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2018-08-06 定常化を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&

toxandoria2018-08-06

定常化を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道必3選」などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>から再出発すべき

<注>“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道」必3選論の事例=『安倍首相が直面する健康不安という爆弾/総裁選の勝利は確実だがすでに総裁選で勝った後の花道論も囁かれ始めている』ジャーナリスト・安積明子 8/02東洋経済オンラインhttps://toyokeizai.net/articles/-/232026

(Cover Images)

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・・・Edouard Manet:Berthe Morisot.−1872(left)、Edouard Manet: Monet Painting on the Seine —1874(right)

【YouTube】Erik Satie - Once Upon A Time In Paris

D

プロローグ

・・・「“間違い&ウソ”だらけ、つまり“偽装”成長アベノミクス」とは、「展相(Potenz)経済学」(人間社会の力能と倫理観の発展の諸段階を重視する経済学)のコリドー(Corridor/廻廊)への視座が不在であるどころか、又そもそも指数関数的な成長曲線(参照/参考画像↓)が何処まで上昇し得るのか?という経済理論上の根本アポリア(なかなか解決の先が見えない難問)に関わる個々の疑念(例えば、トリクルダウンの論拠とされたクズネッツ曲線の有意性は、上昇期の一時期における限定的な効果を除けば悉くが揺らぎつつある!/委細、後述)や格差拡大への些かの目配りもなく、約30兆円もの嵩上げGDPの数字をでっちあげたり、果ては日銀に命じ(あるいは日銀が忖度した?)33兆円もの家計「投信」の過大計上を作為でひけらかしてみせたり(参照/参考画像↓)という具合いであり、『極めてパワフルなファッショ男』という安倍晋三の演出された政治的イメージ操作で多数派層国民が洗脳されているのをよいことに、徹底的に日本国民を欺きだまくらかすバカリの<着陸地不詳>の眉唾的で異常な経済政策を安倍政権が堂々と推進していることを指す。・・・

<注>展相(Potenz)・・・シェリングドイツ観念論)の用語で力能の発展段階(量的差異)の意味。しかし、此処では『情報社会の哲学』の著者・大黒岳彦氏の用法に倣い“質的差異”の意を加味したが、それは物理学の相転移の「相」と同意。因みに、性的能力を失った男性はインポテンツ(Impotenz)と呼ばれるが、それは勃起不全のみでなく「心理的要因等が原因で持続する不全」をも指している。

(参考画像)

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・・・代表的な「成長曲線」、http://www.kogures.com/hitoshi/webtext/stat-seicho-kyokusen/より

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f:id:toxandoria:20180801045120p:image:w305:rightf:id:toxandoria:20180801045201p:image:w360:right

・・・「捏造?アベノミクス」の事例(左=嵩上げ?GDP30兆円(内閣府)、右上=捏造?家計「投信」過大計上(日銀)、右下=年金構造の崩壊を望む?アベノミクスの暴走)

















(1)プラネタリー・バウンダリー「九つの地球環境の許容限界」/いわば、このエトノス環境(≒バイオスフィア)の危機に無関心な日本政府と日本国民はあまりにも異常!

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Johan Rockstrom、Will Steffen・・・画像はウイキおよびhttps://www.theaustralian.com.au/より

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・・・ヨハン・ロックストローム(ストックホルム大教授)とウイル・ステファン(オーストラリア国立大教授)が率いる地球システム科学の国際研究グループは「九つの地球環境の許容限界」の上限(プラネタリー・バウンダリー/Planetary boundaries/2015)を示している(http://www.stockholmresilience.org/research/planetary-boundaries.html)。

・・・欧州連合(EU)の『Energy Roadmap2050(2011) 』は「五つの脱炭素シナリオ」を実現するためロードマップ(https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/07000603/low_carbo_road_map_2050.pdf)を2011年3月8日に発表しているが、次いで、2015年9月の国連総会で採択されたSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)では、このプラネタリー・バウンダリー(九つの地球環境の許容限界)がその土台となっている。つまり、それは限られた地球環境という前提の下で未来における定常化した経済社会が必須であるとの理解が国連(の諸政策)のエンテレケイアの視野にシッカリ入っているからだ。

f:id:toxandoria:20180802064935j:image:w220:left・・・2018年7月に刊行したロックストローム氏の関連著書『小さな地球の大きな世界/プラネタリー・バランスと持続可能な開発』(邦訳版/丸善出版)は、“回復力が高い地球システムは元の状態に止まろうとするが、転換点を超えると予期しないことが起こる”と書いている。因みに、スウェーデン・英国・フランス等の「原発」利用も、そもそもこのような視座から「過渡的な推進策(経済原理で淘汰され得る利用技術)」と位置付けられている。つまり、このような点こそが<日本の『フクシマ3.11“過酷”原発事故』を無視する“偽装”成長政策であるアベノミクスと連動させた国策「原発」>との決定的な違いである。

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(関連情報)

◆生物の遺伝情報を自在に改変できる「ゲノム編集」技術で作られた作物について、EU司法裁判所は、「遺伝子組み換え作物(GMO)」と同じ規制を適用するとの判断を下した。ゲノム編集した作物、遺伝子組み換えと同一規制に EU:20180727朝日https://www.asahi.com/articles/ASL7W3HW1L7WUBQU003.html  

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・・・プロクルステスの寝台の画像はウイキメディアコモンズより

◆人間に合わせ無理やり作物の遺伝情報を改変する作業は“アベ一強 or トランプ・マイファースト”主義らにも通じるThe Modern Bed of Procurstes式の<ブラック・スワン(めったに起こらないが壊滅的被害をもたらす事象)をムリクリ呼びこみかねない傲慢かつ異常で、しかも酷く愚かな発想>なので、上(ゲノム編集した作物、遺伝子組み換えと同一規制に)はGDPR(EU一般データ保護規則)と同じく欧州連合(EU)の極めて妥当な判断!

・・・<注>The Bed of Procurstes(プロクルステスの寝台)はギリシア神話にあるマイファーストの強欲な強盗プロクルステスの話であり、彼は旅人を自分の宿のベッドに無理やり寝かせたが、その旅人の身長が短すぎる場合には脚を叩き延ばし、ベッドが短すぎる時には旅人の身体の端を切り落として無理やりベッドに合わせたとされる。7:03 - 2018年7月28日 https://twitter.com/shinkaikaba/status/1022965752775749635

1 EUの視野に入る未来経済へのコリドー(廻廊)とは

1−1 展相(Potenz)経済学(未来経済へのコリドー(廻廊))の具体的イメージ

(文化史的なコリドー(廻廊)の意味)

f:id:toxandoria:20180801030517j:image:w400:leftシャルトル大聖堂ステンドグラスコバルト・ブルーの美しい発色は13世紀の職人が創った。無論、現代の科学技術を使えばそのシャルトル・ブルーと同色の再現も可能であろうが、800年を超える歴史と自然環境の影響を受け続け風化した美しい発色をいま目前にして、その感動を素直に味わうのが正しい意味での「正統保守的な可視歴史観」(“直感的イメージと歴史経験イメージの含意的統合”により、現代人が普遍的に共感し得る新たな文化の創造(想像力による結合的イメージの創造/ドイツの心理学者W.Wundtによる)ということではないか(シャルトル大聖堂の北の薔薇窓(尖頭窓)の添付画像はCreative Commons、より)。

f:id:toxandoria:20180801030635j:image:w400:rightゴシック建築の構造的な特長(バシリカ型の場合)は、リヴ・ヴォールト(円形状天井)、尖塔アーチ、フライングバットレス(飛梁/外壁を支える斜め上がりの構造物)の三つだが、その内側には身廊(入口から主祭壇に向かう中央通路の袖廊に至る迄の部分)、袖廊(十字形の建物の身廊に対し直角に配置された部分)、両側廊、中央塔(orドーム)、周歩廊、内陣、アプス(後陣/最も神聖で重要な部分)等が配置されている。これら配置のなかで先ず最初に最も重要なアプスの方向へ、その教会を訪ねた人々を正しく誘導する「身廊」の役割が如何に重要であるかは説明するまでもなく理解できるはずだ(画像はhttp://deo.o.oo7.jp/construction/study/Europeanchurch.htmlより)。従って、厳密に言えば、『展相(Potenz)経済学(未来経済への廻廊)』の“廻廊”とは、特に「身廊」のことを意味している。

f:id:toxandoria:20180806052705p:image:w770:leftf:id:toxandoria:20180807061052p:image:w360:right





















