怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

さよなら、オバマ

第44代アメリカ合衆国大統領オバマホワイトハウスを去る時がやってきた。次は、口の悪い憎まれっ子で、横柄な態度の悪童と見做されている、ドナルド・トランプが45代大統領に就位するのだ。正直、オバマ大統領が去るのは寂しいと感じる人々が大勢いるだろう。けれど、オバマ大統領にとって、8年は十分な長さだったような気がする。彼にも限界というものが存在する、ということだ。


2008年、登場初期のオバマのことは、誰もよく知らなかった。日本での知名度も極めて低かった。多くの人々は、資金力と知名度で圧倒的だったヒラリー・クリントンが勝利するだろうと考えていた―そう、昨年のトランプに敗北した選挙の時と同じように。


当時、世界は経済的混乱の只中にいた。
サブプライムローン問題があちこちで火の手を上げていた。経済成長の勢いのある爆食中国が、北京オリンピック直前で沸騰していたこともあり、原油価格をはじめとする資源高は世界中に物価高をもたらしていた。巨大な経済的崩壊の前夜だった。

そうした時期に、オバマが苦戦を強いられながらも、稀に見るデッドヒートを戦い抜き、遂にヒラリーを抑えて大統領選の候補者に踊り出てきたのだった。その後はご存じの通り、リーマン・ショックが世界を信用危機のどん底へと導いた。大恐慌以来の、巨大なショックが米国を、そして世界を、覆った。
オバマ大統領の登場は、まるで救世主のように感じられたのだった。


混迷に陥った米国を救うべく、「新たな夢物語」が米国民には必要だった。精神と経済への酷い傷を癒すには、合衆国ならきっとできる、という確信が必要だった。
オバマ大統領は、黒人が大統領になれる国、それがアメリカ合衆国なんだ、ということを体現してみせたのだ。多くの悲劇の中にあって、一筋の希望の光を与えたのが、オバマ大統領誕生だった。


世界中が祝福をもってオバマ大統領を迎え入れたのだった。

参考:
08年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/375226aead9682896348c8cc0b818025

09年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8c5504de1e7faee3ad8c125659915f02

そして、ハネムーン期間の終わりの時。
09年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b966623012794bd0910d6d698d0f82c3


自由と正義の国、アメリカ合衆国なら、きっと世界を、日本をも変えてくれるかもしれない、そう期待していた。しかし――


期待は次第に失望へと変わっていった。ノーベル平和賞まで受賞した、類稀なる大統領となったのに、オバマ大統領の歩みは遅々として進まず、期待外れどころか、失望と懐疑へと変わっていったのだ。


一言で言えば、オバマ大統領といえども、巨大なシステムの前では政治的に無力だった。大統領としての地位を全うし、生き延びることに精一杯だったのか、オバマ大統領は妥協へと傾いていった。


成果といえば、「オバマケア」だけは実のある政策として実現できたが、他は目覚ましい成果はなかった。例えばグアンタナモ基地の処理に関しても、何らの進展も得られなかった。軍事部門は、それだけ強く巨大である、ということなのだろう。


10年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/256bbe5ba59195ae09e6bf91f32a8d85


日本においても自民党が下野し鳩山政権が09年に誕生した。これを契機に、沖縄の基地問題、殊に普天間基地返還に伴う「辺野古埋立」による新基地建設問題は、新展開を迎えることになり、沖縄県民悲願が実現するかもしれないという機運が高まった。
けれども、オバマ政権は、日本に対し辺野古移転を実現するよう外交的に圧力をかけ、あろうことか鳩山総理に新たな日米合意文書にサインをさせるに至ったのだ。

オバマ大統領の大衆支持と清新さがあるなら、軍事部門の抵抗をはね返し、在日米軍の在り方を見直すことも十分できたにも関わらず、彼は政治的関心を有してはいなかった。それよりも、軍事・情報・諜報機関の重用へと傾いていき、自己の存続を最優先とした結果、海外工作や秘密活動部門を増長させるに至った。弁護士らしく、オバマ大統領は「取引」を考え、犠牲にする「何か」を計算によって作り出してきたのだった。頭の良い人間であればこその、芸当だったのだ。


