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2017-01-04 客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非を問う

toxandoria2017-01-04

客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非を問う意識が日本の命運を分ける/希望は量子論・AI・脳科学らの最先端で必然の流れ「自然・人文科学」融合(コンシリエンス)が生まれつつあること!


f:id:toxandoria:20170104032703j:image:w530 f:id:toxandoria:20170104032735j:image:w530:right

峰の原高原』の冬景色(信州、長野県須坂市仁礼)

・・・[pixpot、信州の霧氷・樹氷「峰の原高原・志賀高原http://www.pixpot.net/articles/u_d_view/304/sinsyu-muhyo/ ]より転載
















プロローグ)ヒエロニムス・ボッス『荊を冠ったキリスト』の意味


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Hieronymus Bosch(ca1460-1516)「Christ Crowned with Thorns」 1500s. Oil on panel 73×59cm National Gallery 、London


f:id:toxandoria:20170104033023j:image:w200:leftマトウラーナとバレーラの名著『知恵の樹』(ちくま学芸文庫http://urx2.nu/AGF8 )は、ヒエロニム・ボッスのこの絵の意味を決定するのは右下にいる人物の描写だと述べる。その男は衣をシッカリ掴んでイエスを地面へ向けて強引に抑えつけているように見える。その人物はイエス(この場合は英知の象徴)の自由を制限し、イエスの注意を自分の方へムリヤリ向けさせようとしており、その男はこんな風に言っている。「さあ、私の言うことを聞いて、私が言うことは絶対に間違いないのだから!」


マトウラーナとバレーラによると、これは「確信の誘惑」と呼ばれる“カルト(非分析的・閉鎖的で客観知を憎む、しかも暗い情動の方へ過剰傾斜した反知性主義的で異常な精神環境(カルトなど)←補足、toxandoria)への誘いの描写”だ。とはいえ、普通、我われ人間が“これは正しいと思う確信の世界にしか生きられぬ弱い存在”であるのは事実であり、“そのこと自体に善し悪しの区別はない”のも現実だ。そこで、その意味での確信的思い込み(人間一般が抱える弱み)のことを、マトウラーナとバレーラは“盲目の孤独”と呼ぶ。


この“盲目の孤独”を乗り越えるため必須となるのが、周辺と生命個体内の自然・社会両環境(エトノス環境/関連参照http://ur2.link/AIgK)との間に形成される“広義の愛に満ちた虚構世界”の広がり、つまり“信用・信頼・交歓・交換”を繋ぐ「観念、感性の両面から成る間主観性」(インテマシーとインテグリティーが調和する社会性/委細、後述)に満ちた世界である。


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Lara Fabian - Pas Sans Toi


1「AIシンギュラリティー信仰」へのアンチテーゼ/量子論・AI・脳科学ら先端研究が暗示する「自然・人文科学」融合(コンシリエンス)の必然性


<注>AIシンギュラリティー信仰

・・・例えば、“まさか(不確実性)”への運任せが前提条件のため確率計算が不可能な安倍内閣の「嵩上げGDP支援によるAI&原発一極利用式バクチ経済政策」などを意味する(Cf.⇒ http://qq1q.biz/AHHH )。


1−1 人文・自然科学融合の地平(1)量子論・AI研究フィールド


<注>人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)の委細についてはコチラを参照!⇒20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L 


(西川アサキの情報基礎論)


f:id:toxandoria:20170104033437j:image:w250:right西川アサキ(東大大学院情報学環助教/基礎情報学、AI研究・情報哲学者)は、著書『魂と体、脳』(講談社選書メチエ)で人間の意識をクオリアと呼び、それは「内外世界の認識力、意思(志)、理解・共感力、知識などを総合したもので、かつ対外部的に秘密(私的かつ入れ子的に幾重にも内向)化する性質の脳の統合作用」と説明しているが、興味深いのはこの理解の後段の部分の「対外部的に秘密化(過激なまで暗く内向化)する性質」である。


それは、(第3章−1)で後述するトマス・カスリス「インテマシー/インテグリティー」論の「神道スピリチュアリティー」(真珠湾奇襲攻撃を端緒として、日本を太平洋戦争の悲劇的プロセスへ連れ込む主な原因となったマイナー精神環境の内側の暗部、いわば国家神道の核心である靖国『顕幽論』(委細、後述))と強く共鳴するものがあるからだ。


つまり、カスリスが、「先史時代〜奈良遷都までの古神道期の神道スピリチュアリティー」と「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー」は全く別物と見るべきだと主張するとおりで、西川アサキが定義する人間のクオリア内部の「対外部的に暗く秘密化する性質」が極限まで内向(過激なまで秘密化)したものが日本会議神社本庁安倍晋三らに取り憑く「追憶のカルト」((a)“国民主権”削除、“象徴天皇制”廃止、“国家神道/靖国軍神”復活等が前提の改憲、と(b)敗戦否定et al.)の正体ではないか?と考えられる訳だ。


(a)については、「自民党改憲草案」があからさまに書いているので、一般にも徐々に知られつつあるのだが、(b)安倍晋三・首相らの敗戦否定のホンネについては、今のところ表面的な取り繕いと安倍政権に迎合するメディアプロパガンダ(↓★1)が功を奏しており、一部の海外知識人らの「安倍晋三・首相らの危うい発言(敗戦否定を過去に明言した事実)についての厳しい指摘と警告」(↓★2)にもかかわらず、まことに残念ながら此の点に関する危機意識を多数派の国民層は殆ど持っていない。


★1 「アリガトウ」96歳の元米兵、安倍首相とハグ(「日米関係の"癒しの頂点"だ」 安倍首相の真珠湾訪問、海外メディアが好意的に伝える(NY.Timesなどは謝罪の言葉ナシ、と報じているが?)/Huff.P. 日本版)20161228朝日、http://qq1q.biz/AHHQ


★2 オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識(の正体とホンネ)を問うSunday, December 25, 2016/Oliver Stone and internatonal scholars and activists send an Open Letter to Prime Minister Abe on the eve of his Pearl Harbor visit.  http://qq1q.biz/AHHR


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ところで、西川アサキは、<基礎情報学理論、哲学[特にジル・ドゥルーズ(1925-1995/数学的素養がある哲学者)のライプニッツ論『襞』]、科学哲学[特にG.W.ライプニッツ(1646-1716/哲学・科学哲学・数学者)のモナド論]>、および<AIシュミレーションが日々にもたらしつつある新たな知見・発見>を結合する思考実験(科学原理に反しないことを前提に行われる論理思考)で、まことに興味深い複数の「社会心理学上の、あるいは政治学上の未来に関わる新たな可能性(希望の方向性)」を推論している。それらの中から、特に興味深い三点を以下に紹介しておく。


(1)「意識が生まれる瞬間」についての重要な推論/西川アサキは、最大の関心事がAIロボット内で生まれる可能性がある「わたし」(つまり意識)の問題だとしているが、現時点でその「わたし」は(a)自己組織化させる、(b)研究者(orプログラマー)が外部からプログラムする、という二つの方向からのアプローチが進んでいる。最新のAIを駆使した「意識」発生の瞬間のシミュレーションでは、最小単位の構造を支えるプログラム・モジュール(そこに至る前段プロセスでは、脳内ニューロンネットワークでもそうであるが、実に夥しい数の“デッドロック・ペア”( 堂々巡り に嵌った最小単位の論理回路)が出現する。そして、意識発生の瞬間(志向性が決まる瞬間)には「デッドロックで対峙する二組の最小単位のモジュール(二組のデッドロック・ペア)が双方の能力(夫々が相手方の中に自らの欠損(不足している点)の補完を期待しつつ求める能力)に関わる未来への信用(確率論的な意味での信用)」が基本となって相互作用していることが分かってきた。


・・・上の図は、同書の中に掲載されている川人光男著「脳の計算理論」(川人光男/国際電気通信基礎技術研究所・所長、http://ur2.link/AIgR)にある「川人の自我モデル」の部分転載である。


・・・西川アサキが言う「デッドロック・ペア」は右端の二対のモジュール・モデルで、そのうち左側の順(ベクトル)モデルは「自分が属する脳の動きのシュミレーション」(知覚や体験を仮に創り出すキャッシュ(一時記憶的)動作)、右側の逆(ベクトル)モデルは「自分の属する脳の動作規則の抽出」(世界と自分は、今このような構造を持っているはずだ、という信念を創り出す動作/これが意識化の第一歩、自我創成への入り口?)ということになる。


・・・西川アサキによれば、左側の順モデルのペアは、お互いの能力を必要とするからこそ動きがとれずデッドロックしているが、外部からプログラマーが仮の「信用」を与えると(未だ、この部分(デッドロック解除のプロセス)の自己創出は実現していない)、「たとえ矛盾が起きても何回かのやりとりのなかで何とかなる」という「未来への信用」が双方で創出され、そのデッドロックは解消されて右端の逆(ベクトル)モデルのペアが創出される。このプロセスと、以下に述べる「リスク(確率計算が可能)と不確実性(同計算が不可能な“まさか”の世界)の違い」の問題は、ダ―ウイン進化論の限界(矛盾点)を補完すると考えられる<「進化論的軍拡競争」と「(生物種の)永続性の原理(仮説)/人文・科学両「知」融合(コンシリエンス)の地平で立ち上がる原理!」>(下記★3、参照)にも関わってくる可能性があると思われる。



