「自由意志は存在する」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい

先日、カレーライスと鳥取人という記事を書いた。この見出しは名著『カレーライスと日本人 (講談社現代新書)』のタイトルの捩りなのだが、内容は特に関係ない。本当は記事の内容にあった見出しをつけるのがいいのだろうが、なかなか思い浮かばないことがあって、見出し一つであまり考え込むのも不経済だから、そんな時にこういう手を使うことにしている。
さて、今回の見出しは「で、みちアキはどうするの?」 - 「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたいの見出しを捩ったものだ。「存在しない」を「存在する」を置き換えたのだから、元記事に対する反論または批判を意図していると受け止める人もいるかもしれないが、別にそういうことを書くつもりではない。これはこれで独立した文章だ。
さて、自由意志である。
人には意志があり、意志に基づいて行動する。意志に反して何らかの行動をせざるを得ないこともあって、それはそれで不幸なことだが、いつも意に反した行動を強制されるわけではない。人の行動の大半は、意志に基づく行動である。
「自由意志」という言葉は妙に重々しいが、要するに、他からの強制に基づくのではなしに、自らの意志に基づいて行動を行う、という事態を強調したものに過ぎない。当然のことながら「不自由意志」などというものはない。
そこで、自由意志があるということは示すには、他からの強制に基づくのではない行動の例を少なくとも一つ挙げれば足りる。なるべく簡単にわかりやすく説明するために、むつかしい議論は抜きにして、実験で片をつけよう。

  1. まず、右手と左手を用意してください。
  2. 次に、右手か左手のどちらか一方を上に挙げる動作をイメージしてください。どちらの手を挙げるかは任意です。
  3. 次に、上に挙げることをイメージしたほうの手を実際に挙げてみてください。
  4. そこで、実際に挙がった手が本当に自分が挙げようと思ったほうの手だったかどうかを確かめてください。
    • 自分が挙げようと思ったほうの手が挙がった人は実験成功です。あなたに自由意志があることが判明しました。
    • 自分が挙げようと思ったのと逆の手が挙がった場合、または、両方の手が挙がったり、どちらも挙がらなかった場合は、実験は失敗です。ただし、あなたには自由意志がないことが判明したわけではなく、この実験では自由意志がうまくはたらかなかったというだけのことなので、気を落とさないように。
  5. お疲れ様でした。