武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

杉花粉に覆われて

例年になく今年の杉花粉は量が多いと言う予報だったが

本当にスゴイ、半端ではない。朝の散歩の前に

薄黄緑色になったクルマに数杯の水をぶっかける。

すべての窓のくもりを拭き取りクロスで拭きあげる。

そうしないと気持ちよく安全に運転できそうにないほど。

 

あまりにも花粉が酷いのでツレは所沢

私は花粉症を発症していないので赤城にと

二地域暮らしを生かして臨時の別居生活

コンクリート製のマンションと木造和風建築の違いもあり

花粉対策に格段の違いがあるのだ。

季節の変化に敏感な山腹の雑木林と

便利な都会の住宅地の集合住宅

全く違う生活環境の特長を活用した花粉対応型別居生活かもしれない。

 

早朝なのに、花粉が少ない時間帯なのに

歩いていると目の周りが微かにゴロゴロする。

連れ合いは花粉症なので完全武装して出かける。

 

山荘の敷地にも杉の大樹が五本

廻りには取り囲むように杉林が広がり

杉花粉の製造元で暮らしているようなもの。

 

杉花粉は片栗粉のようにサラサラしていることもあれば

粉糖のように くっつくと途端にべっとりへばりつく

奇妙な性質があるようだ。

遠くの空気が黄砂よりも少し緑がかって見える気がする。

アカガエルの大宴会

山荘の脇を流れる沢からにぎやかな動物の鳴き声がした。

水溜まりの中に何やら動いている。

遠いのでハッキリしないけれど蛙のようだ。

浅瀬の辺りに何匹もいてさかんになき交わしている。

スマホで検索すると声から判断してアカガエルらしい。

 

草むらに座り込み動くのをやめてじっとしていると

カエルたちが動きだし水の中を泳ぎだした。

ピチャッピチャッと水をはね遊んでいるみたい

動きに合わせて鳴き声もにぎやかになり

盛り上がってきた宴会のようだ。

 

かん高い声が護岸の壁面に反響して盛り上がりがすごい。

声のトーンが明るく軽い感じなので

聴いていると春の訪れを歓迎して

いっしょに歌い出したくなるほどだった。

立ち上がってその場を動いても

盛大に盛り上がった沢の中の大宴会は続いていた。

少し元気に その十

道端のセツブンソウ

いつも散歩している遊歩道の道端に

待っていたセツブンソウが咲きだした。

今年は咲かないのかなと心配していたのだが

それまで何にもなかった地面に

ポツリポツリと芽が出てきたと思ったら

みるみる一斉に咲きだした。

今年も無事に咲いてくれたことに一安心した。

 

それと言うのも、姿かたちの愛らしさ清楚な佇まいが好まれて

心ない盗掘者たちに狙われて各地で激減し

今や絶滅が危惧され、保護活動の対象になっているほど。

 

これからひと月足らずの間に地上から姿を消して

一年のほとんどを地面の下で過ごし

来年の節分の頃にならないと地上にでてこない。

何という儚い生命、文字通りの一瞬の命の輝き。

 

少し元気に その九

赤城の山荘を手に入れてもうすぐ九年になる。

はじめは週末の山里暮らしで

所沢の暮らしと半々ぐらいの行き来だったが

コロナのことがあって山里暮らしが大半になってしまった。

 

山里暮らしが長くなると今まで気づかなかったことにも気がつくようになる。

街中で暮らすのと違って圧倒的に自然に恵まれている代わりに

日常生活での不便なことが多くなる。

ほとんどのお店が遠くなり、買い置きが大事になる。

病院やコンビニだって近くにはない。

人口密度が低くて商店がやって行けないのだ。

 

自然の脅威にさらされる。

豪雨になると外出は考慮の外になり

寒風が吹くと家のなかにとどまるしかない。

買い置きの保存性のよい食料をかじりながら

天候が回復するのをひたすら待つ。

晴耕雨読がライフスタイルそのものとなった。

雨の日をどう過ごすかが生活の質に直結する。

 

町には町の歴史があるように

山里には山里の固有の歴史がある。

ここは、戦後のはじめ、

引き上げ者や土地を必要としていた人々が

開拓者として入植してできた新しい山村、

戦前からの古い歴史を持たない村。

それでも今は二代目、三代目が現役となり、

入植世代は亡くなったり高齢化したりで

世代交代が進んでいる。

 

私たちのように最近になって移り住むようになった家もあり

すでに山里暮らしに同化して村の一員として定着した家もある。

中には、村人との付き合いを避けて

孤島で暮らしているように没交渉のままの家もある。

この村は戦後にできた村のせいか、

どんな住まい方にも寛容で

新旧の住民間の波風はあまり聞かないない。

 

私たちは、

この、山里に移り住む人に穏やかな距離を置く村人たちの

この、やりかたが気に入っている。

 

 

 

少し元気に その八

24日からの記録的な寒波は凄かった。

夕方までは大したことないかなと侮っていたら

夜半ごろから北風が急に強くなり

布団のなかで荒れ狂う赤城下ろしになすすべもなく

翌朝になって初めてホゾ噛む思いを味わった。

 