★3【進化論的軍拡競争、永続性の原理】を無視する<“日本会議”指南、無謀「軍拡競争」の意思>を隠蔽する悪徳工作の一環! ⇒ 安倍晋三首相「パールハーバーは和解の象徴」20161228産経フォトhttp://ur0.biz/AGbk

f:id:toxandoria:20170104034658j:image:w360:right・・・「進化論的軍拡競争」は、カッコウやホトトギスなどの鳥がオオヨシキリなどの巣に卵を産んで育てさせる「鳥の托卵」の研究から、「托卵されたオオヨシキリがその托卵された卵を巣の外に捨てたり、あるいは逆に托卵した卵が巣の外へ捨てられないよう、カッコウやホトトギスがオオヨシキリに似た卵を産んで托卵したりする」ようになる「リスク分散の行為」であることが確認されている。


・・・この「進化論的軍拡競争」や「一つの巣の中に必ず1〜2割出現する、普通の状態では一切働かない怠け者アリの存在(働きアリが力尽きた時に働き出しバッファ役を担う)」などが、いずれもダ―ウイン進化論と矛盾しないことが理解されてきたため、ダ―ウイン進化論を包摂する上位概念として仮説されているのが「永続性の原理」(結局、“エトノス環境と調和しつつ自らの種の永続性を最重視し行動する生物”だけが絶滅を免れるという原理!:長谷川英祐・北大大学院農学研究院・准教授/関連参照⇒http://urx2.nu/AGL5 )。


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<注>自動掃除機(ロボット)への応用で実用化に成功した米国ロボット工学者ロドニー・ブルックスが作ったAI「ゲンギス」(http://urx2.nu/AGL7 )は、そのタスクを極めて単純なものに絞った自己組織化の成功事例なので、「意識の自己創成」過程を研究する、上で取り上げた「川人の自我モデル」のシュミレーション回路とは異質の「脳を持たず、神経ネットワークのみで環境から学習する包摂アーキテクチャ」である。


・・・


・・・因みに、この「信用」の問題で重要となるのが西川アサキによる「リスク(確率計算が可能)と不確実性(同計算が不可能な“まさ”かの世界)の違い」を理解することである。つまり、リスクは一定の確率計算が可能な予測(推計)であるので、その確率分布に応じてある程度の「信用」(必要とする相手の能力への期待)が関係者の間に生まれるが、不確実性とは、例えば現下・日本の安倍政権が「アベノミクス失敗を認めず、次から次へと繰り出す弥縫策」の連続で、あるいは「まさか男、米トランプ大統領の登場」で、日本と世界が“まさか”の混沌化(先が読めない不幸な状況)に深く嵌りつつあるが如きことである(Cf. ⇒ 安倍内閣と多数派国民が失敗アベノミクス直視を忌避するのは何故http://urx2.nu/AGLx )。


・・・また、この<意識が生まれる瞬間>に必須となる「未来への信用」は、後述する西垣 通(東京経済大学教授、前東京大学大学院情報学環教授/基礎情報学)の「ネットによる集合知民主主義の統合モデル/HACS(階層的自律コミュニケーションシステム)」および金井良太(意識の研究で国際的に活躍する認知神経科学・脳科学者、アラヤ・ブレイン・イメージングCEO)の「脳の構造に本能的感覚(但し、おそらく進化論的プロセスで蓄積した!)として備わっている倫理観」との関連性があると考えられる。


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(2)同じ不確実性でも、例えばEU統合のような“『権限⇔権限』関係を包括する入れ子モナドロジー的な囲い込み環境”に因る内在リスクを前提する不確実性の場合のAIシュミレーションでは、意外にも共可能性(共存と常識を支持する多数派集団(社会))が現れ、それを前提しない場合では逆にデッドロック(対応・処理不能の堂々巡り)状態が観察される。


・・・Cf.1 20171204日本経済新聞に森井裕一氏による遠藤乾著『欧州複合危機』の書評が掲載された。「来年は独仏でEUの将来をも決め得る選挙の年となる。中間層を納得させながら国際環境の変化に対応する政策を展開する時間は独仏やEUに残されているのか」20161219@中公新書http://qq1q.biz/AHLp 


・・・Cf.2 脳科学者・金井良太(委細、後述)の『政治的信条に関わる脳構造』(著書『脳に刻まれたモラルの起源』収録)の脳の情動部位に関する観察によれば、極右・超保守派は恐怖心や臆病な性質との相関が高く、逆にリベラル派は太っ腹や鷹揚な性質との相関が高いことが観察されている、ことは興味深い!(苦w)



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(3)【人間社会における、「リアル支配力」と実存重視の「知性主義」は基本的に無関係であることを再認識すべき!/ライプニッツのモナド論を取り込んだAIシュミレーションでは、仮想エージェントが多数派に対して「同調する振る舞い」が観察されるが、より驚くべきは、同じことが自然界の原子・分子レベルでも起こっていることだ!】


・・・Cf.1 因みに、自然現象ではベクトルに任せ放置すると、人間社会の虐殺へ至るプロセスとソックリのこと、例えば相転移現象が起こる。しかし、個々人が自由意思を持つ人間社会では、どんな環境下でも最後の瞬間まで誰も奪うことができない精神の自由(実存選択の意思)が残されている(フランクル『夜と霧』)。よって、人間は無機質な原子・分子の世界とは異なることを最認識すべき!そして、このような知見に立ちつつ改めて「堕落した日本メディア」の役割を問い直すべし!


・・・Cf.2 森千香子『排除と抵抗の郊外/フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』(第16回大佛次郎論壇賞)は西川アサキ『魂と体、脳』と併せ読むべき(困難な問題でこそ人間は多数派に同調する傾向がある。それは伊坂幸太郎『マリアビートル』にヒントを得てライプニッツ・モナド論を取り込んだ西川アサキのAIシュミレーションでも観察される/ 虐殺はなぜ起こるか?を考えさせる西川アサキのAI シュミレーションの意義!)、そして森千香子氏の観察は今こそ全ての人々が理解すべき重要な人間社会の現実!20161220只のオッサンhttp://ur0.biz/AGcL 


・・・Cf.3 森千香子さんが『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』で第16回大佛次郎論壇賞を受賞。おめでとうございます!弊社からは『国境政策のパラドクス』『排外主義を問い直す』(共に編著)が刊行されています。@勁草書房編集部 http://ur0.biz/AGcM


(関連情報)


◆SNSは「噓ニュースとデマ情報の濃霧」に巻込まれ、既存メディアは「信頼性劣化とトランプ式“まさか”無責任orパノプティコン権力」らの小道具取扱い化の壁にぶつかりデッドロック!これからの要は、市民意識・SNS・既存メディアのAI活用による融合 → 新メディア創造、の方向へ向かうのでは?20170104@只のオッサン RT to @‏@ikinahito123/メディアの主役は明らかにソーシャルメディアだが、信頼性の高い新聞社などは、情報の正確さで勝負できるはず。・・・【断絶を超えて】3)拝啓ツイッター大統領様:20170104日本経済新聞/名門紙が戦う脅威 米国を代表する有力紙ワシントン・ポストの本社7階。紙が散らばる昔ながらの編集局はない。サイト訪問者数、記事閲覧数……。編集局の中央の大型モニターに様々な分析データが並ぶ。ニュースが今、どうネット上で読まれているか。編集者は刻一刻と変わるデータを横目にスマートフォンで見やすい「画面づくり」にエンジニアらと知恵を絞る。ポストが米アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏を社主に迎えたのは3年前・・・https://twitter.com/hanachancause/status/816553740920422401 


・・・


(西垣 通の情報基礎論)


f:id:toxandoria:20170104040310j:image:w220:left西垣 通著『ネット社会の正義とは何か』(角川選書)によると、軽く考えれば一見同じように見えるシステムである生命体と機械の決定的な違いを明快に示してみせたのがチリの生物学者ウンベルト・マトウラーナとフランシスコ・バレーラが1970〜80年代に提唱した「オートポイエーシス(自己創出理論/Autopoiesis)」である(関連参照⇒プロローグ/ヒエロニムス・ボッス『荊を冠ったキリスト』の意味)。


これは生命体が自分自身を創り出す(個体で見れば子孫を残す)ことを意味するが、脳細胞と脳内の記憶も、同じく過去の記憶をもとにして更新・蓄積されてゆく。それに対して機械システムの一種であるコンピューターは、人間の誰かが設計し、回路を組み立て、プログラムを組み込んだものである。従って、機械はそれに対してアロポイエティック・システム(allopoietic system/alloは(外部から挿入される“他者・異物”の意味)と呼ばれる。


然るに、例えば米国のロボット工学者ブルックス、西川アサキ、川人光男(以上、既述)あるいは後述の金井良太らAI関連フィールドの先端研究によって、Autopoiesisである人間(の意識)とAIマシン(の意識)の違い(差異)が分からなくなる?という議論が出始めており、それどころか、そのトレンドのなかで最も急進的なのがレイ・カーツワイル(関連参照⇒『AIを巡る楽観論と悲観論のジレンマ』http://urx2.nu/AGN7 )のシンギュラリティー(AIが人間の知能を超える)論だ。果たして、AIマシンは人間を超えて神的な存在となり得るのだろうか?(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFCb


