武蔵野日和下駄

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 二つの村上昭夫詩集『動物哀歌』 村上昭夫著 (発行思潮社1968/11/1)(発行思潮社現代詩文庫1999/12/31)


 1冊目の村上昭夫詩集は「動物哀歌」だった。68年にH氏賞を受賞したことを受けた再版で、序文を書いた村野四郎氏の編集だったらしい。66年に300部発行された元の「動物哀歌」には、全部で193編の詩編が収録されていたのが、この時点で77編に精選された。私が20代の初めの頃に読んで、深い感銘を受けたのは、この再版された方の村野版「動物哀歌」だった。
 300部限定の「動物哀歌」は、読みたいとは思ったこともあったが、いつの間にか関心が薄れ、忘れたままになってしまった。何度か、故村上氏の周辺の熱心な動きもあって、全編を収録した版も再版されていたようだが、気付かないまま時間がたった。
 ところが最近になって、図書館の詩集の書架を眺めていて、現代詩文庫版の村上昭夫詩集に「動物哀歌」を見つけ、全編が収録されていることを知った。さっそく借り出してきて、読んでみて吃驚、40年近く前に受けた印象とずいぶん違う。生きることの奥深い哀感を、透明で厳しい倫理観を際立たせながら、呟くように刻んで行く平明な叙情性は変わらなかったが、遙かに人間的な暖かみを伴った、柔らかいふくよかさを今回は感じた。
 全編版の本書を手にするまで、私には村上昭夫は、素晴らしい詩人だが、どこか手が届きそうにない出来過ぎた、親しみの持てない距離のある詩人だった。いつの間にか関心が薄れてしまい、忘れてしまった詩人になっていたのはそのせいかもしれない。
 この違いは何なのだろう。思い当たることは一つ、村野四郎氏による抄出は、村野四郎という詩人によって選ばれた、村野バージョンの村上昭夫だったということ、村野氏の良しとしない作品はカットされてしまったからだった。私は、村上昭夫の詩人としての本当の素晴らしさは、村野四郎氏の篩いから零れ落ちたところにあるという気がした。

 したがって、40年間の私の勘違いを繰り返さないためにも、68年発行の77編「動物哀歌」という詩集はお勧めできない。古書市場では、相当な価格を付けている物を見るが、無理して入手する価値はない。極端な言い方になるが、77編抄出の「動物哀歌」では、村上昭夫の世界は、純度は高くなるかもしれないが多様な芳醇さを失ってしまいかねないからである。
 では全編版の「動物哀歌」を見て行こう。詩集は、全体を4部に分けて構成されている。各部にはタイトルはないが、テーマが近しい詩編ががまとめられたという印象を受けるので、順番に見て行こう。
 最初に来る第Ⅰ部は、詩集のタイトルともなっている動物を題材にした哀歌、動物に対する哀歌ではなく、むしろ動物が喚起するイメージを媒介にした人間哀歌となっている。哀しみの奥行きは限りなく深く、生命あるものに共通する哀しみの調べは哀切をとおり越えてむしろ痛々しいほど。存在の深淵をのぞき見るような限りない悲調が胸を打つ。村野版では39編採用されているが、全編版では59編ある。目次から、全編を引用してみよう。*印を付けた詩編が、カットされていたもの。



*金色の鹿
すずめ
*小鳥を葬るうた
熱帯鳥
雁の声
鳶の舞う空の下で
太陽にいるとんぼ 

*カラスの火
鴉の星

鳥の未来
リス
*牛の目
ねずみ
*空を渡る野犬
深海魚

熊のなかで
熊のなかの星
<豚>
宇宙を隠す野良犬
坂をのぼる馬

*失われた犬
*按摩師と笛と犬

*芝居をする猿に寄せて
スクリュウという蛇
*都会の牛
*虎
石の上を歩く蚯蚓
*鳥追い
*私をうらぎるな
化石した牛
巨象ザンバ
*つながれた象
*灰色のねずみ
*あざらしのいる海
*干された泥鰌
死んだ牛
*黒豹
*蟻とキリギリス
象の墓場
うみねこ
じゅうしまつ 
実験される犬
黒いこおろぎ
捨て猫
*犬
駱駝
こおろぎのいる部屋
ひき蛙

*ひとでのある所

マンモスの背
野の兎

 この第Ⅰ部を見る限り、詩として完成度の高いものを取り、短くてそれほど力が込められていないものを省いたと言える。しかし、元々村上昭夫は言葉数が少ないタイプの詩人であり、短いものにも込められている詩情と意味は軽くない。
 目次を引用していて不思議なことに気がついた。村野版には収録されていた<豚>という作品が抜けている。村野版を読んだ時、強い衝撃を受けた作品だけに、これは何としても残念なので、次にそっくり全文を引用しておこう。



悲鳴をあげて殺されて行け
乾いた日ざしの屠殺場の道を
黒い鉄槌に頭を打たせて
重くぶざまに殺されて行け


皮が剥がれてむき出しになって行け
軽いあい色のトラックに乗って
甘い散歩道を転がって行け
生あたたかい血を匂わして行け
臓腑は鴉にくれて行け
そのために屠殺場が近いのだと
思わせるように鴉を群れさして行け


