2008-12-24
■「Wikipedia:再帰理論」解説シリーズ1「優先度法」
数学基礎論と哲学
数学基礎論を手がけている人は、哲学が大好きな人と哲学が大嫌いな人に二分されるそうです。
哲学嫌いとしては、たとえば、竹内外史さんがそうだったという文章を何処かで見かけました。
かの日本の数学基礎論の父が、哲学嫌いだったとは。
どうやら、数学基礎論を哲学扱いされることに嫌気がさして、
「数学基礎論は哲学じゃないだろ…… 数学基礎論は数学だろ……常考」
と哲学嫌いになったという逸話があるようです。
いや、僕は直接ご本人に会ったことは無いので、実際どうなのかは知りませんが。
まあ、実際のところ、数学基礎論をやっていて哲学嫌いな人は結構いるようで、
この前も、ある人から、哲学に対する愚痴をちょっとばかり聞きました。
ちなみに僕は哲学好きとか嫌いとかいう次元を通り越して、哲学に対しては超無知です。
好きとか嫌いとか語ることすら許されないくらい無知です。ごめんね!
昔、友人と当ても無くふらりと遊びに出かけたときもそうでした。
ふと辿り着いた駅にあったのは、かの有名なニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」
いくら哲学に無知な僕とはいえど、ニーチェなら知っていた。
なんてったって、知り合いが昔テーブルトークRPGでニーチェというキャラを作っていたからね。
そのおかげで、かなり若い頃からニーチェの名前だけは知っていた。
そんなニーチェマスターの僕は言ってやりました。
「あ、こんなところにニーチェあんじゃん。ニーチェだ、ニーチェ」
すると、友人は言うんです。
「あ、本当だ、ニーチェだね。
この『ツァラトゥストラはかく語りき』のどこそこの章のうんたらかんたらの部分って笑えるよね」
え? ニーチェの著作なんて一つも読んだことないから知らんがな。
まあ、つまりはそういうことなんです。
そもそも今も「ツァラトゥストラはかく語りき」のタイトルを思い出せなくて、調べるのに苦労しましたし。
「ツェストラ? なんだっけ? ツィツィミトル? そんな感じの名前だったよね?」
とネットで調べる程度の能力が僕の精一杯です。
いや、一応、哲学にも興味はあるので後でちゃんと勉強します。後で。
ホント超興味あるんですよ。
実際、岩波文庫のウィトゲンシュタインの論理哲学論考、一年くらい前に買いましたよ。
まだ1ページも読んでないけど。
数学基礎論と歴史
「数学基礎論と哲学」という話の流れで思い出したけれど、
そういえば日本数学会では「数学基礎論と歴史」という謎のセット商品化が行われているんですよね。
あれは一体、何を思って誰があんな分類をしたんだろう。
あ、いや、予想は付きます。
つまり、「その他」ってことですよね。
でも、僕としては、まだ「その他」というストレートな名前の方がいいと思う。
日本数学会「その他分科会」とか、ちょっとオサレですよね。
「数学基礎論と歴史」とセットにされていると、今度は、
「数学基礎論を歴史だと勘違いされて、歴史嫌いに陥る」
という竹内外史先生の二の舞を演ずる人が現れる可能性も無きにしもあらず。
なんて、そんなことは……たぶん、無いか。
まあ、でも、歴史は重要ですよね。
少しくらいは歴史を知っておくべきだ、と最近になって思い始めたんです。
最近ちょこちょこ結果を出し始めてきて思ったのは、
やっぱり歴史を知らないと、視野狭窄に陥ってテクニカルなだけの無意味な研究に走りかねない。
特に僕のこれまでの研究なんて、視野狭窄の集大成です。わーい。
結構、僕を含め全く歴史を知らない人って多いですからね。
ガロアが若くして決闘だかなんだかで亡くなったことさえ知らない人も多い。
っていうか、僕の身近で数学基礎論やっている院生の大半がこれに該当していて驚きでした。
まじですか。
この前、後輩と食事していたときも、こんな様子でした。
僕はちょっとした軽い笑い話のつもりで後輩に話題を振ったんですよ。
「いやあ、○○さんと会話してたら、ガロアが早死にしたってこと知らない様子だったからびっくりしたよ」
すると、後輩は首を傾げてこう言ったんです。
「え、ガロアって早死にしたんですか?」
えー。
別に彼らは無知なわけじゃなくて、「ガロア理論の解説をしろ」とかガロア理論に関する定理を挙げて「これ証明してよ」とか言ったらちゃんと出来ちゃうような人たちなんだけど、
それでも、歴史にはからきし興味なくて、アーベルやガロアが若死にしたなんてことは知らない。
かくいう僕も、正直ガロアの死に様なんて、学部2年のとき必要に迫られて群論の勉強してたときに本の隅の方に書いてあった文で初めて知りました。
いやあ、意外と歴史を勉強する切っ掛けというものは難しい。
余談ですが、前述の後輩はその後、こう呟きました。
「俺はガロアの人生は知らないですけど、数学は好きですよ」
うわ、なんか地味にかっこいい台詞言いやがって、こんにゃろー!
