「ルミネtheよしもと #82」

収録日がわかんないけど、たぶん数年前の『5じ6じ』の「5時からバトル」、トータルテンボスの藤田が丸刈り頭だった。
いや正直、下の長文エントリー書きながらだったので、BGM替わりにしていたんですよ、ネタなんてほとんど真剣に見ていないというか、見る気すらそもそもなかった完全にBGMのつもりだったのですが、どうしてもなんか気になって引力で引き寄せられたのがトータルテンボスで、別にこのコンビは僕も現在の10稔明かの漫才コンビとして上位10組には入れていないコンビですが、それでもこんなに完成していない頃の漫才で、なにか引力に惹き付けられてしまうかのように自然とテレビの方に向いてしまうのは、トータルテンボスの力ですよ。現状でM-1ファイナリストに選ばれたことが過去4年間において疑問が世間で出てるベスト5だと思うんですが、このお客さんを引き寄せる引力感じさせられると、やっぱりM-1審査員の選択肢は正しかったと思いました。
あと二人だけ、実はそういう引力を感じた人がいました。いや正確にはMCの中川家にも引き寄せられたんですが(笑)、まあそれを考えるとこの引力を持っているということが凄いホメ言葉と理解して貰えるのではと思います、まずもう一人はピンで漫談やってた頃のピースの綾部さん、あーこの人売れるわ、華もあるし芸人としても魅力がある、多分ピースは十年後には現状のココリコぐらいのポジションには最低限きていますよ。
そして最後あともう一人は増谷キートンだったりするんですが(笑)、まあこれはこのままガンバレぐらいで(笑)。

漫才とコントの違いが見えにくくなった理由

先頃発売された『M-1グランプリ2004完全版』のレビューで、オリエンタルラジオオオカミ少年レム色イシバシハザマパンクブーブーさくらんぼブービーあたりを名指しして、「こんなの漫才じゃない」といってる人が一人二人じゃなくいたのを見ると、何度もしつこく言ってることですが、やっぱり言い続けなきゃいけないのかと思ってしまうのですが。
ショートコントが漫才じゃないと言ったら、漫画トリオも漫才じゃないのかということになるし、横山ホットブラザーズ宮川左近ショーチャンバラトリオも新人賞の部門ではチョップリンもせんたくばさみもよゐこ上方漫才大賞取ってるんですからね(笑)。
この「漫才とコントの違い」というのは凄い深いテーマとして話も出来るし、色んな分け方の基準出せると思うんですが、ただ一番多そうな「センターマイクに並んでたって会話だけで進行する、楽器を使う場合もある」という定義はちょっと漫才というジャンルの幅を狭める危険な分け方だと思うので、これだけは声を大にして「No!」と言いたいですね。

