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2017年05月18日 俺を救え!「トンネル/闇に鎖された男」

toshi202017-05-18

[][]「トンネル/闇に鎖された男」 「トンネル/闇に鎖された男」を含むブックマーク 「トンネル/闇に鎖された男」のブックマークコメント

原題:터널/Tunnel

監督・ 脚本:キム・ソンフン


「さあ救え・・・!(中略)救うんだ・・・!ゴミども・・・!」

福本伸行「カイジ」より)

賭博黙示録 カイジ 5

賭博黙示録 カイジ 5


 人生に理不尽というのは当然起こることがある。


 ただ、その理由は二つある。自分に責任がある場合と、ない場合である。


 この映画の主人公、イ・ジョンス(ハ・ジョンウ)は圧倒的に後者である。なぜならば、たまたまその日、地元の日常でよく使うトンネルを通ったというだけのことだからだ。

 トンネルに入る直前に立ち寄ったガソリン・スタンドでもたもたしている爺さんにイライラしつつ、お詫びに差し出されたペットボトル2本。そして、偶然車に積んでいた娘への誕生日ケーキ。車の営業マンとしての契約も取り付け、意気揚々と車を走らせるジョンス氏はハド・トンネルへと差し掛かる。交通量が少ないそのトンネルをすすんでカーブを抜けた辺りで突如轟音が鳴り響く。そして信じられない光景が展開していく。トンネルが天井から崩れてジョンス氏に迫っていたのである。

 気がつくとジョンス氏はがれきに埋もれた車内にいた。なんとか生きているものの完全に立ち往生となったジョンス氏はかすかに拾えるトンネル内のアンテナから119番する。救助隊が到着するとソウル側からの出口は完全に崩落。南側からの出口だけが完全な崩落を免れていた事が、ジョンス氏の命を支えていた。


 トンネル崩落のニュースは瞬く間に韓国国内に広がり、国を挙げての救出が始まる。現場にはジョンス氏の妻・セヒョン(ペ・ドゥナ)も駆けつけ、現場を手伝いながら事態を見守る。その救助隊の隊長・キム・デギョン(オ・ダルス)は韓国一の救助隊を自負し、ジョンス氏救出のために動き出す。だが、予想外の事態が頻発する現場は、やがて様々な困難に直面することになる。

 ジョンス氏、そしてキム隊長はひとつひとつその困難に向かっていくが・・・、やがて彼らに試練が訪れる。




極限下のサバイバルと予想を越えて困難な救出

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 この映画の前半部はジョンス氏のサバイバルと、救助隊やセヒョンの苦闘に光が当てられる。


テロ, ライブ [DVD]

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そのテロルは生きている。「テロ,ライブ」 - 虚馬ダイアリー



このくだりのジョンス氏を演じるハ・ジョンウの非常に場持ちする演技は見事であり、また、国民的バイプレイヤーとして不動の人気を誇るオ・ダルスの非常に人間味あふれる演技は、映画を牽引する大きな力となっている。そして、ジョンス氏の生還を祈る健気な妻が韓国が誇る至宝・ペドゥナである。まさに最強の布陣である。


 ジョンス氏が遭遇した事態はただただ、理不尽である。そしてキム・デギョン隊長を初めとした救助隊の面々はある種、国の「尻ぬぐい」をしている状況である。

 なぜならば、事態が動いていく中で明らかになるのは、そもそもの原因がバドトンネルの「手抜き工事」であったこと、そして、バドトンネルの近くで、国が主導するニュータウンをつなぐ第2トンネル建設が重なった事であった。

 つまり、国が本来の仕事をきちんとしていれば起こりえない、複合的な事故である。ジョンス氏に死を呼び寄せる原因は国であり、社会である。


f:id:toshi20:20170525112246j:image:w360


 その尻ぬぐいを一手に引き受けるキム隊長と救助隊は、ジョンス氏救助まであと一歩のところまでたどり着く。・・・はずだった。ところが、思わぬ原因でその作業が無駄だったと発覚する。

 絶望するジョンス氏。電源が落ちる、唯一の連絡手段であるスマホ。辛酸をなめるキム隊長。悲嘆にくれるセヒョン。


 そこから終盤にかけて、この映画は視点を大きく広げる。


 一人の男が崩落事故で孤独に耐えながらサバイブする事故を巡る社会という「人間」のうねりを描くドラマになっていくのだ





(以下終盤の展開に触れていきます。)

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2017年01月08日 暗殺!ウオ娘「人魚姫」

toshi202017-01-08

[][]「人魚姫」 「人魚姫」を含むブックマーク 「人魚姫」のブックマークコメント

原題:美人魚

監督・脚本:チャウ・シンチー


 大晦日も仕事して、元旦の朝帰ってみれば、すぐに体調を崩し、三が日はひたすら布団から出られず、テレビを見て過ごすという、のっけから最悪のスタートを切った私。

 ようやく体調が戻って初めての休日。2017年最初に見る事に決めた映画。それは「少林サッカー」でおなじみ、今や香港喜劇界のヒットメーカーにしてトップランナー、チャウ・シンチー監督の新作でありました。


 公開直後、上映が都内で1館のみというこの扱いもさることながら、スケジュールが日に2回しか上映しないという、人気監督にあるまじき扱いを受け、当然のことながら、私が早めに上映されるシネマート新宿に行ってみれば、すでに立ち見まで埋まり、満席という大盛況。ロビーには人がごった返し、明らかなキャパオーバー。私はネットで前日にチケット予約してたので座れたものの、当日だったら危なかった。改めてその根強い人気を裏付ける結果となったわけですが、さて、映画はというと。



 これが!これが!もう最高!さすが、香港喜劇王の面目躍如。


 それもそのはず。なにせ、全世界で興行収入600億円以上という「君の名は。」どころか、「千と千尋の神隠し」のほぼ倍を稼ぎ出した超メガヒット作である。

 それにも関わらずである。日本映画界はこの映画をこんな小規模公開してるとは一体、何を考えているのか。バッカじゃねえーの!としか言いようが無い。まさに「ありえねえーー!」でありますよ。


 若き実業家・リウ(ダン・チャオ)は香港の自然保護区域を買収し、そこに一大リゾートを計画する。貧乏な生まれから脱し、無学ながらも一代で財を為したリウに近づいてくるのは、彼の財力を目的にしてくるものだけだった。

 そんなリウにひとりの女性がある目的を持って近づいてくる。彼女の名はシャンシャン(リン・ユン)という。奇妙な歩き方をするこの娘。実は、リウを暗殺するために近づいてきた刺客。リウが買収した自然保護区域に住み、彼が財を為した海洋探査の為の「ソナー」に苦しめられてきた「人の上半身と魚の下半身」を持った一族。

 そう、シャンシャンは「人魚」なのであった。だが、二人はやがて惹かれ会い恋に落ちていく。そして、リウに惚れていたビジネスパートナーだったルオラン(キティー・チャン)は、嫉妬に狂い、人魚族殲滅のために動き出してしまう。


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 「どんな美人も初登場はブサイクに描く」お約束から、好きな作品の引用を恥ずかしげも無くぶち込み、個性的というにはあまりにアクが強すぎるキャラクターたち(特にショウ・ルオ演じる蛸の下半身を持つ「タコ兄」は面白すぎる)、そして提供される笑いはあまりに濃ゆい。コッテコテなギャグ、ベッタベタな笑いのつるべ打ち。

 だが、世界設定は驚くほど酷薄。人間と人魚たちの闘いの描かれ方は、あまりにも壮絶かつ暴力的で、一瞬「ウッ」となるほど。前作「西遊記 はじまりのはじまり」で見せつけた暴力性はチャウ・シンチーの中で健在なのであるが、しかし、そこを王道の「許されざる恋」というラブストーリーという柱をドンと乗せることによって、環境問題を取り上げた社会派的作品とも違う、酷薄なる世界を「愛」が救う!という、堂々たる王道を往く。

 このベタな笑いを恐れず、人の中にある暴力性を描くことを恐れず、環境問題をストーリーに絡ませつつも社会派作品になることを軽やかに避けながら、「愛」の尊さを恥ずかしげもなく歌い上げる!まさに、娯楽と喜劇というジャンルのど真ん中を突き進む!チャウ・シンチーのブレない直球ど真ん中っぷりは、本作でいよいよ極まっていると言っていい。


 これほどのヒットメーカーになりながら、決して自分を見失わないチャウ・シンチーの威風堂々たる娯楽作家ぶりは、まさに見事という他はない。自らの作家性を極めつつ、更なる覇道を突き進む!

 新年一発目の映画に選んで大正解!悪かった体調が嘘のように回復しはじめたのは、この映画の本気っぷりに当てられたに相違ない。まさに、我らが「星爺」快心の大傑作であります。(★★★★★)

 

侵略!イカ娘 1 (少年チャンピオン・コミックス)

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あんじー祭りあんじー祭り 2017/01/30 18:02 兄さんもうすぐJCOMホームページがなくなるけどこのまま江戸川番外地なくなってしまうの?