数学基礎論と数学
じゃあ、哲学にも歴史にも興味無い人たちが何故わざわざ数学基礎論に集っているのか。
……いや、何でそんなことを疑問に思うんだ!
数学として面白いからに決まってるじゃないか!
そうです、数学基礎論の数学的な面白さ、証明技法などに惹かれて、
この数学基礎論の世界に迷い込んできてしまった人が多いです。
かくいう僕も「強制法まじおもしれー」とか言って証明技法を追いかけ回して遊んでいたら、
いつの間にか数学基礎論の世界に誘い込まれて、今やこのザマです。
これはほんとはダメな例です。
もちろん技術だけを追い求めるのは悪い傾向であって、
研究の背景・歴史や哲学を知ってるべきなんですよね。
でも、僕の身近には定理の価値を「証明が面白い(or 美しい)かどうか」で測る人が多くて、
そんな僕も、今の研究をやっている理由の九割は「証明技法が面白いから」それに尽きます。
駄目駄目思考です。
じゃあ、僕らはどんな証明に惹かれているんだろう。
数学基礎論には、一体、どんな美しい証明が眠っているんだろう。
その答えの一つ、それが「優先度法」です。
これは数学基礎論、特に再帰理論の研究の中で生まれた、とても魅力的な証明技法なんです。
というわけで、前置き長すぎですが、ようやく本題です。こんばんは。
僕は「優先論法」って呼んでいて、友人は「優先法」と呼んでいましたが、ここでは Wikipedia に倣って「優先度法」と呼ぶことにします。
英語では priority argument あるいは priority method と呼ばれる華麗な証明技法です。
優先度法
「優先度法」
それは 1950年代にフリードバーグとムチニクが独立に考案した証明技法です。
この技法が導入された当初は、この証明技法も未だあまり整備されておらず、
「複雑すぎるから可能なら使わないのが望ましい」
とまで言われていた、奇妙でややこしい証明方法でした。
Wikipedia の記事内容にはその名残があり、次のように記載されています。
複雑な優先度論法はテクニカルかつ難解になりがちなので、伝統的に出来れば優先度論法は使わずに証明することが望ましいとされ、また優先度論法を用いた証明があればそれ抜きの別証明が模索されてきた。
しかし、時代が経つに従い、優先度法が次第にその美しい姿の片鱗を覗かせてくるようになりました。
その切っ掛けとなったのが、木の論法 (tree argument) です。
木の論法により、優先度法は、複雑怪奇で奇異な証明技法という扱いから、魅力的でエレガントな証明技法という扱いへと、見違えるような変貌を遂げました。
そして、今や優先度法はかなり綺麗に整備されており、再帰理論、特に次数の理論の主要な道具として君臨しているのです。
さて、実は現在もまだ、 Wikipedia の記事にあるように「優先度法の証明はよく分からんから別証明の方がいい」と主張する人はわずかながらいるのですが、
次数の理論の研究者は、そういう別証明に対して、むしろ「わざわざ変で歪な証明を作らずに優先度法でやってほしい」とこっそり思ってそうな感じはあります。
少なくとも僕は思ってます。普通に優先度法使ってください。
僕の最近までやっていた研究は、この優先度法という証明技法で遊んでいた結果生まれたもので、
まあ、なんか優先度法がめちゃくちゃ面白い証明技術だったので弄くりまわしてたらなんか色々解けちゃいました。
最近書いた僕の論文(投稿準備中)は90%が優先度法で出来ています。
残り10%はバファリンで出来ています。
何が言いたいかというと、伝えたいことはただ一つ!