が、西垣 通はそうはならないだろうと見ており、それよりも最適解がある一定の社会・政治的テーマに絞ったHACS(階層的自律コミュニケーション・システム/ネットによる集合知民主主義の統合モデル)による国民層の多様な「集合知」の発見と活用に更に取り組むべきだとしている(Cf.⇒ http://u0u1.net/AFEu )。それは、未だにSNS(ツイッター、フェイスブックなど)の活用の殆どが<商用広報or同好会的親睦ツール、うっぷん晴らし発言の場、果てはウソ・ニュース発信源、非正規データベース化した非文脈的情報の氾濫>などの段階に留まっている現状であり、主要メディアの代替役も未だ道遠しであるからだ。


因みに、同書のなかでの西垣の議論で最も注視すべきと思われるのは下の二点である。


(1)そもそも、従来の自然言語(話し言葉と文字や記号として書かれる書き言葉)もデジタル(変換)言語(DB(データベース)レベルで言えば、正規DBと非正規DB)も同じ「機械語」であるという発想転換が先ず肝要だ!(正規DB=特定の目的で収集し体系化されたもの、例えば住所録・電話帳・顧客情報ら/非正規DB=ツイート、メール内容などWebに氾濫する断片情報を集めたDB(一般のまとめサイトも此処に入る)で、嘘ニュース、悪質デマ、陰謀工作ネタ等の情報源に使われる可能性が高い)


(2)「AIの知(仮に、近未来においてAI意識が創出される?としても)」と「人間の知(文脈的・エトノス環境的意識)」の違いを理解するには、先ず西欧中世の「決疑論」と近代啓蒙主義における「観念的な間主観性」意識の発達&共有化(これが政教分離原則、議会制民主主義、現代憲法、現代の司法・裁判制度、あるいは近代以降のジャーナリズムの成立などに繋がった)の問題についての理解が重要! ⇒ この視点が基礎情報学で言うネオ・フィードバックシステム(機械内部のフィードバック処理回路を越えた人間社会、人間の歴史、自然・生命環境の全体、すなわち内外の全エトノス環境と相互交流する意味での新しいフィードバックシステム)の概念である!


まず(1)の問題であるが、人間が古来馴染んできた自然言語であってもそれが書物に記されると、途端にその意味内容は潜在化し、いったん機械情報化する。すなわち、その意味ではデジタル(変換)言語も自然言語も同じである(そこにある差異は書物等とコンピューターという、書き言葉、話し言葉などの“情報”を収容するツールの違いだけ!)。


だからこそ我々は“書物・本・文書・言明などを(自分の意思、常識、あるいは権威ある一定の倫理・哲学的解釈、学説、科学合理的知見、司法判断らに照らしつつ)文脈的に読み解く”という表現を使っている訳だ。当然ながら、この意味で(1)と(2)は深く繋がっていることになるし、また、このような視点は「ヒューバート・ドレイファス人工知能に対して鋭い哲学的批判を続ける米国の哲学者)のコンピューター批判」にも通じるものがある!(関連参照↓◆)


◆“人間のAIと異なる高度な読解力(エトノス&歴史意識)”の再発見がカギ、そこで目指すべきは人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス/consilience)による啓蒙主義ルネサンス!20161107toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH4L 


因みに、(2)の「決疑論」(casuistry)について少し触れておくと、その原義はローマ・カトリック教会の教父に与えられた「善悪を判断するための、告解(神の赦しを得るための告白)の際の指針」のことであり、それは中世のスコラ学で特に重視された。やがて近代(16世紀〜17世紀)になると個人の道徳的な判断への指針の説明として発達し、やがて特に西欧ではそれが小説の各ジャンル(多様で豊富な文脈的フィクションを固定化する文学技法)を発達させることになった。


また、この「決疑論」を一定の言説(ある学説・司法判断・常識的解釈など)についての文脈的理解という観点から、欧州社会を歴史的・俯瞰的に概観すると非常に興味深いことが見えてくる。それは、混沌の時代→政教(祭政)一致権力の時代→双方(教皇権・皇帝(王)権)権力抗争の時代→ローマ法・教会法・決疑論が鼎立の時代(〜16世紀頃)→近代啓蒙主義時代→政教分離と現代憲法成立、という「宗教権威・政治権力・司法に関わる三つ巴の絡み合い(権威⇔権力闘争)の文脈的理解の発展プロセスが、殆どソックリ人間一般の歴史に重なって見えてくるということだ。


おそらく此のことと関連すると思われるが、西垣 通は、同じ情報基礎論の西川アサキが<人間社会についてのAIシュミレーションで、仮に全ての個人を完全開放系(司法の威信が激劣化した社会環境)へ投げ入れると仮説したところ、その社会が一気に不安定化して「行政独裁⇔アナーキー無政府状態)」の間を激しく彷徨する恐るべきループの罠に嵌る社会現象>を観察したと報告している。


1−2 人文・自然科学融合の地平(2)脳科学(+AI)研究フィールド 


『脳の多層的な情報処理機構を取り入れたディープニューラルネットは、ビッグデータの蓄積と普及に伴って、人工知能研究に革命をもたらしています。しかし、 意味の理解や自発的行動といった生物が持つ自然な知能を実現するには依然として程遠いのが現状です。本研究では、意識と脳に関する理論的研究を援用することで、人工システムに主観的感覚や意志を実装し、実生活環境での多様なデータの処理に活用することを目指します。(金井良太:Araya Brain Imagingの活動について』http://qq1q.biz/AHM0 より転載)


・・・


f:id:toxandoria:20170104042334j:image:w250:leftベンチャー、Araya Brain Imaging(http://www.araya.org/ )で脳科学者の立場からAI「人工意識」の開発に取り組む金井良太(脳神経科学者/サセックス大学准教授、アラヤ・ブレイン・イメージングCEO)の著書『脳に刻まれたモラルの起源/人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店)によると、人間の脳の構造に「本能的な感覚としての倫理観を司る部位」(おそらく進化論的プロセスで蓄積!)があることなど極めて重要な事実が確かめられつつある。


f:id:toxandoria:20170104042444p:image:w600f:id:toxandoria:20170104042521p:image:w750


そして、このことが科学的・客観的に確認されれば(そうなる可能性は非常に高い!)、ジェレミ・ベンサムの功利主義に基づいて「最大多数の最大幸福を求める経済合理性」の問題が、それほど単純なものではないこと(→その終着点が自由原理主義で本当に良いのか?)が説明できることになりそうだ。そこで、この問題と関連するくだりを同書から以下に部分転載しておく。


・・・人間は、他人と共感し合い信頼関係をもつことで、幸福感を得る。そして、モラルファウンデーションの感情のように、自然と他人を傷つけたくない気持ちや、穢れを身の回りから遠ざけたいという感覚が、脳には生まれつき備わっている(Moral foundations theory/ http://urx2.nu/AGNu )。そのため、自分の不利益になるような状況でも、他人や社会のために行動を起こすことがある。お金を儲けることよりも、世の中に貢献したいという気持ちは、欺瞞ではなく人間らしい本能的感情の一種である。また、その延長でエウダイモニア(eudaimonia/幸福を意味するギリシア語/原義は各個人の守護神となる、よき euダイモン daimōnに守られている状態のことだが、 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで魂のうちの理性的部分の活動、すなわち純粋に観照的な生活をエウダイモニアとみなしてこれを最高善に位置づけた。http://ur0.biz/AG4m )のような自分の能力を発揮して徳のある行動をしたいという欲求があり、人はそこに生きがいを見出す。・・・ 


因みに、金井良太(Araya Brain Imaging)の手法でネットワーク内部の情報の統合を定量化(意識のモデル構造が把握)できたとしても、それが人間並みの個性を身につけられるか否かの問題は永遠に残ると考えられる。無論、金井良太の挑戦はそんなことは十二分に承知していると思われる。むしろ、おそらく西川アサキが指摘するとおりで、スピノザが積み残した「そのモナド論の未来が不在であること」(西川アサキと異なり、スピノザは未来時間もその全てがモナド内に入っていると考えた)と関係する。


つまり、殆ど無限に近い大・中・小の意識内容のズレが遍く常在することこそが人間個々人の個性(未来へ向かう時間の流れに沿った内外のリアル・エトノス環境と永遠に?共鳴する状況)を創り出しており、その個々の人間の<只一回性(一期一会)の個性>のエンドレスの創発こそが、我々人類の未来であるからに他ならない(エトノスの委細はコチラ参照⇒http://qq1q.biz/AHMh )。


なお、この種の人間の近未来に関わる論点は、[1−2 人文・自然科学融合の地平(1)量子論・AI研究フィールド・・・/★3 ダ―ウイン進化論の限界(矛盾点)を補完すると考えられる、「進化論的軍拡競争」と「(生物種の)永続性の原理(仮説)=人文・科学両「知」融合の地平で立ち上がる新たな原理]と奥底で深く関わることになると思われる。


2 日本会議・神社本庁らが国民の無意識層で再発現させた戦前型「客観“知”への激しい憎しみ」、それは異常な平田篤胤仕込の「顕幽論」(インテマシ―過剰)


