用意するものは日本地図と東京創元社解説目録です、と桜庭一樹ファンは言った

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)

少女には向かない職業 (ミステリ・フロンティア)


若き極真空手家が帰ってきたッ
どこへ行っていたンだッ ライトノベル・クイーンッッ
俺等は君に跪いていたッッッ桜庭一樹の登場だ――――――――ッ*1

はじめに

以下の文章は『少女には向かない職業』をまだ読んでいない人に向けた紹介文ではありません。核心に触れる箇所はぼかしているので先に読んでも大丈夫だとは思いますが、これから『少女には向かない職業』を読むかどうかを決める際の参考にはならないでしょう。
むしろ『少女に向かない職業』を既に読んでいる人に向けた文章なので、「なるほど、そうだったのか」とか「いや、それは無茶だ」とか思っていただけると幸いです。
なお、かなり長い文章なので、覚悟してください。

ゐなか、の、じけん

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、「暴君」(『異形コレクション オバケヤシキ』所収)、そして『少女には向かない職業』には共通の特徴がある。
少女たちの戦い?
そう、確かにそれは大きな共通点だ。その観点からみれば、『推定少女』も同じ系列に属することになる。だが、こではあえて視点をずらして別の共通点を挙げてみよう。

  1. 舞台は地方都市で、実在の都市名が明示されている。
  2. しかし、現実とは明らかに異なる地理的条件が設定されている。
  3. さらに、それぞれの地方都市を特徴づける固有の土地柄、地域性のようなものが作品に全くといっていいほど反映されていない。

3作品をすべて読んだ人には言わずもがなだが、いちおう説明しておこう。
まず『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は、島根県境港市*2が舞台となっている。作中の境港市には路面電車の駅*3がある。現実には山陰地方のどこにも路面電車など走っていないというのに。
つづく「暴君」は、島根県益田市そして松江市*4が舞台だ。この二つの都市は島根県の端と端にあるが、作中ではすぐ近くにあることになっている。
そして『少女には向かない職業』では、山口県下関市が舞台となっている。より正確にいえば、下関の沖合いに浮かぶ島が主要な舞台である。


あたしたちが住んでいるのは、すごく田舎。ていうか、島だ。山口県下関市の沖合いにある、面積が三百キロメートルぐらいの、割合大きな島。親たちが子供のころは本土に渡るにはフェリーに乗るしかなくてたいへんだったらしいけど、いまは本土と島をつなぐ橋ができて、車とかチャリンコで気楽に下関のデパートとかに行けるようになった。*5
この地方の地理に詳しい人なら、下関と橋でつながった島が二つあることを知っているだろう。一つは角島だ。もっとも2005年2月13日に下関市と近隣の4町が合併するまでは角島は豊浦郡豊北町に属していた。自動車ならともかく自転車で気楽に下関のデパートに行けるような場所ではない。
下関と橋でつながっているもう一つの島のことは、この地方の地理に通じていなくても当然知っているはずだから、説明は省略する。わからない人は小学校で使う地図帳でも開いて調べること。
重大な事実の見落としがありました。ここを参照してください。
ともあれ、現実に存在するいずれの島も『少女には向かない職業』に出てくる島とは地理的条件が合致しない。もちろん、このこと自体は不思議でもなんでもない。実在する地名に言及して物語にある程度の現実感を持たせつつ、細部ではわざと現実とは異なる描写を行って虚構性を担保するというのはありふれた技法なのだから。しかし、先に指摘した3つめの特徴、すなわち土地柄や地域性の欠如は注目に値する。
少女には向かない職業』は下関を舞台にする必要のない小説だ。海に面した都市であれば、別に愛媛県今治市でも大分県佐伯市でも構わない。もちろん鳥取県境港市でも何の差し支えもない。だが、広島県尾道市は駄目だ。それだと街の雰囲気が作品にしみ込んで別の色に染め上げてしまうことになる。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、「暴君」、『少女には向かない職業』の3作を仮に地方都市シリーズと呼ぶことにしよう。東京からみれば「田舎」の一言で括られてしまうが、それでもやはり都市である。役所があり、商業施設があり、病院があり、公共交通機関がある。かつてはその土地独自の文化も伝統もあっただろう。だが、それぞれの都市の文化的機能は東京に吸い上げられてしまい、都市は形骸化している。依然として人口は集積しているので、都市が消滅したわけではない。ただ、独自色が薄れて朧気になっていく地方都市。それが少女たちの戦いの舞台だ。
いや、あれこれ説明するよりも、作品自体をして語らしめるほうがわかりやすいだろう。

