怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・無能エリート気取りが支配する国、日本

偶然どんぶらこと流れてたのを見かけたので。

http://twilog.org/hongokucho/date-180204


アベ万歳派には手痛い分析等があるようで(笑)。どこまでも無能を続けるアベ万歳派の経済愚策と、それを後押しする経団連をはじめとする財界連中の不見識といったところか。日本経済が沈下する理由が分かるというものかも。


昨年にも書いたが、新たな意見も出てたようなので、追加的に。

17年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d3827e982e448b41e782caa3c0a52238


拙ブログでは、05年当時に指摘したものだが、その後の推移を見れば当時の財界だの産業政策だのの検討や立案をやっていた「有識者」連中の思考力の乏しさや無能さが明らかになったのでは?


05年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/4ee2e6f5d86220bd0f7addd473a342c7

(再掲)


構造的問題もありますし、一部には労働集約型の産業に人員を多くとるのは労働生産性が落ちるのでよろしくない、というご意見もあるようです。確かにそういう業種に多くの人員を充てるというのは、日本全体で見ればよくない面もあるかもしれませんね。しかしながら、日本人全員が高い労働生産性だけの業種に従事しているかというと全く違いますし、能力が全員同じであればそりゃカッコイイ「カタカナ職業」とか、多額の金を右から左へと動かすような大きな取引などだけの職業に全員が就けばよいのです。やれるもんならやってみろ、と言いたいですけれども。はっきり言えば、半分以上の国民は、そんな大きな仕事はやっていないし、生産性が高い職種などに就けるほど求人需要もないだろうと思いますよ。もっと限定して、就業人口の半分以上はそんな職業になんて従事していない、ということを言っているんですよ。もっと切実な問題で、固定給がもらえるかどうかの瀬戸際の人々は沢山いるかもしれませんけれども。


労働集約型産業に雇用を増やしてそこに多くの人員が就業するのはよくない、と言った人は誰か発表して欲しいですね。どこのドイツが言ったのか、教えて欲しいものです。それならば、「お前が高い労働生産性の基幹産業を作れ。就業の需要を満たせるような環境を作ってみろ」って直接言ってあげますよ。多くの人々は、それはキレイな服を着て、手も汚れず、高い給料を貰えるクリエイティブなカッコイイ仕事に就きたいと願っていることでしょう。普通にそう思いますよ。ですがね、世の中そんなに甘くはないでしょうよ。何処にそんな仕事が余っていて、求人不足の業種がありますか?是非教えて欲しいですよ。今後、そういう仕事がごっそり余り、例えば今までフリーターやニートだった人とか結婚・出産後の女性や定年退職後の人達も生産性の高い仕事に就けるなら、そりゃもう大喜びですよ。労働集約型産業以外に、生産性の高い就業先をキッチリ用意してくれるでしょうから、そういう優秀な人には是非とも厚生労働大臣になってもらい、雇用・労働問題を解決して欲しいですね。絶対応援してあげますから。ですので、是非教えて欲しいということですね。



この記事に書いた当時の予想通り、その後も順調に医療介護分野の求人は増加し、アベやアベ万歳派が「アベノミクスの成果だ」と喧伝する有効求人倍率の増加のかなりの部分を占めている、ということですわな。


要するに、無能ボンクラ頭の「有識者」たちを頭数だけ並べて考えたって、所詮は役立たずってことでしょうかね?拙ブログみたいな、経済ド素人の常識以下でしか「思考できない」ってことでしょうか?

