武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『官能小説用語表現辞典』 永田守弘編 (発行ちくま文庫2006/10/10)


 新刊書店をぶらついていて、いつの間にか<官能小説>と呼ばれるコーナーが空間を確保し、だんだん領地を拡大していることが気になっていた。以前に<エロマンガ評論>について書いたとき、<エロの壁>について触れたが、ビデオショップでは、暖簾で仕切られてアダルトビデオが大きな空間を占拠している。書店でも何だかそこだけ別の世界でもあるかのように、目に見えないベールのようなものを感じて気になっていた。
 今回は、個々の官能小説作品ではなく、表現領域として独立したジャンルを形成している官能小説の<表現の次元>をのぞいてみるために、格好の参考図書を見つけたので紹介したい。古語辞典の宣伝文句をもじって言えば、<用例全訳>ならぬ、用例の長文引用が本書の特徴、どんな場面でどんな風に活用(笑)されているかが分かるように工夫されているところが面白い。類書に柴田千秋という人が編纂した「性語辞典」というのがあるが、そちらの方は語彙数では遙かに勝っているが、用例の質量では、本書の方が充実している。官能表現は、語彙の意味よりも、その使用例の方が興味深いのではないだろうか。
 以前に国際線の機内で、深夜の退屈を紛らわせようと本書を読み出して、目がさえて困ったことがあった。末尾に解説を書いておられる重松清さんの説明にもあるように、官能小説の値打ちは読書の<感動>にあるのではなく<興奮>にこそあるのであり、その表現が目指すところは狭くて明快、紛れようがない。煎じ詰めれば官能小説の価値もそこにある訳で、その目的を達成するための言語表現の創意工夫が物凄い。日本語がもっている表現機能を駆使して、隠喩暗喩の技法はもとより可能な限りの<興奮>をめざす表現方法の多様さには、眼を見張るものがある。
 例えば大項目の一つであるオノマトペ、日本語のオノマトペをかくも真剣かつ熱心に追求しているジャンルは果たして他にあるだろうか。これが実際に音響として発生する場面を想像すると、ラブホテルは騒音の坩堝となってしまうだろうという気がする(笑)。この勢いと活気があれば、いずれこのジャンルから源氏物語に肩を並べるような現代の好色文学が誕生するようになるかもしれないと期待してみたくなるほど(笑)。
 欲を言えば、このジャンルの作品の文化史的な流れの解説と、細分化された官能小説内部の枝分かれ状態、そして各ブロックごとの現時点における評価の高いベスト作品の紹介があれば、もっとよかった。自分で探すのは疲れてしまいそう(年かな)。
 本書の構成は、辞典といっても五十音順ではなく、表現対象の部位と領域によって分類してあり、男性女性の性器については詳しく部位ごとに細分化してし整理してある。参考のために、大項目だけ引用しておこう。

女性器−陰部/クリトリス/陰唇/膣/陰毛/愛液/乳首・乳房/尻/肛門
男性器−ペニス/陰嚢/精液

オノマトペ
絶頂表現

 官能表現に関しては女性器が224ページ、男性器が61ページを占めており女性の方が圧倒的、やはり官能表現とは女性器を表現の主たる対象とする表現領域であることがこのことからもよく分かる。たかがポルノと侮るなかれ、されどポルノと言い返したくなるほどの膨大な表現領域を形成している分野なのである。興味のある方は、一度手の取ってみられることをお勧めしたい。日本語の表現力ってこんなに凄いのかと驚愕されることを請け合いです。