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2017-01-04 客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非の意識

toxandoria2017-01-04

客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非の意識が日本の命運を分ける/希望は量子論・AI・脳科学らの最先端で必然の流れ「自然・人文科学」融合(コンシリエンス)が生まれつつあること!


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峰の原高原』の冬景色(信州、長野県須坂市仁礼)

・・・[pixpot、信州の霧氷・樹氷「峰の原高原・志賀高原http://www.pixpot.net/articles/u_d_view/304/sinsyu-muhyo/ ]より転載
















プロローグ)ヒエロニムス・ボッス『荊を冠ったキリスト』の意味


f:id:toxandoria:20170104032910j:image:w400

Hieronymus Bosch(ca1460-1516)「Christ Crowned with Thorns」 1500s. Oil on panel 73×59cm National Gallery 、London


f:id:toxandoria:20170104033023j:image:w200:leftマトウラーナとバレーラの名著『知恵の樹』(ちくま学芸文庫http://urx2.nu/AGF8 )は、ヒエロニム・ボッスのこの絵の意味を決定するのは右下にいる人物の描写だと述べる。その男は衣をシッカリ掴んでイエスを地面へ向けて強引に抑えつけているように見える。その人物はイエス(この場合は英知の象徴)の自由を制限し、イエスの注意を自分の方へムリヤリ向けさせようとしており、その男はこんな風に言っている。「さあ、私の言うことを聞いて、私が言うことは絶対に間違いないのだから!」


マトウラーナとバレーラによると、これは「確信の誘惑」と呼ばれる“カルト(非分析的・閉鎖的で客観知を憎む、しかも暗い情動の方へ過剰傾斜した反知性主義的で異常な精神環境(カルトなど)←補足、toxandoria)への誘いの描写”だ。とはいえ、普通、我われ人間が“これは正しいと思う確信の世界にしか生きられぬ弱い存在”であるのは事実であり、“そのこと自体に善し悪しの区別はない”のも現実だ。そこで、その意味での確信的思い込み(人間一般が抱える弱み)のことを、マトウラーナとバレーラは“盲目の孤独”と呼ぶ。


この“盲目の孤独”を乗り越えるため必須となるのが、周辺と生命個体内の自然・社会両環境(エトノス環境/関連参照http://ur2.link/AIgK)との間に形成される“広義の愛に満ちた虚構世界”の広がり、つまり“信用・信頼・交歓・交換”を繋ぐ「観念、感性の両面から成る間主観性」(インテマシーとインテグリティーが調和する社会性/委細、後述)に満ちた世界である。


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Lara Fabian - Pas Sans Toi


1「AIシンギュラリティー信仰」へのアンチテーゼ/量子論・AI・脳科学ら先端研究が暗示する「自然・人文科学」融合(コンシリエンス)の必然性


<注>AIシンギュラリティー信仰

・・・例えば、“まさか(不確実性)”への運任せが前提条件のため確率計算が不可能な安倍内閣の「嵩上げGDP支援によるAI&原発一極利用式バクチ経済政策」などを意味する(Cf.⇒ http://qq1q.biz/AHHH )。


1−1 人文・自然科学融合の地平(1)量子論・AI研究フィールド


<注>人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)の委細についてはコチラを参照!⇒20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L 


(西川アサキの情報基礎論)


f:id:toxandoria:20170104033437j:image:w250:right西川アサキ(東大大学院情報学環助教/基礎情報学、AI研究・情報哲学者)は、著書『魂と体、脳』(講談社選書メチエ)で人間の意識をクオリアと呼び、それは「内外世界の認識力、意思(志)、理解・共感力、知識などを総合したもので、かつ対外部的に秘密(私的かつ入れ子的に幾重にも内向)化する性質の脳の統合作用」と説明しているが、興味深いのはこの理解の後段の部分の「対外部的に秘密化(過激なまで暗く内向化)する性質」である。


それは、(第3章−1)で後述するトマス・カスリス「インテマシー/インテグリティー」論の「神道スピリチュアリティー」(真珠湾奇襲攻撃を端緒として、日本を太平洋戦争の悲劇的プロセスへ連れ込む主な原因となったマイナー精神環境の内側の暗部、いわば国家神道の核心である靖国『顕幽論』(委細、後述))と強く共鳴するものがあるからだ。


つまり、カスリスが、「先史時代〜奈良遷都までの古神道期の神道スピリチュアリティー」と「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー」は全く別物と見るべきだと主張するとおりで、西川アサキが定義する人間のクオリア内部の「対外部的に暗く秘密化する性質」が極限まで内向(過激なまで秘密化)したものが日本会議神社本庁安倍晋三らに取り憑く「追憶のカルト」((a)“国民主権”削除、“象徴天皇制”廃止、“国家神道/靖国軍神”復活等が前提の改憲、と(b)敗戦否定et al.)の正体ではないか?と考えられる訳だ。


(a)については、「自民党改憲草案」があからさまに書いているので、一般にも徐々に知られつつあるのだが、(b)安倍晋三・首相らの敗戦否定のホンネについては、今のところ表面的な取り繕いと安倍政権に迎合するメディアプロパガンダ(↓★1)が功を奏しており、一部の海外知識人らの「安倍晋三・首相らの危うい発言(敗戦否定を過去に明言した事実)についての厳しい指摘と警告」(↓★2)にもかかわらず、まことに残念ながら此の点に関する危機意識を多数派の国民層は殆ど持っていない。


★1 「アリガトウ」96歳の元米兵、安倍首相とハグ(「日米関係の"癒しの頂点"だ」 安倍首相の真珠湾訪問、海外メディアが好意的に伝える(NY.Timesなどは謝罪の言葉ナシ、と報じているが?)/Huff.P. 日本版)20161228朝日、http://qq1q.biz/AHHQ


★2 オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識(の正体とホンネ)を問うSunday, December 25, 2016/Oliver Stone and internatonal scholars and activists send an Open Letter to Prime Minister Abe on the eve of his Pearl Harbor visit.  http://qq1q.biz/AHHR


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ところで、西川アサキは、<基礎情報学理論、哲学[特にジル・ドゥルーズ(1925-1995/数学的素養がある哲学者)のライプニッツ論『襞』]、科学哲学[特にG.W.ライプニッツ(1646-1716/哲学・科学哲学・数学者)のモナド論]>、および<AIシュミレーションが日々にもたらしつつある新たな知見・発見>を結合する思考実験(科学原理に反しないことを前提に行われる論理思考)で、まことに興味深い複数の「社会心理学上の、あるいは政治学上の未来に関わる新たな可能性(希望の方向性)」を推論している。それらの中から、特に興味深い三点を以下に紹介しておく。


(1)「意識が生まれる瞬間」についての重要な推論/西川アサキは、最大の関心事がAIロボット内で生まれる可能性がある「わたし」(つまり意識)の問題だとしているが、現時点でその「わたし」は(a)自己組織化させる、(b)研究者(orプログラマー)が外部からプログラムする、という二つの方向からのアプローチが進んでいる。そして、ここで最終的に必須のモジュール(そこに至る迄の前のプロセスでは、脳内でもそうであるが夥しい数の複数のデッドロック(堂々巡り)・ペアが存在する)は、「デッドロック・ペア」(二対のデッドロック)と「デッドロックで対峙するモジュール双方の能力(夫々が相手方の中に期待して求める能力)に関わる未来への信用(確率論的な意味での)であること」が分かってきた。


・・・上の図は、同書の中に掲載されている川人光男著「脳の計算理論」(川人光男/国際電気通信基礎技術研究所・所長、http://ur2.link/AIgR)にある「川人の自我モデル」の部分転載である。


・・・西川アサキが言う「デッドロック・ペア」は右端の二対のモジュール・モデルで、そのうち左側の順(ベクトル)モデルは「自分が属する脳の動きのシュミレーション」(知覚や体験を仮に創り出すキャッシュ(一時記憶的)動作)、右側の逆(ベクトル)モデルは「自分の属する脳の動作規則の抽出」(世界と自分は、今このような構造を持っているはずだ、という信念を創り出す動作/これが意識化の第一歩、自我創成への入り口?)ということになる。


・・・西川アサキによれば、左側の順モデルのペアは、お互いの能力を必要とするからこそ動きがとれずデッドロックしているが、外部からプログラマーが仮の「信用」を与えると(未だ、この部分(デッドロック解除のプロセス)の自己創出は実現していない)、「たとえ矛盾が起きても何回かのやりとりのなかで何とかなる」という「未来への信用」が双方で創出され、そのデッドロックは解消されて右端の逆(ベクトル)モデルのペアが創出される。このプロセスと、以下に述べる「リスク(確率計算が可能)と不確実性(同計算が不可能な“まさか”の世界)の違い」の問題は、ダ―ウイン進化論の限界(矛盾点)を補完すると考えられる<「進化論的軍拡競争」と「(生物種の)永続性の原理(仮説)/人文・科学両「知」融合(コンシリエンス)の地平で立ち上がる原理!」>(下記★3、参照)にも関わってくる可能性があると思われる。



★3【進化論的軍拡競争、永続性の原理】を無視する<“日本会議”指南、無謀「軍拡競争」の意思>を隠蔽する悪徳工作の一環! ⇒ 安倍晋三首相「パールハーバーは和解の象徴」20161228産経フォトhttp://ur0.biz/AGbk

f:id:toxandoria:20170104034658j:image:w360:right・・・「進化論的軍拡競争」は、カッコウやホトトギスなどの鳥がオオヨシキリなどの巣に卵を産んで育てさせる「鳥の托卵」の研究から、「托卵されたオオヨシキリがその托卵された卵を巣の外に捨てたり、あるいは逆に托卵した卵が巣の外へ捨てられないよう、カッコウやホトトギスがオオヨシキリに似た卵を産んで托卵したりする」ようになる「リスク分散の行為」であることが確認されている。


・・・この「進化論的軍拡競争」や「一つの巣の中に必ず1〜2割出現する、普通の状態では一切働かない怠け者アリの存在(働きアリが力尽きた時に働き出しバッファ役を担う)」などが、いずれもダ―ウイン進化論と矛盾しないことが理解されてきたため、ダ―ウイン進化論を包摂する上位概念として仮説されているのが「永続性の原理」(結局、“エトノス環境と調和しつつ自らの種の永続性を最重視し行動する生物”だけが絶滅を免れるという原理!:長谷川英祐・北大大学院農学研究院・准教授/関連参照⇒http://urx2.nu/AGL5 )。


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<注>自動掃除機(ロボット)への応用で実用化に成功した米国ロボット工学者ロドニー・ブルックスが作ったAI「ゲンギス」(http://urx2.nu/AGL7 )は、そのタスクを極めて単純なものに絞った自己組織化の成功事例なので、「意識の自己創成」過程を研究する、上で取り上げた「川人の自我モデル」のシュミレーション回路とは異質の「脳を持たず、神経ネットワークのみで環境から学習する包摂アーキテクチャ」である。


・・・


・・・因みに、この「信用」の問題で重要となるのが西川アサキによる「リスク(確率計算が可能)と不確実性(同計算が不可能な“まさ”かの世界)の違い」を理解することである。つまり、リスクは一定の確率計算が可能な予測(推計)であるので、その確率分布に応じてある程度の「信用」(必要とする相手の能力への期待)が関係者の間に生まれるが、不確実性とは、例えば現下・日本の安倍政権が「アベノミクス失敗を認めず、次から次へと繰り出す弥縫策」の連続で、あるいは「まさか男、米トランプ大統領の登場」で、日本と世界が“まさか”の混沌化(先が読めない不幸な状況)に深く嵌りつつあるが如きことである(Cf. ⇒ 安倍内閣と多数派国民が失敗アベノミクス直視を忌避するのは何故http://urx2.nu/AGLx )。


・・・また、この<意識が生まれる瞬間>に必須となる「未来への信用」は、後述する西垣 通(東京経済大学教授、前東京大学大学院情報学環教授/基礎情報学)の「ネットによる集合知民主主義の統合モデル/HACS(階層的自律コミュニケーションシステム)」および金井良太(意識の研究で国際的に活躍する認知神経科学・脳科学者、アラヤ・ブレイン・イメージングCEO)の「脳の構造に本能的感覚(但し、おそらく進化論的プロセスで蓄積した!)として備わっている倫理観」との関連性があると考えられる。


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(2)同じ不確実性でも、例えばEU統合のような“『権限⇔権限』関係を包括する入れ子モナドロジー的な囲い込み環境”に因る内在リスクを前提する不確実性の場合のAIシュミレーションでは、意外にも共可能性(共存と常識を支持する多数派集団(社会))が現れ、それを前提しない場合では逆にデッドロック(対応・処理不能の堂々巡り)状態が観察される。


・・・Cf.1 20171204日本経済新聞に森井裕一氏による遠藤乾著『欧州複合危機』の書評が掲載された。「来年は独仏でEUの将来をも決め得る選挙の年となる。中間層を納得させながら国際環境の変化に対応する政策を展開する時間は独仏やEUに残されているのか」20161219@中公新書http://qq1q.biz/AHLp 


・・・Cf.2 脳科学者・金井良太(委細、後述)の『政治的信条に関わる脳構造』(著書『脳に刻まれたモラルの起源』収録)の脳の情動部位に関する観察によれば、極右・超保守派は恐怖心や臆病な性質との相関が高く、逆にリベラル派は太っ腹や鷹揚な性質との相関が高いことが観察されている、ことは興味深い!(苦w)



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(3)【人間社会における、「リアル支配力」と実存重視の「知性主義」は基本的に無関係であることを再認識すべき!/ライプニッツのモナド論を取り込んだAIシュミレーションでは、仮想エージェントが多数派に対して「同調する振る舞い」が観察されるが、より驚くべきは、同じことが自然界の原子・分子レベルでも起こっていることだ!】


・・・Cf.1 因みに、自然現象ではベクトルに任せ放置すると、人間社会の虐殺へ至るプロセスとソックリのこと、例えば相転移現象が起こる。しかし、個々人が自由意思を持つ人間社会では、どんな環境下でも最後の瞬間まで誰も奪うことができない精神の自由(実存選択の意思)が残されている(フランクル『夜と霧』)。よって、人間は無機質な原子・分子の世界とは異なることを最認識すべき!そして、このような知見に立ちつつ改めて「堕落した日本メディア」の役割を問い直すべし!


・・・Cf.2 森千香子『排除と抵抗の郊外/フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』(第16回大佛次郎論壇賞)は西川アサキ『魂と体、脳』と併せ読むべき(困難な問題でこそ人間は多数派に同調する傾向がある。それは伊坂幸太郎『マリアビートル』にヒントを得てライプニッツ・モナド論を取り込んだ西川アサキのAIシュミレーションでも観察される/ 虐殺はなぜ起こるか?を考えさせる西川アサキのAI シュミレーションの意義!)、そして森千香子氏の観察は今こそ全ての人々が理解すべき重要な人間社会の現実!20161220只のオッサンhttp://ur0.biz/AGcL 


・・・Cf.3 森千香子さんが『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』で第16回大佛次郎論壇賞を受賞。おめでとうございます!弊社からは『国境政策のパラドクス』『排外主義を問い直す』(共に編著)が刊行されています。@勁草書房編集部 http://ur0.biz/AGcM


(関連情報)


◆SNSは「噓ニュースとデマ情報の濃霧」に巻込まれ、既存メディアは「信頼性劣化とトランプ式“まさか”無責任orパノプティコン権力」らの小道具取扱い化の壁にぶつかりデッドロック!これからの要は、市民意識・SNS・既存メディアのAI活用による融合 → 新メディア創造、の方向へ向かうのでは?20170104@只のオッサン RT to @‏@ikinahito123/メディアの主役は明らかにソーシャルメディアだが、信頼性の高い新聞社などは、情報の正確さで勝負できるはず。・・・【断絶を超えて】3)拝啓ツイッター大統領様:20170104日本経済新聞/名門紙が戦う脅威 米国を代表する有力紙ワシントン・ポストの本社7階。紙が散らばる昔ながらの編集局はない。サイト訪問者数、記事閲覧数……。編集局の中央の大型モニターに様々な分析データが並ぶ。ニュースが今、どうネット上で読まれているか。編集者は刻一刻と変わるデータを横目にスマートフォンで見やすい「画面づくり」にエンジニアらと知恵を絞る。ポストが米アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏を社主に迎えたのは3年前・・・https://twitter.com/hanachancause/status/816553740920422401 


・・・


(西垣 通の情報基礎論)


f:id:toxandoria:20170104040310j:image:w220:left西垣 通著『ネット社会の正義とは何か』(角川選書)によると、軽く考えれば一見同じように見えるシステムである生命体と機械の決定的な違いを明快に示してみせたのがチリの生物学者ウンベルト・マトウラーナとフランシスコ・バレーラが1970〜80年代に提唱した「オートポイエーシス(自己創出理論/Autopoiesis)」である(関連参照⇒プロローグ/ヒエロニムス・ボッス『荊を冠ったキリスト』の意味)。


これは生命体が自分自身を創り出す(個体で見れば子孫を残す)ことを意味するが、脳細胞と脳内の記憶も、同じく過去の記憶をもとにして更新・蓄積されてゆく。それに対して機械システムの一種であるコンピューターは、人間の誰かが設計し、回路を組み立て、プログラムを組み込んだものである。従って、機械はそれに対してアロポイエティック・システム(allopoietic system/alloは(外部から挿入される“他者・異物”の意味)と呼ばれる。


然るに、例えば米国のロボット工学者ブルックス、西川アサキ、川人光男(以上、既述)あるいは後述の金井良太らAI関連フィールドの先端研究によって、Autopoiesisである人間(の意識)とAIマシン(の意識)の違い(差異)が分からなくなる?という議論が出始めており、それどころか、そのトレンドのなかで最も急進的なのがレイ・カーツワイル(関連参照⇒『AIを巡る楽観論と悲観論のジレンマ』http://urx2.nu/AGN7 )のシンギュラリティー(AIが人間の知能を超える)論だ。果たして、AIマシンは人間を超えて神的な存在となり得るのだろうか?(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFCb


が、西垣 通はそうはならないだろうと見ており、それよりも最適解がある一定の社会・政治的テーマに絞ったHACS(階層的自律コミュニケーション・システム/ネットによる集合知民主主義の統合モデル)による国民層の多様な「集合知」の発見と活用に更に取り組むべきだとしている(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFEu )。それは、未だにSNS(ツイッター、フェイスブックなど)の活用の殆どが<商用広報or同好会的親睦ツール、うっぷん晴らし発言の場、果てはウソ・ニュース発信源、非正規データベース化した非文脈的情報の氾濫>などの段階に留まっている現状であり、主要メディアの代替役も未だ道遠しであるからだ。


因みに、同書のなかでの西垣の議論で最も注視すべきと思われるのは下の二点である。


(1)そもそも、従来の自然言語(話し言葉と文字や記号として書かれる書き言葉)もデジタル(変換)言語(DB(データベース)レベルで言えば、正規DBと非正規DB)も同じ「機械語」であるという発想転換が先ず肝要だ!(正規DB=特定の目的で収集し体系化されたもの、例えば住所録・電話帳・顧客情報ら/非正規DB=ツイート、メール内容などWebに氾濫する断片情報を集めたDB(一般のまとめサイトも此処に入る)で、嘘ニュース、悪質デマ、陰謀工作ネタ等の情報源に使われる可能性が高い)


(2)「AIの知(仮に、近未来においてAI意識が創出される?としても)」と「人間の知(文脈的・エトノス環境的意識)」の違いを理解するには、先ず西欧中世の「決疑論」と近代啓蒙主義における「観念的な間主観性」意識の発達&共有化(これが政教分離原則、議会制民主主義、現代憲法、現代の司法・裁判制度、あるいは近代以降のジャーナリズムの成立などに繋がった)の問題についての理解が重要! ⇒ この視点が基礎情報学で言うネオ・フィードバックシステム(機械内部のフィードバック処理回路を越えた人間社会、人間の歴史、自然・生命環境の全体、すなわち内外の全エトノス環境と相互交流する意味での新しいフィードバックシステム)の概念である!


まず(1)の問題であるが、人間が古来馴染んできた自然言語であってもそれが書物に記されると、途端にその意味内容は潜在化し、いったん機械情報化する。すなわち、その意味ではデジタル(変換)言語も自然言語も同じである(そこにある差異は書物等とコンピューターという、書き言葉、話し言葉などの“情報”を収容するツールの違いだけ!)。


だからこそ我々は“書物・本・文書・言明などを(自分の意思、常識、あるいは権威ある一定の倫理・哲学的解釈、学説、科学合理的知見、司法判断らに照らしつつ)文脈的に読み解く”という表現を使っている訳だ。当然ながら、この意味で(1)と(2)は深く繋がっていることになるし、また、このような視点は「ヒューバート・ドレイファス人工知能に対して鋭い哲学的批判を続ける米国の哲学者)のコンピューター批判」にも通じるものがある!(関連参照↓◆)


◆“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)による啓蒙主義ルネサンス!20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L 


因みに、(2)の「決疑論」(casuistry)について少し触れておくと、その原義はローマ・カトリック教会の教父に与えられた「善悪を判断するための、告解(神の赦しを得るための告白)の際の指針」のことであり、それは中世のスコラ学で特に重視された。やがて近代(16世紀〜17世紀)になると個人の道徳的な判断への指針の説明として発達し、やがて特に西欧ではそれが小説の各ジャンル(多様で豊富な文脈的フィクションを固定化する文学技法)を発達させることになった。


また、この「決疑論」を一定の言説(ある学説・司法判断・常識的解釈など)についての文脈的理解という観点から、欧州社会を歴史的・俯瞰的に概観すると非常に興味深いことが見えてくる。それは、混沌の時代→政教(祭政)一致権力の時代→双方(教皇権・皇帝(王)権)権力抗争の時代→ローマ法・教会法・決疑論が鼎立の時代(〜16世紀頃)→近代啓蒙主義時代→政教分離と現代憲法成立、という「宗教権威・政治権力・司法に関わる三つ巴の絡み合い(権威⇔権力闘争)の文脈的理解の発展プロセスが、殆どソックリ人間一般の歴史に重なって見えてくるということだ。


おそらく此のことと関連すると思われるが、西垣 通は、同じ情報基礎論の西川アサキが<人間社会についてのAIシュミレーションで、仮に全ての個人を完全開放系(司法の威信が激劣化した社会環境)へ投げ入れると仮説したところ、その社会が一気に不安定化して「行政独裁⇔アナーキー無政府状態)」の間を激しく彷徨する恐るべきループの罠に嵌る社会現象>を観察したと報告している。


1−2 人文・自然科学融合の地平(2)脳科学(+AI)研究フィールド 


『脳の多層的な情報処理機構を取り入れたディープニューラルネットは、ビッグデータの蓄積と普及に伴って、人工知能研究に革命をもたらしています。しかし、 意味の理解や自発的行動といった生物が持つ自然な知能を実現するには依然として程遠いのが現状です。本研究では、意識と脳に関する理論的研究を援用することで、人工システムに主観的感覚や意志を実装し、実生活環境での多様なデータの処理に活用することを目指します。(金井良太:Araya Brain Imagingの活動について』http://qq1q.biz/AHM0 より転載)


・・・


f:id:toxandoria:20170104042334j:image:w250:leftベンチャー、Araya Brain Imaging(http://www.araya.org/ )で脳科学者の立場からAI「人工意識」の開発に取り組む金井良太(脳神経科学者/サセックス大学准教授、アラヤ・ブレイン・イメージングCEO)の著書『脳に刻まれたモラルの起源/人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店)によると、人間の脳の構造に「本能的な感覚としての倫理観を司る部位」(おそらく進化論的プロセスで蓄積!)があることなど極めて重要な事実が確かめられつつある。


f:id:toxandoria:20170104042444p:image:w600f:id:toxandoria:20170104042521p:image:w750


そして、このことが科学的・客観的に確認されれば(そうなる可能性は非常に高い!)、ジェレミ・ベンサムの功利主義に基づいて「最大多数の最大幸福を求める経済合理性」の問題が、それほど単純なものではないこと(→その終着点が自由原理主義で本当に良いのか?)が説明できることになりそうだ。そこで、この問題と関連するくだりを同書から以下に部分転載しておく。


・・・人間は、他人と共感し合い信頼関係をもつことで、幸福感を得る。そして、モラルファウンデーションの感情のように、自然と他人を傷つけたくない気持ちや、穢れを身の回りから遠ざけたいという感覚が、脳には生まれつき備わっている(Moral foundations theory/ http://urx2.nu/AGNu )。そのため、自分の不利益になるような状況でも、他人や社会のために行動を起こすことがある。お金を儲けることよりも、世の中に貢献したいという気持ちは、欺瞞ではなく人間らしい本能的感情の一種である。また、その延長でエウダイモニア(eudaimonia/幸福を意味するギリシア語/原義は各個人の守護神となる、よき euダイモン daimōnに守られている状態のことだが、 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで魂のうちの理性的部分の活動、すなわち純粋に観照的な生活をエウダイモニアとみなしてこれを最高善に位置づけた。http://ur0.biz/AG4m )のような自分の能力を発揮して徳のある行動をしたいという欲求があり、人はそこに生きがいを見出す。・・・ 


因みに、金井良太(Araya Brain Imaging)の手法でネットワーク内部の情報の統合を定量化(意識のモデル構造が把握)できたとしても、それが人間並みの個性を身につけられるか否かの問題は永遠に残ると考えられる。無論、金井良太の挑戦はそんなことは十二分に承知していると思われる。むしろ、おそらく西川アサキが指摘するとおりで、スピノザが積み残した「そのモナド論の未来が不在であること」(西川アサキと異なり、スピノザは未来時間もその全てがモナド内に入っていると考えた)と関係する。


つまり、殆ど無限に近い大・中・小の意識内容のズレが遍く常在することこそが人間個々人の個性(未来へ向かう時間の流れに沿った内外のリアル・エトノス環境と永遠に?共鳴する状況)を創り出しており、その個々の人間の<只一回性(一期一会)の個性>のエンドレスの創発こそが、我々人類の未来であるからに他ならない(エトノスの委細はコチラ参照⇒http://qq1q.biz/AHMh )。


なお、この種の人間の近未来に関わる論点は、[1−2 人文・自然科学融合の地平(1)量子論・AI研究フィールド・・・/★3 ダ―ウイン進化論の限界(矛盾点)を補完すると考えられる、「進化論的軍拡競争」と「(生物種の)永続性の原理(仮説)=人文・科学両「知」融合の地平で立ち上がる新たな原理]と奥底で深く関わることになると思われる。


2 日本会議・神社本庁らが国民の無意識層で再発現させた戦前型「客観“知”への激しい憎しみ」、それは異常な平田篤胤仕込の「顕幽論」(インテマシ―過剰)


・・・文化の特徴を仕切る二つの重要な視点/インテマシーとインテグリティー(トマス・カスリスの独創的な用語から学ぶべきこと)・・・


f:id:toxandoria:20170104173111j:image:w250:left後述する著書『神道』(ちくま学芸文庫、2014/原著『Shinto:The Way Home、2014)より先にトマス・カスリスは原著『インテマシーあるいはインテグリティー/哲学と文化的差異』(法政大学出版、翻訳版2016/原著『Intemacy or Integrity、2002』を著している。ところで、その用語インテマシーに「親密さ」という辞書的な一般的訳語を、同じくインテグリティーに「完全無欠の状態」の訳語を当てはめ、一応事足れりでは大きな誤解を招くことになる。しかも、現実的に両者の概念を短く表現するのは容易なことではなく、ならば、これを正確に理解するには同書を読むしかないということになる。(苦w)


そこで、同書の解説なども敢えて無視しつつ、カスリスがこの本を書いた主要な目的(それは西欧文化と東洋文化の最もベーシックな差異について考えることであり、特に前者と日本文化との差異は何か?について深く考察することであると思われるので、敢えて、独断的な訳語を当てはめてみる。また、特に留意すべきは、同書が後にカスリスが著すことになる『神道』(原著)の伏線ではないかと思われることだ。


以上から、ここでは両用語の概念を分かり易くするため「インテマシー:非分析的感性に基づく共感優先の文化指向性」、「インテグリティー:分析的感性に基づく契約概念的な文化指向性」という仮訳語を当てはめる。また、同書のなかで、インテマシーについてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出すると以下の通りである。


・・・ラテン語における語源が喚起するイメージに従うと、インテマシーとは、心に秘めたもの(intimus)を親しい友人(intimusないしintima)に打ちあける(intimare)ことである。換言すればインテマシーとは、つまるところ心の奥底にあるものを分かち合うことなのだ。そして、これと同じようなことは、例えばある生態系における植物相と動物相のあいだ、あるいは素粒子物理学における物質とエネルギーの間のインテミットな関係としても考えることができる。(驚くべきことに、量子生物学の分野では既にこのような考え方の科学研究手法が採られている!←補足、toxandoria)・・・


また、インテグリティーついてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出すると以下の通りである(以下は、一部をアレンジして転載)。


・・・ものの世界でのインテグリティーの事例を挙げるならば、例えば海中における水と塩の関係、つまり両者はどのような点で異なっており、かつ関係し影響し合っているか?というようなことだ。人間の場合のインテグリティーでは、例えば自己充足的なアイデンティティーを備えている(各々が立派な人格を備えた人である場合の)人間関係は美徳であり、それは基本的に堕落したり無節操になったりせず、ある一定の行動規範や普遍的価値観を前提に分析的に行動し関係者双方による契約関係を尊重することになる、というようなことだ。・・・ 


そして、東洋文化に比べると一般に西欧文化はインテグリティー的な文化指向性へ大きく傾斜しており、特に日本文化はその逆のインテマシー的な傾向が強く、又それこそが西欧文化とは本質的に異なるという意味で優れた日本伝統文化の基盤を形成しているとカスリスは見ている。



f:id:toxandoria:20170104043441j:image:w180 [この絵は老女か若い女か?]

但し、ここで留意すべきは、東洋文化と西欧文化が夫々100%近くまでインテマシーないしはインテグリティーの指向性に占有されているのではなく、両文化は共にこれら二つの要素(異なる指向性)を併せ持っており、その両成分(二つの自然・社会・感性的な空気)は絶えずせめぎ合いながら行きつ戻りつの振動を繰り返す状態にあるという点だ。この両者の関係についてカスリスは、ゲシュタルト心理学の「図と地の違いを説明する絵」を引き合いに出して説明する。


つまり、インテマシーとインテグリティーの差異は、その時に、その絵を見た人(西欧人か、東洋人か、あるいは日本人か)の関心が何処にあるかの違いだという訳だ。当然ながら関心の有無によって同じ絵は「異なる絵」に見える(地と図が反転する)。だからこそ、異文化は初めからすんなりと外国人には理解されにくいということになるし、逆に言えば、からこそ、異文化が交流し、双方が理解し合うのも可能だということにもなる。


また、カスリスは日本文化のインテマシー優勢の文化指向性がホログラフィカルでアニミズム的な世界観を形成し易いことを指摘している。ホログラフィカルな世界観とは、部分と全体が入れ子構造(このカスリスの発想自体が西欧的な科学哲学的なもので、それは西川アサキが取り上げたライプニッツのモナドロジーを連想させる!)になった不思議な世界観である。そして、日本文化には、例えば神社の鳥居や注連縄がそうであるのだが、これら鳥居や注連縄は包括的な神道の世界(古来の神道スピリチュアリティー/委細、後述)への入り口の機能を果たしている。


因みに、カスリスによれば、日本人の特徴であるインテマシーを代表する神道スピリチュアリティーは「自己の外へ出るのではなく世界観をホログラフィカルに内部へ没入させよ!」と強く要求する傾向があり、それが客観「知」の分析に因る契約ならぬ感情の最も暗い部分への無限の沈潜となって、遂には古来日本の大和魂の如く「天皇(国体)のための自死」が「自己犠牲⇒完全な自己保存体観念」へとホログラフィカルに反転する傾向が観察される。


従って、この点は日本文化のアキレス腱として冷静に理解する必要があるだろう。但し、関連することは次章以降で詳述するが、著書『神道』のなかで、カスリスは「古来の神道スピリチュアリティー」と「1801年(本居宣長の死)以降の政治的に創作されたイデオロギーとしての神道スピリチュアリティー」を明確に分けて考えており、ここでのアキレス腱の指摘は後者のことである(カスリスは、この二つの他に“実存的スピリチュアリティー”も指摘する/委細、後述)。


(参考情報)


◆【報告】トマス・カスリス教授講演会2016.08.25 中島隆博、川村覚文ほか、文責:金景彩(東京大学大学院・UTCP)http://urx3.nu/AH4k


3 多数派日本国民が共有する「神道」に関わる誤解/トマス・カスリス著『神道』の警告


3−1 神道的スピリチュアリティーと実存神道


f:id:toxandoria:20170104043941j:image:w250:right米国における日本思想・宗教・神道研究の第一人者であるトマス・カスリスは、一般的な意味での経典を説く「宗教/唱導宗教」(religion)とスピリチュアリティー(特に、特別の経典を持たない神道のSpiritualityには自然界に潜む超越的なものを感じ取るというリアリズム感覚が存在する)を厳密に区別することから著書『神道』(ちくま学芸文庫、2014/原著『Shinto:The Way Home、2014』)を書き始めている(第1章)。


また、神道はこの古(古代)神道由来の(1)「本質的な神道的スピリチュアリティー」とは別に、これとは全く異質な二つの特徴的な側面があり、それは(2)「実存的スピリチュアリティー」と(3)「1801年(本居宣長の死)以降に政治的に工作され、日本を太平洋戦争の悲劇(惨禍)へ連れ込み、今や再び小泉首相靖国参拝(2002)で蘇生し、現下の安倍政権がその完全取り戻しを謀る人工的スピリチュアリティー(追憶のカルト/教条的な異常イデオローグ)」のことである(←注記、人工的スピリチュアリティー(追憶のカルト)はtoxandoriaの説明的な補足)。


ここで言う「実存」は、哲学一般で言う実存(サルトルらを連想させる、本質に対し現実の重視を説く説)とは些か異なる使い方になるが、いわば歴史的に神道に纏わってきた“日常に関わる土俗信仰的な生活の知恵”ないしは“密教呪術的な政治技術”と言うような意味での実存性ということだ。


前者は、通過儀礼等での日常生活における国民一般の御利益感覚を考えれば分かり易く(今の我々も殆どこの感覚で神社を訪ねているはずだ)、後者については神仏習合時代の神道(密教曼荼羅を取り入れた両部神道、http://u0u0.net/ABAI)が、密教の呪術を政敵への呪詛や戦争の勝利祈願などで活用したことを想起すればよいだろう。


また、そもそも(1)「先史時代〜794年(奈良遷都までの古神道)の神道スピリチュアリティー」と(3)「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー(政治的作為で創られた)」は全く別物と見なすべきだとカスリスは主張するが、この点についてtoxandoriaは大いに共鳴する((2)は実存的な神道スピリチュアリティー)。


それは、後者のスピリチュアリティー(3)が、結局は、現下の<安倍政権と日本会議・神社本庁らによる「国家神道」復活工作(全国神社の本宗に相応しく伊勢神宮へ戦前並みの「国家財政支援」を実現すること、および靖国神社の本格的な国策軍神&英霊神社化、そしてそのための改憲を)謀ること)の動因となっている、狂信カルト(篤胤・顕幽論)一色に染まる異常イデオローグ>にまで繋がるからだ。


従って、前者のスピリチュアリティー(1)、つまり<日本の恵まれた自然環境(および、その地質学的特徴から古来たびたび列島を襲った大地震・津波・台風襲来などへの怖れの観念)と呼応しつつ先史時代からの長大な自然史と、そのエトノス環境(内外およびマクロ・ミクロの複合的な観点から自然・人文・社会環境を包括的に直観する観念)の中で生きてきた日本人がそのエトノス(自己の体内環境も含む大自然)の中にカミを感じ、その同じカミへの怖れの心を最も大切にする>というプロセスで育まれた感性が後者(3)と全く異なるのは明らかである。