2017年01月02日 奇跡は映画館で起こってる。2016年映画ベスト10

toshi202017-01-02

[][][]2016年に見て「良かったな」と思った映画から10本を選んでみる。 2016年に見て「良かったな」と思った映画から10本を選んでみる。を含むブックマーク 2016年に見て「良かったな」と思った映画から10本を選んでみる。のブックマークコメント


 どうも。あけましておめでとうございます。

 ぐずぐずしていたら、年が明けてしまいました。更新量としては相変わらず微妙ですが、ぼちぼち生きてます。


 毎年言っていることですが、年末にベストを選ぶ段になるとつくづくイイ映画が多いと思う訳ですが、今年は日本映画が席巻した印象の多い年ですね。楽しい映画がいっぱいありましたが、2016年に「出会えた」映画の中から「たった」10本だけ、「あー・・・これはどうしても選びたい」と思ったものを選んで見たいと思います。

 あの映画がない!この映画がない!という方もおりましょうが、ご容赦いただいて、しばしお付き合いください。では参ります。。


10位「殿、利息でござる!」

殿、利息でござる! [Blu-ray]

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感想:勝ったのは百姓!「殿、利息でござる!」 - 虚馬ダイアリー

 仙台藩の吉岡宿で、「伝馬役」という重い課役を少しでも軽減するために、窮乏する藩にお金を貸して、そこから利息を取って賄った実話を元にした、中村義洋監督初時代劇映画。

 士農工商の厳しい身分制度を定めた江戸時代。メインの登場人物は武士階級はおらず、ほとんどが農民階級。武士階級はほんの一握りだった時代にもかかわらず、農民階級の物語は描かれづらい江戸時代において、一揆も起こさず、暴力も使わず、知恵と信念で理不尽な支配階級である武士に一泡吹かせようという、そんな「農民」たちの映画である。登場人物も決して一枚岩ではなく、それぞれに望みやコンプレックス、私欲がありながらも、やがて、ひとりの男が貫いた志に集う。

 ひとりの男が貫いた信念が、様々な人々に伝播し、やがて、支配階級の搾取に対し、一泡吹かせる大計画を成就させていく。さびれゆく宿場を舞台に、刀も持たずに知恵と信念と・・・血の滲むような思いで絞り出した「多くのお金」で立ち向かう。そんなこの映画が私は大好きです。


9位「ビューティー・インサイド」

ビューティー・インサイド [DVD]

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 一晩寝ると老若男女問わず姿形が変わってしまう青年が、ひとりの女性に恋をする。そんな奇想天外な設定の、韓国発の恋愛映画。老いも若きも男も女も問わぬ、123人の俳優がひとりの「男」を演じている。

 ふたりは恋に落ちる。好きになったのは「彼」自身だと彼女は言う。けれど「彼」が毎日会うごとに見た目が変わる、なにより彼女自身が「彼」を容姿がまったくの別人になるがゆえに見つける事が出来ない。

 「容姿」が変わっても「彼」の「中身」は変わらない。そのはずである。けれども、中身は同じでも毎日違う「人間」が彼女に会いに来る。彼女の中ではその認知のゆらぎが、そのまま心のゆらぎへとつながっていく。恋愛ってなんだろう。恋するってどういう事?そんな「恋愛」の本質を見る者に問うてくる。実験的でありながらあまりにストレートな、映画でしか出来ない恋愛物語を描ききった作品です。一見の価値ありです。


8位「ズートピア

感想:誰がために世界は成る。「ズートピア」 - 虚馬ダイアリー

 ディズニー映画最新作であり、動物だらけのアニメでありながら、決して「可愛さ」だけの映画でも愉快なだけの映画では無い。

 見た目(種族)に囚われないウサギの新人警官・ジュディと見た目に屈して流されてきた詐欺師の狐・ニックが出会い、動物たちが種族を越えた自由と繁栄と偏見と差別が重なり合う大都会で起こる難事件を追う。田舎でもあった単純な差別が、都会ではより複雑に重なり合って偏在してるという視点が見事。

 アニメーション映画としてのクオリティ、個性的で魅力的なキャラクターたち、娯楽映画としての楽しさもさることながら、差別とは人の心に必ず起こりうる。それを自覚していく事こそが、差別をなくしていくための一歩である。そんな真実を物語を通して伝えきる。なんとも見事な傑作である。

 


7位「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」

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感想:深く高らかに潜航せよ「トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男」 - 虚馬ダイアリー

 第2次世界大戦後のハリウッド。赤狩り吹き荒れるハリウッドで、職を失い、仕事を失ったひとりの脚本家・ダルトン・トランボの実話の映画化である。

 脚本家としての職を失った後も決してペンを折らず、偽名を使って「脚本家」として生き抜いてきた彼は、ついに映画史に残る傑作を世に放つ。時代は思想弾圧の真っ只中にあり、時にはかけがえのない友を失いながら、自らの才能を恃みに生き抜いた男が、この映画で最後に起こす逆転劇は、すこぶる爽快である。

 こんな男が実際にいたのだ!そんな驚きに満ちた、「すごい男」の話である。彼が何者で、どのような映画に関わっていたのか、知らない方がより驚けると思いますよ。


6位「映画 聲の形

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感想:ディスコミュニケーション・ベイビーズ「映画 聲の形」 - 虚馬ダイアリー

週刊少年マガジン」に連載された作品を、京都アニメーションが映画化。年末に駆け込みで見て目を泣き腫らして帰ってきた。

 小学生時代に起こしたいじめ事件を引きずりながら、自分は人に関わる資格も、ましてや生きる資格すらもないと絶望を抱えていた主人公が、イジメ事件のきっかけとなった聾唖の少女と再会したことをきっかけに、少しずつ人として再生していくまでを描く。人を傷つけられる痛みを知ったことで、過去に自分が起こした相手の痛みに気づき、そしてそんな自分を「殺す」ことで生きてきた少年が、それでも自分は生きていいのだ、というその端緒をみつけるまでの物語、というところが、自分の琴線に触れた。

 「伝わらない」「伝えられない」ゆえの孤独に痛み、または相手を傷つけるかもしれぬという可能性におびえる少年少女たちが、それでも生きるために支え合おうという落としどころが、とてもいい。恋愛成就して解決、という方向に逃げなかったのも自分の中でかなりぐっときてしまったところです。


5位「ヒメアノ〜ル」

ヒメアノ~ル 通常版 [Blu-ray]

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感想:キミとボク、何が違った?「ヒメアノ〜ル」 - 虚馬ダイアリー

 金も趣味も生きがいもなく茫漠たる日常を生きる青年・岡田は、バイトの先輩に連れられて、先輩が好きな女性を見に行った時に、かつて高校の同級生だった森田くんと再会する。一時期とても仲が良かった二人だが、森田がいじめに遭うようになってから疎遠になっていた。だが、バイトの先輩の思い人である女性とうまく行き、日常に彩りが出てきたその日から、岡田は森田くんから命を狙われる事になる。森田くんは、その女性をつけ回していたストーカーであり、人の命を奪うことを何とも思わぬ「殺人者」になっていたのである。

 この映画は、暴力描写も一切容赦がないにも関わらず、簡単なジャンル分けを許さない映画である。岡田という青年の「日常」と、森田くんの生きる「非日常」がシームレスに世界がつながっているという、吉田恵輔監督の演出力がとにかく圧巻。「日常」と「非日常」が違和感なく移行する映画の「タイトルバック」が出た瞬間は、今も忘れがたい鮮烈さに満ちている。非日常の暴力もあなたのすぐとなりにある、というその視点が徹頭徹尾貫かれている為、森田がなぜ暴力と殺人の螺旋に囚われるようになったのか、岡田が森田くんに向き合い始めた時に知る真実は、そのままストンと観客の心に落ちる。

 岡田と森田くん。彼らふたりは、一体何が違ったろうか。日常を生きる平凡な青年と、非日常な暴力を行う青年。そこにどんな差があったろうか。そう問いかけるかのようなラストは、戦慄しつつも、涙が止まらなかった。


4位「オデッセイ」

 突如起きた砂嵐がきっかけで火星にひとり取り残された宇宙飛行士が、みずからの知恵を駆使してサバイブする様を描いたリドリー・スコット監督作品。

 あらゆる困難を宇宙飛行士としての知恵と、植物学者としての経験、さらに前向きな性格と音楽の力でひとつひとつ乗り越えていくという物語が単純に面白いし、彼の生還のために登場人物全員が各々の立場で考え、行動することで道を開いていくという物語が、底抜けに気持ちがいい。こんなせちがらい世の中だからこそ、時に人の「強さ」、人の「善なるところ」を信じてみたくなる作品というエンターテイメントに出会うというのも、またいいものです。

 この作品は、その点において言えば、物語の壮大さ、作品の規模、脚本と演出、すべてが総合的に優れている。まさに何度でも見たい作品であり、80歳も間近になった監督の作品とは思えぬパワフルさに満ちた大傑作だと思います。


3位「日本で一番悪い奴ら」

感想:勤勉なるものは毒をも食らう。「日本で一番悪い奴ら」 - 虚馬ダイアリー

 柔道で名を馳せ、柔道がきっかけで北海道県警に引き抜かれた、真面目な体育会系青年だった警官が、幅を利かせる先輩に薫陶を受けたのをきっかけに、悪徳刑事としての道をひた走っていくピカレスク・コメディである。

 かつて柔道で大学を日本一に導きながら、馬鹿正直にマジメすぎて刑事としてはぱっとしなかった警官が、一つの「悪いやり方」を教わり、その成功体験を得た時から、その「やり方」こそが正しく、ひいては警察と国民のためになる、という思い込みとともに、「愚直に勤勉にマジメに」悪徳刑事の道を突き進んでいくという物語。彼の「成功体験」の痛快さ、悪徳刑事の手口がひとつひとつ露わになっていく「知的」な面白さ、彼とつながる裏社会の「S」たちとの友情と絆、やがて、それらがすべて「破滅」へと「裏返っていく」物語の哀しさが同居する、奇妙な味わいの「笑って泣けるエンターテイメント」となっていく。

 かつて「機動警察パトレイバー」で後藤隊長は言った。「おれたちの仕事は、本質的にいつも手おくれなんだ。」と。そこを越えて犯罪に関わっていくのは、警察としての仕事の領域ではないと。警察の正義とは「正しい警官」であればこそ掲げられるものである。そんな「正しい警官」としての領域をことごとく踏み外し、しかしそれが「正義であり、ひいては国民のためになっている」と思ってしまうことの「怖さ」。そして、その心を利用している「奴ら」の存在とは。それらを存分に描ききった、「面白うてやがて哀しき」傑作であります。


