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武蔵野日和下駄  このページをアンテナに追加

2016-09-28 山荘で保護した猫のその後

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《山荘で保護した猫のその後》

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 2月に山荘に現れて保護することになった猫は、3ヶ月して保護期間が終わり、はれて山荘の住人の所有となった、飼い猫になったわけである。屋外では、野良猫サンちゃんが姿を消し、ミーちゃんとマルちゃんが食事にくるほかは、時折そのほかの猫が通り過ぎる程度。

 小さかったのでチーちゃんと名付けた保護猫は、家猫になって半年を経過した。その後の様子を記しておこう。私達は、山荘と現住所を行ったりきたりして二地域暮らしをしており移動手段は自家用車、移動のたびにチーちゃんも一緒にロングドライブをする。

 さいわいチーちゃんはドライブが好き、室内から車内への移動にキャリーケースに入れるけれど、自分からキャリーケースに入ることもあるほどで、ケースの中ではゴロゴロいっている。ケースの中では大変おとなしい。 走行中は伸び上がって幼児のように窓枠にしがみついて外の景色を見ている。飽きると空席にしてある助手席でうとうとしたり寝たりしている。最近では慣れて寝ている時間が長くなってきた。

 大人になって初めて猫と暮らすことになって、チーちゃんという猫の面白さに吃驚したり感心したりすることが多い。山荘にやってくる猫達をみいて、猫の個体差がとても大きいことが分かっているので、どれが猫族の習性でどれがチーちゃんの個性なのか分からないけれど、チーちゃんの行動はとても面白い。

 それでは家猫になったチーちゃんは、何をしているかと言うと、ほとんどの時間寝ている。調べてみると一日14〜16時間寝ると言われているが、チーちゃんは20時間ほど寝ているような気がしている。夜行性なので夜中のことは分からないが、寝ている時間が一番長い。

 も一つ目立つのは、少しでも高いところにいって、窓から屋外を見つめていることが多い。我が家では、これを<チーちゃんのお勤め>と名付けて、野生の名残りの見張り行動として、できるだけ尊重し妨げたりしないで協力してやることにしている。山荘でも現住所でも、見張り場所が何箇所もあって、絶えず熱心に外界の変化を見張り続けているのである。(画像は、洗濯機の上から伸び上がって、北側を見張っているチーちゃん、気が済むと別の場所に移動して見張り行動が続く。)

 行動として面白いのは、見張り行動とも関係があるが、待ち伏せと助走なしのダッシュ、その瞬発力が素晴らしい。全身の筋肉を引き絞り弾けたバネのようになって飛び出してゆく時は、野生の一端を垣間見る思いにさせられる。いわゆる猫パンチも速い。人間の反射神経ではとてもかなわないほどの素晴らしい速さである。

 半年いっしょに暮らしてみて、猫は高齢者が飼うペットにふさわしいことが分かった。犬のように散歩に連れ歩く必要はなく、キャットフードと水を与えておけばよく、下の世話は猫トイレですべて済ませるので、合図があればトイレに流してやるだけ。飼い主のライフスタイル適応するのが上手なので、お互いほとんどストレスはないような気がしている。

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2016-09-03 山荘での滞在日数−その2、と葛の話

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《山荘での滞在日数−その2と、葛の話》

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 赤城南麓の山荘で二地域暮らしをするようになって三年近くなる。二つの地域で暮らす生活スタイルにも慣れてきたので、今年に入って滞在日数をカウントしている。1月から3月までを便宜的に冬として数えたら39日だった。4月から6月までを春とみなして数えてみたら43日だった。

 冬と比べてあまり増えていないということは、赤城南麓の冬が気候穏やかなことと、現住所での暮らしが相変わらずけっこう多忙なことと関係している。多くの友人は現役世代なので、イベントなどは土日に集中しており赤城で週末を過ごすことはほとんどない。リタイアしてからは、週日よりも土日が忙しい。

 さて、山荘での夏は雑草とのたたかいが滞在時間のほとんどを占めている。激しく成長する夏草の勢いには生命力のほとばしりを感じる。以前にも書いたが、なかでもつる草クズ(葛)の傍若無人ぶりには手を焼いている。

 調べてみると以前はクズは有用植物として、根はデンプン葛根湯の原料として珍重され、強靭なつる状の茎は物を縛る結束用の紐として利用され、花は薬用の葛花として漢方で使われていたらしい。最近でも、葛花はダイエット食品として脚光を浴びているという記事をみた。(右の画像は、大きく葉を広げた陰で、次々と花をひらいてゆく葛花)

