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2017-07-13 仏マクロンが感知したリベラル共和への希望/ノモス、文化資本、エト

toxandoria2017-07-13

仏マクロンが感知したリベラル共和への希望/ノモス、文化資本、エトノス・パターナリズムが“新自由主義(アンシュタルト)”克服のカギ


(Cover Images)


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http://www.vaux-le-vicomte.com/actualite/visitez-aux-chandelles/



飛騨(下呂・高山・古川)の風景、2017初夏


下呂(合掌村)

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高山

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f:id:toxandoria:20170713045039j:image:w470:left f:id:toxandoria:20170713045127j:image:w470古川(下、二枚)


D

daft (stupid)Trump?Quand l'armée française joue Daft Punk

・・・委細の説明はコチラ ➡ https://twitter.com/shinkaikaba/status/887584572363292673



1 仏マクロン政権でニコラ・ユロ環境大臣が誕生した画期的意義


・・・原発17基廃棄は『リベラル共和主義』でフランス再生!の象徴・・・

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・・・Cf[20170713朝日社説]民進党 勘違いしていませんかhttp://urx3.nu/EGNp


・・・


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<注1>エトノス・パターナリズム

・・・ここでのパターナリズム(父権主義)の定義は「自由な個人の自己利益を保護するため、当人の意に反し、その“選択”(市場における選好)に抑制的に介入すること」を正統視する立場とする。エトノス・パターナリズムは「広義の内外環境(エトノス)とヒトの内面の両方の関係」に配慮したパターナリズムを指す(エトノスの委細は後述)。


<注2>アンシュタルト(Anstalt)

・・・一般的には、公共施設、刑務所・病院・学校などの公的営造物、観測所などのことであるが、マックス・ウェーバーはこれを「家以外の私的統治権力の拠点としての教会、修道院の官僚機構、労働組合、更にそれらをモデルとしている学校、軍隊、工場、病院」などによる私的な統治権力の意味として使用した。

・・・この概念を援用しつつ、より広く理解すれば、今や「果てしなき格差拡大装置」と見るべき新自由主義なる“ホモエコノミクス(経済合理的人間)が重宝する怪物と化した市場原理が支配する内外の空間“こそ現代世界の代表的なグローバル・アンシュタルトということになる。

・・・但し、この私的な統治権力であるアンシュタルト(市場原理)をオール悪と一括りに断定するのは短絡であり、むしろそれは善と悪が混在する両義的なものと見るべきだろう。それどころか、悪へ傾斜したアンシュタルト、例えば「市場原理主義の暴走」で出現する<格差>の放置など、種々の不条理を逆説的に気付かせるのはそのアンシュタルトに関わる冷静な観察であり、次に、その気付きへ如何に対処すべきかという政治的思考の地平に浮上するのが「リベラル共和主義」の問題である。

・・・また、そのような深層に潜む最も肝心な問題を発見し、絶えず<アリの一穴>を穿ち続けるのがジャーナリズムの本来の役割であるが、特に近年の日本メディアは、暴走権力側が一方的に下賜する情報に対し、いそいそと過剰な<忖度>回路を提供するだけの<倒置・倒錯のジレンマ>に嵌っている。 


・・・


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ニコラ・ユロ氏は元「緑の党」である。更に情報を集める必要があるが、仏「緑の党」は新環境相ユロ氏ら現実主義派と極左系急進派『服従しないフランス』(多くがコチラへ移動)に分裂したため『緑の党』自身の国民議会での議員数は減少した模様?しかし、おそらくマクロン新大統領は「リベラル共和主義」(フランス共和主義の再建)を近未来の視野に入れたようだ?(関連情報、http://urx.red/EsDdhttp://urx.red/EsDn


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このため、ユーロ・コミュニズムor欧州エコロジー急進派の可能性からすれば後退とも見えるが、この流れが「仏新自由主義」路線の大きな変革(アンシュタルトとしての暴走“新自由主義”の超克)の可能性、および「市場原理上の効率性」と「原発なる核平和利用の技術リスク」(戦争リアリズム経済論の裏ヴァージョンにすぎない代物!)の両面評価による、仏原発政策の大きな転換という新たな希望の道筋への可能性が高まったともいえる。


また、その現実主義はフランス民主主義(仏革命以来の伝統を引き継ぐ仏第五共和国憲法下の)、ひいてはEU全体の民主主義を、ドイツとの協力一致で更に深化させ得る「権限=権限問題」の克服の可能性が大きくなりつつあり、その新たな胎動の芽生えがフランスで見られる可能性が高まりつつある。それが「リベラル共和主義」への新たな動向だと思われる。


『“EU⇔各国”の権限分担』の問題は、G.H.ミード(米国プラグマティズム社会学者)の「客我(社会的自我)/I」と「自我/me」による「ヒトの社会関係におけるダイナミクス“進化”」を連想させる。仮に、「リベラル共和主義」へ深化するとしても、そのプロセスは容易ではないが、そこでは必ず“他者の態度の内面化”の繰り返しが伴うはずなので、時間は必要としても格差・移民の難問も解決方向への新たな展望が期待される。


具体的に見れば、EUの『権限=権限、問題/“EU⇔各国”での分担』は、マーストリヒト条約(1993発効)、リスボン条約(2009同)を経て、個別授権原則、補完性原則、比例性原則の三つの内容が明確化されてきたが(参照、http://urx.red/EsG5 )、今後はEUのリーダーである仏・独の両国が、おそらくリベラル共和主義的な方向性の中で現実的な対応を採る可能性が高い(特に環境・エネルギー政策、経済格差是正、人権・移民などの分野)。


因みに、20170702都議選で小池都知事が率いる都民ファーストが、安倍政権(ウルトラ極右ファッショ/19〜20世紀型の戦争リアリズム経済論なるアナクロ妄想の虜、追憶のカルト/侵略戦争〜冷戦構造型戦争リアリズム経済論/原発(原子力平和利用なる巧妙な印象操作)も同じジャンル)が応援する都議・自民党に圧勝したことを称賛する報道が溢れる一方で、その小池知事の正体(安倍と同じ日本会議のウルトラ極右ファッショの異常価値観で同衾)を暴き、指摘する報道が皆無に近いのは何故か?


それは、所謂ウソ・ニュース(ネット上のSNS等で穿たれ多孔化した現実世界のアナから、十分な文脈が省かれた部分的な意味だけが他の断片化した意味と容易に接着しつつ日常的に発生する/社会学者・鈴木健介、http://urx.red/EsI1)の爆発に、主要メディアが怖気づいているのも一因と思われる。従って、日本メディアはトランプ禍の米国の現況を他山の石とするべきであろう。


もし、それがなければ、仏マクロン政権の「アンシュタルトとしての新自由主義」を超克しようとする先進的な動向はおろか、おそらくポスト・トランプの米国ではフランス同様に「リベラル共和主義」型の民主主義(格差が解消不能な新自由主義の修正)へ向かわざる得ないと予想されるため、日本は最大の同盟国として頼む肝心の米国の最新動向にも益々大きく後れをとる可能性が高い。


(関連情報)

・・・以下は、フランス環境相に元“緑の党”二コラ・ユロ氏が就任したことを報じる、「緑の党グリーンジャパン」と「時事コム」の部分転載・・・


◆フランス環境相に元緑の党二コラ・ユロ氏/20170519緑の党グリーン・ジャパンhttp://greens.gr.jp/world-news/20304/ 


・・・途中、省略・・・マクロン政権の経済政策は新自由主義的な面があり、原発推進派が環境大臣に任命されると予想されていただけに、この人事に衝撃が走っている。特に、ユロ氏の入閣が報じられると株価が下がった電力会社は警戒心を露わにし「今後も原発がこれまで通り推進されることを望む」という文書を公表した。・・・途中、省略・・・ユロ氏はメディアの取材に、「原子力産業のビジネスモデルは、過去のものだ、再生可能エネルギーの方が競争力がある」と語り、再生可能エネルギーへのシフトを目指すとしている。・・・以下、省略・・・


◆ユロ環境大臣誕生/イタリアボローニャで開かれていた先進7カ国(G7)環境相会合に出席したフランスのニコラ・ユロ環境大臣=20170612/AFP・時事 山口昌子 702jiji.com http://www.jiji.com/jc/v2?id=2017franceactu_02 