こういうバカが大勢いるせいで、12年もの時間を無駄にしたってわけですね。
いや、奴らの狙い通りに日本が勝手に潰れてくれた、ということかもしれん。



話はちょっと変わるが、最近のデトロイトの記事に遭遇した。

https://wired.jp/2018/02/03/detroit-shinola/


破綻自治体の代名詞となってしまったデトロイトだったが、その後、徐々に再生の道を歩みだしている、ということのようだ。まだまだ道のりは長いが、諦めずに頑張って欲しい。日本では、夕張が再生できるような環境にはなってないので、困難なことだというのも分かる。


これも、08年リーマンショック後の話になるが、もう10年も経ってしまうんだな。

08年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/0591b00a8dbec2b5e0b24ad74dcd0f78


救うべきでない、という全米の批判の嵐の中、拙ブログでは「いや、むしろ救うべきではないか」と書いたわけである。が、それも虚しく13年にはデトロイト財政破綻に至ってしまった、ということだ。


(再掲)

家族の死は、勿論悲しい。おじいちゃんだって、お父さんだって、どっちも悲しむことには違いない。けれども、一家の生計とか収入状況を考えると、父親に死なれたら、それは大きな打撃を受けるだろうということは誰しも判るであろう。今の「ビッグ3」の死というのは、まさにそういう突然死に匹敵するものなのである。


かつて日本では、悪しき官業の代表格のように言われていた「国鉄」という国営事業があった。この鉄道事業を民営化しようということになり、当時の中曽根総理が民営化実行に踏み切ったのだった。約27万人以上いたといわれる国鉄職員は、約20万人程度まで減らされ、民営化会社に採用されない人々が外へ出された。この他にも、JRに採用されず他の業種に転職もせずに、ずっと残った人たちもいたのだった。彼らの労働問題は、今世紀に入ってもなお闘争が続けられていた。国鉄時代の労組で有名だった「国労」「動労」などの内部的ゴタゴタや、労働運動や組合活動そのものの衰退といったこともあったが、要するに、規模のかなり大きな産業の「ドラスティックな変化」というのを実行しようとすると、社会問題がかなり発生してくるということを言いたいのだ。民営化移行期には、国鉄職員の自殺などが数百人にものぼり、数千人規模の人々が労働・雇用などの長期紛争に巻き込まれていくことになった。米国であると労働者の流動性はかなり高いので、大量の失業者を生むような産業死があっても大丈夫なのかもしれないが、日本の労働市場がかなり硬直的ということを割り引いたとしても、労働者たちには大きな負荷を強いることになるだろう。
 (中略)

死にゆく過程が、ある程度長い経過を辿り、時間的に余裕があってでさえ、その対策に必要な社会的コストは小さいものではなかったろう。これが昨日まで現役バリバリの「アメリ自動車産業」ということになると、それが死ぬことによって発生する必要コストは、現在検討されている支援額レベルでは到底済まないと思われる。このことは、GMの会長が公聴会で述べた通りで、その主張は支持できる。米国人ならば、日本人労働者のように自殺する人たちが多数出るとは思わないが、失業に伴う社会的援助の増加や消費減少のマイナス影響は無視できるようなレベルではないだろう。ましてや、今の経済環境下で起こってしまうのは、産業死を超えて全産業にダメージを与えるだろう。

アメリカでも、かつて町が死んだ経験を持つだろう。例えばゴールド・ラッシュ時代の、田舎町のようなものだ。あるいは、石油事業で潤った町でもいい。デトロイトをどうしても廃墟にしたいのなら別だが、雇用の受け皿や代替産業が育たずに一大産業が突然死を迎えたら、地域社会は壊滅的ダメージを受けることになるだろう。残されるのは、移動できない貧しい人たちや体の弱い高齢者たちなどだ。多くの米国国民がそれを望んでいるなら、それも仕方のないことだろう。私にはどうすることもできないが、正しさというものは時として人々を不幸にする、ということを考えてから、慎重に選択して欲しいと思う。

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米国の自動車産業は瀕死となり、実際にデトロイトは廃墟が拡大したようだ。そして、市の財政破綻
今は、その復活途上であり、まだまだ産業構造の転換は時間がかかるだろう。そうした痛みもあって、大統領選ではトランプが勝つに至ったわけでしょう?

人が戻れば、段々と復活してゆく部分はあるだろう。
都市の再生って、米国での例は全く知らないんだが、古いものも価値があると見做されるようになるかもしれないし、何とか頑張って欲しい。いずれは、「ロボコップ」を雇えるようになるまで復活するやもしれぬ。その日まで、応援しているよ。