 今年は敷地内のほとんどの樹木にアクセスできるように、藪を切り開いて小道を増設したので、木々に絡み付いていた太い木質化した葛の茎はほとんど切り払った。それでも7月ににはいると玉切りしたままの丸太や枯れ枝の小山を蔽いつくすほどの勢いで繁茂している。

 葛だけを相手にするのならツルをひっぱって引き剥がし、根元までたどり薬品で根絶する方法もあるのだが、他の夏草もなかなかなので、夏草とのたたかいに苦戦しているのである。その葛にこのところやっと花が咲いた。やはりリタイアして別の地域で二地域暮らしをしている友人から、葛は花が咲いたらいつの間にか秋になって枯れるので心配はいらないという話を聞いた。確かに夏が終われば、葛は枯れてしまう。 せっかくのなので、今年は葛の花だけを房ごと摘み取って、葛花のドライフラワーでも作ってみようかと考えている。

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2016-08-25 クモの水玉ネックレス

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《クモの水玉ネックレス》

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 先日の夜に雨が降った日の朝、敷地の一角で見事なクモの水玉ネックレスをみつけた、エジプトでみた王妃の金の首飾りのよう。水滴がクモの巣の上で朝の日を浴びて輝いていた。(クモが嫌いでない方は、画像をクリックして、オリジナル画像にして見てください。水玉の美しいこと)

 上の方で枝から張り渡して巣全体を支えている糸は太くてとても丈夫、このタイプの糸に引っかかると可なりの抵抗感がある。何本もの糸をより合せて作ったロープのような糸である。その下で編み上げた虫取りの網目がすばらしい。

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 水玉のネックレスの糸は中くらいの太さ、つなぎ目のところの接続部分が水をつなぎとめて玉を作っているようだ。ネックレスの形を作っているのが、極細の糸の網目、細すぎて水玉にならない。そこでクモのメスが待ち伏せをしている。網目のどこにかかっても素早く移動できるような位置で待ち構えている。

 注意してさがすと近くに身体の小さなクモがみつかる。小さいからと言って子どもではない、オスのクモである。ちょっと大きなクモの巣では、クモは必ずペアでみつかる。いつも小さいのがオスである。

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 カメラでとらえた数日後、台風の影響で雨風が強かった日の後で行って見たら、ネックレスは無残にもボロボロになっていて、二匹のクモは見当たらなかった。どうなったかは分からない。

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2016-08-10 その後の猫事情

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《その後の猫事情に異変》

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 このところ赤城山荘とその周辺の野生動物たちに奇妙な変化が生じているので記録しておこう。コミュニケーション能力抜群の黒猫サンちゃんが姿を見せなくなったことは、以前に書いた、その前にひどい怪我をしていたことも。その後、もう一匹の無口な黒猫 マルちゃんも顔と尻尾の付け根に大きな怪我をして現れた。今では治癒しているが、危うく尻尾が千切れそうなほどひどい怪我だった。

 もう一匹餌を食べに来ているメス猫のミーちゃんが、前足の先が千切れそうなほどひどい怪我をして現れた。痛々しく三本足で歩いている。野鼠を捕らえるのが上手な猫だけれど、その様子ではしばらく獲物にありつけそうもないほどだった。さいわい、切断はまぬがれたようだが、怪我の跡が今でも痛々しい。(左の画像は、むかって左足の先の黒いところが変形したミーちゃん。下の画像は、黒猫マルちゃん、尻尾の付け根と額の傷跡が今も目立つ。所々に置いてある丸太が野良猫たちの指定席。)

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 異変は野良猫たちだけではない。カタクリやヤマユリの球根を大好物にしていたイノシシの気配を全く感じなくなった。大胆に日中でも敷地内をトコトコと横切っていたのに、気配すら感じなくなった。何があったのだろうか。

 何の根拠もない話なのだが、もしかすると害獣対策に悩んだ末に誰かが罠を仕掛けたのかも知れないという考えが浮かんだ。実はイノシシに困り果てて、私も罠を仕掛けるという方策を検討したことがある。トラバサミと呼ばれる罠が今でも商品として売られていることも分かった。けれども敷地内であっても、無差別に野生動物を殺傷する可能性があるので、どんなことがあってもこれだけは使うまいと思ってやめたのである。