ともかくも、カスリスの著書『神道』は、これら二つのスピリチュアリティー神道(1、3)と実存神道(御利益&政治技術的神道、2の実存的スピリチュアリティー神道)の二面性(厳密に言えば、三面性!)が複雑に絡み合い、重なり合いつつ神道の歴史、ひいては日本の歴史そのもの、あるいは日本文化と政治権力の変遷史を形成してきたという、きわめて日本的な特徴を明らかにしたことになる。


f:id:toxandoria:20170104044101p:image:w400:leftそして、特に注意して観察すべきなのが(3)「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー」が幕末期以降の日本近・現代史と重なる部分だ。それは、この(3)の人為的・政治的な神道スピリチュアリティーこそが戦前日本のナショナリズム、神聖「国体」論(天皇現人神論)、積極戦争植民地主義、強靭「軍国主義」、そしてカミカゼ特攻隊(自爆戦強制)の悲劇、ひいては数千万にも上る外国人・戦争被害者、200万余の日本人・戦没者、広島・長崎の原爆惨禍など、日本国民を大きな悲劇の道へ追い立てる精神的エンジンを提供することになったからだ。















(関連情報)


f:id:toxandoria:20170104044621p:image:w500f:id:toxandoria:20170104173534p:image:w450:right

◆(1−1/★2の再掲)オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識(の正体とホンネ)を問うSunday, December 25, 2016 http://qq1q.biz/AHHR


f:id:toxandoria:20170104044710p:image:w350   f:id:toxandoria:20170104044741j:image:w400

◆安倍“敗戦否定&積極戦争主義”の欺瞞(狂信!国策 『国家神道』復活のホンネ共有)を暴く好記事二つ/安倍真珠湾訪問、神津会長の連合(リアリズム“原発&石油エネルギー(復活)”主義)は誰の味方なのか、http://ur0.pw/ACam 


・・・


しかも. 今でも日本国民は特に(3)の後半部が形成した「深刻な精神的アキレス腱」を抱えたままである。それどころか、日本会議、神社本庁、靖国神社、安倍政権らの戦後期から現在にまで及ぶ執拗な暗躍が功を奏す形で、<日本国憲法(象徴天皇制)と日本自身の科学&科学技術観の根幹>が、反知性主義的な政治権力(安倍政権)によって根底から破壊される危機に襲われている。


つまり、“神道スピリチュアリティー(3)”と“神道スピリチュアリティー(2)(=日常感覚化した神道の実存性”)の悪しき再癒着によって、戦前日本型の反知性主義イデオローグ『顕幽論(平田篤胤)』(委細、後述)が、今度は偽装科学主義である「AIシンギュラリティ」の衣を纏って復活しつつあるということだ。


そして、これら(1)〜(3)の違いを未だに自覚できないという、日本国民自身の精神的脆弱さに対し、安倍政権、日本会議、神社本庁ら「追憶のカルト/靖国・顕幽論」派が執拗に攻撃を仕掛け続けているが、それに対し殆どの主要メディアは同調するばかりとなっている。この危機的状況に気が付き大きな危機感を持ちつつ批判し、対抗しているのは今や天皇皇后両陛下とごく少数派の良識派の国民だけ!というのが、残念ながら、日本の惨憺たる現状である。


3−2 靖国イデオローグの系譜、その余りにもゾンビ的な追憶のカルト/平田篤胤仕込み「顕幽論」の異常性(インテマシー過剰、客観知への憎しみ)


(記紀を基に8世紀初頭から貴族社会に、やがては一部の武家社会で拡がった『皇統一系』の思想/が、それは絶対多数派の庶民層とは無縁であった)


8世紀初頭に完成した『日本書紀』が史実の根拠とされるようになった頃から、記紀の創作である「皇統一系」思想は先ず日本の貴族社会に拡がった。次いで、南北朝時代の末期頃に書かれ1370年頃までに成立した軍記物語『太平記』(南北朝時代を舞台に後醍醐天皇即位、鎌倉幕府滅亡、建武の新政、・・・二代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までを内容とする軍記物語)が一部の武家社会へ、「皇統一系」は歴史的事実だとの認識を広める役割を果たした。


しかし、「皇統一系」は歴史事実とは言えず、むしろ王統に関わる伝承等(歴史的メタファー)の大集成という意味で評価されるべきものだ。そして、そもそも記紀は外来文化に寛容な日本文化を象徴する暗黙知の宝庫であり、それは日本人が共有する誇り高き「大いなる巨人(寛容な意識を持つ民族)の物語」であったことになる。


従って、現下の安倍政権(日本会議 政権!)が必死で謀る「一連の復古的動向/“追憶のカルト”なる病理学的に異常な世界へ引き返そうとするゾンビ的な政治情念」の根拠は、「皇国・紀元2600年/日本建国神話」(旧暦BC660年1月1日、グレゴリオ暦で読めば現在の2月11日に神武天皇が建国)という<虚構の日本史>の中へ全ての日本国民を強制回帰させようと謀る人々の<特異な妄想世界>の中にあることになる。


が、記紀の内容が誤りと嘘バカリで、国民を誑かす悪書だという訳ではなく、その貴重なメタファー(汲めども尽きぬ暗黙知の貴重な宝庫)を<あくまでも、その100%が歴史的事実だ!>と作為で曲解する“君側の奸+軍神信仰”の『狂』(追憶のカルト/異常“観念同時”、異常“間主観性”の病理)が邪(よこしま)で有害なだけであり、その往年の“君側の奸+軍神信仰”の『狂』が、今や再び「第3次安倍第2次改造内閣の暴走」で再現されつつある。 


明治維新〜戦前・戦中期におよぶ軍部支配の歴史、それは次第に強烈な『愛国玉砕(散華)戦争』なる下賜カルト観念の国民共有へと変容した)


そもそも、その根本は<明治維新政府(門閥・閨閥・閨房閥を世襲で固めつつ“天皇を担ぐ君側の奸”の野合的な連合体構造)が採用した「国体思想」戦略、現人神天皇の建国神話的カリスマ性の徹底的な政治利用>ということであった。


そこで、維新政府は「宣教使」(宣教使は官庁の名称/長官、次官、講義生、史生、判官、主典、宣教使その他の職員で構成/明治5年、廃止)の役職(国家神道普及のための国民洗脳が主務)を設け、神道学者・国学者を総動員して天皇の偉大さ、支配の正統性、それに対する国民の忠節の意義など(天孫たる現人神を批判する国民は絶対に容赦せぬ!という国策の“脅し”)を説いてまわらせた。


結局、この政策は後期水戸学の会沢安らが主張した「祭政教一致」(教=国体へ絶対貢献できるよう国民を教化・洗脳すること)を原則として行われた。そして、日本会議の影響下にある『安倍政権の官邸“教育再生会議”、http://goo.gl/JAHQf3 』は、明らかに、維新期のそれ(後期水戸学派の祭政教一致=教育現場への直接介入と洗脳教育)の取り戻しを意識している。


ところで、「国体思想」とは、「天賦人権説」(民権論、主権在民)の対極にある天壌無窮の現人神たる天皇を中心とする中央集権的官僚制国家(厳密に言えば天皇を狡猾に政治利用する“権力の強靭化”、薩長野合型“君側の奸”連合に好都合な官僚制国家)の建設を目指すものであった。


しかし、それは真っ赤なウソを根拠とする国民騙しの欺瞞政策だったし、そもそも古代律令制が古代中国(南北朝時代を統一した隋唐帝国)の模倣であったことが示唆するとおり、実は日本古代においてヤマト民族派的な排外思想は存在せず、それどころか明らかに倭国(黎明期の日本)は、東アジア漢字文化圏の一員であるという寛容な国際感覚に裏打ちされた存在であったのだ。


(靖国顕幽論の登場/平田篤胤派「神道」による神道のカルト化、その余りにも暗く不気味なゾンビ生命論型パラドクスへの没入)


「維新政府」以降の国家経営の誤りの根本は、江戸時代前期から中期の山崎闇斎荻生徂徠らの儒学者、あるいは本居宣長(江戸中期〜後期)、平田篤胤(同後期/幽顕思想(顕幽論))ら国学の流れを汲む<「後期水戸学イデオローグ」が夢想(妄想)した「祭祀と政治の一致/至高の国家的儀礼に関わる議論」の中で「愛国玉砕(散華)戦争(このみいくさ)」(日本型聖戦論)が過剰濃縮されたことにある。


f:id:toxandoria:20170104045715j:image:w200:rightf:id:toxandoria:20170104045749j:image:w250:right

平田篤胤(キリスト教、および西欧啓蒙思想も熟知していたらしい!)の「顕幽論」は、現世の殆どの人間(日本国民を殆ど野蛮で動物的な有象無象の存在と見る)には基本的な意味での人間の権利がないとする。しかも、篤胤はこの顕幽論を半ばジョークで創ったと告白さえしている!(苦w)そして、愛国玉砕戦(このみいくさ)で勝利し、大霊界へ昇り英霊の位階構造に列して初めて日本国民は人間たる基本的権利が与えられるとする(関連資料:吉田真樹著『霊魂のゆくえ』(講談社)、田中純『政治の美学―権力と表象』(東大出版会))。


また、顕幽論(“靖国神社と国家神道”の中核イデオローグ)によれば、現人神とは『記紀神話の降霊(招魂)儀式で中枢神殿(英霊が眠る靖国をこれと見立てる)の霊璽(れいじ/神や霊が宿る“よりしろ”)に憑依する神霊(エクトプラズム/人霊とは異なり神格化した英霊)となる“愛国者”の意味であり、それは皇国史観に基づく天皇だけのことを指す訳ではないとされる。


どうやら、“追憶のカルトのお仲間”たちは、その意味で安倍晋三首相を天皇より上位の現人神(英霊が降霊した存在)と見て崇めている節があり、これは恐るべき『狂』以外の何物でもない!(苦w)そして、この現人神は『世界で唯一の澄める“うぶすな”でできた“美しい国、日本”の国土を愛国戦争で死守する覚悟で玉砕した神霊が再び受肉する国土』と定義される。


しかし、愛国(国策)「原発」系の過酷な放射能汚染(およびその拡大リスク)を放置したままで、何が美しい国土の死守か!と言いたい。そこに現れているのは「非分析的感性」たる<インテマシ−過剰/関連参照⇒第3章−1 カスリス「インテマシー/インテグリティー」>と<客観“知”への憎しみ/関連参照⇒エピローグ:トマス・カスリスの神道に対する率直な思い>という、日本会議、神社本庁、安倍内閣らの余りにも常軌を逸した異常な精神環境の正体である。


4 正統保守を自覚する日本国民は安倍政権、日本会議、神社本庁ら偽装極右派(1801〜、の異常イデオロギー没入派/エセ神道スピリチュアリティー派)と、早急に一線を画すべきである!


・・・それは、正統保守と伝統日本文化の源流たる「神道」本来のスピリチュアリティー(カスリスが分類したスピリチュアリティー(1)に重なる)には世界平和への大きな貢献が期待されるから!・・・


(伝統神道の原点と見るべき神道書『神令』によれば、「天皇制」草創期(およそ“大化改新”以前)の神道は天皇に対し民衆を平等に見る徳治政治を求めていた)


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■神道・宗教学者、小山悳子(とくこ)によれば、神道書『神令』(伝:大納言・一条兼良、筆/兼良は室町時代の公卿・古典学者、http://ur0.biz/AGfm)の成立期は、およそ“大化改新”以前(中国由来の儒教の受容が本格化するより前の時代)である。


・・・[3−1 神道的スピリチュアリティーと実存神道]で触れたトマス・カスリス『神道』(ちくま学芸文庫)も、「古代神道の成立期」を「先史時代〜794年」と見ており、それは此の小山悳子の指摘にほぼ重なっている。


・・・従って、そこには弥生期〜古墳時代ころの伝統神道の最古の思想が潜むと思われ、当書の研究から更なる“日本文化と伝統神道”の古層の再発見が期待されている。しかも、この書の研究成果は安倍政権、日本会議、神社本庁らが謀る『軍神靖国“顕幽論”/追憶のカルト(国家神道)』復活工作へのアンチテーゼとなり得ると考えられる。


・・・また、小山悳子は<日本神道史における「元神からの芽生え」とされる國常立尊(虚無の元神ヨリ萌牙シタもの)の概念の展開には、現代宇宙論と神道の創生観に関わる概念的な類似性が窺われる!>と見ている。それは、『神令』の“元、気(無・虚無・非空間)ヨリ萌牙シ(もえきばし=兆し)モノ”、ビレンケン宇宙論(http://ur0.link/qfzq )、量子論・量子物理学(トンネル効果量子もつれ他)、先端発生生物学らが恰も深部共鳴しているように見えることからも想像される。


・・・つまり、寛容かつ謙虚な「正統保守」的価値、およびその意義の再発見が此の神道書『神令』のなかにある、と小山悳子は考えており、この日本古来の神道および日本の伝統文化は、東西の宗教・文化(一神教VS汎神論)の対立解消へ貢献し得る可能性をすら秘めている、と主張している(出典:小山悳子『日本人の求めた元神』(日本図書センター/Cf.⇒http://ur0.link/qfzn )。


<注>國常立尊(くにのとこたちのかみ)

・・・日本神話に登場する天地開闢の時に出現した「元神からの流出」であり、『日本書紀』においては初めての神とされる。『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊と表記されている。別名、国底立尊(くにのそこたちのみこと)とも呼ぶ。その元神が化生・転生して八百万の神々、つまり自然界ができたというのが伝統神道および記紀の神話論理(ミソロジー)。


・・・


ところで、上掲書の著者、小山悳子によれば、かつて自由民権運動の視野に入っていたと見なすべき<一つの可能性としての「天皇の原理」>との関わりで想起されるのが、本居宣長と同時代の伊勢神宮の神道学者(神職)、出口延佳(1615〜1690)の『天皇・人民平等論』(現代のコトバで言えば、象徴天皇制に近い考え方!いわば良い意味での天皇の顕教式利用)である。


出口延佳は日本古来の伝統神道を正しく伝える者としての誇りと使命感から、一般的理解とは真逆の『“天皇=民衆”平等論』を説いていた。つまり、そこでは<純粋精神・多元文化主義としての皇国史観>が現代でも通用する正統保守たる<象徴天皇制の下で「国民主権共和(デモクラシー型)ナショナリズム」へ深化する可能性>が芽生えていたのである(関連⇒ http://urx.nu/atS9 )。


また、同氏は「ある意味で神の領域にまで立ち入ったともいえる先端遺伝子学(発生生物学、DNA研究)の分野で、地球上の全ての人間は同じ仲間、同じ民族と結論されたのであるから、もし過去の閉ざされた情報の中で選民思想やヤマト民族(派)の如き純血民族思想が生まれたのであれば、伝統神道においても、その部分は取り去って考えるべきである。そうすることでこそ新しい神道の優れた本質(東西を繋ぐ新たな寛容の可能性)を見出してゆくことができる」と、述べている。つまり、このような視点こそが正統な歴史認識の基本なのである。


小山悳子『日本人の求めた元神』によれば、本居宣長・平田篤胤らの偏狭な日本思想(宣長の場合は、宣長が偏狭であったというより、後世の国学者・神道学者らが曲解したというべき!)、あるいは戦前の文部省謹製『国体の本義(昭和12)』と『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省、昭和17)』、又は“生長の家”過激派の異常イデオローグなどは、そもそも寛容であった伝統神道(平安中期以前の古層日本文化と重なる)の考え方を『関東軍式、満州国統治の経営理念(国家神道方式)』にとり好都合となるよう脚色したものである(本居宣長の曲解、の委細についてはコチラを参照⇒2013-05-07toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH5I )。


(エピローグ1)希望の光は量子論・AI・脳科学ら先端研究での自然・人文科学融合の必然性!/トマス・カスリスの神道に対する率直な思い、からの連想


・・・それは、「神道精神の眼差しを『内』(本居宣長“ロマン主義”の曲解⇒靖国顕幽論(平田篤胤)なる、「1801年〜幕末〜明治維新〜太平洋戦争」期に作られた国家主義スピリチュアリティー(異常イデオロギー)への没入)から『外』(世界平和の象徴化の方向)へベクトル転換することが今こそ肝要だ、ということ!・・・


トマス・カスリス『神道』(ちくま学芸文庫)の『はじめに』の冒頭は、次のように書き出している。


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・・・神道を説明するのはとりわけ難しい。たいていの日本人にとってもそうだろう。神道の基本的な価値観やふるまいの形は日本文化に浸透し、伝統(日本人の日常生活←補記、toxandoria)の一部となっているので、神道を意識的に参加する「宗教」 (religion)とみなす日本人はめったにいない。・・・


そして、この『はじめに』以降の章立て(当書の構成)は、以下のようになっている。


第一章 鳥居をくぐる

第二章 日常のなかの関連性

第三章 古代神道(先史時代〜794年(平城京遷都))−草分けとなった人々

第四章 奈良から宣長へ(794〜1801年(宣長の死))−道を示した人々

第五章 すべての道は東京に通ず(1801〜2002年)

第六章 故郷への道


第一章と第二章では、初詣、七五三、縁結び、受験合格、入学、交通安全祈願など通過儀礼の入り口として神社を訪れるという行為が、殆ど無意識に近い形で日本で行われていることの意味、つまり今でも一般日本人の日常生活に浸透している「神道の日常感覚的なスピリチュアリティー(何かを感じる生活)とは何か?」を考えている。


第二章と第三章では、その「神道の日常感覚的なスピリチュアリティー」のルーツが、古代神道(先史時代〜794年(平城京遷都))の時代から1801年(本居宣長の死)、という約1000年にも及ぶ、非常に長い歴史時間の中で日本人の心身に浸透してきたものであることを理解する。


第五章では[1801年、以降の約200年をエポック期と見立てた上で、その約2/3を経た時に、漸く太平洋戦争の終戦で「伝統神道が異常化した時代」が終わり、一般の日本人は往年の『神道の日常感覚的なスピリチュアリティー(1)』を取り戻したが、2002年「小泉首相の靖国参拝」で、再び、この「異常(靖国崇拝/国家神道)⇒正常国家観(象徴天皇制)」のベクトルが逆流し始めたという、日本現代史の問題点]を分析する。無論、それが今の安倍政権(日本会議、神社本庁ら)のアナクロ暴走へ直結していることは言うまでもない。そして、問題は本論[3−2]でも取り上げた「靖国神社/顕幽論」である。


カスリスも、「顕幽論」という言葉こそ使っていないが、本居宣長のロマンチシズムへ過剰没入する思想(もののあはれ)の曲解に付け込んだ平田篤胤派の国学系神道が、幕末〜維新期の諸思想および政治権力と融合しつつ異常化の度合いを深め、神道は超然宗教であるとのお墨付きを文部省(当時)が遂に与えることとなり、天皇を現人神へ祭り上げる国体論に完全支配される国家神道(軍神・英霊を頂く靖国神社(顕幽論))に隷属する異常国家・日本が誕生したという訳だ。


実は、冷静な客観的「知」(学校教育アカデミズム)を司るべき「文部省(現在は文科省)」自身が、普遍的人間観・生命観に関わる冷静さを見失うという出来事は戦前だけのことではなく、今や人工知能(AI)やシンギュラリティのコトバが常識化しつつある現在の日本(AI立国を自負する安倍政権下の!)でも、そのような嫌な空気が流れ始めている(参照、下記の関連情報)。


(関連情報)


◆【カルト狂気、戦前型「顕幽論」の正体を露わに見せ始めた安倍内閣】安倍政権が「強権下100%現状肯定=批判的«人文知»に対する排撃政策」を教育・学界(幼児・初等〜大学・研究)・図書館に強制する動因は、日本会議 ・神社本庁の奥に潜む<顕幽論/靖国霊璽に憑依した神霊(エクトプラズム/神格英霊のリアル化)の代理人たる安倍首相を天皇より上位の現人神と見なし崇める追憶のカルト>の狂気(病的興奮)!

・・・日本会議の仕掛!国直轄の国家・国制教員免許化と国公私立の対全教員「共通理念の立法化」検討は、戦前の<超宗教とされた(1889勅令第12号)国家神道の根本教科化、翌1890の教育勅語・発布、なる軍国主義精神での国民洗脳・教化の歴史>を髣髴させ寒気を覚える!何がアベ真珠湾訪問か!20161207@只のオッサンRT@朝日・報道編成局http://urx3.nu/AH5m


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◆『ウソと狂想(追憶のカルト、靖国・顕幽論)こそがリアル(日本の現実)を変える』?/ゴマカシで目標達成@masaru_kaneko/鉛筆ナメ(対新基準微工作で?)て31.6兆円オン(かさ上げ)しGDPが一挙に532.2兆円ヘ底上げ!+AIシンギュラリティ狂信でGDP600兆円は指呼の内だ!by安倍晋三・総理大臣 evernote更新日 2016/12/08 http://urx3.nu/AH5l


・・・


このような空気を察知したのか否かは不明だが、(1−2)で取り上げた西川アサキ(情報基礎論、AI研究&哲学者)が「日本社会(おそらくアカデミズムも含む?←補足、toxandoria)は、AI・量子物理学・核理論等と人文・社会科学系“双方の先端知の融和的な協力が必須のフィールドで人間の意識に関わる問題の熟考を試みる真の科学的態度(冷静な研究スタンス)”に対する一種の憎しみの感情(いわば、客観“知”への憎しみ)に囚われているのではないか?」と述べていることが気がかりである。


また、[1−3 人文・自然科学融合の地平(2)脳科学研究フィールド]で取り上げた脳科学者・金井良太が『脳に刻まれたモラルの起源/人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店)を書いた目的が、以下のようなことにあると述べているが、これも、今や再び戦前や戦中期に似た異様な「客観知への憎しみ」の空気が漂い始めた日本社会(その発信源は日本会議、神社本庁、原子村、日本政府、同調ヒラメ・マスメディアら)への一種の警告の言葉として読むことができそうだ。


・・・モラル、いわゆる道徳とか倫理というと、人間に固有の客観的な理性に基づく判断だと考えられ、主観的で情動的な判断と区別される。しかし、最近の脳科学や進化心理学の研究によれば、モラルは、人類が進化的に獲得したものであり、むしろ生得的な認知能力に由来するという。脳自身が望ましいと思う社会は何かを明らかにしたい。・・・


(エピローグ2)“AI利用が本格化するこれからの時代には「人文・自然科学知の融合」が必然となることを傍証する最も重要なポイントを以下に纏めて、再録しておく


・・・これら重要な事例(1)〜(7)を改めて俯瞰すると<日本会議、神社本庁らの策動の下で、本格的なAI時代に必須とされる「客観知/コンシリエンス」(人文・自然科学知の融合の必然性)を心底から憎む『追憶のカルト(安倍政権)』の異常さ(既述のとおり、安倍政権は「批判的<人文・社会科学知>に対する排撃」政策を教育・学界(幼児・初等〜大学・研究)・図書館に強制し始めている!)が如何に愚かな行為であるかが改めてクッキリ浮上する。・・・<注>(8)は、米国の昆虫・社会生物学者E.O.ウイルソンによる「コンシリエンス」の定義。(補足、http://qq1q.biz/AHDS より)


(1) AIに関わる思考実験上のことだが、「意識が生まれる瞬間」の直前に現れるシュミレーション・モジュールの最重要なファクターが「未来への信用」であることが分かってきた。(西川アサキ/情報基礎論、AI)


(2) その「未来への信用」を保証するのは確率論的な計算可能性だが(西川アサキ)、米トランプ流の行き当たりバッタリの「恫喝政治」や安倍政権が好む「アベノミクスの失敗を絶対に認めず弥縫策(AI万能ツール視、原発ゴリ推進、軍需&カジノ経済化など)を出しまくるバクチ経済」は計算が不可能な“まさか(不確実性/胴元・詐欺師らを除けば!w)”の世界へ国民を陥れることに等しく(浜矩子、http://urx3.nu/AHiu)、ダ―ウイン進化論を包摂する上位概念となる可能性が高いとして注目を浴びる「永続性の原理/“人文科学の知見に無知”という根源的愚かさ故に究極的永続性を無視する種は絶滅する!」(仮説/長谷川英祐、・北大大学院農学研究院・准教授http://urx3.nu/AHqt )から見ても決定的な誤謬となる可能性が大きい。



(3) 同じ不確実性でも、例えばEU統合のような“『権限⇔権限』関係を包括する入れ子モナドロジー的な囲い込み環境”に因る内在リスクを前提する不確実性の場合のAIシュミレーションでは、意外にも共可能性(共存と常識を支持する多数派集団(社会))が現れ、それを前提しない場合では逆にデッドロック(対応・処理不能の堂々巡り)状態が観察される。(西川アサキ)


(4) 人間社会における、「リアル支配力」と実存重視の「知性主義」は基本的に無関係であることを再認識すべき!(西川アサキ)逆に言えば、権力者にはバカでもなれるということ!この観点から主要メディアは猛省せよ!(toxandoria/w)Cf. 『国境政策のパラドクス』『排外主義を問い直す』編著の森千香子さんが『排除と抵抗の郊外/フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』で第16回大佛次郎論壇賞を受賞。


(5) 情報基礎論の西川アサキが<人間社会についてのAIシュミレーションで、仮に全ての個人を完全開放系(司法の威信が激劣化した社会環境)へ置く(投げ入れる)と仮説したところ、その社会が一気に不安定化して「行政独裁⇔アナーキー(無政府状態)」の間を激しく彷徨するという恐るべきループの罠に嵌る社会現象>を観察したと報告。(西垣 通/情報基礎論、AI)


(6) 人間の脳の構造に「本能的な感覚としての倫理観を司る部位」(おそらく進化論的プロセスで蓄積!)があることなど極めて重要な事実が確かめられつつある。そして、このことが科学的・客観的に確認されれば(そうなる可能性は非常に高い!)、ジェレミ・ベンサムの功利主義に基づいて「最大多数の最大幸福を求める経済合理性」の問題が、単純なものではないこと(→その終着点が自由原理主義で本当に良いのか?)が説明可となりそうだ。(金井良太/脳神経科学、AI意識研究)


(7) カスリスによれば、日本人の特徴であるインテマシーを代表する神道スピリチュアリティーは「自己の外へ出るのではなく世界観をホログラフィカルに内部へ没入させよ!」と強く要求する傾向があり、それが客観「知」の分析に因る契約(エンテグリティ)ならぬ「感情の最も暗い部分」への無限の沈潜となリ、遂には古来日本の大和魂などの如く「現人神天皇(国体)のための自死(散華)」が「自己犠牲⇒完全な自己保存体観念/異常性(倒錯美意識?)」へホログラフィカルに反転する傾向が観察される。(トマス・カスリス)


f:id:toxandoria:20170104055052p:image:w200:left(8) 「人間の意識の主軸は感情と表裏一体の自由意思だが、それは絶えず“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬリアル現象の連鎖である現実の流れ)”と“理由の空間(神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える論理)”を区別して観察できること。この両者は対立するものではなく、両者が合わせ鏡の如く密接に結びつき、もつれた(entangleした)状態であることが人間の意識の正体(それが、生きる意味!)と見るべき。前者(原因の空間)は「連続性の視点で究極的説明が理解できる能力/なぜ、その機能(例えば、手・足・指など)があるのか?」、後者(理由の空間)は「機能的視点で至近的説明ができる能力/その機能をどのように使うのか?」である。そして、その先に見据えるべきが両能力を更に生かせる“より高度で多元的な意識”の誕生、つまり新たな<人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス)>による啓蒙主義ルネサンスである。(E.O.ウイルソン著書『ヒトはどこまで進化するのか』)


《 完 》


(追記) 年初早々から、縁起でもなく、「追憶のカルト」の正体の凝視という<余りにも暗い日本の現状と未来>についての記事となったが、やはりその先への希望は、ここで取り上げた、非常に有能な若手研究者らによる新時代の客観知「コンシリエンス」(consilience)を構築する努力、特に「量子論・AI・脳科学ら先端分野の自然・人文科学との融合」へ意欲的に取り組む研究とベンチャー活動にある。その辺りで希望の光を感じさせる良質の「論考」をネット上で発見したので、参考まで以下に転載しておく。



■ネオ(二次)・サイバネティクスについて/基礎情報学/ネオ・サイバネティクスの研究、論考発表サイト 西垣 通・研究室/山梨英和大学 専任講師(2016-)大井奈美(早大第一文学部卒、東大学際情報学博士課程修、博士(学際情報学)[出典:http://qq1q.biz/AHEd より転載]


f:id:toxandoria:20170104055531p:image:w200:rightサイバネティクスは、自然科学の基本的な対象である物質やそのエネルギーよりも、私たち生命体がなんらかの対象をいかに観察するのかを、考察の対象としてきました。すなわち、物質よりも情報の領域に注目したのです。コンピュータというあたらしい情報処理技術の登場に刺激をうけて、私たちの認知(情報処理あるいは観察)のしくみにたいする関心が高まったことが背景にありました。


サイバネティクスは、環境と生命体との循環的な因果関係を重視します。循環的な因果関係は、たとえばエアコンに搭載されたサーモスタットのフィードバック機構を思いうかべるとわかりやすいでしょう。設定温度と室温との循環的な影響関係にそくして作動する機構ですね。


循環的な因果関係というサイバネティクスの着想を徹底させたのが、「ネオ・サイバネティクス」です。どのように徹底させたかというと、私たちの認知のしくみについて考える際に、ある時間的な一点における認知ではなく、私たちが生まれてから今にいたる認知の歴史全体を考慮に入れ、その歴史全体に循環的な因果関係という構想を導入したのです。


あらためてエアコンの例で考えてみましょう。冷房設定のとき、サーモスタットによって、室温がエアコンの設定温度を上回ればエアコンは作動し、下回ればエアコンは一時停止するでしょう。設定温度はエアコンが室温を「観察」するための「認知」の枠組といえますね。ここで設定温度は、外部の人間が機械的に設定する基準にすぎません。


しかし、私たち生命体に目を向けると、私たちが認知するときの枠組は、外部から機械的に決められるものではありません。今まで生きてきた時間のなかで経験をつうじて作られてきたものです。私たちの価値判断の基準と言い換えてもよいでしょう。ネオ・サイバネティクスが扱うのは、このような認知(観察)の枠組であり、ある時間的な一点における認知(観察)行為ではなく、それを可能にする認知(観察)の枠組そのものを問題にするのです。


このような考え方は、ハインツ・フォン・フェルスターという物理学者の記憶研究からはじまったので、フェルスターはネオ・サイバネティクスの始祖とされています。私たちは、今の状況に対処するときに、意識するにせよしないにせよ、過去の経験をある程度参照しますね。似たような状況を昔いかに評価し、どのような行動によって対処したのかを思い出すとき、私たちは単に記憶をたどっているだけではなく、そのときの価値判断の基準をふたたび学習しているのです。


いわば、体験の記憶をひきだすとき、私たちは体験をもう一度とり入れていて、ここにフィードバックの循環があります。フィードバックループによって、一人ひとりに固有の価値基準ができていくわけです。


このように記憶能力と学習能力は不可分に結びついていますが、記憶や学習だけではなく知覚能力や推論能力なども含めた全体的で統合的なプロセスとして、認知を理解する必要があります。私たちの認知は、一つひとつの機能のたんなる寄せ集めをこえて、全体として実現するはたらきなのです。要素の寄せ集め以上のはたらきを全体として実現するものを「システム」と呼びます。私たちの身体も、器官のたんなる寄せ集めではないので、システムの代表例ですね。したがってシステム理論は、ネオ・サイバネティクスにとってたいへん役立つ考え方だといえるのです。


なお、フィードバックのループを「再帰性」と言い換えることができます。私たちの再帰的な認知プロセスは、循環的に閉じています。その意味で私たちは、認知的(情報的)には、外部から内部へ情報をとりいれたり逆に与えたりする開かれたシステムではなく、内部と外部の区別が問題にならない、閉じたシステムなのですね。これを「情報的閉鎖系」と呼んでいます。しかし閉じていることは、私たちの認知プロセスがいつもぐるぐると同じ場所をめぐって現状維持に甘んじているだけということを意味しません。むしろ、状況に応じて、あたらしい情報をらせん的に創発させていく可能性がひらけており、ゆたかな創発を実現させ望ましい方向に導くことが、ネオ・サイバネティクスの重要な課題の一つとなっています。


この課題を果たすための理論的な基礎づけとして、神経生理学者のウンベルト・マトゥラーナが弟子のフランシスコ・ヴァレラとともに提唱した考え方を、オートポイエーシス理論といいます。オートポイエーシスとは「自己創出」を意味する造語です。細胞分裂を思うとわかりやすいですが、私たちは身体的には、今と同じ状態を保つために自分の体を作りつづけています。身体的なオートポイエーシスですね。老いや病はあるにせよ、成長してしまえば、基本的には現状維持を続けているわけです。この現状維持は、私たちが自分自身であるために欠かせません。


しかしそのうえで、単なる現状維持にとどまらず、コミュニケーションをつうじてあたらしい自己を創りだし、ときに自己変革さえもうけいれていくことが、千変万化する環境のなかで生きるために必要不可欠ではないでしょうか。それを可能にするのが観察(認知)という営為なのだと、マトゥラーナは考えました。意味的・情報的なオートポイエーシスが起きているのですね。


なお、ここでいう観察は、知覚とは区別されます。すでに述べたように、観察(または認知)は全体として把握されるべきものであって、知覚はその一部の機能にすぎないのです。たとえば色の認知について考えるとき、ネオ・サイバネティクスが重視するのは、「どうしてその色が私に見えているのか」という知覚の問題ではありません。むしろ、「その色が見えていると私が語るとき、私のなかでは何が起きているのか」という観察の問題なのです(括弧内は、マトゥラーナによる表現をもとにしています)。ある色は、誰にとっても同じように見える客観的な現実ではなく、むしろ、一人ひとりが過去の体験に即してつくりあげる主観的な現実なのです。この事実を、マトゥラーナは、ハトの色覚をめぐる研究データからあきらかにしました。


このように、各自の経験にもとづく歴史を背負って生きることと観察とが一体のものであると示した点で、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスのもう一人の父とみなされています。私たち生命体の本質が「観察者」(意識のある←補足、toxandoria)として理解されたわけです。ネオ・サイバネティクスに深く関係する生命記号論は、こうした観察者としての生命体について深く考察する研究領域なのです。


現実が観察者の外部にあって、観察者はその現実を表現(表象)するのだという表象主義の考え方ではなく、現実は観察者の内部でつくられる(構成される・自己創出される)のだという考え方を、構成主義といいます。常識的には、私たちは外部から情報をインプットし、そしてまたあたらしい情報をアウトプットするという直線的で機械的な情報処理のモデルによって、認知やコミュニケーションを理解しています。この考え方は、情報処理パラダイムと呼ばれています。


しかし構成主義の立場からは、私たちはそれぞれが認知的に閉じた世界のなかに生きているのであり、情報は決して伝達されるものではなく、閉じた世界のなかで作られるものなのです。この立場は常識的な認知理解である情報処理パラダイムとは根本的に異なる(つまりラディカルな)ので、とくにラディカル構成主義と呼ばれています(ラディカル構成主義という呼称のより正確な由来は、ジャン・ピアジェの構成主義理論をラディカルに解釈したことですが、くわしくは別ページの説明を参照してください)。


私たちは、内的なフィードバックループによって、過去に構成した情報(現実)を想起しつつ新しい情報(現実)を構成しているのであり、現実の構成をつうじて、結果的に私たち自身をもつくりあげています。なぜなら、くりかえし参照される認知の枠組は、私たちのアイデンティティ(同一性)をなすものだからです。さらにいうならば、私たちの現実とは、私たちのものの見方の実現なのです。


