Hatena::ブログ(Diary)

小さな声

2018年06月19日(火)

防災に強い都市は作れない

小学生が倒れてきた塀に押し潰されて亡くなった。何度もブロック塀に対する危険は言われてきたが、ブロック塀はなくならない。行政としては強制的にブロック塀をなくすことはできないからだ。

道路の拡張工事にしても10年以上かかるくらい立ち退きが遅い。残念ながら個人財産権が強いため、なかなか進まない。ブロック塀も同じだろう。

せまい空間に人が集まって、景観も汚く勝手に住んでいるのが都市の現状なのだ。防災に強い都市にすると言いながら現実には都市は防災には全く向いていない。

高層マンションにしても防災に強いわけではなくエレベータが動かなければ終わりだ。都市に住むということは防災を諦めることと変わりない。

都市に住む者はその利便性享受するためであり、防災を捨てているのだ。死ぬ確率が高いのが都市なのである

それでも金銭的な生活を充実させたいために都市に人は集まる。どんなに電車が混んでもお構いないしだ。都市にすむのはある種の宗教なのだ。それは金銭的な豊かさと利便性を経典とする宗教なのだ。

これからも地震が起きるたびにブロック塀は倒れ、統計的に人は死ぬのだ。もっともっと防災のための強制力のある行政執行がなされなければいけないのに、それが全くできないのが日本の都市の宿命である。

地震が来ても通勤通学をやめないこの国は一体何を守っているのだろうか。守るべき国がそれほど立派でこれからも発展するのだろうか。

次回、東京に大地震が来たときには日本は先進国でなくなるだろう。既に日本は先進国でも最低の経済成長更新し、新しい産業も生まれず、まるで衰退していく古代都市のように天を仰ぎ恵みを祈るのみなのだ。

雨がふらなくなれば古代都市は見捨てられる。災害によって東京が破壊されれば日本という国がその時に終わる。同じことである。

何もしない、何も変えようとしないこの国は大災害をまるでカルマのように待ち、死を待っているように見える。

経営について

このブログを再開した目的自分の悩みを書くためである。小さい会社を経営しているが、うまくいかない。製品が悪いのか営業が下手なのか、マネージメントができないのか、とにかくうまくいかない。

製品の性質上、そんなに簡単には売れないのだが、うまくいかない。やはり製品が市場に合わないのだろうか。どうすれば市場に合わせることができるのだろうか。

営業もうまくいかない。なかなかアポイントが取れない。取れても商談が少ない。

すべて自分の力量が足りないことは明白である。言い訳をするつもりはない。自分が経営的なセンスがないのだろう。プライドも何もない。とにかく経営が下手である。

2018年06月18日(月)

ワールドカップを見て

ワールドカップが面白い。ドイツが破れ、ブラジルがドローの波乱の幕開けだが、本気で戦ってるのがよくわかる。アイスランドのバイキングのような体格。人口が少ない国が強豪を破るのがたまらない。

この世界の中で日本人が戦うのは大変なことだとわかる。体格差、技術力などさまざまな点で劣っているからだ。まざまざと日本人の弱さを世界で公開処刑されているようだ。

サッカーと野球の大きな違いはグローバルローカルの違いだ。野球は日本人だけで盛り上がればいいので、自画自賛できる。しかし、サッカーは言い訳がきかない。日本人の弱さを徹底的についてくる。日本人にとってこれほど辛いことはないのだ。

日本という国をみて思うことはまだまだ井の中の蛙であることだ。近所に日本人しか住んでいないこの国において、世界がどういうものか実感がわかない。どうしてもローカルルールばかり気にして、グローバルルールでは完全に敗北することがわからないのだ。

ワールドカップを見ていて、強豪に対して命がけで戦っているのをみているとなんだかとても恥ずかしい気持ちになってしまう。サッカーが得意な国は経済的に豊かでない国が多いのにみんなそんなことも気にせず、一生懸命戦っているのを見ると、経済的に豊かたであることなどどうでもいい気がしてくる。

2018年06月17日(日)

ホリエモン差別

ホリエモンの本が最近売れている。ホリエモンはたいした人だ。刑務所に入っても人気があるということがそれの証明になっている。ホリエモンは好きな人と嫌いな人とで分かれる存在だ。私は特に好きでも嫌いでもないが、嫌われる理由はわかる。