2位「この世界の片隅に

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感想:世界を遠くに見つめながら「この世界の片隅に」 - 虚馬ダイアリー

 太平洋戦争まっただなかの戦時中に、広島から呉にお嫁に行ったすずさんとその周辺の人々の日々を描いた、片渕須直監督の7年ぶりの新作である。

 公開前から前評判が聞こえてきて、自分も公開されてすぐ見に行って、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けて帰ってきた。作り込まれた背景描写と、細やかな日常ドラマ。そしてそして突如すずさんに牙を剥く戦争の暴力。すずさんたちの日常を軽やかに描きながら、背景として緻密に再現された「街」が、「風景」が、その先につながる「世界」、ひいては「我々の時代」までも連なっているような、そんな無限に近い広がりを持った強烈な映画体験を観客に与える事が、この作品の妙味であるとボクは思います。

 見た後しばらく、感想が出てこないという、映画で無ければ出来ない体験をさせてもらいました。泣けるとか泣けないとかね、そんなことは正直どうでもいいですね。こういう簡単には言葉に出来ない作品に出会った時に、どう作品と向き合い、自分の言葉にするかというのが、自分のブログを続ける最大のテーマでありますので、久々に充実した気持ちで感想を書かせて頂きました。作品に出会えた事に感謝です。



1位「ハドソン川の奇跡

感想:私は「仕事」をしただけさ。「ハドソン川の奇跡」 - 虚馬ダイアリー

 2009年に実際に起こった「ハドソン川不時着水事故」について描いた、クリント・イーストウッド監督最新作。

 この映画の主人公であるベテラン機長、チェスリー・"サリー"・サレンバーガー (以下サリー)はこの不時着水事故でハドソン川へと向かい、死者をひとりも出さなかった事から「英雄」として報じられます。しかし、彼の「不時着水」という、ある種ハイリスクな選択は、「国家安全運輸委員会」に問題視され、シミュレーションした結果、さらにリスクの少ない方法があったのではないか、と糺されます。

 この映画は何故ベテランパイロットのサリーが、リスクの少ない方法を採らず、リスクの高いハドソン川の不時着水へと至るのかについて、自問自答しながら向き合っていく映画であります。その中で、イーストウッド監督は、なぜ「奇跡」は起こったのかをひとつひとつ、明らかにしていくのです。


 ひとつの事を愚直に続ける事。そして「当たり前」のことを行うために真摯に向き合い続けること。この映画が導き出す「奇跡」の「種」は、そんなシンプルで当たり前のことである。奇跡というのは捨て身の努力で為すものではなく、その事態に出会った時に「仕事をするべき人」がそこいて「そして適切に仕事をする」ときに初めて起こるものであると。


 この映画を見る前、実は結構映画感想をブログに書くことの意義について考えていたんです。自分はこの映画感想を書き続けて17年になります。結構な長きに渡り書いてきました。しかし、Twitterの台頭で、だれでも簡単に手軽にさっと映画感想を書けるようになりました。自分もTwitterでさっと書くことが苦にならなくなっていましたし、見た後にすぐ書けるというのは大きな利点です。ブログというのは手間がかかるわりには、反応が鈍いメディアですが、Twitterなんかはすぐに反応が返ってきます。長く続けていた事に意味はあったのか。ふと考えてしまっていたのです。

 この映画を見た後、非常に目を見開かれた思いがしました。愚直に一つのことを続けていくことも決して悪いことではないのだと。そして、自分にもまだやれることがあるかも知れぬ。そういう気持ちになりました。奇跡に近道などないと。そんな薫陶をくれたこの映画に、ボクは大変感謝しておるのです。この映画を通して、イーストウッドに力強く背中を押された気持ちがしたのです。

 非常に個人的な理由で申し訳ありませんが、それがこの映画を今年一番の映画に挙げる理由であります。

aq99aq99 2017/01/22 19:52 ご無沙汰でした。2016年ブロガーが選んだ映画ベスト10ができあがりました(ついでに2015年も)。「ヒメアノ〜ル」「日本で一番悪いやつら」「トランボ」「ズートピア」と、多少なりとも琴線に触れたものの、結局見に行かなかったことが、この記事読んでて後悔しきりです。というわけで、今年もよろしくお願いします(今頃なに言ってんだか)。

toshi20toshi20 2017/01/23 17:34 >aq99 さん おおー。お帰りなさいませ!復活おめでとう御座います。やっぱりね、aq99さんのこの企画、ないと寂しかったんですよ。素直に嬉しいです。集計お疲れ様でした。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20170102

2016年12月15日 ディスコミュニケーション・ベイビーズ「映画 聲の形」

toshi202016-12-15

[][][]「映画 聲の形「映画 聲の形」を含むブックマーク 「映画 聲の形」のブックマークコメント

監督:山田尚子

原作:大今良時

脚本:吉田玲子


 遅まきながら師走も半ばになってからの鑑賞。気がつけば流れ流れてさいたま新都心まで足を伸ばしていた。


ワシの娘がこんなに可愛いわけはない - 虚馬ダイアリー


 以前書いた事があるが、私は京都アニメーションの作品が苦手だった。正直今もそれほど苦手じゃないとは言えない。

 初めて京都アニメーションの存在を認知したのがご多分に漏れずであろうの「涼宮ハルヒ」シリーズなのだが、その時点からすでに苦手意識を持っていて、なかなか心が受け付けなかった。その後「涼宮ハルヒ」にはなんとか慣れてきたものの、苦手意識は変わらず、「らき★すた」などの話題作を出すたびに一応第1話に目を通すが、「ああー。うーん。いいや。」とそこで見るのをやめる。唯一まともに見ていたのはテレビアニメ「日常」くらいのもので、この映画を監督している山田尚子監督作品「けいおん!」にしろ「たまこまーけっと」にしろ、ちょろっと見て「ああー、うーん。苦手だ。」とそのたびに心を閉ざしてきた。

 一度苦手意識を持ってしまうと、どうしても足が遠のく。心が離れる。「映画 聲の形」にしたってがそんな感じである。


 だが、Twitterで公開後しばらく経っても話題が途切れることなく、様々な論争が起こったり、騒動が起こったり、同僚のひとりがいたく褒めていたのも手伝って、ようやく3ヶ月近く経って重い腰を上げたわけである。

 で、見ました。


 結果。大号泣。


 もう油断してたのもあるのだが、完全にツボにはまって泣いてしまった。



主人公が持つ自己嫌悪の壁。

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聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)


 原作漫画は読まずに臨んだのだが、見終わった後速攻で全巻買って読み、色々考えた。

 物語は、主人公の石田将也が小学生時代にひとりの女の子が転校してきたところから始まる。その女の子は耳が不自由な聾唖の子であった。名前を西宮硝子という。

 彼女は手話や筆談でコミュニケーションが出来るが、耳が聞こえない、まともにしゃべれないというハンデから次第にクラス内で浮き始め、からかいの対象となる。女子は無視をしたり、陰口をたたいたりしていたが、彼女に直接ちょっかいをだしていたのは、彼女の「おかしさ」を退屈紛れに興味を抱いた将也だった。しかし、彼女の補聴器を壊した事で彼女の母親が直接学校に抗議をし、将也はいじめの主犯として教室で担任から糾弾され、それがきっかけで次第に彼自身がイジメの標的となっていく。

 かつて一緒につるんでいた奴らからいじめられ、阻害され、孤立した結果、将也は高校生となった時には、周りとの壁を自分からつくっている男になっていた。自分が硝子にしていた過去と向き合えば向き合うほどに、自己嫌悪は募り、やがては自殺を試みようとするまでに至る。そんなとき、彼は硝子と再会する。


 映画を見ていてなにに不意を突かれたのか。それは、傷つけられる痛みを覚えた事で、人を傷つけてきた過去と向き合うたびに、自分には「生きている価値」がないんじゃないか、という主人公が抱えているその感覚が非常によくわかるからだ。自分が自分に戻ることを許せない。自分がこわい。なにより、自分が死ぬほど嫌い。

 自己嫌悪の感情が強すぎるあまりに、そして自分を信じられないがゆえに他者を自ら遠ざけ、近づかない。その将也の感情は、ある時期自分が持っていた感情とすごく似ていた。将也はかつての自分と共有出来る部分の多さに、思わず引き込まれる。

 そんな彼が壁を取り払おうとしたのは、かつていじめてしまった相手、硝子だった。


聾唖という題材と、ディスコミュニケーションというテーマ。

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 この映画、聾唖の人にはすこぶる評判が悪いそうな。それはなんとなくわかる気がする。それは硝子のキャラ造形にある。

 聾唖の人間も普通の人間だ。いじめられればイヤだし、傷つく。しかし、彼女はそのいじめられた将也に対し、拒絶をしない。そのことに対して、聾唖の人たちは当然違和感を抱く。俺達はこんなんじゃない、と。次第に距離を縮めていく中で、証拠は将也にほのかな好意すら抱いていく。


 この映画が聾唖者を扱ったことで、この物語の眼目はむしろわかりにくくなっていたのではないか、と思うのだが、実際の所、俺がこの映画に対してひどく共感していたのは、この映画は「ディスコミュニケーション」についての映画なのでは無いか、ということだった。

 ヒロイン・硝子が聾唖者であることは、ほんのきっかけに過ぎず、実際は「人と人はそう簡単にはわかり合えなどしない。」という事なのでは無いか。

 将也は少なくとも小学生時代、硝子が何を考えているのか知りたいと思っていた。そんな気がする。だから彼自身は無意識にちょっかいを出す。しかし、彼女はそれをおくびにも出さない。何をしても何をやってもワカラナイ。相手の「あるべき感情」が見えない。その事に将也はいらつき、やがて行動がエスカレートする。

