Hatena::ブログ(Diary)

道の辺筆記【長考篇】 RSSフィード

2018年09月15日

あの木が聞かせてくれた歌

 

 

「あの木が聞かせてくれた声」を書きながら、「歌」のことも書きたいと思った。

 

 

私のほかのブログに書いているけれど、また今年に入ってこのブログに出した投稿でも書いたけれど、ある公園の桜を長く見てきた。その公園はいまはなく、なくなる予定が発表されてから公園の最後まで通って見届けた。何もできず見ているしかなかったのでもある。

ある春、花のとき、その桜を見ていて、歌が聞こえる気がした。というより歌っているのが聞こえた。旋律もはっきり聞こえた。桜はのどかに歌っていた。花が歌っているのであればなんだかわかりやすい気がするが、そのときは、木が、花を咲かせている木が、のんびりと歌っているのが聞こえた。たのしそうだった。

公園の最後の春も、桜の木は歌っていた。そのころには自分も公園でオカリナを吹くようになっていて、前に桜の木が歌っていた歌の旋律を、その木のふもとでオカリナで吹いて、春をたのしんだ。

次の年明けに公園が閉鎖され、桜の木の枝が落とされ、幹が伐られ、そして伐り株の撤去が行われて、春が来た。現地はその後さまざまな工事が行われて、いま当時の姿はない。

 

 

山の村にあたらしく作られたダムに水が貯められ始めた。その場所もダムが造られる前からときどき通っていた場所で、おりおり訪ねてダムの工事が進められていくさまを見てきた。

ダム湖の底になる一帯では家や建物が取り壊され、木々も伐られていったが、木々はすべてが伐られたわけではなく、残された木々も少なくなかった。

水が貯められ始めて、次の春に訪ねたとき、ダム湖の水に半ば沈んだ1本の木が白い花を咲かせているのが見えた。たぶんこぶしの木だと思う。樹冠の上半分だけが水面の上に出ていて、その出ている部分が満開だった。水の流れに沿って、散った花びらが湖面に列をなしていた。

翌週に訪ねると、こぶしは樹冠の上のほうだけが見えた。緑の葉が吹き始めていて、葉の緑と花の白を見せていた。日差しが明るかった。その景色を見つめながら、私は、こぶしの木が歌っているのを感じた。のどかに、のんびりと、歌っていた。こぶしはいまのこの花のときを、いまのこの春を、たのしんで生きていると感じた。沈んでいくことなど関係ないかのように。

こぶしの木はいまはもう見ることができない。

 

 

いま思い出す桜の景色にも、こぶしの景色にも、歌が流れる。

 

 

Connection: close