謎の関西人の独り言

2004/12/02 (Thu) 昨日の答え

[]我思ふ

昨日のブログ孔子の『学而篇(がくじへん)』の解釈について書きました。ちょっとおさらいします。

子曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。

口語訳は、『先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。』というふうにたいてい学校で教えられます。つまり、『勉強したことを、時々復習する。するとそのたびに理解が深まって向上していくのだから、それはよろこばしいことだ。』っていうことです。 私はあるときから(この解釈は違うんじゃないか?)って思っています。

[]私の解釈では

いろんなことに関して真剣に深く学んでいると、時々『アッ!これって実はこういうことだったんだ!』って気付く瞬間があるんです。要するに、今まで自分が『これは、こうだ!』と思っていたことが実は『間違っていた』ことを発見する。『自分がわかっていなかったことがわかる。』これは学ぶ人にとって、もの凄く楽しい瞬間なんです。と同時に、その知識が自分のものになる瞬間でもあるんです。それこそが孔子がいいたかった『学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや』ではないかと思うんです。孔子のいう『習う』とは単に『復習する』という意味ではなくて、『自分の中に習得する』という意味に思うんです。『勉強して復習して「知識が増えて」楽しいなぁ』というのとは違うのではないでしょうか?

大学生のみなさん、受験生のみなさん、社会人勉強しているみなさん。そういう『そうだったんだぁ!』っていう瞬間ってありますよね?この『学ぶ』ことっていうのが人が『生きる』ことだと思います。

因数分解』を覚えることが大事なのではありません。学校は『学ぶ』ことの大切さ、楽しさを教わる場所です。社会に役立つ知識かどうかとか、そんな『損得』の問題ではないと思います。

[]受験生のみなさんへ

今日は『学ぶ』ことについて書きました。『学ぶ』ことのおもしろさ、大切さがわかれば、その瞬間に受験の苦しみからは、絶対に解放されます!私がそうだったように。

さらに孔子はこうも言っていますよ。

『自分の力が不足しているかどうかは、全力を尽くしてみなければわからないものだ。自分の力を出し切ってもみないで、力が足りないなどというのは、自己弁護たるにすぎない。しかも自分で自分の力を見限るようなことをいうのは、恥にこそなっても弁護にもならない。』

学而篇

さて学而篇には続きがあります。

朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。

口語訳は『だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。[同じ道について語り合えるから。]』らしいです。さてこの解釈についても私は異論があります。それはまた今度書きますね。(こんな解釈を国語の先生がみたらどう思うのでしょうか?う〜ん、一度聞いてみようかなあ。)

団員団員 2004/12/03 01:16 僕も日本史(特に現代史)では実際に先生の授業を聞くと自分はとても誤解していた事がたくさんあって頭の中で何回も革命が起こりました。大学でも日本史(特に現代史)をもっと深く学ぼうと思っています。

団員2団員2 2004/12/03 01:43 私の高校では、日本史はただ板書するばかりで全く日本史に興味が沸きませんでした。当然流れもつかめず、点数もボロボロ…でも、先生のおかげではっきりと流れがつかめ、日本史のおもしろさを実感しました。そうすると、自然に点も取れるものですね!先生には本当に感謝しています☆

謎の関西人より謎の関西人より 2004/12/03 01:56 そう言ってもらえると、こっちも一年間がんばった甲斐があります。団員、団員2よ!ありがとう!

満点!満点! 2004/12/04 19:27 あれだけ先生が一生懸命になって講義してくれたことをみにつけんかったらもったいなさすぎやと自分で思うんで入試ではマスターして満点取れるように頑張るッス!!また冬期にあいましょう(^O^)from最後の土曜日軍団

謎の関西人より謎の関西人より 2004/12/04 23:35 一年間面白かったわ!みんなもこの苦労を『成功体験』に絶対にするんやぞ!!

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