しかし、私たちは、まったく自分勝手に現実をつくりあげているわけではありません。自分ひとりだけが世界に実在するという独我論に、ネオ・サイバネティクスは与しません。このことを、山高帽をかぶったビジネスマンのユーモラスなイラストが示しています(ゴードン・パスクによるものです)。・・・以下、省略・・・

2016-11-07 新国家観が欠落する偏狭『AI万能GDP600兆円の未来/アベノミクス教』

toxandoria2016-11-07

新国家観が欠落する偏狭『AI万能GDP600兆円の未来/アベノミクス教』は日本瓦解のプロセス!一方、啓蒙主義ルネサンスを説く『民主主義の内なる敵』の著者、T.トドロフは『日常礼賛』で未来の可能性を見据える


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・・・画像[オランダの光](映画、ピーターリム・デ・クローン『オランダの光』よりhttp://urx.blue/zoq3/ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』については、後述する((2−1)を参照乞う)。


<補記>「瓦解(がかい)」は、“要(かなめ/pivot)の瓦が一枚壊れただけで、その屋根瓦の全体が崩落し破壊される”が原義であることから、ここでは「ワンポイント(閉鎖系一極)主義、排他主義、独善(傲慢一元)主義」(多元主義の反対)の脆弱性の意を強調するため使った。


プロローグ)政治・文化・経済ニューフロンティア、“啓蒙主義ルネサンス”は1%派の饗宴(ダンテ地獄変の世界)ならぬ、一般国民の『日常礼賛』がもたらす


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・・・ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』(白水社)の表紙を飾るのはピーテル・デ・ホーホ:『母親と少女』1659-60(一枚目)、フェルメール:「窓辺で手紙を読む女」ca.1659(二枚目)、「牛乳を注ぐ女」ca.1657(三枚目)



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・・・ピーテル・デ・ホーホ『箪笥の傍の婦人たちのいる室内』1663(上)、レンブラント:「織物商組合の幹部たち』1662(下)


・・・当記事の動機となったツヴェタン・トドロフの両著、『日常礼賛』(17世紀オランダにおける“日常生活”充実への市民のこだわり)、『民主主義の内なる敵』からの学び/それは、何事につけワンポイント主義で全てが解決することはあり得ず、啓蒙主義の精神をハートランドとして絶えざる日常性(生活)の維持と充実を求める市民層の多元的で強い自律意思(共生志向の主権者意識)にこそ、普通一般の人々の日々に新たな民主主義への希望(アナクロニズムの対極)があるということ。・・・




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・・・因みに、ワンポイントで全ての現実が動くという異常情念が支配する思考回路に嵌り出現するのがマッド・サイエンティストだが、それはAI学者、生物化学者(ロードショー公開中の映画『インフェルノ』(ダンテ地獄編)のテーマはコレ!http://ur0.pw/zski)ら自然科学者に限らず、人文系でも日本会議に連なる学者らは、おそらくそれと同類の思考回路の人々(マッド・リテラリー・サイエンティスト)だと見るべきだろう。・・・


・・・


写実主義と寓意的意味という二つの狭い視点だけでしか一般に風俗画とも呼ばれる17世紀オランダ絵画を見ることはできないのだろうか?」というのが、ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』の出発点(同書を書く動機、多元的な眼差し)であった。トドロフはそこに共通する<日常生活のジャンル>のなかに存在する、豊かさへの節度ある願望が持つ尊厳性に気づいたのだ。


つまり、「写実、寓意(道徳、啓蒙)、画家自身の眼という三要素がもつれ格闘(entangle)する過程の中に画家たちは三つの夫々に還元できない、ある種の新しい人間的な美意識を伴うリアルな文化・経済価値を創造する作用を発見した」とトドロフは主張する。もっと言えば、これら三つの要素と中間層市民の『日常生活(の礼賛、へのこだわり)』という個々の異なるエトノス(世界観)の緊張関係の中で彼らは次々と「美意識と多元的な経済価値のフロンティア」を発見し続けたのである。


より大きくとらえるならば現代にもつながる人間の営みの普遍性であり尊厳性でもあると見るべきことで、それは<資本主義経済の持続性(および結果としての成長)を請け負い保証するプラットフォームが普通一般の市民層の日常生活>の中にこそあるという発見であった。


言い換えれば、それまで圧倒的な宗教の支配に従属していた人間の本質的なもの、人間の自由意思と正統な宗教意識の適度な調和と距離感を実現する啓蒙思想(相互の信頼と信用を保全する共同主観性としての政教分離の理想)にこそ馴染む、多数派市民層を中心とする“日常生活”の意義の発見ということだ。無論、この当時のオランダの「政教分離」は未完の発展プロセスの途上ではあったが。


そして、それに必要な一定限度の貨幣「量」およびその多数派層の市民(17世紀オランダの場合は各自治都市の自律意識を持つ市民層)の日常生活を支え得る、過剰(バブル)にならぬ程々の貨幣流通「速度」(経済学的には、同一の貨幣が一定期間内に何回持ち主を変えるかの平均で、貨幣の『所得速度』とも呼ばれる/実は、現代でも忘れられてきたがかのケインズがこれを最重視していた!)の確保の意味(重要性)の発見ということだ。


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ここで観察される現象は、この時代が独立戦争(1568〜1648)を機にオランダの国民国家フレームが完成しつつあったことを考慮すれば、未だし20世紀の福祉国家の観念までは程遠いとはいえ、財政学者・井手英策氏が著書『経済の時代の終焉』(http://ur0.work/zq0I)で、安倍政治の“アナクロ新自由主義”癒着なる逆噴射政策の欠陥を批判しつつ今後の日本の方向性を指摘した「成長は国民の“日常生活”行動の結果なので、あるべき財政学の観点からすれば先ず相互扶助・再分配等で市民生活へ安心感を与えるという国家財政の役割を根本から再考慮すべし」と説く議論の歴史的原点であるとも言える。


かくの如く17世紀オランダの市民生活(イギリス産業革命から100年以上も前の時代)で何よりも重視された価値は多数派中間層の日常生活(日常礼賛)であった。また、この時代のネーデルラント共和国(ほぼ現在のオランダに重なる)辺りの各自治都市住民の『日常生活』ニーズは衣食住の満足だけではなく一定の経済価値を伴う新たに発見され続ける芸術(美)的価値(特に絵画)等がそのジャンルに入っていた。


このため、中産層市民の各家庭では少なくとも1〜2枚以上の絵画作品を所有しており、17世紀のオランダでは既に他国に先駆けて画商の活躍が活発であった。が、この意味での『日常生活』の関わりで、オランダ新教徒内部における神と人間を巡る<自由意思>に関わる論争は現代の<新自由主義>論争(アウグスティヌスVsペラギウス/ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』のテーマの一つ)にも繋がる問題でもあるが、これについては後述する。


無論、この時代のオランダは先駆的なバブル現象(チューリップ・バブル1634〜1637頃)も経験しているが、この時の普通一般の市民層の日常生活の持続が、英国のアダムスミス「国富論」(1776)と中央銀行の誕生(1694/イングランド銀行設立)を遥か100年以上も前に遡ることも注目すべきだ。なお、オランダでは17世紀初頭にオランダ東インド会社(史上初の株式会社)、アムステルダム銀行(紙幣発行権を持つルーツ中央銀行)、アムステルダム証券取引所などが成立していた。


また、この時代のオランダは<国際法の父とも呼ばれるグロティウスが巻き込まれたオランダ新教徒内部での苛烈な「自由意思」論争(闘争)>という過酷な政治・宗教環境ではあったものの、事実上、そのオランダ庶民層の日常を“萌芽期の啓蒙思想と幼少期の資本主義経済”が支えたのは確かである。因みに、先駆的なフランスでさえ政教分離の確立までには大革命(1789)から政教分離法制定(1905)まで約120年もの時間を要した。


表面的に見れば、このようなことは何の変哲もなく他愛もないエピソードかもしれない。しかし、今や「新自由主義に感染した資本主義の変容と暴走」に否応なく日本が巻き込まれつつあることを思えば、重要な歴史経験からの学びとして17世紀オランダ市民層の身の丈に合った『日常礼賛』を再発見する意義は十分にあると思われる。


新自由主義に取り憑かれ過激にグローバル市場主義化したことで、今の我々が資本主義そのものと、その胎盤である立憲民主主義の近未来に大きな不安を抱くことを思えば其処には計り知れぬ重要な意味のあることが分かる。なお、17世紀頃の欧州のオランダ・イギリス等で萌芽した啓蒙思想は第一次世界大戦でほぼ壊滅し、我々は第二次世界大戦後に復活したそれに支えられてきたのである。


特に、今や「宗教・カルト諸派らと癒着するその不可解な正体に加え、自らが日本会議・神社本庁ら極右の別動隊であること」を前提に「政教一致への回帰」(追憶のカルト)と「壊憲」(国民主権・削除、象徴天皇制・廃止)の意志があることを堂々と主張し始めた、しかも自らのその強権的・暴政的「特異性」でマスメディアと一般国民を恫喝するという異常な政治手法を採り始めた安倍政権の一強支配に粛々と従わされる日本国民が、ツヴェタン・トドロフが指摘する<啓蒙主義と資本主義の揺籃期=17世紀オランダ『日常礼賛』の時代>を再発見することは重要だと考えられる。


1 ヒューバート・ドレイファスチャールズテイラーのAI(シンギュラリティ)批判


1−1 IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題(情報社会哲学の視点から)


(“情報社会”哲学・倫理の視点)


これは、情報社会論( メディア、情報社会の哲学・倫理・思想的研究)に携わる大黒岳彦氏(明治大学教授)が著書(↓◆1)で提唱した、IOT、AIが席巻しつつある本格的な情報社会化の時代を原理的に検証・批判するために提唱する新たな視点である。


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◆1 大黒岳彦著『情報社会の<哲学>、グーグルビッグデータ人工知能』−勁草書房


例えば、既に一部の特に過酷な“前線”で実装配備されているとされる「AI・IOT軍装備&ロボット兵器」で派生する軍事技術暴走の問題(AI技術のマッド・サイエンス化)がある。


具体的には、戦闘ロボット(仮想アンドロイド型ウエアラブル武装、あるいは文字通りのロボット兵器)、あるいはAI「自動制御兵器」である。特に、後者は“Go and Forget!”の大リスクに襲われる可能性もある。それは、AI制御のコンマ以下秒の猛スピードに人間が付いて行けぬため尖閣、ウクライナら事実上の前線で人的統制不能の状況が出現し予期せぬ開戦へ突入、の恐れがあるからだ。その意味で、安倍政権の積極(偽装)平和主義なる政治理念の劣化、および同関連防衛政策の混迷化と外交力の衰弱は日本を大国難のパニックへ叩き込みかねない。


ともかくも、大黒岳彦氏によれば、IOT・AI技術の独占化(新たなAI装備型グローバルマネー・パワー構造に取り込まれる)による更なる経済格差拡大とそれによる暗黒時代到来(絶望的なまで下部構造が拡大する)の予想も含め、このような「AIによる人間支配の恐るべき近未来図」が懸念される原因は、我々が「情報社会の哲学あるいは情報倫理」の視点を無視し、ひたすら目先(自由原理主義に因る今だけor短期の)利益にのみ目が奪われてきたことにあるといえる。


(IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題を凝視する/特に安倍政権はこの理解が欠落!)


コンピュータ自身が自分の自由意思で外部から知識を取り込むことは、事実上できないが(遠い将来に人間そのもののアンドロイド(android)またはヒューマノイド(humanoid)が実現すれば別だろうが!)、与えられた膨大なビッグデータ(情報)の注入で自ら学習(深層学習/ディープラーニング)することは出来るようになった。


なお、後述のE.O.ウイルソンが「AIの核心技術である回帰分析は「相加条件」(リアル環境下での多様な後天的・双方的影響)を無視する一種の“情念的・観念的”設計原理主義(設計=あくまでも一つの観念、リアル=宿命的に多元)なので、それによるリアル100%の予測は不可能だ!」と警告を発していることは十分に傾聴すべきだ(だから、AI活用は積極かつ抑制的(冷静)であるべき!)。また、AIには宿命的カルマンフィルターの問題(多変量・特徴量の統計処理によるリーマンショック自動運転車事故等の原因となったパニック・リスク発生が見過ごせないhttp://urx.blue/zoqH)もある。


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つまり、問題はE.O.ウイルソン『ヒトはどこまで進化するのか』-亜紀書房-、小林雅一『AIの衝撃』-講談社-らの指摘どおりで、ディープラーニングの正体が“意外にも”旧来からある回帰分析等の統計処理であることだ。一方、最先端の進化心理学(関連参照↓◆2)等では、同列技法である確率統計を利用しつつ、その限界をも絶えず十分意識して取り組むのが常識化している。


◆2 進化心理学

・・・社会心理学・発生生物学・進化生物学・ネオラマルキズム等との関係が深く、また進化経済学らAIを抑制的に活用する先端知のルーツでもあり、身体の自然エトノスへの適応と同様に、人間の心も生物学的な進化の産物であると理解する心理学。

・・・21世紀に入り、特にAI研究の深化等と共振しつつ急速に発展する「文化進化論」のルーツの一つになった(委細は、コチラを参照 ⇒2016-08-22toxandoriaの日記/『記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追憶のカルト!新鮮な生命が持続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160822)。


・・・


その意味では、例えば「人間がAIと違うのは高度な読解力があること」という理解を前提に国立情報学研究所が教育関連企業らと共同で新たな研究所設立の準備を始めたのは評価できる(読解力伸ばせ、産学連携 国立情報学研究所・教育企業、新研究所設立へ20161008朝日http://urx.blue/zoqX)。但し、日本企業が世界で勝つためだけでなく、日本国民の人間性と内発的で多義的な価値観(価値感覚)が豊かになる『日常礼賛』(当記事のテーマ)に資することを第一の目的(理念)と位置付けるべきである(構造化データベースの、確定した、ある意味で死んだ過去の文脈である“構造”と、今から未来へのプロセスを生きる人間の持続・深化する普遍的な意思から生まれる“文脈”は異なることに気付くべし!/関連参照⇒http://ur0.biz/zyUHhttp://ur0.biz/zyUI)。


なぜなら、根本的にAIと異種能力である「“環境・文章フレーム”の積極的読解力」(自らの生命維持条件である内外エトノスへの高度な感受性を持続させ得る能力、意志と感情が混然一体化した自然・生命意識とでも言うべき生きた情念/関連参照→http://urx.blue/zoqZ)こそがAIならぬ人間の「節度ある自由意思」のバックボーンと考えられるからだ。


(“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)による啓蒙主義ルネサンス!)


ところで、注意すべきはその自然・生命意識としての「情念」自体には、いわゆる倫理的ないしは社会契約論的な意味での善と悪の区別は未だなく(ルネ・デカルトと共に17世紀・近世哲学の創始者の一人で、社会契約論による政治哲学の嚆矢でもあるトマス・ホッブスの“万人の万人に対する闘争”状態に相当)、それが一定の社会意識の下で「理念」へ昇華されたレベルで、その新たな「善と悪を区別する明確なエトノス的意識(冷静・客観的な自然観)と社会的意識」が“生まれ”た(歴史的に見れば“啓蒙思想の誕生”!)と考えられることだ。


そして、ヒューバート・ドレイファス(人工知能に対して鋭い哲学的批判を続ける米国の哲学者、チャールズテイラー(同じ立場、カナダの政治・分析哲学者)、ツヴェタン・トドロフ(仏の文芸批評家・記号学者・社会思想家)、E.O.ウイルソン(米国の昆虫学者、社会生物学者)、あるいは『文化進化論/ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか』の著者アレックス・メス−ディ(英国の文化進化論学者)、ハーバート・ギンタス(米国の行動心理・経済学者)らが共有する最も重要な認識は、人間の意識の特徴である「因果(連続するリアル)と論理(法則抽象化の能力)」を峻別(自覚的区別)するということだ。


「人間の意識の主軸は自由意思(感情と表裏一体の)であるが、それは絶えず“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬリアル現象の連鎖である現実の流れ)”と“理由の空間(神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える論理)”を区別して観察している、ということだ。但し、この両者は対立するもの、との理解で止まるのも決定的な誤りと思われる。それは、この両者が合わせ鏡の如く密接に結びつき、もつれた(entangleした)状態であることが人間の意識の正体(それが、生きる意味でもある!)と見るべきだからである。


因みに、E.O.ウイルソンは『ヒトはどこまで進化するのか』で、前者(原因の空間)について「連続性の視点で究極的説明が理解できる能力/なぜ、その機能(例えば、手・足・指など)があるのか?」、後者(理由の空間)について「機能的視点で至近的説明ができる能力/その機能をどのように使うのか?」であると述べている。そして、その先に見据えるのが両能力を更に生かせる“より高度で多元的な意識”の誕生、つまり新たな人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス)による啓蒙主義ルネサンスである。


1−2 ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラーによるIOT、AI万能論(シンギュラリティ)批判(実在論の視点から)


(現代的な意味での実在論の視点)


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ヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラー著『実在論を立て直す』(法政大学出版)で、彼らは現代の新たな時代の実在論(古代ギリシャ哲学に淵源する物的実在の根本を遡及して考える懐疑論/近代科学の基礎である物的還元主義に繋がる“素朴実在論→科学実在論”の流れ)の立場からIOT、AI技術が自らの深層に抱え込む根本的問題への批判に挑戦している。


つまり、両者は古典的「実在論」を新たな量子物理学の知見の時代(シュレジンガー波動方程式が表現する、物質・波動の両性質を併せ持つ(確率分布する)量子もつれ(quantum entanglement/量子コンピュータの基礎を支える客観的物理現象)などが常識化した)にも照らしリフレッシュさせつつ、IOT、AI技術の深層を批判していることになる。


因みに、コンピュータで人間と同じ知能を人工的に実現する技術、人工知能(artificial intelligence/AI)の研究は1990年代から本格化したが、今や自動車の自動運転が確実視されるほど急速に関連研究が進みつつある。が、AIを巡っては現在も楽観論と悲観論が同時並行的にしのぎを削っている。


楽観論の代表者は、早ければ10年後にも訪れるとされるシンギュラリティ(技術的特異点/technological singularity/人工知能の完成で人間が生命を完全?に支配する時代w)の到来を主張する、米国の人工知能研究者、レイ・カーツワイルである。ただ、カーツワイルは優れた研究者であると同時にベンチャー系実業家(野心家!)でもあるという二足の草鞋を履くことに留意すべきだ。


一方、悲観論、つまりAIがAGI(Artificial General Intelligence/人間レベルの知能、つまり汎用知能が実現する)の段階に入ると、そのAI故の機械的暴走を人間が制御不能になると主張する一派の代表者には、ビル・ジョイ(元サン・マイクロシステムズ社 チーフサイエンティスト)、スティーブン・ホーキングブラックホールの特異点などで著名な英国の理論物理学者)らがいる。


また、ヒューマニストの一人であるスティーブン・ジェイ・グールド(米国の古生物学者、進化生物学者)が、AIの『物事の意味や価値(シニフィエ/意味、記号内容、所記)を判断し、納得し理解することの限界』を指摘しているのも注目すべきだ。つまり、あくまでもAIはシニフィアン(道具、記号表現、能記)で、宿命的にそれは地球エトノスと共鳴・共感するシニフィエ(意味論)的な存在の人間に成り代わることは不可能、との主張である。


(今も我々の深部意識に大きな影響を与える17世紀デカルトの「方法的懐疑」/その二元論の描像を支える「4本の織り糸」の摘出)


ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、最終的に現在のコンピュータ技術にまで繋がる“現代科学の萌芽期において、その基礎となるべく、そして未だにれっきとした影響力を我々の思考に与え続ける”の意味で重要な17世紀ルネ・デカルトの「方法的懐疑」が我々にもたらす描像(“われ思う=人間の意識、存在=外界世界の物的実在”という二つの明確な客観的イメージ構造)を批判するため、この著書『実在論を立て直す』の中でデカルト二元論の思弁を支える「4本の織り糸」を摘出する。


a 媒介説(mediational theory)/基本的観念(カテゴリーファイル)の媒介がなければ人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた!


・・・外界から人間精神の中に投影(抽象化)され、その時々に固定される心象(個々の心的イメージと、その基礎づけとなる諸感覚情報)を受け止める基本的観念(カテゴリーファイル)を指す。この「基本的観念」の媒介がなければ人間は理性的な考えを保持できないとデカルトは考えた。


・・・なお、同時代のジョン・ロック(イギリス経験論の祖、『統治二論』でその自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化し社会契約や抵抗権を着想)も、17世紀の「啓蒙思想」の萌芽期に<単純観念(デカルトのカテゴリーに相当)と複合観念(単純観念に精神の諸機能が加わり成立する複合的内容)>なる独創的な考え方を提起した。


・・・余談だが、バベッジ(19世紀英国の計算機科学者、殆ど設計・試作レベルで終わったが、現代コンピュータの祖型である階差機関、解析機関、あるいはプログラミングを着想・設計・試作した)の影響を受けたエイダ・ラブレス伯爵夫人ロマン派を代表する詩人バイロンの一人娘)が人類初のコンピュータ・プログラマーである(出典:竹内薫『量子コンピューターが本当にすごい』-PHP-))こと、またそのバベッジが彼に先立つ18世紀カントから何らかの影響を受けた節があるのも興味深い。なお、カントは『純粋理性批判』で認識構造の基本である感性、悟性、理性を定義し、図式・カテゴリー・構想のアーキテクチャーでの分析方法を着想した。


b 明示的「信念」の在庫目録リスト(量子物理学の進化で“ゆらぐ”伝統科学、ニュートン物理学世界)をどう再解釈するか?の問題


・・・リアル世界に在る人間の意識(文脈的意思)はエトノス環境との連鎖・往還交流の渦に宿命的に巻き込まれており、個々の生命体が終末を迎える時までの制限内で潜在的に無限であるはずなのだが、しかしながら媒介説的な意味で“理性的”な我々(人間)は一定の限られた明示的で科学・客観的な「信念」、つまり一定の表出的「情報」の在庫目録リストの範囲で、(1)の媒介的カテゴリーに頼りつつデカルト・バージョンないしはジョン・ロック・バージョンの知識内容(ロック定義の単純観念/コンピュータのデジタルバイト情報との類似概念であることに注目!)から収集した合理的な「観念」(実は表層的観念!?)で満足すべきとの明示的「信念」の自覚が当然視されている。


・・・そして、科学実験・検証、数学論理(ゲーデル不完全性定理の問題は残る!)、あるいは司法判断・犯罪捜査らは此のプロセスに基づくのも事実ではある。しかし、絶えずそこから漏れ出るリアルの可能性を凝視する謙虚で懐疑的で多元(人文科学、基礎科学)的な視点を有害、非効率と見て排除する傾向が強まっているが、それら残余を強引に切り捨てて本当に大丈夫なのか?特に、<AI活用・新自由主義・アナクロが偏狭な意識の中で癒着する安倍内閣の暴走権力化>が、この悪しき人文科学(および基礎科学)排除の意味での非科学化(カルト化)傾向を強めていることが懸念される。


・・・一方で、例えば量子物理学で言えば、量子効果の性質であるトンネル効果、あるいは“量子もつれ”で発見された“光より速い伝達媒介性”を応用する量子テレポーションhttp://urx.blue/zotC)らの如き現象が科学的事実として認知されている。なお、トンネル効果は波動性をも持つ量子が一定の確率(数学論理)で通常は不可能な領域や壁を通り抜ける物理現象(シュレジンガーの猫、のリアル化)で、換言すれば量子の波動関数ポテンシャル障壁の反対へ染出すことだが、微細な集積回路でのリーク電流の原因であり、かつこれは宇宙の生成にも関わると見られている。


c 懐疑的な社会意識の希薄化を助長する、外界投影である内的「直接所与のカテゴリー」以前への非遡行性の問題/これこそAI・IOT時代の落とし穴!


・・・これは「(2)明示的「信念」の在庫目録」との関りが強いのだが、デカルトの「直接所与」では、外界の投影である「直接所与」の認識が「基本的観念(カテゴリーファイル)以前へ遡及することはあり得ないのが大前提である。同じことをJ.ロック・バージョンで言えば、17世紀の「啓蒙主義」萌芽期の考え方の基礎ともなった「単純観念」以前への共同主観性(常識化した共通認識)レベルでの遡及はあり得ないという思考パターンである。


・・・ところが、ここで奇妙なパラドクスが出現する。それは、“実在を疑わぬ超素朴な時代(ホモ・ハビリスホモ・サピエンス初期)→古典的素朴実在論の時代→17世紀に始まる科学実在論と啓蒙・民主主義のプロセス→現代”という長大な歴史時間を辿った結果、漸く、素朴で蒙昧な古典的実在論から科学的実在論(媒介説)の極致と見るべき非常に冷静かつ客観合理的なAI時代の入口まで人間は到達した訳なのだが、肝心の政治権力およびメディア&アカデミズム意識の劣化、およびポピュリズム深化などによって、ふと気付くと我々は<一切の実在を疑わぬ超素朴な時代/啓蒙思想が始まるより遥かに前の蒙昧・無知の時代>へ、再び、一気に引き戻されつつあるのではないか?という懸念が生まれているのだ。


・・・この論点は、一定の意図(目的)の下で集約される構造化データベースと非構造化データベース(日常のメール・FNSらに溢れている断片化し、ミクロ化した意識情報の集成であるビッグデータ)の差異に気づかぬことがもたらす、非常に深刻な文化的、社会的、国民的、国家的な超リスクの問題と関わるが、具体的には後の(1−1/IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題を凝視する)で触れる。


・・・そして、特に既得権益化した権力側からのアカデミズムと教育環境の操作やメディア・ポピュリズム扇動での国民意識の分断化(ミクロ化)などに因る無関心層(より根源的なエトノス観を求めて往還的に自ら遡及しようとする懐疑的な社会意識の希薄化)の拡大が、この悪しき傾向がより深化するための触媒作用となっている。


・・・特に量子コンピュータ(深層学習とアニーリング(量子トンネル効果を応用する非常に効率的な超ビッグ多変量回帰分析/量子コンピュータ駆使)で最適解を求める手法、http://urx.blue/zoz7)等による超高速計算(天文学的スケールの)が実現しつつあること、つまり<1%派と癒着し易いIOT、AI技術がより強靭な社会プラットフォームとして他の凡ゆるものを根幹部分から支配する時代>に入りつつあるということは、即ち、我々がそのような意味でのパラドクスに見事に嵌まったことになるのではないか?


・・それは、些かの正しい根拠(エトノス交流によるリアル遡及的な根拠)も意識されぬままに、“超科学的(実際には1%派との癒着で“名ばかり科学合理”と化している!)”な目前のエセ現実(1%派ご用達グローバル資本主義がうそぶく“今だけ目先だけ利益”)を、スッカリ騙されたままひたすら信じて生きざるを得ないという意味である。


d 「心的←→物的」の二元論で分類・分断されミクロ化する社会へ如何にすれば歯止めがかかるか?


・・・そこから浮上する、節度ある自由意思と政治倫理の深い関係性の問題!・・・


・・・これは、殆どが「c 内的な直接所与のカテゴリー以前への非遡行性の問題」と重なることだが、17世紀以降の近世〜現代という歴史の流れから俯瞰すると、今も我々の心の中で作用しているデカルト的な概念の主柱である<「心的←→物的」二元論的分類>が、深く人間社会に浸透しつつ現在に至ったことの影響は非常に大きく重い。従って、これまで見た「AI化による社会の更なるミクロ化・分断化・分裂化トレンド」に如何なる歯止め策を講じるべきかが民主主義国家に共通する喫緊の課題である。


・・・量子力学の知見によれば、「量子レベルまでミクロ(還元・遡及)化した物質(つまり量子)は物質であると同時に波動性(確率論的分布)を持ち、それが自由意思を前提とする「リアル観測」によって一つの結果として帰結(量子もつれが壊れて現実化)すること(デコヒーレンス/decoherence)」が科学的にほぼ理解されている。これを比喩的・象徴的に考えてみると、例えば政治的な政策課題の役割はこの場合の「リアル観測」に似ていると思われる。そして、そこから「宿命論ならぬ節度ある自由意思と政治倫理の間の強い関係性」が推測される。逆に言えば、それは悲観的な宿命論に囚われた途端に我われ普通の人間は不道徳な生き方を選択する衝動に誘惑されるはずだからである。


・・・因みに、「マクスウエル電磁方程式→シュレジンガー波動方程式(ディラック方程式アインシュタイン相対性理論)→ハイゼンベルグ運動方程式(電磁・波動両方程式と相対理論を統一)」の研究プロセスによって、この物的実在の根本が物性であると同時に波動性であるという矛盾(ニュートン力学上の)は統一・理解されている(主流たるコペンハーゲン学派の立場)。


・・・


(「4本の織り糸」のなかの枢軸、a媒介説(mediational theory)に対する真っ向からの批判となる接触説(contact theory)の底知れぬパワー!)


共著『実在論を立て直す』の中で、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは本格的なAI時代へ確実に近づきつつある今だからこそ、未だに意識の深奥で我々へ大きな影響を与え続ける「17世紀デカルト二元論の描像」なる呪縛(これがAIの魔術師?wレイ・カーツワイルが唱える呪文、シンギュラリティの根拠!)、つまりその「4本の織り糸」の媒介説を批判するため接触説を提示している。


それは、この接触説こそが既述の(1−1/IOT、AI技術が深層に抱え込む根本問題)の“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬ全エトノス交流下の連鎖現象であるリアル)”と“理由の空間(論理/神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える)”の違いの問題に深く関わっており、人間の意識の持続性はこれら両者の統合感覚であると考えられるからだ(余談!w ←コレで日々にとても疲れるので、人間はその他の動物とは異なる意味で、十分な良質の睡眠が必要になる?)。


別に言えば、“原因の空間”と“理由の空間”の脳を含む体内エトノス環境における「進行形の現実」、つまり「その斉合(混合)状態」(関連参照↓◆3)こそが人間(Homo sapiens)の意識・生命の根拠(生きていることの意味)であり、それが「AIフレーム問題」の原因と考えられるからだ。なお、フレーム問題とは考慮すべき空間が有限でない限り無限の可能性を考えざるを得ないというパラドクス(簡単に言えば、AIは空気が絶対に読めないこと!)であり、如何に高度化してもAIが人間に取って代われない根拠がそこにある。


◆3 認知的斉合性理論(cognitive consistency theory)

・・・人々は自らの認知内容(自分や他人が知っていること、感じていること、やっていること、欲していること、又は社会や自然界に生じていること、などについて自らがもつ認識内容のいくばくかが相互に無関係と思えないとき、それらの関係の辻褄が合うように行動するという仮定を置き、それに基づき人々の社会行動を説明する理論。(http://urx.mobi/ze8A


・・・


ところで、媒介説(17世紀デカルト二元論の描像/その核心が(a)媒介説)が近代(およそ17世紀)以降に大きなパワーを勝ち得たのは、主に近代科学(及びそれを基盤とする啓蒙主義、立憲議会制民主主義、資本主義)の成立と拡がりで伝統的な常識を批判しつつ世界の理解の仕方を客観視できる知的態度が獲得された(世界が脱呪術化した)ためと考えられる。


一方、このような一種の離脱化した人間観に対し、接触説は「我々は常に一定の社会、文化、そしてエトノス自然環境(個々の体内にも膨大なエトノス自然環境がある)に深く関与していること、および無意識レベルも含め奥深く内外のエトノス環境に巻き込まれつつ我々が今を生きているリアルを、そしてその果てしない因果関係の連鎖と拡がりを特に強調」する立場である。従って、この接触説の立場に立てば、必然的に異文化や外国人も含む異なる考え方の人々と如何なる相互理解の方法が可能かを常に考えつつ、絶えざる共存の方向である「多元主義」の模索こそが<世界中で個々の人間が生きていることの重要な意味>だということが理解できることになる(余談!w←ココからも安倍・トランプら極右の閉鎖系思考の誤謬が理解できる!)。


無論、このような立場があることを確認しただけで、そこから市民社会が格差や排外主義で一層の「離脱化」を強める現代世界の悪しきトレンドに対する抑止効果が生まれるとは考えられないし、同じくモノカルチャー化(人間意識の同質的ミクロ化)へのスピードを益々加速するコンピュータ、IOT、AI万能論(シンギュラリティ)社会を簡単に批判できる訳でもない。あるいは、更なる『新自由主義』の暴走で資本主義と民主主義(啓蒙思想)が激しく劣化し、ますます排外主義が広がり、多くの人々が孤立化するという近未来の悪夢の一掃ができるとも思われない。


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そこで、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーは、「自己理解の変化」(過去と現在との出会いという観念、つまり個々の我々は歴史性と地球エトノス環境に内外で巻き込まれているという認識を前提とする/補足、toxandoria)があれば、身体的次元→言語的次元→全感性的次元のプロセスで、他者への理解が必ず生まれ、かつ深まるという、H.G.ガダマー(ドイツの哲学者/解釈学(Hermeneutik)、言語テクストの歴史性に立脚する独自の哲学的アプローチで知られる)の原理「地平の融合」を引用する(関連参照⇒『ガダマー思想の核心』

http://ur2.link/zlCG/画像はhttp://urx.blue/zoLXより)。


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ガダマーの“テクスト(言説・言語記述)の意味の多義性と常なる新しさ(啓蒙主義ルネサンスが持続することへの自信!)、およびトマス・カスリス(リトアニア系米国人で哲学者、東洋学者/日本伝統文化の核心と見なす神道についての研究が専門)のインティマシー(intemacy/親近的文化)とインテグリティー(integrity/契約的文化)なる二種類の文化についての考察”もIOT、AI万能論に対する強力な批判になると思われるが此処では触れる余裕がない。接触説は「啓蒙主義ルネサンスの可能性」にも関わりツヴェタン・トドロフとも共鳴するので、これについては後述する。


2 “AIと新自由主義”癒着で資本主義が新たな暴走フェーズへ突入


・・・「AIが保証する絶対“客観性”」の大義名分(名ばかり科学主義)が大暴走する懸念!・・・


2−1 ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』が示唆する、“AIと新自由主義”の癒着で更に資本主義が過激暴走する懸念


(米国民の8割が世界の民主主義の深化に無関心なので、今やアメリカの掲げる民主主義の理念が世界の人々の憧れや模倣の対象となっていないという惨状)


「米国民の8割が世界の民主主義の深化に関心がなくなっているため、今やアメリカの掲げる理念が世界の人々の憧れや模倣の対象となっていない」という悲惨な現実を、20160823毎日「時論フォーラム/資本主義の行方、空洞化する民主主義」で水野和夫・法政大教授が紹介している(http://urx.blue/zp2m)。また、この記事の中で水野氏は「この道しかない!そのアベノミクスを批判するなら対案を出せ!と野党を罵倒・恫喝し、野党も、国民も、メディアもそれに対抗し得る声を失っている(orこれも米国のマネで国民が無関心?)」という日本の大いに悲しむべき現実を懸念している。


それは、この米国の悲惨な動向が見せつける「空洞化する資本主義と民主主義の行方」に対し、安倍内閣は「気合が足りないだけだ!」と如何にも偽装極右(決して正統保守ならぬ!w)らしい体育会系の檄を飛ばし、「今こそ、戦前〜戦中期型“神懸り”(“伝統神道の精神”ならぬ!w)の日本精神(アナクロ・イデオローグ、日本会議=偽装極右)の出番だ!」と絶叫しているに過ぎないからだ。


しかも、「日銀「物価2%目標」先送り検討 黒田総裁下で成長目標のブースター押し上げ(リフレ&ネオリベ式ファイナンス・マネーばら撒きの効果)が絶望的であること(アベノミクス失敗宣言!)20161022毎日http://ur0.work/zq0g」を物ともせず、「IOT活用で名目GDP600兆円の未来像/焼き直しアベノミクス❓」下における新「三本の矢」の大黒柱として、臆面もなく未だ“海千山千”のAI“シンギュラリティ”を『新国家観ことアナクロ政策』の額縁として掲げる大迷走ぶリには驚かされる。しかし、多数派の国民は殆どこのアベノミクスの惨状には無批判・無関心に見える(それでも支持率は上昇するばかり?苦w)!