典型的なのは、対中国との関係性を重視しつつ、また韓国を重用することに腐心したアジア外交姿勢だった。

12年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e343fbe56bfa86b726689c2ae9f3e85c


海外工作に味をしめたアメリカ情報機関等は、海外での無人機攻撃やテロ支援工作や政府転覆工作などを拡大していった。特に、中東の混乱は、合衆国の特定勢力にとって甘い蜜となったのである。
オバマ大統領は、そういうことを知らなかったわけではないだろう。彼は十分熟知した上で、敢えてその路線を選択していたのだ。表立っての戦争行為は「できない」(=米国民の強い反発が予想された、米国の尊い若者の命を犠牲することは誰も望んではいなかったろう)が、陰でこっそり戦争行為をやることは「裏の部門」が望んでいたものだった。対ロシアとの関係性の変化は、その顕われだった。


「裏の部門」がオバマ政権下で手を染めてきた、数々の犯罪行為や殺戮作戦が、ロシアをはじめとする海外機関に尻尾を掴まれたが故の、つい先日までの「ロシアのサイバー攻撃に対する報復」との声高な非難だった。


オバマ大統領は、演説の人であり、言葉巧みな、理知の人だ。
オバマは、よく計算して行動するし、損益計算も、取引の価値も、誰を・何を利用すべきか、利用価値が高いのか、といったことを十分知っている。ある意味、狡猾である、とも言えよう。表の顔と裏の顔の使い分けも、きちんとできていたということなのだ。

卓越した演説と言葉の力で、人々を動かしてこれたのだが、オバマ大統領がもたらした8年間は、期待の半分にも届かないものだった。オバマ大統領が黒人の出身者である、ということだけが、政治的に価値のあるものだった。もしも彼が黒人でなければ、恐らく百年後でも二百年後でも、誰も思い出すことのできない大統領として記録されることになっていたことだろう。
そう、アメリカ合衆国にとっては、オバマ大統領が黒人をやめなかった、ということが唯一の救いだ。


オバマ大統領を散々酷評してきたが、小さな成功は、オバマケア以外にもあった。一つはキューバとの国交回復、もう一つは広島訪問だ。

これらの、「オバマのレガシー」がなければ、本当に凡庸な大統領という評価のまま終わっていたであろうが、数少ない足跡としてはないよりマシではあった。ノーベル平和賞と比ぶるべくもない、微々たる成果だが、特に広島訪問で見せた姿は多くの日本人の琴線に触れるものだったろう。
これには、素直にお礼を述べたい。


キューバ訪問
15年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fba6183cebd8c8375be444147cac6fee

広島訪問
16年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/30c4ec3e8206bcd97313441bba0fcb6b


さて、オバマの長きに渡った旅も、終わりに近づいている。若き黒人政治家にとって、大統領への道が非常に狭いものだったのは間違いなく、いつも困難に突き当たっていたことだろう。政治経験が未熟であったことも、何度も痛感したことだろう。人々に勇気と希望を与え続けることは、決して簡単ではなかった。

自信を失いかけていた合衆国国民に、絶望から這い上がる為の言葉をかけてきたことは、オバマ大統領の最も得意としていたことであり、彼の長所が活かされていた。このことは、賞賛に値しよう。素晴らしい大統領であった。

しかし、オバマ大統領は、策士らしく、策を弄することに明け暮れるようになり、策に溺れるまではいかないまでも、足元を絡めとられてしまったのではないか。初志貫徹は難しく、どれほど高い志を有していたとしても、政治的困難が高い壁として立ちはだかった。心残りは、ずっとずっと大きなものとなった。8年前に想像した以上に。


最後に。

ありがとう、オバマ。お疲れ様でした。