ついに、ニコラ・ユロがマクロン新政権で環境移行連帯相に就任した。首相、内相に次ぐ政府のNo.3のポスト。しかも内務、法務相とともに国務相(副首相格)の肩書付き。新政権の環境問題重視、市民参加の象徴である。・・・途中、省略・・・ユロは政府の指南役として活躍した実績があり、パリで昨年末開催のCOP21(第21回締約国会議)では大統領特使として参加国を回り、根回しもした。・・・途中、省略・・・今回、大臣への誘いを快諾したのは、「希望と未来」を託した若いマクロン大統領に期するところ大だからかもしれない。=「ふらんす」2017年7月号掲載=


2 あるべき必然の流れとしてのリベラル共和主義へ(H・アレントフーコーのノモス・エトノス観念)


(“産業社会論→同組織論”の変遷で見える資本主義(20世紀以降)の変質)


・・・そこに透けるのは、“国家理念不在(というより、戦前型『軍事国家主義』への回帰をカルト狂信(追憶のカルト)的に願望する異常な政治意識下で)のアベノミクスなる経済政策は見せかけの雇用増加なる、根本的な政策意識(健全な国家理念)の不在による労働生産性の劣化をごまかすという悪意に満ちた「印象操作」だった、という恐るべきリアル!・・・


およそ、「19世紀帝国主義の時代」から「東西冷戦終焉の時期」(ソビエト連邦の崩壊:1991年)頃まで(その日本のピークは1960年代高度成長期)の時代に、社会経済のパラダイムとして世界を支配していたのが「産業社会論」である。


それは、ガルブレイス、W・W・ロストウらを代表者とするものだが、端的に言えば「テクノロジー万能」信仰が<「市場原理」と「所有重視論」(ストック論)>に優越する時代であった。また、その時代の特徴は、米国の産軍複合体が西側諸国の国民を睥睨する環境の下で、米ソの二大軍事大国が競合する時代(戦後日本は米国の傘の下で平和主義を素直に主張できた時期)であった。


この産業社会論の時代に続くのが、今度はゲーム理論情報科学などの新しい分析手法を取り入れつつ、「市場原理」を<「テクノロジー」と「所有」>の上に置いて「金融、法人、労働力、福利厚生、技術研究・開発力など全ての要素費用」を商品(神の見えざる手の操作対象)と見なすネオリベラリズム(新自由主義)」の時代に入り、今に至っている。


換言すれば、これが長期的な完全競争市場に「企業組織の要素」(金融、法人、労働力、技術力など)と「企業そのもの」の代謝と同化(スクラップ&ビルド/M&Aらの市場原理による効率化)を任せる「産業組織論」の時代である。因みに、この考え方のリーダー格はハーバード学派とシカゴ学派の二派であるが、後者の方がより厳格な市場原理主義の方向へ傾斜している(参考/http://ur0.work/Exlj)。


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しかし、上で見た「市場原理」主義の暴走の為すがままに任せていれば、やがて、その矛盾で格差拡大が持続的に拡大するに止まらず、トマ・ピケティが『21世紀の資本/r(資本の収益率)>G(GDPの成長率)』で指摘したとおり資本主義そのものが崩壊(終焉)する恐れがある。


つまり、誤謬の「流動性の罠からの脱出論」に因る異次元緩和(アベノミクスのベースキャンプ)が日銀(安倍政権)によって、更に強引に続けられることになれば(金融資産増加と不動産価格の上昇がGDP増加率より高い状態が長く続けば)、財政破産リスク(ベイル・イン(min.一定の預金額削減)、株価・不動産等の減価(min.3〜5割程度?))の確率が高まる。


f:id:toxandoria:20170720152257j:image:w250そのため必須となるのが、大胆な軌道修正の決断で「市場原理」を<所有(ストック)、労働力、福利厚生、技術研究・開発力(テクノロジー)など諸々の要素費用>の下に置くこと、いわば<市場原理を様々な要素費用のツールとして明確に位置づけたうえで、井手英策『経済の時代の終焉』(岩波書店)が提示する“相互扶助・再分配等で市民生活へ安心感と信用を取り戻す、斬新な国家財政・戦略への変更http://ur0.work/ExEq”を併せて実行する>という根本的な発想転換である。


言い換えれば、それは「ネオ産業組織論」の時代へと船出するため、勇気を奮って大きく舵を切り方向転換をする「政治的な決断」だ。中でも特に重要なのは稲葉振一郎『政治の理論』に倣いつつマルクスの用語で表現すれば「ルンペン・プロレタリアート新自由主義の超格差社会で続々と生み出される無産者層/資本主義社会の底辺部で主権者意識が希薄化し無産化した貧民層」のストックを確実に底上げできるよう、財政・金融・税制・成長・福祉に関連する諸政策を具体化する」ことだ(参考:ストック型社会論、http://foss-stock.org/home/stock1)。


それは、現在の「市場原理型の格差拡大構造」を放置した儘の分配論とは全く異次元のことであり、現在、この新たな方向へ舵を切る可能性が最も高いと思われるのが、冒頭でも触れた仏マクロン政権であろう。それは、そもそも市場原理主義者と見なされてきたマクロンが、元“緑の党”の活動家ニコラ・ユロをNo.3の重要ポスト・環境大臣に抜擢した決断に表れている。


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然るに、安倍政権は、バブル崩壊リーマン・ショック後の日本の凋落トレンドへの歯止めを意識してか(あるい『追憶のカルト』妄想の囚われにより)、今や、堂々と軍事大国路線(19世紀型の古色蒼然としたアナクロ産業組織論/その手法は新自由主義と野合するだけの戦前ソックリの国民調教&同主権剥奪式の国家経営/アベノミクス失敗を隠蔽する暴政)へと更に舵を切りつつある。


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因みに、服部茂幸『偽りの経済政策/格差と停滞のアベノミクス』(岩波新書)は、アベノミクスなる経済政策は見せかけの雇用増加なる労働生産性の劣化をごまかすための悪意に満ちた「印象操作」だったことをリアルに摘出している。


特に、同書の中で服部茂幸が「深刻さではそれらに匹敵するにも拘らず、いまも持続する“格差と貧困”の問題は大恐慌や金融危機に比べ余り目立たないので“そんな問題は昔からあった、いつの世でもあることだ”という説明で簡単に騙されてしまう、と指摘しているのが印象深い。


つまり、アベノミクス下の日本経済は“格差を抱え込んだ見かけだけの低成長が長期化する”という一種の難病に罹患している。その見かけだけの低成長が持続する環境の中で、一応は雇用状況が改善している(と、見えるだけ!)。


が、ここで“一応”の言葉を加えたのは、デフレ脱却にも実体経済の回復にも失敗した日銀異次元緩和(リフレ派のマネー増刷/マネーばらまき原理主義)の下、トータルの延べ就業時間が微減か横ばいである一方で就業者数が増加したのは主に短時間就業者数が増加したこと、いわば労働生産性上昇率がほぼゼロであったことを含意する。


労働生産性の上昇は、仮にそれが低いとしても(アベノミクスでは、それがほぼゼロ!!)リアル経済成長を進める上でも最も重要なファクターである。特に、少子化傾向が続くと見込まれる日本での労働生産性の上昇(同時に、その上昇を如何なる産業分野に振り替えつつ、それを効果的に分担し合うか)は死活的に重要な問題である。だから、中長期的に今のままの状況(アベノミクスなるインフレ政策一本やりのマネタリズム)が続けば、日本の経済成長はほぼ絶望的になる、と服部茂幸は指摘する。


また、文化資本主義という用語こそ使わないが、同書の中で、服部茂幸は世界大恐慌の時に米ルーズベルト大統領が行った「ニューディール」(1933〜1936)に、もう一度、率直に学ぶべきだとも主張する。この政策に関わる議論は今も続いており、極端な例では「結局、ニューディールは無効だったが第二次世界大戦へ向かう戦時特需がポスト大恐慌の世界経済の救世主になった!」という、殆ど暴論に近い「戦争救世主論」(戦争リアリズム経済論)もある(ニューディールの柱の一つ、TVAについては第三章で触れる)。


ごく冷静に考えれば、実は、大恐慌や金融危機の時には、自由原理主義(アダム・スミス“市場の神の見えざる手”の短絡的理解に因る誤解!)の決定的な弱点(マネー原理主義故にノモス的(ノモスの委細は後述)な意味で非常に重要な元手(資本/付加価値として創造されるマネーの元手)の存在を完全に見落としていること)が赤裸々に露呈している訳であり、その希少な機会を利用しない手はないのだ(文化資本主義については、第三章で詳述する)。


