炎上は智のアウトソーシングの負の遺産。
ここにもちょちょろ書いたけれど。
アウトソーシングのデメリットに無意識でありすぎると、はやとちりが起こって
はてなブックマーク - youtubeで「JAP言うな!」と怒る善良なアメリカ人に、勘違いしたや
森田宏幸のブログ 負けましたとか
私の関連サイト : Wiiリモコンで初日に液晶パネル破損・・・orzみたいな炎上が起こる。
森田氏「原作が嫌い」の言葉の理由を突き抜けて、先に自分が「原作が嫌い」と思った時の状況と同じ状況で「原作が嫌い」って言ったんじゃないか? みたいに言葉だけが先行する状況というのかな。
レトリックによって解読されるべき言葉なのに、通常の意味に於ける状況であると勘違いされるというか。
インスタント教養になったけれど、それが炎上のシステムも同時に生み出せる(インスタントで判ると同時にインスタントでわかったつもりになる)状況が生まれる。ともいえるのかな。そう考えると炎上させないためにはレトリックを控えるとかそういうほうが良いのかなあ?(って議題になってない……)
[REV]企画と仕様と実装の違いというか
自分のお家のなかで、言葉を「RUNさせて」いれば、セキュリティーは安全だけど、公開しちゃうと、言葉というソースというかオブジェクトだかランタイムだかEXEだか、に、自分の言語イメージを突っ込んで「RUNさせ」ちゃうからな。Webを気にしなければ、気にせず喋ればいいし、気にするなら、自分のBlogで書いておけばいいかと思う。
国家安康で戦争になった例もあることだし(本当か?)、昔から修辞法には注意したほうがいいかと。
[natu3kan]
太平洋戦争の日本のポツダムへの「黙殺」とかもですよね
本当はグロてエロい童話の再発見。
こういうのをみてるといかに昔ってのが、今の人にとって恣意的にみられているかというのが判った気になった気がした。(りあるりありてぃ)
ustar アレ 不思議の国のアリスがそもそも倒錯文学だという前提はどこへ?
(はてなブックマーク - ネタなべ。(・ω・ノ)ノ 最近の絵本はエロい)
綾波書店 - Amazonのレビュー(書評)はどの程度信頼できるか
いま流行のバイラルマーケティングネタ。
オタクは身内(同人とインディーズ)に弱い。
また、埋め草みたいなエントリになりますが
同じ匿名なのに2chと匿名はてなダイアリーの雰囲気が違う件について。
やっぱりはてなID登録という障壁とかはてなユーザー限定ってので一種の匿名SNSみたいになってるからなのかなあ。
なんか、不思議だなあ。と思いました。
[zonia]あと見え方の違いってのもありますよねえ
たとえば増田には「スレ違い」という概念がないから揉め事がおきにくかったりするんじゃないかなあと思います。またなんかあったら追記します。
[mind]
>はてなユーザー限定ってので一種の匿名SNSみたい
「不審者」が紛れ込んでいる可能性が低い仮面舞踏会みたいな。
- 自分が仮面で暴れていると、はてなによって仮面を暴かれたり、
- 仮面の他人に対し失礼をして、仮面の中の人が知っているアノidの方だったり
すると、墓穴を掘る、つまり、無礼な振舞いが匿名の人からもidの人からも割に合わない仕組みができているのかもしれません。
その次の問題は円楽問題あたりに繋がるのかな? http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070211#p1 >>スレ違い問題
[setofuumi]「スレ違い」の有無
というのと被るんですが、2chの場合「余計な書き込み」「邪魔な書き込み」というのがかなり明確に存在していて、anondにはそれがないのが大きいかな、と思います。2chでは「スレ違い」や「煽り」「荒らし」「工作員」といったフレーズでもって対象を「あってはならない書き込み内容」とする場合が多いのにanondにはそれがない、ないとまでは言わないまでもかなり薄いように思います。
あと2chは事実上無限にスレは生まれるんですが、「1000で終わり」という区切りやそれにともなう面倒くささ(スレ立てや移動など)があるので「有限な空間を無駄にしてはならない」みたいな感覚もあるのでは(単純に「邪魔すんなあっちいけ」かもしれませんが)。それに対してanondだと区切りがないので無限に思えるので気にならない、気にしない、といったような。
