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2012-04-24

Great designer 柳宗理

| 00:37 | Great designer 柳宗理を含むブックマーク

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3月24日、柳宗理氏を送る会に参列してきた。

柳氏は戦後工業デザインのパイオニアとして活躍してきた人で2011年12月25日に96歳で亡くなった。

戦時中にはフィリピンジャングル建築家コルビジェの本を背負って駆け回り、

いよいよ体力尽きて、土にその本を埋めたという逸話には感銘を覚えたものだ。


柳氏のことは1998年に4月から6月までセゾン美術館で行われてた「柳宗理のデザイン」展で初めて知った。当時の私は、美術大学のプロダクトデザインコースに入学したばかりで、ファインアートとデザインの違いすらも曖昧な学生だった。それでも、機能を研ぎすましてできた造形や、どこか日本的でふっくらとした豊かな造形には美しさを感じた。貧乏学生が背伸びして買った展示のカタログは今でも手元にある大切な本だ。


大学一年生の時には木でスツールを制作する課題があり、

私はエレファントスツールに影響を受けたものも作った。そして今でも使っている。

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四谷の事務所にも何度か訪れたことがあり、

当時、柳氏のジープビートルが駐車してあったのが印象的だった。

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14年間、自分が迷う度に柳氏の仕事に触れ、自分のデザインを顧みて反省し、

