スポーツとは運動のことを指さない

そして日本人は運動は好きだけど、スポーツは好きじゃないのではないでしょうか? そんな疑問を持ちました。

ずっと考えていたことではあるんですが、やっぱり日本人の多くは根本的にスポーツ好きじゃない人達だと思う、リンク先で最後に締めで言っているようなスポーツの本質に対する理解が足りないのではなく、いわゆる本来の意味でスポーツ的なことが肌に合わない人が多いんだと思う。
スポーツ的なこととは何かというのをずっと考えていたのですが、それに対する回答として「100m走はスポーツだけど、駆けっこはスポーツではない」という言葉が出てきました。
2月21日のエントリーでも僕は「実力通りに決まらないからこそスポーツで、そのためにスポーツはルールを作っている」と書きましたが、純粋な力比べである駆けっこに対して、100m走というのは、様々なルールや制約があり、その中には選手の能力を縛る物もありますし、スターティングやゴールイン時の上体などという、純粋に駆けっこの競い合いとは別の要素も多く関わってきます。
スポーツというのは、プリミティヴな駆けっこや力比べ、ボールの奪い合いといったものに、色んな制約を付けていくこと、その制約をルールとしてまとめていくことで、プリミティヴな競い合いを、ゲームとして競技性やエンターテイメント性を高めていったものがスポーツであるというのが、スポーツの本質的な物だと思います。
そして駆けっこや力比べだけでなく、その中には知恵比べや狩猟の獲物数を競ったり、的にいくつものを当てるかといったプリミティヴな競い合いもどんどんルールを作ったゲーム性を高めることでスポーツになってきたというのがスポーツという物の本質だと思いますし、そういうのが好きだから欧州の人が作るスポーツっていうのは、とにかく能力を縛るルールが多いし、どんどんルールが変更されるし、そのルールの方向性も生まれ持っての身体能力でだけは勝てないという方向性に行くんだと思っています。
でも日本人って、スポーツよりもプリミティヴな競い合いの方が好きなんじゃないかと思うんですよ、よっぽどのスポーツマニア的なファン以外の多くの日本人は、しかもこういう物の見方をする人が、スポーツ経験者ほど色濃いという印象がどうしても僕にはあります。
それは何故かというと、結局日本のスポーツマンがやってきたものというのが、ゲームというより運動、体育という要素が強いもので、本質的にプリミティヴな競い合い的なメンタリティでやってきたからという側面が強いんじゃないかと思うようになっています。
その辺は競技経験者ほど、戦術や戦略を軽視して、とにかく力と力のぶつかり合い的なものを重要視する解説者が多いという最近の印象でもあるのですが、僕はスポーツは純粋な力比べにならない方向で本来進化していく物で、純粋な力比べの要素が小さくなればなるほど、そのスポーツの競技性、娯楽性は高まっていると考えていますが、こういう考えはやっぱり日本では少数派だと思う。レクリエーション系の競技や、テーブルゲーム系の競技がスポーツとして沢山オリンピック競技になって貰ったり、「ワールドゲームズ」の注目度を高めるといったことは急務のように感じました。
日本の場合はまずスポーツと運動を区別し、筋肉馬鹿からスポーツを取り戻さないといけない。というのは前の高野連の件も含めて、重大なことではないかという思いになっています。
柔道のメダリストとか元野球選手とか高校時代にサッカーやってた有名タレントさんについては、日本のスポーツ選手が自分がやってこなかったスポーツに対して敬意を表しないのは、いつものことなので今さら問題にしたくもないという所ですね、やっぱりトップアスリートを育てるのなら、他の競技や文化も積極的に触らせていく環境作らないとダメだなと再認識するだけです。せめて日本の小学校の体育の授業はもっとゲートボールとかペタンクとかアルティメットとか取り入れればいいと思う、というか生徒間をフィジカル的な要素で競わせたくないという、いまの学校教育の現場の方針にあってるスポーツはいっぱいあるのに、なんでそれを取り入れようとせずに、変なことしているのかというのも疑問多いです。
地域社会でそういうスポーツがもっと振興されること、そして頭脳勝負系のスポーツがオリンピックで正式種目になることを心から願いたいです。