「コントはひとりでもできるけど、漫才は最低ふたり必要」

これは吉村智樹さんがご自身のサイトの掲示板で最初に言った定義で、この後この掲示板で考察が広がり、吉村さん自身もかなり深く広げていかれたのですが、これは吉村さんも後々に深い考察を入れていることから、この最初のコメントに関しては軽く思いついたことを書かれたのかもしれないのですが、物事を簡潔に言い当てていると思う。そのぐらい漫才とコントの違いというのは明確なモノはないと思います。
例えば、ネタの設定において椅子を使ったらコント、空気椅子でやったら漫才かなとか一瞬思ったんですが、そういうことでもないような気がするんですよね、結局いとしこいしが楽器を置いた時、エンタツアチャコが洋服を着た時、カウスボタンがジーパン姿で登場した時、紳助竜介がその当時の若者の喋り言葉そのままで話し出した時に、全部「こんなの漫才じゃない」と言われながらも、全てその後スタンダードになっていったように、いま違っても後々そうなるかもしれないわけで、もしかしたら何十年か後にはオリエンタルラジオオオカミ少年のスタイルこそスタンダードになっているかも知れない。漫才とは色違いのジャージでどっちかがギターを持つのが正装という認識になる日だってあるかも知れないわけです。
それで思ったのはMixiM-1コミュニティで、横山ホットブラザーズは 『音曲漫才』と紹介されていたけど、同じ番組に出ていたボカスカジャンは『音楽ショー』と紹介されていたというのを見て、チャンバラトリオは『剣劇漫才』と言われているし、ザ・プラン9超新塾も5人漫才と言われているけど、4人以上で動きのあるネタをやっているグループで漫才扱いされていない人は多いですよね。
でも例えばウッチャンナンチャンの往年の名作『日比谷線VS銀座線』は僕はコントだと思うんですが、ダウンタウンの『この「あー」はどんなシチュエーションの「あー」でしょう』は僕は漫才だと思う、でもダウンタウンのこのネタで浜ちゃんは設定を客観視してツッコミを入れないし、完全に二人とも役回りを演じている、一歩ウンナンの『日比谷線VS銀座線』は小道具も使ってなければ、動きはあるけど基本的にセンターマイクから外れることはありません。また小道具を使っているけど、ナイナイの往年の名作『ガム』のネタは僕は漫才だと思う、雨上がり決死隊も基本的に漫才、FUJIWARAバッファロー吾郎も基本的には漫才、でもチュパチャプスはコントだったと思う、僕はテツandトモは漫才だと思うけど、野性爆弾はコントだと思うんですよ(笑)。
で、そこで僕が考えた結論です。僕の考える漫才とコントの定義は、「演ってる人が『漫才』だと言えばそれは『漫才』、『コント』だと言えばそれは『コント』」ということだと思うのですが、どうでしょうか?(笑)
いやでも究極的にいうとこういうことなんじゃないでしょうか? 本人達が根っこの部分でいま自分がやってるネタがどう思っているのかということだと思うのです。コントと漫才は僕は明確に違うものだと思っています、でもそれは思想的な問題で決して表面的なものではないような気がします。
センターマイクで喋りだけで客を大爆笑させることが出来るコンビでも、漫才ではなく単なるフリートークでしかないコンビはいるし、本来はコントのネタを無理矢理漫才にしただけでもきちんと漫才として成立するコンビもいれば、そうじゃないコンビもいる。一方で漫才の形を取ってもフリートークにしか見えなかったり、コントに見えるコンビもいます。
これはやっぱり根っこに漫才という魂を持っているか、持っていないかということだと思う、ウンナンはどんなに漫才スタイルのネタをやってもコントの魂が強すぎるし、アンタッチャブルは本質的に漫才の魂の人だったと思う。
『漫才とコントの違いはその人の持ってるソウルの違い、両方持ち合わせている人もいるけどね』というのが、僕の思う漫才とコントの違いだと思います。

センターマイクを挟んで喋れば漫才か?