 先日、浄化槽の点検に来た業者の方から、直ぐ近くの森の道に熊が出たという話も聞いた。鹿も次第に標高の低い所へ降りてきているという。山里で暮らすということは、こういう野生の動物達とどう付き合うか、自分の問題としてリアルに考えることでもある。

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2016-07-08 『科学の事典』

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《戦後の復興にかけた科学者たちの夢》

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 この頃、新刊書を手にする機会がぐっと少なくなり、それに反比例するように古い本を手にすることが多くなった。何となくそのほうが面白く気分が良いからである。読書にも高齢化の兆しが現れてきたということか(笑)。そこで<古書徘徊>と題して、以前に読んだことのある古い本のことについて少し意識的に書いてみようかという気になった。

 初めてこの事典出会ったのはいつどこか記憶にはない。おそらく中学校の図書室だったのではないだろうか。第1版の発行は1950年3月25日となっているので、小学校に上がる前のこと。第1版のまえがきには、以下のような記述がある。

<終戦の翌年、1946年の早春、いまだ新しい学制も確立されない前、“科学”の編集者と岩波書店は、戦後の若い世代におくる第一の贈りものとして、やさしくてしかも正しい自然科学の事典の出版を計画した。>

<敗戦後のきびしい情勢下にあって、いまこそいやおうなしに、自分の力で生きてゆかねばならないわが少年青年たちを思うとき、彼らの自力による勉強に応ずるだけの書物を準備しておくことは、私たちに負わされた義務であるとさえ思われたのである。>

 このようにして、私がこの世に生を受けたのと同じ頃、この事典作りが始まった。子どもの頃理科が好きだったので少年期、この事典を自分のものにしたいと何度願ったことだろう。ところが50年代で定価が2800円、第1版はとてつもなく高価な豪華本だった。(この頃の都市勤労者の平均月収は1万円ほど)月収の四分の一は子どもの小遣いを遥かに超える。

 今、拾い読みしてみると、中にはとんでもなく時代を感じさせる古い項目もあり笑ってしまう。電信と電話、電灯と電熱器、ラジオ、石炭、真空管、蓄音機などなど、当時の市民生活の一端をうかがわせる項目が並ぶ。あの頃の好奇心の強い子ども達は、こういう項の原理的な解説に目を輝かせていたのである。真空管も蓄音機もばりばりの現役だった。何という時代の変化だろう。

 面白い工夫もある。数学に関連のある項目はすべて、健一くん一家とその友人の花子さんたちの身近な生活を背景にして、説明を展開している。当時の先進的な研究者達が未来に託していた夢の一端がうかがえてとても興味深い。

 最初は、教科書や先生達の説明よりも詳しいことが知りたくてこの事典を開いてみたのだろうが、いつの間にか図版が豊富で分かりやすいことが気に入って、すっかりこの事典が気にいってしまった。暇なとき何度もこの事典の興味のある項目を拾い読みするようになった。 

 装丁も凄く立派に見えた。書籍装丁用のクロスのパイオニア、ダイニックの「ダイニック80年史」に科学の事典について、興味深い記述が出てくる。

<アートベラムが最初に採用されたのは、岩波書店の『科学の事典』だった。業務を再開した岩波書店にとって、最初の本格出版物である同書は、戦後の科学教育の再出発に備えて、基準となる辞典をつくろうという狙いから出発したもので、4年の歳月を費し、百数十人の専門家が参画して完成されている。布クロスを使用した戦後初の書籍でもあった同書には、アートベラムNW42が採用された。アートベラムは近代的なセンスをもつ書籍装幀用クロスとして注目された。『科学の事典』に採用されたのがきっかけとなり、出版各社の大型の新企画に使用されるようになっていった。>

 敗戦から5年、朝鮮戦争のころ、出版人たちは小さな子ども達に未来を託して、おおきな夢のある書物を本気になって準備していたことが分かる。そんな情熱に、北国の山奥の山猿が見事に感染したのであった。私が中高生の頃手にしていたのはこの第1版である。 

 第1版に最も強く出ている内容は、記述されていることの多くは純粋な科学の紹介ではなくて、身近な科学的な技術についての説明がとても多いということが印象的。身の回りに登場してきた様々な技術が、図解入りでとても分かりやすく説明されているのが、子ども心を引きつけたのだろう。

