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2016年11月07日 また、あなたに会える。「続・深夜食堂」

toshi202016-11-07

[][]「続・深夜食堂「続・深夜食堂」を含むブックマーク 「続・深夜食堂」のブックマークコメント

監督:松岡錠司

原作:安倍夜郎

脚本:真辺克彦/小嶋健作/松岡錠司




ぜいご

ぜいご



 いつもの歌が流れ、少しずつ変わりゆく新宿が映し出される。変わりゆく街を変わらないアングルで撮り続けるオープニングがほっとさせる。いつものように豚汁を作り、開店準備をするマスター。

 ドラマ版も映画版も、始まりは変わらない。本作でも変わらない。VODサービスのNETFLIXで配信される全10話のドラマの新シリーズとともに、劇場にも「めしや」が帰ってきた。

 ドラマ「深夜食堂」の劇場版第2弾である。


 ドラマ版の設定を改めて説明すると、新宿の裏通りにある「メニュー以外でも出来るものなら何でもつくる」マスター(小林薫)が営む深夜にしか開かない「めしや」、人呼んで「深夜食堂」。そこで頼まれた「メニュー」と頼んだ「客」についてのドラマを描いた、一話完結形式の人気シリーズである。



【関連】前作の感想。

君を待ってる。「映画 深夜食堂」 - 虚馬ダイアリー


 構成もほぼ前作と同じ。1本の映画につき三幕。ドラマと語り口は変わらない。めしやで起きた人間模様を描き出すその語り口は、ドラマシリーズと変わらない。


 第1幕「焼肉定食」はストレス発散のために、休日喪服で街に出かける女性編集者(河井青葉)が出会う、死と恋を巡る物語。

 第2幕「鍋焼きうどん」は近所のそば屋を営む女主人(キムラ緑子)と「鍋焼きうどん」を頼む息子(池松壮亮)を巡る、親離れ子離れを巡る人情噺。

 第3幕「豚汁定食」は博多から詐欺に欺されて上京したおばあさん(渡辺美佐子)の、ちょっとした冒険と東京に残したある未練を描く物語である。


 しかし、この劇場版シリーズは何も変わらないにもかかわらず、テレビシリーズとは違う独特の滋味がある。それはドラマという「お約束事」から軽やかに逃れている点にあるのではないか、と思う。


 時の流れというのは一定だが人の記憶は一定ではない。起きる出来事の大小も様々だ。ドラマシリーズというのは、ひとつひとつの出来事をあくまでも「枠」を30分として一定で描いているが、印象に残る残らないというのは起きる出来事によって様々なわけである。そも一定というのは、テレビドラマの「都合」である。言ってみれば型にはまらざるを得ないのが、一話完結形式のテレビドラマの限界ではある。

 映画版でのエピソードは108分でドラマ版に即した三幕構成だが、その大きさは不揃いだ。そして語られるエピソードは「めしや」の客のエピソードという以外のつながりはあまりない。

 そしてエピソードは「春夏秋冬」で季節通りに流れていく。だから「ドラマと同じ」に見えて、映画の方がドラマよりも「自由」に見えるのだ。



 そしてタイトルだ。「続」と来た。そう、「続」なのである。

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 前作の第2話で、めしやに転がり込んで2階に住まわせた唯一の女(意味深)、多部未華子演じるみちるちゃんが、第3話で見事、再登場を果たす。関わり方もほぼ準主役である。

 いやあ、嬉しい。再登場は予告編で知ってたけど、ここまでエピソードできっちり絡んでくれるとは。これで名実ともに彼女は劇場版専用ヒロインである(断言)。

 しかし、本当に松岡錠司監督は多部未華子ちゃんを美しく撮ってくれる。ファンとして嬉しくなってしまう。ホントさあ、女神かと思うくらい可愛い。多部ちゃんの撮り方を本当に心得ているんだよなあ。どう撮れば美しいかをちゃんとわかってる。眼福であります。ありがとうございます。ありがとうございます。


 ドラマという「枠」でのシリーズを成功させながら、劇場版でより「自由」にエピソードを描き出し、のびのびと「映画」にしてしまう松岡錠司監督の軽やかな手際は相変わらず健在である。

 前作でもそうだが、本作ではよりその手際は見事である。「豚汁定食」の物語などは、本来なら映画で描くほどの大仰な物語ではない。しかし、ドラマでの積み重ねを得た後に、豚汁定食をすする渡辺美佐子おばあちゃんを見ていて、ふいに涙が出てしまうのは、このシリーズの恐ろしいところだ。

 泣かせなようとするような場面ではない。だが、ドラマシリーズを見ているものならわかっている。「豚汁定食」は、「メニュー以外の料理もつくる」めしやの、「メニューに書いてある料理」なのだ。

 「メニューに書いてない」さまざまな料理を作ってきたマスターが出す、「書いてあるメニュー」の意味。それがさりげなく明らかになる。


 ドラマ版を見ていない人ももちろん楽しめるが、ドラマを見ているとより一層楽しい。ドラマでおなじみの常連客たちもにぎやかに顔をそろえる。彼らの物語は、全部で4シリーズあるドラマ版でチェックしつつ、劇場版ではよりゆったりと、「映画仕様」のドラマとヒロインであなたのお越しをお待ちしております。もちろん、大好き。(★★★★☆)


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2016年11月02日 君と潜る永遠「聖の青春」

toshi202016-11-02

[][]「聖の青春」 「聖の青春」を含むブックマーク 「聖の青春」のブックマークコメント

原作:大崎善生

監督:森義隆

脚本: 向井康介



 東京国際映画祭で見た。


 今年の東京国際映画祭はチケットシステムトラブルが例年以上に酷く、私も色々予定を狂わされた1人であるが、クロージングである本作の席をあっさりと取ることが出来たのもある意味そのおかげかもわからなかった。

 しかしまあ、なにしろ一応、国際映画祭のトリを飾る作品であるということで、主演の松山ケンイチと東出昌大が登壇し、ゲストにオリンピックの金メダリストを呼ぶなど、主催者側としてはなんとか盛り上げようとした雰囲気は感じられた。

 しかし、なにしろ上映前でのイベントだったので、映画上映後だったらもう少し突っ込んだ話も出来るイベントだったろうになあと思ったりもした。ていうか、ちょっと進行がね、今ひとつぱっとしなかったんですよね。段取りも悪かったし。

 そんな中でも、松山ケンイチや東出昌大らキャストからは、強気の言葉が出てくる。この映画に対する思い、自負が感じられる言葉は非常に映画に期待を高まらせるものであった。


 さて。映画本編である。

 本作は夭折した羽生善治が最も恐れた棋士と言われる天才・村山聖のわずか29年を壮烈に生きた生涯を描いているわけである。

 演じる松山ケンイチは本人になりきるために体重を増やし、体型を改造して本作に望んでいるし、羽生善治を演じる東出昌大も羽生独特の空気を見事に表出させている。上映前の会見でキャストと監督含め、かなりの自信を覗かせる発言もうなずける絵づくりがされている作品である。一言で言って力作である。



 で。


 見終わった後の私のTwitterでつぶやいた一言がこうである。

TIFF「聖の青春」。れ・・・・恋愛映画だった。ディープラブ。


何言ってんだ俺。


 見ていて、この映画の眼目を脚色の向井康介氏がどこに向けたのか。一言で言えば、村山聖と羽生善治という男の、将棋を通して生まれる「絆」についての物語としたんだと思うのだ。

 この映画で描かれる村山聖は基本的に言えば「気が強いけどシャイな男」である。「将棋」というものはそも、頭が強いだけではダメで勝負の中で「必ず勝つ」という精神力が問われてくる。場が煮詰まって勝負の行方が混沌としてきた時ほど、一手の重みは増してくる。彼はその場が煮詰まってくる場面での見極めが非常に的確なのである。詰むか詰まないか。プロでも悩む局面で彼はにべもなく「詰まない」と答える。そしてそれは当たる。