そこには、例えばツヴェタン・トドロフ、ポール・メイソン(Paul Mason/英ジャーナリスト、『ポスト資本主義(Postcapitalism 、A Guide to Our Future/未邦訳↓◆4)』の著者)、エマニュエル・トッド中央公論・9月号/世界は『新自由主義』をもう我慢できない、http://urx.blue/zp2J)らの如き、日本と世界の未来に対する危機感が、言い換えれば、単なる「体育系の気合い入れ」を超えたネオ“コペルニクス転換”級の理念創造へ挑戦しようとする気概が全く存在せず、そこから滲み出すのは反知性主義的な「追憶のカルト」(“権利の章典”部分を破壊する壊憲なる蛮行)式で「国民主権の削除、象徴天皇制の廃止、戦前型軍事大国への回帰」を謀る奇怪なアナクロ・ゾンビの情念だけだ。


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◆4 Goods and services that no longer respond to the dictates of neoliberalism are appearing, ・・・In this groundbreaking book Mason shows how, from the ashes of the recent financial crisis, we have the chance to create a more socially just and sustainable global economy. Moving beyond capitalism, he shows, is no longer a utopian dream. This is the first time in human history ・・・http://urx.blue/zp2U


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ところで、ツヴェタン・トドロフは新著『民主主義の内なる敵』(大谷尚文訳/みすず書房)で、フランス革命急進派(特にジャコバン派?)、旧ソ連共産主義政権と米国新保守主義に共通するのが「人間は人為の設計で抑圧から100%解放されるという強靭なメシア信仰」という、本質的に<啓蒙主義>と全く相容れない<情念型の固着設計主義>であることを指摘する。因みに、日本ではこれが、日本会議が代表する戦前型「偽装極右」(追憶のカルト)とネオリベラリズム(新自由主義)の野合・癒着という特異な形で現れている。


つまり、それは彼らが<内外エトノス環境と無限因果の連鎖で繋がり、多面的に交流し、そして多様に変幻自在に変遷し続けるリアルな現実世界を、自らの情念に因る人為の観念的設計(狂信の設計図)で如何様にも変えること(凡ゆる現実因果の改造)が可能だ、とする<傲慢の極み>で凝り固まった超閉鎖的な“ゾンビ(似非)人間中心主義”>の虜(囚人)であることを意味する。


(現代にまで深い影を落とす、アウグスティヌスVsペラギウスの人間の自由意思に関わる論争)


心の奥深くで、それは殆ど無意識の中でのことであるが、今も我々に大きな影響を与えるのが、この「アウグスティヌスVsペラギウスの人間の自由意思に関わる論争」の問題である。それは、我々が今まで馴染んできた立憲民主主義が、キリスト教を共有する欧米諸国の啓蒙思想の発展史(市民革命の歴史)から学び得たものであるからに他ならない。


因みに、アウグスティヌスはローマ帝国末期の4世紀後半〜5世紀初頭頃に北アフリカカルタゴを中心に活動したキリスト教の教父で、中世ヨーロッパの最も根幹となるキリスト教思想を作った人物である。ペラギウスはそれとほぼ同時代人であるが、ペラギウス主義(派)と呼ばれる教義を広く展開したが418年のカルタゴ会議で異端宣告されている。


ツヴェタン・トドロフによれば、アウグスティヌスが「人々は神の意思(それを代理するカトリック教会ヒエラルキー)に服従し、全て(特に、人間が無知ゆえに犯す罪を意味する原罪)を見透す神の恩寵に従順に従うべき」とするのに対し、ペラギウスは「人間は自律的にその責任の範囲において、先ず自らの自由意思に従って行動することに宗教的な意味がある」と考えた。


端的に言えば、ペラギウスの「先ず自らの自由意思に従って行動すべき」の部分が、「異端」宣告を受けた後も人間の自由原理主義的な思潮のルーツとなり続け、やがてそれが西欧思想史の中で密かに独り歩きして(又は誤解されて?)きたと言える訳だ。そして、ツヴェタン・トドロフは、その意味でのペラギウス主義が米国の新保守主義(宗教右派)にも流れ込み、結果的にそれが全世界の経済フィールドで新自由主義が暴走する推進力になったと見ている。


因みに、このツヴェタン・トドロフの議論から些か離れてしまうが、人間の自由意思の問題で忘れてならない人物に13世紀スコットランドの神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウス(その思想の徹底的な緻密さから精妙博士(Doctor Subtilis)と呼ばれた)がおり、彼はフランチェスコ派スコラ神学者で、後にパリ大学教授となった人物である。


スコトウスは、先ず「絶対的に正しい自由意思」を持つのは神のみであるから神は先ず純粋にその自由意思で世界を創造したと理解し、アウグスティヌスの「自由と理性の両者に対する神の絶対的先行性」を留保して、神だけが持つ「正しい自由意思」が神自身の「理性(知)性」の判断とは無関係に先ず世界を創った、と考えた。


更に、スコトウスは、神に劣後する人間の「自由意思」が常に善悪について「絶対的な善」を選ぶことはあり得ないながらも、偉大なる神の見守りの下にある人間には一定の判断力が、つまり善か悪かの道が選べる最小限の「理(知)性」は与えられており、同時にその人間が正しい判断を下すことができるよう一定の自律的な「自由意思」も与えられていると考えた(中庸の宗教観)。


また、15〜16世紀頃までの中世ヨーロッパ社会の伝統では「古代ギリシアの奴隷制時代に比定され、特に自治都市の自由市民の立場(その余韻はプロローグで触れた16〜17世紀オランダ自治都市の市民に見られる)については、その古代ギリシアのポリス市民と同等と見るべき」とするのが一般的な常識であったので、「自由」であるためには先ず正しい「理性」判断が必要であるが下部構造に属する奴隷などの人々は正しい理性を持っていないと考えられていた。


しかし、驚くべきことにそれを遥かに遡る13世紀スコットランドにおいて、このヨハネス・ドウンス・スコトウスはこれら自由市民の立場でない下部構造の人間の「自由意思」をも認める考えを採った。即ち、この時に初めて近・現代の「啓蒙思想」に繋がる「人間の普遍的な自由意思」の種となる理念が誕生していたと考えられる。


ともかくも、この啓蒙思想の種と見るべき<スコトウスの中庸(適度)な自由意思>の対極にある<ペラギウス派の自由原理主義的な考え方>(尤も、おそらくそれは“ペラギウスの自由”を人々が過剰に誤解したためであるだろうが)の影響は、トドロフによれば今でもなおキリスト教思想の深部において、自由原理主義の形で「資本主義」暴走の肩を押し続けていることになる。


(“AIと新自由主義の癒着”が主に世襲“1%既得利権派”らの新たなプラットフォーム(権力基盤)となりポピュリズムを煽る恐れ)


・・・そのため、社会「中間〜下部構造」の人々の盲目化・ミクロ化・分断化のリスクが一層拡大する懸念がある!・・・


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かくして、トドロフ『民主主義の内なる敵』が指摘する如く社会「下部構造」の盲目化が加速して「進歩の精神が十字軍のメシア思想(排外主義)へ、自由が暴政の培養地へ、中間〜下部構造の市民が操作可能な群衆へ」という具合で、民主主義の各部位が激烈な化学変化に見舞われており、その「個々の人々がミクロ&分断化」へ雪崩れ込む危機拡大のリスクが日本をはじめ全世界を覆っている。


特に、ツヴェタン・トドロフの懸念は、1%派の権力構造を利する“AIと新自由主義”の癒着型プラットフォーム(権力基盤)が、つまり<ポピュリズムを更に煽り立てる暴走回路が新たに定着して社会の下部構造が一層盲目化するというリスク>が拡大している点にある。


例えば、世界人口の半分近い30億人以上が1日150円以下で生活しており(http://ur2.link/zlXc)、トップ62人の総資産が下位層36億(世界人口、約80億中の)人のそれと同じという巨大格差が世界で拡大するなか、特に米国ではヤングホームレス(16〜25歳)の急増(8万人を突破/2015)が大きな社会問題と化している(後者2件のデータ出典:20161016NHKスペシャル/マネー・ワールド 資本主義の未来 「第1集」 世界の成長は続くのか、http://ur0.work/zpXu)。


そして、これはヒューバート・ドレイファス/チャールズテイラー『実在論を立て直す』が懸念すること、すなわち<「新自由主義のツール化で1%派と癒着しがちなIOT、AI技術が広く深く社会を潜在的に支配する時代=技術革新やグローバル競争で負の影響を受ける人々の更なる加速度的増加に歯止めがかからなくなる時代」に入りつつある、という指摘にも重なる。


つまり、それは啓蒙主義の萌芽期以前の奴隷身分に相当する、主権から除外され社会の下部構造に組み込まれる人々が急増する苛烈な時代へ突入するということだ。AIシンギュラリティ信仰の深まりと共に、そのような意味での悪しきパラドクス(マイナス・スパイラルの蟻地獄)に我々は益々深く嵌りつつあるのではないか?>という懸念をツヴェタン・トドロフも強調する。特に、そもそものボタンの掛け違いを無視して、つまり立憲民主主義の放棄を謀りつつ<「新国家ヴィジョン」が欠落する「AI万能GDP600兆円の未来=アベノミクス教」>を新たに掲げた安倍政権下の日本は、その超リスクが一足飛びに顕在化する危うい時期に直面しているのではないか、と思われる。


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それは、後で取り上げる日経記事<↓◆7 安倍政権にバカの壁(←コレは日経記事(参考/添付画像)の表現!w(http://ur0.link/ztna) つまり、「安倍政権=日本会議」の脳ミソにバカの壁?がある!w /20161025日経の「政府批判」記事(大機小機)は正鵠!>が指摘するとおり、我々が、「自民党改憲草案で権利の章典(国民主権)と“象徴”天皇制を日本国憲法から削除する」という、安倍政権(世襲1%派)が仕込んだ<情念的・超観念的でアナクロな固着設計主義の罠/その1%派の利権のためだけに仕込まれたAI活型の文脈“構造”の中>にスッポリ嵌る一方で、肝心の「日本の立憲民主主義と資本主義を安定的に持続させるためのリアル政策が放置されたままだ!」であるからだ。


3 再び襲来した啓蒙主義の危機、そしてポスト新自由主義時代における「啓蒙主義ルネサンス」への希望


3−1 第一次世界大戦で、いったん潰えた啓蒙主義のプロセス


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●【早瀬晋三の書評/国家主義と結びついた「戦争の記憶の再形成」は平和主義へ向かわず人々を第二次大戦へ導いた!『英霊−創られた世界大戦の記憶』G・L・モッセ著、宮武実知子訳/柏書房】

・・・G・L・モッセはドイツ出身の歴史学者で、米ウィスコンシン大学名誉教授。ポスト第一次世界大戦の世界(特に欧州と日本)は、今の「アナクロ安倍政権」が一強支配する日本と同じく、右傾化と暴力的「愛国」の感情が常態化していた!・・・以下、その要点の抄録・・・

http://ur0.work/zq0h 


・・・


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第一次大戦の戦争体験「神話」が、戦争に参加した各国の国民に対し<国民的・個人的再生の手段>という新たな側面をもたらしたが、それは人命に対する無関心を高じさせることにも繋がるため、必然的に各国の「政治の野蛮化」を促進し、結局、それが「啓蒙主義」の中庸の意義を忘れさせることに結びついた。これが「第一次世界大戦で啓蒙主義は死んだ」ということの意味である(関連情報/再び日本ではこのアナクロ二ズム現象が起きつつある!⇒『明治の日を求め“維新精神”を取り戻す!与野党を超えて自民議員らが集会』20161102朝日http://ur0.work/zpXH)。


第一次大戦より前の戦争の時代でも、友の死と仇敵の死への態度の違いは理解しやすく、同じような野蛮化の効果をもたらし続けてきた。しかし、例えば1870〜1871年の普仏戦争の前後には、時として独軍と仏軍の兵士は共同墓地に葬られることが多かったが、第一次大戦以降になると、もはやそうした事態(時には、敵と味方の戦死者を同等に追悼する風景が見られること)は起こらなかった。


ヴェルダンの戦場(第一次世界大戦、西部戦線・独仏戦)に散逸した遺骨を納めるためドゥオモンに建立された霊廟は砦の上に仏の三色旗だけが掲げられたためドイツから糾弾を受けた。このように<戦争の結果としての死を扱う態度が野蛮化(仇敵の死を無視し、味方の死を愛国英霊視する)へ変化した>ことを、特にドイツでは極右がプロパガンダで巧みに政治利用した。


これが英霊(靖国英霊)の誕生で、一旦そうなれば多くの人々は、自分に累が及ばぬよう自己の未来のために内外の敵に対する無慈悲な戦争を支持する覚悟を持つようになる。日本の靖国「英霊」に対する「愛国」信仰(総国民玉砕の←補足、toxandoria)も、この世界的な流れの中で生まれた(安倍政権下でコレが復活中!)。


3−2 アナクロニズムと癒着する『暴走資本主義(自由原理主義)』に組み敷かれた日本の惨状、事例アラカルト


・・・世界が極右化する今こそ、我々は第一次世界大戦で啓蒙主義が一度死んだことを想起すべきである!・・・


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●現代に直結する陰謀と愛国心の病(悪意で創作された陰謀論と異常な愛国心を権力が利用し、広く一般大衆が受け入れるナチス型リスクの拡大)沼野充義・評 『プラハの墓地』=ウンベルト・エーコ著、20160327毎日 http://ur0.pw/zsCL  

・・・「ある意味で陰謀論は悪徳権力への批判力の源泉ともなるが、留意すべきは“悪意で創作された陰謀論(偽書・プロパガンダ等による)と異常化した愛国心を権力が巧みに利用”し、広く一般大衆がそれを受け入れてナチス型リスクが拡大する危険性がある!

・・・また、『プラハの墓地』は、ナチス感情的なモノが国境と歴史時間を超えて世界へ伝染し拡散する現象)もあり得ることへの警告でもある。つまり、ゲーデル不完全性定理の意味である「同一次元の論理で完全なアンチテーゼは成立し得ない!」が理解できれば、陰謀論の罠のリスクはリアルに理解できるはずだ。

・・・Cf. 「秋元康氏=東京五輪・大会組織委員会理事」なので「安倍内閣=ナチス・シンパ」の傍証“情報”が世界へ発信されたことになり、あるいはコレは<怪我の功名>鴨神社?w ⇒欅坂46、炎上!ナチス制服酷似のハロウィン衣装―各国メディアも報道、ドイツでは処罰対象 20161031只のオッサンがツイート http://ur0.link/ztnZ


f:id:toxandoria:20161107051122p:image:w450:right●【『論壇時評/世襲化と格差、社会ビジョンはあるのか? 歴史社会学者小熊英二氏20161027朝日』)は、自民党政治と国民意識の<野蛮(好戦、英霊愛国志向)化>を抉っており、重要!!】 同感!⇒ >この自民党の変質が日本右傾化の一因 / ∵当選可能(日本のポピュリズム社会化を背景に)なのは地域の世襲議員2・3世or芸能・スポ系立候補者ばかリ!故に、彼らの脳内にあるのは<日本会議、安倍らと同じ古色蒼然たる追憶のカルト>か<喫緊の社会・経済ニーズ(社会保障と税の一体改革)>と真逆の「対社会・家族重圧型」又は「ネオリベ・リフレ型」の<タコ(脚)自食>政策ばかり!・・・只のオッサンRT @ま @MKT_ULTRA 敗戦から1954年までの首相は元外交官だ。占領軍と交渉するのが首相の重要な仕事だったからだ。55年から80年代までの首相は元官僚か地方のボスで、自民党の黄金時代を築いた。90年代以降の首相は多くが2世か3世で、日本は長期低落している。(小熊英二氏) 20161027http://ur0.pw/zsD6


f:id:toxandoria:20161107051123p:image:w470:left【ISDS条項(投資家対国家の紛争解決“特権裁判”:自民・公明・日本維新が20161104強行採決のTPP付帯)のリスク(日本の医療等“皆保健制度”および福祉制度全般を根底から破壊する恐れが遂に巨大化!)について/20161027衆院TPP特別委 笠井亮議員の質問】

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・・・このISDS(グローバル企業(株主)利益最優先)条項の問題については、下記◆6(特に第2集)でも取り上げているが、日本国民の多くが未だに殆ど理解していない(自分とは無関係だと思っている?)かに見えるのは何故か?ソレ解散だ〜!何たらかんたらの政局報道で、一強・暴政化した安倍政権へ過剰に気遣いするばかりでなく、もっと主要メディアは国民一般の現実と近未来に対する警鐘・啓蒙に力を入れるべき。日本の医療等に関わる“皆保健制度”と“福祉制度”全般が根底から破壊された(事実上の憲法破壊・国民主権破壊!)後では幾らワーワー大騒ぎしても“後の祭り”だ!


◆6 NHKスペシャル/マネー・ワールド 資本主義の未来(第1〜3集)http://ur0.pw/zsDf


3−2 独裁・強権的な「右傾権力」化へと進みつつある世界での希望の光/アンジェイ・ワイダポーランド)の遺産


・・・第一次世界大戦で、いったん潰えた啓蒙主義は第二次世界大戦後に蘇生したが、戦後70年超を経てその理想の生命は今や再び死に瀕しつつある。従って、我々は今こそ<第二次世界大戦後に蘇生した啓蒙主義の象徴的存在であるA・ワイダ>の芸術作品(映画)の意義を想起すべきである・・・


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●アンジェイ・ワイダが映像化した権力暴走への抵抗は本物の愛国心!「その個性的な文化と政治的意味の多義性、および過酷さの縮図の如き悲惨な歴史経験」からポーランドは欧州の心臓と呼ばれることもある。ワイダはそのような祖国への深い愛と民主主義への期待を描いた!残念ながら今のポーランドは、EUが抱える難民問題の極端なジレンマに襲われ極右化中?だが、やがてワイダの偉大な遺産が必ずや若者らを覚醒させるであろう!Cf.@只のオッサンRT to @sugiura taisuke ⇒ 日本文化とも関わり A・ワイダ監督死去20161012朝日(ワイダの画像はポーランド広報文化センターよりhttp://instytut-polski.org/wajda/http://ur0.work/zq0k


・・・イェジ・アンジェイェフスキが1948年に発表した小説の映画化、「灰とダイアモンド/1957」はワイダの代表作の一つ(http://urx.red/zn0O)で、それは1945年当時の独裁化したポーランド労働者党(PPR)の病巣を描いた。


・・・この作品の含意は、「強大化した権力は自らに都合の良い見方(情報)だけを偏愛しそれを他者へ強制するようになる。結果、権力側はリアリティーを正しく解釈出来なくなり、重要な事実を示されても真実が一切見えなくなる。右であれ左であれ、強大な力を誇った為政者がその座から滑り落ちる原因の多くは客観的情報が入って来なかったか、それが入っても正しい解釈が全く出来なかった」ことにあるという、時代を超えた普遍的な警鐘である。


・・・【作品の背景】ナチス・ドイツ軍の攻撃でワルシャワは徹底的に破壊され、レジスタンス参加者はテロリストと見なされ市民約22万人が戦死あるいは処刑された。1945年1月に入り漸く進撃を再開したソ連軍は1月17日に廃墟と化したワルシャワに入るが、レジスタンス幹部を逮捕したため自由主義の芽は完全に摘み取られた。生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、彼らが進駐後のソ連を攻撃目標としたため共産主義(PPR)政府の樹立後も、要人暗殺未遂などの混乱が続いた(http://urx.red/zn1H )。


3−3 「暴走資本主義の制御」と「節度ある自由主義」再生への希望/カギは「科学知と人文知の融合」(コンシリエンス)による啓蒙主義ルネサンス


(『日本会議なるボタンの掛け違い』と『AIドラえもん“なんでもポケット”GDP600兆円の未来像』の不可解)


・・・「アベノミクス教(狂)」で益々混迷を深める一強「安倍複合カルト権力」なる、底なしの怪奇アナクロニズム現象に包まれ、原発に続き<先端科学技術AI>もカルトの小道具化の恐れ!?・・・


f:id:toxandoria:20161107051728j:image:w340《根本理念のボタン》の掛け違い(アンチ啓蒙主義、反立憲民主主義、反知性主義)の奥底に潜む「“追憶のカルト” 安倍政権の“日本会議”病」については、フェルナン・デュモン「記憶の未来」(翻訳叛−白水社−/Fernand Dumon/1927−1997/カナダ・ケベック州ラヴァル大学などで活躍した社会学者)の序文を書いたセルジュ・カンタン(ケベック研究専門のケベック大学教授/政治哲学)が、“日本のナショナル・アイデンティティー(記憶の未来なる希望のエトノスとしての国家日本の未来像/toxandoria補足)をリアル政治の小道具だと軽視してはならない”と批判している。


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だから、日本会議一色で超復古的な政治的価値観(明治の日の制定を求め国会内で開かれた集会で自民議員ら出た発言=五箇条の御誓文こそ本来の憲法!20161102朝日http://ur0.work/zqgP)が支配する「シンギュラリティ時代の新しい日本」に備えて、<アベノミクスの目標GDP600兆円達成のため、愈々、AIを『ドラえもん“なんでもポケット”』型プラットフォーム(新しい社会基盤)としてフル活用するという、国家政策に関わる余りにも軽佻浮薄な発想!/20161026日経ほかで発表の【政府広告】>は笑止千万であり、国民益を根こそぎにする有害な倒錯以外の何物でもない!AIは、決して<打ち出の小槌(づち)>ではない!(関連参照↓◆7)


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◆7【永遠の結果先送り(or 永遠のゼロ?)、アベノミクスは「名ばかり科学・客観主義」の典型!】安倍政権にバカの壁(#日本会議 の脳ミソ?w)がある!20161025日経の「政府批判」記事(大機小機)は正鵠!同掲「名目GDP600兆円の未来像/AIがアベノミクス新・三本の矢?」(政府広告)はバカバカしい傑作か? w苦w http://ur0.pw/zsDZ


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◆8 「朴支持5%↓!崔順実ゲート」の暗部で蠢く、日韓両政権に跨る「世界平和統一家庭連合」(旧称・統一協会/日本でも安倍政権下で2015年8月に改称)の影!両権力が共有する歴史(特に朴=岸(安倍)関係)と確執!1104・TPP採決強行も強ち無関係ではない?深部で日本へ飛び火かも? 2016116只のオッサン@hanachancauseRT@金子勝 

http://ur0.link/zt72【隣国の民主主義】隣国韓国には光化門広場に集まる10万人もの人々がいる。その背景を知るために一読すべき、パククネ政権の「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」の詳しい経緯が書かれた記事です⇒http://ur0.link/zt7t 20161105@金子勝http://ur0.link/zt73

・・・Cf.1 朴槿恵大統領と統一教会 チェ・スンシルゲート事件

http://n-seikei.jp/2016/11/post-40524.html

・・・Cf.2 日・韓両「国家主義」政権が共有する(20世紀以降)歴史的 “カルト超然権力の病巣”、それは恰もフィルム画像のネガ=ポジの如き同一カルト遺伝子の共有関係!/戦中〜現代に渡り日韓両国家権力層が共有する関東軍仕込の軍事国家主義史観(但し、その内実は既得権益死守の“いいとこ取り”なる守銭奴式、超強欲の価値観で一致しているだけ!w)なる特異歴史観念!当座、日韓両国の支配層(安倍・朴両政権)が米国傀儡として共有すべきことは《国民主権の制限、朴槿恵:朴正煕と安倍:岸の偶像化、両軍事愛国極右政権の国内支持固め(韓=国定教科書、日=改憲強行、等)。http://ur0.link/zt74


・・・


そこでは、本格的な情報社会哲学の視点(1−1)、現代的な意味での実在論の視点からのAIシンギュラリティ批判(1−2)、“AIと新自由主義”の癒着による資本主義の新たな暴走への懸念(2−1)などの、日本国民の近未来のため有意義な<新しい国家理念(日本の民主主義と資本主義の持続性を些かでも高める努力に取り組むという決意)と国民への思いやりの視点>が全く欠落している。


しかも、いわば子供騙しの『ドラえもん“なんでもポケット”』型プラットフォームとして、近未来の万能神器と見立てたAI&IOTを一般国民に対する更なる気合入れの小道具として全く野放図にフル活用するという無責任さとノー天気ぶりからは、安倍内閣に深く憑りつくアナクロ二ズム教の不気味さが滲み出ている。特に、ヒューバート・ドレイファスとチャールズテイラーが抉った「17世紀デカルト二元論の描像/AIに潜む媒介説のリスク(病理)」(1−2)なる呪縛について、愈々、AI&IOTをフル活用しようとする、安倍政権を取り巻く御用専門家・御用経済学者らが全く無知である(あるいは、御身大事でその場限りのヒラメ(平伏)主義を通している?)かに見えるのは心もとない限りだ(関連参照↓◆9)。


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◆9 アベが私物化する原子力寄生委員会や何ちゃって政策委員会に、まともな批判すらできない主流派経済学者や原子力ムラの専門家。今や、圧力に屈するマスコミが右往左往する内に<心ある市民や市場>だけがノーを散発的に発している構図。まともな制度運営(のための国家ヴィジョン)を取り戻さぬとバブル崩壊と過酷事故が待つ日本の自爆です。20161026日@金子勝 http://ur0.work/zql0

・・・Cf. 今や、<主流派経済学(M.フリードマンら)が前提としてきた合理的経済主体(ホモエコノミカス)仮説>が強欲(不合理)という人間の正体に振り回されている。従って、それと真逆へ発想を変え、<不合理(強欲)を前提としつつ、その強欲の制御が可能な「啓蒙主義の再生(ルネサンス)」を図り、新たな知見である進化心理学等の活用が可能な方向へ我々自身の「価値観」を転換すること>が必須である!】「契約理論を企業統治などに応用、貢献」は良いが、新自由主義者サッチャーの「社会は存在しない」が象徴する如く、「法」の「一部である契約」を拡大(その情念的な固着設計主義で)させ「法全体の役割」を後退させたため国民主権の砦である「法」自体から、ゲーム化した資本主義が逃げ始めたという恐るべき現実も直視すべき!20161019只のオッサンRT to もったく@mottakuro ノーベル経済学賞のハート氏ら 契約理論、経済分析に新視点:日経http://ur0.work/zqly


(抑制的なAI活用を視野に文化進化論・進化経済学らによる新しい知の総合、コンシリエンスの視点で21世紀の多元的『啓蒙主義ルネサンス』を目指すべき)


・・・【日本の対教育支出の実態から今の日本が『日常礼賛』から程遠い名ばかり先進国であることが分かる!】何よりも絶対に最優先すべきは“教育への十分な先行投資”!・・・Cf.『日本はGDP対比で見た公的支出の割合が、比較31カ国中で最下位。また、日本の対教育支出で家計負担が占める割合33.6%はOECD平均16.5%の約2倍!その割合が加盟国中ではチリ、韓国に次ぐ3番目の大きさであることを恥じるべき!』情報源:http://urx.mobi/ztUJ・・・


E.O.ウイルソンは著書『ヒトはどこまで進化するのか』の中で、「科学知の限界」を「人文科学知が切り拓く」というエトノス的発想(または、エトノス環境を重視する進化心理学の視点とも言える)でコンシリエンス(知の総合/これはウィリアム・ヒューウェルの造語)の重要性を再発見している。つまり、ウイルソンは「コンシリエンス(consilience)による啓蒙主義の再定義が可能であり、人類はそれを目指すべきだ」と考えている。しかも、同じことはウイルソンに限らず、後述する「文化進化論」のアレックス・メス−ディも主張する。


また、ツヴェタン・トドロフ、ヒューバート・ドレイファス、チャールズテイラー、E.O.ウイルソンらは、「民主主義と資本主義が持続する未来」を保証するのは「地球環境エトノスに基づく多元主義」だという考え方を共有している。尤も、これらの人々は「地球環境エトノス」(身体内外の自然・文化に関わる全環境の自覚)という言葉は使っていないが、彼らの主張は正にこのことを意味していると考えられる。


それは、「今はそれができない人々や、今は使い道が全く分からないモノやコト、あるいは無用に見える資源や異文化等でも何時かは、自分も含めたより多くの世界中の人々や地球そのもののため役立つと考えるべきだ!」という身体内外の全環境を視野に入れた「多元主義」が彼らの共有思想であるからだ。


つまり、今や量子物理学の知見を得た時代であるからこそ<エトノス生命体である“人間の中庸で適度な自由意思を尊重する意識(2−1/ヨハネス・ドウンス・スコトウス)”>が、これからも人間社会を持続させるためのプラットフォームであり、AIロボットやITネットワークらがそれに取って代わることは不可能だ(無論、合理主義を騙りムリヤリAIに取って代わらせるべきではない)という共通認識である。


言い換えれば、「民主主義と資本主義がこれからも持続する未来を“保障”するのは、「内外エトノス観に基づく多元主義」であり、その社会的作用の品質を“保証”するプラットフォームは決してAIやITネットワークではなくリアルを『日常礼賛』しつつ生きる人間、およびその人間どおしの相互扶助と信頼関係」だという、人間の尊厳性を前提とする自律意識の構築(歴史・哲学・数学・生命科学など普遍知の教育とAI・IOT等リテラシーのバランス維持)こそが、21世紀における「啓蒙主義ルネサンス」の可能性を拓くということである。


そして、この可能性について脚光を浴びつつあるのがAIやITネットワークの利点を“積極的に、かつ同時に抑制的”に活用しようとする進化心理学・社会心理学・進化経済学・文化進化論らの新しい発想と視点である。例えば、“文化は生物進化の延長“と考える立場から、より高次なレベルで文化を研究しようとする「文化進化論」が世界的に注目を集めている。


また、進化心理学の培養土から誕生した「文化進化論」には、「(1)ソリッドな数理的基礎が存在すること、(2)生物学・人類学規模の長大な時間軸を視野に入れるという意味で決定的に動学的であること」という二つの特徴があり、その点で旧来の社会進化論(ヘーゲル、コントらの社会の進歩に関わる議論をベースに、主にダーウィン進化論を取り込みつつ作られた、やや静学に傾斜する社会理論)とは異なることになる。


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その最先端を担う研究者アレックス・メス―ディ(Alex Mesoudi/英エクセター大学准教授https://goo.gl/PjE2LH)の著書「文化進化論/ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか」が、漸く日本でも2016年2月に出版(NTT出版)された。なお、(1−1)で触れたE.O.ウイルソンと同じく、メス−ディも究極的には科学知と人文知の融合(コンシリエンス)が望ましいと主張している。


メス−ディによると、現実世界で起きる文化進化は「ラマルクの遺伝的適応」(後天的な獲得形質の遺伝)や数理モデルが仮定するより以上に強く作用しており、同じく予想以上の短い時間にその文化進化上の変化が起こることが分かってきた。なお、「ラマルクの遺伝的適応」は、事実上、ダーウイニズム(突然変異説)が否定したラマルキズム(ラマルク論)復活の意味なので、厳密に言えば、それは「ネオラマルキズムの遺伝的適応」と呼ぶべきであろう。


21世紀に入りAI研究の進化等と共鳴しつつ急速に研究が進んできた「文化進化論」のルーツである「進化心理学」(身体の自然環境への適応と同様に、また人間の心も生物学的な進化の産物と理解する心理学、http://ur0.work/zqmQ)は、文化進化論と共有する二つの方向性、「(1)伝達される文化」と「(2)誘発される文化」を見据えている。


考えてみれば、(1)は盛期イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの「ミメーシス」に、(2)はAI研究におけるニューラル・ネットワーク技術に、それぞれ通じるものがある(関連参照⇒2016-08-22toxandoriaの日記http://ur0.link/zt5o)。なお、古代ギリシアで「模倣」を意味したミメーシス(mimesis)の現代の定義は、<内外自然環境であるエトノスとの交流・交歓のプロセスで自然に内在する本質部分を視覚的・感覚的に強化しつつ抽出・再現し、それを造形的に再提示する芸術上の模倣技術>ということになる。


また、(1)は旧来の伝統文化にほぼ重なることが理解できるが、これからは(2)が<教育の意義の再発見>が必須となる教育現場で特に重要視されるだろう。なぜなら、「人の心、つまり意識の培養地である脳」(AIのニューラル・ネットワーク技術はその外装的模倣)はこれからもエトノス環境との交流と接触を重視する限り、無限にその人間性を深めて行く可能性があり、だからこそ、それは経済面で「エトノス環境の下での節度ある生産性向上とその持続を図ること」にも資すると思われるからだ。


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この観点は「2016-08-22toxandoriaの日記(第3章)http://ur0.pw/zsJH」で触れた井手英策氏(財政学、慶応大教授)が財政・経済学上の観点から<義務教育〜大学教育までの完全無償化>の実現を非常に重視していること、および(1−2−d、で触れた“節度ある自由意思と政治倫理”の問題にも重なると思われる。しかし、今の日本の安倍内閣が取り組む教育政策は、非常に残念ながら、これと全くアベコベである(参照、添付画像)。(完)

2016-10-21 原発など強欲(不合理)な人間の正体不合理を前提とする啓蒙主義ルネ

toxandoria2016-10-21

原発など強欲(不合理)な人間の正体に振り回される民進党は今こそ不合理を前提とする啓蒙主義ルネサンス(進化心理学等の活用)への「価値観」転換が不可避!


