Demos

期末試験作り。

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原著1888。わたしが読んでいるのはAMSの1971年版。読むのに時間がかかったが、すごくおもしろかった。ストーリーは『ギッシングの世界―全体像の解明をめざして』などを参照してもらえばいいのだが、とにかく露骨に階級差別的。主人公リチャード・マティマーは、最初は労働者階級――といっても artisan と呼ばれることが多いので、手に職がある家系だ――としては例外的に立派な男として出てきて、生硬ながら社会主義の理想を語るのだが、話が進むにつれ、情のない、最低の人格に見えてくる。偶然遺産が転がり込んできたのをきっかけに、それまでの婚約者を捨てて、中産上層階級の女と結婚し、手にした土地で社会主義の理想工場都市を作ろうとするが、工員にはけっこう高圧的……といったように。
ギッシングのあからさまな階級差別は、遺伝学の文脈においてみると、その曖昧さがかえって興味深い。労働者階級は、もともと血筋が劣っているから改善の可能性はない、とまでは彼は書かない。しかし趣味にせよ、人格の高潔さにせよ、階級の刻印はすぐには消せない。どうも改善には三世代かかるらしい (AMS版p.33, 350)。ここには漠然とラマルク的な、獲得形質遺伝の要素が入りこんでいる。教育を重ねれば、そのうち労働者階級の出身者がりっぱな紳士となることも可能なのだろう。しかし一代の教育では、おそらく長く続いてきた家族の悪習を矯正はできないのだ。
ギッシングを読む魅力は、およそ共感できない主役――いや、そもそもマティマーが主役なのかよくわからないのだが――以上に、脇役たち。マティマーに遺産をさらわれたかたちになる上流階級の青年、ヒューバート・エルドンは、徹底した保守反動だが、それなりの共感をもって描かれている。彼は工場群の醜さを嫌い、マティマーの社会主義プランを否定して、やがて土地をすべてかつての田園的風景に戻そうとする。工場の煙を醜いとするような感受性が、社会主義的理想よりも共感できるというわけだ。いっぽう、捨てられながらマティマーを愛し続ける貧しい娘エマが、暴動のなかで彼に再会するシーンはかなり泣かせどころ。
それからこれはあまりギッシング批評で強調されてきてないような気がするのだが、牧師のワイヴァーンという人物は、後のギッシング自身の分身と思えるような detatched キャラ。彼は若い頃は社会主義者だったが、その信念を捨てた人だ。彼が言うには、幸福は平等に分配されている。富める者はむしろ感情面でいろいろ悩んでいるからだ。貧しい者と比べてどちらが幸せとは一概に言えない。そして下層の者に教育を施せば、彼らはかえって無駄に思い悩むようになり、「国民の幸福の総和は減少するだろう」(384)。そして「未来に理想社会を建設するために現在の人間の幸福を無視してもいいのか?」と彼は続けるのだ。むき出しの反理想主義、ほとんど感動的です。