先の項でも少しセンターマイクを挟めば漫才かということ書きましたが、もうちょっと深いところに突っ込んでいきます。吉村さんの所でも安田大サーカスアンタッチャブル東京ダイナマイトが漫才というよりコントだという話題が広がっていますが、ただ僕は逆に言うとカンニングアンタッチャブルの一部のネタにある、漫才のお約束事をあえて外し続けるネタや、麒麟『M-1グランプリ2001』で衝撃を与えた『漫才に小説の要素を取り入れる』にしても、漫才のパロディのコントを漫才形式でやっているという取り方も出来ると思うんですよ。漫才師が漫才をやるコントを漫才の設定で押し通しているコントだという見方も強引ですが言えなくはないと思うんです。
また吉村さんが「設定を演じきることがコントで、演じきらないのが漫才」と書いていますが、僕はこれには異を唱えたいです。僕は本人達が演じきっているけどダウンタウンの『この「あー」はどの「あー」?』やナイナイの『ガム』のネタは漫才だと思いますし、ウッチャンナンチャン野性爆弾次長課長はどんなに漫才風のネタをやってもコントに見えるんですよね。
サンパチマイクというセンターマイクの存在とピンマイクの存在については二つばっかし思うことがあります。まず歴史的なことをいうと、コント55号が初めてのテレビ出演の際に、固定カメラが一台の中でネタをしないといけないので、この枠から出てはいけないというバミリがあって、それだと自分たちの本来のネタが出来ないと、もうテレビには出られなくても良いから自分たちの本来のネタをやろうと、目の前のお客沢笑わせることだけに全力を尽くして動き回るネタをやったら、次からカメラが何台も用意されて動きを追うようになったという伝説がありますが、同時に舞台上にサンパチマイクが舞台上に何本も立てられたという伝説がありますが、これがいまのナイナイやテツトモにつながっているという感動は、こうして振り返るとありますね。
もう一つは去年の「M-1の敗者復活戦」において、何組かのコンビがオープンエアでセンターマイクのみという環境下において、全くサンパチマイクを使いこなすことが出来ずに、マイクにネタ中の音をほとんど拾われてなかったり、声が割れてしまっていたコンビが多くいて、M-1の事前番組でハチミツ二郎さんが『M-1の一回戦は素人さんが多いから、センターマイクを巧く使っただけで良く見える』という話をしていたんですが、敗者復活まで勝ち上がったコンビでも多くのコンビが使いこなしてなかったのでした(笑)。
しかしその一方で、前述のコント55号よろしく、完全にセンターマイクを無視して自分たちのネタをやり遂げたパンクブーブーと、センターマイクから遠く離れても、きちんと会場やテレビの前にも声がはっきりと通っていたザ・プラン9は格好良かったなあ、あそこはネタに関係ないところでちょっと痺れたよ。

演芸はテクノロジーの進化に伴って変わり続けるものである

最後に僕は演芸というか、お笑いの世界が今後発展していくには、演芸会の夏目房之介というべき存在が現れないといけないと思っていました。
でもこれが言える、きちんと指摘出来た上で、評論をエンターテイメントに昇華させる存在は、既にいたんだということが分かり安心しました。吉村智樹のお笑い評論があれば、絶対に日本のお笑い界は大丈夫だと確信しました。いやあでもこういうテクノロジーとの関連性とかに、既存のお笑い評論家やライターはいかなかったので、ついにここにたどり着いてくれた人がいたと嬉しいです。本当に嬉しいです、ありがとうございます。(吉村智樹の原宿キッス〜うれしはずかしな日々〜