少しでも良いものを作れるように、もがきながら、進んできた。

自分の仕事を探り深めるほどに、柳氏の仕事の凄さがわかってくる。

氏はどこまでも遠い存在だ。

消費を促すために差別化を図るデザインではなく、

使う人のことを第一に考え、道具としての本質を追究した美しさ。


祖父と孫ほど年の離れた師匠

戦後の経済発展の中で、柳氏は自身のデザイン哲学を見失うことなく追求し続けた。

「先人の教えと自ら時代を切開く力」は、地図と前進する脚のようなものだ。


戦後の工業デザインの先駆者、柳宗理氏の後を追い掛けながら、

現代の刻一刻と変化する世界をデザインで切開いていく。

「今、この日本で、アジアで、世界で、本当に良いデザインとは何なのか?」

「本当に良いデザインとは何なのか?」と言う問いに対し、

この時代の答えを探さなければいけない。


その答えを考え、デザインで表現すること。

柳宗理氏の偉大な仕事と時代を振り返りながら、

この時代に生きる、自分のデザインを追い求めると胸に誓う。


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2012-03-25

30km地点、涙のおにぎり

| 23:40 | 30km地点、涙のおにぎりを含むブックマーク

3/18、板橋cityマラソンを走った。


荒川の河川敷にある自転車道の往復コースで、

高低差がなく走りやすいため、記録を出すのには向いているそうだ。

この大会は豊富な補給も有名で35km地点ではシャーベットまで振る舞われる。


初めてのフルマラソン

2月に30kmの青梅マラソンには出場していたが、

後半走り続けられる自信はなかった。


曇り空の中のスタート。

最初は抑え気味にkm/6分後半くらいのペースで進み、

7km過ぎた辺りから徐々にペースアップしkm/6分で走る。

折り返して、25kmほどでペースが落ちはじめkm/7分位になって足が重くなっていく。

足が重く感じられてからは、走るのが辛くしんどいものになる。

一歩一歩が厳しさを増していく。

最初はサブ4を目標にと思っていたけど、全くとんでもない。


足が進まなくなってく30km地点。

小さな親指サイズのおにぎりの補給には涙が出た。


白ごまをまぶしたものを先ず一つ食べた。

お米が口の中にぱっと広がり、一瞬で塩分が身体に浸透していくのを感じる。

次に、しその粉「ゆかり」を振り掛けたものを口に入れた。

しその香り、米粒のひとつ一つの表面の滑らかな艶、塩分、

本能的に身体が欲しがっていたものに、瞬間的に反応する。

全身の細胞がダイナミックに歓び沸き立つような感覚。

理性で理解するよりも身体の反応スピードのほうが圧倒的に速い。


おにぎりを口に含みながら、また走る。

一口のおにぎりに、こんなにもエネルギーをもらえるとは思わなかった。

自然と力が湧いてきて、一歩一歩が辛い中でも、前進する意志の支えになる。


こんなにも「美味しい」お米は食べた事がないと思った。

お米がこんなにも心を勇気づけるものだとは思わなかった。


その前の補給ではパンやバナナなどのフルーツのおいしさも実感していた。

しかし、おにぎりは格が違った。

口に広がる米粒一つひとつが、塩が、身体にダイレクトに作用した。


一口のおにぎりにもらったエネルギーの大きさに感動して、

走りながら涙が出てきた。

汗で目がしみるような素振りをしながら泣き顔をごまかした。


このおにぎりの味を絶対に忘れまいと思った。

きっと生きていく上での基準になるだろう。


途中のおにぎりで涙があふれ出るくらい感動したのだから、

ゴールできたら感動もすごいだろうなと思いながら走り続けた。

進むごとに辛さは増していく。

最後は数百m走って少し歩いて、また走り出しての繰り返しになる。


もう、ゴールしたら声を出しておいおい泣いてやろう、と思いながら歯を食いしばる。

ところがゴールゲートが見えると、とにかく必死で、感動する余裕もなく、なんとかゴール。

ゲートを進み荷物置き場に向かい、着替えて、あっけなく、一人とぼとぼと駅に向かって歩いた。

タイムは自分の時計でなんとか5時間を切る程度。


最後はあの脚で良くゴールできたものだとは思いつつ、

おにぎりを食べたときが感動のピークだったことは自分でも意外だった。


結局、人も動物的な本能を持った生き物。

頭で考えたことよりも、身体にダイレクトに伝わる力のほうが、

より強い感動を覚えるものなんだなと思った。


小さなおにぎりは、

走り続ける勇気とエネルギーを与えてくれた。

「お米の力はすごい。」

そんな不思議なことを初フルマラソンで感じた。

2012-02-26

San Franciscoより

| 19:26 | San Franciscoよりを含むブックマーク

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サンフランシスコは美しい街だ。

旅先から伝えたくなる程に。


自然、世界中の文化が港を囲む半島に凝縮されている。

急な坂道を上るレトロなケーブルカー、両脇には小さな建物が隙間無くひしめき合い、

多様な人びとの活気が満たされる。

道を歩くと、この街が細部まで大切にされている事に気付く。

例えるなら「丁寧に作られた一粒のチョコレート」。

そして美しい空。

ゴールデンゲートブリッジの方向に沈む夕日はため息が出そうになる。


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窓までも空色。心地のよい風。


2月の今の時期でも昼はシャツ1枚でも大丈夫。

夕方になると少し冷えてくる。

しかしランニングをするには最適。空気は程々に乾燥して涼しい。

ユニオンスクウェアから海岸沿いの砂浜をゴールデンゲートブリッジまで走る。


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急な坂道を息を切らして上るとハッとする景色が次々と現れる。

この街ではきっと自然に運動不足が解消できる。


途中フィッシャーマンワーフでは、

海が港の情緒とおいしい食を人々に届けてくれる。

レッドクラブというカニが有名だそう。

港ではカニ漁は禁止されているそうで、

ゲージで獲ったカニもスケールを測って、キャッチ&リリース。


暗くなっても、海岸沿いは多くのランナーが走る。

女性一人で走る人もいて、治安も良いみたい。

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ゴールデンゲートブリッジは確かに美しかった。


住みやすい街だと思う。

多様な価値観が小さな都市に凝縮されていて、

自分が何者なのか?

他人との違いを見て、これで良いと思える。

居心地の良い都市。住みたい都市だな、サンフランシスコ


 

2011-07-29

宮城県栗原市 富士フィルム修理サービスセンター

| 00:31 | 宮城県栗原市 富士フィルム修理サービスセンターを含むブックマーク

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6月18日 富士フィルムデジカメFINEPIX PX10を修理に出した。

同社のサービスセンターは宮城県栗原市

住所を見たとき、震災の影響で物流が滞ってないのか一抹の不安を覚えながら、

近所のコンビニから修理品を宅急便で送った。


6月18日(日)に発送して、サービスセンターに到着する予定日は20日(火)だった。


発送する時、どうせ1万円ちょっとで買った安いモデルだったし、

防水、耐衝撃性のある機種だったのでエアキャップに包んで簡単に封筒に入れて送った。

正直、今回の修理は液晶交換が明らかだったので、

修理に出す方が、郵送料や相手側のコストを考えて割に合わないことはわかっていた。

しかし、ものつくりに携わる者の性か、製品を大切に使ってあげたいという気持ちに駆られて、

面倒だなという気持ちを抱きつつも修理依頼することにした。


発送して22日の木曜日、夜仕事を終え帰宅すると、

ポストの中に富士フィルムのサービスセンターから不在通知が届いていた。


郵送のタイムラグを考えると、

20日サービスセンターに到着、

21日には修理完了して航空便で即発送、

22日に東京の我が家に到着ということになる。

ずいぶん早い対応だから、もしかしたら保証不可という内容で送り返されたかと邪推をしてしまった。


それから荷物を受け取り、自分の余計な推測を恥じた。


受け取った段ボール箱の外装にこんなラベルが張ってあった。

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がんばろう!日本

東日本大震災にて被害を受けられました皆様には、心よりお見舞い申し上げるとともに、

一日も早い復旧をお祈り申し上げます。


宮城県栗原市にある弊社修理サービスセンターも甚大な被害を受けました。

しかし、多くの方々の支援をはじめ、_”お客様の大切なフォトライフのお手伝いをしたい”

