原画’(ダッシュ)展

trikal2005-08-25

先週の土曜日、紀伊国屋書店新宿本店で催されている「原画’(ダッシュ)展 少女漫画の世界 PARTⅢ」に行った*1竹宮惠子さんによる、漫画の原画をコンピューターで精密に再現して保存展示する試みだそうで、今までも話は聞いていたけどそれほど興味はなく、しかし、今回は佐藤史生さんの作品が展示されるというのでいそいそと行ってきた。
まず、展示品のクオリティの高さに驚いた。所詮複製だし、という予想は見事に裏切られ、原画を見るのと変わらない臨場感。絵の色がきれいとかそういうことだけではなく、傷や汚れまで忠実に再現されていると言う意味において質が高く、この試みの意図とそれを完璧に表そうとする心意気に感動した。そしてこれが今後広まるにつれて、漫画の原画を見る機会が増えるとしたら、受け手のわたしとしては幸福だ。
佐藤史生さんは天性の絵描き(絵を描くために生まれてきた人)というわけではないと思っているけど、原画を前に感じたのは、描くとなったらとことん描く、絵と(空白と)向き合って、納得するまではやめない、その心意気と根気と集中力が出来上がった作品に緊張感をもって現れているのでひきつけられるのかなということでした。そして、会場には扉絵のような一枚で完成した絵と、漫画本編の一部のページの両方が展示されていたけれども、佐藤さんの作品は漫画本編の一部でも完成度の高さと緊張感を感じた。これは寡作でもしようがないかなぁと思ったり、でも新作を読みたいようとキリキリと思ったりしたのでした。
細かく描き込まれた原画の前に立ちじっくりと見つめながら、思考が刺激される。あちらとこちら。架空と現実。此岸と彼岸。形而上と形而下? 人間はその境目に在って、芸術家はその境を見つめ、二つの状態をつなぐ。その時に現れる美しいもの。あるいは醜いもの。全ての作品とはそういうものだと思うのだけれど、佐藤さんの作品は特にそれを強く意識させるものとなっていた。

佐藤史生さんのこと

一番好きな漫画家は?と聞かれたら答えます。「佐藤史生」。高校生のときにプチフラワーで連載され始めた「ワン・ゼロ」第一回を読んだときから、今後も、答えは決まっている。彼女には、この世界をどのような形で捉え、言い表せばよいかということを作品を通して教えていただいた。その意味で、右往左往していた思春期の心の恩人なのだった。実はわたしがヒンディー語を大学で選択したちょこっとひとつの理由だったりしなくもないけど、それには別の理由もあり、迷走の末だったりするので、まぁいいんだけど…。
ファンになってから、以前は古本屋巡りで、今はネットで、絶版の旧作を集めまくり、寡作な方なので、もはやそのほとんどを手に入れて読むものがなくなってしまった。今や、もしも全集が出ても新しく読むものがない…。でも全集が出たら全巻買う。どこかで出してくれんかなぁ。とても全集向けの作家さんだと思うんだけど? 一作一作読み応えがあるし、寡作だし、熱烈な固定ファンがきっといるはずだし。しかし!それ以上に、望む!新作!! でもプチフラワーがFlowersになって、どうもわたしの好みからどんどん外れていくので、もはやあそこに佐藤さんの新作が載る望みは薄いのだろうか…。やだなぁ。