(そもそも共和主義とは何か/先見的なH・アレントのノモス観念の再発見)


共和主義(古代ギリシア都市国家の如く市民・国民の全員が政治に参加するか、あるいは現代フランスの如く選挙で選ばれた代表者が国政に当たり、国民全員の利益と厚生のため国を統治すべしとする政治思想)は民主主義と同一視されがちだが、必ずしもそうとは限らない。


16世紀〜18世紀に現在のオランダおよびベルギー北部フランデレン)に存在したネーデルラント連邦共和国(1581年のオランダ独立宣言で成立)は貴族代表制の共和主義であったし、理論上は君主国の共和政もあり得る。例えば、これは安倍政権が内心で崇めているらしい(?w)“名バカり&国民主権・完全否定”の特殊事例だが、「北」もれっきとした共和国(朝鮮民主主義人民共和国)である。


一般的には仏大革命(1789)の3年後に出された「共和制宣言」(1792)で成立したフランスの「第一共和制」(1792−1804)以降の時代になってから、選挙で選ばれた代表者による共和主義(共和制)が普通のことであると、広く世界で認識されるようになった。しかし、ここで忘れてならないのは、古代末期〜中世〜近世初期においては君主制が普通であり、歴史的に共和主義のリアリズムを見出すには一気にギリシア・ローマの古代・古典時代へ遡る必要があることだ。


そして、その古代ギリシア時代のアテナイスパルタらの都市国家(直接民主主義の共和制)の中に、「非常に厳格な共和主義のルーツ」を発見したのがC.シュミット(法学者/ワイマール体制の議会民主主義、自由主義を批判し、一時、ナチに協力)、ハイデガー(解釈学的現象学を確立し実存主義へ大きな影響を与えた哲学者/同じく、一時、ナチに協力/ハイデガーとナチの関係は下記★を参照乞う)、H.アレント(独出身、米国で活躍した哲学者、ポピュリズムファシズムの関係等の研究で重要/Cf. http://urx.blue/Eufz)らである。


アレントは、特にスパルタを重視しており、そこには例えば“そもそも民主主義と自由主義は原理的に相反関係にあるということ”など、今や止まるところを知らぬかにさえ見える日本政治の極右化トレンド(“安倍&小池”「両ファッショの深部共鳴など)、あるいはトランプに翻弄される米国らにも相通ずるアポリアの発見があり、その儘そっくり現代世界にも通じる非常に困難な問題点”を発見している(稲葉振一郎『政治の理論』)。


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<補足1>5月に就任した仏マクロンの支持率が10ポイントDnし54%になったことが7.23に公表された(816現在では、更に下がって36%となった!苦w)。しかし、「共和主義」否定(コミュニティ破壊)に走るトランプの支持率Dnと、共和主義の再構築を図る仏マクロンのそれでは理由が全く異なるので、これからがマクロンの正念場かも?

(Cf.⇒http://urx3.nu/EUyH


<補足2>ハイデガーとナチズムの関係

・・・ハイデガーは、西洋文明の巨大化に危機意識を持ったことから、ナチスへ入党した。しかし、論文で田野大輔氏が指摘するとおり(参照/下記URL)、「結局、本質的には過剰な道具的理性(ある意味で偏狭な科学合理・還元主義の視点で自然を見下す近代人間社会の傲慢さの極み)の支配に加担することにすぎない」と理解する。このナチズム本性を見抜いたハイデガーは、やがてナチズムと距離を置くことになった。http://urx.blue/EuhB


(ノモス観念的なアレントの「社会」から見えてくるリベラル共和主義の可能性)


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そもそも、エトノス内におけるエントロピー解放手段としての暴力装置(暴政、戦争、財政危機など)を内蔵せざるを得ない国家(統治パターナリズム)の基盤である「法」の根源が、C.シュミット、ハイデガー、H・アレントらの如くノモス(nomos/ノモス法/あるいは、そこに住む住民が平等に与えられる“ノモス法で定められた社会環境・インフラの分け前”だと見る位置に立てば、アレントの「社会」の先に、政治・経済が協働して当たるべき真の役割(アレントの難解さをフーコーの視座で再構成したもの/同上『稲葉振一郎』)が見えてくる。


これこそが、そこから浮上する「リベラル共和主義」(リベラリズムと共和主義の十分な均衡による貧困問題などの根本的解決)という新たな方向性だ。そこでは<「現代の民主主義国家における統治権力(パターナリズム)と個々の労働者の間を仲介する「労働組合の役割」をノモス法の原点と照らして本格的に見直す>ことが最も重要な課題である。つまり、一般の国民・市民層の『日常生活の営み』という日常経済のリアリズムの活性化に関わる政治活動に、常時、取り組むことが最も重要な労働組合の役割であり、特に無産化したルンペン・プロレタリアートの有産化への取り組みが急務である。


別にいえば、只の既得権と利権の「保守機関」と化している労働組合を“社員(市民)の日常生活とビジネス現場の活性(政治)化”を支える有効な組織へと、その位置づけを見直す)」ことである(同上『政治の理論』。


「労働組合」は、リベラル共和主義の時代にこそ、貧困の根本的な解決のために必須の“産業民主主義(産業組織論)のベース・キャンプ”となるべきだ。そこへ、もう一つ加えるべきは(委細は後で触れるが)、内外の市民層が主役となるアソシエーションの問題(日下部 史郎『新自由主義に抗して―スーザン・ジョージ世界市民運動―』)である。


今や、「左派Vs右派」の対立意識をここに持ち込むのは只のアナクロニズムであろう。そして、アレントが「貧困は、“公益と私益の、又は民主主義と自由の相反関係”から生ずる」と言いながら、その解決先を示していないかに見える点も難解さの原因ではないか。


また、古代ギリシアのポリス(特にスパルタの共和政)を理想とするアレントの“リベラリズムへの厳格な批判”が、一面では超保守主義(過剰パターナリズム)にさえ見えてくることもその難解さの原因かも知れないが、このアレントの「社会」の難解さ(それは政治・行政に関わるアレントとフーコーの視野対象の差異に起因する)からこそ、リベラル共和主義の可能性が見えてくるのだ(同上『政治の理論』)。


(リベラル共和主義に必須のインフラとして文化資本主義、ノモス、エトノス、フーコーの統治理性、マイクロバイオーム、クオラムセンシングが共鳴する)


・・・文化資本主義とノモス・・・


先に結論を言ってしまえば、リベラル共和主義の理解には、文化資本主義、ノモス、エトノス、フーコー“統治理性”、クオラムセンシングなど、先進的な人文社会・自然科学の両分野に跨る概念の統合的な理解(両者の客観統合のトポス/コンシリエンス(consilience)、http://u0u0.net/EyJ6)が必須と思われ、その統合的な理解の中から「政治と経済に関わる創造的でユニークな観点」が続々と湧き出すと考えられる。その委細は最終章(第4章)に回すとして、ここはその主要キーワードの定義の説明に止める。


アレントの「社会」から見えてくるリベラル共和主義の可能性を明確に視野に取り込むためには、ノモス(nomos)についての理解が最も重要なカギである。文化資本主義については次章(第3章)に任せるが、先ずここではエトノス、フーコーの統治理性、クオラムセンシングについて簡単に触れておく。


・・・ノモス(nomos)・・・


「法」としてのノモスは古代ギリシアの社会概念で、より古い時代には「神々と父祖伝来の伝統(現代風に言えばエトノス、自然・伝統文化環境)が定めた行動規範」としての「法」、あるいは同じく、そこに住む住民が平等に与えられる「ノモス法で定められた社会環境・インフラの分け前」を意味していた。


従って、ノモス法は現代的な理解である文章で表現された抽象的な「法」の内容だけではなく、一定地域の自然環境、土地、建物、市街地、橋、道路など目に見えるモノとしての公共財(インフラ)と離れ難い存在であった。現代風に言えば、それはエトノス自然環境とも離れ難い存在であり、フーコーの“統治理性”を理解するための必須概念となる。


・・・エトノス・・・


エトノス(ethnos)とは『人間の生命と社会生活の維持に必須となる一定のローカル地域の自然・歴史・文化環境と深く共鳴して“人間性を未生(未来)へ繋ぐ揺り籠”となし得る開放系の共有観念、および風土または過去〜現在〜未来に渡り生存環境の微小馴化(マイクロバイオーム世界の理解)を常に受け入れつつも、その伝統的なヒューマン・スケールの全体性の“持続”を最も重視する、非常にしなやかで幅が広い寛容の意識、およびその受け皿となるローカルの風土』を意味する。