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・・・フェルメール牛乳を注ぐ女』1658年-60年頃。 アムステルダム国立美術館


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・・・ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』は、絵画と世俗・日常の完全な融合を実現した17世紀オランダ絵画の意味を斬新な視点で抉ったものであり、同じトドロフの注目の新著『民主主義の内なる敵』と併せて、今こそ改めて読むべき内容だと思われる。それは、この時代が<政治・経済的には近代資本主義の幕開けを飾った「画期の時代」>であると考えられるからだ。


・・・因みに、この時代のオランダはレンブラントの時代とも呼ばれており、天才画家レンブラントが活躍した17世紀前半は美術史の上ではバロックと呼ばれる時代にほぼ重なることも興味深い。それは、1580年頃〜1730年頃にかけてのヨーロッパ美術様式を指す。バロックという言葉起源は“疵もの真珠”を意味するbaroccoというポルトガル語だとされるが、そもそも一般的な用語としては“異常な、奇妙な、あまり趣味が良くない”という意味で使われていた。従って、この用語が本当に意味するのは“できれば、一般の人々があまり見たいと思わない視覚描写”ということであったと考えられる。まず、それは18世紀の末頃のフランスでバロックという言葉が古典主義的理想美に相応しくないと考えられる建築軽蔑する意味で使われるようになった。やがて、19世紀後半のドイツでは、この言葉があらゆる美術領域に対して使われるようになり、次第に否定的な意味がバロックという言葉から消えてゆく。このようなバロックの意味の変化には特にカント(1724-1804)の「美的判断力批判」の存在が影響していると考えられる。


<注>当内容は、次回に完成させる予定の下記本編の予告です。そのため、ツイート発信・応答の簡略形で書いてあります。

・・・[希望トポス] ツヴェタン・トドロフ『日常礼賛』が示唆する啓蒙主義(資本主義)ルネサンス(民主&資本主義のコペルニクス的転換)への期待


・・・


【<不合理を前提とする啓蒙主義ルネサンス(進化心理学等を活用する政策)への「価値観」転換>が民進党にとって不可避となる背景(現況認識)】


・・・不合理を前提とする啓蒙主義ルネサンスに因る進化心理学等を活用する政策(ツベタン・トドロフ、ヒューバートドレイファス最先端知が指摘!/第三次AIブームではないがw、第一次世界大戦新自由主義の“暴走”でそれは二度も破壊された(厳密には、今回も破壊されつつある!)啓蒙主義の新たな意義の再確認が喫緊の課題であるが、これについては次回『本編記事』で詳述する。ともかくも、このことに全く気付かず、それに無頓着なまま野党第一党の地位だけを自認する?民進党の罪は余りにも重い!・・・


民進党(野田幹事長)が<新潟知事『原発』敗戦(反原発派にとっては勝利!w)>で連合日本原子村、安倍政権日本会議御用達御用組合!w)に詫びを入れる如き筋違いをやるので民進バカリか総国民が<自民党改憲草案なる衣の下に鎧の自民極右一派>に全身を舐められる!今や<懐憲>するまでもなく“比ドゥテルテ”レベル以下の“名ばかり法の支配”国ニッポン安倍将軍サマの異常支配体制だ!7:32 - 20161022@hanachancause 只のオッサン(脱原発への急転向者)が@nihon_koutei日本国黄帝をリツイート

・・・これこそ「二枚舌」を絵に描いた様なやり方(呆)。とにかく、憲法審査会を動かしさえすればどうにでもなると言う事なのだろうか、どこまでもやり方が狡賢く、薄汚い連中だ。★自民、改憲草案「使い分け」 撤回否定、でも憲法審には出さず:朝日新聞

https://twitter.com/hanachancause/status/789595226809643008


国民、真の国益など二の次のおぞましサ!遂に剝き出た<連合=原子村&安倍自民のイヌ>の正体! ⇒ 連合会長が民進党に釘刺す 共産党との共闘/今や連合は自民党の完全な支援組織!20161022ブ半歩前へ供‖のオッサンがRT 6:23 - 2016年10月23日

http://linkis.com/at.webry.info/iiyMH

https://twitter.com/hanachancause/status/789940382788382724


同感!世界各国の憲法改正内容(実状)が<統治機構に関するものである>ことに照らせば憲法から国民の権利(権利章典)の削除を謀る『自民党改憲草案』は明らかに的外れ!もし、その実行に踏み切れば<人権軽視の国への退行>として世界から嘲笑され、北朝鮮並みに警戒される国家へ零落れるのが必至! 7:52 - 20161022@hanachancause 只のオッサン(脱原発への急転向者)が井上武史@Takeshi INOUEをリツイート

・・・公布70年憲法を考える(上)世界の動向踏まえ議論を 護憲・改憲の二分法越えよ 待鳥聡史 京都大学教授 :日本経済新聞  まったく異論はありません。私の見方も同じです。https://twitter.com/hanachancause/status/789600372796956672


安倍政権による象徴天皇政治利用!更なる狙いは自民党憲法草案に見られる通りで象徴と権利章典の削除をダメ押しする名バカり法の支配の完成!つまり、正統保守を騙る #日本会議(=#安倍内閣)の保守性なるものの正体が世界の稀種(北朝鮮と瓜二つの野蛮さが潜む)であることの恥ずべき証!10:44 - 20161022只のオッサン(脱原発への急転向者)さんが@5newspaperをリツイート

・・・[日経]生前退位、にじむ早期決着 「一代限り」立法が軸 https://twitter.com/_5newspaper/status/788059253994950656  天皇の生前退位を議論する政府有識者会議が17日、始まった。想定する論点は8項目。政府は予断を排した「ゼロベースでの議論」を強調するが、女性女系天皇女性宮家の検討は除外し… https://twitter.com/hanachancause/status/789643450312306688


只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause  豚選びだった?自民と白紙委任状仲間の野田が“新潟”で連合に詫び入れ!国民の懸念に無頓着で『千と千尋の神隠し』豚集団化http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20161021 の民進の罪は余りに重い!⇒自民2勝!民進敗れる、衆院補選1023朝日2:15 - 2016年10月24日https://twitter.com/hanachancause/status/790240313528897536


恐るべき秘密主義の選挙対策!極右自民と電通の癒着!「自民が一部支持者への便宜で当補助金を利用!」で選挙対策のばらまき?保証人信用金庫商工会議所らでもよく、北朝鮮系のウリ信金でさえOKなのに共産党系民主商工会は除外されている。しかも共産党はこの情報を全く知らなかった?・・・只のオッサン(脱原発への急転向者)RT@渡邉正裕 @masa_mynews しかもこの創業補助金、なぜか事務局広告会社のくせに電通が請け負ってる。怪しすぎ。こんなとこまで一枚噛んでるとは/東京都でこの補助金の審査を担当するのは、自民党の広報戦略を担当する広告代理店・電通。電通、国の補助金応募審査の“怪”  4:51 - 2016年10月24日

https://twitter.com/masa_mynews/status/790266293463027712

https://twitter.com/hanachancause/status/790279447916126208


【以下は此の現況認識に関連する情報、エトセトラ


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同感! 強欲(不合理)な人間の正体に振り回されるバカリの民進党は、今こそソノ不合理を前提とする「啓蒙主義ルネサンス観に基づく進化心理学等を活用する政策」への転換が必須である!(カルト洗脳フレーズではないがw)国民と共に、目覚めよ民進!苦w 5:04 - 2016年10月21日@hanachancause只のオッサン(脱原発への急転向者)RT to あべともこ(衆議院議員小児科医)@abe_tomoko 末期症状の原発回帰路線に、明確に対抗する具体的な脱原発の政策を果たして野党第一党の民進党が出せるだろうか?それは此まで出していた工程表、即ち何年に再エネ何%、原発何%などという予定調和の作図ではない。今や原発は限りなくゼロ電気は足りている。むしろ再処理を続けるのか止めるのか。https://twitter.com/abe_tomoko/status/788670562063101952

https://twitter.com/hanachancause/status/789195713389350912


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野田を将軍様に担ぐ民進は詫び入れる訳と相手を完璧に誤っており、良識ある国民層の懸念を全然理解していない!⇒新潟知事選で連合に詫びを入れた野田の犯罪性/この男(補足/ノダ・ブタ)こそ既得権益に群がる“白蟻”だ。退治しろ!ブ黒猫タンゴ只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause17:15 - 2016年10月21日

http://linkis.com/cocolog-nifty.com/sWiAY 

https://twitter.com/hanachancause/status/789379471455375361


国民、真の国益など二の次のおぞましサ!遂に剝き出た<連合=原子村&安倍自民のイヌ>の正体! ⇒ 連合会長が民進党に釘刺す 共産党との共闘/今や連合は自民党の完全な支援組織!20161022ブ半歩前へ供‖のオッサンがRT 6:23 - 2016年10月23日

http://linkis.com/at.webry.info/iiyMH

https://twitter.com/hanachancause/status/789940382788382724


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企業統治などに応用 貢献」は良いが、新自由主義者サッチャーの「社会は存在しない」が象徴する如く、法の一部である契約を拡大(その固着設計主義で)させ法全体の役割を後退させたため国民主権の砦である「法」自体からマネーゲーム化した資本主義が逃げ始めた現実(固着論理ならぬ因果)も直視すべき!:07 - 2016年10月19日@hanachancause只のオッサンRT to もったく@mottakuro ノーベル経済学賞ハート氏ら 契約理論、経済分析に新視点:日本経済新聞

https://twitter.com/mottakuro/status/788192502759116801

https://twitter.com/hanachancause/status/788441321803505664


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只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause 消費者利益拡大を謳う新自由主義は<巨大グローバル資本の利益(格差)拡大>許容の詭弁!故に契約理論(ミクロ経済学)は此の不可逆流の矯正(市場価格公正化での)にこそ貢献すべき!⇒ノーベル経済学賞に米経済学者2人 契約理論に貢献20161010日経 https://twitter.com/hanachancause/status/785581332038647808


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御意!換言すれば、建前として主流派経済学(Ⅿ.フリードマンら)が前提する合理的経済主体ホモエコノミカス)仮説が、強欲(不合理)な人間の正体に振り回されており、その不合理を前提とする「啓蒙主義ルネサンス観に基づく進化心理学等を活用する政策」への転換が必須である現実を見せつけられています。4:37 - 2016年10月21日@hanachancause只のオッサン(脱原発への急転向者)RT to 新川 裕

@Deepriver8  https://twitter.com/Deepriver8/status/789042823790157824

https://twitter.com/hanachancause/status/789188915018117120


只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause 大隅義典 氏ノーベル生理学賞!は安倍政権の軍拡研究等、短期利益研究偏重(新自由主義に隷属する科学技術)への警告にも見えるが米経済学者2人の「契約理論」は国民主権を後退させた同主義によるマネジメントの悪用(ツヴェタン・トドロフ)に馴染む恐れはないか?3:26 - 2016年10月19日

https://twitter.com/hanachancause/status/788446232549007360


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金子勝 @masaru_kaneko 【日銀国債バブル】日銀が国債を400兆円持つが、金利が1%上昇した場合、日本国債の価値が約67兆円下がるとの財務省の試算が出た。下落分はGDPの13・5%。アメリカの4%,ドイツの2.5%と比べて、日銀も金融機関も大損を被るのだ。16:42 - 2016年10月19日 https://twitter.com/masaru_kaneko/status/788646453786742785


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金子勝@masaru_kaneko【企業価値バブル】企業の自社株買いが今年1-9月だけで4.3兆円で過去最高。日銀、年金株価維持に加えた内部留保による自社株買いで、見せかけの企業価値を高めるだけの日本企業。企業株バブルが消え、株価維持が崩れ実勢になったら大損が待つ。16:41 - 2016年10月19日 https://twitter.com/masaru_kaneko/status/788646322819563520


・・・


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北の執権政党朝鮮労働党)化する自民党、土人ならぬ本土人の上に絶対君臨する<安倍“無期限”将軍>様の支配下で、完璧に<北朝鮮>化する日本!日本では疾うに立憲民主主義は死んだ!只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause11:11 - 2016年10月20日 RT to 中沢けい@kei_nakazawa なりふりかまわずとはこのことか。誰も総裁に手をあげる人はいないのかね。「3期9年」か「無期限」 自民、総裁任期の延長決定 https://twitter.com/kei_nakazawa/status/788704640527376384

https://twitter.com/hanachancause/status/788925482771243010


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只のオッサン(脱原発への急転向者)@hanachancause 篠田新潟市長は、新種の日和見ゾンビか?これから流行る鴨?大w ⇒@hamajaya 森民夫氏(日本会議シンパ原発推進派)を応援していた篠田親潟市長はまるで米山さんより自分が一歩進んだ脱原発である如き路線を早速打出した。@freedom11519 2016年10月18日

・・・Cf. 米山・新潟県知事当選後、急に日和見ゾンビ“反原発首長”が増殖し始めたが、ゾンビ経営者榊原経団連会長の「冷静な判断で再稼働を!」は、ゴ立派なの鴨神社?w https://twitter.com/hanachancause/status/788250186996977664


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@hanachancause只のオッサン12:59 - 20161018RT to金子勝@masaru_kanekoこれでは、中国ゾンビ企業https://twitter.com/japan_news_co/status/78817151854720204 も真っ青では?!“アベ=クロ(アホノミクス死に体

https://twitter.com/nikkei/status/788063029187387394 ”<帝国>の<ゾンビ・リーダー経営者>と化した榊原経団連会長の「冷静な判断で再稼働を!」は、お嗤いだ!! https://twitter.com/hanachancause/status/788228104837799936

・・・金子勝@masaru_kaneko 朝日の世論調査で、原発再稼働に反対57%、原発事故賠償に上限設定には反対63%です。https://goo.gl/v80sPx だが、榊原経団連会長は新潟県知事選を受けて「冷静な判断」で「再稼働を」と発言。冷静じゃないです。7:53 - 2016年10月18日https://twitter.com/masaru_kaneko/status/788150993040977920


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只のオッサン@hanachancause 16:42 - 2016年10月18日 17日、伊万里・神崎の両市長(佐賀県)は九電・玄海原発の再稼働へ反対を表明した!三反園・鹿児島県知事に続く反原発新潟知事の誕生の影響がジワリと拡大中!(同1018日経)新種の日和見ゾンビ?w篠田新潟市長https://twitter.com/hanachancause/status/788250186996977664

と何たる違いか!w

https://twitter.com/hanachancause/status/788283985268842496


またぞろ、カネのための軍事技術だAIだ(原発だ!)と目が血走り始めた輩が跋扈し始めた時なので、今こそ深く人間そのもの、特に政治家学者メディア人らエリート層(七光り族や二・三世族ら名ばかり人種も含むw)が自省すべき時だと思います。只のオッサン@hanachancause10:07 - 2016年10月18日RTto mutant(脱原発に1票)@Yousay124A https://twitter.com/hanachancause/status/788184644441116673


@hanachancause #ノーベル賞 いい得て妙→「日銭稼ぎ」まさに目先の利益のみ。 五輪施設のゴタゴタに腐心する様子もないabeマリオも、裏で糸を引く輩方も、真に国の発展・繁栄など考えていないのでしょうね。【今だけ・カネだけ・自分達だけ】9:34 - 2016年10月18日https://twitter.com/Yousay124A/status/788176314163355648

2016-08-22 記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺

toxandoria2016-08-22

記憶喪失の海に沈む安倍内閣、その底に潜む偽遺伝子は文化進化論(遺伝的適応)上の追憶のカルト!新鮮な生命が持続的に吹き込むエトノス対話の環境づくりが急務


北アルプスの風景、夏

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・・・当画像は「ブログ信州からの贈り物http://goo.gl/HdtYTh 」様、より転載。


D

・・・暗喩的解釈/あなた(先住多層文化、tienne =yours)の中の私の人生、だから私を離さないでね!


<注>偽遺伝子(pseudogene)について

・・・集団遺伝学者・木村資生氏の「偽遺伝子(pseudogene)」(関連する、同氏の中立進化説については第3章で後述)は、DNA塩基配列では正常遺伝子と相同に見える正常遺伝子のコピーだと思われるが、これは様々な理由で健全な遺伝子機能を失っており“死んだ(ゾンビ)遺伝子”とも呼ばれる。また、これは機能を失ったあと塩基置換の進化速度が異常に高くなり、にも拘らず進化上は有意な変化がなく、言わばアナクロ二ズムで空転している(以上、https://goo.gl/Xa5vs6より)。以下は未だtoxandoriaの想像レベルの理解であるが、おそらく現下の日本を覆いつつある安倍内閣(#日本会議)が放射する不気味で暗鬱な空気は、日本国民の生命環境と精神環境の両面に取り憑いた、このような意味での文化的「偽遺伝子」(偽エトノス=ゾンビ国家神道)への強烈な回帰願望(政権側の)に起因すると考えられる。


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Andrea del Sarto(1486-1531)『アルピーエの聖母』「Madonna of the Harpies」1517 Oil on wood  208 x 178 cm Galleria degli Uffizi 、 Florence


・・・主に15世紀末〜16世紀初頭のフィレンツェで活躍した盛期イタリアルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトが、いま「ミメーシス美学の復活」とともに再評価されている。デル・サルトはフィレンツェ古典主義を完成に導いた画家として知られており、ラファエロミケランジェロダ・ヴィンチ、フラ・バルトロメオら巨匠とほぼ同時代人で、特にミケランジェロとバルトロメオから大きな影響を受けた。


・・・『アルピーエの聖母』はデル・サルトの聖母子像の中で最も重要な作品で、彼の妻が聖母のモデルである。ヴェネツイア派の技法を身につけたフラ・バルトロメオの情熱的な色彩、ダ・ヴィンチの明暗法(sfumato)、そして何よりも古典主義(古典彫刻風の人物表現)的なバランスの良い構図と荘重さが漂っており、これらの調和が鑑賞者の目を強く引きつける。向かって右は福音書記者の聖ヨハネ、同左は聖フランチェスコで、聖母マリアは左足に重心をかけるコントラポスト(支脚と遊脚の対照)で台座にしっかりと立つ。なお、アルピーエ(Harpies)はギリシア神話にある“女の顔と鷲の体を持つ怪物”のことで、それは台座の四隅に描かれている。


・・・従来は、ダ・ヴィンチら巨匠の影に隠れた地味な存在であったデル・サルトが注目され、再び評価されつつある背景には近年の「ミメーシス美学」の復活がある。つまり、古代ギリシアで模倣を意味したミメーシス(mimesis)の真の意味がルネサンス〜現代にかけ長い間に渡り誤解されてきたことになる。デル・サルトの素描の特徴でもある「ミメーシス」の再発見とは、それがルネサンス〜17世紀バロック・市民革命期(初期近代)〜現代に渡る「近代主観主義」への反証だという意味だ。 


・・・つまり、「近代主観主義」の特徴とは「自然を制御可能と見做す科学還元(万能)主義」の立場のことである。そこからすれば、レオナルドやミケランジェロのような天才芸術家も科学的視野の強化(新しい理論の発見など)と同期しつつ人間の進化に役立つ偉大な芸術を創造することになる。しかし、デル・サルトが重視した古代ギリシアのミメーシスは、そのような考え方とは真逆であることが分かってきたのだ。


・・・そこで、古代ギリシアのミメーシスが意味するのは一体何か?が問題となるが、それは「自然世界と交流し、そのプロセスから自然界に内在する本質(形の模倣に止まらず!)を視覚的・感覚的に強化しつつ吸収し造形的に再提示する」ということになる(出典:青山昌文著『美と芸術の理論』(日本放送出版協会)、p18-19)。これこそが「近代主観主義」(近代主義の呪縛)への反証が意味することだ。これにより芸術に関わる実在論的な概念が反転することになった。


・・・つまり、絵画に限らず凡ゆる芸術作品は人間の主観(科学知を支えるのと同じ意識)が一方的に構成するものではなく、この自然界に限りなく存在する本質の一部を、ミメーシスで(自然エトノス(委細後述)との交流・交感プロセスへの没入によって)その奥底からすくい上げ、それを鑑賞者の目前に感動的な造形等として強化的に出現させるのだということになる。


・・・そこで想起されるのが、18世紀英国のエドモント・バーク(アイルランドダブリンで生まれた政治家・哲学者)の著書『崇高と美の観念の起源(1757)』(—みすず書房-)だ。バークが主張するのは、18世紀にアンシャンレジーム下のフランスで開花した啓蒙思想による「明晰な主観だけが芸術に必須の本質だ」という主張に対する反論と考えることができる。


・・・すなわち、バークによれば、偉大な芸術は世界(自然)エトノスの無限を絶えず志向するものであり、無限には果てがないから芸術は“矮小な人間の尺度に過ぎない明晰さでも明瞭さでも”あり得ない。だから逆説になるが、それこそが「偉大な芸術を小さな範囲に囲い込むこと」ができない理由なのだ。また、それこそ我われが明快に表現されたものより暗示的・暗黙知的な芸術の方により一層大きく強い感動や魅力をおぼえる理由なのだ。


・・・このバーク流の美学こそが「英国の正統保守政治」を基礎づけたと考えられる。保守を騙りながら内向的で傲慢極まりない安倍政権や日本会議との何たる違いか!結局、英国政治の伝統は、その悠久の歴史における保守と革新(改革)の絶妙なバランスによって、エトノス環境(詳細後述)である大自然との交流・交感のプロセスで有機的に組織されてきた、着実に未来へつながる秩序であるということになる。


・・・バークが言う「悠久の歴史における保守と革新の絶妙なバランスにより有機的に組織された秩序」とは、古代ギリシア・ローマ〜古代末期〜中世〜ルネサンス〜初期近代〜近代〜現代という悠久の時間の流れのプロセスで「英々と積み上げられてきたミメーシスの努力の繰り返し」と見做すこともできるだろう。


・・・このようなヨーロッパ伝統の真摯な努力の積み重ねによる漸進的な改革を重視するという古典主義(バーク流の保守主義)のコアとなっているのは、無限の世界(広大無限の自然)への「怖れ」の感情と、その恐るべき世界に対する「不安」であると考えられる。また、このような「不安」があればこそ、人間は自然と世界に対し謙虚になるべきだという「英知を伴う心性」が生まれる訳だ。なお、このことは当記事の表題に掲げた「文化進化(遺伝的適応)、エトノス対話」の問題とも関連するが、その点については以下(第3章)で詳述する。


1 閉鎖系内向の静止的“追憶のカルト”安倍内閣の病理は「記憶の未来」への恐怖、それは「リアル敗戦」再来の国難となる恐れがある!


f:id:toxandoria:20160822094939j:image:w400:right山崎雅弘 @mas__yamazaki 第三次安倍再改造内閣の「日本会議・神道政治連盟所属リスト」を作成してみた。再改造前よりも日本会議系閣僚が増えており(+3名増で、全閣僚の約8割が日本会議!)、神道政治連盟は今回も公明党(創価学会)の一人を除き、全員が国会議員懇談会メンバー。価値観の多様性とは全く無縁の政権。16:04 - 2016年8月8日

https://twitter.com/hanachancause/status/762545012122931200 

f:id:toxandoria:20160822095939j:image:w230:left

・・・山崎雅弘氏は『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社、2016年7月・刊/日本会議と安倍政権が改憲へと傾倒する動機が、かつて日本を戦争に導いた国家神道を拠り所とする戦前回帰への道筋にあることを指摘。気鋭の歴史研究家が日本会議を近視眼的な“点”ではなく、史実をふまえた“線”としての文脈から読み解く、同組織の核心に触れるための必読書(同書・紹介の集英社HPより部分転載))の著者であり、戦史・現代史研究家、グラフィックデザイナー、シミュレーションゲームデザイナー




1−1「日本会議」問題の核心は、それが<正統保守とは似て非なるもの>であるということ


f:id:toxandoria:20160822100212p:image:w280:right青木 理『日本会議の正体』(平凡社新書)によれば、日本会議が結成されたのは1997年5月だが、それより先の右派活動として注目すべきは、いわば左派の流儀を模倣する国民運動として取り組まれた「元号法制化運動」であった(同国民会議議長:石田和外・元最高裁長官/元号法は1979年6月6日に可決、6月12日 公布)。


そして日本会議のHP(http://www.nipponkaigi.org/activity/ayumi )には、“1953年7月に元号法制化の世論喚起にむけ全国47都道府県キャラバン隊を派遣、各地に都道府県民会議(地方組織)の結成相次ぐ(キャラバンは以後毎年実施)”と記されている。


この運動の中心となったのが生長の家(厳密に観察すれば、生長の家“過激派”/下、注*)、神社本庁らであり、生学連(生長の家の学生組織)、日本青年協議会日本協議会(これら三者は生長の家“過激派”イデオローグの流れを汲むと考えられ、生学連の指導的立場にあった椛島有三氏は、現在、日本会議の事務総長を務めている)、および自民党の一部がこれに関わっているのは周知のとおりである。


*<注>「宮城(クーデター)事件」(玉音盤事件)は生長の家“過激派”の主導で起こされ、同じ生長の家“穏健派”の主導で鎮圧された。


・・・「宮城事件」は昭和20年8月14日の深夜〜15日にかけ一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が中心に起したクーデター(最終的に失敗)。それを主導した生長の家“過激派”一派の中には敗戦を受入れる天皇の首のすげ替えを主張する者もいた。彼らは詔書の録音レコード(玉音盤)奪取と玉音放送の阻止を謀った。日本降伏の阻止のため此れら将校達は先ず近衛第一師団長・森赳中将を殺害した。続いて彼らは師団長命令の文書を偽造し近衛歩兵第二連隊を指揮して宮城(皇居)を武力で占拠するが、陸軍首脳部及び東部軍管区(田中静壱司令官/熱烈な生長の家“穏健派”信者)の説得で失敗した。結局、一派は自殺もしくは逮捕され日本の降伏(玉音放送)は予定通り行われた。「生長の家および生長の家系列の出版物の中で、旧日本軍に生長の家の信者がかなり多く存在したことがしばしば証言されている」ことは注目すべきである。


・・・また、終戦時「宮城クーデター事件」の首謀者、後に日本会議に流れ込む生長の家“過激派”イデオローグの信奉者たちの一人である井田正孝(聖戦自爆玉砕テロリズム(このみいくさ)論)を主導した平泉澄の直門)は陸軍省・少佐の時に松代(長野県)“大本営”建設(本土決戦時における天皇の松代への動座を想定)を発案している。戦後、井田正孝は電通に入社し総務部長等を勤めた。そして、井田は電通時代になっても首尾一貫して「本土決戦」必須論を主張していた(出典:https://goo.gl/cgIlSA ) 


・・・


ところで、上掲書を含む日本会議にスポットを当てた本(現在、次々と出版が続いている)が共通して指摘するのは、この「元号法制化運動」が「日本会議」誕生のルーツだという点である。しかし、結果から見ればその通りかもしれぬが、一つ見落とされていることがある。


f:id:toxandoria:20160824042640p:image:w480:leftそれは、「建国記念の日」(1966年6月25日、成立)〜「元号法制化運動」までであれば、それは自国の歴史と文化を重視する正統保守の立場からのこととして当然視されても然るべきであろう(但し、皇室典範の改正で天皇の一世一元制の呪縛(現人神復活への回路)を解いておくべきだ!/参照、今上天皇の生前退位希望・象徴天皇制重視の御言葉http://urx.red/xULq )。しかし、目前の日本会議には<「宗教右派集団」が牛耳る保守集団>などという生温い表現では到底つかみ切れない不気味さが漂っている。


つまり、それは、上掲書らによって明らかとされつつあるとおり、何故に「かくも異常な生長の家“過激派”の信条(対ポツダム宣言疑義(敗戦否定)、天皇元首制復活、国柄重視ゆえの国民主権“制限”必須論etc)」を前提としつつ余りにも反立憲主義的な「自民改憲草案」(国民→国家、の授権規範ベクトルを逆転させる倒錯草案!)の下書きを提供するまでウルトラ極右集団化したのか?という点だ。


1−2 生長の家“過激派”(日本会議の中枢)は「記憶の未来」に対する異常(過剰)な恐怖心を持つ


既述のとおり日本会議の中枢(日本青年協議会、日本協議会、椛島有三・事務局長ら)、および安倍内閣を内外から支える人々は明らかに、生長の家“過激派”イデオローグの流れを汲む生学連の出身者たちだ。


その元・生学連の活動家(生長の家“過激派”イデオローグの踏襲者、)で、かつ今も、その教祖・谷口正春の熱烈な信者であり、日本会議の活動を内外から支える主な人々(椛島有三氏以外)を列挙すると、百地 章(日大教授)、大原康男(国学院大名誉教授)、高橋史朗(明星大教授)、伊藤哲夫(日本政策研究センター代表)、安東 巌(生長の家千葉教区教化部長)、衛藤晟一(首相主席補佐)らである。


因みに、生学連系ではないが第3次安倍(第2次)改造内閣で防衛相に抜擢された稲田朋美日本会議国会議員懇談会神道政治連盟国会議員懇談会・事務局長/一億総玉砕&崇高宗教儀式“戦争”論にかぶれた核武装論者で、女性初の首相候補?)は、自他ともに許す教祖・谷口正春の熱烈な“信仰者”である(参考情報:http://lite-ra.com/2016/06/post-2372.html


ところで、「記憶の未来」に対する異常(過剰)な恐怖心とは、言い方を変えれば「自国あるいは、ある民族の歴史・文化に関わる記憶が、立憲主義などの近代思想の影響下で、やがて根こそぎに消え去ってしまうのではないか!」という、およそ正統保守とは程遠い異常にトラウマ化した恐怖心ということだ。が、その委細は、後述することとして、以下では「正統保守(エトノス)と偽装極右(偽エトノス)」混同の問題に少し触れておく。


1−3 「正統保守と偽装極右」混同の病理


「正統保守と偽装極右の混同」は、日本会議とそれにどっぷりと浸かる安倍内閣の性格そのものであり、その根底に観察されるのが「情念の病理」ということだ。


そもそも、政治理念は永遠に実現不可能なものであることが通例であるからこそ、高次(High-Dimension)の目標とすべき理念を掲げ続けることでのみ、邪悪(戦争や欲望の暴走)へ傾斜しがちな情念を逆説的に統制しつつ現実的(リアル)な政治や諸政策の改良へ取り組む論理的な努力(リアル因果と高次理念との対話/これが本来やるべき政治家の仕事!)が持続できる(理性の情念統整的使用)ことになる。これは“情念統制理念と論理構成理念の相互補完性”と呼ばれる。


同じことを、モンテスキューは著書『法の精神』で次のように書いている。・・・『人間社会は、情念・理性・利益の三つ巴の構成要素から成るが、その人間の情念が、邪悪たれと人間を絶えず突き動かしているにもかかわらず、実は邪悪ならざる謙虚で中庸で公正(倫理的)な理性(国民主権ナショナリズムを評価する正統保守的スタンス/toxandoria補足)の方が、宿命的に多様な不条理に包囲された人間の利益にかなうという現実こそ、人間にとって幸福なことであり唯一の救いだ。』


つまり、そもそも「正統保守」と呼ぶべきものは抽象論理(理念)と因果論理(リアル)を峻別し、現実(リアル)に沿った微調整と微修正の持続を承認し許容する寛容で開放的な立場である(例えば、それは模倣の意味を再確認するミメーシス美学の復活で評価されるようになった、そして古典派絵画技法の先駆者と見なすべき盛期イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの絵画の如き/参照、エピローグ画像)。


だから、この正統保守の立場が、生長の家“過激派”イデオローグ一色に染まり、生長の家教祖・谷口正春の思想に耽溺し、太平洋戦争での「敗戦」と「戦争の悲惨」という紛れもない歴史(現実のエクリチュール(軌跡ドキュメント))を無視する日本会議、安倍内閣らに連なる人々はモンテスキューが言う“人間にとって唯一の救い”を徹底無視していることになり政治家失格の偽装極右派(エセ保守、保守モドキのカルト一派)と見るべきだ。


最も問題なのは、主要メディアがこのような論点から安倍内閣を批判することを自粛するどころか、むしろその偽装極右派に同調するばかりとなっているため、日本の民主主義の主役である、肝心の多数派層国民がこの「正統保守と偽装極右」の差異(違い)について全く自覚していないことである。


つけ加えておくが、上で紹介した青木 理『日本会議の正体』(平凡社)より少し先に出版された「日本会議の研究」(扶桑社新書)の著者・菅野 完氏が、実は熱烈な生長の家の教祖・谷口正春の信者であると、ネット上で告白していることが分かり驚かされた

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/439615699.html )。生長の家の「政治との決別宣言http://the-liberty.com/article.php?item_id=11592 」がステルス作戦とするなら、これは陽動作戦のつもりなのか?苦w


2 安倍内閣、日本会議、神社本庁ら「記憶の未来」への恐怖は、文化進化(遺伝的適応)論上の記憶障害(喪失)


2−1「記憶の未来」の喪失を怖れるあまり、戦前・戦中期「国家神道」の復活を謀る権力が国民の生命・主権・財産の簒奪へ暴走するのは必然


f:id:toxandoria:20160822102356j:image:w300:right「記憶の未来」は、フェルナン・デュモン(Fernand Dumon/1927−1997/カナダ・ケベック州ラヴァル大学などで活躍した社会学者)の著書「記憶の未来/伝統の解体と再生」(伊達聖伸・訳、2016.6刊―白水社―)からの借用である。それは今や日本のみならず世界各国に拡がりつつあるナショナル・アイデンティティーの問題が歴史記憶の問題と切り離せないということを先駆的に捉えている(画像は、白水社 on Twitterより)。


同書の訳者解説(伊達聖伸氏)によれば、デュモンが注意を向けるのは“以下”のことである。少し長くなるが、重要な点なので転載しておく。


“人間は歴史的な存在であって、歴史は二重化の機能を果たすものだ。いわば手の加えられていない生の歴史は偶然とも見える出来事(因果律)の連続だが、記憶としての歴史は人生に意味を与える指標となり得る。歴史がこのような二重化の機能をつねに備えているものであるならば、今日でも以前と同じように、歴史を解放して政治参加に結びつけていくことは可能であるはずだ。この新しい伝統は、学校とデモクラシーによって養われる批判精神に支えられていなければならない。デュモンにとって、これからの記憶は、かつての伝統とは異なり、批判的な精神を備えた主体が絶えず息を吹き込んでやる必要のあるものであって、それを通して記憶の未来に期待をかけることができる。”


しかし、現実の世界ではエセ・イデオロギーである新自由主義に深く染まり「格差拡大メカニズムと化した資本主義と政治権力の野合・複合体が支配する絶対的巨大機構」に巻き込まれてしまった人々が殆どそこでの主導権を握ることができなくなっている。


従って、これら“匿名のアトムとしての状況に埋め込まれた多くの人々”は、もはや自分の参加は必要とされていないと心の奥底で感じているため、今更、その巨大な機構メカニズムのために自分の意識と国家の歴史記憶(ナショナル・アイデンティティーとしての記憶)とを主体的に統合する努力の有意性を見失っており、その傾向は特に日本で強まりつつあると考えられる(←コレこそが、日本全体を覆い尽くしつつある極右化(正しくは偽装極右化)トレンドの病原体だ!)。


このような視点から、特に「靖国、国家神道、日本会議」などと関連させることで、日本の安倍政権がこれら戦前型イデオロギー(実は、イデオロギーもどき、偽エトノス!)への回帰を謀る背景を探りつつ、それを厳しく批判しようとする海外メディアらの眼差しと警戒心が強まりつつあるようだ。そして、世界の眼は、その安倍政権の<逆噴射/戦前型・国家神道体制への回帰願望=反立憲主義、反平和主義、国民主権否定>の原因が、そこに巣食った「日本会議のイデオローグ=戦前・戦中期の異常な生長の家“過激派”イデオローグ」が持つ、「記憶の未来」が消滅することへの恐怖心であることを百も承知していると思われる。


そこで問題となるのが「日本文化のルーツとも言える天皇家の歴史と、事実上、多数派国民層の通過儀礼と融合している伝統(神社)神道」の共鳴ということだ。先に見たとおり、たしかにアトム化した多数派層国民は、今更、その“新自由主義に蝕まれた巨大な格差拡大機構”のために自分の意識と国家の歴史記憶とを主体的に統合しようなどとは思っていないかもしれぬ。


だから、万事につけ無関心なのだろう。が、一方では通過儀礼と融合している伝統(神社)神道を介し日本文化に触れていることが日常(現実)でもあるので、実は、彼らの多くの心の内にも、近未来における「日本文化に関わる記憶喪失」への恐怖心が宿っていると思われる。そして、それこそが日本会議、神社本庁、安倍政権らの付け目ともなっている訳だ。


しかし、その国民層の素朴かつリアルな日本文化への思いと日本会議らの国家神道(追憶のカルトなる異常観念)の間には水と油以上の違いがある。だから、その溝を権力側が強権的に埋めようとすれば、再び、戦前・戦中期の悲劇が全国民を巻き込む強制愛国の国難という形で再現される恐れがある。そこで出番となるのが、偽遺伝子(追憶のカルト/偽エトノス=国家神道)の天敵となるエトノス(委細、後述)である。


2−2 米バーニー・サンダース現象の深層にある、米国「公正資本主義」の伝統


そもそもTPPは暴走市場原理主義の最終的な草刈り場(遠隔市場における利権争奪戦場)の位置づけ。欲ボケ頭を冷却し経済市場の役目につき再考し、草刈り場の原義(共助・共有・相互扶助の場)へ、ベクトル転換する好機!サンダース支持の若者層らの重み!只のオッサン@hanachancausert RT 日経@nikkei TPP暗雲さらに クリントン氏反対明言 20160815日

経 https://twitter.com/hanachancause/status/764911776789954560


国家権力の最終手段が暴力(軍事・警察・司法)であるのは時代を問わぬリアル!https://goo.gl/kjKRHK が、戦意剥出&人権無視の安倍改造内閣と比べ米・民主クリントン政権(予)にサンダースの「人権と命の保守」なる人類普遍の価値が取込まれた(↓★)意義は大きい! https://twitter.com/hanachancause/status/757850110743031808