 この事典の最大の特徴は大項目主義、細分化された小項目のチマチマした解説ではなく、200に満たない僅かな項目のもとに、関連する中小項目を吸引、総ての項目に説明の大きな展開をもたせ、一まとまりの広がりと奥行きのある情報を提供しようという意図でまとめられていること。一つの項目を読むことが一つの読書となる、本格的の読み物となっている辞書であり、ほかに類書をあまり見たことがない。

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2016-06-04 その後の山荘の猫事情

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《その後の山荘の猫事情》

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 最近になって、山荘の猫事情に大きな変化が二つあった。一つ目は、2月に山荘に飛び込んできたベッコウ色のメス猫チーちゃんが、警察への届出期間がすぎて所有権が発生、晴れて私達の家猫に昇格したこと。平成19年の遺失物法の改正により、飼い主不明の犬や猫は、届出から3ヶ月経過すると、保護した人に所有権が発生することになっている。

 3ヶ月間保護している間に、チーちゃんはすっかり我が家の家猫と化し、自宅と山荘の二地域暮らしにも慣れてきた。荷物をまとめて移動の準備をしていると様子を察して、キャリーケースに嫌がらずに収まってくれる。ドライブ中は、小さな子どものように窓にかじりついて景色を見ている。両方の家に自分の居場所をしっかりと確保しつつある。(右の画像は、西日の差し込む読書室の絨毯で日向ぼっこ中のチーちゃん)

 もう一つの猫事情とは、淋しいことに黒いオス猫のサンちゃんが、もう1ヶ月以上山荘に現れなくなったことである。山荘に来てくれない理由はいろいろ推測できるけれど、実情は全く分からない。縄張りのマーキングが薄らいだせいか、以前に来ていた猫達が悠然と敷地を闊歩するようになっている。のんびりと昼寝をしていく猫もでてきた。サンちゃんの長期不在は、山荘周辺の猫の勢力地図を塗り替えつつある。

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 サンちゃんは、山荘に現れて野良猫の生き方の面白さを教えてくれたばかりでなく、類い稀なコミニュケーション能力で、猫という生き物の素晴らしさを見せ付けてくれた猫だった。内田百けんの「ノラや」の悲哀に満ちたシュールなユーモアを思い出した。猫の最も猫らしい姿は、もしかすると環境に最適化した野良猫にあるかもしれないと思わせてくれるような猫だった。素晴らしい野良だったのだ。(画像は、3月上旬に山荘に現れたサンちゃん、強敵が現れた印の怪我をしていた頃)

 飼い猫となったチーちゃんも、サンちゃんが来たときの緊張ぶりは他の猫と違っていた。敷地にサンちゃんが現れただけで落ち着きがなくなり、姿を現すと窓ガラス越しに睨み付けている。サンちゃんは顔を逸らしているのにじっと見続けていた。大きくて精悍そうな傷だらけの姿が怖かったのかもしれない。サンちゃんが座ったことのある椅子には今でも決して座ろうとはしない。

 最初はサンちゃんを飼い猫にしてみようと、猫トイレを買ってみたりしたけれど、どうしても飼い猫にするのは不可能と判断せざるを得なかった。そのトイレは今チーちゃんが愛用している。チーちゃんとサンちゃんは良いタイミングで入れ替わったと言えるのかもしれないが、サンちゃんの長期不在は何とも淋しい。

 3ヶ月ほどの長旅に出るオス猫はよくいるという話をきくけれど、永遠の旅に出かけたとは思いたくないので、はっきりした物証がないかぎり、サンちゃんの不在は、単なる猫の長期不在と思い込むことにしている。サンちゃん、早く帰って来い(笑)。

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2016-06-03 草刈と薪割りの日々

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《草刈と薪割りの日々》

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 ゴールデンウイークを過ぎる頃から、植物達の成長が著しくなる。一週間放置しておくと、山荘の周りには、みるみる荒廃した雰囲気だよいだす。そのままにしておくと、芽を出した植物達の茎がみるみる丈夫になり硬くなり生育に拍車がかかり、花をつけたり実をむすんだり、子孫を残そうとし始める。その前に刈り取ってしまわないともっと大変なことになるので、山荘に着くとまず草刈の作業がかかせない。

 いろいろ試してみたけれど、最近では4サイクルエンジンの刈り払い機を主体にして、3種類のアタッチメントを準備、刈り取る草の状態に合わせて使い分けるようにしている。柔らかい草にはナイロンコード、笹や硬い茎が混じる場所にはチップソー、中間の状態ならプラスチックのブレード。それぞれ使い方にコツが必要で、最近やっと少し慣れてきた。ただし、午前中の10時以前は電動の音の静かな刈り払い機を使うようにしている。山里の朝の静けさを壊したくはない。

