ご指摘ありがと〜。んで、ちょっと考察してみた。

道具主義: Interdisciplinaryさんとこ受けて観照
イメージとしてはJ・デューイの道具主義にやっぱ近いかも? 
「真理は満足を与えるものである」という名言? は、常に「利便性がその底辺にあるんじゃなかろーか」って想起ですねぇ。
実利主義? 実用主義? だと何となく「結果が重要」って部分が多いので修辞的に避けたって感じ。
でも、Pragmatismの「Pragma」はギリシャ語の行動って意味だから、確かに道具って意味合いは薄いですよね。Instrumentalismの「Instrumental」は道具とか役にたつって意味合いだから、Instrumentalismのほうが言いたいことに近いです。
プラグマティズム自体、19世紀の末頃のアメリカで生まれたこともあり、比較的大ざっぱな概念で、主要な提唱者すらその起源や用語の定義すら定まっていないという有様なので……。さすがメリケン発祥の哲学(笑)
琴子の認識ではPragmatismの中にInstrumentalsimと言うサブカテゴリがあるって感じで受け取ってます。

実際、J・デューイの思想は日本に輸入されたとき「実用主義」と訳されていました。だから、道具主義ではなく実用主義って言っても伝統的な用法ですから間違っていないです。
デューイ自体多芸の人でしたから倫理学やら哲学やら心理学の分野まで手を出していたので、その関係で実用主義って根幹概念を元に論理を他分野でも形成してる部分も多く見受けられます。まさにInterdisciplinaryですね!

どちらにせよプラグラマティズムやインストルメンタリズムであってもその認識手法は、「あらゆる事柄を実験可能な、あるいは経験可能な世界での実用性によって位置づけ、実効的根拠のあるものだけを重視しよう」って運動ですからその世界観は、「実際に経験できる世界に限定される」ことになります。もちろんですが、経験外の世界については、あるかもしれないが、不可知であるので、それを考えることは無用であるって立場。
ある意味では潔いのですが、経験がその基準になる以上「個人主義」的で、「相対主義」であるってのが立地条件としてあります。
けっか、独りよがりな世界観が構築されるって危険性もあるんですがね。
 
彼らの理論に対する突っ込み所は、「あなたの経験より世界は常に広いんだよ!」って所。でも、人の認識する世界では自分の経験より外の世界を考えるってのはむしろ非科学的な立場になるので、有効な反駁が出来ないってのが道具主義実用主義の強みであります。

まあ、Pragumatismの語源というか生まれた過程を見るとカント哲学に対するアンチテーゼとして生まれた用語ですから、(カント哲学を本流とする)科学への反対勢力って意味でPragumatismの方を持ってきたってのもありっちゃありかな(笑)