 一方硝子は普通にコミュニケーション取れないという事実に、異様なコンプレックスがある。彼女が声を発すると周りが困惑し、時に笑われ、からかわれる。だから感情を見せないし、その事に対し申し訳なく思ってしまう。これは彼女の「性分」なのだと思う。


 「伝わらない」「伝えられない」。

 そのすれ違いがこの物語のすべての始まりなのでは無いかと思ってしまう。それは別に聾唖者には限らない。健常者だろうと同じ事だ。ほんの少しボタンが掛け違っただけで、人は簡単にわかり合えなくなる。それは主人公が直に経験してきた事だ。

 この映画の登場人物達は、どこかでそういう壁を作り、または相手の思いを斟酌せずに「自分の一方的な感情」をぶつけたりする。会話が成立しているようでしていない。わかり合えているようでわかり合えてない。コミュニケーションの難しさ、伝えることの難しさがこの映画の根幹にはあるのだと思う。


 「伝えられない」事の深く暗い絶望は想像以上の闇なのかもしれぬ。終盤にヒロインが起こす「行動」はまさに、それが募ってしまったが故に起こしたことのように思う。

 主人公が物語を通して心の壁を取り払って、今まで聴いてこなかった声を聴く。見てこなかった顔を見る。そして涙をこぼす。

 そこから全てが始まっていく。「生きる価値すらない」と思ってきた人間が、初めて「自分にも価値があると思える」人生が。俺が泣いてしまったのは、多分その「始まり」を共有できたからだと思うのである。大好き。(★★★★☆)

2016年11月30日 2016年下半期感想書き損ねた映画たち

[][]2016年下半期感想書き損ねた映画たち 2016年下半期感想書き損ねた映画たちを含むブックマーク 2016年下半期感想書き損ねた映画たちのブックマークコメント



クリーピー 偽りの隣人」(黒沢清

クリーピー 偽りの隣人[Blu-ray]

クリーピー 偽りの隣人[Blu-ray]


 黒沢清監督作品でびっくりするほど評判がいいにも関わらず、あんまりノレなかった。いや、前半部はかなり期待を持たせる入り方なんですけど、後半がね。語りが雑に見えてしまう。

 この映画のテーマは身近に迫る洗脳の恐怖だと思うんだけど、やっぱりね、実際の洗脳の話を聞いちゃうと香川照之演じる隣人は漫画にしか見えないのよね。そこがどうしても引っかかる。

 はっきり言って「洗脳」された人の実体験、それもテレビのバラエティー番組である「しくじり先生」で辺見マリが語った「洗脳」された実話の方が1万倍恐いので、見てない方はDVD化されたから見られるがよろし。香川照之以上に邪悪な人間はこの世に実在する。(★★★)

INFINITO―辺見マリ写真集

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「葛城事件」(赤堀雅秋

葛城事件 [Blu-ray]

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 うーん。これも周りの評判が良かったのに、びっくりするほどノレなかった作品。テーマとしては三浦友和演じる強権的な父親の抑圧から家族がひたひたと壊れていく過程を描いていくドラマなので、「わかるわかる」と思いながら見ているんだけど(長男パートは痛くわかる)、そこから家族の1人から「大量殺人事件者」が出る、って出口を見た時に、一気に醒める感じがあって、「結局、なんではけ口が見も知らぬ人間なんだ。」という理不尽さへの怒りの方が勝ったかな。「だからなんだよ。勝手言ってんじゃねーぞ!」という気持ちが強い。

 見終わった後、この家族への興味を大分失っていた私なので、この家族の人々に共感を持ち続けられる人には傑作なのでしょう。私の感想は「普通」。(★★★)


レッドタートル ある島の物語」La tortue rouge(マイケル・デュドク・ドゥ・ビット)

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 スタジオジブリと海外アニメーション監督が組んだ作品。ジブリと言えば宮崎駿と思われているけれど、宮崎駿もまた高畑勲の傍流に過ぎぬと言われればまさにそうで、「高畑勲」の天才は、今話題の「この世界の片隅に」まで受け継がれている、日本アニメの源流であるように、本作もまた、高畑勲イズムの流れを汲んでいると思う。

 いやね。なにせ、日本昔話にもいくつかある、人間と他種の動物が結ばれるという、「異類婚姻譚」を全編ほぼサイレント(一応ボイスはあるがセリフがない)本格アニメーションとして真っ向から語りきるという、いくらなんでもそりゃ無茶だろというような企画を押し通すスタイルは、高畑勲の最新傑作「かぐや姫の物語」に通底する「おとぎ話を演出の粋を集めてリアルに語り直す」ような、独特の味わいがあり、見終わった後の「面白かったけど!面白かったけど無茶を押し通したな!」という、気持ちが強い。

 こういう「自分の物差しだけでは到底出てこない作品」との出会いは、それだけで嬉しくなってしまう。私は好き。(★★★★)


「ソング・オブ・ザ・シー」Song of the Sea(トム・ムーア)

SONG OF THE SEA

SONG OF THE SEA

 こちらもまた、非常に暖かみのあるアニメーションでありながら、北欧のセルキー神話というあざらし絡みという独特の話をモチーフとした、お国柄を感じさせるアニメーション。

 海ではアザラシ、陸では人間となる妖精がモチーフとなっているため、最初「え?なにこの設定?」と思うものの、その設定だけ受け入れてしまえば、妹・シアーシャ(可愛い)の為、家族のために奮闘するお兄ちゃんの少年に共感すること請け合いであります。全編絵本のような映像と、ケルト音楽を下敷きとした非常に美しい音楽も素晴らしく、もっと話題になってもいい秀作でありました。(★★★★)


ゴーストバスターズ」Ghostbusters(ポール・フェイグ

 問答無用の人気シリーズ、男女逆転で帰ってきた話題作。うーん、面白かったな。オリジナルを撮ったアイバン・ライトマン監督が製作に加わってるのもあってか、オリジナルの雰囲気を損なってないまま、うまくアップデートしていた気はする。

 で、感想としては、話題となった男女逆転の女性キャラたちよりも、男性秘書を演じるクリス・ヘムズワースのバカキャラっぷりがすべてをさらっていった印象で、この辺は「頭悪い女=かわいい」としてきた従来の映画への皮肉と捉えるべきなのかも知らん。それにしても「男目線でみても相当リアリティがないけど魅力的なバカ」というキャラ造形へのもやもやは、かつて女性たちが男性優位の映画を見た時に感じてきたものなのかと思うと、「申し訳なかった!」と思わされるねえ。スタッフロールまでクリヘム、ノリノリで、彼が主演と言っても差し支えはなかった。(★★★★)



グランド・イリュージョン/見破られたトリック」Now You See Me 2(ジョン・M・チュウ

 「グランド・イリュージョン」の完全なる続編。しかも前作を見ている事が前提の作劇のため、ヒットには結びつかなかった印象。前作は年間ベストに入れたくらい大好き。手品をモチーフにした綱渡り系エンターテイメント。

 個人的な感想としては前作の方が好きだが、この映画のテーマである「物事の認知は一つではない」というテーゼは貫かれているので、シリーズとしてのぶっとい幹はそのままに、無茶な大仕掛けを仕掛ける話はきらいじゃない。ただ、大味かつ無茶な物語を演出の力で押し切った前作に比べると、今回はちょっと演出の勢いが持続しきれなかった印象で、大仕掛けのネタ晴らしもちょっとノリきれなかった感じはする。

 ただ、最後のオチは前作を見ていると「ああ!そういう事なのか!」と思えたので、そこそこ満足して劇場を出た。第3作もやるそうだけど、大丈夫なのか。(★★★☆)


「超高速!参勤交代リターンズ」(本木克英)

超高速! 参勤交代リターンズ [DVD]

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 前作はびっくりするくらい好きだったので、公開後すぐに見に行ったけど。こちらは前作の勢いを大きく落としてしまった。前作は参勤交代の「上り」なので江戸に近づくにつれ、チャンバラも異様に盛り上がっていったのだが、今回は参勤交代の「下り」。国許で起こる騒動の為、国盗りレベルのチャンバラなんか起こした日にはお家断絶される江戸時代、騒動をどう収束させるのかがクライマックスのメインになってしまったのは、残念。シナリオとしては真っ当だけど、チャンバラ時代劇映画としては勢いが削がれてしまった。(★★★)


「怒り」(李相日)

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 評判に後押しされて見に行って、こちらは大号泣。泣きはらして帰ってきた。その後のネット上の賛否は意外と分かれていた気がするけど、1人の男の一滴の「怒り」が生み出す波紋のドラマを渾身の演出で描き出した、大力作。特に宮崎あおいと広瀬すずは素晴らしかった。宮崎あおい演じる、純粋に恋人と結婚したいと願い続けた女が一瞬の疑念に迷う、その表情を映し出したその「画」はぞくっとした。あのシーンがこの映画の白眉。この画を見れて本当に良かった。(★★★★☆)


「隻眼の虎」(パク・フンジョン)

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 大傑作「新しき世界」の監督最新作が「ワールド・エクストリーム・シネマ」という「一日一回、一週間限定単館上映」という、驚きの小規模で公開。本当にさあ、最近の韓国映画への冷遇ぶりはどうにかして欲しい!