お笑いと芸人に対する扱いの現状が、このままでいいのか!?を真剣に考えています

ここに書いている「エンタの神様」の話は噂話ぐらいに思っていたんですが、そうかプロデューサーが本人で言ってたのか、自分が芸人を面白くしているとか偉そうに思って入るんでしょうね、僕はどうもこの番組に限らず日本テレビの番組のプロデューサーやディレクターが入り込みすぎる番組作りが好きじゃありません。さんまさんと所さんぐらいしか本当の意味で対応出来ているタレントさんもいないような気がするし、あっ伊東四朗さんも対応出来ているか。もちろん悪いところばかりではなく、映像を何分か見てからトークみたいな構成の番組には、これ日テレのチューンしすぎる番組作りはあっているんですが。
しかし本来演者の自由度に任せるべきところまで、ズカズカと入り込んでいたり、使い捨てと批判されるような芸人の起用法も確かに気分が悪いです。
全体的に東京の芸人さんは、事務所の社員や先輩、テレビ局のスタッフなど口出しされやすい環境にあるようで、本人の資質にあっていないんじゃないか? というような芸風でやっている人や、一時代前のコントや漫才の流行を追ってるようなネタをしているというかさせられている人が多いように思います。
一方で大阪の利点というのは、吉本にしても松竹にしても、基本的にやりっぱなしというか『チャンスはあげるけど、それ以上のことは自分でやれ』という方針であることが吉本ではよく言われていますが、これは松竹も吉本ほど極端ではないけど、それに近い方針のように思えます。
一番自分というものを確立しなければいけない大事な時期に、『己の方向性は己で考えろ』というポジションに置かれるというのは、明らかに自分を成長させることが出来るし、大阪は同期、先輩、後輩、大師匠の芸を間近で見て勉強する機会が物凄く多いという利点もあるし、ヘンに弄られることなく自分自身で自分の芸をチューニング出来るというのが大阪芸人の最大の利点でしょう。
吉本や松竹が芸人の師匠制度を事実上崩壊させる、養成所スタイルを始めたのは、ヘンに先輩芸人によって型にはめられることを嫌ったというのはあるかもしれない。言われてみればさんまさんも鶴瓶さんも生活上のことは別にして、芸のことに関しては師匠からはほぼほったらかしにされていた訳ですが、ただこういう風にほったらかしに出来る師匠というのは少ないですしね、オール巨人さんなんかも南キャン山里さんに髪型変えろ、天津の向くんにジャージは止めろとか言ってたらしいし(笑)。そういう意味で大阪の芸人育成は『いかに自立させるか』ということに、以前は自然となっていたんでしょうが、最近は戦略的にそれをやっている感じがします。だから「baseよしもと」の芸人さんとかは「エンタの神様」に出ることがあっても、出ずっぱりにならないのは、ここのプロデューサーは芸人をいらってくるということに対する健全な警戒感があるんでしょうね。
ただ大阪の場合は、現状テレビ局のプロデューサーやディレクターに若手を育てるという気概が全くないという問題があるので、まさに笑い飯とかが代表的なんですが、ある程度大阪で自分たちを確立することが成功した芸人はどんどん東京に進出するべきだという意見に変わりはないです。ただこれは時期が難しいとは思う、あんまりにも関西でも名前が通っていないような段階で行くと、東京の芸人さんと変わらない環境になるわけだし、かといって中堅ぐらいの色がくっきりついてしまうと、今度は東京のテレビ局も使い方が難しくなる、陣内智則あたりがギリギリ良い感じでしょうね。
しかし大阪の局はなんで若手を育てなくなったんでしょうか、不景気で冒険が出来なくなったということや、若者の在宅割合が東京などに比べても関西は低いという話があるのですが(その割に街の景気が悪いというのも不思議な話なんですが)、テレビが完全にオバチャンのものになり、やしきたかじん上沼恵美子太平サブロートミーズ雅円広志原田伸郎、在阪局アナなどを起用することで安易に視聴率を稼げる状況などもあるのでしょうが、ダウンタウンのように自分たちが育ててもどうせ出て行かれるという思いもあるのかも知れませんが、ただダウンタウンは大阪では予算的にもスタッフの理解という面でも自分たちのやりたいことをほとんどさせて貰えなかったという思いを抱えて東京に行ったわけで、ダウンタウンに恩義を感じさせることが出来なかった方が悪いという印象は強いです。
芸人さんがスタッフや社員の人に恩義を感じる場合というのは、ダウンタウンにとっての川崎さんとか、よゐこにとっての難波マネージャーのように、周囲から『それではダメだ』と総スカンを食らっていた時に『君たちは間違っていない、そのままでいいんだ』と言って支持していたからであり、それは極楽とんぼとフジテレビの片岡飛鳥や、明石家さんま毎日放送の増谷さんやコナベさんとの関係にも近い。さんまさんは女性問題で関西の放送局から一斉に干されて吉本からも見放されかけた時に、上司の反対を押し切って増谷さんとコナベさんがさんまさんを起用し続けたから今があるわけで、だからさんまさんは大阪のマンションを引き払って東京に完全に移ってからも、毎日放送のレギュラーだけは続けて、いまも週一回「明石家電視台」のためだけに大阪に帰り、関西ローカルの深夜ラジオも続けている。
それを考えると、自分の都合の良いように作り替えることを演出だと思っている、それを偉そうに風潮しているプロデューサーに芸人さんが恩義を感じるでしょうか? 自分たちの本質を認めようとしない人に、我の強い芸人を目指すような人が心を許すでしょうか? 「電波少年」に出ていた芸人さんから当時のあの番組のプロデューサーへの感謝の言葉というのはあまり聞かないですよね、最近の波田陽区を見ていると確実に「エンタの神様」から逃げる準備を始めているように思うのは僕だけじゃないと思います。(振り逃げプロ野球