それはともかく、欧州の人々の内面の襞の奥深くにはカトリックプロテスタントの別を問わず、特に中世ゴシック期以降の教会建築内部での五感を介した感動的な宗教体験(荘厳な教会堂建築やステンドグラスの輝き、聖歌(ミサ)または讃美歌の美しいハーモニー等の共鳴がもたらした)の残照が持続しており、それが啓蒙主義に基づく普遍意識の胎盤として、特に近世以降のルソー「市民宗教」意識にも貢献したのではないかと思われる。このように書くと、それは「政教分離」原則に反するのでは?と疑問を呈する向きも少なくないが、政教分離はあくまでも公共空間でのこと、あるいは公共政策に特定宗派の影響力を大きく行使しないということであり、国民・市民の日常を支える共有基盤としての寛容な宗教観を人々が尊重し合うことは、ごく自然なことと考えるべきである。その意味での洗練された宗教観は、特に我が日本で問題となっているカルトや狂信の類(例えば安倍晋三政権と日本会議靖国神社らとの結びつきなどで見られる通り、それが政治権力と癒着する傾向が強いこと)とは無縁である(詳しくはフランスのライシテhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170320、ドイツ型政教分離原則http://d.hatena.ne.jp/saisenreiha/20060913/115812930などを参照乞う)。

f:id:toxandoria:20180801030904j:image:w190:right因みに、ティヤール・ド・シャルダン(世紀末〜20世紀全般に活躍した仏のカトリック思想家、古生物学者/キリスト教的進化論を唱え、当時のローマ教皇庁から異端視された)の影響を受けたマクルーハン(カナダの英文学者、文明批評家)が人間の精神の進化が地球を超えて宇宙的な共感へ昇華する可能性があると主張していたことの真意(Potenz経済社会時代への予感を持っていたらしいこと)が分かるようになってきたため、近年、その英ケンブリッジ時代に取り組んだトマス・アクイナス論、あるいは中世修辞学研究等との関りで高度情報化時代にも通じる非常に先見的なメディア論者として再認識されつつある。換言すれば、それはマクルーハンが「1.マッハ感覚論的素材性のエネルゲイア(日常世界で共鳴するリアル意識)、2.巨大WebネッットDB汎“知”が刻々と創造するデュナミス、3.ルソー「一般意志」(普遍観念)が象徴するエンテレケイア」という三つの異質な世界が鼎立する高度情報社会の到来をすら予見していたと思われるからだ(当マクルーハンの再解釈についての出典は、大黒岳彦『情報社会の哲学』―勁草書房―)。

言い換えれば、それは人間が広く繋がりつつ十分協力的に創造し続けるため必須の構造であるが、この21世紀にこそ意識化されるべき社会構造(1.日常のリアル生命連鎖、2.潜在力を秘めて巨大化する中立的・機械的高度抽象性、3.ヒトの間主観性が支えるべき感性親和的・開放的抽象性)という、いよいよ本格化するAI・BD−Web型高度情報化社会の時代においても、これらの生殺与奪権を握るのは矢張り飽くまでも「ヒューマンな倫理」が意識できる人間自身であるということだ。そして、、仮に2.(AIロボットらも此のジャンルに入る)が暴走することにでもなれば人類滅亡の危機に瀕する可能性すらあると思われる(関連参照/下記★)。

★20180701toxandoriaの日記/ボディーブローとなりつつ世界中へ拡散する安倍ネオ・ファッショ政権の恥!/高度Web情報化で本格的「出現」が懸念されるネオ“優生学”ファッショの超リスク http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701

(参考情報)

・・・“保守に関わる正統と異端の分かり難さで混乱する日本国民!”が、アベ一強の一因では?https://twitter.com/shinkaikaba/status/1024062238460506114

f:id:toxandoria:20180806173026p:image:w400f:id:toxandoria:20180806173104p:image:w370


(EUの視野に入る未来経済へのコリドー(廻廊))

f:id:toxandoria:20180801160936j:image:w430:leftEUのグリーン成長戦略では、環境分野が重要な成長エンジンの一つと位置付けられてきた。しかし、それを具体的に見ると<グリーン成長/第7次環境行動計画(2014〜2020)>が打ち出した「相対的デカップリング」(GDP成長率を資源利用増加率より上回らせる循環型経済)でも、特に高所得国での消費レベルが地球の許容量を既に超えたと理解されるため、今では更に“GDPの上昇と共にそれとは逆に資源利用が絶対量で減る”「絶対的デカップリング」が必要と判断されて、その先には定常経済が視野に入っている(情報源:http://eumag.jp/feature/b0916/https://www.theguardian.com/commentisfree/2017/apr/12/doughnut-growth-economics-book-economic-model )。つまり、これが、表題に掲げた「EUの視野に入る未来経済へのコリドー(廻廊)」ということである(デカップリング(GDPを環境への影響から切り離す政策)の図像は、下記資料★より転載)。

f:id:toxandoria:20180801161141j:image:w360:right★"Doughnut Economics", subtitled "7 Ways to Think Like a 21st Century Economist", is a recent book by Kate Raworth, February 2017, 320 pages.  http://portraitofthedumbass.blogspot.com/2017/06/doughnut-economics.html 

・・・高所得国でGDP成長が続くとすれば、経済活動を地球環境の許容限界に戻すためには相対的(relative)あるいは絶対的(absolute)なデカップリング(decoupling)でも足りず、十分な絶対的(sufficient absolute)デカップリングで成長に関わる資源利用を激減させなくてはならない(by Kate Raworth/プロフィール画像https://www.youtube.com/watch?v=qYpkRkPjZnMより)。

f:id:toxandoria:20180801161537j:image:w210:leftf:id:toxandoria:20180801161607j:image:w205:left ケイト・ラワース(Kate Raworth)は、国連の持続可能な開発計画の主要報告書の作成に携わり、国連を辞したあとは約10年間にわたりオックスファム(不公正と貧困撲滅に取り組む国際NGO)で上席研究員を務め、現在はオックスフォード大学環境変動研究所・ケンブリッジ大学持続可能性リーダーシップ研究所の上席研究員を務めるなど、国連・EU・米国(トランプ政権以外の)など世界の先行的な“グリーン・循環・定常”経済化の動向へ大きな指導力を発揮している人物である。なお、ラワーズの著書「Doughnut Economics(2017)」(Chelsea Green Publishing)の邦訳版が『ドーナツ経済学が世界を救う』(黒輪篤司・訳)として、20180218に河出書房新社から出版されている。


f:id:toxandoria:20181015053430j:image:w430:right<追記/20181015>ラワースさんの経済思想はEUの経済政策へ影響を与えており、本年ノーベル経済学賞2氏(ノードハウス氏の環境経済学とローマー氏の内生的成長理論)の視点とも重なる! Cf. https://twitter.com/shinkaikaba/status/1050973590042988545 https://twitter.com/shinkaikaba/status/1051237977093898240




















f:id:toxandoria:20180801163208j:image:w600:rightケイト・ラワースの「ドーナツ経済のイメージ図/21世紀のコンパス」(画像は同書より)を見ると、我われ人類を含む全生物が、以下に述べる外側と内側の二つの境界線に挟まれた極めて狭隘なバイオスフィア(生物圏)で生きて(というよりも生かされて)いることが分かり愕然とする。つまり、その二つの境界線とは既述の「地球システム科学の国際研究グループが指摘した『九つの地球環境の許容限界』の上限(Planetary boundaries=Ecological Ceiling)」と「ラワースが提唱する『十二の人間の幸せの土台(Social Foundation)』」ということだ。『九つの地球環境の許容限界』と『十二の人間の幸せの土台』の内容を具体的に見ると、次の通りである。