ホリエモンが嫌われるのはその異質性である日本人はまだまだ異質なものに対する寛容度が高くない。自分とは違うタイプの人や価値観が違う人を受け入れることが苦手である。もちろん、最近では少し寛容になってきたが、そうはいっても人を差別する人は多い。

私は若い頃、自分が非嫡出子ということで差別されたことがある。今は家族を持ちそんなことを意識したことはないが、心のどこかで差別されたことが残っている。今はそんなことで差別する人は少ないと思うが、ゼロではないだろう。やはり差別する人はどこかにいる。

自分とは異質なものに対する恐怖が差別を生むと言われている。自分の価値観を脅かしたり、自分の考え方を否定されたりする恐れがある人を人は恐怖を感じてしまうのだ。ホリエモンはまさしく古い考え方を持った人たちに恐怖を与えた。その結果、牢屋に送られたのだ。その時のショックを覚えている。この国が建前的には法治国家であると思いこんでいたが、中世のような魔女狩りに近い裁き方をしたからだ。

世代が少しずつ変わりそのような古い考え方を持った人たちはこの世から消えていくだろう。しかし、ヘイトスピーチが消えないように、これからもいろんな差別が増える恐れがある。今までのようなイノベーターに対するいじめに代わり、弱者に対するいじめや人種差別も増えていくだろう。

誰かが言っていたが、人間とは生来人をいじめることを本能的に持っているという。つまり、誰でも自分にとって異質なものを排除する遺伝子があるのだろうだ。だから排除された者にとって、理屈理解出来ない分ショックが大きいのだ。

上司からいじめられたり、近所からいじめられたりして困った人も多いかもしれない。誰でもいじめられる対象であるのだ。それを意識せず、いじめたことを忘れてしまう人というのは何と未熟なのだろうと思ってしまう。

結局、いじめられた者は復讐といういじめを犯してしまう。それもいじめらた何倍も過剰に復讐してしまうのだ。何気ない差別が結果的に復讐によって大きな差別を生むという復讐の連鎖を人は内包しているのである。

人類が破壊に向かうときにこの復讐という連鎖は感染症と同じように人を滅ぼしていく要因になる可能性がある。

ホリエモンは良い人である。何故ならば復讐しないからだ。私だったらやはり復讐してしまうだろ。それもしたたかにわからないように陰湿に復讐するだろう。現実は私のように復讐に燃える人も多いのではないか。そうなると厄介である。復讐の連鎖が蔓延して、いろんな人がとばっちりを受けるからである。そして世の中はどんどん悪くなってしまう。

最近になって日本人の少子化とは、この蔓延した復讐がなしえた帰結のような気がする。日本人に対する最大の復讐は日本人の殲滅である。それを日本人が行うには自ら子孫を絶えることだからだ。社会に漂う復讐という毒性のある空気が我々を滅ぼし、日本人の人口を減らす症状を生んでいるのかもしれない。

タバコと昭和

最近喫煙に対して厳しい環境となっている。個人的にはようやくという感じがする。若い時によくアメリカ出張に行っていたとき、煙草を吸う人はインド人くらいだった。

自分が小さい頃は大人の男性で煙草を吸う人で溢れていた。喫茶店もパチンコ屋も煙で空気が白くなっていたのを覚えている。街では煙草を持った人が歩いていて、子供ながら危ないなあと思っていた。吸い殻が普通に地面に落ちているし、あまりにも吸い殻が多くて下水が詰まることも当たり前だった。公園にも吸い殻が多くて、子供にとって吸い殻は日常の光景だった。

昭和という時代は今思えば古臭い時代だ。コンピュータも普及していなく、全てが手動というか人間が動いていた時代だ。改札も人間が切符を切っていた。そんな時代はそんなに古くない気がする。

人間は生まれた時代を選ぶことができない。生まれた時代の宿命に左右される。今のようなコンピュータが大衆化されている時代が来たのはつい最近だ。もっと小さいときからコンピュータが身近にあればと思う。昭和という時代は非効率的であり、場末感漂う時代であった。そんな時代に生まれたこと。仕方のないことだが残念だ。