 村山聖という青年はその精神力に関して言えば並々ならぬものがある。


 広島県出身。幼少期にはネフローゼ症候群という難病にかかり、入院生活を余儀なくされ、そこで覚えたのが将棋である。10歳で将棋教室に通い始め頭角を表すと、中学1年生でプロを目指し始め、大阪の森信雄に弟子入り。17歳でプロ入りを果たす。

 幼い頃から病身ゆえに「生きる」という事に対して貪欲な少年は、師匠に支えられながらその強い精神と負けん気で、「羽生世代」と呼ばれる勢力の一角として、将棋界で名を轟かせるようになる。


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 向井庸介氏の脚色は村山聖を「持たざる者」と規定しているように思う。本好き、漫画好きで特に少女漫画のコレクションは3000冊に及ぶ。普通の小学生時代を送れず、将棋だけが彼を肯定してくれる存在であり、ただ貪欲に将棋に没頭しながら、切るにしのびないからと髪と爪を切らず、浮腫の浮いたせいで独特な風貌により「怪童丸」と呼ばれた。食生活は偏り、麻雀や酒を覚え、男に対しては強気で話せるけれども、異性相手だと言葉少なになり、言いたい事も言えなくなってしまう男として描かれる。

 そんな男が天才・羽生善治と出会う事で、彼は東京行きを決意する。


 対する羽生善治は「持ってる」男である。

 端正で知的な顔立ち、実力は日本トップクラス、主要タイトル7冠を総なめにし、常に彼の一挙手一投足にメディアが注目、私生活では女優と結婚するなど、村山が欲しいものはすべて手に入れている男。だが、決してそれに溺れる事無く、愚直に将棋に打ち込む姿勢に誰もが感服する。名声も尊敬も名誉も。なにもかもを手に入れながら、決しておごらない。勝負で本気で指しあいながら、対局後はどんな対戦相手に常に敬意を払うその物腰は、まさに、将棋界に舞い降りたスーパーアイドルである。村山聖もまた、彼に魅せられ続ける。


 ガンが発覚し、それでも勝負が弱くなるからと周囲に隠しながら、病院からの診察呼び出しにも応じない村山聖の身体は次第にがんに蝕まれていく。それでも、村山が何故「強さ」にこだわり続けたのか。

 その理由は、やはり「羽生善治」なのである。


 村山聖が羽生善治に話しかける時の態度は異性に対するそれと同じである。まず強気の態度が取れない。そして目が合わせられない。

 たった一度、彼が羽生を呑みに誘うシーンがある。


 村山聖は趣味が「麻雀、酒、少女漫画」、羽生善治が「チェス」。そしてそれ以外にはとんと興味が無い2人の会話は途切れる。だが、将棋の話をしている時だけは、互いに魂が通じ合う。

 いよいよ膀胱ガンが進行し、「子供が作れなくなる」という理由でいやがっていた除去手術を受け入れることにしたのは、「生きる」ためである。村山は何のために「生きる」のか。

 この映画では「羽生と打つため」としている気がするのだ。


 サシ呑みしている席で羽生はこう言う。

 「対局中時折、どこまで潜っていくのか不安になる事がある。でも村山さんとなら・・・どこまでも深く潜れる気がする」と。

 その言葉に村山も同調する。

 どこまでも行ける。羽生さんとなら。そのためなら、生きられる。


 自分は長く生きられない。それゆえに将棋以外は不器用にしか生きられなかった男が、最後にたどり着くのはやはり将棋である。対局相手が羽生さんであるならば、どんな深いところへでも潜ることが出来る。行こう。ともに。

 「生きているのだから切るに忍びない」と伸ばし続けた髪とツメを切り、夜中に「パチリ、パチリ」と将棋盤に向かい合う。その音を聞きながら、母親(竹下景子)は泣き崩れる。村山の命は、まさに将棋のためだけにあった。


 この映画における村山の描写は、実話を叩き台にしながらも、おそらくフィクションある部分が多分に入っている映画では無いかと思う。けれども、物語を「村山聖」と「羽生善治」という、実生活では決して相容れないであろう2人が、盤上では誰よりも通じ合える関係であるというテーマを軸に、映画を描いてみせたのはなかなか面白い切り口であったように思う。

 まさに常人には見えない風景を求めて潜っていく者達の、愛の映画ではないか。見ていてそう思わされた映画でありました。(★★★★)



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2016年10月26日 私は「仕事」をしただけさ。「ハドソン川の奇跡」

toshi202016-10-26

[][]「ハドソン川の奇跡「ハドソン川の奇跡」を含むブックマーク 「ハドソン川の奇跡」のブックマークコメント

原題:Sully

監督:クリント・イーストウッド

脚本:トッド・コマーニキ



 「私は英雄ではない。」USエアウェイズ1549便の機長、チェスリー・"サリー"・サレンバーガー (トム・ハンクス)は何度も言う。


 映画の冒頭場面。大都会のビル群を縫うように飛ぶ旅客機。機長のサリーはエンジンが壊れた機体をなんとか空港までもたせようとしている。だが、奮闘もむなしく、旅客機は墜落を余儀なくされる。

 サリーは飛び起きる。「あの事故」から幾度となく見る夢だ。


 「なぜあの時、私はそうしたのだろう。」


 サリーは何度も何度も自問する。


 あの日。2009年1月15日。サリーは機長として「ハドソン川への不時着水」を強行した。離陸直後、鳥がエンジンに入って破壊する「バードストライク」それによって両翼のエンジンを破損する事故。なんの問題もないフライトになるはずが、前代未聞誰も経験したことのない状況に叩き込まれた。

 その不時着水によって、彼は166人の乗客を無事生還させ、彼は一躍メディアの寵児となった。だが、その彼の「行動」を問題視したのが、国家安全運輸委員会であった。彼らは言う。「もっと安全に乗客を生還させる道があった」と。

 残された機体のデータ。それによるコンピューターシミュレーションによって、左エンジンは生きており、空港に引き返すのがもっとも安全に乗客を返す方法だと結論づけられた。


 サリーは一職業人として問う。何度も自分に。なぜ。なぜ私はそうしなかったのだろうか。ハドソン川へ向かったのだろうか、と。


文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

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 人は何かをしたあとに、その行動の「理由」を考える。ミステリーにおける「動機」である。しかし、それは大抵、後付けの理由に過ぎない場合がある。

 「通りものにあたるようなもの。」京極夏彦の百鬼夜行シリーズでは犯罪の「動機」をそう説明する。そうしたいときに、そういう場面、そういう状況に触れてはじめて人は犯罪を犯すか犯さないかの岐路に立たされる。人は大抵は「目的」があって「犯罪」を犯すのではなく、「その状況」に立ってみて初めて「犯罪に手を染める/染めない」の選択を迫られるという考え方である。


 あの日。サリーは、機体をハドソン川へと向けた。そのせいで彼は、これまで築きあげてきたキャリアと、信頼と、財産をふいにするかもしれぬ危地に立っている。妻にも問われた。

 「なぜハドソン川へ向かってしまったの?」と。

 乗客の命を危険にさらしたことはまちがいない。失敗すれば確実に死んでいた。それよりも空港で着陸する方がリスクを冒さない最善の道だったはずだ。そんな事はわかっている。でもあの日。あの時。あの状況。どう思い返しても、それが最善の道だったとしか思えないのである。

 事故後のデータ、コンピューターによるシミュレーション、さらにはパイロット達によるシミュレーターでの事故再現。その全てが「空港に戻れた」と示している。だが、彼の元には残っている。あの日、果たしたサリーの「ハドソン川の不時着」こそ、「完全なる仕事」、「胸を張れる仕事」であるという実感が。


 クリント・イーストウッド監督は、実話である「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の機長の、事故後に起こった「疑惑」と、それに対峙する苦悩を軸に、このベテランパイロットがあの日行った「奇跡」はどうして起こったかを解きほぐしていく。

 毎日行うルーティーンに思える仕事。だが、機長も副機長も、優秀なる添乗員たちも、常に事故に対する備えや心構えをしながら日々をすごしている。「乗客を目的地まで届ける。」その「仕事」を為すために、あらゆる状況に対応するために、事故が起こればあらゆることを調べ、どう対策をすればそれが防げたか。それを考えてきた。