『九つの地球環境の許容限界』

=気候変動、海洋温暖化、化学物質汚染、窒素および燐酸肥料の投与、取水、土地転換(森林面積)、生物多様性の喪失、大気汚染オゾン層の減少

『十二の人間の幸せの土台』

=食糧、健康、教育、所得と仕事、水と衛生、エネルギーネットワーク、住居、男女の平等、社会的な平等、政治的発言力、平和と正義

f:id:toxandoria:20180801164009j:image:w700:rightまた、この「ドーナツが破られている状況を示すイメージ図」(画像は同書より)を見ると、社会的な土台の内側の暗色で塗られた部分は、生活の基本的なニーズを欠く人々が世界にどれ程いるかが直感的に分かるように示されている。環境的な上限の外側へ放射状に延びた濃い暗色の部分(気候変動、窒素および燐酸肥料の投与、土地転換(森林面積)、生物多様性の喪失)は、地球環境の九つの境界線からの超過を表している(薄い暗色はこれらに準ずることを意味する)。なお、ドーナツの外へ向かう矢印は「超過」を、内側へ向かう矢印は「不足」を示す。

ともかくも、これら「ドーナツ」のイメージが教えてくれる地球バイオスフィアを巡る深刻な状況について、ヨハン・ロックストローム、ウイル・ステファン、ケイト・ラワースらとの間で、いま最もシビアな危機感を共有しているのがEU(欧州連合諸国)、国連、米国(トランプ政権以外の)およびオックスファムらの国際NGOである。特に、トランプ政権下の米国は、地球環境問題およびバイオスフィアの危機的状況(ドーナツ問題)と特に関係が深い科学技術に関わる政策面で非常に深刻なジレンマに襲われつつある(関連情報↓★)。

★「科学政策なき米トランプ政権の危うさ:前米大統領補佐官、ジョン・ホルドレン氏の批判」/「科学政策なき米トランプ政権の危うさ:前米大統領補佐官、ジョン・ホルドレン氏の批判」20180508朝日、に関する紹介ブログ記事https://blog.goo.ne.jp/narmuqym/e/39dd5c343da92ada5221f5b6acd82242










(関連情報)

f:id:toxandoria:20180809105021p:image:w430f:id:toxandoria:20180809105054p:image:w360



f:id:toxandoria:20180810170927p:image:w500:right2 人口と成長の間には、そもそも「人口だけが経済成長を決定する」の意味での相関性がない!

2−1 展相(Potenz)経済学の視座からすれば日本の人口減少はむしろチャンス!が、愚かにもネポティズム(お仲間主義)の安倍政権はその奇貨を潰滅させつつある・・・

「アベノミクス第二ステージ」(2015年10月〜)は、「少子高齢化社会に歯止めをかけ、50年後も人口1億人(一億総活躍社会)を維持する」として、人口を重要な政策目標に掲げているが(https://judainews.jp/2016/06/16/786/)、一方で、国立社会保障・人口問題研究所の将来(中位)推計では、約100年後(厳密に言えば、93年後の2110年)に、日本の人口は4,286万人(現在の約1/3=ほぼ明治20年頃の人口規模)まで減少し、それより前の約50年後の2066年の人口規模でも8,711万人(ほぼ終戦後の人口規模)まで減ることが予測されているhttp://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp_zenkoku2017.asp)。

従って、「安倍政権が、突然、これまでの方針を180度転換し6月15日に決めた『骨太の方針』で“外国人労働者受け入れ”に転換した」という<不可解な出来事(関連参照↓★)>と併せて色々と考量するまでもなく、そもそも「少子高齢化社会に歯止めをかけ、50年後も人口1億人(一億総活躍社会)を維持する」“という目論見(意図と目的)”で人口(この場合は、外国人込みではなく純然たる日本人を主体とする人口と見ておく)を重要な政策目標にしたこと自体が大きな誤りだったと言えるのではないか。それよりも、安倍政権は「年平均で約0.6%(当然ながら、現在は約70万人規模だが此の縮小人数のスケールは次第に逓減する)というスピードで日本の人口が減少する」という現実(そう推計されているという事実)を真正面からシビアに受け止めた上で、展相(Potenz)経済学の視座(第三章で委細後述)から、それを大きな画期(チャンス)と受け止めたうえで、より有効な少子化対策と外国人の本格的な受け入れ策(決して彼らを低賃金の使い捨て材料と見るべきではなく、有能で有効な人材(新日本国民)の育成策としての受け入れ対策と制度づくり)に、もっと早くから真剣に取り組むべきではなかったのか?

★安倍政権が突然「外国人労働者受け入れ」に転換した分かりやすい事情/結局、目先の利益か…20180731経済ジャーナリスト町田 徹(GENDAI・MEDIA)http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56757

f:id:toxandoria:20180802171323j:image:w530:rightところで、世界人口の推計は非常に困難だが、国連は2年おきに最新推計値「世界人口展望」を発表しており、2010年版では21世紀半ばの2050年迄に90億人を突破し、その後は増加ペースが鈍化するが21世紀末迄に100億人を突破する(中位値)と予測している(画像はウイキより)。そして、『ドーナツ経済学が世界を救う』の著者ケイト・ラワースは<世界規模で人口が増えるほど、すべての人のニーズや権利を満たすために使う資源も増えるから、どうしても全世界の人口規模は安定させなければならないと主張する。

また、ラワースは、人口を世界規模で安定させるには、すべての人が窮乏から解放され、かつ地球環境が取り返しのつかなくなるまで破壊されぬように、世界中の国々は国連とEUらが既に視野に入れている未来経済へのコリドー(廻廊)を参考として欲しいと願っている。つまり、彼女が提唱する『十二の人間の幸せの土台』と、ヨハン・ロックストロームらが提唱した『九つの地球環境の許容限界』の上限」の狭間にあるバイオスフィアを保全しつつ、少しでも早く「従来型の成長(GDP)神話」から脱して、<グリーン経済→デカップリング(循環経済)→定常経済>の途へ踏み出すべきだと主張している。

f:id:toxandoria:20180802171949j:image:w180f:id:toxandoria:20180802172245p:image:w460:right因みに、吉川 洋著『人口と日本経済』(中央公論新社)によれば、そもそも経済成長(GDP規模の推移)と人口の間には「人口だけが経済成長を決定する」という意味での相関関係は見られず(参照、添付画像/http://blog.livedoor.jp/kazmas/archives/52242318.htmlより)、ここには安倍政権が、「追憶のカルト(日本会議(生長の家“過激派”)&靖国神社)」とともに囚われているもう一つの病理、「サプライサイドの論理の飛躍」ということが隠れているようだ。つまり、一国で1年間につくり出されるすべてのモノやサービスの価値(付加価値)がGDP(国内総生産)なのだが、その<成長率>は決して働き手(労働力人口)の増加率だけで決まる訳ではないということであり、特に重要視すべきはイノベーション+etwas/←当記事で注視するA・シュッツ『日常性』がもたらす“幸せを伴う豊かさ”の問題!)の役割だということになる。

f:id:toxandoria:20180802173322p:image:w360:leftf:id:toxandoria:20180802180341p:image:w650

