「太田総理の私が総理大臣になったら…秘書田中。」

爆笑問題の新番組、僕は太田光の政治とか社会に対するコメントはあんまり好きじゃないので*1、多分見る事ない番組と思っていたんですが、たまたまこの時間に茶の間の席でかかっていたので見ていました。
僕は心情的には太田さんの言いたいことは分かるし、拍手送るべきなのかも知れないけど、太田さんが必死で訴えれば訴えるほど、単に太田光の心の弱さを露呈するだけという感じになっていたのは、かなり痛々しかったかなあ、逆に太田光がそういうのをチェックする人だというのは意外な感じ、唇に毒をもって芸とするタイプの人は、気にしない図太さか、最初から割れ関せずというスタンスを取るべきだと思うのですが、岡田斗司夫唐沢俊一みたいに自分の悪口を見るのが楽しみでしょうがないというタイプの人以外は、絶対に2ちゃんねるを始めとする大型掲示板はもちろん、Googleで自分の名前を検索とかも絶対にやっちゃダメでしょう。まして太田さんみたいにここまで気にする人なら余計に、どうも自分の悪口に敏感で過敏に反応する人ほど、わざわざ見に行く傾向は強いように思う、眞鍋かをり「悪口みたいなのは見たら負けなんですよ、太田さん」というのが全てでしょう。エネルギー与えるようなことはしない方が良いですよというのは、おもいっきりいま僕は太田じゃなくてリアルの知り合いに言ってるな(笑)。
誰か分かんなかったけど、ネットの会社の社長さんの言ってる「有料化は善意の書き込みを減らして、悪意の書き込みを増やす」というのがよく現していると思うし、結局見なきゃ良い、反応したら負けということだと思いますが、太田が口酸っぱくこの問題になって言っている「殺意の表現」というのは凄いよく分かるし、そういうことを直接的に指摘できる太田は凄い奴だと思った、まあ取り締まらなきゃダメでしょうね。ちょっとずれるけど「氏ね」が許されて良い言葉のはずはない、意味が通れば全て一緒だし、ということで太田は良い奴だけど弱い奴という、愛すべき人だなあというのがこの番組を見た太田光に対する感想です。もう心を惑わせないように見ない方が良いですよ、無駄に人生で苦しむことを増やす必要はない、リターンがあるのならともかく、リターンがなくリスクだけ背負ってはダメです。
あとM-1の審査員あたりから以降のラサール石井の人間の幅のデカさを見せつけられることが多いけど、この番組でまたラサール石井は格好良かったなあ、芸人の皆さん、紳助さんや松ちゃんではなく、ラサールさんに審査されたいと思ってM-1目指しましょうよ、この人は人間に幅があって考えや言葉に重みがあるなと感じ入ること多いです。その他の芸風とか、雰囲気とかでそういうの感じにくいのは確かなんですが(笑)。
まあ結局は大石英司さんが普段から指摘しているように、管理者の遵法精神とか、それ以前の道義的な問題だと思う、法律に違反してるのはもちろんダメ、法律に違反してなくても非常識なことはなるべく止めるというのが基本でしょう。
ただ一部若い人のBlogの記述とか見ていると、匿名掲示板みたいなものが、最も正しく“言論の自由”の場であるという考えを持ち出している人が現れだしていること、これはあんまり良くない傾向だと思う。責任を伴わない自由は権利として認められることではない。

*1:左寄りとかは別に気にならないんだけど、“中二病”と言えばいいのかも知れないけど、この言葉は好きじゃない。