 この映画の「かたきやく」にも思える「国家安全運輸委員会」もまた、「その当たり前」の「仕事」をより安全に探り、事故に対して最善の方法を検証していくのである。

 だから、サリー機長は最後まで「国家安全運輸委員会」の指摘に真摯に向き合い続けるし、何度も自身の仕事は「最善」だったかを問うのである。


 そして、サリーは迷いの中でひとつの突破口を見つけ、「疑惑」を検証する公聴会へと望むのである。


 ボクは思う。「通り者に当たる」というのはなにも「犯罪」だけではないんじゃないかと。積み上げられてきた「仕事」、目に見えない「不断の努力」、「乗客を無事に送り届ける」という当たり前の「仕事」を為すためにあらゆる対策をもうけ、チェックしてきた、その「目に見えない仕事」が、想定では「あり得ない事態」に直面してきた時に、「奇跡的な判断」を起こさせるのではないかと。

 「奇跡」もまた「通り者」の仕業と言えるのでは無いか。奇跡を為すべき「人」が、その「状況」にいるからこそ、「奇跡」は起こりうる。


 ボクがこの映画を見て、涙が止まらなかったのは、イーストウッド監督が「仕事」というもの、「不断の努力」を必要とする仕事に携わる人々への、大いなる敬意と愛情を感じたからに他ならない。

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 2009年1月15日。あの日、あの時間、あの機体。そこに、経験と努力を怠らないベテラン機長、チェスリー・"サリー"・サレンバーガーがいて、そして彼が、彼自身の「仕事」をした事が、「奇跡」だったのだと。彼だけではない。想定外の事態に取り乱さず冷静に向き合った副機長ジェフ・スカイルズ 、冷静に乗客を誘導した添乗員、トラブルを起こさずに従った乗客達、いち早く救出に向かった救助隊、彼らがそろっていて初めて、「奇跡」はなしえたのだと。


 サリーは言う。「私は英雄ではない。仕事をしただけだ。」と。「最高の仕事」、「胸を張れる仕事」を。そんな彼が「そこにいた」ことこそが、奇跡なのだと解き明かす。クリント・イーストウッド監督の演出は、それを決して大仰には描かず、リアルに、そして真摯に演出する。またひとつ、イーストウッド監督は傑作をものにした。イーストウッド監督も、この映画で「偉大な仕事」を果たしたのである。超・大好き。(★★★★★)

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2016年10月14日 似せるは恥だが役に立つ。「カリオストロの城」ゴート札を考える。

toshi202016-10-14

[][][]「ルパン三世/カリオストロの城」ゴート札考 「ルパン三世/カリオストロの城」ゴート札考を含むブックマーク 「ルパン三世/カリオストロの城」ゴート札考のブックマークコメント





 金曜ロードショウで放映された「カリオストロの城」を見ていた。

 今や知らないものはない程に知られた名作であり、放映されているとつい見てしまう大人気アニメーション映画であるが、見ていて気になり始めたことがあった。ゴート札である。

 ルパン三世が国営カジノの金庫に忍び込み、逃げおおせたものの奪った札がことごとくゴート札という偽金であったことから、その大元の偽金の原版を奪おうとした事が物語の発端である。


 ゴート札は主要産業がないカリオストロ公国の、国を支える「経済活動」である。

 本編の中でルパン三世が説明するゴート札の概要とはこうである。

ルパン三世「かつて本物以上と讃えられた ゴート札の心臓部がここだ。 中世以来 ヨーロッパの動乱の陰に 必ず うごめいていた謎のニセ金。ブルボン王朝を破滅させ ナポレオンの資金源となり、1927年には世界恐慌の 引き金ともなった。歴史の裏舞台 ブラックホールの主役 ゴート札。」

 世界中に流通する精巧なる偽札。それによって得た利益によって、ロビー活動を行い、世界中の首脳とコネクションを持つカリオストロ伯爵。もともとシコシコと一枚一枚丁寧に作り上げてきたであろう偽札つくりを近代化と大量生産体制に切り替えるというやり手経営者である。彼は常にクオリティを自らチェックし、部下に的確な指示を出せる男であり、実務家としても有能である。


 ゴート札産業はすごいと思うのは、印刷に少しでも関わっていたらわかると思うけど、クオリティと大量生産のバランスである。銭形警部が国連で証言によれば、公国にあった地下工房は最新の印刷機であったそうだけど、相当な練熟した印刷職人がいなければなりたたない現場である。クオリティを下げずに大量生産するためには常に機械のメンテナンスは欠かせない。印面を汚さずに大量生産することだけでも相当に難しいが、エラーをださない大量生産することは、さらに難しい。その上、かつてのクオリティを維持しなければないのである。

 ルパンのような相当の目利きはともかくも、世界中に流通して決してバレないハイクオリティな偽札を印刷機に掛けて作り、なおかつ各国しのぎを削らせているであろう、偽札対策技術すらも越えて流通させるという、その離れ業は相当な熟練した印刷工たちの努力の結晶とも言える。

 正直な事を言えば、ルパン三世がちょっかい出さなければ、いやさ、カリオストロ伯爵がクラリス姫を嫁にもらおうとするロリコン伯爵でさえなかったら、彼らはいまも真っ当に(?)偽札づくりに励んでいたであろうことは間違いが無い。

プロジェクトX 挑戦者たち DVD-BOX I

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 偽札作りが犯罪でさえなかったら、NHKが「プロジェクトX」に取り上げたっていいくらいである。そして、クラリス姫のいた「大公」家は、そもそも、伯爵家が守ってきた「産業」の恩恵を最大限に受け取ってきた人々でもある。


 そもそもは細々とした技術であったろうゴート札づくり。その圧倒的クオリティは他の追随を許さないわけであり、つまるところを言えば、その技術力は他国にいるであろう偽札業者たちはおろか、実際に紙幣を作る国立印刷局すら越える技術力を誇ってきたのである。しかもそれを、近代化させ、印刷機で大量生産させるためには、相当な企業努力があったことでありましょう。彼らを支えているのは、「小国である我らの印刷技術は大国のそれを越える世界一!」という自負でありましょう。

 考えてみればゴート札はそういう努力の積み重ねに支えられているのである。たかだか原盤盗んだだけではとうていゴート札の深淵は理解出来ない。


 そこには印刷技術者たちの語るも涙の苦闘があったに違いないのである。


 ところがルパン一味はこともあろうに、伯爵を初めとする偽札印刷のプロフェッショナルたちが汗と涙で培ってきたであろう利益の恩恵を一身に受け、なにもしてこなかったであろう大公家の娘にたぶらかされて!この「産業」をぶっ壊してしまうわけであるよ! 

 なんということでしょう!


 彼らの無念は如何ばかりでありましょうか!時を越えて伝えられ、そして磨き上げられてきたその印刷技術。その長きに渡る苦闘を思う時、ボクは彼らを思って、涙してしまうのです。

 ルパン一味は彼らの技術に対する誇り!仕事に対する飽くなき熱意!そして、連綿と続いてきた伝統!それを完膚なきにつぶしていったのであります!なにが「気持ちいい連中」でありましょうか!


 ルパンはとんでもないものを盗んで行きました!印刷職人たちの職を!仕事を!誇りを!