<注>労働生産性を労働者の体力、敏捷性、精神力あるいは性別など、生物学的な属性と結びつける考え方は経済学的な意味でも誤りである。一国経済全体で労働生産性の上昇をもたらす最大の要因は「資本蓄積」(新しい設備や機械の投入)と広義の「技術進歩」(イノベーション)である(同書より部分転載)。



2−2 将来年率0.6%(現時点で、年当・約70万人強)という急速な人口減の日本が参考とすべきA・シュッツ「人間ゆえの新たな文化創造の多様なタネ(資源)としての日常性の社会学」とK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク」

・・・サプライサイド生産性論の呪縛(限界)を解放する可能性が高い「A.シュッツ日常性」の意味・・・

f:id:toxandoria:20180803100946j:image:w350:rightいま、20世紀前半に米国で活躍した現象学的社会学の始祖、A.・シュッツ(Alfred Schütz/ウイーン出身)の「他者への想像力に基づく日常生活世界の意味」が注目されている。その理由は、この「A.・シュッツによる日常性(生活)を凝視する視点(生命現象にも似た複雑な関係性のネットワークを慎重に観察する)」が、近未来の「定常経済」社会のための「全く新しい生産性の定義」を提供する可能性があると思われるからだ。

つまり、それはサプライサイド生産性論の呪縛(論理の飛躍/参照、2−1)からの解放と、既成の科学技術型イノベーション生産性論を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味である。因みに、吉川 洋氏は既述の著書『人口と日本経済』のなかで“日本の人口が急速に減り続けるとして、高度情報化が必至のこれからの時代においては、適切な移民受け入れ政策やハードな技術開発とともに、特にソフト技術イノベーションとビジネス・コンセプト開発型のイノベーションがあれば、旧来型GDPの成長を持続させることは可能だ”と論じている。

f:id:toxandoria:20180803102606j:image:w300:leftしかし、ここで言うA.・シュッツの「日常性(生活)の凝視」に期待される「新しい生産性」創出の問題は、吉川 洋氏が言うところの“あくまでも技術レベルでの研究・開発をベースとするソフトパワー・イノベーション”を更に大きく補強する可能性が高いので、より重要と考えられる。そして、このことを分かり易く説明してくれるのが、同じく生命現象(自然界における個々の生命維持現象の内外の大きな繋がり)をモデルとしつつ、ケイト・ラワースが「クズネッツ曲線の誤り」(委細、後述)の発見から着想した「自然界の繁栄を支えるネットワーク」である(添付画像、https://www.weforum.org/agenda/2017/04/the-new-economic-model-that-could-end-inequality-doughnut/より)。

また、A.・シュッツ「日常性(生活)」に期待される「新しい生産性」創出の問題は、「マッハ感覚論的素材性(マッハの内面的表象)」(関連参照↓★)のリアル化の問題とも深く関わってくるのではないかと思われるが、この点についての探索は又の機会に譲ることとする。

★Google‐Webネットワーク時代の「AI・BD‐Web情報」とリアル社会情報の根本的な差異の問題/その前提には、先ずa「あくまでもヒトがリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)」とb「機械言語上の情報知(抽象的体系性)」の「断絶/アポリア」ということがある。http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701

f:id:toxandoria:20180803142930p:image:w360:rightケイト・ラワースは「自然界の繁栄を支えるネットワーク」について次のように述べている。   ・・・前、略・・・自然界のネットワークの構造は枝分かれするフラクタルの繋がりでできている。・・・途中、略・・・川の支流も、樹木の枝も、人体に張り巡らされた血管も、植物の葉の葉脈も、そのようなネットワーク構造だ。・・・途中、略・・・システムが目標を実現しようとして資源の流れを単純にするとき、効率性(従来型の生産性)は高まる。言い換えるなら、大きな結節点から大きな結節点に直接資源が届くようになった状態だ。しかし、回復力(Potenz経済学の廻廊上の新しい生産性)はネットワーク内の多様性と余剰から生まれる。従って、ショックや変化が起こったときには、沢山の代替の繋がりや選択肢が求められる。効率性が高まり過ぎれば(その“廻廊”への目配りがなく、ひたすら従来型の生産性だけが高まり過ぎれば←補足、toxandoria)システムは脆弱になる。・・・以下、略・・・

なお、A.・シュッツの「日常性(生活)の凝視」に関する説明で、最も重要と思われるくだりのサンプル(研究者による説明文)を参考まで以下()に部分転載しておく(出典:追手門学院大学人間学部紀要 1997年12月30日、第5号、61-78 生活世界の社会学/矢谷慈國 www.i-repository.net/contents/outemon/ir/401/401971208.pdf)。

・・・前、略・・・この論文においては,まず「自然的態度の構成現象学」という立場から独自の生活世界の社会学を展開した, A・.シュッツの生活世界論の大要を提示する。生きられた時間空間の構造の分析から出発して,生活世界の社会的構造と常識的知識の特性,多元的リアリティ論の創発的意味とその問題点についてまとめている。・・・途中、略・・・以上のような社会的関係の中で作り出される類型は個人独自のものもありうるが,大部分は相互主観的な類型として日常言語の体系の中に定着されている。このことは人間についての類型だけに言えるのではない。・・・途中、略・・・上に述べた諸点はシュッツ自身によって充分に展開されないまま彼の死によって中断された。まことに魅力に富む彼の多元的リアリティ論を単なる静態的な類型学に終らせずに,より具体的経験的な社会学的研究に生かすことができるダイナミックなものに改造することが筆者の課題となった。 筆者が考え出した方策は,個人主観の意識レヴェルで主として問題が取り扱われたシュッツの理論に対して,以下の諸点を付加することであった。

●現象学的な身体論を導入すること、

・・・つまり複数のリアリティ間の媒介メカニズムを「……しながら(地)……する(図)」という,ながら行為の現象を図地分節の理論と錯図構造の理論に結びつけて解明すること。

●多元的リアリティの相互主観的社会的次元を解明すること。

・・・相互主観的な多元的リアリティの分化と統合のあり方を社会進化の観点と結合して考察すること。

●リアリティ経験の深さの次元を考察すること。

・・・他のリアリティから日常生活の現実にもどった時の異化体験をともなう「本来的で深いリアリティの体験」と「異化体験をともなわない表層的ルーティン化的な経験を区別すること。

●他のリアリティと日常的リアリティの間の媒介,移行メカニズムを,身体レヴェル(ながら行為),日常言語レヴェル,時間のスケジュール的区分の三つの観点から考えた。

・・・近代社会の機能的分業の下では,多元的リアリティは,専門家の販売する商品となっており,貨幣によって,それらを自由に買ったり消費したりできるという,貨幣の媒介メカニズムが働いていることを問題としている(特に、この種の帰納的分業に関わる新たな活動の創造や発見をPotenz経済学の廻廊上の新しい生産性の付加と見ることができるならば、必ずしもその代価は従来の通貨である必要はなく、例えば地域通貨、仮想通貨、ないしはマイクロファイナンスなど様々な方法があると思われる。←補足、toxandoria)。・・・以下、略・・・


3 展相経済学の視座から見える近未来への期待

3−1 ピケティによる「クズネッツ曲線の誤りの指摘」と「北欧型制度経済学」が意味すること

(ピケティによるクズネッツ曲線の誤りの指摘)

トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』は、1%(または0.1%)問題を論じており、結果的に新自由主義(特にそのトリクルダウン)の論拠の一つであるクズネッツ曲線の誤りを指摘した。つまり、ピケティによれば、2015年の時点で世界富裕層トップ1%のシェアは残り99%の人々の富の合計を上回ってしまった。ケイト・ラワースの著書『ドーナツ経済学が世界を救う』の第五章「分配を設計する/ふたたび成長率は上向くから設計に因る分配へ」の中でこのことを詳しく論じている。

f:id:toxandoria:20180804063500g:image:w420:rightクズネッツ曲線は、米国の経済学者サイモン・クズネッツが提唱した曲線であり、国が豊かになるにつれて不平等は必ず拡大するが、やがて最終的には、必ずそれが自然に収縮するとしている(画像はhttps://www.youtube.com/watch?v=_OgQkzk7gQEより)。同じことを、開発経済学の創始者であるW・アーサー・ルイス(英国出身で米国で活躍した)は「開発は非平等主義でなくては進まない」と断言しており、クズネッツとルイスの二人は成長と不平等に関する理論が評価され、それぞれノーベル経済学賞を受賞している。その後、経済学者たちはこの「ジェットコースター」(ケイト・ラワースがクズネッツ曲線に付けた仇名)の上昇と下降の例を探し続けることになった。

しかし、2013年にトマ・ピケティが資本主義下の長期的な分配のダイナミズムを突き止めたことで、この「ジェットコースター」(クズネッツ曲線)の誤りが明白となった(トリクルダウンの効果があるとしても、それは初期段階の一時期に止まる)。つまり、ピケティは、金融資産を所有する家計と、労働所得のみに頼る家計に分けたうえ、米国と欧州の古い税の記録を遡りつつ、これら二つの異なる収入源の成長を比べて<クズネッツ曲線とは全く異なり、西欧と、それに準ずる経済が非常に危険なレベルの不平等へ向かっている>という現実を明らかにしたのである。

そして、ピケティは次のように結論付けている。・・・『このような資本主義の下では横暴で持続不能な不平等が一人で生まれる。その不平等によって、民主的な社会の基盤である能力主義的な価値観は根底から崩れる。』・・・

f:id:toxandoria:20180804072155p:image:w300:leftf:id:toxandoria:20180804072243p:image:w360:right

f:id:toxandoria:20180804072326p:image:w360:right

ところで、非常に残念なことだが、ピケティの指摘が最も現実的な問題となり国民へ襲い掛かりつつあるのが日本だということに、未だに多数派の国民が気づかないという現実が、更にこの種の日本の危機を煽る悪循環となっている。それは、ネポティズム(orクローニー/お仲間&縁故主義)を誇る独善化した偽装極右“追憶のアベ・カルト”権力がピケティの警告などを完全に無視しているからだ。他方、「W.ロストウ/成長の五段階“飛行”」からの軟着陸を視野に入れたEU(欧州連合)は既に展相(Potenz)経済学の廻廊を歩みつつあり、米国も批判勢力が冷静にトランプ暴走への反撃チャンスを窺っている(関連参照⇒ロストウ理論、<http://note.masm.jp/%A5%ED%A5%B9%A5%C8%A5%A6%CD%FD%CF%C0/</span>)。

f:id:toxandoria:20180804082203p:image:w600:right(参考情報)アメリカ草の根イニシアティブ「We are still in(我々はパリ協定にとどまる)」関連の動向、

https://www.can-japan.org/wp-content/uploads/2018/02/20180220tsuchida-web.pdf 

・・・トランプ大統領のパリ協定からの離脱意思表明後、数日で立ち上がったイニシアティブで、独自にパビリオン「アメリカ気候行動センター(U.S. Climate Action Center)」を設置している。

・・・米国の諸都市や州、ビジネス界から多くの怒りの声やパリ協定を守る機運が大きく盛り上がっており、この9月12−14日にはトランプ大統領に対抗して、サンフランシスコで「グローバル・クライメート・アクションサミットhttp://globalclimateactionsummit.org/が開催される。(情報源:ヨハン・ロックストローム氏/802朝日『インタビュー/地球環境限界なのか』)



(EUの展相(Potenz)経済学の胎盤と見るべき『スウェーデン学派の北欧型人口論(最適人口論)』が意味すること)

この問題を考える前に、一般に有効エネルギー(一定系内における、ある特定の目的に利用できるエネルギーの成分)と定義できるエクセルギー(exergy/ギリシア語のex(外へ)とergon(仕事)から作られた)の意味を少し具体的に理解することを試みる。例えば、室内等での発光が目的の蛍光灯では、そこへ投入される電気エネルギーの100%が光となるのではなく、一定割合が光エネルギーとなる一方で残余の電気エネルギーは熱として放出されるので、この場合、その熱エネルギーとして捨てられる電気エネルギーの成分はアネルギー(anergy/無効エネルギー)とされる。これが廃棄汚染物質や汚染エネルギー化すれ(ゴミ扱するしかなくなれ)ばエントロピー(entropy)が増大することに繋がる。

このエクセルギーを比喩的に連想しつつ様々な人間社会の事象に当て嵌めると興味深いことが見えてくる。それは電気エネルギー等のように物理量と同じ扱いで個々の社会的エクセルギーや同アネルギーを計算することは殆どできないが、実は我われが日常生活で常に「自分本位=人間本位」の行動原理で動き、多様で非常に複雑な判断を刻々と行っている事実を率直に認めるならば、特に市場経済のミクロな現場でそのことが特に重要な意味を持つことが理解できる。

おそらくこのことを前提にしてのことと思われるが、著書『人口と日本経済』の吉川 洋氏は「GDPの定義(仮にそれらがイノベーションとしての創造の賜物であるとして、モノやサービスの価値を足し合わせたもの)から、その価値は人間本位の主観的な評価の足し合わせである」と述べている。つまり、もっと端的に言えば人間本位が経済社会の正体であるが故に「GDPは人間の主観(漠然とした、大まかな、従って強欲へも傾き得る!←補、toxandoria)の計数化である」ということになる。

具体的に言えば、こういうことになるだろう。例えば殆ど同じ材料の料理であっても、調理法や調味料などの工夫しだいで、できた料理に対する顧客の評価は異なるだろうし、また同じ料理でも客の好みにより評価が様々に異なることもあるだろう(この場合、調理法や調味料のエネルギーが大きく異なることはあり得ないとしておく)。いずれにせよ、お客の好み(主観)がそのレストランの経営を、ひいてはGDPのデータを提供していることになる。因みに。このような意味でのミクロな「日常生活」への切り口から、容易に想像されるのが、既述のA・シュッツ「日常性の社会学」またはK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク」との深い繋がりの可能性ということだ。

この余りにも当たり前すぎるような「人間本位」の考え方に関わる根本的な見方の違いが、「スウェーデン学派型の人口論」(人間本位の最適福祉水準を視野に入れた最適人口規模論/多様な経済循環の動学的な分析を重視)と「米国“新自由主義”型の人口論」(移民立国のための新自由主義(リバタリアニズム競争原理主義)的な規模拡大の人口論)の差異をもたらすことになったと考えられるのである。しかし、誤解のないように補足しておけば、「20世紀初頭の米国における“そもそもの新自由主義=いわゆり制度経済学派”の台頭は公正資本主義(Reasonable Capitalism/非マルクス主義的な経済発展段階説)が目標であった」という現実がある。但し、ここで言う“新自由主義”は、ミルトン・フリードマンに始まる(厳密には、その前史もある)とされ現代世界を席巻する新自由主義とは異なる。