★【動画】「愛は憎しみに勝つ」バーニー・サンダース 2016年 (日本語字幕)

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(国家と資本主義の本質が暴力であるという事実を理解することが先決である!)


f:id:toxandoria:20160822102922j:image:w330:right菅野稔人「暴力と富と資本主義」(角川書店)によれば、マックス・ウェーバーは「職業としての政治」(岩波文庫)のなかで、国家を“合法的な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する組織”と定義している。これは、“国家はあらゆる合法的な物理的暴力行使を独占する”ということであり、別に言えば“暴力抑止力に国家以上のものはない”ことを意味している。無論、そのジャンルには日本国憲法のような平和主義の原理も入るが、正当防衛権までを放棄することは意味していない。


そもそも、ホッブスリバイアサンを引き合いに出すまでもなく、人間社会を含む自然界には望むと望まざるとにかかわらず暴力が存在する。ただ、現代世界では、国際協調の原則下で国家権力の暴力行使が国際法的に承認される形となっている。が、「テロ、および核兵器の所有と攻撃」はエトノス環境(凡ゆる生態系と人類の文化基盤)を根こそぎ破壊するという意味で、このフレームそのものを脅かしつつある。


他方、現代「立憲主義」国家の土壌と位置付けるべき社会契約論(近代啓蒙思想)は、結果的に戦争技術の高度発達を促すことに結びついた、「主にナポレオン戦争期のロスチャイルドによる金融資本主義技術の発明および近代科学技術の発達」と二人三脚で誕生したという厳然たる歴史的な事実(これは陰謀史観ならず、リアリズム因果論!)がある。


f:id:toxandoria:20160822102923j:image:w230:leftまた、「20世紀初頭〜後半に跨り世界史上のマイナー・エポックとなった独伊国家社会主義ファシズム、日本軍国主義ファシズム、ソ連邦スターリニズム、米ソ冷戦構造」および「20世紀後半〜現在に至るまで世界経済を席巻してきた新自由主義(金融市場原理主義、市場原理主義)」は、突き詰めれば「資本主義をより一層合理化するための構造調整の歴史」であった(共産主義も市場機能に限れば資本主義の合わせ鏡!/参照:市場社会主義ランゲ・モデル、http://urx.nu/4YCEオスカル・ランゲの画像はウイキより)


非常に大雑把であるが、このような「啓蒙思想の萌芽期〜現代に至る、民主主義の深化に伴う資本主義の合理化のためのプロセスと国家権力の絡みの歴史」を概観して分かるのは、結局、何時の時代であっても国家権力には、経済・財政・教育・福祉政策など凡ゆる場面で最強の暴力を行使するという力の論理が付き纏うということである(この論述が意味するのは暴力の是非論ならず暴力リアリズム論!)。


従って、だからこそ「その意味での国家暴力の本性が理解できない人物は政治家になる資質がない!」ということになる。逆説的に言えば、それは「政治権力者には、暴力行使への誘惑を自ずから制御し、絶えず国家と国民へより多く奉仕する」という公正な義務感こそが強く求められる。そして、マックス・ウェーバーは、このことについて「政治権力者に求められるのは『心情(信条or信仰)倫理』ではなく『責任倫理』だ」と述べている(関連参照:責任倫理と心情倫理(信条倫理、http://goo.gl/by9kpF )。


(しかしながら、資本主義のリーダーたる米国には公正資本主義を志向してきた歴史がある/20世紀初頭の米国における“新自由主義=制度経済学派”の台頭/それは「公正資本主義」が目標であった)


19世紀末〜20世紀初頭(第一次世界大戦へ参戦する頃まで)のアメリカでは、「政治の革新」と「経済への政府干渉」の必要を説く運動が興り、この時代は「革新主義(Progressive)の時代」と呼ばれる。そして、この時代の経済思想の特徴は「新自由主義/ニュー・リベラリズム」(New Liberalism/1980年代以降に定着したネオ・リベラリズムと直接的な関係はない)という言葉で代表されている。


このニュー・リベラリズムの考え方は、アダム・スミス流の古典的な「人間の平等と契約の自由を原理・原則的に重視する」こととは異なっており、その独創性は「社会全体が発展するための活力源として個人的な自由を一層拡大するためにこそ、政府(国家)は一定の介入を積極的に行うべき」だと主張した点にある。ただ、その後の研究でアダム・スミスの自由主義と雖も、それは決してネオリべラリズム的な意味での自由原理主義ではないことが理解されている。


また、19〜20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス( 1834- 1910/スイス、新古典派の祖)が活躍した時代にほぼ重なっている。そして、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在はソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズコモンズらであった。


<補足>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)


・・・アダム・スミス、デヴィッド・リカードマルサスジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズム(Pragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。


・・・「制度経済学派」の創始者と呼ばれるヴェブレン(1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた。


・・・一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義的フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きな影響を与えた”という点にある。


・・・そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった。


・・・いわば、これら19〜20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも看做すべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった。


(北欧型福祉原理と米国型市場原理/ “リアリズム法学” という同根から生まれた二つの異質な社会福祉の現状)


「リアリズム法学」は20世紀初頭にアメリカと北欧(スカンジナビア)で、ほぼ同時期に興った法社会学の一派である。それまでの学説では、“判決とは法規(判例、制定法)を大前提とし、事実(具体的事実関係)を小前提とする三段論法の結論に当たるもので、公判とは裁判官によって結論が変わることのない形式的・機械的・非個人的なプロセスだ。従って、それは事前予測が可能な確実な論理的手続きだという理解”であった。


ところが、このようなドグマに対して心理学・社会学など各種社会科学の成果を駆使して鋭いメスを加えたのが20世紀初頭にアメリカとスカンジナビアで興った「リアリズム法学」である。そのため、現代の裁判では“複数の先例から一個の先例を選択し、制定法についても可能な複数の解釈から一個の解釈を採用することができ、特定の裁判官の活動に政治的責任を問うことも可能であり、事実認定のプロセスが裁判官の主観的作用であるということなどが、当然視されるようになり、今ではそれが法曹界での常識となっている。


しかしながら、やがてスカンジナビア型の「リアリズム法学」はアメリカ型の「それ」と異なる方向へ進化(深化)することになる。つまり、前者がスカンジナビアのキリスト教的・歴史的な意味での地政学的知見を背景として「普遍的人権」への理解を深めたのに対し、そもそも欧州から離脱し新大陸でゼロから建国したという歴史経験から、アメリカの地政学的知見は“徹底的な自由原理に基づき、個人の行動を最大限に解放し、それを限りなく拡大することを最終目的とする”という極めて「特異な人権意識」の方向へ発展した。


このため、同じ「リアリズム法学」の影響を受けたと見るべき「制度経済学派」の根本がスカンジナビア(欧州型の社会民主主義的な方向)と米国(新自由主義的な方向)では大きく異なる価値観を創造することになった。これこそが、北欧(スカンジナビア)と米国の各々が20世紀の現代史を通して「制度経済学派」を異なる方向へ進化させてきた理由(根拠)である。


従って、今や民主党クリントン大統領候補に対し、大きな軌道修正を求めるリアル・パワーとなりつつある「サンダース現象」は、このような米国経済史の流れと全く無縁であるとは言えない、と考えられる。特に、その流れを強く支持するのが高学歴の若者層らであることは、世界にとっても希望の光であるといえるだろう。


3 絶えず新しく生命を吹き込む、動的な「エトノスとの対話回路」の重要性


3−1 井手英策『経済の時代の終焉』が示唆する繋がる社会への希望


・・・今こそ、アベノミクスこと「アナクロニズム(追憶のカルト)と新自由主義の複雑骨折に因る癒着性カルト炎症」からの脱出が求められる・・・


f:id:toxandoria:20160822113852p:image:w400:left

只のオッサン@hanachancauseエトノス観(エトノスについては後述)が皆無の議論自体が中学生以下のレベル!いずれも成長目的主義で時代遅れ!井出英策『経済の時代の終焉』を学ぶべき!w ➡(大機小機)経済学者の埋め難い溝/税収弾性値(名目成長率/税収伸率、相関度)吉川洋(多変量解析派)vs竹中平蔵(成長率万能・単純平均派)20160813日経

http://www.nikkei.com/article/DGKKZO06016390S6A810C1EN2000/


f:id:toxandoria:20160822112915p:image:w400:right只のオッサン@hanachancause GDP上げるには何をすればいいの?政府・安倍内閣が鉛筆舐めれば良い?w ➡ 消費低迷、景気足踏み GDP年率0.2%増 雇用や年金に不安 山本行革相(日本会議、神政連)がGDP算出方法の変更検討!20160816朝日2016年8月16日https://twitter.com/hanachancause/status/765337754137952256  

・・・そもそもTPPは暴走市場原理主義の最終的な草刈り場(遠隔市場における利権争奪戦場)の位置づけ。欲ボケ頭を冷却し経済市場の役目につき再考し、草刈り場の原義(共助・共有の場)へ、ベクトル転換する好機!サンダースを支持する若者層らの重み!只のオッサン@hanachancause RT日本経済新聞 電子版 @nikkei TPP暗雲さらに クリントン氏反対明言20160815 

https://twitter.com/hanachancause/status/764911776789954560


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f:id:toxandoria:20160822113851j:image:w300:right新進気鋭の財政学者・井手英策氏は、大仏次郎論壇賞を受賞した著書「経済の時代の終焉」(岩波書店)のなかで、バブル崩壊後の1990年代後半から「小さな政府規制緩和」万能主義なる新自由主義(似非イデオローグ/“相互扶助・分配・共助”蔑視観)が本格的に国民の心の奥に深く浸透し、特に多数派層の精神面のエトノス(エトノスについては後述)が変質した(それに洗脳されてしまった)ことが、今に続く混迷の根本原因であると指摘している。


俯瞰的にプラザ合意(1985/協調介入名目の対日『円高・ドル安誘導の強制、米国際収支改善が目的』/バブルの遠因?)後の日米経済関係史を俯瞰すると、同合意の“含意”に因る対日・内需拡大要請(中曽根政権・受皿=1986前川レポート)、日米構造協議・日米包括経済協議(内需拡大・市場開放・新自由主義推進/対日圧力強化・・・当関連の財政赤字増1991〜2000/ca430兆円)、経団連・平岩レポート(1993・細川政権/対米迎合の金融・資本規制緩和)、小泉政権(2001〜12006)の隷米的新自由主義路線強化、民主党政権政権交代でも隷米新自由主義が続く/2009.09〜2012.12)・・・第2次安倍政権・アベノミクス(アナクロ(追憶のカルト)+新自由主義/2012.12〜奇怪なアナクロ・ネオリベラリズム複雑骨折政治w)・・・という具合になる。


井手英策氏によれば、この約30年の間に米国が新自由主義の受け入れ圧力を日本へより強め続けてきたとはいえ、そもそもその間にこそ日本政府と政治家らは自律的意思を持続させて「相互扶助・分配・共助をベースとする財政力強化の国家理念」を、しぶとく構築すべきであった。しかも、思うに(toxandoriaが)、民主党ら野党、市民・国民レベルの左派・リベラル・正統保守勢力(特に新自由主義に屈服し迎合するばかりの大労組・学界および法曹界)とジャーナリズムの力量(理解力?)不足もあって、残念ながら、多数派国民層も未だに「小さな政府こそベスト」のエトノス破壊型(エトノスについては後述)の錯覚に嵌ったままである。


それどころか、前川レポート以降に内需拡大策として強化された土建型国家政策(←井手氏の用語、必要悪だった?/地方交付税生活保護、貯蓄率向上効果等に資するという意味では地方傾斜型の分配に一定の有意性(高い成長を期待しつつ個々人が高い貯蓄率で病気や老後へ備える、という意味)があった)と、それに付随して補完設計された肝心の福祉基盤を維持する財政が根こそぎ激しい批判に曝され(既述、中間層の錯覚による)、かつ苛烈な格差拡大が、そして新自由主義政策が一貫して強化されてきたため、徒に財政赤字だけが積み上がり、肝心の福祉部分(相互扶助・分配・共助)がより一層貧相化する惨状と化し、結果的に殆どの国民層が将来不に怯えるというアベノミクスのジレンマに嵌っている訳である(バブル崩壊後の金融機関救済の財政赤字増ca100〜200兆円はやむを得ぬと考えられる)。


そこで、更に悪いことに「日本会議に憑りつかれた安倍政権下でアナクロ二ズム(追憶のカルト)とネオリベラリズム(新自由主義)が癒着した複雑骨折症状という政治・経済・財政的な奇病を罹患」してしまった日本の近未来の救済のため、井手英策氏は『以下』のことを提言する。


『成長(GDP年次比)は、只の集団ではなく信用(人々↔人々、国↔人々、国↔地方自治体の繋がりを“よすが”とする)を基に統合された人々(国民)の日常生活活動の結果と見なすべきであるので、財政のそもそもの最重要な機能であった相互扶助(互酬/集団パターンに応じた相互扶助、助け合い)・再分配(徴税上の応能負担・応分負担の均衡を図り、全体の公正を期すための中央の決定によるメンバーへの再配分)の仕組みを再構築すべきである。市場機能である交換は、これら財政の規模と適正バランスを保ちつつ伸縮すべきであり、似非イデオローグ新自由主義が言う小さな政府が成長を促すは決定的な誤りである。従って、日本政府(安倍政権)は信用をゼロから構築し直せるように発想を180°転換すべきである!但し、そのやり直しが許される時間(参照、下記<補足>)はあまり多くは残されていないので、ここ5〜10年位が勝負である。』 ← 近年、進化経済学等の最先端フィールドでのAIによるビッグデータ解析から「利他心>利己心」の有意・有効性が証明・理解されており、この観点からも井出氏の提言の正しさが裏付けられる!(補足、toxandoria/委細後述)


<補足>政府の規模と債務の大きさの関係(井手氏の同著書より一部分を抽出転載)

・・・同書(p229)には、ある得られた観測値と回帰直線との関係性の評価が可能な決定係数のバラツキ(相関係数rの二乗だが、ここではそれが0.0966なので政府の規模と債務の大きさに“関係ある”とは言えない)を示すグラフ(井手氏、作成)が掲載されているが、ここでは省略する。

・・・ともかくも、この井手氏の観測(グラフ)によると、「政府規模の大小」と「政府債務の大小」には、少なくとも統計的に見て直接的関係があるとは言えない。

・・・要するに、政府を小さくさえすれば財政が健全化するというのは、ひとつの幻想(妄想)である。国民から未来への不安を取り除くことが可能な国家理念を政府自身が先に示すことで、政府を信用して応分の徴税負担に応じる気分を国民が持てるようにすることが肝心である。

・・・無論、だからといって野放図に国家財政赤字を拡大すれば良いということにはならない。国際的な信用監視の構造に組み込まれているという現実もあるので、それ以外の諸指標から見れば自ずから限度があり、その意味で高々で5〜10年程度しか発想転換への移行時間は残されていないことになる。

・・・因みに、井手氏は「最初に導入した5%消費税の1/2に相当する7.5兆円が使えれば、小学校〜国公私立大学授業料等全学費と高齢者介護施設入居費用・自己負担分の全額無償化、介護等福祉施設職員人件費の大幅増額、地方公立病院赤字全解消が可能であった、と分析している。


3−2 新たなエトノス対話のための条件づくり/シンギュラリティを克服する先端AI時代への希望


(新たな地平への希望1/エトノス、ネオ・ラマルキズムの再評価、文化進化論、DNA不均衡進化論の共鳴)


f:id:toxandoria:20160822112913p:image:w390:rightネオ・ラマルキズム、ビッグデータAI解析、ゲーム理論等を使う先端知、文化進化論の知見はⅯ.フリードマンら経済学よりも正確に人に有意な経済現象を説明可であることが分かりつつある!その意味でも「穴黒+ネオリベ」のアベ=クロは最悪!w @只のオッサン@hanachancause RT to @kogoro_wakasa- 20160818/確かに安倍政権のそれは幅広くお金をばらまくヘリマネというより、ばらまきの客体を取捨選択するドローン・マネーと言えなくもない。日経コラム<大機小機>の執筆者は「危険極まりない政策の実験場になるのはごめんこうむりたい」と訴えた。その通りであろう。http://goo.gl/0uDkyT

https://twitter.com/hanachancause/status/766150139668946944


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エトノスの定義は『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となし得る開放系の共有観念と風土、又は過去〜現在〜未来に渡り生存環境の微小馴化を常に受け入れつつも、その伝統的な全体性の“持続”を最重視する幅広く寛容な共有意識、およびその受け皿たる風土』である(関連参照➡ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160626 )。


言い換えればそれは「地球上における、人間の内面(肉体・精神両面)も含む全ての生命・文化・生態・自然環境」のことであるが、そもそも専門用語としてのエトノスは、文化人類学フィールドで一定のローカル地域における先住民多層文化の意味で使われていた。やがて、その概念が上の定義まで拡張した訳である。


特に、宿命的・歴史的に先住民問題を抱えてきたカナダでは、2015年11月4日から第29代首相に就任したばかりのジャスティン・トルドーが、先住民多層文化を最大限に尊重する本格的なエトノス政策への取り組みを開始して世界の注目を集めている(参照➡

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301 )。


このジャスティン・トルドーの本格的なエトノス政策への取り組みは、第2章−1で取り上げたフェルナン・デュモン「記憶の未来/伝統の解体と再生」の思想と無関係ではない。それは、安倍政権のアナクロニズム(偽エトノスたる追憶のカルト(国家神道)、日本会議・靖国が求める偏狭な愛国心)などとは全く異質なものであり、いわば全人類の平和の実現と未来への可能性を切り拓く新たなナショナル・アイデンティティーのリアルな実践である。


なお、このフェルナン・デュモン「記憶の未来」(翻訳叛−白水社−)の序文を書いたセルジュ・カンタン(ケベック研究専門のケベック大学教授/政治哲学)は、“この新しいナショナル・アイデンティティー(エトノス観に基づく/toxandoria補足)をリアル政治の小道具と軽視してはならない。カナダ国民はそれを理解しているから良いが、日本会議・靖国などで極右化へ進むかに見える今の日本では、その点が誤解されぬよう注意すべきだ。”との懸念を寄せている。(toxandoria流で逆説的に解釈するなら、それは偽エトノスである国家神道や靖国と、デュモンが指摘する『記憶の未来』(記憶&認知能)の病理が見事に重なるということ!)


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ところで“文化は生物進化の延長“と考える立場から、より高次なレベルで文化を研究しようとする「文化進化論」(その背景にソリッドな数理的基礎が存在する、生物学・人類学的規模の長大な時間軸を視野に入れるという意味で動学的である、の二点で旧来の社会進化論と決定的差異がある)が世界的に注目を集めており、その最先端を担う研究者アレックス・メス―ディ(Alex Mesoudi/英エクセター大学准教授https://goo.gl/PjE2LH )の著書「文化進化論/ダ―ウイン進化論は文化を説明できるか」が、漸く日本でも2016年2月に出版(NTT出版)された。


それによると、現実世界で起きる文化進化の度合いについては、ラマルクの「遺伝的適応」(獲得形質の遺伝/厳密には、ダーウイニズム(突然変異説)によって否定されたラマルキズム(ラマルク論)の復活の意味なので、ネオ・ラマルキズムの遺伝的適応と呼ぶべき!https://goo.gl/eTVHHX )や数理モデルが仮定するより以上に強く働き、同じく予想以上の短時間に進化上の変化が起きることが分かってきている。


また、21世紀に入り、AI研究の進化等と共振しつつ急速に発展してきた文化進化論のルーツの一つになったと見るべき「進化心理学」(身体の自然環境への適応と同様に、また人間の心も生物学的な進化の産物と理解する心理学/ https://goo.gl/l4kq67 )は、文化進化論が向かう二つの方向を見据えているが、それは、「(1)伝達される文化」と「(2)誘発される文化」の二点である。


考えてみれば「(1)伝達される文化」はプロローグで触れた盛期イタリア・ルネサンスの画家アンドレア・デル・サルトの「ミメーシス」(古代ギリシアで模倣を意味したミメーシス(mimesis)の本当の意味/自然世界エトノスと交流し、そのプロセスから自然世界に内在する本質的なものを視覚的・感覚的に強化しつつ再現し、造形的に再提示する芸術上の模倣技術の意義)と、「(2)誘発される文化」はAI研究におけるニューラル・ネットワーク技術(委細後述)と、それぞれ共振していることが分かり興味深い。


また、(1)は旧来の伝統文化の概念にほぼ重なることが理解できるが、他方、(2)は<教育の意義の再発見>という意味で特に重要と考えられる。つまり、人の心(AIのニューラル・ネットワーク技術はその外装的模倣)は、エトノス環境との交流を介して無限に進化(というより深化?)する可能性があり、それは経済的な意味での生産性向上にも資すると考えられる」からだ。余談ながら、この観点は第3章で既述の井手英策氏が財政・経済学上の観点から<義務教育〜大学教育までの完全無償化>の実現を非常に重視していることとも重なると思われる。


<補足>不均衡進化論(発生生物学者・古澤満氏)は遺伝子レベルで観察されるネオ・ラマルキズム? 


エトノスと文化進化論の共鳴・進化の問題をより深めて考えるために、不均衡進化論にも少し触れておきたい。発生生物学者・古澤満氏の著書『不均衡進化論、Disparity Evolution』(筑摩書房)から、その要点を纏めると、以下のようになる。


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【動画】DNA Replication Process/DNA Replication Process Free Science Videos and Lectures

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生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストンに巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成する。これは「不連続鎖」と呼ばれる。


そして、岡崎フラグメントがある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説(木村資生:中立進化説/https://goo.gl/Xa5vs6 )、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが、形態に影響する総合説の作用と細胞レベルのミクロ・エトノス環境の共鳴・協調・競合が窺われる(http://goo.gl/tQGcAY )。


ともかくも、このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(既述、進化心理学の(1)伝達される文化、を連想させる!)。一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(既述、進化心理学の(2)誘発される文化、を連想させる!)。そして、変異の発生が比較的大きいが環境変動のない場合には変異発生の小さい「連続鎖」側により現状が維持(保守)・継承される。


他方、もし大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きい「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値>を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せた全体の進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる。詳細は省くが、「変異の閾値」とは遺伝情報が存在し得る一定数値の範囲のことで、変異がこの閾値を超すと遺伝情報は融解し<カオスの海>に沈む(アダムスミス又はネオリベ流の市場原理の如き自然選択、つまり神の手に委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか死を意味する)ことになる。


しかし、古澤満氏は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの海>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説https://goo.gl/oqa4EX )、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が重要だとする。そして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?)と名付けた訳だ。


このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要があるが、余りにも煩瑣になるので、ここでは説明を省かざるを得ない。


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ところで、古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。


これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように常時スタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承することが肝要」だということになる。


また、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノスと見立てることも可能であり、そのように考えれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクストステージの文化進化論」の可能性が、AI研究らの進化・深化と相俟って実現することになるだろう。


(新たな地平への希望2/シンギュラリティとは?AIを巡る楽観論・悲観論の相克を超えて)


(1)AIを巡る楽観論と悲観論のジレンマ


コンピュータで人間と同じ知能を人工的に実現する技術、人工知能(artificial intelligence/AI)の研究は1990年代から本格化したが、今や自動車の自動運転が確実視されるほど急速に関連研究が進みつつある。が、AIを巡っては楽観論と悲観論が同時並行的にしのぎを削っている。


楽観論の代表者は、10年後にも訪れるとされるシンギュラリティ(技術的特異点/technological singularity/人工知能の完成で人間が生命を完全に支配する時代に入る?)を主張する、米国の人工知能研究の世界的権威、レイ・カーツワイルである。ただ、カーツワイルは優れた研究者であると共に実業家(その意味での野心家)でもあるという二足の草鞋を履くことに留意すべきであろう。


一方、悲観論(AIがAGI(Artificial General Intelligence/人間レベルの知能、つまり汎用知能を実現したもの)の段階に入ると、そのAI故の機械的暴走を人間が制御不能になるという意味での)の代表者には、ビル・ジョイ(元サン・マイクロシステムズ社 チーフサイエンティスト)、スティーブン・ホーキングブラックホールの特異点などで著名な英国の理論物理学者)らがいる。


また、ヒューマニスト(目的さえ見失わなければ人間はAIを十分に使いこなせると主張する)と呼ばれる立場の代表者は、カーツワイルを“AIカルト教の信者だ!”と批判するジャロン・ラニアー(カリフォルニア大学バークレー校の起業・技術センター(CET)客員教授)である。また、ラニアーがコンピューター科学者であるだけでなく作曲家、ビジュアルアーティスト(芸術家)でもあることは興味深い。


また、ヒューマニストの一人であるスティーブン・ジェイ・グールド(米国の古生物学者、進化生物学者、科学史家)がAIの『物事の意味や価値(シニフィエ/意味、記号内容、所記)を判断し、納得的し理解することの限界』を指摘しているのも注目すべきだ。つまり、あくまでもAIはシニフィアン(道具、記号表現、能記)であり、宿命的に地球エトノスと共鳴・共感するシニフィエ的な存在である人間に成り代わることはできない、という主張である。


(2)やはり、エトノスへの気づき(学校教育による新鮮な生命が吹き込むエトノス対話の環境づくり)がAI活用を生かした未来への可能性を拓く


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何時までも穴クロ安倍一派に振回されずAI時代の新産業創造に知恵出すべき!➡自動運転経済の失業者たち/AIが仕事を奪う方が早い時代に資本主義は如何に機能できる?20160820TC-J http://goo.gl/nAQkjm 20160822 @hanachancausehttps://twitter.com/hanachancause/status/767426113098219520 


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ところで、AI技術に関わるテンポラリーなポイント(概要)を整理すると以下のとおりである。


●研究そのものは1990年代から進められていたが、カナダ大学のジェフリー・ヒントンが、画像認識のための多層構造ニューラル・ネットワーク(人間の脳の神経回路の仕組みを模したモデル)を使う「深層学習」(機械学習、ディープラーニング)を2010年に初めて実現した。


●ニューラル・ネットワークは、人間の脳の神経回路の仕組みを模した数学モデルであるが、目下、最も注目されているのがスパイキング・ニューラルネットワークSNN(従来の発火頻度ではなくニューロンの内部電位に注目したモデル)で、これは人間の脳の機能をより深く外装的に模倣する技術である。より深く模倣の意味は、SNNが、約1.6万個のチップで1000億個超の脳のニューロン・ネットワークの動作環境を実験的に生体模倣の忠実度をより高めつつ模倣するということで、リアル脳とは余りの桁違いながらも、人間の脳の働きについての基本的な知識が得られるというアイデア


●興味深いのは此のAI「深層学習」の実験でも判断力を飛躍的に高めるカギが正確な記憶、正しい歴史と経験の積み重ね(頑健性(ロバスト)の取得)、そして何よりも精錬のプロセス(敢えて困難な課題を繰り返し与える思考訓練)が必須であることだ。しかも、この歴史(正しい記憶)の積み重ね(頑健性)と精錬がないと蓋然性が高い未来と行動の予測(より正しい結果の予測)ができないことが分かってきている。余談だが、この辺りでは「安倍内閣、日本会議、神社本庁らの根本的な文化的ゾンビ遺伝子、アナクロニズム(内向的で静止的な追憶のカルト)の脆弱さ」が連想させられ無性に笑いがこみ上げてくる!w


●それまで特徴量(課題解決のために使うパラメータ/何を特徴量にするかで精度が決まる)の設計(特徴表現学習)は、画像や音声などに関する知識と経験が豊富な各データの研究者・技術者らが手動で設定する一種の職人技に頼っていたが、これ以降は自動で計算されるようになった。ただ、「深層学習」の計算プロセスで行われる“異層間での共鳴・共振・取捨選択”(密結合と呼ばれる)をプログラマーは理解できないというブラックボックスの部分があり、想定外のリスクも確認されている(出典:小林雅一『AIの衝撃』‐講談社現代新書‐)。


●根本的な課題としてカルマンフィルター自動運転車・金融工学などの基本原理/先端AIの正体は線形回帰分析、ロジスティック回帰分析ら統計学モデル)の問題がある。カルマン・フィルターは、そもそも誤差のある観測値を用いて、ある動的システムの状態を推定あるいは制御するための数理統計モデルだが、金融工学(自動運転車)で使われる正規分布曲線(その尻尾(テール)部分の異常・リスク事態は無視できるほど小さな確率、が前提である。ところが、そのテールが正規分布から微妙にズレた「無視できない大きな尻尾(実はファットテール曲線!)」であることを、賢明なエコノミストらが以前から指摘してきた。そして、実はこれが起動因となりリーマンショック(2008)やヘッジファンドLTCM破綻(1998)が起きており、自動運転車も同じ危険性を内包していると考えられる(出典:同上)。


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以上のとおり、現況では未だまだ課題を抱える先端技術AIではあるが、いずれこれらの課題が解決され、本格的に人間社会のためにAIが貢献する時代が近々に到来することであろう。そして、特に期待されるのが先に取り上げた(1)文化進化論、あるいは(2)新たな経済・財政理論の創造等の分野である。


(2)については、既に第3章―1「井手英策『経済の時代の終焉』が示唆する繋がる社会への希望」で少し触れたが、進化経済学等の最先端フィールドでのAIによるビッグデータ解析から「利他心>利己心」の有意・有効性が証明・理解されており、この観点からも井出英策氏の提言の正しさが裏付けられている。


米国の経済学者(厳密に言えば進化経済学者/旧来の経済学が物理学の考え方をモデルとするのに対し、進化経済学は生物進化をモデルとしており、経済主体は多様性を帯びることになる)ハーバート・ギンタスは、社会心理学行動経済学(互恵的利他行動)、ゲーム理論らの分野で、AIによるビッグデータ解析などの手法を使って旧来の主流経済学(特に、利己心を最重視する市場原理主義の根本的な誤謬!)の内容を根本から書き換えるような画期的業績を続々と発表している(参照→ https://goo.gl/403hFM )。


ギンタスらの行動経済学が注目するのは「旧来の主流経済学が、人間は完全に利己的だと見なし、人間は経済的利益のみを考えて行動すると決めつけているのが根本的誤り!」だということである。しかも、例えば「新自由主義が主張してきた労働改革の柱である非正規雇用の拡大が、却って生産性を低下させる」ことも実証的に観察されている(出典:既述、アレックス・メス―ディ著「文化進化論」‐NTT出版‐、p282‐286)。近年は多様な研究と豊富なフィールドワークによって、人間が完全に利己的な訳ではないことが実証されつつあり、そこでの結論の一つが<AIによるビッグデータ解析を駆使する文化進化論は、従来の経済理論より遥かに正確にリアルな経済現象を説明できる>ということである。


しかもこのような視点は、第2章−2で取り上げた「米バーニー・サンダース現象の深層にある、米国・公正資本主義の伝統」、第3章−1「アナクロにズムと新自由主義の癒着、アベノミクスからの脱出・・・井手英策『経済の時代の終焉』が明示する「繋がる社会」復活への希望・・・」などの問題意識と奥深くで通底することが理解できるはずだ。いつまでもアベノミクスなる「アナクロニズム(追憶のカルト)と新自由主義の複雑骨折に因る癒着性カルト炎症」に嵌り続ける安倍内閣を支持するバカリの多数派国民層は、いい加減に目を覚ますべきである!


同時に、急がば回れであるが、このような意味での自覚を促し、エトノスとの対話環境に最も重要となるのがフェルナン・デュモンが指摘するとおり「学校教育での民主主義の学習」である(第2章―1、参照)。また、井手英策氏の提言「相互扶助(互酬/集団パターンに応じた相互扶助、助け合い)と再分配(徴税上の応能負担・応分負担の均衡を図り、全体の公正を期すための中央の決定によるメンバーへの再配分)の仕組みの再構築」(第3章―1、参照)に緊急に取り組むべきである。


つまり、AIによるビッグデータ解析を駆使する文化進化論の研究によって、今や「エトノス環境下の現実世界で起こる文化進化の度合いが、ラマルクの遺伝的適応や既存数理モデルの想定以上に強く作用しており、しかも想定以上の短時間に進化上の変化が生じていること」が分かりつつあるということだ。その意味で、米バーニー・サンダース現象がジワリと政治の中枢へ影響を及ぼしつつあるアメリカの方が安倍政権(アベ=クロ暴走)で立ち往生する日本よりも遥かに健全である。


一方で、AI(AGI)装備によるマッド・サイエンス化にも警戒の目を向けるべきだ。既述のカルマン・フィルターでの予期せぬ自動運転車による大事故や金融パニック等の発生リスクの他に、大いに懸念されるのが既に一部で実装配備されているAI「自動制御兵器」で“Go and Forget!”(AI制御の猛スピードに人間が付いて行けぬため、尖閣諸島ら事実上の前線で予期せぬ人的統制不能が出現し、後は野となれ山となれのままの状態で開戦へ突入する)などの大リスクが出現することだ。その意味でも、安倍政権の平和理念&同関連防衛政策の混迷と外交力の劣化は日本を更なる大国難へ叩き込む恐れがある。


ところで、AI(AGI)の近未来について「楽観論」、「悲観論」、「ヒューマニスト」の三つの立場が関連研究者らのなかに混在することを既に指摘したが、シンギュラリティの先に「悲観論」が予見する如きデストピアが出現するのを回避するためのカギは、やはりエトノス観の有無ということになるだろう。


それは、ディープラーニングをベースとするAI(AGI)と人間の決定的な差異がエトノス観の有無であるからだ。仮に、知的(知能)レベルで人間を遥かに凌駕する、人間並みの意識を持つAGIが出現するとしても、おそらく「楽観論」者が主張するように、それらAGIマシンが人間と全く同様に自然(自然環境)を愛でるようになるのは考え難いことだ。なぜなら、彼らAGIマシンは地球環境エトノスと絶えず交流し交感する、その意味で地球環境を生存条件として必要とする人間とは異種の存在であるからだ。


無論、これらAGIマシン(AIロボット)が人間を完全に支配した挙句に、地球資源を消耗し尽くした彼らが地球圏外へ向かって大規模エミグレーション(大移住)を企てるような事態にでもなれば、このような「楽観論」では済まされなくなり、基本的に地球環境でしか生きられない人類がゾンビ集団と化したAGIマシンの奴隷orペットと化す恐れもあるだろう。苦w


いずれにせよ、そのような緊急事態とならぬよう、いよいよこれからが人類(特に日本国民!)の正念場である。また、異常に知能が低いw「亜種ゾンビAGIマシン」を先取りしたような安倍政権、日本会議、神社本庁ら「偽エトノス派」(疾うに日本から消滅したはずの、奇怪な“死んだ”ゴミ遺伝子が漂う記憶喪失の海に生息する追憶のカルト、人間が住めない非エトノス環境で蠢くゾンビ)らが跋扈し、実効支配する日本は全人類滅亡の震源ともなり兼ねないので十分に警戒すべきである!w

2016-06-26 信濃古代エトノスの警告/緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家神道」

toxandoria2016-06-26

信濃古代エトノスの警告/緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家神道」と先制攻撃「軍事研究」の復活(国民が軽視する安倍晋三“感情構造の病理”)は日本の未来をゲキ破壊する時限Bomb!