↓
つマスロー
第一段階 生理的欲求
第2段階 安全を求める欲求
第3段階 所属と愛の欲求
第4段階 自尊の欲求
第5段階 自己実現の欲求
人間は5つのレベルの欲求を持ち、前の段階の欲求が満たされると、次の高次の欲求を求めるという、よく知られた説。自己実現にはその前のすべての段階の充足を必要する。
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/rev%3a%e3%83%9e%e3%82%b9%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%81%ae%e8%a6%81%e6%b1%82%e4%ba%94%e6%ae%b5%e9%9a%8e%e8%aa%ac
誇りは、前の段階の要求を満たすことが前提、というのがマスロー説。
ほかのひとにはほかのひとの意見があると思う。
一足先に、誇りを手に入れるなら、宗教かファシストか共産主義がいいと思う。
あと、ここの機能って、増田に以降したのかな。
[natu3kan]う〜ん
個人的にはマズローよりこっちを推したいかなあ。
socioarc: 欲求データベース説(前編)
socioarc: 欲求データベース説(後編)
誇りを優先したら共産かファシスムに偏るってのは同意だけど、そこはバランスだよなあとか、思うわけです。
インテリだって三日絶食させられたら革命おこしちゃったりするかもですよ? ですよ?
生活保護。「生きること」と「生活すること」の違い。
埋め草みたいなエントリで申し訳ない。
これまでの担当者とのやりとりの一例。N「知人がテレビをくれると言っています。もらってもいいですか。」
担当者「ふざけたこと言うな!そんなものがなくても生活できる。」(←本当にこの通り言われた。)
N「一人暮らし用の冷蔵庫をリサイクルで買おうと思います。どうでしょうか。」
担当者「夏になって物が保存できなくなるまではダメ。」
N「リサイクルで洗濯機を買ってもいいですか。」
担当者「洗濯は手洗いできるでしょ。ダメ。」
(上記は、ほんの一例。まだまだあるよ。)
そして頻繁にある生活のチェックでは、家のすみずみまで探索されるのです。プライバシーなんて存在しないくらい。
本人見てるとかなりつらそうよ?生活保護。
(匿名はてなダイアリー - 生活保護)
ようするに、孤独死も(多くの場合)選択の結果なのだ。最低限の衣食住+義務教育だけの子育ては嫌だ、あるいは仕事が楽しい or 貧乏暮らしは嫌だ(から共働きしたい)といって子どもを作らない少子化問題と同じこと。親を扶養したくない子、邪魔者扱いを甘受してまで強引に子どもの家庭に入り込む気のない親、共同生活したくない老人たちが作り出す孤独死。みな、これ以上は引き下がれないというラインを引いて、その前で戦っている。生活保護制度は、生き方へのこだわりを捨てることを要求する。自分の所得をちょっとだけしか再分配されたくない私たちは、この冷酷な仕組みを必要としている。
五分位階級別の所得の状況によれば、第二階層の収入は第一階層の2倍を超え、第三階層にいたっては4倍近い。なのに「生活が苦しい」などという。そして6倍の収入がある第四階層の人までもが、「俺には貧しい人を助ける余裕なんてない」。上ばかり見て足るを知らぬ人々は、今日もまた同情だけしてカネは出さない。
(生活保護は過酷な選択を迫る)
これについて、宮本みち子は、「妻の葬式代だけは自分で」という自立への「誇り」というものを無視するような面が、日本の生活保護の制度にはあると指摘し、そうしたことを重視する「柔軟な福祉制度」に切り替えていく必要があるのではないか、と語っていた。「誇りを重視しない社会国家」、これは生活保護に限らず、日本という国の、とりわけ戦後のこの国のあり方をよく示しているのではないだろうか?
(Arisanのノート - ワーキングプア・誇りについて)
本当は痛いテレビ番組:生活保護は難しい - livedoor Blog(ブログ)
本当は痛いテレビ番組 ココログ支店: 5人殺した男に生活保護
この場合「生きられるだけで幸せなんだよ」と教育すべきなのか。
それとも、人々の誇りを尊重する様に制度をシフトすべきなのか。
難しい問題だよなーと思った。