優先度法は嵌まると抜け出せないくらい面白いテクニックなんですよ!
一つ例を挙げましょう。
去る九月のある日、アジア論理学会議において、
一部の研究者さんたちがエルショフ階層の次数の理論の研究を発表していたのです。
すると、そのとき、ある人が僕の質問をしてきたんですよ。
「ああいう研究って何の意味があるの?」
あの研究に何の意味があるのか。
……これはとても難しい質問とも言えるし、簡単な質問であるとも言えます。
実は、あの周辺の研究は、非常に優先度法が本質的に大活躍しましてですね、
言ってしまえば、あの周辺の分野はたぶん「優先度法が面白いから」研究されているのだと思います。
とはいえ、直接、あの分野の研究者にそう尋ねても、首を横に振ると思います。
「べ、べつに優先度法のために研究してるわけじゃないんだからね! ただこういう意図があるから研究してるだけなんだからね!」
そう後付で、適当な歴史的意図や哲学的意図を付け加えることはできるけど、
たぶんそれはただの言い訳で、あれをやっている研究者たちは実際は「優先度法が面白いから」やっているに過ぎないと思うのです。
表面上はなんだかそれっぽい理由を付けてみせるだろうけど、胸中では優先度法が好きで好きでたまらないから研究してるんです。
口ではなんか言ってても、体は正直なんです。なんのこっちゃ。
っていうか、こう言ったらあれですが、彼らがやっている研究は
「優先度法がもっと活躍できる場を与えるために無理やり作った研究」
じゃないかという疑問が心の片隅によぎっているのです。
正直、 d.r.e. 次数の研究は、「優先度法が大活躍するから」以上の研究価値を僕には見出せないです。
あれ、ほんと何の意味があるんですか? いや、証明は超面白いんですけどね。
……ううん、証明が面白いかどうかが研究の価値になってしまうのは、数学屋さんの良い所でも悪い所でもあります。
これはちょっと言い過ぎかな。でも、そんな節はあると思う。
とにかく、このように、優先度法とは、研究者を惹きつける魔力を持つ証明技法です。
哲学も歴史も失って、証明技法だけに憑かれた研究者の末路がここにあります。
でも、そんな末路もいいんじゃないかと思います。優先度法はまじ面白いです。
さあさあ、みんなも堕ちてくるがよい〜。
最終的には、何が言いたいかというと、
誰だよ、いまだに「優先度論法は使わずに証明することが望ましい」とか言ってるやつ!
あ、いや、Wikipediaの日本語記事にケチ付けてるわけじゃなくて、これの元となった英語記事にケチ付けてるわけですが。
まあ、いまだに一部で「優先度法は複雑だから使わない方がいい」とかわけわからんこと主張している研究者がいるのは知っていますが、
さすがにその考え方は時代錯誤も甚だしい。
「優先論法なんて異常に入り組んでて訳の分からんクレイジーなテクニックだぜ!」
として扱われていた数十年前ならいざ知らず、
今や優先度法は美しく整備され、次数の理論の花形スターとして駆け上がっているのですよ。
マジでナウなヤングにバカウケなテクニックです。
優先度法信者の僕が言うんだから間違いないです。
これまでの講演の75%で優先度法について言及してる僕が言うんだから間違いないです。
たぶん。
以上、小手先のテクニックに捕らわれて、超ローカルな興味の研究から抜け出せない人の日記でした。
この優先度法という名の蟻地獄から抜け出すには、哲学と歴史を身に付けるしか術はないのです……。