・・・文化の特徴を仕切る二つの重要な視点/インテマシーとインテグリティー(トマス・カスリスの独創的な用語から学ぶべきこと)・・・


f:id:toxandoria:20170104173111j:image:w250:left後述する著書『神道』(ちくま学芸文庫、2014/原著『Shinto:The Way Home、2014)より先にトマス・カスリスは原著『インテマシーあるいはインテグリティー/哲学と文化的差異』(法政大学出版、翻訳版2016/原著『Intemacy or Integrity、2002』を著している。ところで、その用語インテマシーに「親密さ」という辞書的な一般的訳語を、同じくインテグリティーに「完全無欠の状態」の訳語を当てはめ、一応事足れりでは大きな誤解を招くことになる。しかも、現実的に両者の概念を短く表現するのは容易なことではなく、ならば、これを正確に理解するには同書を読むしかないということになる。(苦w)


そこで、同書の解説なども敢えて無視しつつ、カスリスがこの本を書いた主要な目的(それは西欧文化と東洋文化の最もベーシックな差異について考えることであり、特に前者と日本文化との差異は何か?について深く考察することであると思われるので、敢えて、独断的な訳語を当てはめてみる。また、特に留意すべきは、同書が後にカスリスが著すことになる『神道』(原著)の伏線ではないかと思われることだ。


以上から、ここでは両用語の概念を分かり易くするため「インテマシー:非分析的感性に基づく共感優先の文化指向性」、「インテグリティー:分析的感性に基づく契約概念的な文化指向性」という仮訳語を当てはめる。また、同書のなかで、インテマシーについてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出すると以下の通りである。


・・・ラテン語における語源が喚起するイメージに従うと、インテマシーとは、心に秘めたもの(intimus)を親しい友人(intimusないしintima)に打ちあける(intimare)ことである。換言すればインテマシーとは、つまるところ心の奥底にあるものを分かち合うことなのだ。そして、これと同じようなことは、例えばある生態系における植物相と動物相のあいだ、あるいは素粒子物理学における物質とエネルギーの間のインテミットな関係としても考えることができる。(驚くべきことに、量子生物学の分野では既にこのような考え方の科学研究手法が採られている!←補足、toxandoria)・・・


また、インテグリティーついてカスリスが最も簡潔に表現している箇所を抽出すると以下の通りである(以下は、一部をアレンジして転載)。


・・・ものの世界でのインテグリティーの事例を挙げるならば、例えば海中における水と塩の関係、つまり両者はどのような点で異なっており、かつ関係し影響し合っているか?というようなことだ。人間の場合のインテグリティーでは、例えば自己充足的なアイデンティティーを備えている(各々が立派な人格を備えた人である場合の)人間関係は美徳であり、それは基本的に堕落したり無節操になったりせず、ある一定の行動規範や普遍的価値観を前提に分析的に行動し関係者双方による契約関係を尊重することになる、というようなことだ。・・・ 


そして、東洋文化に比べると一般に西欧文化はインテグリティー的な文化指向性へ大きく傾斜しており、特に日本文化はその逆のインテマシー的な傾向が強く、又それこそが西欧文化とは本質的に異なるという意味で優れた日本伝統文化の基盤を形成しているとカスリスは見ている。



f:id:toxandoria:20170104043441j:image:w180 [この絵は老女か若い女か?]

但し、ここで留意すべきは、東洋文化と西欧文化が夫々100%近くまでインテマシーないしはインテグリティーの指向性に占有されているのではなく、両文化は共にこれら二つの要素(異なる指向性)を併せ持っており、その両成分(二つの自然・社会・感性的な空気)は絶えずせめぎ合いながら行きつ戻りつの振動を繰り返す状態にあるという点だ。この両者の関係についてカスリスは、ゲシュタルト心理学の「図と地の違いを説明する絵」を引き合いに出して説明する。


つまり、インテマシーとインテグリティーの差異は、その時に、その絵を見た人(西欧人か、東洋人か、あるいは日本人か)の関心が何処にあるかの違いだという訳だ。当然ながら関心の有無によって同じ絵は「異なる絵」に見える(地と図が反転する)。だからこそ、異文化は初めからすんなりと外国人には理解されにくいということになるし、逆に言えば、からこそ、異文化が交流し、双方が理解し合うのも可能だということにもなる。


また、カスリスは日本文化のインテマシー優勢の文化指向性がホログラフィカルでアニミズム的な世界観を形成し易いことを指摘している。ホログラフィカルな世界観とは、部分と全体が入れ子構造(このカスリスの発想自体が西欧的な科学哲学的なもので、それは西川アサキが取り上げたライプニッツのモナドロジーを連想させる!)になった不思議な世界観である。そして、日本文化には、例えば神社の鳥居や注連縄がそうであるのだが、これら鳥居や注連縄は包括的な神道の世界(古来の神道スピリチュアリティー/委細、後述)への入り口の機能を果たしている。


因みに、カスリスによれば、日本人の特徴であるインテマシーを代表する神道スピリチュアリティーは「自己の外へ出るのではなく世界観をホログラフィカルに内部へ没入させよ!」と強く要求する傾向があり、それが客観「知」の分析に因る契約ならぬ感情の最も暗い部分への無限の沈潜となって、遂には古来日本の大和魂の如く「天皇(国体)のための自死」が「自己犠牲⇒完全な自己保存体観念」へとホログラフィカルに反転する傾向が観察される。


従って、この点は日本文化のアキレス腱として冷静に理解する必要があるだろう。但し、関連することは次章以降で詳述するが、著書『神道』のなかで、カスリスは「古来の神道スピリチュアリティー」と「1801年(本居宣長の死)以降の政治的に創作されたイデオロギーとしての神道スピリチュアリティー」を明確に分けて考えており、ここでのアキレス腱の指摘は後者のことである(カスリスは、この二つの他に“実存的スピリチュアリティー”も指摘する/委細、後述)。


(参考情報)


◆【報告】トマス・カスリス教授講演会2016.08.25 中島隆博、川村覚文ほか、文責:金景彩(東京大学大学院・UTCP)http://urx3.nu/AH4k


3 多数派日本国民が共有する「神道」に関わる誤解/トマス・カスリス著『神道』の警告


3−1 神道的スピリチュアリティーと実存神道


f:id:toxandoria:20170104043941j:image:w250:right米国における日本思想・宗教・神道研究の第一人者であるトマス・カスリスは、一般的な意味での経典を説く「宗教/唱導宗教」(religion)とスピリチュアリティー(特に、特別の経典を持たない神道のSpiritualityには自然界に潜む超越的なものを感じ取るというリアリズム感覚が存在する)を厳密に区別することから著書『神道』(ちくま学芸文庫、2014/原著『Shinto:The Way Home、2014』)を書き始めている(第1章)。


また、神道はこの古(古代)神道由来の(1)「本質的な神道的スピリチュアリティー」とは別に、これとは全く異質な二つの特徴的な側面があり、それは(2)「実存的スピリチュアリティー」と(3)「1801年(本居宣長の死)以降に政治的に工作され、日本を太平洋戦争の悲劇(惨禍)へ連れ込み、今や再び小泉首相靖国参拝(2002)で蘇生し、現下の安倍政権がその完全取り戻しを謀る人工的スピリチュアリティー(追憶のカルト/教条的な異常イデオローグ)」のことである(←注記、人工的スピリチュアリティー(追憶のカルト)はtoxandoriaの説明的な補足)。


ここで言う「実存」は、哲学一般で言う実存(サルトルらを連想させる、本質に対し現実の重視を説く説)とは些か異なる使い方になるが、いわば歴史的に神道に纏わってきた“日常に関わる土俗信仰的な生活の知恵”ないしは“密教呪術的な政治技術”と言うような意味での実存性ということだ。


前者は、通過儀礼等での日常生活における国民一般の御利益感覚を考えれば分かり易く(今の我々も殆どこの感覚で神社を訪ねているはずだ)、後者については神仏習合時代の神道(密教曼荼羅を取り入れた両部神道、http://u0u0.net/ABAI)が、密教の呪術を政敵への呪詛や戦争の勝利祈願などで活用したことを想起すればよいだろう。


また、そもそも(1)「先史時代〜794年(奈良遷都までの古神道)の神道スピリチュアリティー」と(3)「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー(政治的作為で創られた)」は全く別物と見なすべきだとカスリスは主張するが、この点についてtoxandoriaは大いに共鳴する((2)は実存的な神道スピリチュアリティー)。


それは、後者のスピリチュアリティー(3)が、結局は、現下の<安倍政権と日本会議・神社本庁らによる「国家神道」復活工作(全国神社の本宗に相応しく伊勢神宮へ戦前並みの「国家財政支援」を実現すること、および靖国神社の本格的な国策軍神&英霊神社化、そしてそのための改憲を)謀ること)の動因となっている、狂信カルト(篤胤・顕幽論)一色に染まる異常イデオローグ>にまで繋がるからだ。


従って、前者のスピリチュアリティー(1)、つまり<日本の恵まれた自然環境(および、その地質学的特徴から古来たびたび列島を襲った大地震・津波・台風襲来などへの怖れの観念)と呼応しつつ先史時代からの長大な自然史と、そのエトノス環境(内外およびマクロ・ミクロの複合的な観点から自然・人文・社会環境を包括的に直観する観念)の中で生きてきた日本人がそのエトノス(自己の体内環境も含む大自然)の中にカミを感じ、その同じカミへの怖れの心を最も大切にする>というプロセスで育まれた感性が後者(3)と全く異なるのは明らかである。