という強い気持ちから、業務を再開することができました。


弊社、復興の【】をお届けしますので、ご査収下さい。


引き続きご迷惑をおかけすることとなり誠に申し訳ございませんが、

何卒ご了承賜りますよう、重ねてお願い申し上げます。


富士フィルム修理サービスセンター

FinePixサポートセンター


受け取ったとき、

サービスのスピードと丁寧な梱包に仕事への心意気を感じた。

日通航空による航空便のラベルも貼ってあった。

そして「がんばれ!日本」のラベルを見て鳥肌がたった。じわじわと涙腺が緩んできた。

宮城県栗原市ボランティアで二度訪れた地域、歌津や女川の近隣だ。

RQ東北現地本部がある登米市の隣の市。

津波の被害を受けた沿岸地域から通勤していた人もいるのではないだろうか。



大きな地図で見る


修理を終えたカメラを受け取り、

栗原市のサービスセンターの人々の気持ちがずんずんと伝わって来た。

現地の雇用を守ろうとする富士フィルムの姿勢、

雇用の観点から現地経済を支え、現地の人々も誇りを持って仕事をする。

社員と会社が一つの方向を向いてユーザーに応えている。



同じ製造業に従事している身として、

ユーザーを中心に据えて応える仕事のお手本を見た。

辛い境遇にありながらも、プロとして仕事で応える。



安い商品だしと軽い気持ちで修理の申し込みをした自分が恥ずかしかった。

どんな商品だろうがお客様の気持ちに全力で応える。

東京から修理を依頼した側にありながら、

宮城県栗原市富士フィルムサービスセンターの社員には大切なことを学んだと思う。

hoshijima saorihoshijima saori 2011/10/23 09:54 すごくいい話ですね。新しいのを買うのではなくて修理にだす、て共感します。
私も、暫く使ってなくて前後ろパンクしてたママチャリを9千円くらいかけて修理してもらったことがあります。
修理して長く使うことで、思い出とか愛着のようなお金とは次元が違う価値が生まれる気がします。
富士フィルムサービスセンターの人達は自分達の状況に関係なく、ただものを大切にする人の気持ちに答えたかったんだろうな。
すてきだ〜

toyohitotoyohito 2011/10/23 17:31 saoriさん
そうだね、自分達の製品を大切に使ってくれる人の気持ちに答えたい。

修理って手間も時間もかかるけど、モノへの愛着や思い出、
気持ちの様なお金では計れないものが残るよね。

資源は最小限で済むし、国内の人への雇用にも繋がるし。
メーカーは新しいものを開発するだけでなく、
修理、再生にもっと力を使っても良いのかもね。
モノが満ち足りている現代だからこそ、発達するサービスもあるね。

2011-06-30

2011年6月4日 被災地 宮城県南三陸町歌津へ

| 00:05 | 2011年6月4日 被災地 宮城県南三陸町歌津へを含むブックマーク

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6月3日金曜日の夜に東京を出発し5日の夜中に帰って来る日程で、

宮城県南三陸町の歌津に災害ボランティアに行って来た。


仲間5人で自動車に乗り合わせ、テントなど一式もって被災地へ。

南三陸町の歌津は被災地の中でも復旧が遅れた場所で、

ボランティアもテント村暮らしが基本になっている。


今回はRQ市民災害救援センターから応募して現地へ向かった。

RQを選んだ理由は、震災当初から旅仲間の多くがボランティアに参加していたり、

以前、代表を務める広瀬さんの講演を聞いて共感をした経験もあり、

自分としては一番身近なボランティア団体だったからだ。


被災地では、道路沿いの斜面にある漂着物の整理を行った。

「これより先 津波浸水想定区域」という標識がなぎ倒された場所周辺を整理した。

海岸線から200mくらいの場所。

道路沿いを走ったところ、それより遥か先まで津波が浸水していた。


漂着物には、家の材料だった木材、布団、食器、お土産の品々など、

人々の生活の道具が秩序なく折り重なっていた。


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時々発見される、被災者の思い出の写真やアルバム。

人々の幸せだった瞬間、輝くような笑顔がそこに収められていた。

自分の様な赤の他人が、このようなかたちでこの写真を見てしまう事にためらいを覚えながらも、

目の前に写った人々がどうか無事でいて欲しいという思いを抱きながら黙々と作業を続けた。



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歌津の港にある神社と被災した建物。

ボランティアによって神社参道がきれいにされていた。



被災地は広大。

整理された場所はまだまだ一部分だった。

被災した人々が粛々と身の回りを片付けていた。


86日経った時点。

家族総出で取り掛かっても一軒の家を片付け終えるのには、

まだまだ時間が必要に見えた。


被災地復興に向かうには、

まだまだ途方もないほどの、膨大なエネルギーが必要だ。

日本は電力問題を除き、少しずつ日常を取り戻しつつある。



3月11日の震災がどれだけ甚大なものだったのか、

テレビの映像だけでは伝わらない。

津波被害の甚大さと人々の苦労を現地で心に刻み込み、

被災地への思いを忘れずに継続的に支援していこうと思う。