つまり、19世紀末〜20世紀初頭(第一次世界大戦へ参戦する頃まで)のアメリカでは、「政治の革新」と「経済への政府干渉」の必要を説く運動が興り、この時代は「革新主義(Progressive)の時代」と呼ばれる。そして、この時代の経済思想の特徴は「新自由主義/ニュー・リベラリズム」(New Liberalism/1980年代以降にに定着したネオ・リベラリズムと直接的な関係はない)という言葉で代表されている。

そして、その元祖ニュー・リベラリズム(制度経済学派なる公正資本主義の伝統)は、米国のもう一つの“良識派の深層潮流”と見るべき文化資本主義(フランクリン・ルーズベルトニューディール政策が典型)あるいはネオ・プラグマティズム(限定合理主義の哲学/関連↓★1)との共鳴を感じさせる。更に、同じ北米にありながら、「エトノス環境論」の契機を創ったと見るべきカナダ(関連↓★2)が展相(Potenz)経済学のもう一つの流れとして欧州と共鳴し続けることになった背景には、カナダと米国の教育制度の差異(総じて、教育水準は米国よりカナダの方が高いと感じられる/委細は未検証)という現実があるようだ。

★1 ネオ・プラグマティズムは米国型リベラル共和の培地/W.V.O.クワイン『ネオ・プラグマティズム』の斬新な視点、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180503 

★2 身の丈に合う「先住多層文化エトノス」で国民主権の強化を図るジャスティン・トルドー首相のカナダと真逆のベクトル、「属国ファシズム」の罠に嵌った日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20160301

f:id:toxandoria:20180804181519j:image:w230:leftいずれにせよ、吉川 洋氏によれば20世紀までのスウェーデン学派で議論をリードしたのはクヌート・ヴィクセル(J. G. Knut Wicksell/1851- 1926)である。理論経済学者として名高いヴィクセルだが、そもそもは人口問題への関心から経済学者になり、名著『経済学講義/1901』で“人口の理論、人口構成および人口変動”を論じている。そして、ヴィクセルの最大の特色は国家にとっての「最適人口論」を論じたことであり、それは現在でも欧州諸国へ大きな影響を与えている(画像はウイキより)。

f:id:toxandoria:20180811073421p:image:w750:rightまた、ヴィクセルは「子育て支援」の源流でもある。従って、将来年率0.6%(現時点で、年当・約70万人強)という急速な人口減の日本が参考とすべきが、このヴィクセルの「最適人口論」とA・シュッツ「日常性の社会学」、そしてK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク」であることは言うまでもないだろう。













3−2 「定常経済」へ向かうステップとして「“シュッツの日常性”重視」と「自然と生命のあり方」を見倣う<オープンソース循環型経済>への期待

f:id:toxandoria:20180805075200j:image:w420:leftf:id:toxandoria:20180805075229j:image:w420:right

EU型「展相(Potenz)経済学の廻廊」が導く「あの壮麗なシャルトル大聖堂が象徴するが如き定常経済の内陣・アプス」の領域へ立ち入る具体的な方法論を未だ発見した段階とは言えないが、それは急に現代に入ってから着想されたものではない。それどころか、古典派経済学者らの間でも「定常経済」(そもそも成長とは何か?との素朴な疑問)は既に彼らの問題意識として浮上していた。つまり、古典派の経済学者らも成長(ロジスティック)曲線の上昇傾向が永遠に続くとは考えていなかったことになる(画像は、『TABIPPO.NET』https://tabippo.net/about/より転載)。

例えば、吉川 洋氏らによれば、その事例には以下のようなものがあるが、これらのなかでも特に●6/J·S·ミル「資本と人口の定常状態」論が、(2−2)で取り上げた<将来年率0.6%(現時点で、年当・約70万人強)という急速な人口減の日本が参考とすべきA・シュッツ「人間ゆえの新たな文化創造の多様なタネとしての日常性の社会学」>の問題にピタリと重なることに驚かされる。

●1/エンゲル「需要の飽和=特に食糧に対する需要は必ず飽和する(食べ歩き型テーマパークがなかなか上手くゆかぬことを思わせる!w)」、●2/食糧どころか全ての需要は飽和する:アーヴィン・フィッシャーのデットデフレーション論(1933 年、大恐慌当時の経済構造を分析した上で提唱された)、●3/ケインズ「需要飽和論」(“一般理論”で述べている・・・ここでは人口減こそがチャンス!の逆説(orスウェーデン学派の“最適人口論”すらが?)が読み取れる)、●4/ロバートソン(ケインズの友人/ピグーの後継者たるオックスフォード大学教授)「需要の飽和」、●5/アダム・スミス成長の限界論/長くて200年、その後は人口が安定化?」、●6/J·S·ミル「資本と人口の定常状態は、人間の改善のない静止状態を意味するものではないという指摘をする必要はほとんどないだろう。そこには、これまでと同じように、あらゆる種類の精神文化、道徳的・社会的な進歩の余地がある。先へ進むための技術ばかりを考えることをやめたら、"暮らしの技術"を向上する余地も大いにあり、それが向上する可能性もずっと高まるだろう」・・・●5、6の出典=『幸せ経済研究所』、https://www.ishes.org/economic_growth/sse/about/in_economics.html 

ところで、<生命活動や自然の動き、およびその延長と見るべき人々の日常生活の多様なあり方そのもの>を手本とする<循環型経済の可能性が無限であること>に気づいた先見的な人々や企業らによる新たなベンチャーの立ち上げ、あるいは意欲的な企業活動の新たな試みなどが、今や、世界中で拡がりつつある。そこで、以下ではEU型『展相(Potenz)経済学の廻廊』における歩みの第一フェーズと見るべき、自然と生命のあり方を手本とする「循環型経済の実践事例」、および「そのような方向への可能性を秘めた新たな試み」の胎動と思われる幾つかの事例を少し取り上げておく。

●ジャニン・ベニュスの“バイオ・ミミクリー(生物模倣)”による新たな都市構想『惜しみなく与える都市』(出典;ケイト・ラワース『ドーナツ経済学が世界を救う』、et https://ameblo.jp/kenbijin/entry-11075266667.html

・・・その第一歩として必ず行うのが「その対象となる都市周辺の生態系(森、湿地、川、草原など)を観察して、それらがどれくらい太陽エネルギーを利用し、二酸化炭素を吸収し、「雨水を保ち、土壌に栄養を与え、空気をきれいにしているか」などを記録することである。

・・・これらの記録が新しい都市の基準となり、建築家や都市計画者に「隣の大自然と同じくらい惜しみなく与える」都市を建設させることになり、都市内のすべてを繋ぎ、野生動物の通り道や都市農業も備わったインフラ網が整備されることになる。そして、再生可能エネルギーのマイクログリッドによって、すべての家庭が再生エネルギーの供給者となる。

・・・オランダの都市計画、米カリフォルニア州ニューライトテクノロジー社、南オーストラリアの乾燥した沿岸地域でのサンドロップ・ファーム社、バングラディシュ(世界初の太陽光エネルギー立国を目指す)、エチオピア(ティグレ州による土地再生、ケニア(社会的企業によるスラム街改修)、などでの取り組みが進みつつある。

f:id:toxandoria:20180805120319p:image:w550:right●欧州発の循環経済を推進する英「エレン・マッカーサー財団」による「循環(蝶)型経済」の推進(出典:ケイト・ラワース『同上』、et https://www.ellenmacarthurfoundation.org/http://www.alterna.co.jp/16391

