理想の友人

私もネットゲームで親しくしている愛すべき人々が居ます。
ネット上で友人付き合いがあるって、リアルの友人に言うとたいていは怪訝な顔をされてしまいます^^;
曰く、「お互いの名前も顔も(ましてや、本当の性別も)知らないのに、それは友人関係といえるの?」であったり「一度もあったことのないひとを友人と言っていいの?」であったり「それは、本当の友人といえるの?」であったりします。
リアル(ネット上の友人もある意味合いにおいては“リアル”ですが)の友人たちは人付き合いになんらかの幻想を抱いているのだろうなと思ってしまったり。

まず、お互いに、相手に依存・執着・期待等していないということ。そもそも2人とも、1人でもあまり困らないタイプだと思う。たまたま今、気が合うから一緒にゲームやメッセをしてるだけで、「この人でなければならない」という理由などは、全然ない。ぶっちゃけて言えば、替えが効く相手である。(替えを探すのは面倒かも知れないが)
(中略)
例えば、空港の出発ロビーで出会った旅行者同士みたいなもん? 目的地が違えど、向かう国が同じならきっと話も合うだろう。場に漂う奇妙な高揚感。行きずりだからこそ、気まぐれに振る舞われる優しさにも裏はない。で、いずれは「それじゃ!」程度の簡単なお別れ、でお仕舞いだ。(連絡先とか聞くのは野暮に違いない)

まさに、こんな感じだと思います。お互い相手に過剰な依存や期待、執着って物を持たないある種ドライな関係――こういう人間関係もあって良いのでは? と思っているのです。
実際にはリアルな世界においても私のポジションはあんまり変わりませんね。
相手に対して過剰な期待や依存そして執着心ってのがあまりないのです(まあ、それが原因で相手を傷つけることもあるのですが)。


どうやら、世間一般では相手に対する過剰な「期待・依存・執着」の余剰分を「愛」と言うようです。


基本的に人間関係って交換可能と思っている部分が自分にはあって、そのへんは非常に醒めていて友人にはそこを指摘されます(でも、改める気はさらさらない……)。
でも、交換が可能だと思っているので、そこで気まぐれに振る舞われる優しさや行動に裏がないという利点もあります。相手から、それで切り捨てられてもそう言った過剰な期待・依存・執着がないので寂しくはありますが、傷はそんなに付きません。(そこが自分の弱さなのかも知れませんがね)

ゲーム脳とゲーム脳脳との仁義なき戦い

なかなか、現場レベルの話しは出てこないので面白いと思いました。

科学的思考と言うか科学的手順がないのは教育の現場でも同じなんだなと思った次第。

ゲーム脳は現場で実在する?

というのも、弟が現場で感じていることで、「なんか話を聞かないなーとか感じる児童に聞いてみると、だいたいゲームを毎日3〜4時間やってるらしい」という話。しかもそういう子が何人かいるみたいで。

科学的な手順は次のような過程を経て、科学的だと言われるのです。
観察→仮説→予測→確認→評価→公表→追証
の手順を経ない物は科学ではないと言う論拠です。
特に評価と追証は重要なのですが、科学的手順における評価とは、「推測が確実な説明であると確信が示せるまで、観測結果に対する可能性ある別の説明を探すこと。」を指して言います。
この部分を省いてしまうとたちまち因果律を無視した似非科学(呪術的思考)の出来上がりな訳です。


上記引用の部分はいわゆる「確認」の段階で行われた「実験もどき」なのですが、「よく話しを聞いてるなーって思う子がどの位ゲームをしているのか」という実験資料が足りないと思います。そもそも実験とは厳密には「対照実験」の事をいいます。観察対象が1グループだけは意味がないのですよ。


初めから結論ありきでやってるから呪術科学なんだろうな……。
医者に藪医者*1があるように、藪教授が居るってわけ。


ま、一番の衝撃は中学校に言って保健室の前を通ったら「保健ニュース」の2005年度版にゲーム脳に関する記事(1317号 2005年10月18日 集中力・記憶力が低下する「ゲーム脳」)が堂々と掲載されていたことです。