ともかくも、カスリスの著書『神道』は、これら二つのスピリチュアリティー神道(1、3)と実存神道(御利益&政治技術的神道、2の実存的スピリチュアリティー神道)の二面性(厳密に言えば、三面性!)が複雑に絡み合い、重なり合いつつ神道の歴史、ひいては日本の歴史そのもの、あるいは日本文化と政治権力の変遷史を形成してきたという、きわめて日本的な特徴を明らかにしたことになる。


f:id:toxandoria:20170104044101p:image:w400:leftそして、特に注意して観察すべきなのが(3)「終戦期までに及ぶ1801年(本居宣長の死)以降の神道スピリチュアリティー」が幕末期以降の日本近・現代史と重なる部分だ。それは、この(3)の人為的・政治的な神道スピリチュアリティーこそが戦前日本のナショナリズム、神聖「国体」論(天皇現人神論)、積極戦争植民地主義、強靭「軍国主義」、そしてカミカゼ特攻隊(自爆戦強制)の悲劇、ひいては数千万にも上る外国人・戦争被害者、200万余の日本人・戦没者、広島・長崎の原爆惨禍など、日本国民を大きな悲劇の道へ追い立てる精神的エンジンを提供することになったからだ。















(関連情報)


f:id:toxandoria:20170104044621p:image:w500f:id:toxandoria:20170104173534p:image:w450:right

◆(1−1/★2の再掲)オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識(の正体とホンネ)を問うSunday, December 25, 2016 http://qq1q.biz/AHHR


f:id:toxandoria:20170104044710p:image:w350   f:id:toxandoria:20170104044741j:image:w400

◆安倍“敗戦否定&積極戦争主義”の欺瞞(狂信!国策 『国家神道』復活のホンネ共有)を暴く好記事二つ/安倍真珠湾訪問、神津会長の連合(リアリズム“原発&石油エネルギー(復活)”主義)は誰の味方なのか、http://ur0.pw/ACam 


・・・


しかも. 今でも日本国民は特に(3)の後半部が形成した「深刻な精神的アキレス腱」を抱えたままである。それどころか、日本会議、神社本庁、靖国神社、安倍政権らの戦後期から現在にまで及ぶ執拗な暗躍が功を奏す形で、<日本国憲法(象徴天皇制)と日本自身の科学&科学技術観の根幹>が、反知性主義的な政治権力(安倍政権)によって根底から破壊される危機に襲われている。


つまり、“神道スピリチュアリティー(3)”と“神道スピリチュアリティー(2)(=日常感覚化した神道の実存性”)の悪しき再癒着によって、戦前日本型の反知性主義イデオローグ『顕幽論(平田篤胤)』(委細、後述)が、今度は偽装科学主義である「AIシンギュラリティ」の衣を纏って復活しつつあるということだ。


そして、これら(1)〜(3)の違いを未だに自覚できないという、日本国民自身の精神的脆弱さに対し、安倍政権、日本会議、神社本庁ら「追憶のカルト/靖国・顕幽論」派が執拗に攻撃を仕掛け続けているが、それに対し殆どの主要メディアは同調するばかりとなっている。この危機的状況に気が付き大きな危機感を持ちつつ批判し、対抗しているのは今や天皇皇后両陛下とごく少数派の良識派の国民だけ!というのが、残念ながら、日本の惨憺たる現状である。


3−2 靖国イデオローグの系譜、その余りにもゾンビ的な追憶のカルト/平田篤胤仕込み「顕幽論」の異常性(インテマシー過剰、客観知への憎しみ)


(記紀を基に8世紀初頭から貴族社会に、やがては一部の武家社会で拡がった『皇統一系』の思想/が、それは絶対多数派の庶民層とは無縁であった)


8世紀初頭に完成した『日本書紀』が史実の根拠とされるようになった頃から、記紀の創作である「皇統一系」思想は先ず日本の貴族社会に拡がった。次いで、南北朝時代の末期頃に書かれ1370年頃までに成立した軍記物語『太平記』(南北朝時代を舞台に後醍醐天皇即位、鎌倉幕府滅亡、建武の新政、・・・二代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までを内容とする軍記物語)が一部の武家社会へ、「皇統一系」は歴史的事実だとの認識を広める役割を果たした。


しかし、「皇統一系」は歴史事実とは言えず、むしろ王統に関わる伝承等(歴史的メタファー)の大集成という意味で評価されるべきものだ。そして、そもそも記紀は外来文化に寛容な日本文化を象徴する暗黙知の宝庫であり、それは日本人が共有する誇り高き「大いなる巨人(寛容な意識を持つ民族)の物語」であったことになる。


従って、現下の安倍政権(日本会議 政権!)が必死で謀る「一連の復古的動向/“追憶のカルト”なる病理学的に異常な世界へ引き返そうとするゾンビ的な政治情念」の根拠は、「皇国・紀元2600年/日本建国神話」(旧暦BC660年1月1日、グレゴリオ暦で読めば現在の2月11日に神武天皇が建国)という<虚構の日本史>の中へ全ての日本国民を強制回帰させようと謀る人々の<特異な妄想世界>の中にあることになる。


が、記紀の内容が誤りと嘘バカリで、国民を誑かす悪書だという訳ではなく、その貴重なメタファー(汲めども尽きぬ暗黙知の貴重な宝庫)を<あくまでも、その100%が歴史的事実だ!>と作為で曲解する“君側の奸+軍神信仰”の『狂』(追憶のカルト/異常“観念同時”、異常“間主観性”の病理)が邪(よこしま)で有害なだけであり、その往年の“君側の奸+軍神信仰”の『狂』が、今や再び「第3次安倍第2次改造内閣の暴走」で再現されつつある。 


明治維新〜戦前・戦中期におよぶ軍部支配の歴史、それは次第に強烈な『愛国玉砕(散華)戦争』なる下賜カルト観念の国民共有へと変容した)


そもそも、その根本は<明治維新政府(門閥・閨閥・閨房閥を世襲で固めつつ“天皇を担ぐ君側の奸”の野合的な連合体構造)が採用した「国体思想」戦略、現人神天皇の建国神話的カリスマ性の徹底的な政治利用>ということであった。


そこで、維新政府は「宣教使」(宣教使は官庁の名称/長官、次官、講義生、史生、判官、主典、宣教使その他の職員で構成/明治5年、廃止)の役職(国家神道普及のための国民洗脳が主務)を設け、神道学者・国学者を総動員して天皇の偉大さ、支配の正統性、それに対する国民の忠節の意義など(天孫たる現人神を批判する国民は絶対に容赦せぬ!という国策の“脅し”)を説いてまわらせた。


結局、この政策は後期水戸学の会沢安らが主張した「祭政教一致」(教=国体へ絶対貢献できるよう国民を教化・洗脳すること)を原則として行われた。そして、日本会議の影響下にある『安倍政権の官邸“教育再生会議”、http://goo.gl/JAHQf3 』は、明らかに、維新期のそれ(後期水戸学派の祭政教一致=教育現場への直接介入と洗脳教育)の取り戻しを意識している。


ところで、「国体思想」とは、「天賦人権説」(民権論、主権在民)の対極にある天壌無窮の現人神たる天皇を中心とする中央集権的官僚制国家(厳密に言えば天皇を狡猾に政治利用する“権力の強靭化”、薩長野合型“君側の奸”連合に好都合な官僚制国家)の建設を目指すものであった。


しかし、それは真っ赤なウソを根拠とする国民騙しの欺瞞政策だったし、そもそも古代律令制が古代中国(南北朝時代を統一した隋唐帝国)の模倣であったことが示唆するとおり、実は日本古代においてヤマト民族派的な排外思想は存在せず、それどころか明らかに倭国(黎明期の日本)は、東アジア漢字文化圏の一員であるという寛容な国際感覚に裏打ちされた存在であったのだ。


(靖国顕幽論の登場/平田篤胤派「神道」による神道のカルト化、その余りにも暗く不気味なゾンビ生命論型パラドクスへの没入)


「維新政府」以降の国家経営の誤りの根本は、江戸時代前期から中期の山崎闇斎荻生徂徠らの儒学者、あるいは本居宣長(江戸中期〜後期)、平田篤胤(同後期/幽顕思想(顕幽論))ら国学の流れを汲む<「後期水戸学イデオローグ」が夢想(妄想)した「祭祀と政治の一致/至高の国家的儀礼に関わる議論」の中で「愛国玉砕(散華)戦争(このみいくさ)」(日本型聖戦論)が過剰濃縮されたことにある。


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平田篤胤(キリスト教、および西欧啓蒙思想も熟知していたらしい!)の「顕幽論」は、現世の殆どの人間(日本国民を殆ど野蛮で動物的な有象無象の存在と見る)には基本的な意味での人間の権利がないとする。しかも、篤胤はこの顕幽論を半ばジョークで創ったと告白さえしている!(苦w)そして、愛国玉砕戦(このみいくさ)で勝利し、大霊界へ昇り英霊の位階構造に列して初めて日本国民は人間たる基本的権利が与えられるとする(関連資料:吉田真樹著『霊魂のゆくえ』(講談社)、田中純『政治の美学―権力と表象』(東大出版会))。