しかし、そのethnosは古代ギリシア語に由来しており、それは村や都市に集住する「民衆」(デモス/demos)の周辺に住み、その「民衆」以外の部族集団のことを意味するから、エトノスの意味は、そこに置かれる人々の立ち位置が変われば正反対になり得るので、そもそも絶対的で画一的な評価を伴う言葉ではなかった(関連、http://u0u0.net/EyB6)。おそらく、それは「生命」現象そのものと同じく、永遠に揺らぎつつも持続性を必死で繋ぎとめるべきものであるのかも知れない。


・・・マイクロバイオーム・・・


R.デサール&S.L.パーキンズ著『マイクロバイオームの世界』(紀伊國屋書店/2015原著・刊)によると、我々の体内に棲む膨大な数の細菌類がマイクロバイオーム(Microbiome)という宇宙的な規模の纏まり(ウイルスまで入れると、それは超100兆個の新世界、宇宙規模!の発見を意味する!)であり、彼らの全て(そのDNAも含む)が刻々とヒトの細胞やDNA、およびエトノス環境と直接的な遣り取り(水平移動・交換・交流・共感・妥協)をしつつ我われの身体の生理機能を調整し持続させていることが、ここ数年来の研究で急速に解明されつつある。


因みに、今でも先端科学知の典型と見なされているものの疾うに2003年に全DNA解読が完了した「ヒトゲノム・プロジェクト」では、従来型の科学観の範疇のままではその更なる医学的・社会的応用の側面で限界が見えている。そのため、愈々、DNA研究でも、これからは「エトノス(マイクロバイオームの新世界を視野に加えた新たな自然主義の視点)、コンシリエンス、AI活用」などによるビッグデータ解析型への脱皮が求められている。


・・・クオラムセンシング(定足数感知)・・・


同じく、R.デサール&S.L.パーキンズ著『マイクロバイオームの世界』(紀伊國屋書店/2015原著)によると、近年のマイクロバイオーム研究で多くの細菌がクオラムセンシング(定足数感知/quorum sensing)のシステムを進化させてきた。


クオラムセンシングは、ある一部の細菌が「正体が知れぬ相手に対し仮の名づけ(ネーミング)を行い、その見立てに応じ自らのシグナル伝達要素(分子)、又は自由誘導因子(オートインデューサー/同種菌が生産するシグナル物質)などの分泌(フェロモン様の物質であるクオルモンらの産生)を調整するシステムのこと。


我われヒトの体内エトノス空間と外界である自然エトノス環境との仕切りにも、これまで考えられてきたほど明確で強靭な壁が築かれている訳ではないことが分かってきた。


むしろ自己アイデンティティーの保全(政治理論の分野と、この科学知を比喩的な連結を試みると、例えば国民主権を保全する意義とその必要性がリアルに理解できる!)は強靭・強固な壁よりも<強かなしなやかさ>で保全されていることになる。だから、このような自然科学の先端知が、フーコーの統治理性の問題と深部共鳴することが容易に想像される。


・・・「リベラル共和主義」の条件となるフーコーのノモス・エトノス的な統治理性・・・


フーコーの統治理性の対象には、このようなノモス・エトノス的な意味で非常に危ういとも言える、地球上の全ての生命環境が明確に視野に入っていたと思われる。


しかも、その対象は“国家とその国民層(法的統制)”だけに止まらず、法的統制と共鳴するエトノス自然環境とマイクロバイオームに繋がる生命世界(生政治/『監獄の誕生』)、果ては“家政⇒市場原理主義の過程で変遷してきた”経済・財政・社会(アダム・スミスの『見えざる手』=市場なる匿名的権力)に翻弄され続ける市民社会に至るまで、という具合で非常に広範に及ぶ。


そこで、我々が注目すべきは、アレントとフーコーの両者が、共に取り組んだ仕事のテーマが「人間性の歴史、つまりリベラリズムの歴史」への評価という点で共通していることだ。この視点こそが「リベラル共和主義」の可能性の問題に繋がる訳だが、その委細についても第4章へ譲ることにする。


3 そもそも「文化資本主義」(リベラル共和主義と相性が良く、ネオリベの過激な副作用、“格差拡大”で疲弊した経済の良循環化が可能な)とは?


・・・ノモス・エトノス観念でこそ理解し得る文化資本は、リベラル共和主義の土壌!・・・


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「文化資本(主義)」には確たる定義が定まっている訳ではない。が、ここでは池上淳著『文化資本論入門』(京都大学学術出版会)などを参照しつつ、仮説的に方向性を見据えるという、ごくゆるい視点に立って、近未来の日本のあり方をも考えてみたい。また、フレーム的な役割を担うと思われる素材の一部として、それをめぐるヒントを幾つか纏めておく(池上淳:京都大学名誉教授/財政学、文化経済学)。先ず、ここでは俯瞰的に「文化資本主義の革新的役割」と思われる点について、稲葉振一郎の「フーコーの“リベラリズムの統治理論”」の説明(『リベラル共和主義』より)などを参照して纏めておく。


(関連/参考情報


『アベノミクスこと“安倍晋三『追憶のカルト』+ネオリベ(新自由主義)なる理念不在のインチキ経済・財政政策”が、近未来の日本に暗澹たる影を落とし始めた現実』の恐るべき事例


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★【酷すぎ】内閣府が年金支給開始年齢を70歳よりも後にできる制度作りの検討を開始!有識者検討会「75歳とか、もっと延ばしてもいい」

Yahoo!ニュース朝日新聞) 2017.7.19 http://yuruneto.com/nenkin-naikakuhu/


・・・


●文化資本主義の革新的役割は、「外国人、観光客、都会人、ビジネスマン、その他の庶民層など諸々の民族・性差・身分差・年齢・職業などの壁を越えた多様な来訪者である外在性との触れ合い、つまり異質性と親密さの空間を共創(造)することである。これは、<「我々の知識や信念の総体は、周縁部(fringe)でのみ個々の経験と接しつつ、夫々の信念体系内の各命題に割り当てられていた真理値を再配分する人工の構築物として変化し続ける」という、あのウィラード.クワイン(米国の哲学・論理学者)の「ヒトのコミュニケーションを説明するメタファー」を連想させる(関連参照/http://urx2.nu/EFpU)。


●また、文化資本とは、例えば池上英子『江戸期プロトモダニティhttp://u0u0.net/EyAB』の如き伝統・文化から生まれるスピリットを地域の伝統産業などの中に取り込みつつ内在化させて、そこから新たな外在性(偏執的なマネタリズム市場原理を超えた付加価値創造的な視点の発見など)を生み出す、まさに「“リベラル共和主義”の時代に相応しく、ノモス・エトノスも十分視野に入れた持続的で漸進的な経済活動の原動力となり得るもの」である。


●端的に言えば、文化資本主義は旧来の新自由主義(マネー市場原理主義の暴走)の奔流に飲み込まれてしまった、大量画一生産とグローバルスタンダード(世界標準化)なる、現代の世界でメジャー視されている「新自由主義に基づく資本主義経済」へのアンチテーゼである。


(文化資本主義の基礎構造について/三つの類型)


先ず、この『文化資本論入門』が示す文化資本の四つの類型からエッセンスを敢えて三つに集約すると以下のとおりになる(ベースは池上淳氏による分類/一部をtoxandoriaがアレンジ)。


(1)国や地域の総合イメージの母胎となる有形無形の「象徴型文化資本」(集合意識も含む累積された歴史経験の象徴)


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・・・日本の「象徴天皇制」はその最たるものと言えるだろう。委細は下記ブログ記事◆を参照して頂くとして、上の池上英子『江戸期プロトモダニティ』の記述を部分転載の形で、少しだけ此の問題に触れておくならば、それは「徳川幕府は古来の歴史を背景とする皇室(朝廷)と京都の貴族文化が持つ象徴的・美的パブリック圏(日本文化の核心たる“美と礼節”の領域)を大公儀のバックボーンとして利用せざるを得なかった。これこそ、日本の歴史・文化の本流と見るべき日本の権力と美学の<保守>に関わる絶対に避け得ない事情であった。それ故、日本の正統保守を定義する場合に避けて通れないのが此の意味での皇室・朝廷文化にルーツを持つ美的パブリック圏(日本の文化と学芸の領域における皇室(朝廷)・貴族文化の公的権威を象徴する有職に関わる知識・教養・知恵の共有空間)の問題である。」ということだ。