・・・エレン・マッカーサー財団の活動には、「サーキュラー・エコノミー」のコンセプトには、廃棄物の3R(リデュースリユースリサイクル)や、資源の効率的な使用、デカップリング(経済成長を維持しつつ、生産時のエネルギー消費を減らし、多消費の産業構造を改める)、持続可能な生産と消費、再生可能エネルギーの使用、環境負荷を減らす根本的な製品設計や、ビジネスモデルの変更、持続可能な資源調達、リースやシェアなど製品とサービスのイノベーションを起こす新しいビジネスモデルを生み出すことが含まれている。https://www.huffingtonpost.com/fomin/the-circular-economy-butt_b_9841898.html 










f:id:toxandoria:20180805120744p:image:w550:left●『オープン」ソース循環型経済(OSCE)』の全世界的展開/OSCEdays Mission Statement What is ‘Open Source Circular Economy’?(出典:ケイト・ラワース『同上』、et  https://oscedays.org/open-source-circular-economy-mission-statement/ 

・・・循環型経済の潜在的な再生力の大きさと企業による効率一辺倒の視野が狭い実践との間の甚だしいギャップに触発されて、この運動が立ちあげられた。これは世界中のイノベータープランナー、活動家らから成るネットワークで、オープンソース・ソフトウエアを真似て、知識のコモンズを築くことで、循環型の生産の可能性を最大限に引き出すことを目的としている。

・・・ベニュスのバイオ・ミミクリーと同じように、この運動も自然を手本としているが、循環型の製造は最終的にオープンソース(製品レシピの公開)となる必要がある。レシピを公開することで、誰でもがそれを更に改良したり、新たな発明へ繋げたりすることが可能となる。興味深いことに、米国の熱烈なトランプ支持のお膝元、ラスト・ベルトでもOSCE活動が展開されている。





f:id:toxandoria:20180805121031j:image:w550:rightフィリップス(オランダ・アムステルダムに本拠を置く多国籍企業)による、循環型社会の実現への貢献を意識したコンセプト『循環型設計/Innovation and you』による社業発展への取り組み/添付画像と下の文章(一部分)は、HPより転載(出典:同社HP、https://www.philips.co.jp/a-w/innovationandyou/article/extended-story/circular-economy.html )

・・・循環型経済は(生物と生命活動の全体、つまり自然を手本とする)、天然資源などの素材をより効果的に使用することで、天然資源や自然の生態系の利用と経済成長を切り離すことを目的としています。これは、材料、部品、製品の再利用の分野におけるイノベーションと、新たなビジネスモデルの構築を促します。循環型経済では、材料を効果的に使えば使うほど、コスト削減、新市場の開拓、既存市場の発展につながり、さらなる価値が生み出されます。









エピローグ)将来へわたり持続可能な『定常型社会』への移行プロセスの設定が日々に困難化しつつある日本の危機

既に述べたとおり、A・シュッツ「人間ゆえの新たな文化創造の多様なタネとしての日常性の社会学」とK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク(生命現象、および生物の持続生存のあり方を手本とする)」が、定常経済を具体化するとき非常に有意なヒントとなるのは間違いがない。

一方で、あるいは「定常経済」が永遠のエンテレケイアであり続ける可能性も高いが、「定常経済」には、それはそれとして、ルソー『一般意志』と同じような意味での理念的な役割が十分にあると思われる(エンテレケイアについては参照↓★)。

★Google‐Webネットワーク時代の「AI・BD‐Web情報」とリアル社会情報の根本的な差異の問題/両者はアリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)と現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応する。なお、その潜勢態(可能性でもある!)を完全に実現して、その目的に到った状態のことはエンテレケイア(entelecheia/プラトンのイデアに匹敵する)と呼ばれる・・・、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701 


f:id:toxandoria:20180805164729p:image:w700:right

そのような意味で、殆どのマスメディアが相変わらず“一強政権だ!一強政権だ!”と誉めそやす安倍内閣(アベノミクス)の深奥に潜む『追憶のカルト』が、その邪悪な刃を日々に研ぎ澄ますことで、益々、日本の<持続可能な『定常型社会』への移行プロセスの設定>が手遅れとなりつつある。そもそも、今の日本は<改憲>第一主義(しかも、それは戦前型へのアナクロ退行“改憲”である!)にかまけている時間はないはずなのだ。

言い換えれば、それは、今の日本に求められている喫緊の課題が<従来型の成長の後を受ける社会構想たるべき、まったく新たな発想に基づく『定常型社会=持続可能な福祉国家ビジョン』への廻廊の設計>ということだ。しかし、我われ一般国民が、日々、目にするのは、社会現象学者A・シュッツが指摘する<たしかな未来へ向かう“もう一つの緩やかな時間と豊潤な日常生活”>の発見どころか、<かつて政治学者・橋川文三が抉り出して見せた、異常な戦前・戦中期型のアイロニー(国賊探し、そして現実逃避(無関心への逃げ)>が拡散するばかりの悲惨な日常である(完)。

・・・なお、対処すべき仕事があり、暫く当日記はお休み(中締めと)します。再開の時期は?デス・・・





f:id:toxandoria:20180811153600p:image:w750:left(記事への補足1)当「エッセイ/試論」についての雑感

●経済成長(人間の主観or欲望的評価の計数化たる右肩上がりGDP準拠方式)は、生命活動と同じく「熱力学第二法則」に抵抗するエルゴン(活動)である(否、あるべき!な)ので(言わば人類は自らの行く末を左右し得る)、そもそも論的に見れば、同じく「同法則」に抗う「生命活動のあり方」からあまりにも大きく外れ過ぎている。従って、GDP原理主義(永遠の右肩上がりGDP準拠方式)によるロストウ発展段階説の儘での永遠飛行はエントロピー論的にも不合理である。

●従って、地球エトノス環境(Planetary boundaries)を上限とする定常経済社会(ケイト・ラワースのドーナツ経済社会、究極ターゲットは定常経済社会)化を現在から未来に跨る最重要ターゲット(絶えざるエンテレケイア)とすべきであり、そこから逆照射すれば必然のイメージとして、EU(欧州連合)が視野に入れるが如き『展相(Potenz)経済学』の廻廊(発展プロセス)が構想できることになる。


(記事への補足2)

「政治(特に日本の←補足、toxandoria)に倫理は大事なものでなくなった」ドイツの哲学者、ガブリエルさんが語る 広がる「21世紀型ファシズム」毎日新聞2018年7月6日 東京夕刊 https://mainichi.jp/articles/20180706/dde/012/040/002000c

f:id:toxandoria:20180805172843p:image:w440:leftf:id:toxandoria:20180805172916p:image:w360:right

 「安倍晋三政権は、政治家が倫理から懸け離れてしまった現代の象徴」−−。6月に来日したドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルさん(38)は学窓にこもらず、国際政治から脳科学、人工知能まであらゆるジャンルに切り込んできた。20代でボン大学教授となり「ドイツ哲学の新星」と呼ばれる知性が、安倍政権、社会を覆う鬱、そして理想社会を語る。【藤原章生】

 知識人を二つに分ければ、ガブリエルさんは沈思黙考型ではなく冗舌発散型だ。ひねりの利いた比喩や笑い話を織り込み、マシンガンのように言葉を放つ。直感で湧いてくる言葉が大きな刺激剤となり、聞く者に新たな考えを呼び覚ます。7カ国語を操り古代ギリシャ語など古語にも詳しく、各国の政治から環境問題、スマートフォンのゲームまで博覧強記の彼に、今の日本はどう映っているのか。

 安倍政権については一連の不祥事から政策まで結構詳しい。

 「イメージと現実。何事も二つがあるけど、私がこれから語るのはあくまでもイメージです。私から見た安倍さんは、トランプ米大統領の友人になろうとした最初の人。世界の指導者の誰もが当選直後のトランプ氏が何者なのか、この現象が何なのかわからず戸惑っていたとき、安倍さんは(2016年11月に)いち早くトランプタワーを訪ね、最初にお墨付きを与えたという印象を世界に残した。その点が際立っている」

