2013-05-29 新聞について

たとえば、日経は、知らず識らず経団連の顔色をみているだろうし、読売は、主筆が怒るようなことは、書けないだろうよ。
それに、新聞社内の人事の軋れき、昨今の官僚や大企業のプレリリースの横流し傾向などを考えれば、新聞の情報は、かなりバイアスが、かかっていると思うよ。
2013-05-14 コピーライターについて

コピーライターとは、なにか?
2冊の本から抜粋する。
文脈からスッパリ切り取っているので、
その前後も知りたい方は、図書館にリクエストするなり、
なんなり、読んでみてください。
(もっとも、そんな人、いないと思うけれど。。。)
コピーライターとは、発想業であります。そして、この発想がいつも、ひとつの言葉と結びついている。
『コピーライターの発想』12ページ(土屋耕一)
アイデアを出して言葉にしていくこと。そして、それを活かす方法を考えること。
『ほぼ日刊 イトイ新聞の本』25ページ(糸井重里)
土屋さんは、本書の中で、
「アイデアを生む工程を、発想と言う」とおっしゃっていて。
いずれにせよ、
コピーライターの象徴的存在である おふたりは、
コピーライターは、アイデアを言葉にする
って、おっしゃってる。
例をあげてみよう。
「土用丑の日、うなぎの日」(平賀源内 作)
「白いクラウン」
2013-04-30 「コピーライターの発想」(土屋耕一 著)より

几帳面にメモをとる、というのは、しゃべる相手と同じ速度で走ってあげることですね。考えてみるとこれは、ただの相手の走りを、こちらでトレースしている、というだけの引き継ぎの作業にすぎない。あとで、もう一度メモを読みなおすなり、整理するなりして、そこからものを考える作業台へと進まなくてはならない。
一方、メモをとらないで、うんうんと聞いているのは。これは、しゃべる相手とはちがう走り方をこちらがしているわけで。この場合は、むしろコマのように、お互いが回転しあっている、と言った方がいいかもしれない。二つのコマが、一見勝手に回りあっているように見えるけれど、ときおり、二つぶつかって、カチンと鋭い接触の音を発する。
こちらも回っている。向こうも回っている。だからカチンとぶつかる瞬間がある。そのとき、こちらの頭の中の棚へ、なにか一品入れるのである。あ、来た、来た、という感じだ。
メモをとることに神経を集中していると、こういう貴重なデータとの接触機会を、みすみす失ってしまうような気がしてならない。もちろん、あとになって、静かな自分の机の上でその機会を作ればいいじゃないの、というコピーライターもいるだろう。でも私は、聞かされた話の処女性とでもいうのかなあ、そんな初体験をたいせつにする、取材清純派なのであります。
P87〜88
2013-04-25 鈴木大拙の言葉より

人生の根本的問題は、
主客を分かつものであってはならぬ。
問いは知性的に起こされるのであるが、
答えは体験的でなくてはならぬ。
知性の性質として、
知性上、たとえ知性の解決が得られたとしえも、
それはいつもの知性の上に留まり、
おのれ自身の存在を揺り動かすものとはなり得ない。
知性はただ周囲を空回りし、
かつつねに、二者対立の形で物事を取り上げる。
ある意味では、実在に関する問いは、
問われる以前にすでに答えられるとも言える。
しかし、このことは、知性の次元では理解されないだろう。
それは知性を超えたところの消息だからである。
2013-04-16 『キュレーションの時代』

『キュレーションの時代』(佐々木俊尚)を読了した。
『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』(清水 博)から
の引用があり、論が展開されている。
このへんが、本書の肝だと思うよ。
要約してみよう。
ひとりの、か弱い人間がネットの膨大な情報に
取り込まれてしまうと、どのような変化が社会に起こっているか、見通せなくなってしまう。
そこで、キュレーションの役割を果たす人が、
ノイズの中から情報を取り出し、コンテキストを付与すれば、
アウトサイドにあった情報も整理されて、
インサイドに入ってくる。