昭和が全部ダメなわけではない。あのなんともいえない高揚感。未来に対する超楽観的な考え方ができた時代なのだ。

そうはいっても昭和の負の部分として、喫煙はまさに象徴だろう。残念だが今でもその昭和の負はいろんなところに存在する。戦争や災害でしか時代を変えることは難しい。昭和、平成平和な時代が続いたことで、なかなか世の中が変わらない。日本は時代を変えることを拒否しているように思える。

2018年06月16日(土)

ショパンのノクターン

今、ショパンのノクターンを聴いている。ショパン好きなのだ。特にこんな梅雨の時期に聴くショパンは最高だ。年をとるに連れクラシックが好きになっていく。特にピアノのシンプルな響きが好きなのだ。そして叙情的なショパンのノクターンが好きなのだ。

ノクターンを演奏してくれるコンサートはあまりない。大抵一曲くらいしか演奏してくれない。ノクターンだけを何曲も演奏してほしいのだが、見当たらない。仕方なく、家で聴いている。

イベントで偉そうに話す人

昨日、イベントがあった。なんだかあまり企画がよくなくて展示会に全く人が集まらなかった。まあ、日頃お世話になっている会社なのでお金を払うことに問題はなかったが。

イベントで話す人は総じて偉そうな人が多い。聴衆を引きつけるためにはある程度の選出は仕方ないことなのだが、やはり偉そうにしている人は好きではない。自分も以前公園などで偉そうにしていたからか余計偉そうな人が目についてしまう。

偉そうに話す人が偉いわけではないのだが、そう思ってしまう大衆に腹が立つのかもしれない。

本当に人間平等なのだろうか。「驕れる者は久しからず」とは言うが、ほんとうなのだろうか。謙虚にしていればいいことがあるのだろうか。一生懸命黙々と努力するものは報われるのだろうか。

偉そうに立ち振舞いをした者が浮かばれるのであろうか。そうであって欲しくない。そのようなうまく生きたものは最後には惨めになって欲しいと思う。

2018年06月15日(金)

梅雨

今日どんよりした天候だ。梅雨らしい雨なのか曇りなのかわからない。肌寒く6月らしい天候になっている。こんな日は外出したくない。オフィス仕事をしたい気持ちである

現実には今日はあるイベントで展示を行っている。有償セッションなのでそれなりに人は来ているようだ。

2018年06月14日(木)

本田圭佑

ワールドカップが直前に迫っている。最後の練習試合であるパラグアイ戦において、乾選手の活躍により勝利した。本田選手はベンチだったので、マスコミは本田選手をバッシングしている。

確かに、代表選手の選び方は偏りが出てしまう。特に以前活躍した選手をどうするかについて日本人はどうしても冷静に判断できない。島国根性なのか勝つためには常に冷静な判断をして、温情で決めてはいけない。しかし、日本人はどうしても冷静な判断が苦手な気がする。

やはり日本は農耕民族の国、したがって今まで頑張ってきた人に報いたいのが強い。新しい人が活躍してもあまりうれしくないのかもしれない。その点海外は台頭してきた勢力や人に寛大な気がする。やはり勝負に勝つためには温情では滅ぼされるのをわかっているからだ。

日本人が国際化するためにはこの冷静な判断ができるかできないかということである。恥ずかしいというのはそもそも温情を前提とした感情であり、勝つか負けるかといった世界においては全く意味をなさないのだ。

本田選手が好きか嫌いかではなく、動けているのか動けていないのかという冷静な判断をすることこそ、選手に対する誠意であり、日本が国際的に生き残る考え方ではないだろうか。

幼児虐待には死刑

毎度毎度、子供虐待するニュースが流れている。今度は乳児に熱いミルクを飲ませるといった残虐なことが行われた。

日本ではまだ子供は親の所有物という考え方が一般的なのか、なぜこのようなことを防げないのだろうか。血がつながっていても親が子供をコントロールして人生台無しにする親は多い。子供は大人になるまで自分が悪いと信じ込んでしまう。しかし、ひどい親ややさしくない親は多い。親なんてものは育てることが義務であり、生物としてはあたりまえのこと。そんなものに恩を着せることもない。他の動物だって子育ては当然のこと。動物が子供に恩を着せるのは人間だけなのだ。