 さて。

 経営者である伯爵が亡くなり、国連の査察が入ってからのち、彼らの生活はどうなっていくのでしょう。


 続編的立ち位置のゲームでは、生き残った腹心・ジョドーはそれでもゴート札作りを継承し、潰されたりしてるそうですが、それはルパンがやってきてきっちり潰していく末路をたどっています。


 職を失った職人達はおそらく国外に移り、偽札対策の技術協力などで生きていくのかも知れません。

 また、「カリオストロの城」のラストで観光資源を発見したことから、モデルとなったと言われるリヒテンシュタイン公国のように、切手印刷を生業にするものもいるかもしれません。


 偽札づくりは犯罪です。ですが、そこにあった技術者たちの苦闘は本物であったとボクは思っています。

 カリオストロ公国にはこういう格言が出来たかも知れません。


 「似せるは恥だが役に立つ」

 ということで、今回の戯れ言はお開きです。




恋 (初回限定盤)

恋 (初回限定盤)

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2016年10月07日 俺の名は。「ジェイソン・ボーン」

toshi202016-10-07

[][]「ジェイソン・ボーン「ジェイソン・ボーン」を含むブックマーク 「ジェイソン・ボーン」のブックマークコメント

原題;Jason Bourne

監督 ポール・グリーングラス

脚本 ポール・グリーングラス/クリストファー・ラウズ

原作 ・キャラクター創造:ロバート・ラドラム



 その男は生きていた。自らの罪にのたうちながら。

 そして、僕らは待っていた。少なくともボクは待っていた。彼の帰還を。


 待ちきれなくて、うっかり台湾に行ってしまうほどに。


 おマットさんのカムバック。「ボーン・アルティメイタム」以来、ポール・グリーングラス監督と主演のマット・デイモンが、2012年の外伝となる「ボーン・レガシー」を挟んで登板した、ナンバリングとしては第5作となる「ボーン」シリーズ最新作である。

 最初にシリーズが始まったのは「ボーン・アイデンティティ」である。ボクはこの第1作を劇場で見ているが、最初見た時はそこまで惹かれたわけではない。「記憶をなくした男」が実は「暗殺者」であった、という物語自体はそれほど目新しいものではないし、アクション描写もいま思えば古くさいものであった。

 第1作のボーンは、なんというかまだ自身の能力を使いこなしていたわけではなく、その能力を「無意識に」使っているという段階で、しかも物語は出会った女性・マリーと一緒に暮らしてハッピーエンドという、良くも悪くもオーソドックスな娯楽作というイメージであった。

 しかし第2作「ボーン・スプレマシー」。ここで物語と演出に革新が起こる。スピード感とリアリズム溢れるアクションと、ドキュメンタリータッチのカメラワーク、すべての行動に「意味」を持たせる明晰な頭脳戦と、それを支える緻密な編集。無駄のないボーンの動きは、まさに「早歩きの精密機械」(命名:俺)である。この演出が、アクション映画というジャンルに新たな潮流を産んだと言っても過言ではない。


 「ジェイソン・ボーン」という「名前」と新たなる「人生」を経た「元暗殺者」の青年は、次第に過去の所行を思い出しては眠れない日々を過ごすようになる。新たなる「生」を得ても「過去」は彼を苦しめ、そして、過去は彼の愛する人・マリーを奪っていく。

 彼は自身の過去と向き合うため、彼を生んだ「トレッドストーン計画」の全貌に迫っていく事になる。

 ここに至って「ジェイソン・ボーン」は「明確な意志」を宿した「CIAの精密機械」として動き出すことになる。


ボーン・アルティメイタム [Blu-ray]

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 そして「ボーン・アルティメイタム」でいよいよ物語は核心へと至る。

 真相を求めて世界中を飛び回るボーンがやがてたどり着くのは、本丸・CIA本部である。アルバート・ハーシュ博士に銃を突きつけ、真相を迫る。

 しかし、博士の口から漏れたのは、彼の「元の人格」である「デイビッド・ウェッブ」がこのトレッドストーン計画に進んで参加したという事実であった。


 この第2作と第3作の監督を担当したのがポール・グリーングラス監督である。この2作の評判と人気は飛躍的に高く、今回の再登板はまさにファン待望なのである。


 「スプレマシー」の話自体はものすごく地味だ。そして彼が、向かった場所は、かつて「妻が夫を殺した」ように見せかけてボーンが殺したロシア高官夫妻の娘のところであった。このシーンはボクが好きな場面である。



 「キミはご両親の死の真相について、知る必要がある。」「ボクが殺した。」


 この言葉は、奇しくも本作で「ジェイソン・ボーン」に向けられた言葉となっていく。

 「ボーン」シリーズの革新は、彼は記憶を取り戻してもアインデンティティはあくまでも「ジェイソン・ボーン」という「新たな人格」のままな事である。

 すべてを思い出したら「元の人格」に戻るという話はよくある。だが、彼はデイビッド・ウェッブという「名」を取り戻した後も、「ジェイソン・ボーン」という心のままで、「デイビッド・ウェッブ」の罪で苦しみ続けている。生きる事と罪と向き合い苦しむことが、ニアイコールで結ばれたまま、安穏とした平和な生活から遠く離れて、世界を放浪し続けるボーンである。

 そんな彼がギリシャで賭けボクシングをしているところから物語は始まる。


 元・CIA職員・ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)がCIA本部にハッキングを仕掛け、「トレッド・ストーン計画」に関するファイルを盗み出す。しかし、その場に居合わせたヘザー・リー(アリシア・ヴィキャンデル)は彼女の盗んだファイルに「追跡用」の仕掛けをつけ、上層部にニッキー追跡及び、彼女が関わっていた「ジェイソン・ボーン」の確保の任務の指揮役をさせて欲しいと訴える。


 ボーン初期3部作にすべて登場するニッキー・パーソンズは、記憶を失う以前のボーン(つまり、デイビッド・ウェッブ)と恋人関係であったことが、公式設定として明かされており、「アルティメイタム」ではそれを匂わせるセリフもある。本作ではヨリを戻した描写こそないものの、連絡を取り合う程度には付き合いがあることが明かされる。

 デモによる暴動が起こっている最中のアテネで再会したニッキーとボーン。彼女の口から告げられたのは、CIAの分析官であったボーンの父親が実はトレッドストーン計画に深く関わっていたというものだった。

 やがて二人にCIAの追跡の手が伸びてくる。隠遁していたボーンが、再び「真実」を求めて動き出す。


 本作でもう1人。能動的に動く存在が、ヘザー・リーである。ハッキング事件の捜査でジェイソン・ボーンを追ううちに、野心的な彼女は今後のキャリアのために、ジェイソン・ボーンを再びCIAに引き戻せないかと考え始める。

 CIAの悪しき過去を暴いた存在としてボーンを消したいCIA長官・ロバート・デューイ(トミー・リー・ジョーンズ)と一線を引き、ヘザー・リーは次第にボーンに協力をしていくようになる。


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 面白いのは、逃げ続けていたボーンは世界情勢やアップデートされ続けるガジェットへの対応が出来ていない。かつて「早歩きの精密機械」と呼ばれた(いや、勝手に呼んでるの俺だけど)、ボーンはアップデートされてないOSを積んだ古いコンピューターのようなものである。だから今回のボーンはアクション自体はちょっと「雑」だ。そこを埋めるのが彼を利用しようとするヘザー・リーという事である。この辺は2人の「初コンタクト」のシーンに象徴される。フィーチャーフォンとスマートフォン。新旧の頭脳が出会い、利害だけでつながるというドライさが、このコンビの新しさだ。

 この辺のリアリズムのさじ加減は見事である。



 本作の難しいところは、「デイビッド・ウェッブ」という過去の人生を持ちながら、あらたな「ジェイソン・ボーン」という人格と人生を得た男が、長い年月を経て「デイビッド・ウェッブ」の人格に引っ張られているということである。ある種の分裂である。そして、過去の人生に再び追いつかれる。

 「ジェイソン・ボーン」と「デイビッド・ウェッブ」。本作で彼らの境はいよいよ曖昧になっていく。本作は「デイビッド・ウェッブ」としての「落とし前」の話になっていく。

 そこにヘザー・リーとデューイ長官の、CIAの世代間対立、そしてCIAの「計画」の落とし子である工作員と元工作員の過去の因縁が絡む。前作のようなシンプルに過去を追う物語にはならないところが、難しいところである。


 ボーンを再びCIAに引き戻し、利用しようするCIA側は「ジェイソン・ボーン」の中にある「デイビッド・ウェッブ」の価値観に問いかける。再び、戻らないか?と。あなたは「愛国者」だっただろう?と。それは、ハーシュ博士の「見立て」た「彼」への問いかけである。