・・・その意味でも、戦前型への「追憶のカルト」(安倍政権が執拗に謀る現人神天皇制の取り戻し=正統保守を騙る、偽物ウルトラ保守の意味で偽装極右と呼ぶべき!/リベラル共和主義と真逆の暗黒世界への退却!)は、日本の未来の運命に関わるオール政治・文化・経済を破壊する致命的な誤謬である。


◆盲点「RAS/江戸プロトモダニティー」は安倍晋三ら偽装極右派の天敵/仏教と国家神道の“量子的もつれ”、「神仏習合史」に真相が隠されている/2017-05-18toxandoriaの日記、http://urx2.nu/EFlf


(2)目に見える見えないかの別を問わず、地域固有の「空気」に触れる中で、職人、商人、顧客(市民と来訪者)が生み出す地域固有の伝統や習慣、リピーターらとの対話による商談システムと品質デザイン等の創造開発、生産・流通・消費システムの開発など。


(3)(1)象徴型文化資本(換言すれば、正統保守的な価値観/補足、toxandoria)を媒介とした「目に見える広義の文化遺産」と「目に見えない広義の文化遺産」の統合が生み出す、「都市と農村・地方の交流」、「広義の社会人大学など地域アカデミズムの立ち上げ」、「広域公共文化圏の育成」など。


エンドレスに文化資本のタネを発見し続けるためのプロセス/池上 惇氏による)


(a)旧来の資本主義における経済資本は「マネーを増やす元手」であるが、文化資本は「文化そのものを生み出す元手」である。>


(b)最も重要な「文化資本」のベースは「象徴型文化資本」の理念の理解を深めることだが、リアル経営体が持つ「組織名」、「企業名」などから着手し、具体的活動を先行させることが先ず肝心である。

・・・この方針のもと、池上氏は遠野(岩手県)、高山(岐阜県)、京都などで文化政策まちづくり活動を実践してきた。


(c)次のステップとして大切なのは、(b)の経験を介しつつ地域固有の(a)「象徴=シンボル」の背後にある集合意識的な深層を探求することで、具体的な文化資本に基づく個々のアソシエーション的な活動の中で「目に見えない新たな文化資本」を発見してゆくこと。

・・・つまり、あくまでも文化資本は「マネーではなく、文化そのものを生み出す元手」であることを忘れないことが大切であり、マネーの増加(旧来の経済で言えば付加価値創造、経済成長)はその結果とみるべきである。


(リベラル共和主義への希望の土壌、文化資本が育む“アソシエーション経済”のネットワーク創造への期待)


今や、全世界は事実上の主流経済派である新自由主義(ネオリベラリズム)の錦旗の下で生き残りをかけた激烈なグローバリズム競争が進行中であるが、その最先端は国際金融市場である。そして、その新自由主義のトレンドはIOT、AI(人工知能)らの進歩と相まって日々にムーアの法則を遥かに凌駕するほどの驚愕すべき勢いで急激に加速しており、その激烈な副作用である格差の拡大が止まるところを知らずの恐るべき状況となっている(ムーアの法則:インテル創業者の一人、ゴードン・ムーアが唱えた“半導体の集積率は1年半で2倍になる”という経験則)。


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その新自由主義が如何にして何時に誕生し、如何なる戦略下でグローバル展開がなされてきたかについては、「戦後の米国一極支配体制の成立史」と「多国籍コンソーシアム」の二つの切り口から分析・批判して、新たな可能性の方向である「社会運動家スーザン・ジョージのアソシエーション(トランスナショナル世界市民運動)の可能性」を報告する注目の書、日下部 史彦著『新自由主義に抗して スーザン・ジョージと世界市民運動』(SSBパブリケーションズ)が6月末に刊行されているので、ここに併せてご案内しておく。是非、一読をお勧めする。


さて、池上淳著『文化資本論入門』によると、それは逆説的な現象であるが、近年はIOT、AI(人工知能)ら情報処理技術がますます高度化するにつれて「画一的な製品を大量生産する形」から、まったく正反対に「各顧客の多様で個性的なニーズに合わせることを得意とする多品種少量生産の体制」が可能となってきている。


このように新たな生産工程(生産工場)が誕生する可能性が拡大するトレンドの萌芽は、過疎化など周辺環境の劣化に伴い急速に失われつつある日本古来の伝統産業や伝統工芸技術、あるいは個性的で希少なエトノス・自然環境も含む歴史遺産などを再発見し(当然、日本だけとは限らないが)、いよいよ本格的にそれらを再活性化するか、あるいは内外の人々との繋がりを最重視するアソシエーションへと高度化するチャンスが次々に生まれるようになるとも考えられる。


無論、この場合のアソシエーションは、政治・経済的な市民の連帯・提携運動というよりも、地域産業や地域の個性的魅力に関わる問題意識の共有化、類似の伝統工芸技術等に関するアイデアの創造、又は広域観光事業などについての非常に幅が広い連携とネットワーク活動の意味である。ところで、この伝統産業・伝統工芸技術などに関わる多品種少量生産については次のような特徴がみられる。


例えば、ある優れた職人の仕事の制作工程では、AI装備等の機械に任せられる部分と、機械では実現できない精妙かつ精巧な熟練した人間、つまり職人の技巧、判断力、感の発揮などが繰り返され深化する工程の中には、その技術(者)自身が絶えず成長して行くファクターが混在していることが多いとされる。その意味で、これは芸術的価値や芸術世界の創造性との接点とも見えてくる。


一例を挙げると、近年は韓国・中国で日本伝統の「木造家屋」建築技術(クギを使わない木組み技術)と優れた日本産の森林(家屋建築)材への関心が高まっており、日本自身が見失いかけている木造伝統技術を再生し、それを輸出産業化するチャンスでは?と期待が膨らんでいる。そもそも木組み技術は古代に半島・中国から伝来したものだが、これら両先輩国では殆ど関連技術が消滅しており、日本が得意とする一定の少量特注生産へのAI技術を活かした対応などに期待が集まっている(関連/参照↓◆)。


◆韓国でヒノキブーム 日本の木造建築学ぶ20170526岐阜新聞

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170526/201705260917_29731.shtml


大量生産の論理・工程をこれら伝統産業の中で内部化する(そのためのビッグデータ等の判定・評価はAIが得意!)ことによって、どのような顧客ニーズにも臨機応変に応えることが可能な製品を一定量ごとに適量生産する体制が整うと同時に、それら仕事の受注により、一人ひとりの優れた職人の仕事そのものが更に磨かれる機会が増え、より優れたものとなる可能性が高まる。しかも、その代替が困難な特殊な技術をやる気がある後継者へ確実に伝えることも容易となる訳だ。


そのような形で伝統産業の遺産が潜在する日本全国の町や村、あるいは諸都市の中に点在する旧市街地や津々浦々に埋もれ消えかかりつつある伝統産業、伝統工芸技術などを意欲的に発掘し、あるいは再発見し、それらに関わる新たなベンチャー投資や、新たなニーズを掘り起こし、又それらの生産活動にに取り組むことで、人口減・過疎化・高齢化・後継者難・シャッター通り化などで悩む地域経済の活性化も可能となる。


一方、これらを内外の観光事業とリンクすれば、そこから波及する産業と経済活動の範囲が格段に拡大することが期待できる(関連/参照↓◆)。


◆岐阜県(高山市など)には外国人観光客が集まる!

http://www.connect-to-world.com/%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C/ 


◆フォト・ギャラリー/高山市などの風景、アラカルト

https://goo.gl/photos/yhyhCdeMd4WyiQYg8


(リベラル共和主義の土壌、文化資本主義へ覚醒した歴史上の先進事例)


・・・ヒントは、<マネー資本主義(市場原理)が暴走するか又は大恐慌の時に顕著に意識化される、マネーならず「特に地域におけるノモス、エトノス(自然・文化環境)」こそが我々の共通の元手(持続を保証する資本)だというリアル>についての気付き・・・


第1章のアンシュタルトに関わる説明でも触れたが、統治パターナリズムとしてのリベラル共和主義の可能性は、その暴走についての冷静な観察の中でこそ発見できることになる。例えば、私的な統治権力である市場原理主義が暴走した時に出現する<格差>の不条理を、逆説的に気付かせるのもその暴走するアンシュタルト自身だ。そして、その気付きへどう対処すべきか、という政治的な思考の地平から浮上するのが「リベラル共和主義」への希望の問題である。