「笑いの金メダル」

原史奈品川庄司の庄司と前回カップルになってなかったっけ? いやもちろん単なるゲームなんだけど、それでも一度カップル成立したタレントさんは二度出するべきじゃないよなあ、つーか有田ホンマにマジだろ(笑)。益子直美は10年前にタレント転向してから美貌に衰えがないのが凄い、タレント転向直後に出したチャゲさんの作詞・作曲の歌は売れたのかなあ、ネタはパペットマペットタカアンドトシ、ヒロシの三組だけでしたが、ヒロシが復調しているなあ、名前の下りはここ最近のヒロシの新ネタの中ではダントツに良いフレーズでした。タカトシはもう貫禄としか言いようがない。このコンビにM-1という箔がついたのは本当に良かったです。

お笑いホープ大賞決勝進出者が発表

東京ダイナマイトの予選落ちの際も驚きましたが、その際に若干予想していたとはいえ、流石にPOISON GIRL BANDがこのメンバー相手に準決勝で落とされるとは思わなかった。個人的にはU字工事と大輪教授も残念ですが、この辺が落とされるのは残念だけど想定の範囲内ってやつですが。
とりあえずこの面子なら普通に考えてパンクブーブーが負けようがないと思うんだけど、この大会における審査員の傾向で考えれば本命・三拍子、対抗・タイムマシーン3号、穴で本戦までに著しい成長があれば磁石というところでしょうか、まあしかし関西で言うところのMBS漫才アワードみたいなもんで、そんなに価値がある大会でもないし、とりあえず僕も見たいコンビが今のところ三組しかいないし、裏番組に面白そうな番組があったら生放送で鑑賞するかどうか難しいところになってきました(笑)。時間オーバーしたら減点ではなく一発失格という過去のルールも興ざめだったし、減点とかならまだいいとは思うんですが、今回も予選で末高斗夢マキタスポーツがタイムオーバーで一発失格になってたらしい。

「トウカイテイオー産駒のGI勝ちはすべて1600m」

自身の現役時代より産駒の距離適性が微妙に短くなるというのは、結構近年の内国産種牡馬に多い傾向というのは漠然と以前から考えていたのですが(例外:サッカーボーイ)、ここまで極端なのも珍しい。気性的な問題が大きいような気もするんですが、トウカイテイオーというよりシンボリルドルフの影響が産駒にモロに出ている感じがします。トウカイポイントは去勢されちゃったし、ストロングブラッドチークピートシーズ着用ですからね、ディクタスの子供が血統に関係なく距離適性が短くなったのと同じことで、そのサッカーボーイの子供が本来の血統通りの距離適性になっていたりするので、ストロングブラッド種牡馬入りしたら案外クラシックディスタンスを距離適性にした子供を多く出すかもしれないので、どうか種牡馬になれますように、やっぱりかしわ記念だけじゃ辛そうなので何とかあと一つ。(fs Log

赤レンガ記念、バンブーボカ重賞初制覇

バンブーユベントスの半弟というより、大好きだったスプリングバンブーの産駒なので注目していましたが、重賞初制覇、とちぎマロニエCでの好走もあったので、北海道SCが楽しみになってきました。
あとバンブーリーベルはいない、バンブーミランはいるけど、バンブーインテルはいないようです。まあバンブー馬名は近年牡馬はサッカー関連になっているので、時間の問題のような気もしますが。(netkeiba.com