・・・山紫水明な大自然の風土の下で稲作・穀物らの豊穣を祈願する弥生・縄文両文化系アニミズム信仰の“和解”(縄文系自然の・狩猟・戦闘的で荒ぶるカミ(神話論理)の象徴化=その典型が諏訪社の御柱祭)に基づく王権(天皇家の権力)を確立したという意味での神聖政治(平和・専守防衛)国家が、日本エトノスの原型である・・・


【Cover Images】


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D

Nolwenn Leroy - Juste Pour Me Souvenir

・・・私のスーベニール(大切な古代ケルト・エトノスの記憶)/ブリトン(ケルト)風の唄声とメロディー/男たちは荒れ狂う海に漕ぎ出し、女たちはその帰りを待ち続ける。独特の哀愁が漂い、こぶしがきいていて・・・(http://goo.gl/KxOMx6 より)。ブリトン民謡(ケルト・エトノス)のフィーチャー。


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(右=『半跏思惟像(木造、制作時は彩色?)/中宮寺 飛鳥時代・7世紀)』、左=仏像『韓国国宝78号 半跏思惟像(金銅像/メッキ(滅金アマルガム技術)製)三国時代・6世紀』)

・・・“半島と列島が古代エトノスを共有する時代のスーベニール”(←“補足”、toxandoria)と、日韓国交正常化50周年を記念し、両国の文化交流の一層の促進をはかるために企画された展覧会。今回は史上初めて、日韓を代表する国宝である2つの半跏思惟像をあわせて展示。最初に韓国国立中央博物館で披露されたのち、海をわたって日本でお目見えとなる(R25イヴェント・カレンダー、http://r25.jp/off/00051135/ より転載)。


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(古墳時代・騎馬兵(首長級)のイメージ)

・・・当画像は、島根県出雲市上塩台築山「古墳」から出土した馬具・武具・装身具を元に復元した首長像。神戸市立埋蔵文化センターでの展示(1999.10.23)を報告するHP、http://goo.gl/lPYTfS より転載。


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(鞍作止利・作:釈迦如来坐像(飛鳥大仏)、法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像

・・・その代表作が「法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像」(623年)とされる鞍作止利(くらつくりのとり/生没年不詳/鳥仏師とも)は、飛鳥時代の渡来系(百済系?)の仏師とされるが、元々は馬具の鞍を作る工(職)人であったらしい。その釈迦三尊像に先立ち飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村大字飛鳥)の本尊、「釈迦如来坐像(飛鳥大仏)」の作者でもあると考えられる。577年には百済の聖明王の子・昌王が倭国へ造仏工・造寺工らを派遣しているので、それより先に渡来し倭国で活躍していた鞍作り工が造仏を命じられたと考えられる。やがて、百済から伝えられた仏工技術は「倭国」風により洗練されて『半跏思惟像(飛鳥時代・7世紀 奈良/中宮寺)』(↑Cover Image“ほほえみの御仏”/右)などの美しい作品を生み出した。


・・・


木曽路の風景、アラカルト(20160618〜20160620)


妻籠宿(本陣跡ほか)


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奈良井宿(島崎藤村ゆかりの徳利屋ほか)


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松本(中町土蔵街、松本城、旧開智学校


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・・・


(プロローグ) 緊急事態『改憲』の隠れ標的、「国家神道」と先制攻撃「軍事研究」の復活を謀る安倍首相、日本会議日本青年協議会=隠れ、生長の家“過激派”)、神社本庁らは世界の超リスク!


・・・戦前の「国家神道」(追憶のカルト)は終戦時に全日本国民を「本土決戦」(愛国総玉砕戦)の瀬戸際に追い込んだ偽エトノス(感情構造に寄生する閉鎖的カルト病)!因みに、英EU離脱もポピュリズムの赤字(反知性主義の極大化)に因る一種の偽エトノス現象なので唯一のワクチンは理念再構築への挑戦!その意義に一般国民が気付かぬのであれば国家滅亡も覚悟すべき!・・・


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1 縄文・弥生両文化『“和解”エトノス』の典型/古代ユーラシア文化圏に繋がる「信濃の古代史」(概観)


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・・・一枚目の画像(ユーラシア大陸)はウィキより、二枚目(北・南・中央アルプスと信濃)はブログ・湘南キット研究所、http://goo.gl/LtnVlQ より、三枚目はHP長野県の地形・地盤 : ジオテック株式会社https://goo.gl/N7Ddyzより転載。


1−1 エトノスの視点で信濃国(長野県)の縄文・弥生両文化と古代史を概観する


(信濃国に遺る縄文・弥生両文化のエトノス的“和解”の残照)


近世〜近代〜明治期〜戦前・戦中・終戦期ころに至るまで、外部権力に容易に妥協しない信濃人(信州人)は同時に信濃の内部でも群雄割拠しつつ各地域ごとに鬩ぎ合う歴史を繰り返しており、古代の一時期には諏訪国が分立していたこともある。それは、地域伝統の縄文文化に徹底的に根差し、ヤマト朝廷(中央政権)の弥生文化の受け入れを拒否したからであった。また、同じく一時期に国府が上田→松本へ移ったのも、信濃人のそのような個性形成プロセスの表れと見るべきかもしれない。(以上の出典:大和岩雄『信濃古代史考』−大和書房−)。


江戸時代の信濃国では、発生件数が全国一であった百姓一揆や数多の訴願闘争が頻繁に起こり幕藩領主らを苦しめた。また、明治期以降の長野県(旧信濃国)では先進的な自由民権運動、やがて、それに引き続く普通選挙運動、農民運動などのいわゆる社会運動が全国に先駆けて非常に活発化し、時の政府が社会主義運動を弾圧した「大逆事件」(民主主義、共産・社会主義へ極刑で臨んだ政治的弾圧)の発火地となった。


次いで、瞠目すべきは長野県出身の優れた出版人・編集者らが非常に多いことで、例えば主な創業者を拾うと岩波茂雄岩波書店/諏訪市・中州出身)、古田晁(筑摩書房/塩尻市(旧東筑摩郡)・同)、大和岩雄(大和書房&青春出版創業者・古代史研究者/伊那市(旧伊那郡高遠町)・同)、小尾俊人(みすず書房/茅野市・同)、小宮山量平(理論社/上田市・同)等々という具合で、その他の出版人、ジャーナリスト、作家らを加えるとそれは夥しい数となる。


ところで、ある地域の景観と風土は長い年月の繰り返しという膨大な時間の流れのなかで積み重なった古い地層(その地で生きた人々の『純粋経験と感情構造』(委細、後述)の積み重なり)の上に築かれたものである。だから、我々は、そこで暮らしてきた多くの人々がその地域で培った個性的文化と現代の生活にも繋がる古層(地域文化・社会・経済の空間・地層・岩盤環境としてのエトノス)がどのようなものであったかを先ず深く理解すべきである。そのうえで、それを未来へどのように繋ぐべきかという視点と、それらを正しく評価する柔軟な感性(正統保守たるエトノスの視点)を保持することが肝要となる。


<注>エトノス(ethnos)

・・・エトノスは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となし得る開放系の共有観念と風土、又は過去〜現在〜未来に渡り生存環境の微小馴化を常に受け入れつつも、その伝統的な全体性の“持続”を最重要視する幅広い寛容な集合意識、およびその受け皿たる風土』の意としておく(委細/下記★参照)。


★政治的ネクロフィリア安倍内閣のオフィーリア・コンプレックスバシュラール・エトノス、「水のイマージュ」による批判/2016-05-04toxandoriaの日記http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160504


・・・


(エス(das es)と純粋経験について)


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かつて、J. G.フィヒテ(J. G. Fichte/1762 – 1814/カントから大きな影響を受け、自らもシェリングヘーゲルらに影響を与えたドイツ観念論の哲学者)は「最もドイツ的な特徴はドイツ人の最初の文化的な流出(Abfluss)たる“ドイツ語”そのもの」だと言明したが、言い換えればそれは「ドイツ(ドイツ語)にはIch(自我)」と等値(同等に評価)と見るべきものとして「それ(エス/das es)」を重視する伝統がある、ということだ(出典:互盛央『エスの系譜』-講談社-)。


ドイツ語のエス(人称代名詞es/“Es gibt A(=There is A)”のes)は、我々がこの世に誕生した瞬間の無垢の所与である純粋経験(前意識・無意識/Vorbewusste)と融合しつつ、現在の自己から未生へも繋げるべきエトノス環境(ethnos)を指すのだと理解することも可能である。ともかくも、そもそも我々が生まれた瞬間の意識はおそらく「主語も彼我の区別もない世界」であったことになるだろう(関連参照/既述の<注>★/バシュラール・エトノス、「水のイマージュ」)。


ところで、我々が差別も敵意も殆んど感じなかった純粋経験の全てを主語が支配する明晰なコトバ(文脈)で語ることはなかなか困難である。無論、その純粋経験には真逆の敵意に満ちた悪の成分が潜む場合もあるのは当然のことだが、まがりなりにもそれが揺籃環境であったからには、それは前者(差別も敵意も殆んど感じなかった)の経験が些かなりとも優勢であったからだと考えられる。


そして、それはまさにその“純粋”の意義にはエスが司る意識の流れとして、ある種の寛容な感情の漠とした流れ(この場合は、寛容な感情構造)が記憶されていることを意味するからだ。だから、あえてそれを明晰に語り得るとすれば、それは虚構ということになるだろう。


また、ドイツ・ロマン派の哲学、同文学、同美術らの分野で、あるいは戦前日本の浪漫派文学(1930年代後半に保田與重郎らが中心となり日本伝統への回帰を提唱する文学思想(委細、下記★参照)で使われたアイロニー(irony/この場合は美的価値や宗教観などへ没入し現実逃避すること)に関して、あの漠としたエス(es)を政治・社会・経済の分野で政策的に実在化させようとする異常な運動が起こったことがある。


★「戦前を取り戻す」に潜む三島由紀夫橋川文三が共有するアキレス腱(追憶のカルトなる近世日本の伝統テロリズム)2013-08-22 toxandoriaの日記http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20130822


・・・


言い換えれば、それは当時の日本の哲学・美学・文学世界がグローバル国際社会(リアル世界)から観念的に完全遊離しつつ(舞い上がり、あるいは没入して)、国民一人ひとりを国際社会から意図的に切断するという意味での現実逃避(アイロニー)であった。また、当時の日本政府が、政治権力的に国民へそれを強制することに対して、当時の日本の文学界およびアカデミズムが積極的に同調することさえあった。


しかし、結果的にそれはドイツにナチズム(純潔ゲルマン民族主義、人種改良優生学、過激ヘイト主義など)をもたらし、日本では偽エトノスとしての国策「国家神道」原理式のファシズム(現在、#安倍政権、#日本会議、#神社本庁 らが必至でその国家神道の復活の前提条件となる緊急事態条項付“改憲”の実現を謀っている)らを誕生させ、それが第二次世界大戦の大きな悲劇に繋がったのは周知のとおりだ。


つまり、無理やりにエスの実体化(偽エトノスの創作)を謀れば、戦前日本の如き「神霊支配型ファシズム」(偽エトノスたる国家神道に基づく靖国英霊主義&純血民族主義)や、あるいはナチス・ドイツの如く純粋民族&血脈事大主義マイノリティー排除型の閉鎖的で狂信カルト的な政治権力に一方的に支配される国家へ没落するリスクが高まる。


一方、もしその伝統をエトノスとして正しく理解できるならば、我われ一般の国民層は、その同じ国家の岩盤であるエトノスから多元文化主義や共生・寛容などの、開放系で未生に繋がる価値観を深く理解できるようになる。言い換えれば、我われはそのことによって初めて着実に未生(未来)へ繋げ得る開放系の新たな政治・社会・経済の方向性を発見できるのである。


(関連情報)


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◆【現代世界でのIS化傾向の拡散と偽装極右(偽保守)化のトレンドはエトノスの病理?】親子間のエトノスの断絶でイスラムジハードだけが受皿化したが、それは安倍晋三首相らが目指す愛国玉砕に通じる!また、彼らが必死で取り戻しを謀る国家神道(偽エトノス)は、神社本庁の本宗たる伊勢神宮に守護された靖国式“このみいくさ”を国家神道の最高秘儀と見たてる異常な政治観念である。

・・・Cf. それは「過激派のイスラム化」と見るべきだ!この過激派(人間の本性に潜む暴力性の過剰化)は世界の何処でも起こり得る。例えば、フランスの場合、親世代に対する若者の反抗に宗教(イスラム)的要素は薄いので、この種の傾向をイスラム化(日本の場合は“右傾化”のコトバで←補足、toxandoria)で単純に括るのは誤りだ!:欧州大学院大学教授、オリビエ・ロワさん2016611朝日https://goo.gl/QmtP0n


1−2 長野県の特性


(現在の産業)


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・・・右の画像は『安曇野の風景』/(以下、第三パラグラフまでの内容、および添付画像(地図)の出典は、日銀松本支店『長野県産業の特徴』http://goo.gl/Fd9UIg より/二枚目の画像『安曇野市 (旧穂高町)』は、ブログ「信州・安曇野穂高 『碌山美術館』 &穂高町の火の見櫓(長野県)」http://goo.gl/QADQHW より転載) 


戦前の長野県は養蚕・生糸中心の製糸王国で最盛期には工場数が800余を数え、それは日本の生糸生産量の約3割、県下工業総生産額の約8割を占める隆盛を示した。が、太平洋戦争期に至ると生糸輸出の途絶から急速な衰退をみることとなった。しかし、代わりに航空機部品・光学機器・通信機・バルブ製造等の工場約400社が相次いで疎開してきた。


この太平洋戦争期の養蚕・製糸王国の没落が主な要因となって、満洲への積極的な移民政策を長野県は推し進めることとなり、満洲移民数が全国で一番多くなったとされ、戦後には多くの悲劇が生まれた。


一方、戦後は適した風土条件が評価され、これらの工場の技術が地元に根づき、諏訪・岡谷地区を中心にカメラ、腕時計、オルゴール等の精密機械工業が発達し、県内各地にも電気・輸送用機械関連等の企業が定着した。


昭和40年代後半の第一次石油危機以降、重厚長大型産業に代わり、軽薄短小型産業が全国的に急成長を示す過程で、長野県の電気・精密機械工業も技術革新の波に乗り飛躍的な発展を遂げた。


(地理的特性)


県境には標高2000m~3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻で複雑な地形であるため日本の屋根とも呼ばれることがある長野県は全国の都道府県の中で第3位の広さがあり、その面積は隣接する埼玉、山梨、愛知の三県を合わせたものにほぼ相当する。加えて地理的にも歴史的にもきわめて変化に富んでおり、しかも県内各地でも著しい地域個性の差が見られる。


長野県の地理的特性を見ておくと、中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈(長野県、山梨県、静岡県に連なる山脈で、通称南アルプスとも呼ばれる。飛騨山脈(北アルプス)、木曽山脈(中央アルプス)とともに日本アルプスとも呼ばれる。)の標高が高く、それらの間のいくつかの盆地(伊那谷、松本盆地、佐久盆地、長野盆地など)を中心とした集住地域が形成されている。


また、数多くの水源を擁しており、天竜川(南信濃、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信濃)は南下し太平洋へ(岐阜県、愛知県、三重県を経て伊勢湾に注ぐ)、千曲川(東信濃、北信濃)、犀川(中信濃)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ流れ、姫川(中信濃)も日本海に流れている。


(木曽川の水運と江戸期の中山道)


(1)木曽川「水運」の役割


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木曽川は飛舞山脈の南部、長野県の鉢盛山(2446m)を水源としており、ほぼ南西方向に流れ伊勢湾に注いでいる。上流では寝覚ノ床、恵那峡、日本ラインなどの峡谷をつくり下流では扇状地と三角州からなる濃尾平野を形成している(画像は、環境省HP『名水百選』https://goo.gl/HE92FP より転載)。


木曾川の水は古くから灌漑用水として利用されており、17世紀初めには大野村(一宮市浅井)に設置された大野杁(おおのいり/杁=水門)を源とする宮田用水ができ、それ以降には般若、木津など多くの用水が設けられた。また、鬱蒼たる美林地帯で名高い木曾山の木材の輸送路としても木曽川は重要な役割を果たした。しかし、木材輸送路としての木曾川は明治末に国鉄中央本線が全通するとともにその役割は小さくなった。


(2)江戸期「中山道」の役割


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中山道は、江戸時代五街道の一つで中仙道とも書いたが、江戸幕府は1716年(享保1)に中山道と定めた。また、東海道に対し山道(さんどう)とも書き、木曾路とも呼ばれた。中山道は江戸北西の板橋宿を起宿とし武蔵、上野(こうずけ/ほぼ群馬県)、信濃、美濃を経て近江の守山宿を最後の宿として草津宿で東海道に合流し、大津を経て京都に入る。板橋から守山まで67宿だが、普通は草津、大津を加えて木曾街道六十九次(駅)とも言う(添付画像『寝覚の床/長野県木曽郡上松町』の風景はブログ『ぶらり途中停車の旅 by Tommykaira tb』http://goo.gl/oqtWSK より転載)。


近年は、木曽路の三大宿場町として馬篭宿(2005年に長野県木曽郡山口村から岐阜県中津川市に編入)、妻籠宿、奈良井宿が注目を浴びており(参照/冒頭のCover Images)、人気の観光スポットとなっている。馬篭宿は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九駅)で馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。馬篭宿のほぼ中間地点には旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。


妻籠宿は、中山道42番目の宿場(中山道六十九駅)で現在は長野県木曽郡南木曽町にある。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)とともに、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として人気が高い。中山道34番目の宿場(中山道六十九駅)である奈良井宿(長野県塩尻市)は、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」とも呼ばれた。


1−3 古代ユーラシア・エトノス文化圏に繋がり、遥か西方からケルト・フレグランス(微風)すらが漂う「信濃の古代史」(概要)


1−3−1 諏訪大社・御柱信仰とカミカゼを繋ぐ深層/それは古代ユーラシア・エトノス文化圏に繋がる縄文期文化の残照


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信濃(信州/長野県)で最も古層に属する地域は何処かという視点で見ると、それは諏訪地方である。一説によれば、天武・持統天皇が信濃(特に、古代からの風神(ユーラシア全体に共通する、風を鎮め統制するカミ)を祀る諏訪大社(全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社/諏訪湖周辺で4か所の配置)が立地する諏訪/そこでは須波と記述されている)への行宮(あんぐう/変事などの折に利用する一時的に宮殿を造ること)に拘り続けたことが日本書記(持統天皇5年8月23日条)から読み取れる(添付の画像二枚、『諏訪大社(下社/秋宮本宮)』と『御柱/上社の木落し』はウイキより転載/三枚目の画像『道祖神/オンマラ・サマ』―松本市博物館(松本城内の展示品/これらに似た男根様の道祖神は甲信越地方関東地方に多く見られる)は、http://goo.gl/6aTZXn より転載―)。


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<参考>古代史ミステリー、数えで7年に1度の 「御柱」 〜最後の“縄文王国”の謎〜(NHKスペシャル:初回放送20160626) http://goo.gl/BKAOLm ・・・当番組は「古事記神話+考古学遺址+社伝」の解釈で構成されているが、本記事は伊勢神宮ミソロジー重視の観点から「日本書記+考古学遺址」等の解釈に依った。なお、同祭で上社本宮から里曳道中まで派遣される「お舟」の使者は渡来系弥生文化(ヤマト政権/安曇・秦氏らが介した稲作文化)と縄文文化の和解(委細、後術)の象徴と見えて興味深い。


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しかし、その時代の諏訪社に目立つ建造物はなく、その神域には巨大な柱(西域〜中国〜東アジア全体に拡がっていた風の神(おそらく中国の風伯のルーツ?)を祀る巨大な御柱(おそらく石柱)が1本立つのみであったとされる。因みに、風伯は風を支配する神とされるが、更に遡ればその特異な男性性器信仰なるアニミズム・フレグランスのルーツは古代ユーラシア(欧州(アイルランドブリテン島ブルターニュらまで含む)〜東欧・ロシア・シベリア中央アジア〜東アジア)全体に拡がっていた男性器トーテム信仰の神?であったと考えられる(関連資料、下記★)。


★人文研究見聞録/生殖器崇拝(性器崇拝)とは? http://goo.gl/mnbaaj


・・・


なお、諏訪の周辺5か所に点在する千鹿頭神社(諏訪大社と同じく数えで七年に一度(満6年間隔)の御柱祭が行われる!http://goo.gl/d0H76P)も、おそらく此の地域の狩猟・採集民の縄文期からの信仰対象であったと思われる(上の一枚目の画像『井戸尻遺跡(長野県諏訪郡富士見町縄文時代中期を中心とする集落遺跡)にある石柱トーテム?』は㏋富士見町・井戸尻遺跡http://goo.gl/do46pB より、二枚目『アイルランドのタラにある石柱(豊穣の象徴?)』は、ウィキ:Hill of Taraより転載)。

・・・<注>米ジョージア州ジョーンズボローの近くにあるとされる(フィクション!)、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説風と共に去りぬ』の物語に登場する、主人公スカーレット・オハラ家の農園名がタラ。その主人公の祖父の地アイルランドのタラ(Hill of Tara)に実在するのが二枚目の『アイルランドの石柱(ケルト文化/豊穣の象徴?)』。http://goo.gl/zOR6hl 


<補足説明>【7世紀後半に成立した、天武・持統期における『伊勢神宮』創建に繋がる神話論理(ミソロジー)の基本構造】広瀬神(弥生期信仰の中核)と龍田風神・諏訪風神(縄文期信仰の中核)なる二「祭神」の“和解”

・・・◆「広瀬神(伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神伏見稲荷大社宇加之御魂神と同神とされ奈良県北葛城郡河合町川合の廣瀬神社(現在は廣瀬大社)に祀られてきた/弥生期信仰の中核/ヤマト王権(天皇家)の精神基盤のルーツ)」と、「龍田風神・諏訪風神(縄文期信仰の中核)」なる二(厳密には、三)「祭神(祀)」の和解/Cf.『広瀬・龍田の神』http://goo.gl/188PJU  


「広瀬・龍田の祭礼」は、天武4年4月の記事(日本書紀)が初見で、以後は「神祇令」に規定され、後世の「延喜式の祝詞」で正式に祈願されることとなるが、これは天武期に整備されたもの。また、この天武期(670年代)に伊勢神宮の本格造営が着手されたと推定される(出典:新谷尚紀著『伊勢神宮と出雲大社/日本と天皇の誕生』―講談社―)。http://goo.gl/UOzbBA 


『日本書記』持統天皇5年8月23日条に、「使者を遣して、竜(龍)田風神、信濃の須波(これも諏訪の風神?)、水内等(信濃国水内郡にあったとされる神社(水の神?)ほか)の神を祭らしむ」とある。


これは、天武・持統天皇が拘り続けた信濃への行宮の問題(既述)が関わっており、この時に信濃の須波(諏訪)の風の神(畿内にある龍田(奈良県生駒郡三郷町)らの風伯より古く、欧州〜中央アジアも視野に入るユーラシア伝統の風の神、つまり風を支配すると信じられてきた縄文期の男性器トーテム)と龍田風神(中国より伝わった風伯)の両者を、爾後は中央政府(ヤマト王権/天皇家)が統一(アマルガム化、https://goo.gl/Ah4fdp)して祀ることになったと考えられる(出典:大和岩雄著『信濃古代史考』―大和書房―)。


また、諏訪大社の神(御柱トーテムが象徴する?建御名方神/たけみなかたのかみ)が風神としての神業(かみわざ/仏教の霊験に相当)を現したとされる事例を挙げれば、「文永・弘安役(元寇)」に際して大風(台風の発生)によって敵船を沈めるため両風神、伊勢神宮の風宮と諏訪大社に勅使が発(た)ったことがあり、これが、いわゆる「世界一の日本を絶対的に守護するカミカゼ」と呼ばれる、カミカゼ信仰の起源である。


その後、明治維新期以降の日本の支配者たる『君側の奸』たち、特に太平洋戦争へのプロセスを演出した山県有朋(日本国軍の父)の衣鉢を継ぐ軍部(中枢は陸軍)が、本居宣長(1730 - 1801)の「古伝説」研究などに淵源する「他国に優越する現人神たる天皇を世界万国の宗主と見立てる皇国史観と国家神道」を高く内外へ向けて掲げた時に、「ミッドウエー海戦」での敗退を隠蔽(大本営発表)までして、結局、この国民の深層に沁み渡った「カミカゼ精神」が効果的に利用され、太平洋戦争の敗戦間際には「カミカゼ特攻隊」や「国家神道(神国日本)下における愛国カミカゼ玉砕」の名に使われたことは周知のとりである。


しかし、よくよく考えてみれば、「世界に冠たる(日本が一番!の)神国・日本のカミカゼ(風神)」がアイルランドほか欧州全体に拡がるケルト信仰とも繋がる可能性が濃厚な、ユーラシア系の風の神様だというのでは、これは実にでたらめな神話論理である。何ゆえに、ユーラシア系の風の神様をそもそもの根拠とするニッポンが世界で一番!なのか???w


この辺りは、非常に危険な日本製「原発」を絶対安全(安倍式アンダー・コントロール)だと言い張るため、現代の神社本庁が創出し(でっちあげ?w)た「ウラニウム・放射能アニミズム論」なる奇怪ミソロジー(神話論理/ウランも放射能も自然の一部であり人畜無害だ!←でも、本当は危険なのだから日本国民は原発事故でも『嗚呼、オンマラ・サマ〜!』で玉砕すべし、ということか?苦w)と、そのでたらめぶりが実に見事に露呈している。w


なお、天武紀・持統紀(日本書紀)の記述から『伊勢神道に関わる最古の祭礼』(皇室行事・大嘗祭のルーツ/天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭/勅使が伊勢神宮ほかに下向し幣帛(へいはく)を捧げる一方、宮中でも儀式が行われる)と考えられる、「広瀬・大忌神祭」(広瀬神社/奈良県北葛城郡/治水神祈願)と「龍田・風神祭(龍田大社/奈良県生駒郡三郷町/中国系の風伯が諏訪のユーラシア系風神と合祀)なる二つの祭りの根本(創始、いずれも天武4年(665))にある宗教・政治的観念(ミソロジー、神話論理)は、<漸く、ヤマト王権(天皇家)が激しく荒ぶる抵抗を続けてきた諏訪大社(ユーラシア系)の風神(および、その眷属たる中国系の風伯(風神))と“和合”しつつ、山紫水明な大自然の風土の下で稲作・穀物らの豊穣を祈願する弥生・縄文両文化系アニミズム信仰の“和解”、言い換えるなら縄文系自然の・狩猟・戦闘的で荒ぶるカミ(神話論理)の象徴化(=その典型が諏訪社の御柱祭)に基づき王権(天皇家の権力)を確立したという意味での神聖政治(平和・専守防衛)国家・日本の誕生>ということであった(関連参照 ⇒ http://goo.gl/cYF6wkhttp://goo.gl/rrF6gt )。


1−3−2 古代“諏訪”地方のエトノス/根強い“縄文の信仰と文化”の残照、“諏訪湖”周辺は最も遅い仏教伝来の地であった


(巨大『御柱』は、遥かな時間を遡る縄文時代に重なるユーラシア“人類大移動”の痕跡) 


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あの巨大な御柱(元々は石柱?/関連参照、↑添付画像・左端)については、そこから遥かな年月を遡る日本の縄文時代の草創期に重なるユーラシア圏内での人類の大移動(少なくとも1.5万年以上前)という壮大な歴史の痕跡(諏訪地方、およびその周辺に多く遺る“オンマラ(男根)”様、ミシャグジ道祖神(石棒)との関連の検証は道半ばだが!/諏訪を中心とする長野県北および離接する山梨県辺りはユーラシア〜東アジア全域に繋がる細石器文化の終点の可能性が高い?)と見ることができる。なお、今の御柱祭は大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)による「式年造営御柱大祭」の形で行われている(諏訪湖に近い山梨県『金生遺跡』/画像一枚目はhttp://goo.gl/wIQH4T より、二〜三枚目はhttp://goo.gl/iNYZb9 より転載)。


諏訪信仰には縄文時代の信濃人の非常に古い信仰の名残が感じられるという点が、同じ信濃国の中で諏訪と他の地域との違いを際立たせる特徴となっている。具体的に言えば、それは山に住む人々の狩猟・採集民としての野性が強い個性となり残っていることだ。その意味での諏訪神は、東北・関東から九州に繋がる山の民(縄文文化の名残を背負った狩猟・採集民/アイヌ系の人々との関わりも窺われる!)からも篤い信仰を得ていた。


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これと関連し、諏訪地方にある仏寺の殆んどが平安末期〜鎌倉期以降(12世紀末〜)の創建であることも注目すべきである。それは、おそらく縄文的色彩が色濃く残る諏訪地方では、物部氏に取って代わった蘇我氏系の国造(くにのみやつこ)の管轄・支配の時代となり仏教信仰が奨励されることとなっても、縄文期の信仰と文化に強く拘る狩猟・採集民が中心であった諏訪地方の人々は、なかなか仏教に馴染まなかったからではないか?と考えられる(出典:大和岩雄著『信濃古代史考』―大和書房―)。 


(伊那谷は信濃の弥生文化の入り口)


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このような縄文期の文化・信仰・社会の空気が色濃く漂っていた信濃地方で最も早く稲作文化が弥生時代の中期初頭(BC1〜AD1世紀頃?)に入ったと考えられるのが伊那谷である。やがて、その稲作文化は天竜川沿いの低地に水田を開きつつ上伊那〜諏訪方面へ北上したと考えられるが、諏訪方面の人々は稲作は受け入れても簡単に縄文期の文化と信仰を捨てようとはしなかった(一枚目の画像『空撮/翼の下の白く見える部分が伊那谷』はhttp://goo.gl/1oWHh6 より転載、二枚目『伊那谷の風景』は、http://vtrmorita.exblog.jp/ より転載)。


やがて、稲作の伝播は松本平から善光寺平へと移り、弥生中期・中葉〜後半頃に弥生文化は信濃全体に広がった。しかし、既述のとおり、諏訪地域が中央政府の支配下に入り信仰的にも仏教を広く受け入れるようになったのは平安末期〜鎌倉初期になってからと考えられる。なお、善光寺平(現在の長野市辺り)には経路が異なる日本海ルートでも朝鮮半島から渡来系の人と文化が入っていた可能性がある(関連する遺跡が多い!)。


1−3−3 日本人と馬の文化史/騎馬・騎馬戦法・武士(もののふ)の揺籃(発祥)地であった古代信濃


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もう一つ見逃せないのは信濃国における騎馬と騎兵戦法(武士の発生の淵源?)の定着の視点だ。古墳時代の初期〜中期(4世紀?)に朝鮮半島から馬(騎馬)と騎兵戦法が導入されたが、その最初の着地点は仁徳天皇陵がある堺〜南河内(河内“長野”、藤井寺市、太子町など)辺りであったことが確認されている(関連参照⇒『堺市博物館http://goo.gl/HZ215E /画像『古墳時代〜飛鳥時代頃の騎馬のイメージ』は、下記<参考>のHP『近つ飛鳥博物館・・・』の案内文より転載/二枚目の画像『復元された古墳時代の馬と馬具』はhttp://goo.gl/227wHf より、三枚目『藤の木古墳(法隆寺の近く/古墳時代末期)から出土した鞍の一部』はhttp://goo.gl/C0gwSN より転載)。


<参考>古墳時代(初期〜中期/4世紀?)以降、倭国が騎馬戦術を受容するに至った東アジア事情(HP『近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡河南町)の開館10周年記念特別展示は、今来才伎(いまきのてひと)』の案内文より部分転載

http://goo.gl/8oT9GK )

・・・4〜5世紀の東アジアの激動する情勢から、我が国が騎馬戦術を受容せざるを得なかったとする見方が圧倒的だ。この時期、中国の漢人の国家は北方民族の侵入で南に押しやられ、南北朝時代を迎えた。その余波を受け朝鮮半島では北の強国・高句麗が南下政策を取り、南の百済や、新羅、加耶諸国に大きな影響を及ぼす。

・・・この危機に対し、新羅はいち早く高句麗に下る道を選んだが、百済は加耶諸国と共に倭国を味方に引き入れ高句麗と戦う道を選んだ。その結果、倭国は半島に出兵し高句麗と戦うことになるが、高句麗の騎馬軍団と戦うには騎馬文化の受容は不可欠だった。こうして倭国は百済や加耶諸国の援助を受け急速に騎馬文化を取り入れたと考えられる。

・・・近つ飛鳥博物館長・白石太一郎氏は、今回の展示図録の巻頭を飾る論文の中で今来才伎(いまきのさいぎ)に関し鋭い指摘をされておられる。我が国は上のような軍事的要請から騎馬文化を受容したが、その一環として伝えられた馬具製作技術は、鉄器加工技術、金銅技術、木工技術、皮革加工技術、織物技術などを含む、きわめて総合的な技術であった。


・・・転載、おわり・・・


善光寺平は古来「長野(長い野の意味)」と呼ばれてきたが、古代ヤマト王権の信濃への進出で活躍する物部氏(大連)が仕えた仲哀天皇日本武尊の子?)の陵墓の一つも長野陵と呼ばれ、その場所は藤井寺市のミサンザイ古墳に比定され、同じく藤井寺市の市野山古墳に比定される允恭天皇仁徳天皇の第四皇子)の長野北陵も存在する。


そもそも信濃(シナノ)の地名のルーツであるシナノ(科野)は南河内の石川流域を指す地名であることが確認されており、渡来系氏族である多(太/おお)氏(日本最古の皇別氏族/前渡り渡来人?)系の科野(シナノ)氏の一族が科野国造となっていた。従って、信濃国に入った一般の高句麗・百済系ら渡来人も畿内の南河内に居住する渡来人と連動していたと思われる。また、石川沿いに長く伸びる平野(河岸段丘)は長野県の善光寺平と同じく長野(長いの野)と呼ばれてきた(河内長野市の名の起こり!)。


いずれにせよ、このような渡来系の人々の信濃国への移動(開拓・入植が目的)によって、元々、日本には在来種がなかった馬の取り扱いと騎馬戦術に長けた渡来系の軍事・農業・手工業等に携わる人々が伊那から信濃国全体へ拡がり定住するようになり、やがて信濃国における仏教信仰などの精神文化も徐々に深まったと考えられる。ただ、既述のとおり、地元に深く根付く縄文文化に拘り、その流れに頑なに抵抗したのが諏訪大社を中心とする諏訪地域の人々であった。(出典:同上/および関連資料:久慈勝男著『日本人と馬の文化史』―文眞堂―)


ところで、古墳時代の初期〜中期(4世紀?)に朝鮮半島から堺〜南河内、辺りに伝わった騎馬の技術と牧の経営は急速に各地へ広がった。特に「壬申の乱(672)」での騎馬の活躍を教訓とした天武天皇は騎馬・騎兵の軍装備充実に急速に取り組み、騎馬を主体とする律令軍事制度を完成させた。また、文武4年(700)には律令制下で牧の設置命令が全国へ発せられ、以前から各地に存在した牧が原則として大和朝廷の管理下の御牧(みまき)となった。


初めの頃の御牧は信濃だけであったが、やがて上野(群馬)、甲斐(山梨)、武蔵にも置かれるようになる。そして、特に馬の飼育に習熟した人々(おそらく朝鮮半島から渡来した人々)が、これら信濃、上野、甲斐、武蔵の御牧に存在したことが、長屋王家木簡(https://goo.gl/q71Npf )などの記録から確認されている。特に、信濃は重視されており、御牧の制度が衰微する15世紀後半(室町時代)頃まで、信濃からの駒索(駒引/こまひき/御牧から貢進した馬を天皇が御覧になり御料馬を定める儀式)が続けられた。


因みに、この「最初の御牧が信濃だけにあった」ことは、天武天皇が「壬申の乱における騎馬と騎兵戦の活躍を教訓にした」という歴史と併せ考えるとき、それが何か特別の重要な」事実を示唆するのではないか?ということに気付かされる。


例えば、それは古墳時代以来の信濃国には、「牧と馬を基礎に騎馬を中心とする帰化人系の軍事集団(騎馬軍団)」が存在し、やがてそこからヤマト朝廷の中枢に取り立てられた金刺舎人(かねさしのとねり/or金刺部)氏らのような人々が現れたことだ。また、特に信濃〜関東周辺を発祥地とする「武士団の起こり(国風文化の成立期である平安中期(10世紀)に登場する)」と、これら「渡来系の国衙軍制である馬の文化と騎馬軍団」についての歴史的検証も進みつつある(武士は『もののふ』 とも読むが、その起源を物部氏に求める説もある)。


金刺舎人(金刺部)氏の起源は、部民制(べのたみせい)における名代(なしろ/古墳時代の専門集団)の一つである金刺部にあるとされる。金刺部は欽明天皇の皇居であった磯城嶋金刺宮に由来し、その財政用に充てられた料地等の管理に従事した人々であり、信濃国や駿河国に多く分布していた(金刺舎人は熊本・阿蘇氏とも関係がある)。奈良時代から平安時代初期の信濃国の地方政治は金刺部舎人氏や他田部舎人(おさたべのとねり)氏らの活動を中心に繰り広げられたと見られ、彼らが伊那・諏訪・筑摩・水内・埴科・小県の各郡の郡司を占めていた。


特に、伊那郡の郡司・金刺舎人氏は信濃国内に置かれた政府直轄の御牧全体を統括する責任者(牧主当)でもあり、郡司の子弟として平城京に出仕していた際に藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱(764年/孝謙天皇・道鏡側と対立した太政大臣・藤原仲麻呂が軍事力で政権を奪取しようとして失敗した事件)が起こり、孝謙上皇の側で乱の鎮圧(騎馬戦法)に功績が認められたと見られ翌年に外従五位下・勲六等の位が与えられた。


ともかくも、古墳〜飛鳥〜奈良〜平安初期頃にかけて信濃国に馬と騎馬戦法を得意とする強力な軍事集団が存在し、それらを統率するのは渡来系の科野(しなの)氏・金刺舎人氏らで、更にそれをヤマト朝廷側から統制したのが葛城・物部・蘇我氏であったと考えられる。また、蘇我“馬子”、“厩戸”皇子(聖徳太子)ら馬に関わる命名も、これらのことを示唆する!