 それに対して「考えておく」とだけ言い残して、ボーンは去る。


 だが、彼はある行動で意志を示す。

 俺の名は「ジェイソン・ボーン」。だが「デイビッド・ウェッブ」の影ではないと。過去に追いかけられ続ける人生。しかし、それでも俺は新たな人生を生きていく。それでも、過去が切り離せないなら、いっそ相対して生きていく。力強い歩みは覚悟を孕んでいる。

 「スプレマシー」「アルティメイタム」ほどの傑作とは言いがたいが、ジェイソン・ボーンの「復帰戦」、新たなる新章としては、まずは重畳の滑り出しである。大好き。(★★★★)



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2016年08月30日 Now You Lose Me,Now You don’t「君の名は。」

toshi202016-08-30

[][][]「君の名は。「君の名は。」を含むブックマーク 「君の名は。」のブックマークコメント

監督・脚本:新海誠





 外連、という言葉がある。


 元来人形浄瑠璃の世界で、「定法」に寄らず奇をてらったり、俗受けを狙うという意味であまりいい意味では使われない。いわゆる「はったり」だ。

 はったりというのはあまりいい意味には使われないが、ことフィクションの世界ではそうではない。現実的でない物語を語るときにどうしても必要になる。つまりはったりを利かせつつ、読者や観客の気を引きながら語る話法を俗に「外連味がある」などと言ったりする。これをカラダになじませてしまえば、それは立派な作家性にすらなりうるのである。


 さて。それをふまえて。

 

 新海誠監督最新作である。

 まずは驚いた。面白かった。


 感想を一言で言えば、まるで拙い綱渡りをみているような映画である。

転校生 [DVD]

転校生 [DVD]

 物語は「転校生」の系譜に連なる「入れ替わり」ものであるが、新規性は「距離」である。東京と飛騨。舞台はこの二つであり、この「入れ替わり」が始まったとき、二人に「接点」はない。はずであった。少なくとも二人とも互いを互いに認識できない。

 飛騨の田舎町に住む女子高生の宮水三葉は、町では「べっぴんさん」で通っている。だが、父が町長を勤めていることで悪目立ちをさせられている状況があり、代々家の女性が担う巫女の口噛み酒の儀式では同級生からドン引かれるなど、町から早く出たいという思いが強い。「東京に行きたい」という願いが叶ったか、叶わぬか。東京の男子高校生、立花 瀧とたびたび「人格の入れ替わり」が起こり、互いに手探りの生活を強いられることになる。

 入れ替わった「相手」が自身の生活に与える影響の大きさに懲りた2人は、互いにルールを決めて、お互いが不自然にならず要らぬ影響を与えないように、スマホのメモなどを駆使して「筆談」形式でやり取りを始めるのだが、互いに影響を与えまくり、受けまくる日々が続く。だが、ある日、ぷつりと入れ替わりが途切れる。

 瀧は日に日に気になって、記憶をたよりに三葉の住む町を目指すが、その先で瀧は思わぬ事実にぶつかることになる。



秒速5センチメートル

秒速5センチメートル

恋愛記憶のすすめ「秒速5センチメートル」 - 虚馬ダイアリー


 自分はなんだかんだ、新海作品は大体劇場で見ているのですけど、「秒速」の頃までの新海誠は「女性」に対する「願望の押し付け」感というか、「こんな俺を好きでいてくれて、俺が好きなのは別の女性で、それを知りつつ告白しないでいてくれて」みたいな女性を恥ずかしげもなく出すというところがあって、「うほほほう!」と叫びだしそうな「痛々しい自意識」の「観客」との共有こそが作家性みたいなところがあったんだけど、その辺の感覚を克服できた作品が「言の葉の庭」だと思うんですね。

ここからは彼は「女性側」にもコンプレックスや秘密が当たり前のようにあって、そこから抜け出したいと思いながら苦しんでいるという、至極真っ当な描写をする。つまりここでようやく書き割りでない「他者」を描けるようになった。

コミュニティを抜け出したいと願うばかりで、そのコミュニティに生きる人を描く事を怠ってきた彼が、社会に根付いた他者の「物語」を描く喜びを爆発させたのが本作ではないか、という気がするのである。三葉が抜け出したいコミュニティーの美しさも汚さも描けるようになった懐の深さは、かつての彼には持ち得なかったものだ。



で。物語は中盤からある「大仕掛け」へと移行する。

入れ替わりは何故起こったか。そして、起こった先に2人が見る風景とは。そして2人が成していく「何か」を描いていくのである。


ここの大仕掛けの部分が賛否分かれるところではあるだろうと思う。新海監督に足りないのは「SF的整合性」を斟酌しない点だ。何故入れ替わりが起こったのかを説明する描写はあるものの、じゃあそもそもその「記憶」はどこから「来た」のだ?という因果律的におかしい場面が出てくるし、スマホの構造やセキュリティ的にも「メチャクチャするな、おい」っていう場面は頻繁に出てくる。ツッコミ入れ始めたらキリがない。整合性の部分だけ見たら、SFというよりファンタジーに近い。

だが。新海監督は「彼女は彼が好き」「彼は彼女が好き」という「思い」だけを頼りに文字通り押し通って行く。「こういう展開が描きたい!」「こういう絵を見せたい!」という気持ちを最優先に、ツッコミどころを「ハッタリ」で誤魔化しながら「それでいいんじゃい!そういうもんなんじゃい!」と一点突破。この「外連」ぶりがなかなかなのである。意外だが、その点に関しては新海監督は非常に腹が据わっている。だから物語と演出に勢いがある。思い切りの良さだけを頼りにグイグイ観客を引っ張って行くのである。

振り落とされるか、踏みとどまるか。そこは人それぞれなのだと思う。



さて。

 「君の名は。」が公開されたすぐ後に「グランド・イリュージョン」の続編が公開された。その続編の感想はまたの機会として。僕はこの「グランド・イリュージョン」の第1作目は、その年のベストに入れるくらい好きなのだが、その理由はやはり「んな無茶な」っていう「オチ」に向かって「外連」の一点突破で物語をグイグイ押し通すところなのである。そういう意味では実は「君の名は。」は非常に僕好みの映画なのかもしれぬ。

その「グランド・イリュージョン」の原題は「NOW YOU SEE ME」という。「見えますね見えますね」というマジシャン用語からの引用で、その後に「NOW YOU DON'T(ほら消えた)」と続く。


この映画はその逆を行く。「失ったように見える。けれどそうじゃないよ。」という「絶望の中の希望」を描こうとする。

「消えたね?消えたね?ほら現れた。」

名は消えても君の「存在」は覚えている。新海印の演出やモチーフを取り入れながらも「他者と自分」ではなく、「他者と他者」が出会う物語を生み出してやる!というストーリーテラーとして勝負した新海監督の新境地への綱渡りは、ツッコミどころで振り落とされなければ確実に楽しめる事請け合いである。ここ一番の大作で自分の描きたいものに忠実になれるその作家的自我の強さ。それが良い目に出た。結果は重畳である。大好き。(★★★★☆)

 

 

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2016年08月16日 最高のエンターテイメントは革命だ!「ONE PIECE FILM GOLD」

toshi202016-08-16

[][][]「ONE PIECE FILM GOLD「ONE PIECE FILM GOLD」を含むブックマーク 「ONE PIECE FILM GOLD」のブックマークコメント

監督:宮元宏彰

原作・総合プロデューサー:尾田栄一郎

脚本:黒岩勉




 「逆転裁判」というゲームがある。最近アニメ化もされ、知名度も格段に上がったので知らない人は大分少なくなったように思う。


 改めて説明すると、「逆転裁判」というゲームは新人弁護士・成歩堂龍一が、裁判で何度も逆境を経験しながらそれをはねのけて、依頼人の無実を晴らしていくというゲームである。

 ボクはGBA版から連綿とシリーズ、及びスピンオフを遊んできた生粋のシリーズファンで、今年発売された最新作「逆転裁判6」も当然速攻で購入しプレイ、クリアしている。


 「逆転裁判」というのは、実は時間軸が「実際の日本」とは微妙に異なる世界にある。これはリアルな司法制度の世界では、簡単には「無実の依頼人」というのが現れないため、「無実の罪で逮捕され有罪にされる可能性」を高める世界観になっているのである。