ガス給湯器の配管が凍結、お湯を使いたくてもガスに点火しない。

冷たい水は出るのでトイレには困らないけれど、

炊事担当のツレは困惑しきり

私も冷たい水で洗面することを思うと切なくなった。

あわててマニュアルを読み直し凍結した場合の処置をとり

気温が上昇するのを待つことにした。

 

あまりに寒いので毎朝の散歩をやめにして

敷地周辺の見回りにでた。

北側にあるヤマザクラの大木の枯れ枝が

強風に耐えきれず折れて地面に横たわっていた。

大人のスネほどの太さがある長い枝が複数に折れて寝ていた。

人気のない深夜のアクシデントで幸いだった。

 

ガス給湯器は25日も回復せず

気温が上昇した26日の昼頃やっと回復した。

ほとばしる熱い湯に手を入れてしっかりと手を洗った。

マニュアルを改めて読み直した。

 

所沢で用事を済ませて帰り、31日から早朝の散歩を再開した。

遊歩道になっている山道にいっぱいスギやサクラの枯れ枝が

強風で折れて地面に落ちていた。

太いのや枝先の生きのよい枝まで

場所によっては足の踏み場もないほどに地面を覆っていた。

余程強くて複雑に捻るような風が吹いたのだろう。

 

24から25にかけての寒波は各地で被害を残したようだが

赤城山麓でもそれなりの影響があった。

少し元気に その七

赤城下ろしが吹き荒れる寒い日には

西側の工作室に設置してある薪ストーブに火をいれる。

電気やガス、灯油などを使うストーブと比べると

その不便さは計り知れないほどあるけれど

山荘暮らしでは得がたい長所があり欠かせない。

 

私たちの山荘は雑木林の中にあり

前の所有者は手放すときに買い手がつかなくて

何本もの松とコナラの大木を伐採、

景観をととのえて何とか売ろうとしたらしく

購入した時点では、たくさんの木材が横たわっていた。

 

それを何年もかかって切り刻み薪を作り

まだ片付け終わらないというのが現状。

チェーンソーを唸らせ、林業ギアをいくつも買い込んで

冬までに薪棚を一杯にして、せっせと薪ストーブを燃やして

林の中を片付けてきた。

 

我が家の薪ストーブに関する限りは、燃料費は全くのゼロ。

二酸化炭素の収支についても、

育つときに吸収した分をガスにして煙突から出しているだけなので

絵に書いたようなカーボンニュートラル

灰は肥料として林床に散布して元に返すだけ。

 

ストーブに関しては、今は三代目

最初はステンレスの時計型、よく燃えるけれど

何となくロマンにかける気がして、

同じ時計型の小型で持ち運びができるアウトドアタイプに買い換えて

林のであちこちに移動してかなり楽しんだけれど飽きてしまい

現在は、安物だが二次燃焼機能をもつ鋳物製におちついている。

 

二次燃焼と言うのは、薪から火の熱で発生した燃焼ガスが

新しい空気に接触して燃える一次燃焼で燃え残った不燃ガスを

ストーブの内部を通過して熱せられた空気により

さらに再燃焼させる仕組み、二段燃焼とでも呼ぶべき仕掛け。

 

煙突からでる煙を見ると燃しはじめには見える煙がでるけれど

調子よく燃え始めると空気のもやもやしたゆらめきしか見えなくなる。

それでも、燃焼にともなうガス、たとえば炭酸ガスや水蒸気その他の

燃焼ガスは大気中でてゆくのは間違いない。

 

それでも、薪が燃えるの見ていると

気分が高揚し、子どもの頃からの火にかかわる思い出をチェック

したりして暖まっていると気持ちがいい。

山荘暮らしの大事な冬の楽しみとなっている。

少し元気に その六

今日は旧暦の大寒の翌日、今年の冬は比較的暖かいと思っていたけれど

久しぶりに赤城下ろしと言う名の北西の強風が吹き荒れて

赤城山の南麓に人影が少ない。冬の小鳥も姿を見せず

冬木立の雑木林を大きく揺さぶる風の音だけが鳴っている。

 

この辺りの地元野菜売り場やスーパーは駐車場が広く

その駐車場を北西の寒風が吹き抜けるので

日用品の買い出しで震え上がった。

乗り降りする時、風でドアがもって行かれそうになるので気を使う。

 

昔の農業の本を読んでいたらこの辺の農家は

冬場、赤城下ろしが吹くと表層の土が飛ばされ仕事ができず、

苦労させられたと言う話が載っていた。

今は丈夫そうな骨組みのビニールハウスが立ち並び

脇に軽トラックが止めてあるけれど人影は見られない。

 

私たち高齢者は赤城下ろしが吹く日には

家の中に閉じ籠り、南側の部屋で読書したり

ブルーレイに録画してあるシネマを再生したりして過ごす。

冬が来る前に床下は密閉したので、

寒風は木々を揺さぶりながら屋根の上を吹き抜けてゆく。

今日は、本当に寒い一日だった。