だめな親からは離れるべきだ。まして、虐待している証拠があればいかなる理由があろうとも子供を親から隔離することがあたりまえなのだ。なぜその当たり前のことがこの国ではできないのだろうか。さっぱりわからない。

最近治安が悪い

最近、治安が悪い。新幹線では平気で人を殺すし、自分の車で拉致されたり、子供虐待されたり、非常に治安が悪い。以前も治安が悪かったのかもしれない。報道ネットが以前に比べて早いのかもしれない。それにしても治安は悪くなった。出張でアメリカに行ったときにそれほど治安が悪いイメージがなかった。夜中にスーパーに行っても安全だった。

いずれにしてもこれからの日本は性善説ではなく、性悪説での考え方を持たなければいけなくなったのかもしれない。

そもそもこの国が治安が良いということはどういうことなのだろうか。国民が良心的なのだろうか。私はそういうことはないと思う。確かに国民として礼儀正しいし道徳観念が強いのかもしれない。ただ、それよりも経済的な安定さがベースにあるからだろう。

貧困というとそれだけで食べていけなくなるといったイメージがあるが、貧困の怖さは質の高い教育を受けられないことにある。そのため所謂情弱として、さまざまな情報を得るための手段が欠落し、自分の範囲を狭めていくと考えられる。そういう考え方の狭さが自分を窮屈にさせ、短絡的な行動をおこなってしまうのではないだろうか。

2018年02月19日(月)

タブーの多い日本

プライベート発言するのならば何を言ってもいいだろうが、公になると途端にタブーが増える。もちろん相手侮辱したり間違った風評を発信するのはよくないが、意見として言うこともできない。

アメリカでもタブーがあるが、基本的に政治以外のことではそんなに締め付けはないし、特定業界悪口くらいならば公で発言しても侮辱にはならないだろう。

なんでもかんでも公で話をすることを理想とする必要はないが、やはり、タブーが多いということはそれだけ窮屈な世の中ということである。

日本社会でのタブーを直視しないで、中国や北朝鮮の言論統制避難するのもどうかと思う。中国ならば政治的な発言をしなければかえって日本よりいろんな事が自由に行えるのではないか。少なくても経済的には日本よりも進んでいる。

日本はいい国だという論調が増えているのは、我々がこの窮屈な社会を感じさせないようにするための洗脳でしかない。

少しでもその洗脳が減ればいいと思う。

2018年02月13日(火)

芸人うざい

まあ、どうせ私の意見など誰も耳を貸さないと思うのだが、テレビでの芸人のコメントがうざい。時々は良いコメントを出すかもしれないが、関西弁でつまらないコメントをされるほど胸糞悪いことはない。

テレビは完全に吉本芸人に占領されたのでいまさら改善することは不可能だろう。それにしてもテレビがこんなにも不快だっただろうか。

小さい時に楽しく見れたテレビはもうないのだろう。youtubeの方が100倍楽しい

2018年02月08日(木)

サイゼリア

西小山のサイゼリアに会社の帰りに行った。いきつけの銭湯の前に夕食を食べるためだ。

パスタとグラタン、ハンバーグとデザートもつけて、二人で2000円で済んだ。サイゼリア恐るべしだ。

エアコンを買い、ソファーを買い、ソファー用の机を買い、これで自分の部屋でのんびりできる環境になった。

音楽を聞いたり、テレビを見たりできるようになった。今まで自分の部屋でのんびりしたことがほとんどなかった。納屋に机を入れて仕事ができる環境を作ったままで、広い部屋は倉庫代わりにしてきたのだ。

自分の部屋でリラックスできるようになって、もっと早くからこうすればよかったと思った。

2018年02月07日(水)

うつ病

うつ病になったことはないのだが、今日は他の人だったらうつ病になるくらい憂鬱であった。

時々、とてつもなく憂鬱になるのだが、だからといって、病気になるわけではない。心が弱い人はここでうつ病になるのかもと思う。

しかし、どう考えてもうまくいかないことやどうしたらわからなくなることがある。自分の力では乗り越えられないとき、絶望を感じるとき、どうしたらいいのかわからなくなる。

