虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「紙の月」

toshi202014-11-22

監督:吉田大八
原作:角田光代
脚本:早船歌江子


 前作「桐島、部活やめるってよ」で大きな話題をさらった吉田大八監督の新作である。原作は角田光代の同名小説である。


 さて。

 この「紙の月」は以前に一度映像化されている。



【関連】
イリーガル・ハイ!「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 - 虚馬ダイアリー


 以前、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の感想の時に「紙の月」とからめて書いた事がある。それは僕が、当時、放映されていたテレビドラマ版の「紙の月」を見ていたことで、金の万能感とその怖さについて、考え込んでいたからだ。
 どんなにマジメに真摯に生きていたとしても、人は時に心の隙間に「金の魔力」が入り込み、そしてそれは容易に人を蝕んでいく。その怖さは、底が知れない



紙の月 [DVD]

紙の月 [DVD]


 NHKドラマ版「紙の月」は原作を踏襲しながら、原田知世という女優の肉体を通して静かに、そして確実に金によって狂っていく人間の哀しみを真摯に描いてみせた傑作である。ヒロインの元同級生の水野真紀演じる節約を旨として生きる主婦。西田尚美演じる買い物依存症が原因で離婚し、不倫の恋をいたずらに続けるキャリアウーマンの2人が、ヒロインを回想する形で巨額横領事件に突き進むヒロインを描いているのだが、その2人もまた、金の存在に人生を振り回されていく。
 ヒロインの梅澤梨花は、はじめは、ただ、光石研演じる夫との間に子供がなく、生きがいをみつけたくて銀行で働き始める。だが、そんな彼女が仕事をすることを夫はあまり快くは思ってない。無意識のうちに、彼女の仕事を軽んじる発言を繰り返す夫に、次第に心が離れていき、やがて口紅を買うために一度顧客の金を1万円拝借したことがきっかけで、彼女は横領への罪の意識を希薄にし、そしてついに手に染めてしまう。40代という人生の曲がり角で承認欲求は満たされず、未来も見えない。だけど、そんな彼女にあこがれを抱く大学生と出会ったことで、彼女はいよいよ罪の螺旋に取り込まれてしまう。だが、背徳的な感性は消えない。
 しかし、梨花は一度走り出したレールからは逃れることが出来なくなっていき、夫の上海転勤を機に、彼女は横領を繰り返すようになる。


 一方、映画版はどうかというと。元同級生たちのエピソードはばっさりと斬って、ヒロイン・梅澤梨花宮沢りえ)にターゲットをしぼり、彼女が金の魔力に進んで溺れていく姿を描いていく。



 映画版のアプローチはどちらかというと背徳すらも感じずに暴走していく女性の話になっている。若い男との逢瀬のために女はひたすら罪を犯す。それは彼女の「本性」が金の魔力によって次第に露わになっていく、という描き方になっている。
 映画版にはオリジナルキャラが2人登場する。大島優子演じる同僚の若手行員・相川恵子は、奔放でドライな感性を持ち、宮沢りえが暴走するに至る道筋をつける魔性のキャラクターで、言わば「したたかに生き抜く女」である。一方、小林聡美演じる隅より子は言わば、「混沌」へと足を踏み入れていくヒロインと対となるキャラクターで、「秩序」を重んじつつ頑なに自分の正しさを信じている明晰な女性として描かれる。


 この映画は結果として、1人の女性が本来の自分の中にある「魔性」を解放するまでの物語として帰結し、やがて、物語は「善」と「悪」に分かたれた女性が対峙する展開となっていく。言わば、この映画はピカレスク・ロマンとなっていくのである。


 しかし、僕はそれが不満である。
 「紙の月」という小説が本当に怖いのは、誰もが、金の魔力に陥るかも知れない、その真実を描いていることであり、そして横領はしないまでも、人は金に振り回されて生き続ける生き物であるということである。すべての登場人物が多かれ少なかれ、金に振り回されて生きている。ドラマ版がその原作のテーマを見事に昇華してみせたのに対し、この映画はまるで梨花を「魔性のダークヒロイン」という形で消化してしまう。


 金によって「怪物」化したとして、しかし、梨花はどこへも行けない。たとえ海外逃亡しようとも。
 ドラマ版は、梨花が「まぼろしの万能感」の無力を悟る物語であったが、映画版は「怪物性」をたたえたまま、梨花は雑踏の中へと消えていく形で収束する。しかし、それはもはや「金とともに生きる私たち」の物語にはなり得ない。


 映画としてもいくつか残念だったのは、そんなピカレスクロマンとなった物語とヒロインである宮沢りえの硬質さはちょっと水と油な感じがしたこと、夫役の田辺誠一が柔和すぎてヒロインの罪のトリガーになりきれず、ただ可哀想な人になっていたこと、そして、ヒロインを無意識に混沌へと導く存在であるはずの、大島優子がノイズでしかなかったことだ。
 特に大島優子は個人的にミスキャストだったように思う。悪い意味で「AKBの大島優子」の記号が消えていない。そんな彼女がカネやオトコに対するドライな感性を披瀝するシーンは、タチの悪い冗談にしか見えず、どうにも物語に入り込めなかった。今、力のある若手女優なんていくらでもいるのだから、彼女でなくてはならない理由がよくわからなかった。


 というわけで、吉田大八監督の中では珍しく凡作の域でとどまってしまった映画のように思う。期待のハードルが上がりすぎてたかもしれないが、ちょっと「がっかり」という感情を抑えきれずに劇場を後にしたのでした。(★★★)