人は涙など流さぬだろう
人は愛など語らぬだろう
人は舌鼓をうってやむだろう
その時お前は
曳光弾のように燃えて行け

 1960年代後半の物情騒然としていたあの頃を彷彿とするような、断定的で硬質な刺々しいまでの言語の熱い輝き、村上昭夫の良い面を代表する作品ではないかもしれないが、私には忘れられない一遍である。それにしても、村上のいつもの哀しみが、憤りに満ちた形をとった時の衝撃力には目を瞠る。20代の私にはショッキングな詩編だった。
 次の第Ⅱ部には、宇宙的かつ宗教的な主題の作品がまとめられている。宇宙を暗喩にして限りなく拡がる広大な心的世界と、宗教性の深淵に沈潜していくような著者の精神世界が、読む者を魂の次元で魅了する。目次を引用しておこう。*印が村野版で省かれていたもの。


星を見ていると
アンドロメダ星雲
シリウスが見える
賢治の星
*一番星

*悪い道
*ある冬について
*宇宙の話
*宇宙について1
宇宙について2
ひとつの星
*月から渡ってくる船
それが天なのだ
五億年
*雲
*紅色のりんご1
紅色のりんご2
*その以前とその以後
*もっと静かに
オリオンの星の歌
宇宙を信ずべきか
*光の話
*太陽系
*ただひとつの願い
*衣を縫う仏陀
ゆう子

*キリスト
*女人
*荒野
*神の子
*荒野とポプラ
如来寿量品
去って行く仏陀
精霊船
*神様
*出家する
*乞食と布施
仏陀を書こう
*破戒の日
鬼子母神
*経
*エッケ・ホモ
仏陀
木蓮の花

 全編版46編のうち村野版に採用されたのはたったの16編、この辺りから詩集としての全体的な印象が相当に大きくずれてくる。省かれた作品の中には、詩として完成度の高くないものもあるが、村上昭夫独特の詩情が生き生きと表出されているものが少なくない。
 戦後の混乱期に不治の病とされていた肺結核を病み、療養を繰り返しながら、生きることの意味を手探りしていた著者の息づかいが、生々しく伝わって来る。
 第Ⅲ部に入ると、類縁性のテーマでまとめたとは思えない、多様な作品の集積に出会うことになるが、この著者の求道的というか探求的というか、精神性の高い特徴は変わらない。目次を引用しておこう。


タクラマカン砂漠
*其処
*誰かが言ったに違いない
*土よりも深い苦悩を
*ぼくはそれと対決する
四月
*愛
*雪
*夜の色
ミッシング・リンク
*三つの道
*愛の人
*男の背
*一不足の廃兵
氷原の町
スターリンに寄せて
兄弟
*子守唄 
うた
*北の裸像
*秋
破船
*母について
教えておくれ
*エル
*地底の死体
*ぶよぶよの魂
*かたい川
五月は私の時
*おお それはそれは
*闇のなかの灯
*青い草原
*車をひく父
*靴の音
秋田街道
あいている椅子
*埋火
*枝を折られている樹
エリス・ヤポニクス
*ぼくという旅人
*その山を越えよう
*残るものが残るのだ
愛宕山の向こう
*ソヴエット・ロシヤ
*長靴をはいて

 46編中、村野版に採用されたのは、僅か13編しかない。省かれた作品には、村上昭夫の息づかいというか、著者の肉声に近いところから出てきている作品にたくさんで出会える。そんな作品を読んでいると、詩の完成度というのは、何なんだろうという疑問すら湧いてくる。贅肉をそぎ落としていく過程で、失うものがいかに多いかに気付かされる。
 最後の第Ⅳ部では、43編中13編しか村野版には採用されていない。目次を引用しておこう。


*終りに
砂丘のうた
*大人のための童話
*ふと涙がこぼれる
*空洞
*ある音について
*ある笑いについて
*死について
死と滅び

岩手山
遠い道
*なぜ
*愛さなければならない
お母さん
*世界
山の道
*その恋を
*男
*道
*言葉について
*石に言葉をきざむ
*そんな世界が
*不幸は限りなく続く
*引揚船
*恋をすると
*李珍宇
*戦争1
*戦争2
*戦争3
*戦争4
*戦争5
*戦争6
爪を切る
*悲しみを覗く
*バラ色の雲の見える山
人は山を越える
*河
*河が流れている
*海の向こう
樫の木
病い
*航海を祈る

 この第Ⅳ部まで全編版を読んでくると、村上昭夫の多様な豊穣な世界が読む者の中に拡がり、何とも言えず心豊かになってくる。41歳で夭折した岩手の詩人の、固有の世界が、確かな手触りを持って立ち上がる、その読後感は素晴らしいの一語につきる。
 本書の解説を読むと、村上昭夫には、全編版「動物哀歌」以外にも、収録されていない作品があることがわかる。友人による人物論によれば、何冊かのノートが存在したこともわかる。書簡類まで含めた、全著作集が発行されるといいのだが、一人の熱心なファンの無い物ねだりかもしれない。

 言葉遣いは平明で、分かりにくいところはほとんどないが、描かれている境地はなかなか深い。何度も繰り返し読んで、少しずつ読み込んでいくしかない世界のような気がする。手応えのある詩がお好きな方に是非お勧めしたい。