人生は思っているよりもたいしたことはないが。だからといってやはり努力したことが報われないと苦しくなる。

2018年02月06日(火)

気分が不安定

少し、気分が不安定になっている。仕方がないことなのだが、どうしても気分が不安定になる。自分としてはどうしようもないこと。どうしてもうまくいかないことがある。それを超えることができないことがとても不安なのだ。

そもそも自分がどれほどの能力があるのだろうかと考えてしまう。ただのちっぽけな人間に感じてしまうのだ。たとえそうだとしても自分が生きていく考え方として受け入れることができない。自分の限界宣言することは死に匹敵することに等しい。

自分がもっと跳躍できればと思う。しかし、自分の無能さんもわかってしまう。正確には自分が自分の無能さを感じ取ってしまうのだ。

本当はもっとできたのかもしれない。本当はもっと簡単なのかもしれない。いずれにしても、世の中をどう見るかという問題は消えて亡くならないと思う。

2018年02月05日(月)

寒い

2月の寒波がなかなか終わらない。風邪が蔓延している。一年で一番危険な時期。バッファローが川を超えるときに渡れないのが必ずでてくる。今日はまるでそんな危険な日なのだ。

エアコンを新しくし、中古ソファーを買ってから自分の部屋で過ごすことが増えた。そして、部屋を暗くすることで、静かな時間を得ることができる。

もともと自分は孤独が好きなのかもしれない。人といることが嫌いではないのだが、やはり一人で過ごすのもいい。多分、片親で育っていなかったらもっと孤独を愛していただろう。

しばらく続く寒波。いつ終わるのだろうか。とうことを考えるのだが、本当はこれがずっと続いてほしい気がする。あの春の生暖かい風がどうも苦手なのだ。具体的な何かを想起するのではないのだが、何か嫌な思い出したくない何かを思い出すのだ。それが何かわからないのだが、心の奥で思い出す嫌な気持ち

冬がきらいなのに春も実はきらいなのだ。本当は今が一番落ち着くのかもしれない。

2018年02月04日(日)

恵方巻きについて

恵方巻きを食べた。とはいっても家で作ったものだ。何せ店頭で買うと高い。ぼったくっているのだ。今年からは一本まるごと食べるのもやめた。何が楽しくて一本を短時間で食べなければいけないのか。

今年も相当廃棄が出たそうだ。それらは豚の餌になったそうだ。豚さんもなんでこんな餌が増えたのか不思議に思っているかもしれない。それほど、廃棄されるのだ。

半額でも高い恵方巻きを食べるという馬鹿な習慣をやめてほしいと思う。

2017年12月29日(金)

今年も終わり

今年も終わってしまった。2017年。毎年毎年歳はとる。あたりまえであるが不思議でもある。そして少しずつ自分がこの世からいなくなる。あたりまえであるが何も変わらない。

2017年という年はどういう年だったか。色々書きたいが、それは記録としてすでに残っているので私が書く意味はない。

ただ、私がまだ生きている。このブログを書いているということが事実だ。

2017年11月23日(木)

勤労感謝の日

勤労感謝の日といっても何かが変わるわけではない。仕事をしてもうすぐ30年になる。いままでどんな仕事をしてきかたなど思い出すことさえ忘れてしまった。

仕事を始めた当時、夕方になると寂しく感じるときがあった。多分、母親が夕方から仕事に行くことを思い出したのかもしれない。その時はすでに働くことはなくなり、のんぼりしていたのを覚えている。

もう、すでに母親は他界してしまった。今年で13回忌である

人生とは短いものだ。特に人生に期待はしていない。

確かにそれなりに野心はあるのだが、どうしても達成しなければいけない野心でもないだろう。ただ、やるだけのことをやって死にたいという気持ちは多い。

何かをなすときに難しいのはやる気を作り上げていくことだ。私もそんなにやる気を作ることは得意ではない。一日ぼっとしてしまう日もある。

それでも何か楽しいことを見つけて生きていくことは大切なことだろう。

2017年06月18日(日)