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因みに、善光寺平(長野市)の南の丘陵には大室古墳群という渡来(百済)系の特徴をもつ積石塚があり、その近くに大室牧と高井牧があったとされる。また、平成6年(1994)に更埴市(現、千曲市)屋代の上信越自動車道の発掘現場から、7世紀後半〜9世紀初めの130点の木簡や木製祭祀具が出土したが、その中から「小毅(しょうき)」という軍団(騎馬軍団)の名を記したものが発見された(一枚目の画像『善光寺平の風景』はhttp://goo.gl/cJQM3D より、二枚目『善光寺』はウイキより転載)。


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なお、よりグローバルな視点で日本の馬の文化を論じた久慈勝男著『日本人と馬の文化史』(文眞堂)からも、信濃国の馬の歴史と重なる「日本人の本来の強かで自在な適応能力の在り処(根拠)」が見事に浮上してくる。この本の紹介文は次のように書いている。⇒ 『日本人は中華文明や西欧文明の強大な影響に対し柔らかく強靭な心で対処しながら独自の文化を築いてきた。古墳時代早期に列島にもたらされた馬はその影響力の強さで舶来文物を代表するものの一つであり、馬に示された受容のあり方は日本人のユニーク(強靭で、かつ柔軟)な心性を浮き彫りにしている。東アジアにおける日本のアイデンティティを見据える好著』である。(文眞堂の紹介文http://goo.gl/xA4dXs より転載)


そもそもの日本人のアイデンティティは島国根性的に形成された只の“融合・融和”の文化に因って形成されたものではなかったのだ。それどころか、本来の日本人は“和解”プロセスでこそ優れた特性を発揮してきたと考えられる。そして、その“和解”とは<厳しい議論を通しつつ信仰、イデオローグ観念、技術および基本的論理構造らの差異を異文化との間で柔軟に擦り合わせて自らを個性的ハイブリッドへ深化させ得る強かさ>ということであった。


しかし、その本来の日本人の優れた特性は、特に明治維新期以降の近代化に焦るあまり、「偽エトノスたる国家神道」を原理とする神憑りの富国強兵策と、それに安易に同調するよう強権的に仕込まれたメディア&アカデミズム洗脳によって、これが逆方向の事大主義(マアマアで馴れ合い見かけだけデカくて如何にも強そうな“名ばかり長いモノ”に巻(or魅)かれる方向)へ大きく捻じ曲げられたことになる。


1−3−4 信濃古代史における養蚕・殖産興業文化への秦氏の貢献、それを支えた安曇氏


(近世・近代の養蚕王国長野(信濃)の地盤を創った古代・秦氏の活躍)


長野県の「近世から戦前における養蚕・生糸中心の製糸王国(間接的な意味になるが、それは現在における技術・知識集約型へのシフトを可能とする環境条件ともなった)」の基盤を作ったのは古代における渡来系・秦氏の活躍であり、それを無視することはできない(関連で、既述の『1−2 長野県の特性/産業と地理的特徴』を参照乞う)。


ところで、善光寺(長野)の草創の年次は不明とされるが、『扶桑略記』(平安時代の私撰歴史書)の仏教渡来の条は、欽明天皇の時(6世紀半ば)に百済国の聖明王が献じた1尺5寸の阿弥陀仏像と1尺の観音・勢至像が善光寺如来(秘仏)であるとされ、この像を推古天皇10年4月8日に秦巨勢大夫(秦河勝に比定)に命じ信濃国に送ったと記している。


このことは、善光寺を建立したとされる本田善光(ほんだよしみつ/古墳時代の信濃国の人物)と秦河勝の関係を示唆すのみならず秦氏と信濃国の特別な関わりの深さを推測させる。因みに河内長野の渡来人が信濃国・長野の渡来人と関係が深いことは既に述べたが(前節『日本人と馬の文化史』)、その河内(河内国志紀郡長野郷/河内長野市)が出自である渡来系(高句麗・百済系?)の長野氏は河川・土木工事の専門集団であり、秦氏と同じく信濃国の開拓に貢献したと思われる。


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また、その名が太秦の地名に残る秦河勝は、聖徳太子の仏教信仰と政治の指南役を務めたが、政商・先進技術・殖産興業の知恵袋として草創期の朝廷財政にも深く関わった人物である。また、聖徳太子(本名“厩戸”皇子)の母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、蘇我稲目の娘で武内宿禰を祖とするとされるが、実はこの蘇我氏も渡来(百済)系との説が強まっている(添付画像『秦河勝夫妻像(広隆寺・講堂、所蔵)』はhttp://goo.gl/wlsZie より転載)。


秦氏は、中国・秦の‟始皇帝“麾下の遺民(技術者集団)が朝鮮半島(高句麗、新羅、百済、加羅)経由で列島へ渡って来たもので、おそらく5世紀頃から日本各地に定住し始めた前渡り渡来系の一族である(一説では17〜20万人におよび、当時の日本列島人口の5%弱を占めたとされる)。


その秦氏は「大和王権」以降の日本へ大きな足跡を残している。例えば、明法(律令)学の研究と講義、申楽(能・狂言のルーツ/観阿弥・世阿弥=秦一族)、宮中神楽・雅楽等(東儀家=秦一族)の創作、あるいは冶金・工芸技術を活かした東大寺・廬舎那仏の建立などが典型だが、特に秦河勝は聖徳太子のアドバイザー役として松尾大社・伏見稲荷等の神社造営、あるいは広隆寺等の寺院建立に貢献した。


京都には秦一族の活躍に因んで、嵐山の葛野大堰(かどのおおい/桂川治水工事/同じく嵐山の景観造形の基本も秦氏の功績)、太秦、蚕の社、大酒神社(太秦/秦氏の祖、秦の始皇帝を祀った)、蛇塚古墳(太秦/河勝の墓?)、広隆寺(河勝と聖徳太子ゆかりの寺)などの事績が数多く遺されている。また、長野(市)・群馬・会津などにも養蚕神社が存在する。


3世紀末に渡来した弓月君(ゆづきのきみ/列島での秦氏の祖とされる)が養蚕と絹織物の技術を伝えとされるが、秦氏と日本の養蚕技術発展の関係には無視できないものがある。特に、信濃国に入った秦一族の活躍は重要であり、信濃を経由した養蚕技術は関東(群馬など/江戸時代以降〜戦前まで、信濃国(≒現、長野県)の蚕糸生産は日本一の地位を維持していたが、現代における養蚕の市場シェアは群馬県が1位で全体の約4割を占める)を経て、東北の南端に当たる会津地方(福島)まで伝播した。このため、北東北と北海道を除き全国的に養蚕が行われようになり平安中期以降頃には産地ごとの等級が決まり、それが税として朝廷に収められるようになっていた。


(安曇野の風景/秦氏を支えた安曇氏の名残り)


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安曇野は、松本盆地のうち梓川・犀川の西岸〜高瀬川流域の最南部にかけて広がる扇状地全体を総称する呼び名である。特に、臼井吉見の小説『安曇野』で有名になり、この名称が一般的に広く定着してきた(画像『安曇野の風景』は、http://goo.gl/n8zBB8 より転載)。


安曇野の語源は古代に移住してきた渡来系・海人族の安曇氏に由来するとの説が有力だ。元々、北九州の志賀島周辺を本拠地とした安曇氏は全国に散らばっており安曇野にある穂高神社(松本市安曇と上高地に奥宮が、奥穂高岳山頂に嶺宮があるので日本アルプス総鎮守の通称もある/祭神は穂高見命、綿津見命(海神、安曇氏の祖神)ほか)は信濃の安曇郡に定住した安曇氏が祖神を祀った古社で、志賀島から全国に散った一族の本拠地がこの安曇野だとされる。


また、安曇氏の支援を得て信濃国に入った秦氏が最初に定着したのは鷺沢(おみさわ)とされているが、それが現在の筑摩郡鷺沢嶽(松本市波田鷺沢)であるのか?は未だ分かっていない。しかし、安曇野に限らず長野県全体(信濃国)における秦氏に関連する史跡等の発見は今のところは意外に少なく、これからの研究が待たれるところである。


ところで、一説では秦氏の列島全体への移動には海路または、河川路の移動を得意として操船・造船の技術にも長けた安曇氏が貢献したと思われる。BC3−4世紀頃から朝鮮半島経由で渡来系の人々が北九州に渡るようになるが、北九州に定着した渡来系弥生人の一部族が安曇族であった。つまり、秦氏の信濃国への移動に安曇氏が大きく貢献したのはごく自然の流れであったとも言えるだろう。


2 緊急事態『改憲』に隠れる真の狙い、「国家神道」(偽エトノス)と先制攻撃「軍事研究」の復活/それは日本のエトノスと未生の可能性を完全消滅させる、確信犯的な感情構造の病理


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・・・伊勢神宮・式年遷宮式典への出席を実現した安倍首相、およびそれを準備した神社本庁、日本会議らの真意は『改憲』に止ることではない!その正遷御当日(20131002)への<総理大臣として戦後初の出席>は、彼らの究極の目的が『国家神道』の復活であることを露呈している!・・・(添付画像は、http://goo.gl/PRzaN6 より転載)


「国家神道」が偽エトノスであるとは、<通過儀礼などの関係で神社参拝をするのは我々の日常生活の一部であるが(つまり、各神社との親しみはエトノス環境化しているのだが)、そのことと「国家神道」が相貌的にはそっくりであり、強いて意識化しなければ(主体的に想像力を働かせ、理性(知性主義)的に考えなければ)外見上は両者の見分けがつかない>ということである(委細については、下記★を参照乞う)。


松岡正剛『エトノス(正確に言えば、偽エトノス)としての国家神道』(村上重良著:国家神道‐岩波新書‐の解説) http://goo.gl/viIoqC 


・・・


伊勢神宮の式年遷宮は戦後四回行われたが、正遷御当日(20131002)の式典に参列した総理大臣は安倍晋三が初めてである。この時には、麻生太郎副総理を含む8閣僚(殆どが #日本会議 メンバー)も参列した。しかも、NHK始め主要メディアは、このことの委細を報じなかった。しかし、安倍・自民党政権は、 #日本会議 、神政連、神社本庁、神宮大宮司(鷹司尚武氏)ら「国家神道」復活派の希望の星である。


その当日の記者会見で菅官房長官は「これは恒例の私人としての参列で、憲法の正教分離原則に反しておらず何ら問題はない!」と “恒例の粛々説明”を得意気に述べたが、戦後初の「安倍総理と8閣僚」の正遷御当日の参列は、神宮遷御(伊勢神宮の存在)に関わる「戦前回帰」の政治的メッセージを、不遜にも、肝心の今上天皇のお立場(護憲主義)を一切無視する形で、日本社会へ戦後初めて発信したことになる。


この安倍首相の政治的メッセージが意識的に隠蔽するのは『全国民が玉砕する愛国自爆テロ戦争体制の取り戻し(あと一歩で実現できなかった太平洋戦争・本土決戦の再現)』ということだ。それは #日本会議、#神社本庁  など安倍晋三・一派の強い「追憶のカルト」の決意の現れに他ならず、これは「愛国戦争こそが国家神道の崇高祭儀だ!」とする稲田朋美・自民政調会長の発言の真意であり、かつ<一億総国民の“追憶のカルト”化/異常“観念同時”なる集団妄想の病理に全国民が強制的に連れ込まれる>ということである。(この問題の委細は、下記★を参照乞う)。


★先住多層文化エトノスはポスト・グローバリズムの希望/「国民主権否定の改憲で正しい立憲主義を!」の安倍政権は寛容のホスピタリティ(近未来の可能性)をナチ式恍惚催眠で犯す政治的変質者の群れ2016-03-01toxandoriaの日記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301 


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我われが冷静に見据えなければならないのは、7月10日の参院選を目前とする安倍政権が急に「改憲発言をトーンダウン」させた裏には、<メディア活用(同調&洗脳)方式での参院選大勝 → 緊急事態条項付「改憲」実現 →「国家神道(偽エトノス)」復活>という、恐るべきほど反知世主義的な戦略(感情構造の病理)が隠されていることだ(【左・画像中の誤記訂正】核心犯⇒確信犯 へw)。


そして、いったんチャンス到来となれば、#安倍晋三 、#日本会議 、#神社本庁らの真の狙いは国家神道の復活なので、おそらく御用学者らを総動員して、戦前同様に「国家神道は日本国民の絶対多数派が支持する伊勢神宮を本宗とする超然宗教・非宗教たる日本伝統文化の根源だ!」という政治的「屁理屈=ネオ・国体の本義(関連で下記↓★を参照乞う)」を騙るはずだ。


大正デモクラシーで昭和10年代に旧「国体論/天皇現人神論」は最大危機を迎えた、しかし文部省が強弁『国体の本義(昭12)』をでっち上げ、軍事超然権力は天皇を「現人神」に再び祭り上げ、「国家神道」体制を確立した!

2014-08-01toxandoriaの日記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140801 


・・・


それは、既に、憲法の解釈変更で先制攻撃を可能とする「安保法(平和安全法制)」が成立しているので、後は「国家神道」さえ復活できれば9条には一切触れずとも、望みどおり国民の義務としての「愛国戦争」が<マッチポンプ式で自在にできる>ことになるからだ。しかし、これは本来の国家安全保障とは全く無関係であり、それどころか徒に国家滅亡の危機を招く、全く異次元のカミカゼ・カルト妄想の再現(取り戻し)である。


(関連情報)


◆余りの筋悪で専守防衛安全保障法の「精緻な理論」が理解不能(理解できない!)の安倍晋三・首相への忖度の空気一色であるのが今の日本の超リスクだ!学問知の啓蒙はメディア本来の重責!もし、総メディアが努力尽した上であるならば「民主主義の赤字(ポピュリズム原理)」で国家滅亡も覚悟すべき鴨?20160622只のオッサンRT to Masaharu Adachi @HCEkobe/「政治的思いをそのまま違憲の結論に直結させることは、むしろその足元を危うくさせる」「この社会は、学問が生み出す知を活用しようとする社会なのか」/安保法「違憲」で議論 元最高裁判事・藤田氏「精緻な理論」求め一石:20160622朝日 http://goo.gl/WCyzLn


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◆安倍“改憲”の真の目的が「国家神道の復活」であることは、日本の主要メディアはともかく、「G7首脳の伊勢神宮訪問・実現」との絡みで海外メディアが一斉に報じていた!(以下、その事例/情報源:20160624号・週刊朝日『日本会議と安倍首相』、ほか/各( )内の記述は、toxandoriaの補足)

・・・安倍政権が進める神道復権(国家神道・復活を指す)の中心にある伊勢神宮の役割を考えると、G7首脳の訪問は太古の森と清流を気楽に散歩する以上の意味を持つ。(英ガーディアン)20160624号・週刊朝日

・・・伊勢神宮訪問はいくつかの批判も呼んでいる。神道(一般の神社神道ではなく、G7首脳の伊勢神宮訪問を国家神道・復活の絶好の機会として利用しようとする安倍首相らの野望を指す)は日本の神話と歴史を国家主義と不可分に結びついた宗教(歴然たる宗教、つまり国家神道)に一体化させており、世界のリーダーが訪問するには不適切。(AFP通信)20160624号・週刊朝日

・・・「日本会議」は安倍首相と彼の内閣の殆んどを含む3万8千人の会員を持ち、日本は西洋の植民地主義からアジアを解放したのであり、戦後の憲法は国の本来の特徴(エトノス)を骨抜きにしたと信じている。(英ガーディアン)20160624号・週刊朝日

・・・G7首脳が日本で神社に訪問しないよう宗教指導者宗教学者が警告した。伊勢神宮は日本の平和主義憲法を変える運動を進める国家主義者・組織(日本会議)に繋がる大きなリンクだ。(英ザ・タイムズhttp://goo.gl/D9Gyue

・・・安倍首相はG7サミットに先立って神道の聖地(伊勢神宮)を参拝している。戦争中の日本の指導者は「国家神道」イデオロギーを戦争遂行に利用したが、戦後の平和主義憲法は国家と宗教を分離した。(ロイターhttp://goo.gl/JvBqiT


3 【政治的「感情構造の病理」を罹患した日本】 #日本会議 の傀儡たる安部晋三首相が目指すのは、終戦時「宮城クーデター事件」が遣り残した「本土決戦」体制の取り戻しという追憶のカルト!


(純粋経験としての感情構造/安部晋三首相の深層に潜むのは未生への可能性と紙一重の恐るべき内向的破壊力)


必ずしも先に述べたドイツ語の世界でなくとも(関連で、1−1−(エス(das es)と純粋経験について)を参照)、我われはエス(das es)に相当する三人称的な一定の環境が司る、ある種の漠としたエトノス空間の中で生を受けるものだと考えて間違いはないだろう。そして、そのヒトの生誕時の無意識的な経験が純粋意識(前意識、潜在意識)である。


この場合の“純粋”は、三人称的な一定の環境(ドイツ語ではdas es)が司るある種の寛容な感情の漠とした流れ(感情構造)が記憶されていることを意味する訳だが、それが特殊な純粋経験を培養するような生誕環境(例えば安倍晋三氏の如く特異な血脈(胎盤) http://goo.gl/WC9xEJ)に置かれたた場合は、いわば一定の作為的エスの支配下で非常に閉鎖的で過剰設計主義的な純粋経験が強制注入される。


言い換えれば、安部晋三氏の場合は「純粋経験の段階」で人格の非常に深い奥底から徹底的に激しく洗脳されたことになるため、やがてそれが成人後になって、異常熟成した政治的イデオローグやカルト宗教的アブノーマル観念等に囚われ易いサイコパスキャラクターの病理として現れたと考えられる。


(日本の国策『原発』にその典型が見られる科学知の限界/人間の限りない欲望の感情が求める先を指し示しつつ、その抑制をも図り得る開放系ユートピア思考たる人文・社会科学系の知性こそが肝要!)


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そもそも「感情構造」(affective structure)とは、ある人の内面世界での様々な思いの連なり、あるいは現実的な一定地域での社会生活における、人と人、人と社会、社会と社会のリアル感情の関わり合いの深化(進化に非ず!)に伴い一定の意味を帯びる塊となって直観されるようになることを指す。


逆説的に言えば、それは“ある言葉や概念の意味規定では、その意味付けが行われた時に関わった人々が抱いた凡ゆる感情が必ずそこへ相互に再移入され続けており、その絶えず更新される意味の規定に対して必ず何らかの影響を及ぼしている”ということだ。しかも、それは必ずしもフレーズ化したコトバや文脈になっているとは限らない。


分かり易い例としては、演劇、文学作品、未来小説またはSFなどで基調として繰り返される事象、あるいは最終的にはそれらが大きな主題として統合される意味でのモチーフがある。生物学では、規則正しく繰り返される装飾模様状の生体の構成単位をモチーフと呼ぶが、音楽でも幾つかの音符ないし休符の特徴的な連なりはモチーフと呼ばれる。


特に、レイモンド・ウイリアムズ(Raymond Henry Williams、1921 – 1988/カルチュラル・スタディーズの祖ともされるウェールズ出身の文学・演劇学者、作家、評論家)は、人間の未生のための想像力の可能性を指し示す絶えざる新たな感情構造の誕生ということを重視している。


従って、当然ながら政治の世界でもそれと同じことが言えるだろう。エンゲルスはユートピア的社会主義(開放系)と科学的社会主義(閉鎖系)の根本的な違いを指摘したが、レイモンド・ウイリアムズの「感情構造」もこの問題に重なってくる。


言い換えれば、批判力としてのユートピア社会主義は未生の感情の深化に対し開放系であるが、同じように見えても科学的社会主義はあくまでも閉鎖系の設計主義に止まるということだ。例えば、それは北朝鮮などで典型事例が見られるが、感情構造の暴走たる権力からの抑圧に対し、それは脆弱である。従って、科学・科学技術に希望を与え続けるのは開放系のユートピア的な思考、つまり人文・社会科学系の知性だと再認識すべきであろう。


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つまり、ユートピア的思考は人間の限りない欲望の感情が求める先を指し示す重要な指標であり続けるので(これはカルチュラルスタディーズの問題意識の原点でもあるが)、それに対し開放系である社会主義的な視点に基づく適切な批判力をこそ重視すべきなのだ。老婆心ながら、決してこれは三流言論の如く左派Vs右派の対決を煽る話ではない!


それはポーランド経済学者オスカル・ランゲ(http://urx.nu/b8j3)が、問題の在り処は資本主義か社会主義かの選択論争ではなく、要は配分問題(付加価値分配/資本⇔労働間の所得弾性値の、まさに紙一重の奪い合いをどう調整するか?)に絞られるということを学説的に証明済みだからでもある。また、この視点は米大統領候補サンダース氏(民主党)が指摘する課題にも重なっている。


(安部政権による、国家財政危機に直結するリスクを無視したアベノミクス失敗の隠蔽)


毎日新聞が<6月20日朝刊・編集長のこだわり(松木健)/参院選公示を控え、安倍首相は19日のネット党首討論で、憲法改正は「選挙で争点とする必要はない」と言いつつも、「次の国会から憲法審査会を動かしていきたい」と表明。「どの条文を変えるかの議論を進めたい」と述べ、衣の下の鎧が見えた。20160620ニュースのとびらhttps://goo.gl/iHtwtD>と、ネットで報じている。


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しかし、ここでの最大の問題は、その最悪の動機<緊急事態付『改憲』の隠れた標的である国家神道の復活>が、アベノミクス失敗の隠蔽を狙いとする参院選対策用の偽装看板の陰に巧妙に隠されており、多数派国民がこれら二つの超リスクがリアルに認識できなくなっていることだ(Cf.自民が単独過半数に迫る 参院選序盤、民進は議席減 自公等の改憲勢力、3分の2うかがう 2016/6/23朝日・毎日・日経ほかhttp://goo.gl/0FQjCC )。


今や「日本の危機的構図」の実像は<安倍首相が明らかに国民の善良な意思(政府への純粋な期待感)を裏切っている>ことにある。つまり、それは『政治的感情構造の病理を罹患したことに因る悪質な犯罪政治(1)緊急事態条項付“改憲”で国家神道を復活する、(2)国家財政危機に直結するリスクを無視してアベノミクス失敗を隠蔽する、の二つを強行する確信犯の意思を安倍政権が巧妙に隠蔽していることだ。


安倍政権に同調するバカリの国内の主要メディア(若干の例外はあるが)はともかく、この安倍政権の二つの犯罪政治について既に海外メディアはズバリ見通している。前者(アベ緊急事態条項付“改憲”の真の目的が「国家神道の復活」であること)については、直前の第2章で述べたので、以下では、後者((2)国家財政危機に直結するリスクを無視したアベノミクス失敗の隠蔽)について触れておく。


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最近、第2次森内閣で金融担当相、第一次安倍内閣で厚労相を務めた柳澤伯夫氏が「国家財政危機リスクを無視してまでアベノミクスの失敗を隠蔽する現下・安倍政権の愚策」を反リフレ派として的確に批判しているが、このことについても疾うに海外メディアと格付機関は厳しい警告を幾度となく発してきた。また、「英EU離脱」で急浮上した『シティVs金融規制派・EU』の問題が象徴する日本自身の国際金融マター(超異常な格差拡大亢進)に対する安部内閣とそれと交尾(つる)む日本メディアの独特の鈍感さも気掛かりである(添付画像)。


また、岩村充・早大大学院教授(元・日銀信用機構・参事)が日銀保有国債の一部、約300兆円(国および地方の長期債務残高の約1/3相当)の「永久債化」(満期を持たない債券化)を提案したのは(これはデフォルト危機を緩和しつつカタストロフを回避するためのやむなき方便?/20160614朝日『波聞風問/編集委員・原真人』http://goo.gl/hv9Naq)、おそらく格付機関フィッチ、海外市場、海外メディアらが、一定範囲での日本長期金利の上昇と超インフレ化への反転を疾うに織り込んだ可能性がある(但し、この永久債化の動きそのものがカタストロフの引き金となる恐れもあるので、よくよく慎重なバランス&信用構築型の対応が日本政府に求められる!)


フィッチは、今回、2年程度の猶予を前提に日本格付けの“見通し”をネガティブに引下げ、格付けは上から6番目のAに据え置いたが、もしもこの猶予期間で具体的な是正が行われなければ今度は実際に格下げとなる!


フィッチは無論のこと海外市場、海外メディアらが、一定範囲の長期金利上昇とインフレ化への反転を織り込んだ可能性があるとはいえ、信用の維持には具体的な政策とのバランスが必須条件となるので、(1)社会保障の確保、格差・分配の是正、(2)成長・生産性の改善、(3)課税・徴税公正化、の三方向に照準をシッカリ定めた明快で正直な財政・経済政策実行への政治的決断が喫緊の重要課題となる。経済を緊急事態付・改憲、国家神道・復活などの隠れ蓑と位置づけたアベノミクス粉飾に拘泥している暇はない!


このような意味で現下の日本の財政・経済状況が今や風前の灯とも思しきリアル危機であるにもかかわらず、安倍政権が未だにアベノミクスの偽装看板(安倍首相は、アベノミクスの更なるギア・アップでヘリコプター・マネーのバラ撒きも(愚かにも更なる財政赤字拡大の強行も)辞さぬ!との余りにも異常な決意?)を掲げて多数派国民層を、参院選対策でも再び騙し洗脳しようとするのはなぜなのか?おそらく、その深層には余りにもリスキーな<「政治的感情構造」の病理>が潜んでいると思われる。


(信濃古代エトノスから日本国民への忠告/それは“愛国のエロスに耽溺する安倍晋三、日本会議、神社本庁らのポピュリズム(民主主語の赤字)と妥協し易い「感情構造の病理」”と、“開放系の知性主義に因る自律的な未来への希望” の差異は紙一重であるということ!) 


[1−3]で見たとおり日本各地の神社等に残る生殖器崇拝(同祭礼)の痕跡が列島全体で見れば“離島”(孤立)化しているが、信濃国では諏訪地方の諏訪大社を中心とする縄文期信仰(生殖器崇拝)と縄文期文化(山岳・狩猟文化)への独特の拘りから、その古代ユーラシア文化圏に発する生殖器崇拝エトノスが観念的に深化し高度化したことで、それが容易に中央権力(弥生文化系)には妥協しない信州人に特有の強固な知性主義を培ってきたと考えられる。そして、このことは[1−1]で取り上げた、長野県出身の出版社・創業者ら出版界、ジャーナリズム界で活躍する人々の夥しい数の多さに端的に表れている。


それは、日本人一般の特徴である只の「弥生・稲作文化的な妥協・融合・融和」(和解の要素もあるが、基本となるのはマアマアで馴れ合い的に長いモノに巻かれながら権力や周囲と擦り合わせること)ではなく、議論を尽くす「和解」によって、つまり先見的知恵や新たな科学・技術等は積極的に取り入れつつも個性的主張や伝統文化は徹底的に保守するという「健全な感情構造」を持つ信州人気質の醸成に繋がったと考えられる。


これはドイツ観念論にも似た流儀であり、あるいは徹頭徹尾のユートピア社会主義(開放系)的な謂いでの強靭(諏訪大社に屹立する巨大御柱の如く強固?)な議論を介して自己の個性的観念と文化、および基本的考え方などと、他者・他国らのそれとの差異を“客観・論理・概念”的に緻密に深化させることが信州人の個性になったと思われる。


これと全く対照的なのが #日本会議、安倍晋三・首相ら「偽エトノスたる国家神道」の取り戻しを必死で謀る人々の“変質者のエロス(関連、後述)”的で異様な精神構造(靖国顕幽論ら追憶のカルト/空想上の神霊的な世界観で天空(そら)高く飛翔し、そのまま彼方の世界へ昇天した感情構造の病理)である。それは、まさに<超閉鎖的な「政治的感情構造」の病理、カルト狂人の世界>とでも言う他はない。


安倍内閣に連なる #日本会議 のメンバー、あるいは神社本庁らと野合する「国家神道の取り戻し狙いの改憲」派や「原発推進」派(偽装神話論理たる原発(ウラニウム・放射能)アニミズム論派)の人々は、まことに驚くべきことだが、「戦前そのままの靖国顕幽論」、「万世一系皇国史観」、「無比の美しい産土でできた世界一美しい神国日本」、「世界に冠たる神国のカミカゼ精神による愛国玉砕戦こそが国家神道の神髄で最高の宗教儀式でもある」などの閉鎖的で異様な観念(愛国のエロスor只の目先主義?w)を未だに後生大事にしている。


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それを前提にアベノミクスも原発推進もヘリコプター・マネーもとばかリに凡ゆる事実上の異常国策が進められている現実を直視すれば、その劣悪な安倍晋三首相のアナクロニズムには、オウム真理教以上の怪しげなカルト時限Bombが潜むことが分かる。しかも、それが日本の近未来へ与える被害の甚大さと深刻さは紛れもなく犯罪的である。


因みに、安倍晋三首相のアナクロニズムとは、追憶のカルトの謂いであるが、それは、日本のエトノスと未来の可能性を破壊する超リスクである。更に換言すれば、それは反知性主義、想像力欠如であり、その異常イデオローグの中核が、生長の家“過激派”たる?青年協議会(トップ= #椛島雄三 ・日本会議事務総長、黒幕=安東巌・全国学生自治体連絡協議会(生長の家過“激派系”極右学生組織)初代書記長)を実働部隊とする #日本会議である。


そして、すでに戦前期において、この種の異常アナクロニズムを「変質者のエロス」(追憶のカルト、なる感情構造の病理)の暴走だと喝破していたのが『古寺巡礼』の著者・和辻哲三であった。しかし、これは日本人一般にも言えるのだが、<この「変質者のエロス」の暴走が、「健全な開放系の信州人の個性となっている知性主義的で強固な感情構造」と大きくかけ離れたもの>だと見るのは却って危険である。


むしろ、これら両者は紙一重のものとして、謙虚な視点でとらえるのが肝心である。それは、前にも少し触れたが、「真の知性主義(例えば、ユートピア社会主義)」と「設計主義(例えば、科学的社会主義)に偏った知性主義」の間には薄皮一枚の差異しかないという歴然たる現実を冷静に見据えることが肝要だということである。


そして、この両者の差異を左右するのが「陰謀論」的な視点の過剰ということだ。無論、怪しげなことを際限なく疑いそれを根底から厳しく批判すること、あるいは自らの批判的「好奇心」を刺激し続けるという意味で、陰謀論的思考にはかなり有意性があるのも確かだ。


が、もし余りにも過剰に特定ターゲットを意識した陰謀論に拘り過ぎると、それは自らの純粋経験レベルの想像力を総動員することと同意でもあるので、みすみす自ら無防備な状態(批判すべき対象側からの洗脳工作)を招き入れるリスクが高まり、却って、無意識のうちに批判すべき相手(対象)方の「純粋経験の感情構造」に回収され易くなる恐れがある。


しかも、それは自分がどれだけ理性的であるか否かという知性(より狭く見れば知能)の有無の問題ではない、というより知的レベルや学歴が高いほどそのリスクが却って高まることが観察されている(オウム真理教事件のケースなどで)。


例えば、終戦時、ポツダム宣言の受諾(天皇の終戦宣言である玉音放送/敗戦の受け入れ)に反対して引起こされた「宮城クーデター(宮中武力占拠)」の首謀者の一人(生長の家“過激派”の信者)となり、近衛師団長森赳中将の殺害に関与した井田正孝・陸軍中佐の事例がある。井田正孝は信州人ではないが、隣接するためエトノス環境を殆んど共有する岐阜県出身である(井田正孝が引起こした宮城クーデター事を中心とする事件の概要は下記◆を参照乞う)。


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生長の家“過激派”の軍人が中心となり引き起こされた「宮城クーデター事件」は、同じ生長の家“穏健派”の軍人らによって鎮圧され、ポツダム宣言の受諾で辛うじて「本土決戦」を免れたというのは終戦時に起こった事実である。


奇しくも、この終戦時の奇跡ともいえる終戦へのプロセスを概観して理解できるのは、いまや再び、その発祥が同じ「生長の家」とされる #日本会議 と、その影響下にある安倍政権によって、日本の近未来の命運の全てが完全に握られてしまったのでは?という疑念の高まりだ。その意味で、日本の終戦(敗戦)は未だ終わっていない。


◆【 #日本会議、#安倍晋三、#電通、#原発 (原発マネー利権)を巡る点と線が浮上!】終戦時「宮城クーデター事件」の首謀者(現在の日本会議に繋がる生長の家“過激派”イデオローグの信奉者たち)の一人である井田正孝(聖戦自爆玉砕テロリズム(このみいくさ)論)を主導した平泉澄の直門)は陸軍省・少佐の時に松代(長野県)“大本営”建設(本土決戦時における天皇の松代への動座を想定)を発案している。戦後の井田正孝は電通に入り総務部長等を勤めた。また、その井田は電通時代にも首尾一貫して本土決戦必須論を主張していたとされる。https://goo.gl/cgIlSA 


(井田正孝の略歴等/ウイキ)

・・・1933年7月、陸軍士官学校(45期)卒・・・途中、略・・・軍務局課員、台湾軍参謀、第10方面軍参謀ら歴任。

・・・1935年頃より東大教授平泉澄の直門として竹下正彦、畑中健二と親交深め1944年1月に大本営移動計画を発案して計画書を提出。大本営の建設場所は松代(長野市)を選定。

・・・終戦時、ポツダム宣言受諾に反対、「宮城事件」首謀者の一人となり近衛師団長森赳中将の殺害に関与。 クーデタは失敗し8月15日に陸軍省で自決の決心をしたが見張りの将校に止められ断念。

・・・戦後は在日米軍司令部戦史課に勤務のあと電通入社、総務部長及び関連会社電通映画社の常務を勤めた。

・・・本土決戦に備えた天皇の松代動座計画は松代に大本営、東京浅川に東部軍収容施設などを建設する予定であったが、この案は東條英機首相の日本政府全体の移動の意向で変更され「本土決戦」(←事実上の総国民玉砕!/補足、toxandoria)へ拡大した。

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