、本体に空洞のないソリッドギターピッキングしてもほとんど響きがないのは周知の事実だと思うが、フランジャーやコーラスなどのエフェクターさえも使わなかった。ギターのピックアップも特殊なものではないようだ。ともかくアンプは通してあるにせよ、ほぼ生音に近い状態で演奏した。



ロックやジャズの押さえ方にはないような和声が展開されたが、ナイロン弦の擦れる音がアンプから漏れるように聴こえるので、音そのものの輪郭は曖昧で認識するのがとても難しかった。いや、仮に認識できたとしても、和音を言い当てることは私には不可能な話なのだが。



これとは対照的にコントラバスの本田拓也はライブの前半で、エフェクターのペダルを操作して電気音を繰り出した。うまく表現できないが、キーボードのような音色がした。爆音とは言わないまでも、かなり大きな音がしたため、ギターの音が聴こえなくなった。遠藤隆太朗は、ギター本体のボリュームツマミを操作して音量を上げた。それでも、コントラバスの電気音が勝った。



これまでの僅かながらのライブ視聴経験からみれば、エフェクターがかかったギターの大音量の合間で、低音を保つコントラバスの音量が陽炎のように空を舞う、そんな光景を目にすることが度々あったけれど、その逆は未経験だった。だから、とても驚いた。




ドラムスのカルロ・コスタは、様々な器具を取り替えながら、弧を描くようにしてスネアの縁を擦った。ブラッシングを交えた音の数々は、とても色あざやかな佇まいを想起させた。



3人がほぼ同量の音で演奏した時には、チェンバーミュージックの趣が感じられた。電気増幅が強調されないためだろうか、きわめて器楽的であり、雅やかな室内重奏楽の風貌も併せ持っているように感じられる。



調和がある。けれども、それは予定されたものではない。しかし、それは調和と呼ぶもののように感じられる。だが、即興音楽に構築性が求められるという認識に立つならば、構築されたものから逸脱しようとする試みを汲み取ることができる。



カテゴライズすると貧してしまうのが音楽だとするならば、表現に窮してしまうのかもしれない。それを承知で敢えて表現すると、彼らの音楽を聴きながら、インスタレーションという用語を思い浮かべた。もちろん、前述の器楽的という評価と大いに矛盾するのを知りながら、この専門用語を使いたいと思う。スタイリッシュな現代アートの表層を抜き出した言葉尻だけでは捉えられない何かがそこにはあった。



器楽的な調和を持った、この室内重奏楽は、オブジェの様相を呈した硬質な音の塊を内包している。



後半になると、そこから乖離する場面が何度か見られた。



コントラバスの本田拓也がフォービートを刻んだ。しかし、他の二人は応じなかった。

カルロ・コスタがフォービートのリズムを叩いた。

二人は互い違いにフォービートを刻んだ。

しばらくして、コントラバスとドラムスがフォービートになった。


私の目と耳で判断した限りでは、ギターの遠藤隆太朗はフォービートのリズムに乗って弾くことはなかった。遠藤隆太郎はジャズイディオムも熟知していると思うが、敢えてその方法は踏襲しなかった。



そにうちに、カルロ・コスタは堰を切ったように強烈なドラミング披露した。激しく叩くというアクションは微塵も見せずに淡々と演奏しているのだが、音圧のある力強い音が瞬時に会場を包み込んだ。やがて爆音に近い音に達したところで、本田拓也と遠藤隆太朗が力を入れて対峙した。



この場面は二人が想像していたよりも長く続いたらしく、本田拓也がカルロ・コスタの方を振り返った。そのうち、遠藤隆太朗もカルロ・コスタの方をうかがった。


ほどなくして遠藤隆太朗は、力強いカッティングをした。この音は高柳昌行あるいは大友良英を連想させるものだった。



終演が近づく頃には、音量ははるかに小さなものになった。


カルロ・コスタは他の二人の演奏に耳をすましていた。


本田拓也が道端に置いていくように音を出した。遠藤隆太朗も、合いの手を入れるように音を置いていった。そして終演となった。




いつも通り、色々と好き勝手なことを書き連ねてしまったが、一番肝心なのは彼らの音楽に心地良さがあったということだった。


いつか再び七針を訪ねたいと思う。

もちろん、遠藤隆太朗はじめ他メンバーの今後の活動にも注目したい。




スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/toomuch1/20161203/1480775380