 それがこの世界にある「オリジナル司法制度」、「序審法廷制度」という。内容を一言で言うと「犯罪者多くってさっさと裁判を片付けないと裁判が終わらないから、3日で判決を出して円滑に裁判回していこうぜ!」という制度である。


 この「時間の区切り」が「警察の誤認逮捕」「検察のひとり勝ちしやすさ」「無実の人間を精査する時間のなさ」を生み出しつつ、主人公が「無実の依頼人」と出会う確率を上げて「ゲーム中の裁判がスピーディーに展開する」というゲームの面白さに寄与するという、一石二鳥のアイデアだったのである。

 だから弁護士は常に逆境に置かれ、一方検事の方は「25年間無敗」とか言う、よく考えたらメチャクチャな存在がいたりするのである。


 つまり、「逆転裁判」シリーズとは、痛快無比の裁判ゲームでありながら、同時に「序審法廷制度」という存在をキーにした「ディストピアゲーム」でもあるのだ。


 そしてこの「序審法廷システム」で戦い続けるいわゆる「成歩堂龍一三部作」と言われる「1」「2」「3」はファンの中でも「歴史に残る傑作」として記憶されている。

 だが、この「序審法廷システム」をどう破壊していくか、というテーマに立たされたのが、新主人公、王泥喜法介が登場して以降の「4」「5」「6」の新三部作ということになる。

 とくに「4」以降の迷走は「ディストピア設定」を壊していくことが求められたが故の苦闘の後がにじみ出ていると言ってもよく、再登場した成歩堂龍一が無駄に存在感がありすぎるため、主人公禅譲がスムーズに行かない事も手伝って相当に苦闘することになる。

 つまり「ディストピア」であることが「ゲームの説得力」と不可分だったシリーズが、それを変えようとする物語が付随する難しさと煮え切らなさがどうしてもつきまとうわけである。


 しかし。最新作「逆転裁判6」ではその「ディストピア性」がより深くなって大復活することになる。

 そこにあるのは逆転の発想である。「日本がディストピアでなくなったのなら、架空の外国になるほどくんを行かせ、そこを弁護士にとってのディストピアにしちゃえばいいじゃない!」ということである

 成歩堂龍一が行った国は「クライン王国」。「成歩堂龍一3部作」でパートナーを務めた霊媒師・綾里真宵が行う、倉院流霊媒術発祥の国でありながら、「裁判において弁護に立った者は死刑」という、「弁護罪」なる罪が法制化されてしまった国なのである。

 そんな国で「弁護士」として弁護に立つことになってしまった成歩堂龍一の物語!ということになる。


 ディストピアだからこそ「逆転」はより快感となるということである。そして、成歩堂くんたちは「ディストピア」である「国家」で最高の逆転を引き起こすことになる。





 さて、前振りが長くなりました。「ONE PIECE FILM GOLD」である。超人気漫画「ONE PIECE」劇場版としては13作目であり、原作者・尾田栄一郎が総合プロデュースする「ONE PIECE FILM」シリーズの3作目。



 この物語の舞台は、国家として認められたギャンブルとエンターテイメント施設を満載した巨大船「グラン・テゾーロ」。そこを支配しているのはギルド・テゾーロ(山路和弘)という男。カジノ王と呼ばれ、全世界の20%もの金を所有し、世界政府すら金の力で意のままにする事ができるほどの財力を持ちながら、同時に毎晩「グラン・テゾーロ」で舞台に立つ人気エンターテイナーとしての顔も持つ。そして「悪魔の実」の「ゴルゴルの実」の能力者でもある。

 そんな船に乗り込み、ギャンブルと娯楽を堪能していたモンキー・D・ルフィ率いる「麦わらの一味」一行は、ギルド・テゾーロに見込まれ、破格のギャンブルを仕掛けられることになる。


 舞台となるのが「ギャンブル」と「エンターテイメント」という「きらびやかな光」の側面を映画序盤でたっぷり見せつつ、実はそんな「国家」にも「まばゆい光」ゆえの「深い闇」が存在することがわかってくる。

 ギャンブルに負けた者達は全員、テゾーロの奴隷となり、船を出る事はかなわない。人間扱いすらされない。そこで育った少年達は「反抗したって無駄なんだ」と諦観を漂わせてさえいる。

 そんな「グラン・テゾーロ」で仲間の剣士であるゾロを捕らえられたルフィー達は、彼らを取り戻し、テゾーロ一味に支配されたこの「国」をひっくり返すために、この国に眠る「宝」を奪うために潜入していたナミの旧友で女泥棒のカリーナ(満島ひかり)とともに、反攻作戦を実行に移すのであった。


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 大富豪であり、国家の主であり、エンターティナーでもあるギルド・テゾーロの口癖は「エンターテイメント」である。彼は「反攻」する人間を泳がせながら、その反攻作戦を公の場で屈服させる様を娯楽として観衆に供する、という趣味がある。これは「反攻しても無駄である」というメッセージを「被支配層」に叩きつける意味合いもある。


 だが、その公開された「反攻」がもしも成功してしまったならば。エンターテイメントは「反攻」の方となる。



 つまり、「革命」だ。





 世間から飛び出し、世界をかき回す「愚連隊」が、ふらっとやって来た「国」のかたちをまるごとぶっつぶす。時代劇から「カリオストロの城」から何から、最高の「娯楽」とはいつだって「ディストピアをぶっつぶす革命」だった!


 「ONE PIECE FILM GOLD」はそんな本来あるべき「娯楽の快楽」に忠実な映画である。悪辣な王にも哀しい過去はある。だが、テゾーロはそんな過去を振り払い、「金に執着し、支配欲にどこまでも忠実な、悪の権化」に墜ちてしまっている。この映画において、テゾーロはどこまでも最強で、そして悪辣な存在として君臨し続ける。

 ルフィはそいつをぶっ倒すまでひたすら能力のすべてを王にぶつけるのである。


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 ルフィの背中はやがて、疲れ切った大人達を、諦めに満ちた子供たちを高らかに鼓舞し、やがて「グラン・テゾーロ」という「国」は崩壊へと向かう。


 暗闇の中で、それでも拳を挙げねばならない。反攻こそ、革命こそが最高のエンターテイメントだ!そう高らかに歌い上げるアニメーション映画が、この超人気シリーズの最新作である事は大変に痛快だと俺は思う。

 シリーズ屈指のエンターテイメント快作である。大好き。(★★★★☆)

[][]「逆転裁判6」 「逆転裁判6」を含むブックマーク 「逆転裁判6」のブックマークコメント


逆転裁判6 - 3DS

逆転裁判6 - 3DS


 「4」「5」と続く「新・三部作」の最終章としても見事でアリ、ディストピアゲームの本懐に返り、そしてシリーズ屈指の逆転を叩きつける快作です。プレイ時間は長めですが、面白いので、お暇なら是非。

 

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2016年08月15日 光よりも熱く闇よりも恐いもの。「ジャングル・ブック」

toshi202016-08-15

[][]「ジャングル・ブック「ジャングル・ブック」を含むブックマーク 「ジャングル・ブック」のブックマークコメント

原題:The Jungle Book

監督:ジョン・ファヴロー

脚本:ジャスティン・マークス

原作:ラドヤード・キップリング


 本当の闇をあなたは知っていますか。まわりに一切の光がなく、夜目は一切利かず、ただ、漆黒がある。

 文明に生きているとつい忘れがちになるもの。ボクはかつて体験した暗闇は河原でのものだった。一切の電灯がなく、空の星の光は届かず、かすかに遠く光が見えるだけであとは、闇が自分の全身を包み込んでいる。

 そうなると人はぞっとするわけである。一気に五感がうめきをあげる。なにもない闇の中で、自分にとっての救いは遠くに見える「明かり」だけである。人間にとってはまさに、光無き世界は恐怖でしかない。

