「ブス」と言われて、心が折れそうになったときは

最初の記事に書いたように、もともとこのブログを始めたきっかけは、通りすがりに「○ス」とさんざん言われる事態に対する、セルフヘルプの模索である。
今も模索中だが、気がついたことを一度、整理してみると、セルフヘルプの方向は4つになる。
外面のセルフヘルプ
内面のセルフヘルプ
短期間で出来るセルフヘルプ
長期間かかるセルフヘルプ
今日は、内面の、短期間で出来る、セルフヘルプについて。
たとえば、「○ス」と言われたときの、衝撃や怒りや哀しみを、周囲の人やウェブの掲示板で訴えれば、たいてい、それは言われた側ではなく、言う側がおかしい、と自分の味方となる意見をくれるはずだ。
それで収まる人は、それで終わり。
でも、それでは追いつかないほど何度も(私みたいに)、言われたりしたときの、セルフヘルプ。
これは、半年ほど前の雑誌「ミセス」に掲載されていた、斉藤薫のコラムから、ヒントを得た。
「考えるほどに、それは最大のナゾ。人は何のためにオシャレをするのだろう」というタイトルの、そのコラム。
読んで、ええーっ、と驚愕する。
「街ですれ違う男の視線をとんと感じなくなる瞬間から、オシャレの意味がわからなくなる人が多いのだ…たったひとりでいい。今日すれ違った中のたったひとりでもいい。自分の存在に目をとめてくれる人がいること。それが大事なのだ。」
つまり、女にとっては、「見られなくなること」が、非常に哀しい事態ってことか。
見られる=注目されることである。
注目された結果、「○ス」と評価され、不愉快指数大な状態につきおとされたとしても、注目そのものを得られないより、マシってこと?
そういえば、掲示板「発言小町」で、この問題のトピックがあったとき、自分の経験を寄せた返答の中に、
「1学年に女子が5人しかいない高校に通学していたから、毎日、校内で男子にさんざん○スと言われつづけて、すっかり自信喪失し、一時期、顔をあげて歩くことさえできなかった」というものがあった。
1学年に5人しかいない女子、なんて、そりゃ注目されまくりの存在だろう。
だから、もし通りすがりに「○ス」と言われたら、ああ、今私、注目されたんだな、と受け止める。
自分のブログにアクセスされたな、って感じに。
こう発想転換すると、ほんの少しかもしれないけど、傷つけられた内面を、和らげてくれる、手早いケアくらいには、なると思う。
斉藤薫のコラムには、こんなセンテンスもある。
「もっとハッキリ言ってしまえば、オシャレの最終的な目的は、目立つこと。…自分はここにいて、誰かに存在を認められること。存在感を示すことなのだと思う。」
実は、現状の私は、おしゃれについては、このセンテンスとは、真逆のところに、たどりつこうとしている。
その経緯は、「長期間かかるセルフヘルプ」に該当するので、また後日、少しずつ記していく予定。
なんてったって、今も模索途中だし。