ナイトクルージング/FISHMANS(1996)

だれのせいでもなくて イカレちまった夜に
あの娘は運び屋だった 夜道の足音遠くから聞こえる

だれのためでもなくて 暮らしてきたはずなのに
大事なこともあるさ あー 天からの贈りもの

UP & DOWN UP & DOWN SLOW FAST
STAY TOGETHER ナイトクルージング

窓はあけておくんだ
いい声聞こえそうさ

ネグリさんとデングリ対話@東京芸大・上野

http://www.negritokyo.org/geidai/
「帝国」の著者でお馴染みのアントニオ・ネグリ氏が来日。ディスカッション・ミーティング&マルチチュード・アートを開催とのこと。「グローバリゼーションの弊害?それよりまずは暴れろ」ってな感じかな。

潜水服は蝶の夢を見る/ジュリアン・シュナーベル(2007)

travelation2008-03-05

いわゆる「喪失」と「再生」の物語。
その二つの落差が大きいほど「感動」が生まれるのなら、
この作品はおすぎ御大も賞賛するほど「感動」に溢れている。
でも、それ以上に「想像力」と「記憶」の大切さと、その2つの豊潤さが人生に彩りを与えることを知る。

「想像力」と「記憶」は、絶望の淵にいた主人公が「自分を憐れむことを止める」きっかけにしたキーワードである。
(この瞬間、映画の「視点」も「主人公のみ」から「主人公のまわり」に変わり、一気に世界観が変わる)

そうか、
己の「絶望」をコミュニケーションツールにする卑小さより、
己の「希望」をコミュニケーションツールにする寛大さこそ、
『蝶の夢を見る』ために必要な心構えなのだろう。

そうすれば自ずと、「想像力」と、その糧になる「記憶」が豊潤さを持ち始める。
そしてその後の人生も彩りを持ち始める。

普通の毎日から激変した毎日を過ごさざるをえなくなったとき、
こういう振る舞いが出来る「強さ」と「ユーモア」も大事なんでしょうな。

ネタバレですが、流氷山脈が崩れるシーンと崩れた流氷山脈が元に戻る(現実にはありえない)シーンの対比こそ、
「想像力」と「記憶」の大切さを教えてくれるメタファーだと。

東浩紀の渦状言論

http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html
【物語なき政治。討議なき公共性。友も敵も作らない環境管理。政治を動物的なものに変えること。それは具体的にはなにを意味するのか。ぼくにとっての「政治」とは、そういう話だ】
など、悩める哲学者が自分の立ち位置を自己分析しています。