 なぜそんな事を思い出したかと言えば、本作を見たからである。


 で、その「ジャングル・ブック」。見事である。


 基本的に言うなれば、アニメーションの実写化というものがここまで来たのかという思いを抑えきれずにいる。というよりも俳優だけで、撮影はブルーバック。動物も背景もすべてCGというのが、この映画の宣伝文句でもあって、その字面だけ追うと映画ファンからは反発の声が出てくるのもむべなるかなと思うところである。

 だが。実際見てみて、その映像のすさまじさに吹っ飛ばされた。ここまでやれるのか!という驚きである。一言で言えば、現時点でもっとも芸術的に完成されたCG映像と言って過言ではない。


 「アイアンマン」のジョン・ファブローの演出手腕をもってすれば、ここまでの事が出来るという証左であろう。

 つまりである。作り手の演出のコントロールさえ完璧であるならば。背景がCGだろうが実写だろうが関係ないという事を、この映画は証明してもいる。森の木々の一つ一つが美しく、荒々しい水の流れ、大自然にさらされた山肌、そして、リアルで美しい動物たちの躍動。

 自然の圧倒的なダイナミズムを遺憾なく表現しきった背景映像の迫力は、まさに芸術の域で思わず息を呑む。さらにキャラクターも素晴らしい。とくに大蛇のカーがモーグリ少年を取り込もうとする演出は見事と言っていい。


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 そしてなによりも驚くべきは「光と闇」のコントラストである。これがすごい。昼間の森は暖かな光に包まれた柔らかさを醸し出しているが、一転、夜になればそこは漆黒の闇へと変わる。人間というのはそれが怖いから、闇を払う「火」を生み出した。この映画ではそれを「赤い花」と呼んでいる。


 だが、この世界では「赤い花」こそが「恐怖」と「力」の象徴として語られる。


 この映画はウォルト・ディズニーの遺作として知られるアニメーション映画を叩き台にしてはいる。だが、この映画がさらに一歩踏み込んで見せたのは、光と闇の演出により、狼に育てられた少年・モーグリから見た世界は「光があれば闇がある」という世界こそが「当たり前」の世界ということである。文明から離れ、夜は闇が降りる世界。そこで生きてきた少年にとっては人間文明の「明かり」の方が実は「恐怖」の対象と映る。

 その明かりのもとで話す人間達に異様なものに見えつつも、彼は「赤い花」を手に、育ててくれた狼を殺した虎への復讐に走り出す。


 光と闇。そして火。我々が忘れている感覚を呼び覚まし、五感を震わせる映像美と硬軟織り交ぜたエンターテイメントの粋を集めつつ、大自然への敬意を忘れない物語へと昇華した、ジョン・ファブローの見事な職人監督ぶりを再確認する逸品である。老若男女を問わない間口の広さを持ちつつ、頭からしっぽまで身がたっぷり詰まった極上娯楽映画である。大好き。(★★★★☆)


追記。

あと、個人的には吹き替え版より字幕版をオススメする。日本語吹き替えキャストが悪いとは言わないが、オリジナルキャストが素晴らしすぎる。

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2016年08月07日 深く高らかに潜航せよ「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」

toshi202016-08-07

[][]「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」 「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」を含むブックマーク 「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」のブックマークコメント

原題:Trumbo

監督:ジェイ・ローチ

原作:ブルース・クック

脚本:ジョン・マクナマラ



 かつて20世紀には「冷戦」と言われる戦争が存在した時代がある。

 世界が二つに割れるという、そこを境に思想も経済も人も分断されていた時代があった。


 1945年に第2次世界大戦が終結した後、世界は「資本主義」を基盤とする国と「共産主義」を基盤とする国に色分けされた。おおざっぱに言えばそういうことになる。

 分断された「向こう側」の思想を持つと言うことを「敵性」とみなし、アメリカ、西側諸国、さらには日本も例外では無く、「共産主義」を「是」とする人々を糾弾、排斥する動きが出てきたのである。

 共産主義はアメリカでは1930年代に若者の間で広く受け入れられ、その理想に共鳴する人々は多かった。その時期に共産党に入党したり、その思想に深く傾倒した人々は、「敵性」思想を持つ人物としてリストアップされ、監視と弾劾と、そして事実上の追放の憂き目に遭ってしまったのである。


 それは映画業界も例外では無かった。この映画は、そんな時代の物語である。


 さて。この映画のタイトルは「トランボ」である。


 トランボ。・・・トランボ?トランボって何かね。

 わたしが最初にこの名前を聞いて最初に頭に鳴り響いたのはこの音楽。




D

 そりゃ「真犯人に最も嫌われた男」。


 てなわけで。この映画の主人公の名前は「ダルトン・トランボ」という。

 この「トランボ」なる人物が何者なのか。


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 このひげのおっさんが実際のトランボ氏である。


 まず彼の基本的なプロフィールをさらってみる。彼は1905年の生まれである。

 南カリフォルニア大学卒業後に、雑誌編集者を経て脚本家に転身。1940年に書いた「恋愛手帖」がアカデミー賞脚色賞を受賞し、一躍トップ脚本家としての地盤を築く。戦争映画「東京上空三十秒」脚本や「緑のそよ風」の脚色を手がける一方、のちに自身の脚色で映画化される「ジョニーは戦場へ行った(ジョニーは銃をとった)」などの小説も書くなど多彩な才能で知られるようになる。

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 だが、前述の通り、第2次大戦後、ハリウッドでも「赤狩り」の炎がかけめぐり、その疑惑の10人、いわゆる「ハリウッド・テン」の中にダルトン・トランボの名前があった。事実、彼はアメリカ共産党員であり、そして共産主義の闘いに自らの稼ぎを惜しみなく使ってもいた。彼は法廷に呼び出され、法廷侮辱罪で収監された後、事実上ハリウッドから追放。仕事はなくなり、メキシコに移り住む。

 だが、彼はそれでも脚本家であることをやめなかった。彼は偽名を使い、その才能を安く買いたたかれつつも、B級作品をいくつも手がける事で食いつなぎながら、自分が本当に描きたい物語が描ける機会を待った。

 そして、彼が「偽名」で描いた「ある脚本」がアカデミー賞を受賞してしまう!そのタイトルとは?


 これは是非、頭に何も入れずに映画に臨んだ方が面白いので、実際映画を見てから知ってもらう方が良い。


 見終わった私の感想はこれである。

D


 すごい男がいたもんだ。いや本当にそれだけである。逆境にも負けぬ、強き意志。類い希なる才能。抜け目ない才覚。その強さゆえに、失意のうちに死んでいく「同志」たちの血をかぶってもいる。

 伝説的な実在のハリウッドの大スターや映画監督、脚本家、製作者たちも登場人物として多数登場し、彼の敵となり、または味方となる。

 才能があっても才覚がなければ生き残れない、ハリウッドという残酷な世界で、彼は抜け目なく立ち回り、そして彼が最後に見せるのは、時代が彼に微笑み、そして勝利へと至るその姿である。世界に裏切られ、世間からつまはじきに遭い、逆境に追い込まれた男が、やがて時代の波を味方につけるまでの、長き雌伏の時。この映画はその、長きに渡る苦難の時代にスポットを当てて映画化している。

 そしてラストに待っているのは、時代を味方につけた男の大逆転!巨大なカタルシスのクライマックスである。


 思想弾圧は「人」を、「才能」を殺せる。これは言わばトランボにとって長きに渡る「戦争」であった。彼に遺されたのは「タイプライター」と「才能」と「家族」だけ。それを恃みに彼は世界と渡り合うのである。ただただ平伏するしかないその生き様。まさに「映画」になるにふさわしい「波瀾万丈なる人生航路」である。傑作。大好き。(★★★★★)


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2016年08月05日 マツコの知らない「マツコプレイリスト」の世界

toshi202016-08-05

[][][]マツコの知らない「マツコプレイリスト」の世界 マツコの知らない「マツコプレイリスト」の世界を含むブックマーク マツコの知らない「マツコプレイリスト」の世界のブックマークコメント



 テレビは好きで見ているが、最近バラエティは年々見る本数を減らしているジャンルである。HDDレコーダーの出現は「好きな番組だけを見られる」という、視聴者の固定化を招いているとも言え、わざわざ新しいバラエティを探すという「熱量」はもはやないわけです。