また、顕幽論(“靖国神社と国家神道”の中核イデオローグ)によれば、現人神とは『記紀神話の降霊(招魂)儀式で中枢神殿(英霊が眠る靖国をこれと見立てる)の霊璽(れいじ/神や霊が宿る“よりしろ”)に憑依する神霊(エクトプラズム/人霊とは異なり神格化した英霊)となる“愛国者”の意味であり、それは皇国史観に基づく天皇だけのことを指す訳ではないとされる。


どうやら、“追憶のカルトのお仲間”たちは、その意味で安倍晋三首相を天皇より上位の現人神(英霊が降霊した存在)と見て崇めている節があり、これは恐るべき『狂』以外の何物でもない!(苦w)そして、この現人神は『世界で唯一の澄める“うぶすな”でできた“美しい国、日本”の国土を愛国戦争で死守する覚悟で玉砕した神霊が再び受肉する国土』と定義される。


しかし、愛国(国策)「原発」系の過酷な放射能汚染(およびその拡大リスク)を放置したままで、何が美しい国土の死守か!と言いたい。そこに現れているのは「非分析的感性」たる<インテマシ−過剰/関連参照⇒第3章−1 カスリス「インテマシー/インテグリティー」>と<客観“知”への憎しみ/関連参照⇒エピローグ:トマス・カスリスの神道に対する率直な思い>という、日本会議、神社本庁、安倍内閣らの余りにも常軌を逸した異常な精神環境の正体である。


4 正統保守を自覚する日本国民は安倍政権、日本会議、神社本庁ら偽装極右派(1801〜、の異常イデオロギー没入派/エセ神道スピリチュアリティー派)と、早急に一線を画すべきである!


・・・それは、正統保守と伝統日本文化の源流たる「神道」本来のスピリチュアリティー(カスリスが分類したスピリチュアリティー(1)に重なる)には世界平和への大きな貢献が期待されるから!・・・


(伝統神道の原点と見るべき神道書『神令』によれば、「天皇制」草創期(およそ“大化改新”以前)の神道は天皇に対し民衆を平等に見る徳治政治を求めていた)


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■神道・宗教学者、小山悳子(とくこ)によれば、神道書『神令』(伝:大納言・一条兼良、筆/兼良は室町時代の公卿・古典学者、http://ur0.biz/AGfm)の成立期は、およそ“大化改新”以前(中国由来の儒教の受容が本格化するより前の時代)である。


・・・[3−1 神道的スピリチュアリティーと実存神道]で触れたトマス・カスリス『神道』(ちくま学芸文庫)も、「古代神道の成立期」を「先史時代〜794年」と見ており、それは此の小山悳子の指摘にほぼ重なっている。


・・・従って、そこには弥生期〜古墳時代ころの伝統神道の最古の思想が潜むと思われ、当書の研究から更なる“日本文化と伝統神道”の古層の再発見が期待されている。しかも、この書の研究成果は安倍政権、日本会議、神社本庁らが謀る『軍神靖国“顕幽論”/追憶のカルト(国家神道)』復活工作へのアンチテーゼとなり得ると考えられる。


・・・また、小山悳子は<日本神道史における「元神からの芽生え」とされる國常立尊(虚無の元神ヨリ萌牙シタもの)の概念の展開には、現代宇宙論と神道の創生観に関わる概念的な類似性が窺われる!>と見ている。それは、『神令』の“元、気(無・虚無・非空間)ヨリ萌牙シ(もえきばし=兆し)モノ”、ビレンケン宇宙論(http://ur0.link/qfzq )、量子論・量子物理学(トンネル効果量子もつれ他)、先端発生生物学らが恰も深部共鳴しているように見えることからも想像される。


・・・つまり、寛容かつ謙虚な「正統保守」的価値、およびその意義の再発見が此の神道書『神令』のなかにある、と小山悳子は考えており、この日本古来の神道および日本の伝統文化は、東西の宗教・文化(一神教VS汎神論)の対立解消へ貢献し得る可能性をすら秘めている、と主張している(出典:小山悳子『日本人の求めた元神』(日本図書センター/Cf.⇒http://ur0.link/qfzn )。


<注>國常立尊(くにのとこたちのかみ)

・・・日本神話に登場する天地開闢の時に出現した「元神からの流出」であり、『日本書紀』においては初めての神とされる。『古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊と表記されている。別名、国底立尊(くにのそこたちのみこと)とも呼ぶ。その元神が化生・転生して八百万の神々、つまり自然界ができたというのが伝統神道および記紀の神話論理(ミソロジー)。


・・・


ところで、上掲書の著者、小山悳子によれば、かつて自由民権運動の視野に入っていたと見なすべき<一つの可能性としての「天皇の原理」>との関わりで想起されるのが、本居宣長と同時代の伊勢神宮の神道学者(神職)、出口延佳(1615〜1690)の『天皇・人民平等論』(現代のコトバで言えば、象徴天皇制に近い考え方!いわば良い意味での天皇の顕教式利用)である。


出口延佳は日本古来の伝統神道を正しく伝える者としての誇りと使命感から、一般的理解とは真逆の『“天皇=民衆”平等論』を説いていた。つまり、そこでは<純粋精神・多元文化主義としての皇国史観>が現代でも通用する正統保守たる<象徴天皇制の下で「国民主権共和(デモクラシー型)ナショナリズム」へ深化する可能性>が芽生えていたのである(関連⇒ http://urx.nu/atS9 )。


また、同氏は「ある意味で神の領域にまで立ち入ったともいえる先端遺伝子学(発生生物学、DNA研究)の分野で、地球上の全ての人間は同じ仲間、同じ民族と結論されたのであるから、もし過去の閉ざされた情報の中で選民思想やヤマト民族(派)の如き純血民族思想が生まれたのであれば、伝統神道においても、その部分は取り去って考えるべきである。そうすることでこそ新しい神道の優れた本質(東西を繋ぐ新たな寛容の可能性)を見出してゆくことができる」と、述べている。つまり、このような視点こそが正統な歴史認識の基本なのである。


小山悳子『日本人の求めた元神』によれば、本居宣長・平田篤胤らの偏狭な日本思想(宣長の場合は、宣長が偏狭であったというより、後世の国学者・神道学者らが曲解したというべき!)、あるいは戦前の文部省謹製『国体の本義(昭和12)』と『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省、昭和17)』、又は“生長の家”過激派の異常イデオローグなどは、そもそも寛容であった伝統神道(平安中期以前の古層日本文化と重なる)の考え方を『関東軍式、満州国統治の経営理念(国家神道方式)』にとり好都合となるよう脚色したものである(本居宣長の曲解、の委細についてはコチラを参照⇒2013-05-07toxandoriaの日記、http://urx3.nu/AH5I )。


(エピローグ1)希望の光は量子論・AI・脳科学ら先端研究での自然・人文科学融合の必然性!/トマス・カスリスの神道に対する率直な思い、からの連想


・・・それは、「神道精神の眼差しを『内』(本居宣長“ロマン主義”の曲解⇒靖国顕幽論(平田篤胤)なる、「1801年〜幕末〜明治維新〜太平洋戦争」期に作られた国家主義スピリチュアリティー(異常イデオロギー)への没入)から『外』(世界平和の象徴化の方向)へベクトル転換することが今こそ肝要だ、ということ!・・・


トマス・カスリス『神道』(ちくま学芸文庫)の『はじめに』の冒頭は、次のように書き出している。


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・・・神道を説明するのはとりわけ難しい。たいていの日本人にとってもそうだろう。神道の基本的な価値観やふるまいの形は日本文化に浸透し、伝統(日本人の日常生活←補記、toxandoria)の一部となっているので、神道を意識的に参加する「宗教」 (religion)とみなす日本人はめったにいない。・・・


そして、この『はじめに』以降の章立て(当書の構成)は、以下のようになっている。


第一章 鳥居をくぐる

第二章 日常のなかの関連性

第三章 古代神道(先史時代〜794年(平城京遷都))−草分けとなった人々

第四章 奈良から宣長へ(794〜1801年(宣長の死))−道を示した人々

第五章 すべての道は東京に通ず(1801〜2002年)

第六章 故郷への道


第一章と第二章では、初詣、七五三、縁結び、受験合格、入学、交通安全祈願など通過儀礼の入り口として神社を訪れるという行為が、殆ど無意識に近い形で日本で行われていることの意味、つまり今でも一般日本人の日常生活に浸透している「神道の日常感覚的なスピリチュアリティー(何かを感じる生活)とは何か?」を考えている。


第二章と第三章では、その「神道の日常感覚的なスピリチュアリティー」のルーツが、古代神道(先史時代〜794年(平城京遷都))の時代から1801年(本居宣長の死)、という約1000年にも及ぶ、非常に長い歴史時間の中で日本人の心身に浸透してきたものであることを理解する。


第五章では[1801年、以降の約200年をエポック期と見立てた上で、その約2/3を経た時に、漸く太平洋戦争の終戦で「伝統神道が異常化した時代」が終わり、一般の日本人は往年の『神道の日常感覚的なスピリチュアリティー(1)』を取り戻したが、2002年「小泉首相の靖国参拝」で、再び、この「異常(靖国崇拝/国家神道)⇒正常国家観(象徴天皇制)」のベクトルが逆流し始めたという、日本現代史の問題点]を分析する。無論、それが今の安倍政権(日本会議、神社本庁ら)のアナクロ暴走へ直結していることは言うまでもない。そして、問題は本論[3−2]でも取り上げた「靖国神社/顕幽論」である。