ところで、稲葉振一郎『政治の理論』によれば、フーコーは精神医学・刑事司法などについての様々な言説の詳細な歴史的・文化的・学問的な分析によって、従来は「権力」と見なされてこなかった社会的な営み、つまりその文化・歴史・学問・技術的な体系の中に「権力」の作動と動因が観察されることを発見している。従って、フーコーの政治哲学には必然的に次第に科学史探求的な色彩を帯びて行くという特徴がある。


このようにして、フーコーの政治哲学(統治理性)に関わる視野の範囲は人文・社会科学という狭いドメインに止まらず、マイクロバイオーム的な視野も含むアプローチによる生物学、医学、生理学、生命科学、環境・生態学などの所謂「生政治」(凡ゆる生命・社会環境と個体生命を一元体に集約統治する権力/カトリックのヒトの“内面・生命現象”に関わる管理構造からヒントを得た司牧者権力、バイオポリテクス)のフィールドへと拡がって行くが、恰もそれは東 浩紀が「環境管理型権力」と名付けたノモス・エトノス的な、あるいはアンシュタルト的な概念に重なってくる。


その「環境管理型権力」は人々が自らの意志で楽しく行動する(繰り返しテーマパーク施設を訪れるリピーター型思考に因る)ことで、結果的に容易には可視化し難い強力なノモス(ネオ・ノモス?)的、アンシュタルト的な権力に管理・操作されてしまうという未来社会に想定されるイメージだ(出典:東浩紀、大澤真幸自由を考える』−NHK出版協会−http://ur0.link/EBcE)。


見方を変えれば、我々が、AI・IOTらの進化と共にこのフーコー「生政治」的なアンシュタルト統治の世界の中心に向かって、やや一方的に取り込まれつつあるのは間違いがないと言えるだろう。だからこそ、いま最もリアルに意識すべきものが、先に触れたエトノスとコンシリエンス(人文&社会両知の親和的融合)の認識という革新的な方向への発想転換である。なぜなら、それこそが民主主義のミニマム条件である「自由」と「生存権」を主体的(主権者的)に守り続けるための必須条件と思われるからだ。


更に重要なのはそのような意味で我々の日常性の次元が決定的な「生政治」の方向へ展開するという意味で全く異次元なアンシュタルト社会の到来に備えるため求められるのが、いまや無効化した「新自由主義」に代わるものとして位置づけるべき「文化資本」と市民生活の「日常性」に関わる政治・経済的なイメージの確立である。それは、我われ命ある者の「日常性」(文化資本に基く日常生活リアリズム経済論/国民層の日常性、つまり日々の生活の営みこそが持続的な経済成長の元手であることへの覚醒!)こそが「リベラル共和主義」のベースであり、それこそが持続的な経済成長の必須要因であるからだ。


(1)マネー資本主義(市場原理)の機能不全、「大恐慌」下の米国で出現したTVA「Tennessee Valley Authorityテネシー川流域開発公社」の文化資本主義の観点からの再評価


第一次世界大戦後の軍縮期を経て起きた大恐慌(マネー資本主義(市場原理)の機能不全)の泥沼から脱出するため、それまでの古典的・自由原理的な経済政策から、政府が市場経済に積極的に関与する政策へと転換した米F.ルーズベルト大統領のニューディール(1933〜1936)は、当時から今に至るまで、その効果に関わる評価では様々な議論が戦わされてきた。しかも、世界で初めてケインズ乗数理論を取り入れたとの定説そのものまでも疑う(同理論とは無関係だとする)議論まで現われている。


いずれにせよ、ルーズベルトはグラス・スティーガル法の制定(銀行法とも呼ばれる対金融活動の規制法/連邦預金保険公社・設立と“銀行⇔証券”の分離)と金融緩和策の緩急の組み合わせで金融収縮(取り付け騒ぎ)に終止符を打ち、米国の景気回復への道筋を敷いたことは間違いがなく、それは第二次世界大戦後の資本主義諸国の経済政策にも多様で大きな影響を与えたとされる。


なお、1999年11月に共和党が多数を占めた上・下院は「グラス・スティーガル法を廃止」し、銀行・証券・保険を兼営する総合金融サービスを自由化する法律を可決、クリントン大統領(民主党)が署名して同廃止法が成立した。このため新自由主義が金融をも自由競争に曝すこととなり米国経済は、その後、金融工学(コンピュータマネーゲーム)商品が暴走し、リーマン・ショックなどの問題を引き起こすことになった。


ともかくも、マネー資本主義(市場原理)の機能不全である「大恐慌」下の米国に出現した、一連のニューディールの主柱の一つであった「テネシー川流域開発公社」の仕事は、欧米史上で初めて「文化資本の理念を身につけた民間人(財界人、学者、弁護士ら)」が、政府の所有する放置されていた資産・資本を基礎に、「金融(マネー)市場での投機」経済から、機能不全と化した「資本(信用崩壊で殆ど無価値化したマネー)活用の場」を、「ルンペン・プロリアート化した雇用者マネーのフロー&ストックを増やす場」へ転換したという意味で、まさに「文化資本主義」を実行したプロジェクトとして高く評価すべきであると、『文化資本論』の著者・池上 惇氏が指摘している。


(2)日本/明治維新政府が特に日露戦争以降に悪しき精神主義の原理として<印象操作>で悪用した幕末前期の経世家、二宮尊徳の「仕法」(文化資本経営)に関わる再評価


二宮尊徳(通称/金治郎)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家であり、明治期以降に各地の小学校などに建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿(負薪読書図/ルーツは中国の朱買臣図http://urx.mobi/EBSnで、これが狩野派の伝統的な画題として定着していた)の記述は、明治14年(1881年)発行の『報徳記』が初出であるとされるが、これは尊徳の実像ではない。


報徳の地域再生構想や実践は「報徳仕法」と呼ばれるが、同じく池上 惇氏はこのシステムは現代にも十分に活かせる、まさに「文化資本主義」の実践であったことを指摘している。「報徳仕法」のエッセンスを端的に言えば以下のようになる。


「農業にせよ、商業にせよ、工業にせよ、あるいは公(幕府・諸藩ら)の財政であっても、およそ凡ゆる事業・公共事業は地域資源(環境も含めた自然、伝統文化、ヒト)の有効活用と合理的な計算を基礎としつつも、常に関係者全ての支持と共感を得ることが大前提で、近江商人と同じく三方よし(自分、相手、世間)を忘れず実践することにあり、余剰の金銭(付加価値創造としてのマネーの増加)はその結果である」


しかし、この二宮尊徳の先進的な「文化資本主義」の理念は、特に僥倖の勝利(まぐれ勝ち!)に過ぎなかった「日露戦争」以降には「国軍の父」とも称される山縣有朋らを中心とする人脈によって、軍事国家主義を支える偏った精神主義の方向へ著しく捻じ曲げられ(仕法オリジナルの文化資本主義的なエトノス観念的(≒リベラル共和主義的)な経営の実践は禁止となり)、結果的にそれは一般的にも「富国強兵国家」の精神的な原理としてだけ見られるようになり、まさに<印象操作>的に悪用されてしまった(参考⇒京都学園大学経済学部教授・川田耕『道徳と主体』

http://urx.mobi/EBSN)。


4 市場原理をリベラル共和主義の有意ツール化する/“見えざる手”の暴走を乗り越えるためのパターナリズムの方向性


・・・「中庸」を前提とする「合理性の限界」への気付きが決め手!・・・


現実的に人間は非論理的な行動をとることが多いが、経済合理的な個人(ホモエコノミクス)が前提の理論モデルは非合理な個人行動のモデルを構築する上でも大数観察的に有効(投票結果予測の出口調査に相当する)と考えられており、この合理性モデルをベンチマーク(比較のために用いる指標)として構築・活用するアプローチは一般に方法論的合理主義と呼ばれ、市場における消費者の選考(選択行動)の評価などで幅広く活用されている。


また、この“経済主体の嗜好や行動様式を表現する最も基本的な概念”である「選好」は、選択肢の集合上に定義される二項関係を意味しており、無差別関係(どの2点でも互いに差別がない水準を示す関係)や効用関数(ある財の組合せが示す効用水準の関係)も選好(関係)から導かれる(選好が合理性の条件を満たすとき、全く同じ情報を持つ効用関数が無数に存在することも知られている)。