 日本占領下の朝鮮で、日本軍からの要請で、一線から退いた猟師親子と、人喰い虎の闘いと絆を渾身の演出で描いた映画なのだが、後半あっと驚くハートフルな展開を見せるのがびっくりである。この辺、徹底して酷薄な展開を期待する向きにはかなり賛否分かれるんであろうが、映画の惹句「殺戮だけが本能か?」という文句に嘘は無かったので、俺は嫌いじゃないです。(★★★★)


「オーバー・フェンス」(山下敦弘

 「そこのみにて光輝く」などで知られる佐藤泰志の函館三部作の最後の一本の映画化。主演のオダギリジョーは相変わらずの凪の海のような独特の存在感。躁うつの女性を蒼井優は熱演しているのだが、正直言って痛々しさが先に立つ。山下敦弘監督のリアリズム演出の地力はさすがで安心して見られるのだが、「そこのみ」ほどのじりじり感が沸き立ってこなかったのが正直なところで、ひとつひとつのパーツはすばらしいのに、それが物語としてひとつにまとまらなかった印象。映画って難しい(★★★)


永い言い訳」(西川美和

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)

 人を寸鉄釘で刺すような人間観を描かせたら日本随一の監督・西川美和監督最新作は、バス事故で妻を亡くした小説家と、一緒に亡くなった妻の親友の家族とのふれあいを描く。

 人間観の鋭さはそのままに、「それでも人は人でしか救えない」という希望のような暖かさを醸し出す西川監督の新境地。逝った側の話ではなく、あくまで遺された側の話で、彼らの無様な右往左往と、それでも生きていかにゃならん人間が手を取り合う尊さが同居する。

 面白いのは主人公を小説家にすることで、実際に自分が書く「理想とする作家像」と「無様な実像」に対して主人公が自覚的な事で。それゆえに長くコンプレックスにとらわれて来たのが、妻の死から始まる出来事を通して緩やかに溶解していく過程をも描いていて、そこがすごく共感できた。

 主人公は長く自分しか見てこなかった。他者を見なかった。だから妻が何を望み、何を考えていたのかも知らない。しかし、その後悔を抱えればこそ他者を見たときにその「愚かさ」に気づきもする。他者は自らの鏡。それに気づいた時、主人公は他者のために本気になれるようになる。

 自分の愚かさに気づき、自分の間抜けさを悔い、失った痛みに今更のたうったところで妻は帰ってこない。けれど、そんな今の自分だからこそ、救える他者もいた。自暴自棄に刹那的な主人公の奥底に眠る深く暗い絶望が、希望へと変わっていく過程を丁寧に織り込んでいる。まったく見事。大好き。(★★★★☆)


「ケチュンばあちゃん」(チャン)

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 東京国際映画祭で鑑賞。「アジアの未来」部門に出品された韓国映画。

 済州島に住む海女を営むケチュンばあさん(ユン・ヨジョン)は、最愛の孫・ヘジと仲良く暮らしていたが、ある日、買い物に出かけた際、ヘジを誘拐されてしまう。

 十数年後、警察から連絡があり、長く行方不明だったヘジ(キム・ゴウン)と再会できたケチュンばあさんはとても喜び、孫との共同生活を再開する。ヘジは、幼い頃好きだった絵の才能を開花させつつあり、ヤン・イクチュン演じる美術教師に才能を見いだされ、ついにはソウルで行われるコンクールに出品するが・・・。


 まったく事前情報がない状態で、見るまでここまで仕掛けだらけの話とは思わなかった。実に「韓流エンターテイメント」の粋を集めたような映画で、びっくりした。とにかく「泣かせ」の仕掛けの連打で「うわ!うわ!うわ!」と思いつつ見てた。ボクは普段、そういう映画にはあんまり感心はしないんだけど、本作はそこにひとつ、ぶっとい幹の「愛についての哲学」を滲ませていて、そこにひどく感心した。ケチュンばあちゃんの生き方が、その映画の仕掛けと相まって、非常に味わい深い映画になっていたので、日本公開決まればいいな、と思います。大好き。(★★★★)


 

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2016年11月29日 戦火は消えぬがゆえに。「戦争映画ベスト10」

toshi202016-11-29

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戦争映画ベストテン - 男の魂に火をつけろ!

ワッシュさんの「戦争映画ベスト10」に参加します。





戦争映画ベスト10

1:ピカドン(1978年 木下蓮三/木下小夜子)

2:激動の昭和史/沖縄決戦(1971年 岡本喜八監督)

3:イノセント・ボイス/12歳の戦場(2004年 ルイス・マンドーキ監督)

4:二百三高地(1980年 舛田利雄監督)

5:高地戦(2011年 チャン・フン監督)

6:硫黄島からの手紙(2006年 クリント・イーストウッド監督)

7:ノー・マンズ・ランド(2001年 ダニス・タノヴィッチ監督)

8:火垂るの墓(1988年 高畑勲監督)

9:セデック・バレ(2011年、ウェイ・ダーション監督)

10:スターシップ・トゥルーパーズ(1997年 ポール・バーホーベン監督)



1位「ピカドン」

ピカドン PICADON

ピカドン PICADON

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 ホラー映画ベストテンにも投票したんだけど、改めてこちらでも投票。いやもう、実は「この世界の片隅に」を見た後に真っ先に思い出したのはこの短編アニメーション映画でね。私が見たのは小学生低学年の頃に、区民児童上映会で「はだしのゲン」と同時上映で見て、数十年経っても忘れ得ぬトラウマを刻んでくれた作品。裏「この世界の片隅に」ともいうべき、「生活者たちが一瞬にして地獄に叩き込まれる」作品で。俺はもう核の是非を問う議論をする前に是非一度、世界中の人たちがこれを見ておくべきなんですよね。

 私みたいにね、こういうトラウマアニメーション映画とか、広島の被爆者たちの怨念の塊ような絵本とか、「はだしのゲン」のような漫画を幼少期に見ているとですよ。もう、戦争に対する憧れなんて口に出来なくなりますよ。地獄はすずさんたちの遠景のすぐ向こう側にあるんですよ。本当に、あったんですよ。

 真面目な話、兵士でなく、民間人がこんな目に遭わされたという事実は、日本人は決して忘れられちゃならんのです。「反戦メッセージを直接的に描くべきじゃない?冗談じゃねえ、バカヤロウ!」と思いますね。



2位「激動の昭和史/沖縄決戦」

 最近になって、大変衝撃だったニュースがある。

教科書に沖縄戦「集団自決」 10年ぶり復活 日本史最大手の山川出版 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

 沖縄戦で民間人が集団自決した表記が10年ぶりに復活。ってことはさ、10年もの間、本土の学生たちは沖縄で民間人が集団自決したことを学校で学んでないって事かい?マジかい?俺はね、情けなくて情けなくて。Twitterで思わず沖縄の人に謝っちゃったよ。申し訳ないことだよ。そりゃあ、沖縄の人が決して忘れがたい無念を日本人が知らないはずさね。酷い話だ。

 太平洋戦争末期、沖縄で何が起こったか。「日本のいちばん長い日」の岡本喜八監督が、豪華キャストで描き出す本作は、圧倒的火力差の米軍に追い詰められた日本軍と民間人がどのように戦ったかを描き出す、戦争映画の大傑作である。若者こそ見るべきだ。そして、太平洋戦争唯一の本土決戦の場となった沖縄の方々が、どのような目に遭ったか。その一端だけでも感じて欲しいのである。


3位「イノセント・ボイス/12歳の戦場」

イノセント・ボイス~12歳の戦場~ [DVD]

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 1980年代の内戦下のエルサルバドル。そこでは政府軍に12歳で徴兵される。

 普通に生活している場所に銃弾が飛び交う。そんな場所で父が去った一家を支える11歳の少年。やがて来る、12歳の誕生日。少年はひとつの決断を迫られる。

 兵士は横暴の限りを尽くし、心ある大人は迫害を受け、殺されていく。そんな地獄と背中合わせの町にも一日一日があり、生活があり、喜怒哀楽がある。力強い生をスクリーンに映し続ける彼らにもやがて、過酷な運命が待っている。

 戦争は日常のすぐそばで起こっている事の衝撃。子供でいられる時期すら奪われる少年達の過酷さ。こんな現実が世界にはいくらでも転がっているという事を改めて突きつけられる作品である。


4位「二百三高地」

二百三高地 [Blu-ray]

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5位「高地戦」

(追記していきます。)

2016年11月12日 世界を遠くに見つめながら「この世界の片隅に」

toshi202016-11-12

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監督・脚本:片渕須直

原作:こうの史代『この世界の片隅に』


ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

この物語はフィクションである。

作中の如何なる人物、思想、事象も、全て紛れもなく、貴君の現実に存在する人物、思想、事象とは無関係だ。

以上のことに同意した者にのみ、このゲームに参加する権利がある。


同意する/しない


ゲーム「ペルソナ5」より。



 私は、ついこの間まで「ペルソナ5」というゲームを熱心やっていた。「女神転生」シリーズから派生した大人気シリーズのRPG最新作だが、そのゲームを始める前に問われる質問がこれである。そして同意しない限りゲームは始められない。

 このゲームの舞台は「東京」である。JRや地下鉄の通り方はリアルそのもので、町並みも現実の街並みをもとに模して作られているこのゲームは、さりとて物語は「現実」ではないバリバリのフィクションだ。しかし、この模擬東京は、非常に作り込まれ、「もうひとつの東京」としてユーザーの中で「認識」される。


 このゲームのテーマの一つに「認知」というものがある。

 ざっくり言うと、それは、人がその世界を「どう見ているか」という事である。人が毎日生活するなかで、どう人と相対し、どう世界を見ているか。「ペルソナ5」ではその「認知の歪み」が「異世界」として認識される。主人公達はその「認知の歪み」を糺して、正しい心を取り戻すのがゲームの大きな目的になっていく。

 だが、僕らは神ならざる者だ。目は二つしかない。心はひとつしかない。そして未来は常に不確定である。僕らが世界を正しく認識できるのは、すべてが手遅れになった後であることも多い。人の中にある「認知」というもの、世界を正しく認識するには時間がかかるものである。または永遠にすべてを正しく認識できないのかもしれない。


 さて「この世界の片隅に」である。


 このアニメを見終わった後、ずっと考えていたのは「この映画とどう相対すべきであるか。」ということであった。

 物語としては非常に小さい物語だ。広島の呉へ十代でお嫁に入り、日々生活していく女性と、その周辺の人々の物語である。




「戦争」と「朝ドラ」と「のん」

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 まず役者と物語構造の相関から考える。この映画の主人公の声を当てているのは能年玲奈改め「のん」さんである。ご存じ「あまちゃん」のヒロイン・天野アキを演じて、国民的人気を得た。その後の彼女の境遇については本エントリでは言及しない。