 草刈が一段落すると、冬の燃料作りの薪割り、幸いと言うべきか不幸にと言うべきか、我が山荘には景観の妨げになるほど沢山の丸太の山がある。増えすぎた敷地の樹木を伐採した針葉樹と落葉樹の丸太が、何箇所かに積みあがっていて見るからにむさ苦しい。林の整理をかねて丸太を玉切り、割って薪にして乾かしてストーブの燃料にしている。(右の画像は、玉切りした丸太の山、奥に積み上がっているのは伐採した木々の山、燃料は何年分もある)

 使う道具は、チェンソーと薪割り機、どちらも使い慣れないと危険なだけでなく本来の性能も発揮できない。二年目にしてやっと少し使い方が分かりかけてきた。いずれもノコギリや斧に比べて各段に機能的な動力機械だけに、使い方をひとつ間違えると大い怪我の元になる。輸入品の格安製品を買うと、取扱説明書が英文で解読に手間がかかるけれど、英文の取扱説明書は明快で分かりやすい。驚くほど安く手に入り、性能はそこそこ、自分でメンテナンスできる範囲で使える。ネットで購入できる良い時代になったものである。

 本格的に使い込んでゆくと、使い方やメンテナンスの点で難しい問題が出てくるかもしれないが、初心者以上熟練者未満のレベルになんとかなってきたような気がしている。チェンソーなど初めはノコギリのように力を入れて切っていたが、機械のためにもガイドバーやソーチェンなどの消耗品のためにも、軽く優しくオイルの残量に気をつけて、丁寧に扱ってやることが大切だということが分かってきた。樵仕事の真似はたのしい。

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2016-05-11 去り行く冬の山荘滞在日数

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《去り行く冬の山荘滞在日数》

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 山荘を手に入れて2年半、2度目の冬が過ぎた。取りあえず1月から3月までを冬季として前年度と比較してみると、山荘での過ごし方の変化が分かるのではないか。ツレの集計をみると以下のようになっている。1月(13日)、2月(12日)、3月(14日)、合計で39日の滞在だった。昨年の冬は28日だったので、大幅に増えた。やっと厳しい冬を楽しむ余裕がでてきたと言うことか。

 赤城山の南麓は、気候的に穏やかで過ごしやすいと聞いていたけれど、今年は名物赤城颪の日も少なく、1月17日夜間の降雪で30cmほどの積雪は1回あったものの晴天に恵まれた日が多かった。今年の1月から3月までの前橋の晴天日は3ヶ月間で70日、晴天率はなんと77%。1月2月は晴れた日の明け方、放射冷却で冷え込み、マイナス10℃あたりまで冷え込む日もあったが、就寝中の防寒対策がわかってきたので、慣れてしまえばどうと言うこともなくなった。(画像は、珍しく30cmの積雪となった時の様子、軒下にあるのがストーブ用の薪置き場)

 朝晩の暖房さえなんとかなれば、日中は日差しがさしこみ南側の室温は15℃近くまで自然に上昇するので日中はストーブを使わなかった。日が陰る午後の時間帯になるとみるみる気温が下がり、室温もいつの間にか冷え冷えとしてくる。夕方からは、何らかの暖房がないと厳しい。

 活躍したのは、やはり薪ストーブ、安価なステンレスのストーブだけれど、豊富にある薪のおかげで燃料切れの心配はなく、思う存分燃やすことができた。敷地内の倒木や伐採した丸太があちこちにゴロゴロしているのを割って使えばいい。前の年に割って蓄えておいた分が残ってしまうほどあるので、屋外用と室内用の薪ストーブでおおいに利用した。

 

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2016-05-07 目まぐるしく変化する山荘の春

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《目まぐるしく変化する山荘の春》

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 春の山荘では、季節の進行と共にあわただしく展開する野草たちの営みから目が離せない。4月には自生のカタクリが一斉に花をつけ、まだ数は少ないがシュンランがひっそりと清楚な花をひらく。どちらも日当たりの良い雑木林の早春の可憐な草花。この花々を見るためにも雑木林の手入れは出来る限り続けようという気持ちになる。