しかし、ある経済主体(ホモエコノミクス)が2つの選択肢aと bについて、どのような主観的評価をしているかは直接観察することが出来ないので、経済学では直接観察することが可能な実際の行動の観察を通じて(効用関数に時間の要素を加味した動学的な視点を加えて)経済主体の選好を推定することになり、これが「顕示選好理論」と呼ばれる。


この顕示選好理論の実用性を直観的に分かり易く表現すれば、それは「顕示選好理論に基づく市場観察から得られた、ホモエコノミクスの最も代表的な消費行動パターン・モデル」を抽出して、ミクロ経済学の諸領域である、マーケティング、消費者行動分析、企業行動分析などで多面的に有効活用することができる、ということである。


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ところが、この顕示選好理論の規約定義(暗黙の約束事として前提されているルール)は「いずれにしても、ある経済主体(ホモエコノミクス)が自分自身の判断と責任で選択したものは、その個人の利益であると見なす/アダム・スミス“神の見えざる手”」ということであるが、実はこの点こそがホモエコノミクスを主人公とする「自由放任主義」物語の致命的な欠陥である。それは、「全ての“アダム・スミスの思想大系”が“神の見えざる手”一色だとするのは根本的誤解」だということが、次第に明らかとなってきているからだ(出典:若松良樹『自由放任主義の乗り越え方』(勁草書房))。


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この若松良樹『自由放任主義の乗り越え方』によれば、認知心理学の手法を経営学に導入した「行動経済学」の理論に基づく論文「A Behavioral Approach to Law and Economics 2000/Christine M. Jolls , Cass R. Sunstein,and Richard Thaler http://urx.mobi/ECbD /未邦訳」が、<実際の人間には市場原理主義が前提するホモエコノミクスとは異なる、下の「三つの限界がある」こと>を明らかにしている。言いかえれば、クリスティーヌ. M.ジョルズ(Christine M. Jolls/行動経済学者、労働法学者http://urx.mobi/ECci )、キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein/法学者、環境法学者http://urx3.nu/EGyH)らが、かの「自由放任主義」から新自由主義に繋がる一連の物語の致命的<欠陥>を見事に指摘したことになる。


(1)計算合理性の限界

・・・これは計算能力の限界に因るもの。チューリングマシンコンピューター、AI)の計算可能性問題(停止性問題の決定不能性定理http://u0u1.net/ECBy)に留まらず、例えば米トランプの如き思い付き型「恫喝政治」や安倍政権が好む「アベノミクスの失敗を絶対に認めず弥縫策(AI万能ツール視、原発リスクのゴリ推進、軍需&カジノ経済など)を出しまくるバクチ経済政策」は計算が不可能な“まさか(不確実性)=信用崩壊”の世界へ国民を陥れることに繋がる(浜矩子、http://urx3.nu/AHiu )。


(2)人間の意志力の限界(強靭な意志力の驕りは中庸に敵わず!/偶然に生れ落ち持続する生命の論理に反する!)

・・・哲学で言う「意志の弱さ」に相当。これも米トランプの思い付き型という「恫喝政治」に典型事例が観察される。長期的な利益(持続性)を無視させて「目先の短期利益」の方向へ人々を巧みに誘い込むトランプ・ポピュリズムは、この「人間一般の意志の弱さ」の逆利用。


(3)マイファースト自己利益の限界(オレ様のお零れ分配での共生ならぬ皆で仲良く共倒れの誤謬!)

・・・「マイファーストに因る“自己利益”最大化の意志」と「多レパートリー可能性の中の一つを選択することにより持続性を保証しつつ共有利益を確保する意志」、のいずれかについての選択(意志)は相矛盾する。驚くべきことに、後者「多レパートリー可能性の中の一つの選択」はヒトの脳内での「意識」発生(意識統合)or生命(の持続)の問題と相似している。他方、捨てられた99%超レパートリーの検証が歴史と生命実存の意味、とも言える!(関連参照⇒http://u0u1.net/ECBM)。


・・・だからこそ、資本主義の持続性を保証する中庸な「限定合理性」、および人々にその必要性を認識させ得る一定の抑制パターナリズム(=エトノス・パターナリズム/絶えずノモス・エトノス環境との調和へ十分に配慮しながら、国民総意の主権者意識を実行する統治権力/統合的な『主意主義』)が必須であることの理解の共有(リベラル共和主義の可能性へのアプローチ)が肝要となる・・・


<注3>主意主義(voluntarism)

・・・人間の精神の中で、「意志」(意思に方向性が加われば意志、と仮に定義しておく)の働きを知性・理性や感情よりも重視する哲学・神学上の立場のことで、主知主義(知性・理性を重視)、主情主義(感情を重視)と対置される。現在、先端的な脳科学・AIなどの研究分野におけるヒトの意識の研究でも、人間をヒトたらしめる要素(アイデンティティー)の決定的なファクターとして「意志」(or意思)の問題が重視されている。

・・・主意主義と深く関連する「人間の自由意思」の問題で忘れてならない人物に13世紀スコットランドの神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウス(その思想の徹底的な緻密さから精妙博士(Doctor Subtilis)と呼ばれる)がおり、彼はフランチェスコ派スコラ神学者で、後にパリ大学教授となった人物(http://u0u1.net/ECHx)。

・・・スコトウスは、先ず「絶対的に正しい自由意思」を持つのは神のみであるから神は先ず純粋にその自由意思で世界を創造したと理解し、アウグスティヌスの「自由と理性の両者に対する神の絶対的先行性」を留保して、神だけが持つ「正しい自由意思」が神自身の「理性(知)性」の判断とは無関係に先ず世界を創った、と考えた。

・・・更に、スコトウスは、神に劣後する人間の「自由意思」が常に善悪について「絶対的な善」を選ぶことはあり得ないながらも、偉大なる神の見守りの下にある人間(その意味でも謙虚であるべき)には一定の判断力が、つまり善か悪かの道が選べる最小限の「理(知)性」は与えられており、同時にその人間が正しい判断を下すことができるよう一定の自律的な「自由意思」も与えられていると考えた(中庸の宗教観/これは、カルト宗教の危険性についての逆説的な論証ともなっている!)


・・・


上に掲げた「限定合理性」を確保するための検討で、更に必要となる各論的な方向性として、『自由放任主義の乗り越え方』の著者、若松良樹は以下の課題を指摘する。なお、これら各論の検討については、その一部が第五章と重なる部分もあるうえ、ここでの更なる議論はページ数の容量限界もあるので、項目の列記に止めておく。


リバタリアン・パターナリズム(一匹目のキマイラ/誤解されたままのアダム・スミス“神の見えざる手”の別ヴァージョン)の台頭と限界

●最大化としての合理性、完全合理性の失敗(同じく、二匹目のキマイラ/同上)

●最も有効と思われる「中庸の徳」なる限定合理性(既述のとおり、そもそもアダム・スミス“神の見えざる手”が誤解の賜物であった)

●コンシリエンスによる行動経済学・生態学的な合理性の有意性の検討が喫緊の検討課題(ノモス、エトノス観念との関連性が大きい!←補足、toxandoria)


5 リベラル共和主義の核心は、無産者層の“有資産化とリアル政治参加”機会の拡大


(リベラル共和主義の核心1/無産者層の“有資産化”が持つ重要な意義の再確認)


・・・第二章で、産業組織論の観点から「無産者層の“有資産化”が持つ意義」について既に述べているが、ここでは些か異なる観点から同じことを考えてみる・・・


いまの世界は新自由主義がもたらし続ける格差、いわば「ルンペン・プロレタリアート(無産層化)の増加傾向」を如何にして弱め、ひいてはそれを解消できるかの課題を突き付けられている。そして、格差解消と持続的な経済を創造することへの希望を託したということ、換言すれば「新たなリベラル共和国」フランスへの深化を期待するという点で、つまり反知性主義の米トランプとは異なる<共和主義・再構築の意志>への共感という意味で圧倒的な国民の支持を受け登場したのが、フランスの若いマクロン大統領である。


その仏マクロン政権への期待は、今まで見たことからだけでも明らかなのだが、エトノス意識下での持続成長のカギとなる<「無産者層の有資産層化」を実現する“日常の政治学”(そのカギとなる形骸化した労組問題の解決が急務!)の重要性についての覚醒(目覚め、気づき)>があったのではないか?と思われることだ。