 能年玲奈は戦争を経験していない。


 もちろん生きている我々の多くが経験していないが、この場合、「フィクション内で」ということである。

 「生活の中で戦争を経験する」メディアとして、この日本でもっとも身近でポピュラーな表現形態と言えば、NHK「朝のテレビ小説」である。朝ドラと戦争の相性は実は非常に良く、戦前・戦中・戦後を通過する物語では大抵、戦中の生活が描かれていることは多くの人がご存じではあろう。

カーネーション 完全版 DVD-BOX1【DVD】

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 描き方によっては非常に鋭く「戦争」を描くことが出来るジャンルである。個人的には「カーネーション」での「生活する女性から見た戦争」の痛みの描写は、時に非常に刺すような鋭さがあり、当時あまり馴染みのなかった「朝ドラ」というジャンルを、ボクに大きく見直させるだけのポテンシャルを感じさせた。

 しかし、「あまちゃん」は「現代の少女たちの成長」を描いたコメディであり、その「戦争」を通過せずにきた。言ってみれば、「能年玲奈」の中で「戦争」への「認知」は非常にまっさらであるということである。

ホットロード [DVD]

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 「あまちゃん」以後の能年玲奈という女優の活動をボクはざっと見ている。ボクの中で彼女への評価は、「ドがつくほどの不器用。だが、一度役にハマると俄然他を圧倒する輝きを放つ、ある種の天才。」というものである。

 わかりやすい比較対象で言えば「有村架純」だ。ヒロインの母・天野春子の若き日を演じた彼女は、能年玲奈とは対照的に、その後テレビで見ない日はないほどの売れっ子になっていく。彼女の場合、女優としての才能は「どんな役でもきちんとなりきれる」という器用さ、そして相応の演技力が備わっていることにある。だから、使う側から考えると非常にキャスティングしやすい。

 一方の「能年玲奈」はどうだったかというと、一言で言えば「天野アキ」をひきずったまま女優業を続けている状態だったのだと思う。だから扱いが難儀だったんじゃないかと思うし、本人もそのことにいち早く気づいていたんじゃないかと思うのだ。天才「クドカン」のアテ書きという言わば最高の環境で、バチっと馴染む「当たり役」をいきなり得てしまった彼女は、求められるキャラクターも演技も「能年ちゃん」「天野アキ的な何か」というパッケージングでしか売りようがなかった気がするのだ。


 しかし、しばらく開店休業状態の間に出会ったのが本作の「北條すず」さんという役になるわけだ。


 能年玲奈という本名から「のん」という芸名へと変更した過程で、少しずつ「あまちゃん」の色を落としかけていた頃に役に出会ったのが、彼女の中で大きかったのではないかと思うのである。

 だから彼女は「天野アキ」ではなく、「北條すず」としてまっさらに作品世界に入っていたのではないか。そんな気がしている。まるでまっさらな「スケッチブック」に描くように、彼女は「北條すずの生活」を楽しそうに演じていく。それがこの映画を非常に楽しいものにしている。

 ハマるまでが長い。ただ、ハマれば天才。能年玲奈とはそういう女優であり、「のん」になって初めて出会った「ハマる」役が本作のヒロインなのだと思うのです。


 その事は彼女のキャリアにおいてかなり幸運な事だと思うのです。




近景の「生活」と遠景の「歴史的事物」との距離。

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感想:うごめく世界の片隅で「風立ちぬ」 - 虚馬ダイアリー


 以前書いた「風立ちぬ」の感想で、宮崎駿という人は「ワールドテラー」であると書いた。宮崎駿という人は人と世界のうごめきで映画を語る事が出来る。「風立ちぬ」の特筆すべき点は「年号」が全く出ないのに、時間が経過したことを観客に理解させるという恐るべき事をやってのけていたのであるが、あくまでも宮崎駿の中の「認知」をもとにした「再創造(リ・イマジネーション)」したうごめく世界であった。

 それに対して本作はあくまでも眼目は「ストーリー」である。そして世界は「歴史」通りに動く。言わば「世界の精密再現」である。遠景を「精密再現」することで「生活者」すずさんの「フィクション」を圧倒的に補強する。そしてもう一つ重要なのが、小さく繊細なすずさんの「フィクション」と歴史との「距離」である。


 小さい頃のすずさんは自分が世界の「中心」だと思っている。だから「ひとさらい」がこわくない。ひとさらいも「愉快なおっさん」である。(いや、体験自体は恐かったのかもしれないが、恐くない形で「認知」を変えている。)。そして世界は自分の暮らす「街」とその周辺がすべてであった。

 しかし、街を出て嫁入りし、別の街で暮らすようになって初めて、彼女は少しずつ「世界」の視野が広がってくる。自分の街にあるもの、自分の街からは見えないものの存在を認知する。そして、「軍港」呉から遠くの海に見える「戦争」に関わるもの、空襲が始まってから自分たちに近づいてくる「戦争」を認知する。

 それでもあくまで、すずさんにとっては、生活や、旦那さんの周作さんとのやりとりの中で、仲良くしたり、喧嘩したり、傷つけられたり傷つけたりしながら生きていく日々が、あくまでも「近景」であり、「歴史」は遠くにあるものだった。だが、残酷な「世界」が彼女に突如牙を剥くことになる。


 この映画を見ていて僕らは改めて思うのだ。「ぼくら」の世界の見え方も所詮はそんなものだって。人々が抱える苦労や痛みや悩みなんてえものは遠くにあり、僕らは身近な一見、どうでもええような事で悩んだり、笑ったり、泣いたりするわけである。

 戦時と今の我々、何が違うだろうか。そして今こうして文章を書いている間でも世界は常に「動いている」。僕らはそれを遠景に押し込めているに過ぎない。

 だからこそ、僕らは時に危ういのである。「世界」はいつもは遠景にあって自分たちには関係ない顔をして鎮座している。だが、ぼくらはその「世界の片隅」にいるに過ぎず、時に世界が「暴力」となって自分に降りかかることがある。そのことを日本人の多くが、遠からず経験している。すずさんが自分のいる世界を「片隅」と認識して、周作さんに「ありがとね」と行った時に、彼女はより正しく「世界」と相対したということになる。


 そしてそれは、我々にも決して不可分な「意識」である。この映画を見ていると改めて気づかされる。我々も所詮は「世界の片隅」に生きる「生活者」なのである、と。



「現在」と軽やかに接続される「戦時」

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 もうひとつ。この映画が描き出すのは、戦後の日本人が無意識に断ち切ってきた「戦前」「戦中」と「戦後」の間の溝を埋めて、フラットに意識をつなげていく事を志向した作品であるということである。

 

「日本のいちばん長い日」感想。

歴史と接続されていく戦後「日本のいちばん長い日」 - 虚馬ダイアリー

 日本国民はずっと「大日本帝国」に欺されてきたのだ、という歴史の中で、昭和20年8月15日を境に我々は「変わらなければならぬ」という意識の中で「戦前と戦後」という形で「昭和」を分断してきた。

 原田眞人監督は言わばその「接続」が途絶されてしまった戦前/戦後という溝を、「昭和天皇」という存在によって歴史をもう一度「接続」しようという試みなのでは無いか。岡本喜八版が「戦前は戦後の我々とは違う」という思いを込めて撮り上げた映画に対して、原田監督は「変わったようでいて実は変わっていない日本」という映画を撮り上げたのではないか。それがすごく「今」な認識であるようにも思う。

 戦後、多くの戦争についての映画は、「今は戦後である」という意識・無意識の中で、「戦前・戦中」を終戦という深い谷を築き、その向こう側を見る映画を作り上げてきた。つまり、あくまでも自分自身が「そこにいる」というよりも、まるで「別の世界」のフィクションを見るような気持ちで映画を見ている。そんな気持ちが長く日本人の中にあった気がする。

 あくまでも「戦前・戦中」は繰り返されざる「歴史」であって、その時代に生きた人々をリアリティをもって想像するという事はされてこなかったように思う。


 かつて「戦争もの」で描かれた「戦前・戦中」は、「戦後」から見た「対岸の大火事」としてしか、描かれなかったものがほとんどだったのではないか。


 片渕監督がここまで当時あった風俗や事物、歴史を綿密にリサーチして、リアルに戯画化するほどにフィクションとして再現したのは、フィクションを「補強」する以上の意味があるのだと思う。

 生活をする中ですずさんは色々なものを見逃しながら、鮮やかな近景の物語を生きている。遠景の「世界」では様々な悲惨なことが起きていて、彼女はそれには気づかずに生きている。

 それは我々も変わらないのである。遠景にある「世界の一部」がその後どうなるか。それを彼女が知るのは、時を経なければ「認知」できないように。我々は「近景」だけで世界を認識し、「遠景」はなんとなくわかったような感じで生きていくより他はない。

 すずさんが生きた時代と現在。それは何がちがうのだろうか。そう問いかけられているような気がしてならない。

 すずさんの時代の「世界」に何が起きたか。この映画は声高には言及しない。だからこそ、自分たちで調べ、学んでいかねばならないのである。しなやかに生きてきた彼女が、喪い、歪み、苦しみ、悔しさに流した涙の根源はどこから来たのか。僕らはそれを知り、そして学ばねばならない。

 言ってみれば彼女のいる場所が「世界の片隅」であるならば、そこから少しずつ「世界」全体でなにが起きていたのか。それを補強するのは我々の方である。片渕監督は愉快な映画を撮っただけでは決してない、と思ってしまうのはそのためだ。



