無意味な期待だな

だから“朝日”は左翼なんかじゃないんだってば
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090216/p1

たしかに朝日はパレスティナの民主選挙で選ばれた政権与党を、イスラム過激派とだけ呼んでハニヤを絶対に首相と書かない保守・反動の「本体部分」(by id:finalvent)みたいなもんで、ウヨクたちが朝日をサヨクって呼びつづけていると、そのうち自分たちの主張が全部サヨクになっちまうと思うがね。

まぁそれはそうと、大衆に訴えるテレビのくだらなさを見抜いた「インテリ」はさすがだなぁ…。そうだよな、そのまんま東橋下徹もバラエティへ出たばっかりに知的エリートの評判だだ下がりで、政治家への転身が不利になったものね。
…いやコメント欄を見る限り、Apemanも推測はしているだろうな。田母神元空幕長がマスコミへの露出を増やして、政治の道を歩もうとしていることぐらいは。「意図」を読み込むまいとしても、悟性というやつは、常に行動に計画や計算が伴うものだと無意識に感じ取る。

自民の党としての支持は必要ない。民主だろうが自民だろうが、超党派でシンパシーを覚える議員はおり、当選してしまえばあとは摺り寄ってくる。まぁまだ本当に擁立しないかどうかの風向きさえ分からないが。

私は、ミニコミの方に注目していたが、田母神はマスコミへの進出が早かったな。そしてバラエティというのはうまい着眼点だ。
ジャンルでいえば討論番組などよりはるかに多くの視聴者がいるし。Apemanが上記の記事で虚しい期待として、以下のようなことを書いているが…

元空幕長がヴァラエティー番組でネタとして消費されることにより彼の主張が無害化されるという効果が生じるという可能性はあるように思います。視聴者の多くは彼の喋ることを笑って聞き流す、といったような。なまじ“おもろいおっさん”キャラとしての資質がありそうなだけになおさら。
逆だよ。おもしろいおっさんキャラで、強面なイメージをやわらげるのさ。奴の発言を追ってれば、ずっと「俺は恐くないよ」と繰り返してるじゃないか。それこそ正に、相手の計画した通りのことなんだよ。強面なら精々2ちゃんねらーの支持だけかもしれんが(インテリwを以て任じるどっかの在宅軍事専門家はお嫌いみたいだが)、フレンドリーなキャラクター、いつもテレビで見かけるキャラクターとなれば話が違う。

そうそう。ミニコミといえば、自衛隊退職者ら10万人の会員と現役自衛官22万人の賛助会員で構成する(福祉厚生をやってる)「隊友会」の機関誌2月号(2月15日刊行)に、田母神論文への言及記事が出ているらしい。
http://www.taiyukai.or.jp/sintyaku_1.htm
一般人が手に入れるのはそんなに簡単でもないが、国会図書館(東京本館)が納本を受けているらしく、機会があればコピーをとりたいな。ほかの図書館からも申し込めるようだし。

【追記】2009/02/17
Apemanから、「どこが逆なのか」というコメントが付いているが、元空幕長のイメージが変わるからといって、その発言は「無害化」され得ないし「聞き流され」もしないということだ。(よほど特殊な言葉の使い方をしたならともかく)。Apemanはそもそもテレビのバラエティー番組に関するスタンスが、やや一般的ではないと思う。多くの視聴者、きわめて多くの視聴者が、番組の登場人物に感情移入し、擬似的な友人として認識している。

友人とのおしゃべりは、それが軽いやりとりであっても「聞き流す」訳ではないし、かなり無防備に意識の中に入り込んでいく。
たとえ、お笑い芸人が滑稽であっても、視聴者にさげすまれている訳ではない。お高く止まったインテリはともかくな。

人は、その虚像にいくばくかの真実(と思うもの)を見出しているので、もたらされる効果は、消極的に「マジメにはとれないけど、こういう主張に慣れてきた」ではなく、積極的に「テレビで言っているのだから、この人の主張はそれなりに尊重しよう」に近い。つまり軽蔑の対象ではなく権威の対象になる。

お笑い芸人やタレントを「首長や議員に選ぶ」というのは、単純に親しみがあるから、慣れてるから、とはまったく別の感情が働いているのだ。人は近所の犬猫を自らの首長や議員に選んだりはしない。

【追記】2009/02/17
だが、こうした効果を出すには「継続」が必要だ。レギュラーでなくゲストであるうちは、まだ大丈夫だ。

【追記】2009/02/17
分かっている。こうしてつまらない怒りをぶつけても、しょうもない。在宅軍事専門家の熱心な「綺麗な白隣弾」キャンペーンが、欧米での白隣弾使用禁止のムーブメントにさしたる影響は与えないように。(それを言ったらマンガやアニメの児童ポルノ扱い反対も、日本でいくら一生懸命やってもだめなのかもしれないけど…)

ただ、こちらが何も行動せずして、相手の影響力はせいぜいこの程度とか、自滅する可能性もある的な発想が…その悲しい希望的観測が、ますます力を増していく相手に対して…いや何の意味もない。どちらにせよ意味はない。

【追記】2009/02/18

■[メモ]上のエントリの主題が「期待」だと思う人間がいるとは思ってもみなかったw
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090216/p2

そう。それが「懸念」であるかのように振る舞おうとも、大衆の反応に対する一つの「期待」だ。
元空幕長のバラエティー番組への露出が生み出す効果を、そのメリットとデメリットという面で推測するのと同時に、起こりうることがこうであってほしい、この程度でとどまってほしいと、いわば現実を解釈によって整形、制限しようという試みだ。
そこに「期待」がにじむ。しかし、そんな行為は無意味なのだ。

Apemanの言葉に大きな影響力があって、かなり多くの人、数万とか、数十万とかいう単位で、自分の認識を共有させられるとしたら、そういう行為には意味がある。しかしたかだか数十、数百では、そのような認識を共有させた相手を、大衆のそのほか大勢の反応から取り残させ、ズレを生じさせるだけに終わる。

ああ。繰り返すが、大手局の人気番組といえど、単発の出演なら目だった効果はない。「笑って聞き流さ」れて歴史捏造の言説に対する閾値を下げる役割を果たすことも、私が恐れるように「尊敬に足る国民の友だち」として支持者を増やすことも、あまりないだろう。もしかしたら、元空幕長の賞味期限は切れて、マスコミから姿を消すかもしれない(それでもミニコミにしっかり地歩を持っているかもしれないが)。だが彼はメディアの使い方がけっこううまい。

【追記】2009/02/18
生活が追い詰められているときに、こんな空疎な話題に飛びついた自分がイヤだな。(いや、追い詰められているからこそ、天下国家の話をして気を紛らわせたいのかもしれない。不健全なことだけれど)
生活が追い詰められているとき、天下国家の話をする。自分の辛い日常とかかわりがない(と思う)ことで盛り上がる。
それは人々にとっての娯楽だし、だからこそ「非日常」の案内人として元空幕長には出る芽がある。

そしてもう一つ。閉塞感を「なんでもいいから」打ち破ってほしい。という感情の底流も日本には流れている。それは一度、小泉のとき噴出したし(私は望まなかった)、堀江のとき噴出するかにみえた(私は望んだ)。
今、あのときよりさらに酷い状況が迫ってきている。現状が幸福な人間が一定数を割れば、保守的な言説は変化を望む声にかき消される。いいや人々は笑って聞き流したりなどするものか。最初の恐怖さえ取り除いてしまえば、人はこぞって新たな「友だち」に変化を求める。貪るように。