カスリスも、「顕幽論」という言葉こそ使っていないが、本居宣長のロマンチシズムへ過剰没入する思想(もののあはれ)の曲解に付け込んだ平田篤胤派の国学系神道が、幕末〜維新期の諸思想および政治権力と融合しつつ異常化の度合いを深め、神道は超然宗教であるとのお墨付きを文部省(当時)が遂に与えることとなり、天皇を現人神へ祭り上げる国体論に完全支配される国家神道(軍神・英霊を頂く靖国神社(顕幽論))に隷属する異常国家・日本が誕生したという訳だ。


実は、冷静な客観的「知」(学校教育アカデミズム)を司るべき「文部省(現在は文科省)」自身が、普遍的人間観・生命観に関わる冷静さを見失うという出来事は戦前だけのことではなく、今や人工知能(AI)やシンギュラリティのコトバが常識化しつつある現在の日本(AI立国を自負する安倍政権下の!)でも、そのような嫌な空気が流れ始めている(参照、下記の関連情報)。


(関連情報)


◆【カルト狂気、戦前型「顕幽論」の正体を露わに見せ始めた安倍内閣】安倍政権が「強権下100%現状肯定=批判的«人文知»に対する排撃政策」を教育・学界(幼児・初等〜大学・研究)・図書館に強制する動因は、日本会議 ・神社本庁の奥に潜む<顕幽論/靖国霊璽に憑依した神霊(エクトプラズム/神格英霊のリアル化)の代理人たる安倍首相を天皇より上位の現人神と見なし崇める追憶のカルト>の狂気(病的興奮)!

・・・日本会議の仕掛!国直轄の国家・国制教員免許化と国公私立の対全教員「共通理念の立法化」検討は、戦前の<超宗教とされた(1889勅令第12号)国家神道の根本教科化、翌1890の教育勅語・発布、なる軍国主義精神での国民洗脳・教化の歴史>を髣髴させ寒気を覚える!何がアベ真珠湾訪問か!20161207@只のオッサンRT@朝日・報道編成局http://urx3.nu/AH5m


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◆『ウソと狂想(追憶のカルト、靖国・顕幽論)こそがリアル(日本の現実)を変える』?/ゴマカシで目標達成@masaru_kaneko/鉛筆ナメ(対新基準微工作で?)て31.6兆円オン(かさ上げ)しGDPが一挙に532.2兆円ヘ底上げ!+AIシンギュラリティ狂信でGDP600兆円は指呼の内だ!by安倍晋三・総理大臣 evernote更新日 2016/12/08 http://urx3.nu/AH5l


・・・


このような空気を察知したのか否かは不明だが、(1−2)で取り上げた西川アサキ(情報基礎論、AI研究&哲学者)が「日本社会(おそらくアカデミズムも含む?←補足、toxandoria)は、AI・量子物理学・核理論等と人文・社会科学系“双方の先端知の融和的な協力が必須のフィールドで人間の意識に関わる問題の熟考を試みる真の科学的態度(冷静な研究スタンス)”に対する一種の憎しみの感情(いわば、客観“知”への憎しみ)に囚われているのではないか?」と述べていることが気がかりである。


また、[1−3 人文・自然科学融合の地平(2)脳科学研究フィールド]で取り上げた脳科学者・金井良太が『脳に刻まれたモラルの起源/人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店)を書いた目的が、以下のようなことにあると述べているが、これも、今や再び戦前や戦中期に似た異様な「客観知への憎しみ」の空気が漂い始めた日本社会(その発信源は日本会議、神社本庁、原子村、日本政府、同調ヒラメ・マスメディアら)への一種の警告の言葉として読むことができそうだ。


・・・モラル、いわゆる道徳とか倫理というと、人間に固有の客観的な理性に基づく判断だと考えられ、主観的で情動的な判断と区別される。しかし、最近の脳科学や進化心理学の研究によれば、モラルは、人類が進化的に獲得したものであり、むしろ生得的な認知能力に由来するという。脳自身が望ましいと思う社会は何かを明らかにしたい。・・・


(エピローグ2)“AI利用が本格化するこれからの時代には「人文・自然科学知の融合」が必然となることを傍証する最も重要なポイントを以下に纏めて、再録しておく


・・・これら重要な事例(1)〜(7)を改めて俯瞰すると<日本会議、神社本庁らの策動の下で、本格的なAI時代に必須とされる「客観知/コンシリエンス」(人文・自然科学知の融合の必然性)を心底から憎む『追憶のカルト(安倍政権)』の異常さ(既述のとおり、安倍政権は「批判的<人文・社会科学知>に対する排撃」政策を教育・学界(幼児・初等〜大学・研究)・図書館に強制し始めている!)が如何に愚かな行為であるかが改めてクッキリ浮上する。・・・<注>(8)は、米国の昆虫・社会生物学者E.O.ウイルソンによる「コンシリエンス」の定義。(補足、http://qq1q.biz/AHDS より)


(1) AIに関わる思考実験上のことだが、「意識が生まれる瞬間」の直前に現れるシュミレーション・モジュールの最重要なファクターが「未来への信用」であることが分かってきた。(西川アサキ/情報基礎論、AI)


(2) その「未来への信用」を保証するのは確率論的な計算可能性だが(西川アサキ)、米トランプ流の行き当たりバッタリの「恫喝政治」や安倍政権が好む「アベノミクスの失敗を絶対に認めず弥縫策(AI万能ツール視、原発ゴリ推進、軍需&カジノ経済化など)を出しまくるバクチ経済」は計算が不可能な“まさか(不確実性/胴元・詐欺師らを除けば!w)”の世界へ国民を陥れることに等しく(浜矩子、http://urx3.nu/AHiu)、ダ―ウイン進化論を包摂する上位概念となる可能性が高いとして注目を浴びる「永続性の原理/“人文科学の知見に無知”という根源的愚かさ故に究極的永続性を無視する種は絶滅する!」(仮説/長谷川英祐、・北大大学院農学研究院・准教授http://urx3.nu/AHqt )から見ても決定的な誤謬となる可能性が大きい。



(3) 同じ不確実性でも、例えばEU統合のような“『権限⇔権限』関係を包括する入れ子モナドロジー的な囲い込み環境”に因る内在リスクを前提する不確実性の場合のAIシュミレーションでは、意外にも共可能性(共存と常識を支持する多数派集団(社会))が現れ、それを前提しない場合では逆にデッドロック(対応・処理不能の堂々巡り)状態が観察される。(西川アサキ)


(4) 人間社会における、「リアル支配力」と実存重視の「知性主義」は基本的に無関係であることを再認識すべき!(西川アサキ)逆に言えば、権力者にはバカでもなれるということ!この観点から主要メディアは猛省せよ!(toxandoria/w)Cf. 『国境政策のパラドクス』『排外主義を問い直す』編著の森千香子さんが『排除と抵抗の郊外/フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』で第16回大佛次郎論壇賞を受賞。


(5) 情報基礎論の西川アサキが<人間社会についてのAIシュミレーションで、仮に全ての個人を完全開放系(司法の威信が激劣化した社会環境)へ置く(投げ入れる)と仮説したところ、その社会が一気に不安定化して「行政独裁⇔アナーキー(無政府状態)」の間を激しく彷徨するという恐るべきループの罠に嵌る社会現象>を観察したと報告。(西垣 通/情報基礎論、AI)


(6) 人間の脳の構造に「本能的な感覚としての倫理観を司る部位」(おそらく進化論的プロセスで蓄積!)があることなど極めて重要な事実が確かめられつつある。そして、このことが科学的・客観的に確認されれば(そうなる可能性は非常に高い!)、ジェレミ・ベンサムの功利主義に基づいて「最大多数の最大幸福を求める経済合理性」の問題が、単純なものではないこと(→その終着点が自由原理主義で本当に良いのか?)が説明可となりそうだ。(金井良太/脳神経科学、AI意識研究)


(7) カスリスによれば、日本人の特徴であるインテマシーを代表する神道スピリチュアリティーは「自己の外へ出るのではなく世界観をホログラフィカルに内部へ没入させよ!」と強く要求する傾向があり、それが客観「知」の分析に因る契約(エンテグリティ)ならぬ「感情の最も暗い部分」への無限の沈潜となリ、遂には古来日本の大和魂などの如く「現人神天皇(国体)のための自死(散華)」が「自己犠牲⇒完全な自己保存体観念/異常性(倒錯美意識?)」へホログラフィカルに反転する傾向が観察される。(トマス・カスリス)


f:id:toxandoria:20170104055052p:image:w200:left(8) 「人間の意識の主軸は感情と表裏一体の自由意思だが、それは絶えず“原因の空間(因果/究極的には人間の力が及ばぬリアル現象の連鎖である現実の流れ)”と“理由の空間(神ならぬ人間の最小限の自由意思を支える論理)”を区別して観察できること。この両者は対立するものではなく、両者が合わせ鏡の如く密接に結びつき、もつれた(entangleした)状態であることが人間の意識の正体(それが、生きる意味!)と見るべき。前者(原因の空間)は「連続性の視点で究極的説明が理解できる能力/なぜ、その機能(例えば、手・足・指など)があるのか?」、後者(理由の空間)は「機能的視点で至近的説明ができる能力/その機能をどのように使うのか?」である。そして、その先に見据えるべきが両能力を更に生かせる“より高度で多元的な意識”の誕生、つまり新たな<人文・科学知の融和的統合(コンシリエンス)>による啓蒙主義ルネサンスである。(E.O.ウイルソン著書『ヒトはどこまで進化するのか』)