 この物語はフィクションである。作中の如何なる人物、思想、事象も、全て紛れもなく、貴君の現実に存在する人物、思想、事象とは無関係だ。


 しかし、このフィクションの向こう側にひろがる世界は紛れもなく「本物」である。そこがこの映画の本当に恐ろしいところだ。「戦前・戦中」と「戦後」の意識を「北條すず」という存在で軽やかに繋ぎながら、世界はまぎれもなく史実どおりに動いている。ラストに家族が遠景を見つめているのは、言わば「世界」「歴史」という「遠景」を見通している。

 ボクが見終わった後、素直に涙が出ずに、何か重いパンチを食らったような形で、半ば酩酊したような気持ちで劇場の外へ出た。その原因は多分、片渕監督が観客に対して、非常に重い課題を問うてきたような、そんな気持ちがしたからである。大好き。である。が、恐ろしい映画とも思った。傑作。(★★★★★)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

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この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

RASRAS 2016/12/10 08:45 原作者も監督も、観客の善性を信頼しているのだと感じました。彼らが何に関心を抱いたのか、その視線の先を見て、観客自身が考えたくなる・調べたくなる作品ですよね。

toshi20toshi20 2016/12/11 15:02 >RAS さん
コメントありがとうございます。観客に求めるものが高い映画なんですよね。戦争映画に抵抗を感じる人の敷居を下げ、ここを入り口にして知っていって欲しいと言う思いがあるのだと思います。

2016年11月07日 また、あなたに会える。「続・深夜食堂」

toshi202016-11-07

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監督:松岡錠司

原作:安倍夜郎

脚本:真辺克彦/小嶋健作/松岡錠司




ぜいご

ぜいご



 いつもの歌が流れ、少しずつ変わりゆく新宿が映し出される。変わりゆく街を変わらないアングルで撮り続けるオープニングがほっとさせる。いつものように豚汁を作り、開店準備をするマスター。

 ドラマ版も映画版も、始まりは変わらない。本作でも変わらない。VODサービスのNETFLIXで配信される全10話のドラマの新シリーズとともに、劇場にも「めしや」が帰ってきた。

 ドラマ「深夜食堂」の劇場版第2弾である。


 ドラマ版の設定を改めて説明すると、新宿の裏通りにある「メニュー以外でも出来るものなら何でもつくる」マスター(小林薫)が営む深夜にしか開かない「めしや」、人呼んで「深夜食堂」。そこで頼まれた「メニュー」と頼んだ「客」についてのドラマを描いた、一話完結形式の人気シリーズである。



【関連】前作の感想。

君を待ってる。「映画 深夜食堂」 - 虚馬ダイアリー


 構成もほぼ前作と同じ。1本の映画につき三幕。ドラマと語り口は変わらない。めしやで起きた人間模様を描き出すその語り口は、ドラマシリーズと変わらない。


 第1幕「焼肉定食」はストレス発散のために、休日喪服で街に出かける女性編集者(河井青葉)が出会う、死と恋を巡る物語。

 第2幕「鍋焼きうどん」は近所のそば屋を営む女主人(キムラ緑子)と「鍋焼きうどん」を頼む息子(池松壮亮)を巡る、親離れ子離れを巡る人情噺。

 第3幕「豚汁定食」は博多から詐欺に欺されて上京したおばあさん(渡辺美佐子)の、ちょっとした冒険と東京に残したある未練を描く物語である。


 しかし、この劇場版シリーズは何も変わらないにもかかわらず、テレビシリーズとは違う独特の滋味がある。それはドラマという「お約束事」から軽やかに逃れている点にあるのではないか、と思う。


 時の流れというのは一定だが人の記憶は一定ではない。起きる出来事の大小も様々だ。ドラマシリーズというのは、ひとつひとつの出来事をあくまでも「枠」を30分として一定で描いているが、印象に残る残らないというのは起きる出来事によって様々なわけである。そも一定というのは、テレビドラマの「都合」である。言ってみれば型にはまらざるを得ないのが、一話完結形式のテレビドラマの限界ではある。

 映画版でのエピソードは108分でドラマ版に即した三幕構成だが、その大きさは不揃いだ。そして語られるエピソードは「めしや」の客のエピソードという以外のつながりはあまりない。

 そしてエピソードは「春夏秋冬」で季節通りに流れていく。だから「ドラマと同じ」に見えて、映画の方がドラマよりも「自由」に見えるのだ。



 そしてタイトルだ。「続」と来た。そう、「続」なのである。

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 前作の第2話で、めしやに転がり込んで2階に住まわせた唯一の女(意味深)、多部未華子演じるみちるちゃんが、第3話で見事、再登場を果たす。関わり方もほぼ準主役である。

 いやあ、嬉しい。再登場は予告編で知ってたけど、ここまでエピソードできっちり絡んでくれるとは。これで名実ともに彼女は劇場版専用ヒロインである(断言)。

 しかし、本当に松岡錠司監督は多部未華子ちゃんを美しく撮ってくれる。ファンとして嬉しくなってしまう。ホントさあ、女神かと思うくらい可愛い。多部ちゃんの撮り方を本当に心得ているんだよなあ。どう撮れば美しいかをちゃんとわかってる。眼福であります。ありがとうございます。ありがとうございます。


 ドラマという「枠」でのシリーズを成功させながら、劇場版でより「自由」にエピソードを描き出し、のびのびと「映画」にしてしまう松岡錠司監督の軽やかな手際は相変わらず健在である。

 前作でもそうだが、本作ではよりその手際は見事である。「豚汁定食」の物語などは、本来なら映画で描くほどの大仰な物語ではない。しかし、ドラマでの積み重ねを得た後に、豚汁定食をすする渡辺美佐子おばあちゃんを見ていて、ふいに涙が出てしまうのは、このシリーズの恐ろしいところだ。

 泣かせなようとするような場面ではない。だが、ドラマシリーズを見ているものならわかっている。「豚汁定食」は、「メニュー以外の料理もつくる」めしやの、「メニューに書いてある料理」なのだ。

 「メニューに書いてない」さまざまな料理を作ってきたマスターが出す、「書いてあるメニュー」の意味。それがさりげなく明らかになる。


 ドラマ版を見ていない人ももちろん楽しめるが、ドラマを見ているとより一層楽しい。ドラマでおなじみの常連客たちもにぎやかに顔をそろえる。彼らの物語は、全部で4シリーズあるドラマ版でチェックしつつ、劇場版ではよりゆったりと、「映画仕様」のドラマとヒロインであなたのお越しをお待ちしております。もちろん、大好き。(★★★★☆)


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2016年11月02日 君と潜る永遠「聖の青春」

toshi202016-11-02

[][]「聖の青春」 「聖の青春」を含むブックマーク 「聖の青春」のブックマークコメント

原作:大崎善生

監督:森義隆

脚本: 向井康介



 東京国際映画祭で見た。


 今年の東京国際映画祭はチケットシステムトラブルが例年以上に酷く、私も色々予定を狂わされた1人であるが、クロージングである本作の席をあっさりと取ることが出来たのもある意味そのおかげかもわからなかった。

 しかしまあ、なにしろ一応、国際映画祭のトリを飾る作品であるということで、主演の松山ケンイチと東出昌大が登壇し、ゲストにオリンピックの金メダリストを呼ぶなど、主催者側としてはなんとか盛り上げようとした雰囲気は感じられた。

 しかし、なにしろ上映前でのイベントだったので、映画上映後だったらもう少し突っ込んだ話も出来るイベントだったろうになあと思ったりもした。ていうか、ちょっと進行がね、今ひとつぱっとしなかったんですよね。段取りも悪かったし。

 そんな中でも、松山ケンイチや東出昌大らキャストからは、強気の言葉が出てくる。この映画に対する思い、自負が感じられる言葉は非常に映画に期待を高まらせるものであった。


 さて。映画本編である。

 本作は夭折した羽生善治が最も恐れた棋士と言われる天才・村山聖のわずか29年を壮烈に生きた生涯を描いているわけである。

 演じる松山ケンイチは本人になりきるために体重を増やし、体型を改造して本作に望んでいるし、羽生善治を演じる東出昌大も羽生独特の空気を見事に表出させている。上映前の会見でキャストと監督含め、かなりの自信を覗かせる発言もうなずける絵づくりがされている作品である。一言で言って力作である。



 で。


 見終わった後の私のTwitterでつぶやいた一言がこうである。

TIFF「聖の青春」。れ・・・・恋愛映画だった。ディープラブ。


何言ってんだ俺。


 見ていて、この映画の眼目を脚色の向井康介氏がどこに向けたのか。一言で言えば、村山聖と羽生善治という男の、将棋を通して生まれる「絆」についての物語としたんだと思うのだ。

 この映画で描かれる村山聖は基本的に言えば「気が強いけどシャイな男」である。「将棋」というものはそも、頭が強いだけではダメで勝負の中で「必ず勝つ」という精神力が問われてくる。場が煮詰まって勝負の行方が混沌としてきた時ほど、一手の重みは増してくる。彼はその場が煮詰まってくる場面での見極めが非常に的確なのである。詰むか詰まないか。プロでも悩む局面で彼はにべもなく「詰まない」と答える。そしてそれは当たる。

 村山聖という青年はその精神力に関して言えば並々ならぬものがある。


 広島県出身。幼少期にはネフローゼ症候群という難病にかかり、入院生活を余儀なくされ、そこで覚えたのが将棋である。10歳で将棋教室に通い始め頭角を表すと、中学1年生でプロを目指し始め、大阪の森信雄に弟子入り。17歳でプロ入りを果たす。

 幼い頃から病身ゆえに「生きる」という事に対して貪欲な少年は、師匠に支えられながらその強い精神と負けん気で、「羽生世代」と呼ばれる勢力の一角として、将棋界で名を轟かせるようになる。