 その中で、唯一タレントとして信を置いて出ている番組を欠かさず見ているのは「マツコ・デラックス」だけ。インパクトのある体格、その見た目に違わぬ鋭い舌鋒、その中に裏打ちされる知性の輝き、そしてどんなプロアマ問わず、どんな相手とも絶妙に絡むその人柄。まさに、見ていて「気持ちのいい」バラエティタレントの代表格と言っていいでしょう。


 そんな、「マツコ・デラックス」の番組を好んで追ってきた私が気づいた「説」がこちら!(なぜ「水曜日のダウンタウン」風)


「マツコ・デラックスの出ている番組で使われた音楽を集めたらおしゃれなプレイリストが完成する」説







 というわけで検証してみましょう。





「ホンマでっかTV」(フジテレビ系列)

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 まずはメジャーなところから。


 まずは長くレギュラー出演している「ホンマでっかTV」。ここで使われている曲はアニメファンなら言わずと知れたアニメ史に燦然と輝く傑作SFアニメーション「カウボーイビバップ」のオープニング「TANK!」。


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作曲・菅野よう子さん。演奏を国内外のアーティストが多数参加した「THE SEATBELTS」が担当している傑作オシャレオープニング曲ですね。

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (通常版)

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 では次。





「5時に夢中」(東京MX)

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 こちらのオープニングも有名。ジャクソン5の「 I Want You Back (帰ってほしいの)」。

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 リード・ボーカルを務めたマイケル・ジャクソン、当時まだ10歳。Pitchfork Mediaの「偉大な1960年代の曲ベスト200」では堂々の2位。グラミー賞殿堂入りも果たした名曲でございます。





「マツコ会議」(日本テレビ系列)

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 ここからは冠番組が続きます。番組リポーターが送ってくる潜入放送を会議室でやりとりしながら、番組で作るVTRの方向を番組内で決めていく番組「マツコ会議」。そのオープニングで流れるのはフランク・シナトラ「Strangers in the Night(夜のストレンジャー)」。

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 こちらもビルボードホットチャート1位を皮切りに、爆発的ヒットを記録。この曲名を冠したシナトラのアルバムは、彼の音楽人生で最も売り上げたアルバムとなったのです。





「マツコとマツコ」(日本テレビ系列)

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 「マツコ会議」の前番組と言えば、ロボット研究の第一人者・石黒浩教授が作り上げたマツコロイドと、マツコ本人が共演し、数々の実験を行う、傑作バラエティー番組「マツコとマツコ」。

 そのオープニングは毎回マツコとマツコロイド、石黒教授が登場する短いアニメーションで大変見応えがあったのですが、そこで懸かっていたのはこちら。


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 オランダの女性ジャズ歌手・カロ・エメラルドの「Coming back as a man」。

 カロ・エメラルドさんは1981年生まれ。

 デビューするやいなや、アルバム「Deleted Scenes from the Cutting Room Floor」が30週連続1位を獲得するという、オランダでは怪物級人気を博す。その甘い歌声、英語歌詞を基調とした聞きやすく、キャッチーな歌詞とメロディで一世を風靡。1950年代の社交ジャズの世界を現代風にアレンジし、ノスタルジックな世界を醸し出している。とのこと。






「マツコの部屋」(フジテレビ系列)

 かつて深夜に放送されていた低予算深夜番組。ディレクターが撮ってきたVTRをみてマツコがコメントするという、構成の番組。そこでかかっていた曲がこちら。

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 ポーラ・ネグリが歌う「Ich spür in mir」。1935年のドイツ映画「マヅルカ」の主題歌。「傷だらけの天使」で主役ふたりが雇われている「綾部情報社」の社長・綾部貴子(岸田今日子)の部屋の蓄音機からこの曲が常に流れていたイメージを持ち込んだと思われます。






「マツコ&有吉の怒り新党」(テレビ朝日系列)

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 有吉弘行と夏目三久アナウンサー熱愛報道「新・三大」などの名物企画でもおなじみ、みんな大好き「怒り新党」。夏目アナが「卒業」した今もこの時間帯の看板番組として君臨する人気番組。そのオープニングで流れているのはこちら。


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 ザ・ゴー!チームの「T.O.R.N.A.D.O.」。

 ザ・ゴー!チームはイギリスのロック/ヒップホップバンドで、メンバーは日本人を含む男女6人構成。だったが、現在は日本人男性は脱退し、日本人女性は産休中で、日本人以外の6人編成になっているとのこと。バンド名の由来は「災害の原因を究明・調査する人々(The go Team)」から。






「月曜から夜ふかし」(日本テレビ系列)

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 さて、ここからひとつの番組で複数の曲がはいります。

 日本テレビ月曜深夜、若者を中心に絶大な人気を誇っている「月曜から夜ふかし」。複数のカードから一つの話題を選択して、そのVTRを見ていく構成の番組。プロアマ問わず、様々なキャラクターを次々と発掘して、ブレイクさせているお化け番組である。


 まずオープニングで流れるのが、映画ファンなら知らぬ者はない大作曲家エンリオ・モリコーネ御大の楽曲。

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 日本未公開のルチアーノ・サルチェ監督による1965年の映画「スラローム」のサウンドトラックから。



 エピソード紹介の時に鳴る音楽は。

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 大友克洋監督「AKIRA」のサウンドトラックの「TESUO II」から頂いている。


AKIRA 〈Blu-ray〉

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 そして「マツコにたべさせたい件」で流れる曲。

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 フランスの4人組女性カルテットLes Parisiennesが歌う、その名も「Les Parisiennes」。フランス語で「パリジャン」という意味ね。





マツコの知らない世界(TBS系列)

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 そして最後に。プロの芸人が得意分野を紹介するのではなく、その道の第一人者の素人(プロもたまに来るけど)から、彼ら自身のプレゼンによって、その知られざる世界を知っていこうという画期的な番組。今や、「アメトーーク」の牙城を崩し、「ジャンル紹介番組」の新たな道を開拓したと言っても過言ではない、マツコ・デラックスのタレント性だからこそ生まれた番組。それが「マツコの知らない世界」である。


 オープニングで流れるのはこちら。

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 1960年代から70年代にかけて活躍した女性シンガー・リンダ・スコットの「I've Told Every Little Star(星に語れば)」。ちなみにこれが彼女のデビュー曲。映画「マルホランド・ドライブ」でも使われたりしている。



 オープニングのダイジェストで使われる曲。

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 Klischeeの「Entrée」。Klischeeはスイス発のジャズバンド。古き良きスウィング・ジャズと現代のエレクトロ・サウンドを融合し、新感覚の踊れるジャズを作り出すのが特徴。とのこと。



 お次に番組途中の番組ダイジェストで流れる曲。

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MISS KOOKIEの「Puttin' On The Ritz」。曲は1930年代の同名映画がオリジナルで、「踊るリッツの夜」として知られていたものをフレッド・アステアミュージカル映画「ブルースカイ」で歌い、メジャー化。それをさらにダンサブルにアレンジした本作である。80年以上の時を経てなお愛される名曲である。


ブルー・スカイ [DVD]

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以上あらためて曲目をまとめます。







「マツコプレイリスト」曲目

・THE SEATBELTS「Tank!」

・ジャクソン5「 I Want You Back (帰ってほしいの)」

・フランク・シナトラ「Strangers in the Night(夜のストレンジャー)」

・カロ・エメラルド「Coming back as a man」

・ポーラ・ネグリ「Ich spür in mir」

・ザ・ゴー!チーム「T.O.R.N.A.D.O.」。

・エンリオ・モリコーネ「Slalom」

・「AKIRA」サウンドトラックより「TETSUO II」

・Les Parisiennes「Les Parisiennes」

・リンダ・スコット「I've Told Every Little Star(星に語れば)」

・Klischee「Entrée」

・MISS KOOKIE「Puttin' On The Ritz」


 これらの楽曲をあつめてプレイリストにすれば、あら不思議!おしゃれな「マツコプレイリスト」の完成です!


 どうですか!マツコさん!







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 すみませんでした。

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