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2005-09-14 小泉劇場で『政府の民営化』が実現した先にあるものとは?

小泉劇場で『政府の民営化』が実現した先にあるものとは?

  「B層戦略」(http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050829/p1)や「刺客戦略」などを駆使して快勝した『小泉劇場』が、実は広告会社シナリオと演出で動いていた(実態は日本政府の民営化であった!)ことが、ウエブを駆け巡る様々な傍証によって次第に明らかにされつつあります。このような『小泉劇場』の展開をウオッチしてきたBlog記事の相互リンクの過程から、特にサウンド・バイトの手法(ワンフレーズ・ポリテクス)を多用する『小泉劇場』の特異な性格(アメリカブッシュ政権に似た一種の神権政治化へ向かいつつあること)が、朧(おぼろ)ながら見えてきたようです(サウンド・バイトについての説明は文末に記した<注記/ジャーナリズムに加わる様々な圧力(バイアス)のチャネル>を参照)。『小泉劇場』における「改革を止めるな!」、「人生イロイロ」、「構造改革なくして成長なし」、「官から民へ」等々のサウンド・バイトとは、・・・言ってみれば、それは「アーメン」や「南無阿弥陀仏」などの呪文のようなものだと思われます。

 参考まで、上に挙げた相互リンク過程の一部を再録しておきます。

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2005-09-12、[瞬間タカオカ]批評的なメディアから(http://d.hatena.ne.jp/takeship/

●「toxandriaの日記」氏の引用から…下記《   》の部分

《ここで使われたのは、いわゆる近代市民社会の理性と感性が創出した手法ではなく、どちらかと言えばヤクザ暴力団等のアンダー・グラウンドな世界で使われる手法です。このような“異界”で尊重されるのは“験(げん=縁起)かつぎ”であり、“神棚へ榊(さかき)を供え、手水を使う禊(みそぎ)”であり、「高位の神職」(小泉首相)の興に乗ったパフォーマンスや「厚化粧の巫女」(刺客の“くのいち”)たちの妖しげなショーを想わせるような舞い振りが示唆するご託宣です。だから、一大神事が終わって神憑りから覚めた今になってみれば、小泉劇場で自分たちが『幻想バブル』に大喝采を送った意味が考えられるようになるにつれて得たいが知れぬ不安な気持ちが広がり始めるのです》。

  「高位の神職」というレトリックがいい。髪振り乱して絶叫しているコイズミは何かに憑かれた人のように映った。「共感した」なんてことではなく、人々はたじろいだのだ。その「人々」には地域や職種や年齢や性別によって様々な分析が出来るだろうけど、総じて高位の後ろに鎮座するさらに怖い権力があると知覚した。別に鎮座している旧来の「個人」ではない。人々も(私も)うまく表現できそうにもないその<怖さ>をすり抜けるべく、当面のコトバとして「カッコイイ」とか「筋が通っている人」とかを口にしたのだ(確かに若い世代ほど好悪の判断が速いが)。かくてとりわけ都市の住民は、あぶなかっしい党、回りくどい党、旧い党への投票行為を避けた。だが、不安は忍び寄るばかりである。この不安とは「お前を殺すぞ!」とかの<生の不安>ではなく<死の不安>なのだ。

  過日の討論会で平野貞夫氏だったかが「総理大臣の権力は魔物なのです」と語っていた。鈴木宗男氏と「近い人物」として各メディアでラスプーチンのように扱われたあげく、逮捕・拘留された元・外交官佐藤優氏も権力の怖ろしさを語っていた。ヤバイと思った氏が外務省上司に身を預ける。どこかの国に「トンズラ掻こう」とするが、ストップされる。結局は「君を守れなくなった」と涙顔で謝ったその外務省高官が指差した方向は「官邸筋」。「誰が」という話ではない。指さした方向には、責任主体を明かさない透明人間の集まり、「官邸筋」という名の見えない権力!合法的に人を葬り去る組織。クワバラ、クワパラ。人々は(心の奥底で)恐怖を押し隠し、当面の一時的な仮託を行ったにすぎない。決して政治的なバカではない。

▲Re.takeshipさま

  リンク・TB&コメントありがとうございます。

  国内で一番の支持率(崇敬)を集め、経済的基盤が大きい神社は、古くから「一の宮」と称されてきました。そこで、国会での絶対安定多数の権力を手にした『小泉神社』の“かんなび”(神憑かっ)た「高位の神職」(小泉首相)は、妖しげな厚化粧の巫女たちを身の周りに侍らせて、愈々、由緒があり(これは無い筈なのだが・・・?)格調高い「靖国神社」配下における「一の宮」(本格的なポルノクラシー政府/娼婦政治による斎の宮))の完成に取り掛かるようです。

  祟りがあると怖いので(?)メディアではあまり積極的に取り上げられませんが、約158億円に及ぶ巨額の政党交付金と無尽蔵に湧き上る国家機密費の湯水の如き使い道にも眼を凝らす必要がありそうです。また、アメリカ・ブッシュ政権のように祭政一致化した神権政治は、高度な隠喩的政治(策)用語を操るようになる(再びB層戦略のような広告会社の知恵に操られて)はずです。そこで、これを批判する国民市民)サイドでも、例えば「多弁な鼻」、「盲目の千里眼」のような濫喩(らんゆ)・諧謔(かいぎゃく)の類を工夫することで“合法的に葬られてたまるか!”という心意気を表明する必要があると思われます。