また、今年の4月にもこんな記事が出ています。

1333号 2006年4月18日 ITが招く、脳の運動不足
「便利さ」や「快適さ」は、脳を幅広く使う機会を減らします
指導 財団法人河野臨床医学研究所 理事長 築山 節先生

実際には目にしていないのでどのような内容なのか不明ですが、おそらくそう言うことなのでは無いかと思います*2


ソースはこちら
http://www.schoolpress.co.jp/news/06/ho.htm
http://www.schoolpress.co.jp/news-title/ho.htm

*1:ヤブ医者の「藪」は「野巫(やぶ)」から来ています。つまり、野に居る呪い師と同じ治療法を取っていると言う意味

*2:もし、ご存じの方がいればご一報を

気になるニュースたち

あの“USB自爆ボタン”がパワーアップして登場

うあー、機能アップしてるよ……。
無駄にスチール製っぽい感じが良いです。

 USBから電源を得て、本体右上のトグルスイッチをオン→続いてその下のトグルスイッチもオン→左のセキュリティキーもオン(この順番通りに行わないと作動しない)→透明保護カバーを上に開いて→“自爆スイッチをポチっと”という複雑かつ、そのぐっと来る操作過程により自爆できる。

いいな、欲しいな(でも、自分で買う気は無い)。
こういう真面目に面白いことをやってくれる会社は伸びると思うよ? うん。

情報を得るには対価が必要

痛ましい事故ではありました。

情報は必要としている人に届かなければただのゴミでしかない。
そして、Web上に置かれた情報は、当事者の為だけでなく有用な事が有るのよ。
情報を必要としているのは、その時にそれを使った人間では無く、
時間的にも距離的にも、貴方から遠く離れた誰かなのかもしれないの。
情報を置いた人間には見えないことが、見えることも有るの。

まず、論点を整理しましょう。
まず、情報を受け取る人がmixi内に居なかったと言うのが論点なのでしょうか?
多分違うでしょう。いわゆる4人に一人がmixiを利用できる世の中です。逆に言うと、そう言った情報を受け取ることが必要な会社が、4人以上で経営していたのなら情報を受け取る環境に居た人も明らかに存在すると言うこと。


mixiは特に閉ざされた閉鎖環境ではありません
基本的に紹介さえあれば誰でも参加できます。


数ある情報の中で、必要な情報を取捨選択する必要がWebの世界では必要になってくるのです。「技術」のコラムのようですのでエントロピー情報理論についての説明は省きます。
mixiはコミュニティーという形を持って、それぞれ関心のある人が必要な情報を得ることが出来るシステムです。ネットに散在する様々な情報から、さらに「精査」されて必要と思われる情報を欲しいと思う人に渡す仕組みです。


つまり、エントロピーを減少させるベクトルにあると思います。
情報理論で言う所の情報の価値を高めると言うベクトルです。


mixiに加入していてエレベータ業界に居る人が「エレベーター」という単語でコミュニティーを検索しなかったはずはありません。
その事件に関係する会社がいくつあってそれぞれ従業員が何人いるか解りませんが、100人居たとしたら25人はmixiに登録していて情報として受け取ることが可能だったはずです。
むしろ、問題とされるべきは、あまたある情報の中から「情報を取得できなかった問題」と「受け取ることが可能な状況にあったにもかかわらず受け取っていない」ことの方が重要な問題だと言えるのです。
第一、情報はWebだけではないはず。機械が故障したら、検査・修理会社が点検整備を行って報告書をあげるはず。そう言った「生の」情報を見落としていたのはネットの情報で探せなかったと言う問題よりも重要なはずです。


情報が誰にでも見れるというのは一つのアドバンテージに過ぎません。
それがWebの限界であり唯一の価値でもあるのです。