島の人口は二万人ぐらい。けっこういる。でも年寄り率高し。あたしたち、貴重な若者たちは中学までは島の学校に通うけど、高校からは下関まで通学することになる。さびれた島。だけど最近、ようやくこの僻地にも、文化の象徴、もしくは退廃の予兆、愚民の拠所、マクドナルドが(超小さな店舗だけど)オープンした。あたしたちは大喜びで、べつにおいしくない気もするけれど、放課後によくマックに寄った。*6
マクドナルドはこの後のストーリーに絡んでくるので、ここではその説明も兼ねているのだが、それを抜きにすれば、「文化の象徴」はローソンでもTSUTAYAでもジャスコでも東横インでも構わない。重要なのは、「文化の象徴=退廃の予兆=愚民の拠所」という、冷たく確かな洞察だ。山野内荒野が学校帰りに寄った名も知れぬ甘味屋*7と名の知れたマクドナルドを対比してみれば、後者のほうがより朧気な存在に感じられるだろう。
先ほど「地方都市シリーズ」という用語を提唱した際に、意図的に『荒野の恋』を無視した。その舞台である神奈川県鎌倉市もまた地方都市であることに違いはない。だが、この作品が『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』〜「暴君」〜『少女には向かない職業』の系列に属するのでないことは、もう明らかだろう。『荒野の恋 第一部』の口絵に「かまくら思い出ノート」というページがあるのは象徴的だ。固有名が代替可能性を暗示するというパラドクスは、ここにはない。
逆に、多くの点で地方都市シリーズと性格を異にするにも拘わらず、もしかしたらこのシリーズに含めて語ってもいいかもしれないと思える作品がある。それは「辻斬りのように」だ。この小説の舞台は北海道旭川市で、地方都市シリーズの中国地方から遠く離れているし、時代は昭和、登場人物は全員大人、殺人も殺人未遂も起こらない、というふうに相違点を挙げるほうがたやすいのだけれど、地方都市シリーズに似た地理的閉塞感やのっぺらぼうの都市が人の心まで朧気にしていくような不安が色濃く感じられるのだ。