 大統領候補にすぎなかった時代は距離を置き、当選するとすかさずすり寄る。ちょっと恥ずかしい振る舞いだが「大事なのは実像ではなくイメージ」とガブリエルさん。「彼は日本人の多くがこうした行動を好むとわかっていたのでしょう。米国のストロングマンというファンタジーに近づくことで、安倍さんは『極めてパワフルな男』という自分のイメージを売ろうとしたのだと私は思います」

 パワフルがなぜ大事なのかといえば「権威主義的なリーダーという印象を国内外に植えつけられるからです」と言う。

 広辞苑を引くと、権威主義とは<もっぱら権威(人を服従させる威力)に価値を認める主義。権威をもって他を圧迫する態度や行動としてあらわれる>。

 「例えばトルコのエルドアン大統領は(03年に首相に就任以降)権威主義のイメージを広めた。経済はガタガタなのに、彼はそのイメージで何とか長期政権を保っている。安倍さんも着実に権威主義モデルに向かっている」

 ロシアのプーチン大統領ら権威主義的リーダーが目立つ現代は「ムソリーニによるイタリアのファシズムとよく似ている」と言う。時代のファシズム性については、作家の辺見庸さんが06年、私とのインタビューで当時の小泉純一郎首相をファシストと呼び「ファシズムは独裁者が生み出すものではない。ある日、ふと気づくとかすかに変わっている空気。人々の仕草も行動も一見同じなのに、何かが変わり、もう後戻りできないかすかな変化」と説いた。

 これに対し、ガブリエルさんは、ムソリーニ時代、建築から芸術、法制にまで及んだ「未来志向」を強調する社会運動「未来派」をキーワードに「21世紀型ファシズム」を語る。「未来は過ぎゆく時間の一部で、中身のない幻想です。ファシズムはこの幻想で大衆を動かす。つまり、未来を目指すなら、現在は悪であり、今のルールを壊さなければならないと国民を誘導する。これは今の日本のみならず世界に広がっている動きです」

 「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」という言葉も確かに、幻想のように響く。

 政治スキャンダルをいくら重ねても政権が崩れない現状は「まさにファシズム的統治の成果」だとガブリエルさんは言う。

 「21世紀型ファシズム以前の政治家には、国民の反発、デモに対する恐怖があったが、その感覚は弱まっています」。日本の一連のスキャンダルは「無責任」という言葉で読み解かれることが多いが、ガブリエルさんはそれを「倫理」で解く。

 「有権者はかつて、倫理を備えたリーダーか、そういうふりをする指導者を求めてきましたが、最近は政治にとり倫理は大事なものではなくなった。典型がトランプ、安倍政権です」

 なぜ問われないかと言えば、「古い価値観を捨てなければラジカルな未来は開けないという絵空事のような言葉が、人々の倫理を鈍らせるのです。安倍政権は経済を安定させれば(たとえ、それが偽装orウソでも/補、toxandoria)政権は揺るがないとわかっている。政権の中身がどうあれ、どれほどスキャンダルが続こうと、権威主義、強い男のイメージが備わっていればなんとなく支持されると。ただし、経済が傾けば、もともとイメージだけなので、崩れるときは早い」

スピード社会は我々を壊す

 社会のムードについても聞いてみた。今年邦訳が出た13年の著書「なぜ世界は存在しないのか」(講談社選書メチエ)に現代社会の抑鬱性に触れたくだりがあった。職場でのうつ病発症は増え、バブル崩壊以前に比べ、社会全体が鬱っぽくなった印象が確かにあるが、「これは先進世界共通のことだ」とガブリエルさんは言う。

 英国の経済学者、リチャード・ウィルキンソンさんらが6月に出版した「インナー・レベル」(未訳)は、世界中の統計を駆使し、富や機会の不平等が高まるほど社会全体のストレス、うつ病発症が高まると説く。主因は経済の低迷、縮小ではなく、格差にあると。

 一方、ガブリエルさんは「スピード」をキーワードに「鬱社会の成り立ち」を解く。

 「社会のシステムが一つの目的に向かい、一定の速度で動いているときはいいのですが、目的が失われたとき、システムそのものが壊れ始める。それが鬱です。個人で言えば、鬱は自分にあらがう力、ネガティブ思考で、これがときに自殺やひどい惨事を招く」

 成長を目指した社会が、経済の停滞で目的を疑いだし、逆向きの力、つまり鬱が社会に広がったということなのか。「日本の資本主義は世界でも最も速い社会システムの一つで、見事なほど完璧に組み立てられ、成長をもたらしてきた。今も日本人が時間に厳しいのは礼儀正しさではなく、資本主義からきたものです」

 経済は低迷してもスピードだけは変わらない。速すぎるスピードの中で一瞬、個人は内省する。そのとき個人の精神はぼうぜんと取り残されるか、システムに逆行する。だから個人が鬱に? そういぶかるとガブリエルさんはぱっと「サラリーマン」が憑依(ひょうい)した口調で、一人語りを披露する。

 「会議はなく、地下鉄に乗ることもなく、メールも電話もする必要がなく、何かに応える心配もなく、ジムにもディナーに行くこともない。そして、内省したとき、自分の思考が自分自身に反発してくる。それが鬱の要因です」

 そして、冗談交じりの口調で続けた。「だからスマートフォンがはやるのです。抗うつ剤のようなものです。地下鉄でもどこでも指先を動かすのは、内省から逃げている。精神が自分を食い尽くそうとするのを必死に防いでいる。スマホに没頭することで、鬱と戦っているのです。もしスマホがなければ人々は即座に鬱になる」

 「スピード」にとらわれた人々の一種の強迫観念とも言えそうだ。「すでに十分あるのに高速で生産し続けなければ立ちゆかない。そんな社会システムは間違いであり、それは我々を壊し、先にあるのは虚無だけです」。無限の創造性を備えた各自の脳を駆使することで「間違いを認め、そこから脱却しよう」というのが彼の訴えだ。スマホをやめろというのではない。自分たちの強迫観念を自覚せよということだ。

 ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロス氏が11年、当時ローマ特派員だった私のインタビューで謎めいた言葉を残した。「今は未来が見えない。誰もが大きな待合室でチェスをしながら、扉が開くのを待っている。中には扉を壊そうとする者もあるがすぐには開かない」。最後にこのセリフを紹介し、ガブリエルさんに「扉の向こう」に何がなければならないのかと問うと、「面白いね」と言いながら即答した。

 「あるべきものがある。人間を壊さないモデルだ。今はどんな政治問題も一国だけのレベルでなく世界の問題だ。気候変動も不平等も。扉の向こうにあるのは不平等解消のあるべき姿だ」← まさに、これは当ブログ記事の核心テーマと重なる!!(補足/toxandoria)

 ガブリエルさんは全員に最低でもそれなりの額の収入を与えるベーシックインカム(最低所得保障)に加え、「マキシマムインカム(収入の上限)」が必要だと説く。「金をいくら稼いでも個人の楽しみは限られている。例えば月額50万ユーロ(約6000万円)を上限にする。共産主義になれというのではない。資本主義下でできる話です。国レベルでも世界レベルでも今の不平等は過去最悪。今の民主主義の危機もポピュリズムも権威主義も全て、不平等の問題からきている。扉の向こうにあるのは、それを乗り越えた新たな社会モデルだ」

 その理想に至るのは革命的な激変ではない。「じわじわと時間をかけて人の精神が変わっていく」とみている。「北欧などにはそれに近い考えがあるし、日本は今でこそ格差がひどいけど、かつては収入格差が極めて小さい良き価値観を備えていた。日本がモデルになれるかもしれない」。半分冗談っぽく、それでも何かに挑むような真剣な目で笑った。

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