雑記

早朝五時に室内へと侵入してきたカナブンの羽音に起こされた今日この頃。
自由気ままな夏休みが終わり、地獄のような平日勤務を炎joyしております。


今日改めて感じたこと。
教員の質は、学校の荒れ具合に比例する。
逆を言えば、平和な学校ほどクソみたいな教員が集まってくる。


人事というものは、その地域の県教委ないし市教委が決めています。
年度が近づくと、「この先生はこの学校、あの先生はあの学校に転任させよう」ということが決められます。
まず優先されるのは、荒れている学校をどうするか。
その学校を立て直すことが優先されるため、指導力・リーダーシップをもった先生方はそちらへと異動します。
で、残るのは「それほどでもない」先生方です。
ごくごく一般的な能力を持った、あるいは指導力に特筆すべき点がない先生方です。
往々にして、平和な学校であればあるほど、そういった方々が派遣されます。
授業がつまらなくても、生徒が席を立つことはありません。
平和です。平和なまま日常が過ぎていきます。
そして、やがてどこかで限界を迎えます。
学校が荒れ始めます。目安としては、10年単位くらいでしょうか。
中学校というのは、荒れたり落ち着いたりをだいたい10年くらいのスパンで繰り返すと聞きます。
(無論、都会の特定地域にある公立学校などはこの例に該当しないと思います……。)
荒れ始めたら優秀な教員を募る。そうして立て直す。直ったらまた無能な人材が集まってくる。
その繰り返しです。



……。



まあ、愚痴が言いたいだけです。
今日の出来事。
午後6時半くらい。部活が終わってやっと一息の時間帯です。
職員室で休んでいたら、私の担当する学年のある生徒の自転車がまだ駐輪所に残っているとのこと。
初め、その子の担任の先生(アラフォー♀)がその自転車を屋内に避難させるということで、職員室を出ました。
私の隣の学年主任の先生(45くらい♀)が言いました。
「〇〇先生、あれ行ってあげた方がいいと思うよ?」
なるほど、担任の先生をお助けするのは学年担任のお役目。
ならばと思い、私は担任の先生を追いかけます。
暗闇の中、先に職員室を出た先生の背中を見つけました。
「××先生、すみません! 僕が行きます!」
「いいです。私が行きます」
担任の先生は足を止めません。
「××先生、僕が」
「私がやるからいいって言ってるだろう! いつもいつも気が付くのが遅いんだよ!」
そこで私は足を止めて、なるほどと思い職員室に引き返しました。
職員室へと帰ってきた私を見て主任が不思議そうに言います。
「あら、どうしたの?」
「いや、実は――」
かくかくしかじか。あらましを説明します。
「いやいやいや、〇〇先生。そこで帰ってきたらダメでしょ」
私はポカーンとします。
「なんでですか? 必要ないっておっしゃったんですよ?」
「いや、そこは何と言われても『僕がやります!』って粘らないと」
ん? ん? そうなの、かな?
「『やる気ないなら帰れ!』って言われて、本当に帰っちゃダメでしょう?」
「私だったら帰りますよ?」
「なんで?」
「だって、『帰れ』って言われてまで、なんで残らないといけないんですか」
「あー、そこがいまどきの子の感覚なんだろうなあ。そうじゃなくて、そういうときは突き放されても粘り強く食い付いていかないといけないの」
そこから私の周りの同じ学年団の先生方2名(50過ぎ♂、45くらい♂)も会話に参加します。
「だからね? そこで言われるままに退いてたら、そこで成長が止まっちゃうんですよ。もう一皮むけるためにも、そこはグッとこらえてがんばらないと」
「あれじゃな、言葉の裏側にある気持ちというか、そういう文化的背景を読み取らんといけないわけだわ。××先生にがんばってほしい、って気持ちがあるからこそそういう物言いをしたわけで――」
うーん、クソだな、この学年。
細部はうろ覚えですが、このへんで頭が熱くなって耳が聞こえなくなっていました。たぶん、もう少し進んでいたら主任の胸倉をつかんで引き摺り回してパソコンを床に叩きつけてその場で懲戒免職されるところでした。残念。
しばらく無言で仕事をして、20時くらいに退校しました。何をしていたか、よく覚えていません。






まあ、そんなことがあったわけです。
平和な学校ほど、教師はクソが多い。
当然、私もそのクソのうちのひとつです。
おそらく、当分この考えは変わらないだろうなあ。





ああ、整体の店を今すぐにでも開きたい。
立地とか内装とかマーケティングとかいろいろ考えて、わくわくしながら生きて行きたい。
がんばった分だけ感謝される。そんな仕事に憧れる自分はまだまだピーターパンなのでしょうか。