今日のサッカーニュース

北朝鮮紙が再考要求 FIFA規律委の処分に

確かにうちの協会会長は「李下で冠を正す」ようなことはしていましたが、堂々としていたら良いと思うんですが、こういう陰謀論ぶつけられるのはFIFAとかは一番気分悪くするはずですし、ただこれ以上いらんこと言ったら二本の心証もFIFAに悪くなると思うから、口チャックを徹底させてほしいですね。(スポーツナビ

「リバプールV弾は幻」TV局解析

新しい軍事技術の転用ですね、まあでもこれがノーゴールになっていても内容的に見せつけてくれた分、あんまり大きくは言われないような気もするんですが。(ニッカン)

ガンバ大阪・吉原“無期限二軍”!大黒様に出番奪われ…ブチッ

まあでも吉原に関しては、西野監督にそんなに重宝されていなかったし、もっと早く決断しても良かったんじゃないかなあ、ちょっと遅すぎたような。西野監督も吉原も好きな監督と選手なだけに残念ではありますが。やっぱり「J2のコンサにいたら日本代表に選ばれない」といってガンバに移籍して、その後代表に選ばれていないのは、コンサのファンもガンバのファンの期待も裏切っていますよ、チームを離れる決断をするには遅すぎたとしか言えないでしょう。西野さんは好きだけどそれ以上に僕は吉原が好きだけど、この件は吉原が悪い。
つーかいい加減、西野監督や田邊さんを悪者にして安心する風潮はやめてほしい。西野監督だって都築より松代の方が良かったことは現状証明されているし、田邊さんに関しては代理人という鉄人28号を使いこなせせばクラブにも多大な利益が出るわけなんだから、悪者にするのがお門違いも甚だしいよ。 (サンスポ)

2台でキャリア代が3600円、月額5100円なら悩むところはないか

ウィルコムのPHS、定額サービスで加入者急増 (FujiSankei Business i.

ウィルコムの正代理店のサイトをGoogleの広告から飛んで、料金パックとか機種の価格とかみましたが、結果的に電話ぐらいしか使っていない人は、みんな乗り換えるだろうなと思った、僕も真剣に検討しよう。

JR西日本をマスコミが罵る権利があるのか?

JR西をバッシングしても、いいこと何もありませんよ (ビデオジャーナリスト神保哲生のブログ

関西のテレビは最近ワイドショー路線が強くなっているので、昼間なんて延々と記者がJR西日本の社長や社員を罵倒しているところを流しっぱなし、遺族会や被害者の会を作ろうと動いている方へ、記者連中がこぞって名刺渡して挨拶しているシーンが報道されていたけど、徹底抗戦派と慎重派の遺族や被害者の方との対立を生む状況をマスコミが煽るようなことだけは止めて欲しいけど、このままじゃヤバイ。犯罪被害者の報道に対する倫理規定って真剣に考える時期に来たとかいわれていますが、こういう沢山の被害者が出た時に一方の被害者の声だけを流すのもどうなんでしょうか。
あといま一番心配なのは、“そんなにこの人は責任大きくないだろう”ぐらいの立場のJR西日本の人が自殺したりすること、グリコ事件の時に滋賀県警本部長が自殺した時に、『これはグリコ犯による殺人だ』と報道していた放送局がありましたが、ここでJR西日本の人が自殺したらどうなるんでしょうかね? とりあえず本当に一番悪いところを冷静にあぶり出してほしいです。

今日のリンクメモ

日本人の心に対する領海侵犯 (YOMIURI ON-LINE)

和田アキ子の没落 (ゲンダイネット

ソースがゲンダイじゃあ数字に信憑性は全くないけど(だいたいオリコンは週間ランキングで200位以下は枚数集計されないはずだし)、もし万が一本当ならカンニング『ヘイ・ユウ・ブルース』より売れてないのか。