ASUSの格安ノートPCにubuntuを入れた

ubuntu studioにもなれたので、ノートPCもubuntuにしようと容量が32GBしかない格安ノートPCにubuntuをインストールした。32GBしかないので、Windows10のUpgradeができない。他のノートPCもあるので、こちらはほとんど利用しないのだがやはり外出時には持って行きたい。そこでubuntuを入れた。最初にlinux mintをいれたのだがドライバーが合わなく、タッチパッドが使えない。そこでubuntu17.04を入れ替えたところ、キーボードもタッチパッドもきちんと動いてくれている。ただ無線Lanの起動時の挙動がおかしいのがおしいところだ。これで外出時にもUbuntuが使える。それにしてもubuntuで何も不足がないところがいいね。

2017年05月30日(火)

Ubuntu studio

最近中古PCを買ってubuntu studioを入れた。HPの小型のcorei3のマシンだが12,000円だ。それをSSDとメモリーを増設して総額20,000円にしたのだがすこぶる快適だ。

何がいいかといえば、OSの質感だろう。無駄な動きがない。それにこのubuntu studioはubuntuの派生で音質がよく作られている。オーディオマニアの私にとってはありがたい。

以前からPCにDACをつなげているが、ubuntu studioに繋いで直接送信するようにしたら、すこぶる音質がよくなった。ずっとヘッドホンのせいかと思っていたのだがヘッドホンが悪いのではなく、そもそもPCからの音が悪いのがわかったのだ。特にハイレゾは音質が良い。

2017年05月09日(火)

文房具

最近、安い文房具の品質が上がってきて、高級文房具がだんだん欲しくなくなってしまった。一時期というか昔は高級文房具マニアで何万円もする万年筆ボールペンを買っていた。もちろん物はいいのかもしれないが、高い割に使いにくいものもある。

東急ハンズが近所にあれば凝ったペンなどを買うことができたのだが、昔は渋谷にしかなかったのとインターネットがなかったのでおもしろい文房具を見つけるのが困難だった。最寄り駅にハンズセレクトができたおかげで、安くても良質な文房具を買うことができるようになった。それとアマゾンのレビューをみて買えるので安くてもいいものが手に入る。

安いと行ってもデザインが優れていたり、書き味が良かったりして、安かろう悪かろうということはない。

2017年04月30日(日)

究極のノートPCを探せ

最近、ノートPCの話題がない。Macbookも飽きてきたし、正直使いやすいノートPCがないのだ。私の好みがグレア画面ということもあり、windowows10でグレアはあまりない。安いASUSのノートPCになってしまう。今は主流がノングレアなのだ。そういったこともあり、なかなか自分の好きなノートPCがないのである。SURFACEを使えってご冗談を。キーボードが悪いノートPCは論外なのだ。何せノートPCのキーボードでさえ嫌いなのに、これ以上キーボードが悪いと入力できなくなる。

ノートPCはタブレットやスマホの普及によって位置づけが微妙になってしまった。外出先のPCということでは変わりないが、閲覧するだけならスマホで十分なのだ。字が大きくしたいのならばタブレットもある。わざわざ起動が遅いWindowsを立ち上げてみる必要がないのだ。

何時の時代でもどんな場面でも使えるパーソナルコンピュータはないのである。

はてなおもしろ

くだらない話一発目で何を書こうか悩んでいたのだが、はてなを開設したことを書こうと思う。はてなは昔から好きであった。特にはてなダイアリーが好きだ。まだブログが出る前からはてなはダイアリーを使えるようにしていたのは画期的だったと思う。もっとがんばれば大きな会社になれるのだが、そこをしないのもいい。褒めてるのかけなしているのかわからないが、マニアックユーザーを捉えて放さない。

特に気に入っているのがダイアリーを増やすことが出来る事だろう。もう最近ではブログなんて書く人は少なくなったと思うが、私はブログが好きである。まず文章を書くと心が落ち着くことと、文章能力が向上するからである。もし、手っ取り早く文章の書く力を付けたいのならば迷わずブログを書くことを薦める。

話は戻るがはてなダイアリーは誘導されるはてなブログとは違う。個人的にこちらが好きなので書いているがやはりマニアックな用途なのかもしれない。少しアカデミック香りがするのもいい。しばらくいろんな事を書いてコンテンツを充実させたいと思う。