黒衣の女

少女には向かない職業』には多くの先行するミステリ作品のモチーフが鏤められている。このタイトル自体P.D.ジェイムズの『女には向かない職業』の捩りだし、本文には有名な古典心理サスペンス長篇のタイトルが2つ挙げられている。また、タイトルに言及はされていないが、アイリッシュの有名長篇にも触れている。第一の殺人のトリックそのものは奇術に基づくものだが、桜庭一樹が特に愛好しているディクスン・カーが同じトリックを用いていることは偶然ではあるまい。他にもダールの有名短篇のトリックも出てくる。さらに、子供が犯人ということ以上の共通点をクイーンの名作との間に見出すことも可能だろう。
だが、古典ミステリとの関わりはさほど緊密なものではない。『女には向かない職業』とストーリーの上で重なる点はほとんどない*8し、そもそも職業の話ですらない。タイトルが挙げられている古典心理サスペンス長篇のうち一方は、成功しなかった犯行計画と多少類似しているだけだ。もう一方の作品のほうは部分的にストーリーに関わってくるが、小説全体の構成は全く別物だ。また古典ミステリのトリックをアレンジした珍犯行計画については、極楽トンボ氏がうまいことを言っている。トリックはあるけどない。
これは一体どういうことなのだろう? これらのミステリ的要素は単なる装飾、ミステリ・フロンティアという媒体のためのリップサービスに過ぎないのだろうか?
もちろん、そうではない。
GOSICK』シリーズを読んだことがある人なら誰だって、宮乃下静香の珍トリックの数々からヴィクトリカのマカロンを連想するに違いない。客観的にみればマカロンはただの砂糖菓子に過ぎず、武器にもならなければ防具にもならない。けれど、ヴィクトリカは武器にならない武器を本のまわりにまき散らす。宮乃下静香は本で知ったトリックにならないトリックで武装する。砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないが、撃ちぬけないからこそ少女たちは撃ちまくるのだ。
ただし、ヴィクトリカと宮乃下静香の間には大きな違いがひとつある。それは、ヴィクトリカにとってはトリックは実効力のある武器だということだ。彼女はときにはトリックを用いて周囲の人々を驚かせ、ときには他人の仕掛けたトリックを暴いて自らの知恵を誇示する。ヴィクトリカは正法の時代に生きているが、宮乃下静香が生きるのは像法の世界だ。
宮乃下静香がたまたま手に取ったミステリが別のものだったなら、冷凍マグロのかわりに大量の五円玉を用意していたかもしれない。ガラスの破片と金魚鉢だったかもしれず、注射液のない空の注射器だったかもしれない。小説の舞台となった地方都市と同じく、作中で言及されるトリックも代替可能だ。さらに、別のレベルでは、この小説のタイトルすら別のものととりかえることができるだろう。『少女に捧げる殺人物語』でも『犯罪の中の少女たち』でも構わない。けれども、これらのミステリ要素の代替可能性は、決して単なる装飾を意味するのではなくて、むしろ逆に『少女には向かない職業』が徹底的に、または、決定的にミステリの系譜に属するものであることを意味している。
少女には向かない職業』は、正法の時代が過ぎ去り、今われわれが像法から末法の世へと向かいつつあることを、実作の形で如実に示しているのだ。別のたとえを用いれば、機能和声が崩壊し無調音楽が誕生する寸前の多調音楽にも似ている。
残念ながら、今はまだ比喩でしか語ることができない。ミステリにあらざるミステリをわれわれはまだ目にしていないのだから。だが、きっと近い将来にそのような小説があらわれる。その時、『少女には向かない職業』はミステリの変容の道標として再び立ち現れることになるだろう。

おわりに

この文章は、ぎをらむ氏の少女たちの通過儀礼 〜「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」と「推定少女」〜に強い影響を受けたものです。その影響は、冒頭で「少女たちの戦い」という主要なテーマから視点をずらすという、ネガティヴな形であらわれています。本当は最後までその方針を徹底したかったのですが、途中でどうしても触れざるをえなくなったのが残念です。
もうひとつ残念なことに、この文章は全く明晰ではありません。「少女たちの通過儀礼」が難しいことをわかりやすく説明しているのとは大違いで、ごく控えめに言っても議論が錯綜しているうえに結論らしい結論が出せずじまいになっています。
このような不完全な文章を人目に晒すことに内心忸怩たるおもいがあるのですが、これ以上粘っても文章表現の手直し程度しかできないだろうと思い、このままの形で公開することにしました。

おまけ

少女には向かない職業』には田中颯太という少年が登場する。「颯太」は「そうた」と読むのだが、この際読みのことはおいて、漢字に着目しよう。
「颯」は「立+風」と分解できる。
立+風太……。
立つ、は英語でstand up。
あっ!

*1:全選手入場のガイドライン まとめサイトその2から孫引き。

*2:砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』5ページ参照。

*3:同書19ページ。

*4:異形コレクション オバケヤシキ』313ページ。

*5:少女には向かない職業』13ページ。

*6:少女には向かない職業』13ページ。

*7:荒野の恋 第一部』148ページ。

*8:強いていえば、大西葵にとっての「おじさん警察官」が、コーデリアにとってのダルグリッシュと似ていると言えなくもないかもしれない。