2016.9.11

〜ディボーションの恵み〜
 今日で、ディボーション生活をはじめて一年が経ちました。昨年の今ごろ、リビングライフの青少年版「sena」を使ってディボーションをはじめ、フィリピの信徒への手紙、エゼキエル書箴言ヤコブの手紙、マタイによる福音書、ネヘミヤ記などの聖書のみ言葉を黙想し、今は、ローマの信徒への手紙を黙想しています。
 初めてディボーションをしたときは、本当にドキドキしていました。朝の、まだうす暗い時に、目をこすりながら、祈り、黙想をして、神と話をする。とても不思議な感じでしたし、最初は少し難しかったです。しかし、一ヶ月も経つと、段々どのようにすればよいか分かるようになり、気楽に、うれしい気持ちでディボーションができるようになりました。やがて解説も余り読まずに、本当の黙想がどのようなものか分かるようになりました。
 今年に入ってからは、父の提案により毎日夜寝る前に、分かち合いをするようになりました。分かち合いの大切さも分かりましたし、父の説明により、聖書のとらえ方もよく分かるようになりました。
 そして、夏休みや連休の時には、水曜祈祷会や金曜日のディボーションタイムにも参加するようになり、色々な聖書の読み方があるということに気づきましたし、色んな人の分かち合いを聞いて恵みになりました。
 最近、ディボーションについて悩んでいることがあります。知っているだけで、行動に移さなければ意味がないということを知っていながらそれができないということです。これからディボーションを続けながら直していきたいです。
 これからも、ディボーションという大切な時間を守っていきたいです。
                   M.J兄