 前回報告したアシナガバチの母親たちは、みるみる数が減ってゆき越冬した軒のまわりにはもう一匹も残っていない。次世代を育てるに適した場所を探して、赤城の南麓一帯に拡散していったのだ。山荘のまわりでもユーモラスに足をたらして飛行するアシナガをたびたび見かける。他にもクマバチやスズメバチも見かけるようになった。狩をするハチと採集するハチが入り乱れて飛行している。ハチたちにとっても多忙の春たけなわとなってきた。

 先日、ツレの山友達が7名、山荘に泊りがけで遊びにみえた。一度にお迎えする人数としては最多の御一向様である。丁度、敷地はヤマザクラが満開の時で、格好のロケーションでお迎えできたのが幸いだった。食事は皆さんに作っていただいて、夜は宴会、寝るのは好きな部屋で寝袋で各自寝てもらうという山小屋スタイル。これほど山荘がにぎやかになるのは、私たちが使うようになって初めてのことだった。

 5月に入ると、あちこちに点在するヤマツツジが花を開き、地上では小さなチゴユリが一面に花をつけ風にゆれる。地下に潜んでいた野草の種が発芽し、球根や地下茎も一斉に芽を出し、地上は足の踏み場もない。来客にはどこに足を下ろしても必ず何らかの野草を踏みつけてしまうが、気にしないようにと言う事にしている。チゴユリの群落などどこかを踏まないと動きが取れない。(右の画像は華麗に咲き誇るヤマツツジを眺めているように見える猫のチーちゃんと背後に広がる新緑、手前の緑は芽吹きはじめた萩の株)

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 周辺にお住まいの皆さんが一斉に草刈機を使い始めた。この時期に一度は草刈をしておかないと、地面は大変なことになるからである。私も負けじとこのゴールデンウイークに敷地の草刈をやったのだけれど、機械では発芽したばかりの野草を見分けて刈るのは不可能、チゴユリもヤマユリもマムシソウも区別なく、芽を出し始めた笹の小さな筍と一緒に刈り払うしかなかった。草の間には動き始めた昆虫たちの慌てふためく姿も見え隠れしていた。引っ掛けてしまった生き物達には申し訳ないことをしてしまった。君達は数で勝負しているような生き物なので、若干の犠牲は許してもらうことにしよう。(左の画像はチゴユリの小群落、名前の通り本当に小さくて可愛いい野草)

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2016-04-09 アシナガバチ活動開始

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《アシナガバチ活動開始》f:id:toumeioj3:20160409091909j:image:right

 昨年の春から山荘の周辺に巣作りをするアシナガバチを、雑木林に住む昆虫の捕食者として大事に見守ることにしている。昨年は、山荘の家屋の各所に幾つも巣作りを始めたものの、最後まで営巣をやりとげられたのは僅かに三つだけ、自然環境がいかに厳しいか実感した。天敵のスズメバチの襲撃が凄かったことを思い出した。

 アシナガバチの越冬はメスバチだけが集団で固まって寒さをしのぎ冬を越すのは分かっている。昨年も山荘の南側の屋根瓦の隙間から、中の風洞に入り込み越冬しているのだろうと推測していた。予想通り4月に入って暖かい日が続くと、隙間から這い出したメスバチたちが日向ぼっこを始めた。まだ飛び回る元気はないらしいが、最高気温が25℃を越えるようになると、少しずつ新しい巣作りの候補地をさがしてハチたちの飛行が始まる。(画像は、4月6日の午後暖かい日だったので、身体を温めに越冬場所から出てきたアシナガのメスの集団、気の早い一匹が飛び始めた)

 山荘で越冬したメスバチを概算で数えてみると40匹ほどいる。最後まで残っていた三つの巣にいたハチを合わせても40匹には足りない。それぞれバラバラの場所で巣作りをしていた最後のメスバチたちが、一箇所に集まったのも不思議だし、数が増えているのも不思議。寒くなる前に、アシナガバチが連絡しあい集まってきたのだろうか。

 最初の母親バチは夏の初めごろ、真っ先に力を使い果たして死んでしまっているので、越冬する場所の伝達だってしようがないはず。ここが良いという印か何かが残されていたのだろうか。ハチの能力には不思議がいっぱいである。

 いずれにせよ、今年は母親になる越冬したメスバチが多いので、山荘周辺での巣作りがたのしみだ。嫌がることをしなければ刺されることがないのは、昨年の経験で確かめてある。不注意な接触さえしなければ危険はない。ただし、来客のためと不慮のトラブルのために、万が一刺された場合のポイズンリムーバー(毒液吸出し器)と消毒液は準備してある。

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