<注記>ジャーナリズムに加わる様々な圧力(バイアス)のチャネル

  ジャーナリズムには一次元ニュースソース(これが圧力源でもある)に密着しないと有意義な情報が取れないという宿命がつきまとっています。そこで、あくまでも一般論ですが、ジャーナリズムに対する様々な圧力(バイアス)の経路を整理してみると、次のようなもの(★)となります。

 我われ一般市民は、このような形で絶えずマスコミの情報がバイアス(何らかの圧力)を受け、歪んでいるものであることを意識して、必ず、冷静かつ批判的に見る必要があります。民主主義にとっては、この視点が「堤防の小さな水漏れ」(蟻の一穴)を防ぐことに役立つのです。

■「ジャーナリズムの特性」がもたらす、負のバイアス・チャネル

★予算・スポンサー・取材情報源などからの圧力

・・・NHKに限らず、新聞社・民間放送・雑誌などについても絶えず大きな圧力がかかっている。 特に、取材情報源の問題では、政権与党官僚機構によってジャーナリズムが操られるというリスクが付き纏う。結果的に、ジャーナリズムが、政治権力による大衆操作の手段として利用されることになる。

★取材時間の制約

・・・新聞テレビでは締め切り時間、紙面スペース、放送時間などの制約条件によって取材対象や情報源が少数に限定されるという傾向がある。このため、中立・公正な報道姿勢を貫くことが難しくなることがある。

★ビジュアル・プレゼンテーションの限界

・・・特にテレビは“ビジュアル化による分かりやすい表現”と“視聴者の受けが良い映像”を求める傾向がある。ここでは報道される情報の「質」や「正確さ」が犠牲にされることがある。

★サウンド・バイトの制約

・・・ドキュメンタリーやニュース番組では、20〜30秒程度のサウンド・バイトを挿入するという手法が使われるが、前後の関係を無視して挿入されると視聴者に誤解を与えることがある。

(注)サウンド・バイト(sound-bite):ニュース番組などに挿入される、録音(画)されたスピーチ・インタビューからの簡潔で部分的な抜粋。 キャッチコピーのような短い言葉になる。

★イベント志向、センセーショナリズムの弊害

・・・地味で持続的なキャンペーンよりも、一過性のイベント志向やセンセーショナリズム報道になる傾向が強い。キャンペーンや特集報道のピークが終った途端、関連の報道がピタリと姿を消してしまう。これは、ジャーナリズムがコマーシャリズム化して、視聴率と販売部数(売上)重視に傾いているために起こる。

★メディア側における専門知識の不足、情報源の不足など

・・・専門的な知識を持つジャーナリストが少ないので、例えば地球環境問題に関する情報をマスコミは正しく評価できず、公正な真実の報道が行われているとは言えない場合がある。

・・・このため、情報源となる専門家や当局(政策担当者)の発表を鵜呑みにした報道が流される。これは、軍による徹底したメディア・コントロールの下でイラク戦争の報道に取り組んだ従軍記者たちと同じ立場である。

・・・記者クラブ、バン記者、首相のぶら下がり会見(小泉首相が嚆矢)などが行われている現在の日本では、特にこのパターンが政治面で積極的に活用されている。しかし、事前検閲などは民主主義国家として、あるまじきことである。

谷口硝子谷口硝子 2005/09/15 00:10 マスメディアのジャーナリストは、自らの専門性を持って、取材・調査する「自由」すら奪われているのではないでしょうか。ひたすら、デスクなど上司の指示によってのみ、仕事をしているのが現実です。

フリーランスの場合、有名人は若干事情は異なります。しかし無名の場合、「反権力的」な取材・執筆を提案しても、ひたすら却下されるのみ・・・です。

まだ日本は、ジャーナリストが真実を暴露しても、殺されるほどの事態には、至っていませんが、山岡俊介氏の放火事件などもあり、そう安泰ではありません。

気骨のあるジャーナリストがマイノリティであるともいえますが、日本のジャーナリズムは、おっしゃるとおり、大変危機的であることは、間違いありま
せん。

toxandoriatoxandoria 2005/09/15 20:39 谷口硝子さま

コメントありがとうございます。

森田実氏の日誌(9/13付、http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02153.HTML)などを読むと、企業としての日本のマスメディア(テレビ・新聞)は「電通(&博報堂)+保険会社等米系企業」の複合的な支配力の下に完全に組み拉がれた状態のようです。それは、まるで隠然とアメリカ政府を牛耳る「産軍複合体」のようにモンスター化しているようです。

そういえば、総選挙直前1ヶ月ぐらいの間の新聞紙面と民放テレビの放送を思い出してみると、米国系保険会社の全面広告(新聞)とコマーシャル(テレビ)が異常に多かったように思われます。実弾射撃(莫大な広告料の集中攻撃を噛まされた?)があったのかも知れません。

一方、新聞・テレビの政府広報機関化の根源は、記者クラブ(官製談合組織)と機密費クラスター爆弾(強力なゲンナマ爆弾の投下)の存在だと思われます。しかし、記事や報道の内容を100%捻じ曲げることは無理でしょうから、これらの点を十分に考慮しつつマスメディア情報を適切に利用するための対市民メディア・リテラシーが必要かも知れません。

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