一般的に、見かけでは街頭デモやストライキ活動が活発であることなどから、フランスは労働組合の活動が活発だと思われている。しかし、少し細部をクローズアップしてみると、実は、フランスの労働組合の組織率は、官民の全セクターで全7 〜8%程度、民間企業は5%程度と推計され、これは欧州諸国では最も低い組織率である。因みに、日本は全セクターで17.3%(2016年/http://ur0.biz/EE0l


しかし、フランスの労働協約の適用率は92%と驚異的な高さであり、ほぼ全ての労働者がその適用範囲に入っている。それは、フランスでは労働省の省令(1936〜、http://ur0.biz/EE0u)によって労働協約が産業別に締結されているが、組合員か非組合員かの別は問わずに、該当する産業で働くすべての労働者に、その労働協約の結果が拡張して適用されることになっているからだ。この点は日本と決定的に異なっている。


フランスの労働組合活動(労使関係)には別の面でも大きな特徴がある。それは(労使双方ともだが)、彼らの多くは法律・労働法の専門家であるか、あるいは一人ひとりが何らかの分野の専門家である。つまり、フランスの労働組合活動では特に左派系のインテリ層の人々が専従で仕事に携わっていることが多い。


然るに、イデオロギー的には急進左派であるにせよ、又は一般にその真逆と理解されているリバタリアン(急進リベラリズム)にせよ、新自由主義に席巻された資本主義の現状の下で両者は、益々、夫々が急進ウルトラ化した。一層“先鋭化”したからこそ、彼らは「民主主義と自由主義(自由原理主義)は両立しない」というアレントの主張(ノモス法の原点)に嵌ったまま戸惑っている可能性が高い。が、アレントの真意は古典的な「ノモス法の原点」に、ただ止まることではない。その証拠にフーコーの思考をそこで介在させると、既に見てきたとおりだが、そこから明らかにリベラル共和主義(ノモス・エトノスをベースとする中庸な文化資本主義の時代)への希望が見えてくる(稲葉振一郎『政治の理論』のtoxandoria的な解釈だが・・・)。


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また、金融資本市場(マクロンは、その勝ち組である投資銀行キャリアを持つ/これを批判する向きもあるが、その分だけデジタル・文化資本主義時代への対処の知恵を持つ人物と見るべきであろう)、軍需産業、加えて原発関連産業の三分野はフランス経済の中枢基盤を形成してきたが、そのフランスでは国策の有力産業分野である原子力系、軍事技術系の労働組合活動が、良きにつけ悪しきにつけ大きな影響力を持ち、結局、彼らは既得権化して現在に至っている。つまり、全就業者数に占める一定の割合の大きさ(前者、後者共にmax.3%程度、と推測)から、これも又エリート層の、ある意味で特権と化してきた原子力と軍事技術関連という両産業分野の労働組合活動が全体の労働環境に何らかの影響を与え続けていることが理解できる。


なお、3.11フクシマの過酷な原発事故経験にもかかわらず<原発推進御用組合>と揶揄される大労組の寄り合い組織である「連合」を中核支持基盤とする民進党(その原発政策)が一向に煮え切らず、しょせんは安倍・自民党の国策「原発推進」に追随する形、ひいては与党・自民党政権の補完勢力化していることが、甚だ残念ながら、日本国民一般の意識を曇らせたまま(関連参照↓◆)にしている元凶である。一刻も早く、仏マクロン並みの「リベラル共和主義の可能性」への覚醒が民進党に求められる所以である


【労組問題どころか、日本人の「雇用関連」意識は幼稚すぎる!】日本の勤労者の約4割が「36協定」(労基法36条:法定労働時間(1日8時間1週40時間)を超えて労働させる場合や、休日労働をさせる場合には、あらかじめ労働組合と使用者で書面による協定を締結しなければならない)を知らないという調査結果もある!https://www.teamspirit.co.jp/workforcesuccess/law/36agreement.html


・・・


ところで、第二章で触れたとおり、「リベラル共和主義」的な社会の原点を古代ギリシャ・スパルタの統治(軍事国家的統治権力、自律市民を前提とする自由(リベラリズム)、市民に平等な主権を認める民主主義が共存する)に見ていたアレントの「社会論」には“そもそも民主主義と自由主義(自由原理主義)は両立しない”の言説の如く難解な点があるのは確かだ。


しかし、アレントらが重視するノモスの“そもそもの意義”が「ノモス法で定められた、その地域の環境(自然・ノモス・伝統文化・社会インフラ)の平等な分け前(取り分)を地域の住民に分け与えることだ」という理解を援用すれば、「新自由主義が暴走して格差が拡大するばかリの恐るべき資本主義社会の現況」に辟易している我々にも、改めて、希望の方向への重要なヒントを与えてくれる。 


そして、これも第二章で触れたことだが、その中でも特に重視すべきユニークな発見は、「現代の民主主義国家における統治権力(パターナリズム)と個々の労働者(雇用者)の間を仲介する「産業民主主義」(経営に一定の雇用者の参加を認める考え方/特に文化資本主義では必須となる)の主柱としての労働組合の本質的な役割をノモス法の原点を想起しつつ根本から問い直す」ということである。その意味で、労働者の団結権(労組活動)はノモス法的に考えれば労働者の生存権を守り、新自由主義の副作用である「格差」拡大のジレンマを解消するためのれっきとしたツールとなり得る。


ともかくも、このように考えれば第一章で書いた<仏マクロン政権でニコラ・ユロ環境大臣が誕生した画期的な出来事>の意味が、よりリアル化して理解できるはずだ。そして、おそらくマクロンは、「無産者層の有資産層化」を実現する“日常の政治学”に関わるフランス社会の意識改革のため、ある意味で特権化してき<フランスの雇用関係(労組活動)の改善>に加え、「格差」を解消するための柱として<消費貸借と金融取引>のファクターを基本政策に確実に取り入れつつ、旧弊化した原子力産業らへの見直しにも取り組むことになると考えられる。


(リベラル共和主義の核心2/特に日本の選挙(供託義務)には『無産者層と左派』を排除するという非民主主義(非共和主義)的で異常な政治論理が未だに潜む)


・・・ここでの表題は(リベラル共和主義の核心2/無産者層の“リアル政治参加と日常性の政治化”の機会拡大)と書きたいところだった!・・・


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しかし、日本の選挙制度(1950年に制定された公職選挙法)では、1925年制定「普通選挙法」の「供託義務」が、そのまま引き継がれ放置されているので、そこには『無産者層と左派』を排除するという非民主主義(非共和主義)的で異常な政治論理が潜んでいる。


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供託金の問題は、共謀罪、文書管理法の問題と共に日本の民主主義(厳密には、国民主権に基づくエトノス・パターナリズム型(当記事冒頭の<注1>を参照)の統治)の根幹であるが、メディアが殆ど真剣に取りあげないこともあって、一般的に関心が薄い。第三者機関のチェック、裁判所(司法)の意識改革らと連動した、市民・国民自身の覚醒が全てのカギとなる(右画像は、20170712中日新聞http://urx2.nu/EFRtより転載)。


そして、その核心部分は、「日本国憲法:第四十四条」の<「両議院の議員及びその選挙人の資格は、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」の“誰でも選挙に出馬する事が出来る”との主旨>が名目だけになっており、もっぱら既存政党にとり有利で、供託金を上げれば上げるほど無産者層らの新人をリアル政治から排除できるという、非民主主義(非共和主義)的な制度となっている。


このため、供託金制度は違憲無効であるとしていくつかの訴訟が起こされてきたが、裁判所は憲法47条が国会議員選挙制度の決定に関して国会に合理的な範囲での裁量権を与えていることを指摘した上で、供託金制度は不正目的での立候補の抑制と慎重な立候補の決断を期待するための合理的な制度であるなどとして、いずれも合憲判決を出してきた(1999年には最高裁が2度の合憲判決を出している)。


直近の供託金違憲訴訟では、2017年6月9日の第4回公判(東京地裁)で、裁判長が冒頭から、さらに突っ込んだ審議を行いたいと話し始めるなど、些か空気が変わり始めた気配があり、特に今後の裁判所の判断動向を注視すべきであるhttp://ur0.biz/EEfhやはり、全てのカギを握るのは「日本国民」一般の<リベラル共和主義を求める意思>と<メディアの奮起>である。なお、日本の供託金が世界各国と比較してどれほど高く、かつ異常なものであるかを知るには下★の情報が詳しいので参照乞う。(完)


★日本の選挙の謎・世界で抜きん出て高い供託金制度!http://ur0.biz/EEfJ

★供託金(ウイキペディア)http://ur0.biz/EEg3  

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