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仙台のITベンチャー日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2011-04-15 津波5週間後の石巻-女川-雄勝-志津川 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

昨日、IT業界専門誌BCNの編集長,記者と一緒に石巻-女川-雄勝-志津川を訪れました。

彼らは2泊3日で被災地のIT業界の取材で仙台を訪れていたんですが、津波の被災地も取材して欲しいとお願いし、本日一日掛けて同行取材をしてきました。

■BCNの記事「【被災地レポート】震災で問われた「事業の継続」、すばやい動きが会社を支えた」はこちら。



まず訪れたのは仙台市若林区の浪分神社

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ここは慶長16年(1611年)12月の慶長津波でここまで津波が来たと言うことで建てられたと言われる神社

歴史的に津波の多い東北には、先人からの警鐘が多く残っているものの、今回の津波でそれが活かされたのか・・・と言うことは今後に向けて検証しなければならいないと思います。

現代であればITや映像で残すべき記録や警告が、昔は石碑や神社仏閣に込められたのだとしたら、今回の大震災の記録をITを使って残すことは後世に何かを残せるのではないかと言うことで意味があるのではないかと思っています。

まずはそれを伝えたくて、BCNの2人をここに連れてきました。

以下、浪分神社の由来を含む、河北新報の記事。

■「津波」先人の警鐘生かされたか 東日本大震災(河北新報)



石巻の日和山公園。桜がほころび始めほのぼのとした雰囲気ですが、そこから見える景色はまったく以前とは違う光景です。

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女川町はこれまで見てきた被災地と様相が違っていました。

やはりリアス式海岸の津波の力は凄まじいものがあり、女川の町に入る国道を山から下りて行く途中、かなり手前の高台から津波の痕跡があるのには非常に驚きました。

しかも、町の中では鉄筋コンクリートのビルが倒壊し、残ったビルの上に家や車が残っていますし、瓦礫も他の地域のように木が中心ではなく、コンクリートや鉄筋までが瓦礫になっています。

水の力でどうしてこんなことになるのか、本当に信じられません。

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女川町立病院は高台にあったお陰で無事でしたが、駐車場には津波の痕跡がありました。

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女川駅の先には、電車が脱線いるのですが、驚くのは全ての電車が線路から離れていること。

特に小高い墓地の上にまで電車が打ち上げられています。2番目の写真には、右電車だけなく、中央に赤い電車、左の山の上の電車の3両が写っています。

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雄勝町

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雄勝では、町外れのお寺の寺務所が小さな避難所になっており、6人のお年寄りが避難されていました。

まだ電気,水道,ガスは復旧していないとのことでしたが、水は山水があるから大丈夫なんだよ、と明るく話されてたのが印象的です。

今回、BCNの2人には日本酒(宮城のお酒"浦霞"と"一ノ蔵")と野菜ジュースを大量に持ってきてもらったんですが、おじいちゃんおばあちゃんたちに喜んで受け取ってもらえました。



南三陸町志津川はやはり大きな被害で、コンクリートの建物が一部残っているのみ。しかも、そのビルの最上階までが津波の被害に遭っています。

町の各所に「チリ地震津波がこの高さまで来た」と言う看板が立っていましたが、やはり過去の被害が生かされたのかと言うことを考えさせられます。

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雄勝町の北にある志津川に向かう途中の北上川に掛かる国道398号線の橋が通行止めになっていたので、15Km上流の45号線の古川橋迂回したのですが、その橋の袂にも河口から流されてきた漁船が横たわっていました。

津波は北上川をどこまで遡上したのでしょうか・・・。



志津川では、志津川小学校と志津川高校の2カ所の避難所を回りました。

暗い体育館の冷たい床を踏んだ瞬間、2日間の避難所生活がフラッシュバックして来て、その避難生活が5週間にも渡り続いていることに胸が苦しくなってしまいました。

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ここもやはり電気が通っておらず(注:本日時点で南三陸町の一部に明かりが灯ったそうです)、自家発電機で数個の電気とテレビが点いていました。

テレビは以前からあったのかと思ったのですが、なんと昨日届いたとのこと。被災地の真ん中にいる皆さんが、この大震災のTV映像を1ヶ月以上も見ていなかったのです。



ここでもお酒と野菜ジュースを渡しつつ、まとめ役の人と色々話をしてきました。

やはり物資はほとんどが足りているようですが、細かいところで無いものがあったり、これが欲しいと言い出し辛いもの(その中の一つがお酒)が無かったりと言う状況のようです。

一方、ITについて言えば、ITそのものを活用するのはまだ先の印象ですが、ITを知っている人が役立つことはやはり多そうです。

今後、IT業界の力と現地に近い仙台の企業が連携してできることを考え、実行していくつもりです。



仙台への帰り道、先日知り合った塩竈の人たちと食事をしながら情報交換。

仙台に戻ると23時。14時間の旅でした。



■「編集長、被災地に入る」(BCN)



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