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 向井庸介氏の脚色は村山聖を「持たざる者」と規定しているように思う。本好き、漫画好きで特に少女漫画のコレクションは3000冊に及ぶ。普通の小学生時代を送れず、将棋だけが彼を肯定してくれる存在であり、ただ貪欲に将棋に没頭しながら、切るにしのびないからと髪と爪を切らず、浮腫の浮いたせいで独特な風貌により「怪童丸」と呼ばれた。食生活は偏り、麻雀や酒を覚え、男に対しては強気で話せるけれども、異性相手だと言葉少なになり、言いたい事も言えなくなってしまう男として描かれる。

 そんな男が天才・羽生善治と出会う事で、彼は東京行きを決意する。


 対する羽生善治は「持ってる」男である。

 端正で知的な顔立ち、実力は日本トップクラス、主要タイトル7冠を総なめにし、常に彼の一挙手一投足にメディアが注目、私生活では女優と結婚するなど、村山が欲しいものはすべて手に入れている男。だが、決してそれに溺れる事無く、愚直に将棋に打ち込む姿勢に誰もが感服する。名声も尊敬も名誉も。なにもかもを手に入れながら、決しておごらない。勝負で本気で指しあいながら、対局後はどんな対戦相手に常に敬意を払うその物腰は、まさに、将棋界に舞い降りたスーパーアイドルである。村山聖もまた、彼に魅せられ続ける。


 ガンが発覚し、それでも勝負が弱くなるからと周囲に隠しながら、病院からの診察呼び出しにも応じない村山聖の身体は次第にがんに蝕まれていく。それでも、村山が何故「強さ」にこだわり続けたのか。

 その理由は、やはり「羽生善治」なのである。


 村山聖が羽生善治に話しかける時の態度は異性に対するそれと同じである。まず強気の態度が取れない。そして目が合わせられない。

 たった一度、彼が羽生を呑みに誘うシーンがある。


 村山聖は趣味が「麻雀、酒、少女漫画」、羽生善治が「チェス」。そしてそれ以外にはとんと興味が無い2人の会話は途切れる。だが、将棋の話をしている時だけは、互いに魂が通じ合う。

 いよいよ膀胱ガンが進行し、「子供が作れなくなる」という理由でいやがっていた除去手術を受け入れることにしたのは、「生きる」ためである。村山は何のために「生きる」のか。

 この映画では「羽生と打つため」としている気がするのだ。


 サシ呑みしている席で羽生はこう言う。

 「対局中時折、どこまで潜っていくのか不安になる事がある。でも村山さんとなら・・・どこまでも深く潜れる気がする」と。

 その言葉に村山も同調する。

 どこまでも行ける。羽生さんとなら。そのためなら、生きられる。


 自分は長く生きられない。それゆえに将棋以外は不器用にしか生きられなかった男が、最後にたどり着くのはやはり将棋である。対局相手が羽生さんであるならば、どんな深いところへでも潜ることが出来る。行こう。ともに。

 「生きているのだから切るに忍びない」と伸ばし続けた髪とツメを切り、夜中に「パチリ、パチリ」と将棋盤に向かい合う。その音を聞きながら、母親(竹下景子)は泣き崩れる。村山の命は、まさに将棋のためだけにあった。


 この映画における村山の描写は、実話を叩き台にしながらも、おそらくフィクションある部分が多分に入っている映画では無いかと思う。けれども、物語を「村山聖」と「羽生善治」という、実生活では決して相容れないであろう2人が、盤上では誰よりも通じ合える関係であるというテーマを軸に、映画を描いてみせたのはなかなか面白い切り口であったように思う。

 まさに常人には見えない風景を求めて潜っていく者達の、愛の映画ではないか。見ていてそう思わされた映画でありました。(★★★★)



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2016年10月26日 私は「仕事」をしただけさ。「ハドソン川の奇跡」

toshi202016-10-26

[][]「ハドソン川の奇跡「ハドソン川の奇跡」を含むブックマーク 「ハドソン川の奇跡」のブックマークコメント

原題:Sully

監督:クリント・イーストウッド

脚本:トッド・コマーニキ



 「私は英雄ではない。」USエアウェイズ1549便の機長、チェスリー・"サリー"・サレンバーガー (トム・ハンクス)は何度も言う。


 映画の冒頭場面。大都会のビル群を縫うように飛ぶ旅客機。機長のサリーはエンジンが壊れた機体をなんとか空港までもたせようとしている。だが、奮闘もむなしく、旅客機は墜落を余儀なくされる。

 サリーは飛び起きる。「あの事故」から幾度となく見る夢だ。


 「なぜあの時、私はそうしたのだろう。」


 サリーは何度も何度も自問する。


 あの日。2009年1月15日。サリーは機長として「ハドソン川への不時着水」を強行した。離陸直後、鳥がエンジンに入って破壊する「バードストライク」それによって両翼のエンジンを破損する事故。なんの問題もないフライトになるはずが、前代未聞誰も経験したことのない状況に叩き込まれた。

 その不時着水によって、彼は166人の乗客を無事生還させ、彼は一躍メディアの寵児となった。だが、その彼の「行動」を問題視したのが、国家安全運輸委員会であった。彼らは言う。「もっと安全に乗客を生還させる道があった」と。

 残された機体のデータ。それによるコンピューターシミュレーションによって、左エンジンは生きており、空港に引き返すのがもっとも安全に乗客を返す方法だと結論づけられた。


 サリーは一職業人として問う。何度も自分に。なぜ。なぜ私はそうしなかったのだろうか。ハドソン川へ向かったのだろうか、と。


文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

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 人は何かをしたあとに、その行動の「理由」を考える。ミステリーにおける「動機」である。しかし、それは大抵、後付けの理由に過ぎない場合がある。

 「通りものにあたるようなもの。」京極夏彦の百鬼夜行シリーズでは犯罪の「動機」をそう説明する。そうしたいときに、そういう場面、そういう状況に触れてはじめて人は犯罪を犯すか犯さないかの岐路に立たされる。人は大抵は「目的」があって「犯罪」を犯すのではなく、「その状況」に立ってみて初めて「犯罪に手を染める/染めない」の選択を迫られるという考え方である。


 あの日。サリーは、機体をハドソン川へと向けた。そのせいで彼は、これまで築きあげてきたキャリアと、信頼と、財産をふいにするかもしれぬ危地に立っている。妻にも問われた。

 「なぜハドソン川へ向かってしまったの?」と。

 乗客の命を危険にさらしたことはまちがいない。失敗すれば確実に死んでいた。それよりも空港で着陸する方がリスクを冒さない最善の道だったはずだ。そんな事はわかっている。でもあの日。あの時。あの状況。どう思い返しても、それが最善の道だったとしか思えないのである。

 事故後のデータ、コンピューターによるシミュレーション、さらにはパイロット達によるシミュレーターでの事故再現。その全てが「空港に戻れた」と示している。だが、彼の元には残っている。あの日、果たしたサリーの「ハドソン川の不時着」こそ、「完全なる仕事」、「胸を張れる仕事」であるという実感が。


 クリント・イーストウッド監督は、実話である「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の機長の、事故後に起こった「疑惑」と、それに対峙する苦悩を軸に、このベテランパイロットがあの日行った「奇跡」はどうして起こったかを解きほぐしていく。

 毎日行うルーティーンに思える仕事。だが、機長も副機長も、優秀なる添乗員たちも、常に事故に対する備えや心構えをしながら日々をすごしている。「乗客を目的地まで届ける。」その「仕事」を為すために、あらゆる状況に対応するために、事故が起こればあらゆることを調べ、どう対策をすればそれが防げたか。それを考えてきた。

 この映画の「かたきやく」にも思える「国家安全運輸委員会」もまた、「その当たり前」の「仕事」をより安全に探り、事故に対して最善の方法を検証していくのである。

 だから、サリー機長は最後まで「国家安全運輸委員会」の指摘に真摯に向き合い続けるし、何度も自身の仕事は「最善」だったかを問うのである。


 そして、サリーは迷いの中でひとつの突破口を見つけ、「疑惑」を検証する公聴会へと望むのである。


 ボクは思う。「通り者に当たる」というのはなにも「犯罪」だけではないんじゃないかと。積み上げられてきた「仕事」、目に見えない「不断の努力」、「乗客を無事に送り届ける」という当たり前の「仕事」を為すためにあらゆる対策をもうけ、チェックしてきた、その「目に見えない仕事」が、想定では「あり得ない事態」に直面してきた時に、「奇跡的な判断」を起こさせるのではないかと。

 「奇跡」もまた「通り者」の仕業と言えるのでは無いか。奇跡を為すべき「人」が、その「状況」にいるからこそ、「奇跡」は起こりうる。


 ボクがこの映画を見て、涙が止まらなかったのは、イーストウッド監督が「仕事」というもの、「不断の努力」を必要とする仕事に携わる人々への、大いなる敬意と愛情を感じたからに他ならない。

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 2009年1月15日。あの日、あの時間、あの機体。そこに、経験と努力を怠らないベテラン機長、チェスリー・"サリー"・サレンバーガーがいて、そして彼が、彼自身の「仕事」をした事が、「奇跡」だったのだと。彼だけではない。想定外の事態に取り乱さず冷静に向き合った副機長ジェフ・スカイルズ 、冷静に乗客を誘導した添乗員、トラブルを起こさずに従った乗客達、いち早く救出に向かった救助隊、彼らがそろっていて初めて、「奇跡」はなしえたのだと。


 サリーは言う。「私は英雄ではない。仕事をしただけだ。」と。「最高の仕事」、「胸を張れる仕事」を。そんな彼が「そこにいた」ことこそが、奇跡なのだと解き明かす。クリント・イーストウッド監督の演出は、それを決して大仰には描かず、リアルに、そして真摯に演出する。またひとつ、イーストウッド監督は傑作をものにした。イーストウッド監督も、この映画で「偉大な仕事」を果たしたのである。超・大好き。(★★★★★)

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