《 完 》


(追記) 年初早々から、縁起でもなく、「追憶のカルト」の正体の凝視という<余りにも暗い日本の現状と未来>についての記事となったが、やはりその先への希望は、ここで取り上げた、非常に有能な若手研究者らによる新時代の客観知「コンシリエンス」(consilience)を構築する努力、特に「量子論・AI・脳科学ら先端分野の自然・人文科学との融合」へ意欲的に取り組む研究とベンチャー活動にある。その辺りで希望の光を感じさせる良質の「論考」をネット上で発見したので、参考まで以下に転載しておく。



■ネオ(二次)・サイバネティクスについて/基礎情報学/ネオ・サイバネティクスの研究、論考発表サイト 西垣 通・研究室/山梨英和大学 専任講師(2016-)大井奈美(早大第一文学部卒、東大学際情報学博士課程修、博士(学際情報学)[出典:http://qq1q.biz/AHEd より転載]


f:id:toxandoria:20170104055531p:image:w200:rightサイバネティクスは、自然科学の基本的な対象である物質やそのエネルギーよりも、私たち生命体がなんらかの対象をいかに観察するのかを、考察の対象としてきました。すなわち、物質よりも情報の領域に注目したのです。コンピュータというあたらしい情報処理技術の登場に刺激をうけて、私たちの認知(情報処理あるいは観察)のしくみにたいする関心が高まったことが背景にありました。


サイバネティクスは、環境と生命体との循環的な因果関係を重視します。循環的な因果関係は、たとえばエアコンに搭載されたサーモスタットのフィードバック機構を思いうかべるとわかりやすいでしょう。設定温度と室温との循環的な影響関係にそくして作動する機構ですね。


循環的な因果関係というサイバネティクスの着想を徹底させたのが、「ネオ・サイバネティクス」です。どのように徹底させたかというと、私たちの認知のしくみについて考える際に、ある時間的な一点における認知ではなく、私たちが生まれてから今にいたる認知の歴史全体を考慮に入れ、その歴史全体に循環的な因果関係という構想を導入したのです。


あらためてエアコンの例で考えてみましょう。冷房設定のとき、サーモスタットによって、室温がエアコンの設定温度を上回ればエアコンは作動し、下回ればエアコンは一時停止するでしょう。設定温度はエアコンが室温を「観察」するための「認知」の枠組といえますね。ここで設定温度は、外部の人間が機械的に設定する基準にすぎません。


しかし、私たち生命体に目を向けると、私たちが認知するときの枠組は、外部から機械的に決められるものではありません。今まで生きてきた時間のなかで経験をつうじて作られてきたものです。私たちの価値判断の基準と言い換えてもよいでしょう。ネオ・サイバネティクスが扱うのは、このような認知(観察)の枠組であり、ある時間的な一点における認知(観察)行為ではなく、それを可能にする認知(観察)の枠組そのものを問題にするのです。


このような考え方は、ハインツ・フォン・フェルスターという物理学者の記憶研究からはじまったので、フェルスターはネオ・サイバネティクスの始祖とされています。私たちは、今の状況に対処するときに、意識するにせよしないにせよ、過去の経験をある程度参照しますね。似たような状況を昔いかに評価し、どのような行動によって対処したのかを思い出すとき、私たちは単に記憶をたどっているだけではなく、そのときの価値判断の基準をふたたび学習しているのです。


いわば、体験の記憶をひきだすとき、私たちは体験をもう一度とり入れていて、ここにフィードバックの循環があります。フィードバックループによって、一人ひとりに固有の価値基準ができていくわけです。


このように記憶能力と学習能力は不可分に結びついていますが、記憶や学習だけではなく知覚能力や推論能力なども含めた全体的で統合的なプロセスとして、認知を理解する必要があります。私たちの認知は、一つひとつの機能のたんなる寄せ集めをこえて、全体として実現するはたらきなのです。要素の寄せ集め以上のはたらきを全体として実現するものを「システム」と呼びます。私たちの身体も、器官のたんなる寄せ集めではないので、システムの代表例ですね。したがってシステム理論は、ネオ・サイバネティクスにとってたいへん役立つ考え方だといえるのです。


なお、フィードバックのループを「再帰性」と言い換えることができます。私たちの再帰的な認知プロセスは、循環的に閉じています。その意味で私たちは、認知的(情報的)には、外部から内部へ情報をとりいれたり逆に与えたりする開かれたシステムではなく、内部と外部の区別が問題にならない、閉じたシステムなのですね。これを「情報的閉鎖系」と呼んでいます。しかし閉じていることは、私たちの認知プロセスがいつもぐるぐると同じ場所をめぐって現状維持に甘んじているだけということを意味しません。むしろ、状況に応じて、あたらしい情報をらせん的に創発させていく可能性がひらけており、ゆたかな創発を実現させ望ましい方向に導くことが、ネオ・サイバネティクスの重要な課題の一つとなっています。


この課題を果たすための理論的な基礎づけとして、神経生理学者のウンベルト・マトゥラーナが弟子のフランシスコ・ヴァレラとともに提唱した考え方を、オートポイエーシス理論といいます。オートポイエーシスとは「自己創出」を意味する造語です。細胞分裂を思うとわかりやすいですが、私たちは身体的には、今と同じ状態を保つために自分の体を作りつづけています。身体的なオートポイエーシスですね。老いや病はあるにせよ、成長してしまえば、基本的には現状維持を続けているわけです。この現状維持は、私たちが自分自身であるために欠かせません。


しかしそのうえで、単なる現状維持にとどまらず、コミュニケーションをつうじてあたらしい自己を創りだし、ときに自己変革さえもうけいれていくことが、千変万化する環境のなかで生きるために必要不可欠ではないでしょうか。それを可能にするのが観察(認知)という営為なのだと、マトゥラーナは考えました。意味的・情報的なオートポイエーシスが起きているのですね。


なお、ここでいう観察は、知覚とは区別されます。すでに述べたように、観察(または認知)は全体として把握されるべきものであって、知覚はその一部の機能にすぎないのです。たとえば色の認知について考えるとき、ネオ・サイバネティクスが重視するのは、「どうしてその色が私に見えているのか」という知覚の問題ではありません。むしろ、「その色が見えていると私が語るとき、私のなかでは何が起きているのか」という観察の問題なのです(括弧内は、マトゥラーナによる表現をもとにしています)。ある色は、誰にとっても同じように見える客観的な現実ではなく、むしろ、一人ひとりが過去の体験に即してつくりあげる主観的な現実なのです。この事実を、マトゥラーナは、ハトの色覚をめぐる研究データからあきらかにしました。


このように、各自の経験にもとづく歴史を背負って生きることと観察とが一体のものであると示した点で、マトゥラーナはネオ・サイバネティクスのもう一人の父とみなされています。私たち生命体の本質が「観察者」(意識のある←補足、toxandoria)として理解されたわけです。ネオ・サイバネティクスに深く関係する生命記号論は、こうした観察者としての生命体について深く考察する研究領域なのです。


現実が観察者の外部にあって、観察者はその現実を表現(表象)するのだという表象主義の考え方ではなく、現実は観察者の内部でつくられる(構成される・自己創出される)のだという考え方を、構成主義といいます。常識的には、私たちは外部から情報をインプットし、そしてまたあたらしい情報をアウトプットするという直線的で機械的な情報処理のモデルによって、認知やコミュニケーションを理解しています。この考え方は、情報処理パラダイムと呼ばれています。


しかし構成主義の立場からは、私たちはそれぞれが認知的に閉じた世界のなかに生きているのであり、情報は決して伝達されるものではなく、閉じた世界のなかで作られるものなのです。この立場は常識的な認知理解である情報処理パラダイムとは根本的に異なる(つまりラディカルな)ので、とくにラディカル構成主義と呼ばれています(ラディカル構成主義という呼称のより正確な由来は、ジャン・ピアジェの構成主義理論をラディカルに解釈したことですが、くわしくは別ページの説明を参照してください)。


私たちは、内的なフィードバックループによって、過去に構成した情報(現実)を想起しつつ新しい情報(現実)を構成しているのであり、現実の構成をつうじて、結果的に私たち自身をもつくりあげています。なぜなら、くりかえし参照される認知の枠組は、私たちのアイデンティティ(同一性)をなすものだからです。さらにいうならば、私たちの現実とは、私たちのものの見方の実現なのです。


しかし、私たちは、まったく自分勝手に現実をつくりあげているわけではありません。自分ひとりだけが世界に実在するという独我論に、ネオ・サイバネティクスは与しません。このことを、山高帽をかぶったビジネスマンのユーモラスなイラストが示しています(ゴードン・パスクによるものです)。</sp

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