虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ヤング≒アダルト」

toshi202012-03-19

原題:Young Adult
監督:ジェイソン・ライトマン
脚本:ディアブロ・コーディ


 「JUNO」脚本×監督コンビの新作。
 「JUNO」が衝撃だったのは、16歳の妊娠話という話のとっかかりが、いつの間にやら「大人は大人になっているか?」という問題へとするりと替えられていたことである。*1
 本作は、そのテーマから真っ向勝負。ヤングアダルトというジュニアノベルを書いているゴーストライターという職業の、かつてスクールカーストの頂点に君臨していた過去を引きずって、三十路になっても大人になれないバツイチ女・メイビスが、子供が産まれたことを知らせるメールを寄越した学生時代の元カレを略奪しに、田舎へ帰る話。そんな女を演じるのがシャーリーズ・セロンという。


 それにしても、結婚できない男の空虚を描いた「マイレージ・マイライフ」といい、ここんとこ続けてこんなテーマを続けている気がするジェイソン・ライトマン監督だが、今回はかなり踏み込んでいるなと思ったのは、全編「大人になれない大人」の痛さを笑う映画になっていることで、かつて頭脳も美貌も並外れていた「みんなの憧れ」だった女がそれを糧にしないと生きられないほど追い詰められた時、どうなるか、という話である。



 かつての恋人を略奪しに行く女の話というと「ベスト・フレンズ・ウェディング」を思い出すけれど、この監督脚本コンビがそんなウェルメイドなコメディにするわけもなく、主人公・メイビスはどこまでも愚かしく描かれる。
 大体、元カレに赤ん坊が出来た、という時点でその関係は「詰み」であることは、ちょっと考えれば分かるはずだが、メイビスはそうは考えない。カレはあたしに会えば、子供なんていう人生の十字架から逃れるために「憧れ」のワタシに乗り換えるハズ、と考える。
 物語の序盤からスクリーンで、明らかに痛々しい姿を見せるメイビスは、田舎に帰り、彼女が書く「ヤングアダルト小説」の源泉である学生時代の過去を取り戻すことで、作家として女として一発逆転をかける。


 しかし、元カレは赤ん坊の事で頭がいっぱいで、かつての思い出話も思ったより弾まず、たまたま出会った、高校時代に暴行を受けた後遺症で身体に障害を残した、デブで同級生だった記憶も曖昧だったオタク男・マット(パットン・オズワルト)とは妙にウマがあったりする。なんでか、と言われればマットにとってメイビスはかつての憧れで、かれもまた時間は同級生で暴行を受けた時から時間が止まっているからである。


 メイビスはあの手この手で元カレを略奪しようとしては、惨めな思いをして帰ってきてはマットとクダを巻く。それでも彼女はかつての「みんなの憧れだったワタシ」という幻想にしがみつく。そんな彼女の、観客から見て明らかに痛々しい奮闘は言ってみれば、プライドの高いドン・キホーテであり、言ってみればマットは、的確なアドバイスをしても全部はねつけられるお供のパンチョの役回りである。
 そして、映画は当然と言えば当然の帰結へと至る。倒れるはずもない風車に向かって突撃を続けた女は玉砕して、彼女がかつて過去に受けた傷をぶちまける。それはなぜ、ふいに元カレを略奪しようなどと考えたのか、そのひとつの答えでもある。


 オトナになれない。でも人生は続いてる。どうすりゃいいの?
 そんな彼女の問いに、映画が出す答えはシンプルである。ていうか、初めから気付け、とも思う。彼女は愚かしさを出すだけ出さなければ気付けない。そんな女なのである。そんな女がいつかアカデミー賞脚本賞を獲る日が来るかもわからない。彼女はその可能性を持ち続けていることこそ、他の女よりスペシャルなのである。その「気づき」が、この映画の救いにもなっている。(★★★)